豊崎に続いて施設内部へと進んだ出雲は、都会に上がりたての田舎者の如く忙しく首を巡らしていた。あちこちに伸びる通路の先々に部屋があり、何に使うのかも判然としない怪しげな薬品が棚に並べられている。部屋によっては棚の代わりに拘束台のような物や、これまた怪しげな機械が置かれており、この手の部屋には「実験室」という札が掛けられていた。
「驚いたかね?」
得意気に言う豊崎に、出雲は素直に感想を口にした。
「はい。内地でもここまで充実した施設は少ないと思います。」
「そうだろうそうだろう。」
満足そうに豊崎が頷く。しかし出雲はどこか腑に落ちなかった。まだ肝心な部分、研究内容を聞かされていなかったからだ。
「あの…。」
思わず問いかけて、口を噤んだ。こちらから聞いてよかったのか疑問に思った。
「何だね?」
「い、いえ…。」
煮え切らない態度を前に、豊崎は僅かに苛立った。
「率直に言えと言っただろう。」
「では。研究内容を…。」
彼が言いかけたその時、白衣を纏った大尉が走って来た。
「大佐殿、例のマルタの件で…。」
豊崎がサッと手で制す。
「後で聞く。」
「はっ!」
大尉が元来た通路を駆けて行く。出雲は耳にしたばかりの単語をぼんやりと呟いた。
「まるた…?」
彼の脳内を様々な憶測が駆け巡る。建設資材の話なのか植物関連の研究をしているのか…。
「研究内容は熱帯に於ける疫病の予防と治療、それから有用な動植物の発見だ。」
豊崎の言葉で思考が遮られた。
「この地にはまだまだ未知の動植物、そしてそれ以上に多くの微生物が潜んでいる。それらの何が危険で何が有用か、どう利用できるかを調べるのだ。」
説明を聞いて頷く出雲だったが、やはり先程の言葉が気になる。
「ではマルタというのは?」
「文字通りだ。新しい実験室で菌類を培養すべくこのあいだ仕入れたんだが、上手く育たないのだよ。」
納得すると同時に、一体どんな設備があるのだろうと出雲は好奇心をくすぐられた。
「その部屋を見学してみたいのですが、どこにあるのですか?」
豊崎が少々困り顔になり、躊躇いがちに指さした。
「そこの突き当たりに立ち入り禁止と書かれた扉があるだろう。それだ。…だが勝手に入らないでくれ。精密機器を壊されては堪らんし、何より出入りだけでも室温や湿度の調整をしなくてはならなくなる。出入りは専門の者だけだ。」
「そうですか…残念です。」
出雲は素直に引き下がった。
「では兵員室に案内しよう。君の部屋もそこだ。」
再び歩み出した豊崎の後を、出雲は黙って追った。
日が沈んで空に星が瞬き始めた頃、与野は集落の大きめの建物に全員を集め、今後について話し合った。様々な意見が出されたが、最終的には負傷者も引き連れて北にある村、ワジャブラへと向かう事になった。その会合の最後に、与野は誰も考えていなかった事を口にした。
「味方だけでなく、米軍遺棄死体も埋葬してから行こう。」
集落内から浜辺にかけて米兵の死体が点々と散らばっていた。敵とは言えど同じ人間、人として為すべき事と思ったからだ。当然、反対意見は根強く出た。
「仲間を殺した連中を丁寧に扱えと申されるのですか?」
「本当なら死体もバラバラに引き裂いてやりたいくらいなんですよ。」
しかし彼は譲らなかった。
「立場、国籍に関わらず、死者に対しては敬意を持って丁重に接するべきだ。荒らすのは獣にだってできる。栄えある皇軍の名を獣と同等に落としてはならん。それに彼らにも親が、家族がいる。子や兄弟の遺体がぞんざいに扱われたなんて、自分だったら聞きたくないだろう。」
この発言に、反対する者も言葉を詰まらせた。
夜の集落に土を掘る音が響く。雪女も他の者と同じように円匙を振るい、地面に穴を掘っていた。
「正章様はお優しいのですね。」
不意に彼女は横で穴を掘る与野に声を掛けた。与野の手が止まる。
「そうか?」
「はい。こうやって敵を丁重に扱うのですから。」
与野は地に丸匙を突き立て、その上に腕を組んだ。
