病みてし止まん   作:mofu mikuro

7 / 19
7. 暗雲

雪女は集落を見渡せる小高い丘に陣取り、そこから様子を窺っていた。快晴の下で白く輝く浜辺には3隻のLCVPが歩板を倒しており、既に大勢の歩兵が集落へと入っている。見たところ重火器や機甲戦力の姿は無いが、迫撃砲程度はあるだろう。しかし後から追加で揚陸するという可能性もあり、行動を起こすなら急ぐ必要があった。

 

「正章様はまだ着いていないのか、それともあの何処かで助けを待っているのか…。」

 

雪女の心は揺れた。前者であればまだ良いが、後者の場合は一刻も早く助けに行く必要がある。たった1人で突っ込むのは無謀と言わざるを得ないものの、だからと言ってもたもたしている訳にもいかない。

 

「…行かなきゃ。」

 

彼女は決意を固め、先程鹵獲した九九式小銃を手に丘をそろそろと降り始めた。

 

 

雪女は集落の外縁部へ近付くと、深い茂みにしゃがんで様子を窺った。前には橋が架けられた川がある。雨の影響が未だに尾を引いているのか流れはやや速く、その先に粗末な木造住宅が点在する集落が広がっている。戦闘音などは全くしない。どうやら日本軍部隊は既に移動していたようだ。

 

「正章様の期待は空振りね…。」

 

ちらほら見える人影は皆頭に鉄帽を被っており、現地人、民間人らしき姿は無い。どこかへ逃げたのか、屋内に閉じこもっているのか…。

 

「ともあれ、捕虜が置かれていそうな場所を探さなきゃ。」

 

相手が日本人であれば捕らえて訊問できるが、生憎と言葉が通じない。となれば夜を待って一人で居る歩哨か何かを討ち、所持品から情報を得るのが上策か。しかし必ずしも地図などといった言語が通じずとも理解できる物を持っているとは限らない。収穫が無ければ無意味に警戒態勢を引き起こすだけに終わってしまう。捕虜の位置も分からずに警戒されては、いよいよ捜索は不可能だ。

 

「警戒態勢…それだ!」

 

雪女は閃いた。わざと騒ぎを起こして緊急の警戒態勢を敷かせるのである。急ぎ重点的に防護されるのは司令部などの指揮系統中枢、そして奪還目的を考慮して捕虜の周辺となる筈だ。位置が分かればとりあえず計画を練れる。

 

「あとはどんな騒ぎを起こすか…。」

 

騒ぎはこちらの位置が露呈せず、かつ派手な程良い。使うなら手榴弾だが、手元には無い。

 

「どの道、夜を待って歩哨を狙うしかないかな。」

 

雪女がぼんやりと考えたその時だった。集落から人が走って来る。頭には鉄帽。間違いなく米兵だ。

 

「嘘、バレた!?」

 

腰を浮かせかけた雪女だったが、どうにも米兵の様子がおかしい。小銃は肩に掛けたまま、手はズボンのチャックを下ろそうとしている。用を足しに来たのだ。

 

「何でここなのよ…。」

 

雪女がげんなりと呟く間にも米兵は橋を渡って駆け寄ってくる。今更逃げても間違いなく見つかるだろう。彼女は意を決し、ゆっくりとその場に伏せた。

いよいよ米兵が間近にやって来た。すぐ横の雪女には全く気付かず、茂みに入って小用を足す。そして足し終わってズボンのチャックを上げる音がした瞬間、雪女は銃剣を手に無言で飛び掛った。

 

「ぐっ!」

 

押し倒された米兵が短く声を上げ、助けを呼ぼうと息を吸う。しかしそれが再び声帯を揺らす前に、彼の意識は永久に閉ざされた。

米兵の絶命を感じ取ると、雪女は腕の力を抜いた。後頭部の下、盆の窪には銃剣が深々と突き刺さっている。偶然にも俯せになったので急ぎ刃を振り下ろしたところ、見事に当たったのであった。

 

「あー…ヒヤヒヤしたぁ…。」

 

深い安堵の溜息をつき、銃剣を引き抜いて所持品を漁る。とは言え腰にポーチがある程度。大した収穫は望めそうに無い。

 

「何かないかな…。」

 

半ば諦めながらポーチを開くと、縦横に溝が入れられた楕円形の金属球が目に入った。

 

「あっ、手榴弾!」

 

思わぬ収穫に小さくガッツポーズ。これですぐにでも騒ぎを起こせる。問題はいつやるかだ。敵を1人消してしまった以上、遅かれ早かれ異常に気付かれる。昼間は見つかる危険性が高いものの、それは相手も同じ。特に敵の配置を探るという目的から見れば、明るい方が良い。雪女は決断した。

