【完結】偽悪皇帝アルヴィクトラ・ヴェーネ   作:月島しいる

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10話

 どれほどの間、暗い森の中を歩き回っただろうか。

 熱でぼんやりとする頭。

 徐々に鉛のように重くなっていく四肢。

 あらゆる身体機能が低下していくのが分かったが、不思議と危機感を覚えることはなかった。

 どこか冷静に限界を感じる自分がいて、それでもそれを問題としない自分が同居していた。

 アルヴィクトラはリヴェラと寄り添うように、ぬかるんだ森の中を黙々と進んでいく。

「アル様」

 不意にリヴェラが立ち止まった。

「リヴェラ?」

 振り返って、彼女の名前を呼ぶ。

 乾いた喉に痛みが走った。

「水の香りがします」

 彼女の言葉に、アルヴィクトラは目を見開いた。

 濁っていた思考が一瞬だけクリアになり、五感が研ぎ澄まされる。

「こちらです」

 リヴェラがふらふらと方向を変える。アルヴィクトラは無言でそれに続いた。

 鬱蒼と茂る木々の間を抜けていくと、森の香りに混じって別の香りがした。自然と歩く速度が上がる。

 冷たい風が吹く。

 木々の向こうに煌きが見えた。

「泉です」

 リヴェラの声とともに、アルヴィクトラは足を止めた。

 温かな陽光が落ち、泉の水面が輝いていた。

 これまで続いていた陰鬱な森の景色が終わり、前方には幻想的な風景が広がっている。

 アルヴィクトラはリヴェラと視線を合わせると、ゆっくりと泉に近づいた。澄んだ水がきらきらと輝きを放つ。

 しゃがみこみ、両手で水を掬って口に運ぶ。冷たい水が喉を通り、身体の中から疲労が癒えていく。

 隣を見ると、リヴェラが同様に水を飲んでいた。熱のせいで頬が赤い。

 アルヴィクトラは破れた服の裾を千切り、それを泉に浸してよく絞ると、リヴェラの額にそっとつけた。瞬く間に布切れがリヴェラの熱を吸って熱くなる。

「すごい熱です。リヴェラ、ここで少し休みましょう。今は追跡を振り切る事よりも体調を整えることを優先するべきです」

 アルヴィクトラの言葉に、リヴェラは無言で倒れるように草の上に横になった。反論する気力もないようだった。

 何度か布切れを水に浸してリヴェラの額にのせるが、すぐに熱を持ってしまう。アルヴィクトラは少し考えこんだ後、魔力を用いていくつかの氷を作り出し、それを布で包んでリヴェラの額にのせた。更にボロボロになった服の裾を切って同様に氷を包み込み、リヴェラの両腋に挟み込む。

 作業を終えると、アルヴィクトラは彼女の横に倒れこんだ。自身の熱の対処もしなければならなかったが、それさえも面倒に感じた。

 ただ、休息が欲しかった。

 アルヴィクトラは燃えるような自身の額にそっと触れた後、そのまま気絶するように眠り込んだ。

 

◇◆◇

 

 死霊と契約した者は、一人ではなかった。

 抵抗勢力の中に少なくとも六人の契約者が確認され、そのうちの二人はリヴェラとディゴリーによって討たれたが、残りの四人の存在が厄介だった。

「よくない兆候です」

 アルヴィクトラの前に舞い戻ったディゴリー・ベイルは、地図を広げて帝国の辺境を指差す。

「王国の諜報員が辺境で何やら嗅ぎまわっているようです。帝国内の動乱について探りを入れてきたのでしょう」

「貴族連合と王国が繋がる可能性があると?」

「はい。あるいは、既に繋がっているのかもしれません。死霊との契約を行うには高位の魔術師の協力が必要不可欠ですが、帝国内の魔術師の多くは騎傑団に身を置いています。何らかの形で王国が関与していると考えるべきです。このまま抵抗が長引けば、王国軍が大きく動くことも考えられます。早期解決が必要です」

