ピローを出発した二人は暫く歩き、8キロ北にあるロレバに着いた。逆上陸前の事前情報ではそこに第2遊撃隊の一部が駐屯している事になっていたが、目前に広がる村の様子はとても味方が居るようには見えなかった。
「ボコボコにされてるな…。」
建物という建物が破壊され、そこかしこに瓦礫が撒き散らされている。火の手こそ今は上がっていないが、点在する黒焦げになった樹木がかつて火災に見舞われた事を物語っていた。
「空襲されたのか。」
顔を顰めて呟く与野。すると不意に雪女が背伸びをし、近くの泥濘を指差した。
「正彰様、あの跡は…。」
どれどれと見ると、そこには特徴的な凹凸が2列刻まれていた。
「履帯の跡…こりゃ間違いなく戦車だな。」
味方に戦車は1両も無かったはず。となれば、残るは敵だけだ。
「空襲じゃなくて地上戦をやったのか…。」
与野は頭を抱えた。敵は機甲部隊まで備えていたのだ。
ともあれ、何か残っていればと警戒しつつ村の中へと向かった。
「逃げろと言ったらすぐに逃げるんだぞ。」
「分かってます。」
小声で約束の再確認をした二人は崩れた民家を背にして、そろりそろりと通りを進む。その時、通りの反対側にある半壊した民家からガタリと物音がした。素早く与野が反応し、小銃を構える。
「待ってろ。」
彼は振り返る事なく雪女に指示を出し、自らはゆっくりとその民家へ入っていく。木造の粗末な作り、屋内は薄暗く、鼻をつく異臭が充満している。耳を澄ますと、ガサガサという音が聞こえて来た。音源までの距離は推定僅か数メートル、短い廊下を曲がった先辺りだろう。ジリジリと曲がり角まで進み、壁に張り付いて静かに深呼吸。心臓が早鐘のように鳴り、小銃を握る手が震える。心の中で今一度覚悟を決め、そして曲がり角へと飛び出した。
「うわっ!」
同時に物凄い速さで何かが彼の足元を駆け抜け、家から出て行った。一瞬だけ見えた後ろ姿は野犬のそれであった。
「勘弁してくれよ…。」
安堵の溜息をついた与野は辺りを見回した。他には何も居ない。―死体を除いては。病に倒れたのだろうか、友軍兵の遺体が寝かされていた。その体のあちこちは食い千切られており、先程の野犬の仕業であるのは一見して明らかであった。そして側には着替えと思しき綺麗な軍服が一着、畳んで置かれている。
「そう言えば雪女、襤褸だよなぁ。」
いつまでも粗末な服を着せる訳にもいかない。軍服を持ち、外に出た。雪女は座って待っていた。
「犬だったんですね。」
「犬だったな。敵じゃなくて良かったよ。」
与野はそう言って笑いながら、持って来た軍服を手渡した。
「中に置いてあった。いつまでもその格好でいる訳にもいかんだろう。大きいかもしれんが、折り返せば大丈夫。」
「ありがとうございます。」
雪女は受け取ると早速、襤褸の上に軍服を纏った。裾を何度か折り返し、丁度良い長さに調節する。
「襤褸の上からで良かったのか?」
何気なく与野が訊くと、雪女は頬を赤らめた。
「襤褸は下着みたいなものですから。それに…正彰様の前で着替えるのは少し恥ずかしいです。」
「ん…そうだな。まぁ君が良ければ良いんだ。」
ぶっきらぼうに言いながらそっぽを向いた彼の耳も赤くなっていた。
彼等は気を取り直してから足早に他の民家を探索して回ったが、結局人っ子1人居なかった。
夜。2人は一番まともに原型を留めていた民家を宿とし、朝を待つ事にした。熱帯は夜でも蒸し暑く、ひっきりなしに虫が飛び交う。
「むむっ。」
ペチリという音と共に雪女が自分の腕を叩いた。
「どうした?」
「蚊が居たので。」
眠た気な声を出しながら、雪女は辺りを見回した。
「やたら飛んでますね…これじゃ寝れないです。」
「大自然の中だからな。あまり刺されないようにしてくれ。マラリアになったら大変だ。」
聞き慣れない単語に雪女は首を傾げた。
「マラリア?」
「あぁ、熱帯特有の伝染病だ。これのせいでかなりの死者が出てるらしい。熱が出て動けなくなっちまうんだ。原因になる虫を蚊が運ぶんだと。」
「お詳しいですね。」
「いや、知り合いの受け売りさ。…あいつには申し訳ない事をした。」
与野はそう小さく呟いた。
「何かあったんですか?」
