病みてし止まん   作:mofu mikuro

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4. 雪女の過去

目を開けると、白い天井が視界に飛び込んできた。寝かされているらしい。

 

「あれ…?」

 

出雲は小さく呟き、まだ意識がぼんやりとする中で首をもたげた。

 

「いつっ!」

 

腹に痛みが走った。見れば包帯が巻かれている。諦めて首を戻し、寝たまま辺りを見回した。左右は布が張られ、背後は壁に阻まれて何も見えないが、唯一前方だけは遮る物が無い。仕方無く痛みを堪えながら何とか半身を起き上がらせた。

 

「病院…だよな?」

 

前には通路を挟んで1つ寝台があり、そこにも誰かが寝かされていた。点滴の袋が下げられているのも見える。

ここはどこなのだろうかと考えたその時、足音が近付いて来た。通路を誰かが歩いて来たのだ。思わず身構える。そして姿を現したのは軍服に帽子を被り、青い目をした男。紛れもなく米兵であった。

 

「ひっ!」

 

小さく悲鳴を上げてしまった。米兵が立ち止まり、出雲を見る。

 

「あっ、ちょっ、降参降参!」

 

彼があたふたと両手を上げると、米兵は少し笑って口を開いた。

 

「意識が戻りましたね。良かった。」

 

流暢な日本語。まさか日本語で話し掛けられるとは微塵も思っていなかった出雲は硬直した。

 

「へ?」

 

「飛行場近くで撃たれて倒れていたんですよ。」

 

「飛行場…。」

 

目覚める前の最後の記憶を必死に手繰り寄せる。

 

「…あぁそうだ。俺は撃たれて…与野の奴、俺を見捨てやがったんだ…!」

 

思い出した途端、とてつもない苛立ちが胸に去来した。後送ぐらいはすると言っていた癖に、実際には倒れていた自分に気付いておきながら結局逃げて行った与野が許せない。

 

「ここは?」

 

ぶっきらぼうに出雲が訊いた。

 

「ピチュ飛行場内の病院です。あなたは捕虜としてここに運ばれてきましたんですよ。」

 

米兵は答えると一度言葉を切り、片手に持っていた書類にペンで何かサラサラと書くと再び言った。

 

「私は捕虜尋問官のサム、少尉です。あなたは?」

 

「俺は出雲義輝。階級は中尉。」

 

「衛生兵ですか?」

 

「何故知ってる?」

 

「救急鞄を持っていたので。」

 

ふと、サムの書類に書き込む手が止まった。

 

「先程、誰かに見捨てられたと言いました?」

 

「ああ、同僚にね。俺が怪我した時は後送してくれと言ったのに、いざそうなったら俺に気付いておきながら逃げやがったんだ。野郎、今度あったらブン殴ってやる。」

 

「ふむ、なるほど…。」

 

憤慨する出雲をよそにサムが何度か小さく頷く。

 

「で、その人はまだ逃げてどこかに潜伏している?」

 

「だろうな。」

 

サムが書類をパタンと閉じ、出雲へ目を向けた。

「では、その人を捕まえるために、我々に協力してくれませんか?」

 

出雲は暫し逡巡した。敵に手を貸すのは容認し難い。しかし立場云々以前に、1人の人間として与野を許せなかった。

 

「…いいだろう。」

 

渋々、腹の底から絞り出すような声で認めた。

 

「本当ですか?」

 

「ああ。」

 

「それが誰にも話せないような、辛くて息苦しいものであったとしても…ですか?」

 

ニヤリと笑うサム。しかしその目は真剣そのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

昼過ぎ。与野はザーザーという音と水を掛けられる感覚で目を覚ました。熱帯特有の滝の如く降りしきるスコールが激しく体を打ち据えているのだ。全身が寒く、特に足が冷たい。むくりと半身を起こし、足を見た。

 

「そりゃ冷たい訳だ…。」

 

足元は見事なまでの水溜りとなっており、両足の足首辺りまでをそこに沈めていた。雪女は木の下でまだ眠っている。たかが木の葉とは言えど重なればスコールは幾分遮られるため、彼女は少し湿る程度にしか濡れていない。近付いてみると、くぅくぅと小さな寝息を立てている事に気付いた。よく眠っているが、そろそろ起きてもらわなければならない。

