【完結】偽悪皇帝アルヴィクトラ・ヴェーネ   作:月島しいる

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08話

 全てが夢であったならば良かった、とアルヴィクトラは思う。

 しかし、開いた視線の先には変わらない現実が横たわっていた。

 隣で寄り添うように眠るリヴェラの左腕は欠損し、苦しそうに荒い息を吐いている。

 アルヴィクトラはゆっくりと身を起こし、周囲を見渡した。

 既に雨は止み、濁った空から一条の光が差し込んでいた。

「リヴェラ」

 声をかけると、リヴェラはすぐに目を開けた。どこか虚ろな視線がアルヴィクトラへ注がれる。

「雨が止みました。歩けますか?」

 リヴェラは無言で頷くと、よろよろと立ち上がった。雨を吸った黒衣から水が滴る。

 アルヴィクトラは濡れたリヴェラの身体を支えると、ゆっくりと歩き出した。ぬかるんだ地面に足が沈み、靴の中に泥が入り込んでくる。

 まずい、と思った。

 足跡が残れば、帝国騎傑団の追跡を受けやすくなる。しかし、痕跡を消しながら進む余裕もない。ならば、追跡を振り切る速度で進むしかない。

 白い顔をしたリヴェラの様子を窺いながら、限界に近い速度で山の中を進む。

 帝国騎傑団序列八位と十二位のソモン兄妹の相手だけであれだけ手こずったのだ。本格的な騎傑団の追跡組と遭遇すれば今のアルヴィクトラたちに突破する術はない。

 そう考えながら、ふと一つの疑問が湧き起こる。

 ソモン兄妹はリヴェラよりも序列が低いが、連携のよくとれたあの二人をまとめて相手どることは簡単なことではない。片腕を失い、高熱で著しく疲弊している現状なら尚更だ。そんな状況で、リヴェラはソモン兄妹を打ち破っている。戦闘後に意識を失っているとはいえ、目立つ外傷を確認できないことから、恐らくは一方的な戦闘だったのだろう。

 アルヴィクトラはチラリとリヴェラの横顔を見つめながら、大きく地面を抉り取っていた痕跡を思い出した。もしかしたらリヴェラには何か奥の手があるのかもしれない、と一つの可能性に辿り着く。

「ねえ、リヴェラ」

 疑問を問いかけようとしたその時、前方の木々の向こうに何かが見えた。自然と足が止まる。

 何かがいた。

 獣ではない。人でもない。

 しかし、それは確かに木々の向こうに存在した。影のように色のない何かが、木々の向こうからこちらを覗きこんでいる。

 ぞわり、と寒気が走った。

「リヴェラ」

 思わず、リヴェラの袖を引っ張る。

 リヴェラは虚ろな瞳を上げて、疲れたように振り向いた。

「なんですか」

「前に、何かがいます」

 アルヴィクトラは黒い影から視線を外すことなく、影を刺激しないように囁いた。自然と声が上ずり、足が竦む。

 黒い影は木々の向こうで身動き一つせず、じっと覗き込んでくる。目やそれに類するものは確認できなかったが、強い視線を感じた。

 咄嗟に視線を外し、踵を返す。

 あれは見てはならないものだと本能的に理解し、離れようとする。しかし、反転した途端にリヴェラに腕を掴まれて足を止めた。

「アル様」

 酷く抑揚のない声だった。

「何もいません」

 アルヴィクトラが反射的に振り返ると、既に木々の向こうには何も存在しなかった。視線の先には薄暗い森がどこまでも広がっているだけだった。

「何がいたのですか? 大型の獣ですか?」

 リヴェラが荒い息を吐きながら、より正確な情報を求めてくる。アルヴィクトラは僅かに躊躇した後、黒い影です、と答えた。

「向こうに影がいたのです。人ならざるもののように感じました」

 リヴェラはゆっくりと周囲を見つめた後、アルヴィクトラが指差した方向へ歩き始めた。アルヴィクトラは思わずリヴェラの腕を掴み、首を横に振った。

「危険です」

「追手かもしれません。本隊と連絡をとる前に対処する必要があります」

 リヴェラはそう言って、慎重にぬかるんだ地面を進んでいく。アルヴィクトラも一拍置いてそれに続いた。

 落ち葉を踏み度に、さくさくと音が響く。

 アルヴィクトラは顔を強張らせて、右腕をそっと前方に向けた。心臓が大袈裟なほど鼓動を打つ。

 木々を抜けて、黒い影が立っていた場所をゆっくりと見渡す。それらしい影は見えない。チラリと木の上を確認すると、枝の間から淀んだ空が見えた。

「アル様。ここに何かがいた形跡はありません」

 リヴェラがぬかるんだ地面を視線で示して、どこにも足跡が見当たらないことを説明する。

「何かの見間違いだったのではないでしょうか」

 アルヴィクトラはもう一度周囲を見渡してから、そうかもしれません、と小さく呟いたが納得はしなかった。確かに、何かがいた。人ではない何かが。

 死霊。

 ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。

 人里離れた森の奥には、そんな存在がいてもおかしくはない。

 それに、とアルヴィクトラは思った。泥を払う為に大量の血を浴びてきた半生を振り返れば、この身に死霊が惹きつけられるのは当然のことかもしれない。

「行きましょう」

 リヴェラが生気のない顔で言う。

 アルヴィクトラは頷いて、最後に一度だけ後ろを振り返ってから、薄暗い森の中を歩き始めた。

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