「同じ隊だったんだが、この島に来て最初の戦闘で撃たれてな。気付くのが遅かったせいで置き去りにしてしまったんだ。衛生兵で明るい奴だったよ…。」
「それは…あの、仕方ないですよ。」
雪女が励ますように言う。そうかなと返そうとした与野だったが、その時雪女の表情が豹変するのを彼は目撃した。何事か問おうと口を開きかけた矢先、突然飛んできた微塵の容赦も無い平手打ちを頬に受け、情けない声が漏れる。
「え?え?」
「いえ、頬に蚊がとまっていたので。」
真顔で答える雪女に、与野は手加減というものを覚えさせねばと強く思った。
無事に夜を明かした2人はロレバを出発し、更に北へと歩き出した。目標は10キロ先のチライだ。朝から行けば昼過ぎには余裕で到着できる距離であるが、ロレバを攻撃した敵の動向が掴めない以上、索敵しながらの慎重な移動を余儀なくされる。
「何でもいい。変だと思ったらすぐに報告してくれ。気のせいかもしれなくても必ず言ってくれよ。」
出発に際して与野は繰り返しそう言った。視界の悪い密林の中、敵と準備も無しに鉢合わせなどという事態を避けるには常に周囲に気を配り、どんな些細な事も見逃さないようにする必要があるからだ。
「はい。必ず、ですね。」
真剣な表情で話を聞いた雪女は、早速と言った具合に与野の頬を指差した。
「あの、正彰様。頬にもみじ形の赤い跡があるのですが…。」
「それは昨日、君が一切の手加減無しに蚊を叩いた跡だ。」
言われた雪女は目を丸くした。
「えっ、私そんな事を?」
「思いっきりやっただろうが。」
「…寝ぼけていたかもしれません。申し訳ございません!」
「あれで寝ぼけてたのか…。」
深々と頭を下げる雪女をよそに、与野は愕然としたのだった。
午後3時。昼の小休止を挟んでの移動でチライまでの距離は確実に縮まっていると思われたが、鬱蒼とした密林が現在地の把握を難しくしていた。
「正彰様、何か聞こえませんか?」
雪女が何かを聞き取り、不意に立ち止まった。初めは分からなかった与野も言われて耳を澄ませる。
「これは…波の音…?」
規則的に微かに聞こえてくる音は、波のそれに酷似していた。
「とりあえず行ってみるか。」
「はい。」
音のする方へと移動する2人。すると5分と掛からない内に視界が開け、短い砂浜と打ち寄せる白波が姿を現した。海岸線の形や振り返って山の位置を確認して地図と照らし合わせると、どうやらチライの少々手前、チライ岬付近に辿り着いたようであった。
「あと少しじゃないですか!」
嬉々とする雪女。しかし彼女の背丈では窺い知れない、岬を覆う密林の向こうに頭を出している物体に与野は表情を曇らせた。
「俺は喜べないなぁ…。」
「え?何でですか?」
与野が不思議そうに目をパチクリさせる雪女の前でしゃがみ込み、肩車になるよう指示する。
「おおっ、高いですねぇ。」
上機嫌な雪女であったが、密林の向こうを眺めた途端に素っ頓狂な声を上げた。
「あれ、星条旗じゃないですか!しかも2つも!」
「分かったから、指ささなくても良いから!ちょっと、バランス崩れるからぁ!」
よろける与野の上で岬の向こうを指差す雪女。その先には青空を背景に、2本のマストとそれぞれに翻る星条旗があったのだ。これではどう考えてもチライは米軍の占領下としか思えない。
「はい降りた降りた!」
「えー、つまんないです。」
「遊んでるんじゃないの!」
雪女を下ろした与野は、さてどうしたものかと考えた。島のやや南、チライの東に聳えるサバタイ山を乗り越えるのはあまりにも無謀だし、引き返す訳にも行かない。思案の末、夜間にチライを軽く偵察しつつ掠めるように北に抜ける事にした。
太陽の微かな薄明すら完全に消え失せた真夜中、2人はいよいよチライへ向けて行動を開始した。浜辺から再び密林へと分け入り、小山のように盛り上がったチライ岬を通過する。そして見えてきたチライの光景に、与野は思わず狼狽した。海岸へと乗り上がるように並ぶ2隻の巨大な揚陸艦。その高く伸びたそれぞれのマストの先には昼に見た星条旗が翻っている。煌々と明かりが灯されている浜辺には十数の戦車が並んでいる他、大量の物資が山積みとなっており、その間を兵員が忙しそうに渡り歩いているのが見える。
「最悪だな…なるほど211連隊と212連隊も苦戦する訳だ。」