 アルヴィクトラは大きくを息を吐くと、ディゴリーを静かに見つめた。

「帝国騎傑団を総動員します。全てを攻勢に回し、可及的速やかに貴族連合を潰してください」

 アルヴィクトラの言葉に、それまで彼の後ろで事態を見守っていたリヴェラが口を開いた。

「騎傑団の全てをですか?」

「そう、リヴェラもです。そして、私自身も」

 アルヴィクトラの宣言に、ディゴリーとリヴェラが目を見開く。

 アルヴィクトラは微笑んで、胸に手を当てた。

「この身に流れる支配者の血は、初代皇帝から受け継いだもの。魔術師としては未熟ですが、騎傑団員に遅れをとるつもりはありません」

 それに、とアルヴィクトラ言葉を続けた。

「私の魔力特性は死霊の契約者と相性が良い。来るべき王国との決戦に備えて騎傑団の損耗を抑える必要があります。ならば、全ての戦力を動かすべきです。私たちの目指すべき所は、抵抗勢力の排除ではない。そのずっと先にあります。こんなところで立ち往生している暇はありません」

 アルヴィクトラの力強い言葉に、ディゴリーとリヴェラが頭を深く垂れる。そして、アルヴィクトラは立ち上がった。

 

 

 

 帝国騎傑団は元来、帝国軍における武芸者を集めたものだった。

 騎傑団への入団が認められれば皇帝から馬が与えられ、序列によって名誉と役職が与えられる。これにより、帝国軍全体の個人技量の発達を狙ったのがそもそもの始まりだった。

 それがいつしか皇帝直属の遊撃部隊としての役割が強くなり、その存在は皇帝と近しいものとなった。

 アルヴィクトラ・ヴェーネは帝国騎傑団の上位団員はもちろん、下位の団員の顔を覚えていた。同様に、帝国騎傑団の団員たちはアルヴィクトラのことを幼少期から知っている者も多く、虐殺幼帝と呼ばれるようになったアルヴィクトラに対して必要以上に恐れを抱く者は少なかった。

 アルヴィクトラを中心に平原に展開する帝国騎傑団、総勢一〇〇名はアルヴィクトラと肩を並べて五〇〇〇の兵を展開する貴族・商人連合へ向かって各々の武器を掲げる。

「帝国騎傑団、序列零位。そして唯一皇帝であるこのアルヴィクトラ・ヴェーネの魔力特性は"氷の統率"。全ての民を従え、勝利へ導く特性。我が剣、我が手足となり、賊軍に死を与えよ」

 アルヴィクトラの宣言に続いて、騎傑団の全員が一斉に名乗り上げ、一つの歌のように平原に響き渡る。

「進め。進め。立ち止まることは許さぬ。前進せよ!」

 宣言とともにアルヴィクトラは駆け出す。帝国騎傑団も一斉に地を蹴り、それに呼応するように相対する貴族・商人連合からも雄叫びが上がった。

 一〇〇名の帝国騎傑団が五〇〇〇の貴族・商人連合に呑みこまれる様にして、二つの陣営が衝突する。

 アルヴィクトラは氷の剣を構え、最前列の敵に向かって突撃する。貴族・商人連合は槍兵を並べて騎傑団の衝撃を抑え込もうとするが、アルヴィクトラの魔力特性が前列の敵を一瞬にして凍りつかせる。そこにリヴェラの放った熱戦が煌き、戦列に小さく深い穴が空く。その穴が塞がる前にディゴリーが戦斧を大きく振り回して敵戦列に大きく食い込んだ。ディゴリーを支援するように雷光が周囲の槍兵を貫き、指向性を持った高周波が広範囲の敵を襲ってその動きを止める。