 

「投げたらさっさと逃げちゃおう。それで大丈夫なはず。」

 

手榴弾を手に木造民家の陰へ進むと聞き耳を立てて辺りを警戒し、逃げ道を確認した。近辺に敵はいなさそうだ。そして彼女は大きく頷くと、手榴弾の安全ピンを引き抜いて投げ上げた…がしかしツルリと手を滑らせてしまった。間近で安全レバーが弾け飛び、本体がカランと足元に落ちる。

 

「ひっ…!」

 

情けない悲鳴が思わず漏れた。こうなると本気で退避しなければ破片でズタズタにされてしまう。野球の走者が塁を目指すように手榴弾に背を向けて駆け出し、地面に飛び伏せる。刹那、爆発音がして無数の破片が民家の木材を紙のように貫いた。幸いにも雪女は無傷だ。しかしほっとするのも束の間、騒々しい足音が迫って来た。運の悪いことに、敵は割と近くに居たらしい。

 

「うわ、そんなぁ!」

 

雪女は飛び起きて駆け出した。橋に向かって一目散だ。しかし敵は待ってはくれない。橋に着く直前には数人が雪女を狙える位置に来ていた。橋の先まで逃げ場など無い。もう川に飛び込むしかないと思ったその時、上流から声がした。

 

「橋があるぞ!」

 

雪女はその声にハッとした。忘れもしない、大切な人の声。彼女は自らの置かれた状況をも忘れ、思わず声の主に向かって叫んだ。

 

「正章様!」

 

速い流れに乗って橋へと突っ込んでくる流木。そこに斜めに小銃を掛けた与野の姿があった。美代も必死にしがみついている。

 

「うわうわ!ぶつかるよ!」

 

「んなこたぁ言われなくても分かるから!」

 

「どうするの!?」

 

「引っ掛かって止まろう!」

 

2人の乗った流木がどんどん橋に近付く。雪女を追って出て来た米兵も、その奇怪な光景に釘付けになっている。

あっという間にガツンと流木が橋桁にぶつかり、動きが止まった。

 

「おぉ…助かったぁ…。」

 

ホッとして呟く与野。しかし辺りを見回して米兵の姿を見つけるや否や、その表情は引き攣った。

 

「いや助かってねぇ!」

 

真上から雪女が声を掛ける。

 

「正章様!」

 

「え?雪女?」

 

「良かった、御無事だったのですね!」

 

「いやどう見ても不味いだろ。」

 

与野の言葉で雪女は現実に返り、米兵の方を見た。彼らも気を取り直し、銃を構えようとしている。今からではどう足掻いても逃げられない。万事休す。

…とは雪女は思わなかった。いつか見た冷酷な瞳をギラつかせた彼女は、与野に言った。

 

「正章様、私がひと暴れする間にお逃げください。」

 

「よせ!死ぬぞ!降参して生き長らえろ!」

 

与野の言葉に、彼女はゆっくりと首を振った。

 

「きっと御無事で。」

 

彼女が決意を固めてポケットの拳銃へ手を伸ばしかけたその時、突然何かの飛翔音がした。ヒュルヒュルという音が間近に迫ったと思うと爆発が起き、米兵たちが吹き飛んだ。生き残りがわらわらと逃げ出す。

 

「突撃に、前へーっ!」

 

「突撃ー!」

 

背後の茂みから声が上がり、日本兵たちが次々に飛び出して来た。続々と橋を渡って集落に突っ込んで行く。

 

「正章様、今のうちに!」

 

雪女が岸から手を伸ばして与野を引っ張る。そして何とか上がれた与野が美代を引き上げた。

 

「ありがとう、お兄ちゃん!」

 

にぱーっと笑う美代。そんな彼女を雪女が指さした。

 

「何ですかコレ。」

 

「話は後だ!今は逃げよう!」

 

茂みの中から日本兵が手招いている。与野は美代の手を引いてそちらへと駆け出した。

 

「正章様…?」

 

雪女が固く拳を握る。知らぬ間に増えた人間が馴れ馴れしく与野に接し、彼もまたそうしている。予想だにしなかった光景に、彼女の心には何とも言い難い暗雲が立ち込めていた。




最後までお読みくださり、ありがとうございました。
拙いながら汚絵描きに全力を注いでおりました故、暫くぶりになってしまいました。成果はPixivに投げておきまし…え?そんなの聞いてないって?

さて無事に与野と再会した雪女ですが、知らない人が増えていて困惑の様子。これから彼女は何を思い、どう行動するのか…。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。