俺の青春ラブコメは間違っていた(過去形) 作:零崎と呼ばれる戯れ言使い
人は過去を必ずしも悔やみ、あの時に何故この判断を出来なかったのかと、前置きを見ずに結果論を見てやはり嘆く。
今、この一瞬を帳消しにしてまでも欲しかった結果や取り返しのつかない後悔も、誰だってあるもんだ。ただ、やり直しが利かないのが人生で、イヌえもんでも呼んでタイムマシーンでもだしてもらわないと無理難題なのが現実。
ほんの0.なんコマの世界でもれっきとした過去なんだから、戻れないということは、つまり、生物は時間には抗えないということだ。まぁ、落としそうになったコップを反射神経を使ってとっさに取る、これもとり方次第では落ちていたコップをすんでのところで落とさなかった。という、落として割れる未来が変わったっていう見方も出来なくはない。
戻れなくたって、結論さえ良ければそれで良いかもしれない。しかし、結論に中々納得できないのが人であって、それはもはや心理学の領域だ。もう少しやっていればこうなっていたかもしれない。俺はこんなんじゃなかった、まだやれるのに。とかな。
俺は嫌いだ、過去に後付けの理論で憶測によって導いた最善策の話を展開する他人も俺も嫌いだ。
最高の結果なんて誰も解らない。太宰治も言っていたように、自分自身で決めた結果に基づく行動で生きていくのが出来るだけ後悔しない生き方なのかもしれない。少なくとも俺は今俺はそうしている。俺の自己満足かもしれないが、結果論だけ追って生きていくよりは生きやすくて楽だ。
俺はただ楽に生きていきたい、仕事なんてやりたくないし、人の顔を伺って生きるのだって、誰かの過去を背負ったまま生きてくのなんて正直面倒な話だ。
俺は少しばかり冷える秋空の下、川崎の定位置(今は知らん)の実質、校舎で一番高い天井で仰向けに転がっていた。
すでに冷えたMAXコーヒーをすすり、朱く焼けた空を見つめる。この高さは、トンボすら飛ばない最高のロケーションで、聴こえるかはずの部活動の喧騒も夏より増した冷たい風に流される。唯一聴こえるのは校舎にいる生徒を下校させるためのチャイムだけ。
俺は空の下で黄昏れていた。だから、いつもならさっさと帰って暇に身を投じる俺も、こうして学校のチャイムにも逆らう。
こんなことをしても意味がないと知っている。それでも、この喪失感かなんというか、良く解らないこの気持ちが風に流れてしまえば儲けもんだと、そのくらいに感じていた。
時間は過ぎ、またチャイムが鳴った。急かされたって俺はまだ動かなかった。