 

「おい、雪女。起きてくれ。」

 

そっと揺すってみると、彼女は薄目を開けた。

 

「…ん?」

 

「お昼ぐらいにはなってるぞ。もう少ししたら移動しよう。」

 

雪女はぼんやりと頷き、辺りを見回した。

 

「うわ…物凄い雨ですね…。こんなの始めてです。」

 

「始めて?」

 

思わず与野は聞き返した。彼は春島に居た時から何度もスコールは経験している。雪女もごく最近南方地域に来た訳で無ければ経験している筈だ。

 

「…そういえば、君がどこ出身なのか聞いていなかったな。それに、いつこの島に来たのかも聞いてない。」

 

「あー…そうですねぇ。」

 

雪女が難しい顔をして小さく呟いた。何も悩むような話ではないはずなのだが。

 

「えっと、生まれは満洲の商家です。軍相手に商売をするので、ここに移り住んだんですよ。1年ぐらい前の事です。」

 

「それで、こんなスコールに遭った事は無いのか?」

 

「勿論スコールには何度も遭ってますよ。ただ、ここまで強いのは始めてです。」

 

与野は改めて雨脚を確認した。確かにいつもよりは強めに感じる。

 

「…ふむ、確かに強めだな。」

 

納得して頷き、ついでに訊く。

 

「因みに、俺と会うまではどうしてたんだ?」

 

「元々はドルパに居たんです。あそこに飛行場を作ろうとしてたじゃないですか。それで作業員相手に商売をしてました。」

 

ドルパはモロタイ島南端に近い町で、帝国陸軍はその近くに飛行場を設営しようと試みた事があった。機械化が遅れていたため人海戦術で作業を進めていたのだが、結局放棄されていた。

 

「そこに米軍が攻めて来たんです。空襲に艦砲射撃、果ては地上戦…。家族は皆殺されました。」

 

雪女は俯き、拳をギュッと握った。

 

「1人生き残った私は、退却する兵隊さんたちと一緒に北に逃げました。でも敵に追いつかれて、兵隊さんたちは戦って殺されてしまったんです。」

 

「銃の扱いもその人たちに?」

 

「はい…。その後は御存知の通りです。追い掛け回されて…。」

 

「なるほど…大変だったな。」

 

何と言えば良いか分からず、月並みな労いの言葉を口にした。しかしそれに対する雪女の反応は意外なものだった。

 

「でも、おかげで正彰様に出会えました。これから良い日々を送れれば、私はそれで満足です。」

 

フッと笑う雪女。与野から見れば、その様子は一種の諦めと自嘲のように感じられた。

 

暫く雨が止むのを待ち、2人は移動を始めた。目的地は北に5キロ程度行った小さな集落だ。そこは211連隊が最初に逆上陸を行った場所であり、あわよくば味方と合流しようという算段であった。

しかしそう上手く事は運ばない。スコールでぬかるんだ足場は歩みを遅くするだけでなく、体力も消耗する。更には道中に川が1本流れていた。それ自体は地図で把握していたのだが、問題はスコールのせいで増水し、とても渡れるような状態ではなくなっていたという事だ。

 

「これは困ったな…。」

 

幅が10mはあろうかという轟々と流れる濁流を前に、与野は困り果てた。

 

「待つしかないですかね?」

 

不安気に訊く雪女に、与野は困り顔で頷く。

 

「だな。」

 

しかし待つと言ってもいつまでかかるか分からない。とりあえずマングローブが延々と並ぶ川岸で暫く様子を見る事にした。

目に見えて変化が現れたのは夜になってからだった。凄まじい濁流だった流れは大分落ち着き、勢いこそ強いものの渡ろうと思えば渡れる程度に水位は下がった。

 

「もう少しすれば楽に渡れるようになるかな。」

 

安堵した声で言う与野。しかし雪女は険しい顔をして、川とは反対側を向いていた。

 

「どうした?」

 