「お前と初めて会った時、米兵を2人殺した。その片方が母親の写真を持ってたんだ。撃つなとは言わないし言えない。でも平和な時に出会えば友人になれたかもしれないし、だったらせめて死後は同じ人間として接するべきだと思ったんだ。」
「敵でも人間、ですか。」
どこか物憂い気な雰囲気を漂わせて雪女は目を伏せる。それからやや迷うような素振りを見せ、言った。
「…もし人間じゃなかったとしても、優しくしますか?」
不思議な質問に与野は目をパチクリさせる。
「人間じゃないって…例えば?」
「物の怪の類とか、ですかね。」
ふむ、と小さく唸って考える。今まで思いつきすらしなかった場合だけに、非現実的とは言えども真面目に悩む。
ややあって、与野は口を開いた。
「もしそれが敵なら戦わなくちゃならんかもな。だがそうでないなら、共存共栄を望むよ。少なくとも俺は。」
「そうですか。やっぱり、お優しいのですね。」
雪女が微笑んで言った。そう言えば、と彼女は続ける。
「あの美代って娘はどこで拾われたので?」
「あぁ、お前と離れ離れになった後に出会ってな。目の前にフラフラ出てきたと思ったら倒れて、可哀想だったから飯をくれたんだ。そしたら付いて行くと言い出して、見捨てる訳にも行かず…。」
遠くを見つめる与野。雪女はそんな彼を睨んだ。
「正章様、お言葉ですが戦力にならない幼児を連れる程の余裕は私達にありません。」
ややムッとした与野が彼女を咎める。
「君は少々冷酷過ぎやしないか?軍の仕事は土地を、そしてそこに暮らす民を守る事でもある。君を助けた時にも言っただろう。」
そこまで反論したところで、彼は雪女がこれまでどうしていたか聞いていなかった事を思い出した。
「そう言えば君はあの時先に川を渡って、これまでどうしていたんだ?」
一瞬、雪女の手が止まる。しかしすぐに再開しつつ、彼女は言った。
「川に流されたんです。気を失って、気付いたら河口付近に居ました。そこから教えられた通り、海沿いを歩いて来ました。」
「小銃はどこで?」
「…途中にあった遺体から拝借しました。」
そうか、と与野が応じる。その時、何かを引き摺る音が近付いてきた。見れば美代が木の板を2枚持って来ていた。与野が頼んでいたのだ。
「お兄ちゃん、持って来たよ。」
息を切らせながら彼女は笑った。たかが木板とは言えど、美代からすれば十分に重労働だ。
「ありがとう。ご苦労さま。」
与野が木板を1枚受け取って、彼女の頭を軽く撫でて労をねぎらう。
「ほら、雪女にも渡してあげて。」
彼が言うと美代は戸惑った様子を見せたが、やがてそっと木板を差し出した。
「えっと…おねぇ、ちゃん?…はい。」
雪女は彼女をじっと見た。自らに課せられた使命を全うする姿は、大人と比べても遜色無い。少なからず仕事が出来る人だったという安心感と、しかしそれは困るという奇妙な懸念が胸中で入り混じる。
「…ありがとう。」
「どういたしまして!」
雪女が板を受け取ると、美代はぺこりと可愛らしくお辞儀した。
「全くの足手纏いじゃないだろ。」
そう言って笑う与野を振り向き、雪女は複雑な気持ちを胸に抱えたまま頷いた。
遺体から認識票を外して簡素な木の墓標に掛け、遺体を埋める。作業開始時には歯を食いしばる者も居たが、その表情は次第に穏やかになっていった。
小休止を挟んで、日が昇る前に北への移動を始めた。負傷者のうち担架に載せられている重傷者が3名、重傷だが担架が足りずに背負われている者が2名、自力で歩ける者が5名。重傷者は見捨てる方が合理的判断だったのだろうが、ワジャブラに味方が居てくれれば何とかなる。せめてそこまでは連れて行ってやりたかった。
最後までお読み頂きありがとうございます。
最近また忙しくなってきまして、精神がシュレッダーにかけられた気分です。
しかし地下施設なんて作るのは容易じゃないでしょうし大規模となれば尚更なのでしょうが、そこら辺はそっとしといて欲しいです(遠い目)
御意見御感想、お待ちしております。