苦虫を噛み潰したような表情で与野が言った。
「早いとこ離れませんか?見つかったら大変ですし…。」
「そうだな。」
雪女の提案を受け入れてそっとその場を離れ、闇夜に紛れるように密林を進む事にした。木陰に隠れ、土に伏せ、時には大胆に駆け抜けて北へと急ぐ。そして幾分揚陸地点から離れた頃、与野の目が樹海の中に薄雲の掛かった太り気味な半月の弱い光を反射している何かを捉えた。よく見れば3つ並んでいて、時々動いている。
「音を立てるな。ゆっくり確認する。」
小声で話す与野に雪女が頷いた。地面に伏せ、ジリジリと距離を詰める。そしてそれまではただの光る物体だったそれが、遂に正体を現した。
「敵じゃないか…。」
地面に掘られた蛸壺に米兵が3人。光っていたのは彼らの鉄兜だったのだ。しかしどうも様子がおかしい。何故か全員がこちらに背を向け、向こう側を警戒している。わざわざ味方の方向を警戒するというのは考えづらい。あるとすれば、あまりにチライに接近し過ぎた為に敵の警戒線の内側に入ってしまっていたという状態か。
ともあれ、3対1では分が悪い。何とかして回避したい。
「大回りして避けよう。」
与野の考えに雪女が再び頷いて賛同した。物音を立てぬよう、しゃがんだままで移動を始める。が、運悪く与野が地面の窪みに躓いて転んでしまった。ガサッと大きな音が鳴り、米兵たちがこちらを向く。最早、交戦は避けられない。
「くそっ、伏せてろ!」
与野が指示を出しつつ敵へと素早く小銃を構え、引き金を絞る。彼のM1ガーランドから放たれた弾が、未だ狙いの定まらぬ敵兵の1人を撃ち抜いた。残りの2人がお返しと言わんばかりに小銃の連撃を叩き込んで来た。咄嗟に伏せる与野。そのすぐそばを銃弾が突き抜け、木の葉を引き裂く。負けじと隙を見て射撃を再開するが、焦れったい程に当たらない。
「焦るな焦るな…!」
与野は自分に言い聞かせるように唱え、もう一度頭を上げて敵を狙い撃った。装弾子が弾き出されると共に悲鳴を上げて敵が倒れ、残り1人となった敵が蛸壺に引っ込む。
「再装填を…。」
急いで弾入れを漁るが、そこには何も無い。思い返してみれば、死体から鹵獲した装弾子は1つだけだった。こうなっては仕方が無い。彼は小銃を置くと腰から銃剣を抜き、蛸壺を見た。まだ敵は頭を上げていない。やるなら今しかない―彼は決意して駆け出し、蛸壺へと躍り込んだ。目の前に身を屈めている敵兵。その喉元を狙って銃剣を突き出す。しかし暗さも相まって狙いが逸れ、首の脇を虚しく突き抜ける。まずい、と思った時には既に遅かった。敵兵が、手にしていた小銃で与野の胸を殴り付ける。激痛が走り、思わずよろける。続いて銃剣を手にしていた右手も殴られ、激痛が走った。力が抜け、銃剣が滑り落ちる。慌てて拾おうとした与野の顎に蹴りが入れられ、彼はそのまま後ろにひっくり返った。すかさず敵兵が銃剣を拾い上げ、与野に突き立てようと覆い被さった。すんでのところで腕を受け止めた与野だったが、体格に勝る敵兵の力は強い。ジリジリと銃剣の切っ先が彼の胸に迫る。間近に見る敵兵の顔には玉のように汗が浮かび、それだけで殺せてしまいそうな恐ろしい視線を与野に向けていた。その腰に拳銃が下げられているのがちらりと見えたが、両手でなければ敵兵を支えられない。
「くそっ…!」
もう駄目かと与野が諦めかけたその時、何者かが蛸壺に躍り込んで来た。何だと思ったのも束の間、何者かの手が素早く敵兵の腰から拳銃を奪い去った。刹那、敵兵が頭を殴られて横に倒れる。そこに情け容赦の無い拳銃の3連射。敵兵はピクリとも動かなくなった。
「え…?」
恐る恐る視線を上げ、そこに立つ人物を見る。雲を抜けた月明かりの下、照らし出されたのは長い銀髪をもつ小柄な少女だった。
「雪女…なのか…?」
声に反応したように彼女が与野を見る。確かにそこに佇んでいるのは雪女であったが、その瞳は与野が知っている可愛らしいものではなく、1人の冷酷な兵士のものであった。
「正彰様、話は後です。まずはここから離れましょう。」
迷いも無く雪女が言った。気おされた与野は、ただ頷いて指示に従う事しかできなかった。