「何か聞こえた気がしまして。」

 

小声で彼女が答えた。与野は耳を澄ませてみたが、川の音に邪魔されて特異な音は分からない。

 

「どんな音だった?」

 

「なんというか、クチャクチャみたいな感じのです。」

 

改めて耳を澄ませてみると、確かにそんな音が度々聞こえてきた。泥濘を踏む足音のようなそれは、様子を見ている内に少しづつ大きくなり、数も多くなっていった。

 

「敵、か?」

 

最悪の事態が頭を過ぎる。チライで1戦交えた以上、掃討隊が派遣されていても不思議ではない。そうであるならば、一刻も早く逃げる必要があった。

 

「敵かも知れん。雪女、先に川を渡れ。」

 

「でもっ…!」

 

「いいから早く!俺もすぐに行くから!」

 

小声で、しかし強く言う。それでも雪女は動かない。

 

「しかし正彰様の身が…。」

 

「指示は聞く約束だったな?」

 

「うぅ…。」

 

約束を思い出した雪女は口を噤んだ。

 

「渡ったら、言ってた目的地の町に行け。道に迷ったら海沿いを北に行くんだ。分かったな?」

 

「…はい。」

 

「よし行け!」

 

与野は雪女の肩を叩き、川へと向かわせた。

 

「よいしょ…っと。」

 

送りだされた雪女は恐る恐る川へと足を踏み入れた。まだ流れは早く、気を抜くと流されてしまいそうになる。ゆっくりと進んで行く内に、水位は彼女の腰辺りにまで来た。川底が意外に深かったのだ。当然かかる水圧は高まり、彼女は耐えかねて思わずよろけた。こうなるともう何もできない。一気に体が押され、水流に攫われた。必死にもがくが、何度も浮き沈みを繰り返すばかり。水を飲み、むせ返り、また水を飲む。自然による水責めが無限に続くうち、いつの間にか彼女は気を失った。

 

与野は息を潜めて地面に這いつくばっていた。闇の中で四方八方から泥濘を踏む音が聞こえ、度々異国の言語が飛ぶ。間違いなく敵の掃討隊だった。

 

(雪女を逃がして正解だったな。)

 

そんな事を思いながら、ひたすらに敵が引き揚げるのを待つ。ただでさえ視界の悪い密林。それが夜ともなれば、隠れている与野を容易に見つける事はできない。何度かすぐ横まで足音が迫ったが、彼は泥と一体化して気配を消し続けた。

 

案の定、敵は与野に気付く事無く引き揚げていった。しめしめと笑う与野だったが、喜ぶにはまだ早い。川を渡らねばならないからだ。

 

「まだ流れが速いか…。」

 

ゆっくりと川に足を踏み入れ、しっかりと川底を踏み締める。そして1歩、また1歩と進んで行き、なんとか渡りきった。

 

「雪女、いるか?」

 

声を掛けながら辺りを見回す。しかし誰も見当たらない。

 

「まさか…。」

 

川を振り返った。最悪の事態が頭をよぎる。だが今更追いかけたところで、助け出すのは困難だ。

 

「冗談だろ…?」

 

思わず呟き、更に歩き回って雪女を探す。しかし、やはり彼女の姿は無い。

 

「いやきっと先に行っただけだ。それに迷ったら海沿いに行けと教えたからな…とりあえずは集落に向かうか。」

 

根拠は無かったが、雪女はきっと大丈夫な気がした。或いは彼の願望がそう思わせたのかも知れない。

与野は拭い切れない不安を押し殺すと、集落へと歩み出した。




最後までお読みいただきありがとうございました。

文の間に空白行を入れた方が良いという御意見を元に、他所様を参考としながらしこたま空けてみました。如何でしょうか?
更に一話当たりの量を減らしてみました。あんまり一気に出してしまうと、たちまちストックが枯渇してしまいますからね。しかし4000字程度が標準なんですかね…?

さて出雲が寝返りましたが、米軍には何やら裏がありそうですね…。
雪女も流されてどうなることやら…。

どんな評価や批判でも構いません。御意見御感想、お待ちしております。
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