「我ら帝国騎傑団を止めるには万の兵が必要と知れ!」

 ディゴリーが叫び、彼の振るう戦斧が周囲の敵兵をまとめて薙ぎ倒す。その後ろから魔剣士バルト・リークが続き、バターを切るように敵兵の身体が寸断されていく。

 帝国騎傑団は足を止めることなく、敵勢の中を突き進んでいく。その勢いを殺そうと帝国騎傑団を包囲するように敵勢が動くが、帝国騎傑団はそれを意に返す様子もなく、アルヴィクトラを中心にただ前進を続けた。

「左翼、死霊の契約者!」

 誰かの叫び声。同時に、帝国騎傑団の統率が僅かに乱れるのがわかった。

 アルヴィクトラは氷剣を手に、大きく跳躍する。帝国騎傑団員の一人が持つ魔力特性・浮遊によってアルヴィクトラの身体が空を舞い、死霊の契約者によって押され始めた左翼へと飛行する。

 眼下にはそれぞれが千の兵に匹敵する帝国騎傑団。そして、それさえも凌駕する死霊の契約者が帝国騎傑団の隊列を荒らしている。アルヴィクトラは死霊の契約者を確認すると、すぐに魔力を解放した。凍結の魔力特性が戦場を駆け抜け、死霊の契約者の動きを止める。そこへ帝国騎傑団員の一人が放った炎の槍が飛来し、死霊の契約者の身体が沈みこむ。

「死霊の契約者も所詮は人の子。帝国騎傑団の前には無力でしかない。進め。殺せ。帝国騎傑団には勝利が約束されている」

 隊列の乱れた帝国騎傑団が、周囲の敵勢に押され始めるのが見えた。信じられないほどの血が大地へ流れ、帝国を赤く染めていく。その頭上に浮遊するアルヴィクトラは更なる血を流すべく、高々と新たな命令を下すのだった。

 

 

 

 決戦の場となった平原。

 そこに打ち捨てられた死体を大粒の雨が打つ。

 アルヴィクトラは雨に濡れながら、大地に流れる血をぼんやりと見つめた。

 結論から言えば、アルヴィクトラ率いる帝国騎傑団は貴族・商人連合を打ち破った。しかし、勝者であるはずのアルヴィクトラの顔には絶望の色が広がっている。この戦いで帝国騎傑団の三割が損耗し、最早その形を成しえなくなっていたからだ。

 ディゴリー・ベイルがアルヴィクトラを雨から守ろうと頭から布をかぶせ、遺体の処理について報告をあげる。しかし、それはアルヴィクトラの耳には届かず、雨音の中に溶けていった。

 これを機に帝国騎傑団は再編を行い、帝国軍の中から新しく選出された者たちが帝国騎傑団への入団を認められる。同時に、貴族・商人連合に続くようにして散発的な反皇帝運動が始まり、アルヴィクトラは更なる戦乱の中に身を投じる事となる。

 どれだけ敵を殺しても、新たな敵が現れる。

 虐殺が、新たな虐殺を生んだ。

 どこにも到達点は存在しなかった。

 アルヴィクトラは本格的な改革を進める為に内政にかかりきりとなり、帝国騎傑団はアルヴィクトラの手足となるべく各地の戦火を駆け抜けた。そして、帝国騎傑団はその度に損耗し、中身は激しく入れ替わっていった。アルヴィクトラが即位した当時の帝国騎傑団は最早どこにも存在せず、幼少期のアルヴィクトラを知る者は徐々に減っていった。アルヴィクトラは虐殺幼帝として支配力を強めるとともに、多くの敵を作り出し、多くの仲間を失って孤独になっていく。

 執務室。

 名前の知らない者ばかりが連なった帝騎傑団員のリストを見つめて呆然とするアルヴィクトラの華奢な身体をリヴェラがそっと抱きしめて呟く。

「アル様。私だけは永久にアル様のお傍におります」

 その十日後、アルヴィクトラは十四歳の誕生日を迎えるとともに帝国騎傑団の一部に内応の兆しが見られることをディゴリーから知らされ、虐殺幼帝として命を差し出すことを決意するのだった。

 そして、リヴェラとの逃亡が始まる。

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