2人は交戦地点から急いで離れ、再び密林の中へと潜り込んだ。しばらく走り続けているうちに、木々の合間から見える東の空はいつの間にか朝焼けに染められていた。
「ここまで来れば敵に見つかる事は無いでしょう。」
木を背にして座り込み、いつの間にやらM1ガーランドを背負っている雪女が軽く息を整えながら言った。しかし先程のような冷酷な様子ではない。
「雪女…ちょっと聞きたい事があるんだが…。」
同じく座り込み、息を整えながら与野が言った。いつまでも気おされてはいられない。
「なんでしょう?」
「伏せてろと言ったはずだ。何故来たんだ?」
雪女が困り顔になった。
「窮地を救うのは当然です…駄目でしたか?」
「助けて貰った事には勿論感謝する。だが君自身の命が危うくなるかもしれなかったんだぞ。」
真剣に話す与野。しかし雪女は一層困惑の表情を強くした。
「私は正彰様に命を救われ、正彰様に全てを捧げると覚悟を決めました。それ故に助けに入ったのです。命など惜しくありません。」
「本気で言ってるのか?」
「当たり前です。」
キッパリと断言する雪女を前に、与野は深い溜息を吐いた。
「…そうか。じゃあもう1つ質問だ。」
「どうぞ。」
「どうして君は拳銃の扱い方を知っていたんだ?」
与野の鋭い目線が、ピクリと眉を動かした彼女に向けられた。
「安全装置も掛かっていたはずだ。それを迷いも無く解除し、なおかつ反動を抑え込んで3連射した。どう見ても何も知らない素人の動きでは無かったぞ。」
矢継ぎ早に指摘された雪女に、僅かに狼狽の色が浮かぶ。
「それは…。」
僅かな沈黙の後、彼女は再び口を開いた。
「…以前、兵隊さんに教えて貰ったんです。」
「米軍の武器だぞ。」
「拾った物だと言ってました。」
必死に主張する雪女だが、なおも与野の疑念は晴れない。
「…本当か?」
「ほ、本当です!知っていれば身を守れるだろうからと…!」
目線がぶつかり合い、互いにずらそうとしない。数秒の、しかし雪女にとっては長い長い沈黙。そして、与野が諦めたように溜息をついた。
「…分かった、信じよう。」
「ありがとうございます。」
「何にせよ、助けてもらったのは事実だしな。」
与野はそう言うと気持ちを切り替え、状況を確認した。まず武器である。雪女の背にある小銃を指さした。
「小銃、ありがとな。」
「いえ、無いと困るでしょうから。」
彼女から小銃を受け取り、遊底を開いた。中に装弾子は入っておらず、ただただ黒い底が見えるばかりだ。
「まずいな…弾が無いぞ。」
小銃とて、弾が無ければ木の棒と大して変わりない。しかしその問題は雪女の機転によって解決されていた。
「実はですねぇ、えっと…。」
左右両方のポケットを漁る雪女。取り出したのは装弾子が6個にM1911拳銃、そしてその弾倉3個だった。更にズボンに挟んでいた銃剣を取り出す。
「…これだけですけど、逃げる前に手早く拾い集めておきました。」
与野が目を丸くした。
「マジかよ…よくそこまで考えが及んだな…。重くなかったか?」
「必死になってるうちに頭が冴えたみたいで。重くはないですよ。正彰様の為ですから。」
そう言って得意気な表情を浮かべる雪女の頭を、思いっ切り撫で回す。
「よくやった!本当に助かったぞ!」
「えへへ…。」
彼女はにぱーっと笑みを浮かべた。年相応の可愛い笑顔。それを見る限り、助けに入った時に見せた冷酷な瞳など想像もつかなかった。
銃剣と装弾子を受け取って、それぞれ銃剣帯と弾入れに仕舞う。続けて拳銃を受け取ろうとして、やめた。
「拳銃は雪女が持っていてくれ。」
「いいのですか?」
「ああ。君が扱えるなら助かる。」
「分かりました。では、これは私が。」
雪女は拳銃と弾倉をポケットに戻した。
2人は携帯食糧で空腹を満たすと昼まで休憩する事にして、その場で眠りこけた。本来はどちらかが見張りとして起きておくべきだったが、疲れ切った2人には無理な相談であった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
教わったら銃まで扱えるとかぅゎょぅι゛ょっょぃ。そんな奴居るわけないだろ!ってツッコミは許して許して…。しかし幼さ故の残酷さとかグッと来る…来ない?
御意見御感想、お待ちしております。