ソードアート・オンライン —Raison d’être— 作:天狼レイン
やっと、ここまで来ました。作者である私が考えたSAO二次創作の、大切な話。その最初に当たる部分です。これから先にもいくつかある大切な話が、漸く出せるというのは少々遅いような気もしますが、これからも頑張っていきたいと考えています。
ちなみに評価や感想は気軽にどうぞ。特に悪い点や良い点などを教えてくださると今後に活かせるので助かります。
西暦2024年 5月22日。
《
しかし、一年間も行方を眩ませ続けた彼を、そう簡単に探し出せるはずもなく、捜索は難航したままである。
そんな中、《血盟騎士団》本部宛に長細い荷物が一つ届いた。
———*———*———
「うーん……ボク、何か悪いことでもしたかな……」
「いや、むしろ良いことしかしてないんじゃないか?」
ユウキとキリトは、現在五十五層主街区《グランザム》にある《血盟騎士団》ギルド本部に召集をかけられていた。ユウキは久しぶりの召集だったが、キリトは前回召集をかけられたのが一ヶ月弱前だったことから、頻度が高いなと行きたくないと抵抗する重い足を引き摺りながら向かっている。
とはいえ、今回は特別緊急の召集ではなく、アスナ個人からのメッセージによるものだ。前回のようなものとは違うと考えれば、少しは気が楽になる———訳もなく、アスナ個人だというのなら、是非ともエギルの店とかを合流先にしてほしいと思わざるを得ない。何処と無くヒースクリフが絡んでいるのではないかと考えてしまうキリトの思考も無理もないだろう。
露骨に嫌な顔をしている彼に、ユウキはギルド本部に着いた時に嫌な顔をしないように注意する。
「なあ、ユウキ。アイツは———アーカーの居場所は分かったのか?」
「………ううん、まだ分かんない。最前線から順に探してるけど、全くと言っていいくらい手掛かりがないかな」
「…………そうか」
救出されてからユウキは、二度に渡るソラの失踪の影響で全く攻略に手がつかなくなっていた。加えて、彼が病んでしまったのも自分の責任だと背負い込んでいる。そのため、ヒースクリフは彼女を別働隊である捜索隊に移籍させ、時間の許す限り探すことに尽力させる判断を下した。最初は戦力が落ちるということで反対の判断を下していた者達も、彼女の様子や現在の攻略状況から無理をさせると死者を増やすことになると判断し、現在に至っている。
前回キリトが偶然見つけたように、何処かに隠れている可能性も考慮され、迷宮区以外のダンジョンなどにも足を運んでいるが、出てくるのはオレンジギルドばかり。流れ作業で《牢獄》送りにしながら、探しに探すが、未だに見つかっていない。
眩ませ上手なのは相変わらずなのだろう。今もきっと———
「———ソラは、独りで怯えてる……そんな気がするんだ……」
「…………ユウキ」
最後に見たソラの姿は、鮮明に覚えている。封殺し続けてきた影響で不安定になった感情と、感受性豊かだった彼の理性が、殺した殺人者達の亡霊を強く認識し過ぎている。優しいソラがどうしてそこまでのことをしてしまったのか、それはボクにも分からない。
けれど、あのまま放っておくことなんてできない。ボクのせいで苦しんでるんだ。だから、どうしても助けたい。救いたい。
「ん? ———って大丈夫か、ユウキ!?」
「……え、どうかしたの、キリト?」
「顔が真っ赤だ! 調子があまり良くないのか!?」
「そ、そんな訳ないよ!? ボクは至って元気だよ、ほら!」
ぶんぶんと両手を上下に振り、元気だよアピールを繰り返す。やや無理矢理なアピールだったが、それを見て、無理をしているようには見えなかったキリトは安堵したのか、考え事に戻る。
その一方で、顔が真っ赤と言われたボクは、自分の手を頰に当てる。確かにいつもよりも熱を帯びていた。手鏡を持ち合わせていないから分からないけど、きっとまだ少し赤いかもしれない。どうしてそんなことになったんだろう? それから、少し心臓の鼓動が煩い気がする。これと似た経験を、一年前の喧嘩別れの日の朝にしていたのを、ボクは覚えていた。どうしてあの時と同じことが起きているんだろう?
先程まで考えていた『ソラが今何処にいるか』ではなく、『どうして心臓の鼓動が煩くて、顔が赤いのか』を、真剣に考え始めそうになった頃には、目的地である《血盟騎士団》ギルド本部に辿り着いていた。その時には、少し煩かった心臓の鼓動は収まっていた。門番たる
「これはこれは、お久しぶりです。ユウキ殿………と《黒の剣士》。本日は何用ですかな?」
「ああ………(露骨に態度が違くないか……?)」
「ボク達アスナに呼ばれてきたんだけど、来たことを伝えてもらえるかな?」
「そうでしたか。分かりました。メッセージを送ってみますね」
手早くその場でメッセージを飛ばす門番。ボクは何の用で呼ばれたんだろうと考えながら、その時間を待つ。
少しすると、アスナからメッセージが届いたのか、門番はボクには笑顔で、キリトには冷たい目をしながら、「どうぞ、お入りください」と伝える。
中に入ると、駆け付けたアスナがすぐそこで待っていた。こちらを見つけるや否や、すぐさま彼女はボクに抱き着く。
「ど、どうしたの、アスナ?」
「……ちょっと色々あってね。ユウキ分を補充しておこうかなって」
「「ユウキ分!?」」
どうやらアスナはお疲れのようだった。普段なら飛び出さないような言葉が飛び出している辺り、それも相当。キリトも目を丸くしている。ボクは優しくアスナの頭を撫でてあげると、今回呼び出した理由を率直に訊ねることにした。
「アスナ、今日はどうしてボク達を呼び出したの? ボク、悪いことした覚えないよ?」
「俺も呼び出されるような悪事を働いた覚えが全くないんだが……」
「二人とも《血盟騎士団》を警察みたいに見てないかな……。実は、妙なものが送られてきたの」
「「妙なもの……?」」
《血盟騎士団》ギルド本部に直接届けられたというソレは、形状としては長細く、お届け物のようだという。贈り主が不明だということから、下手に扱えないということもあり、考えあぐねていたというのだが、それが何故ボク達を呼び出すことに繋がるのかだけは分からなかった。
とにかく、現物を見てもらいたいらしく、説明をしながらその場所へと足を運ぶこととなった。
「うちのギルドで《鑑定》スキルを持っている人が言うには、中身は片手用直剣みたいなんだけど、その中身を取り出そうにも解錠ができないみたいで、《鍵開け》スキルがあっても、パスワードみたいなのが設定されてたの」
「パスワードなんて仕掛けてくるってことは、渡す相手を絞ってるとしか考えられないな」
「ちなみに、ヒントとかはあったの?」
いくらパスワードがあったとしても、渡したい人がそれを分からなければ意味がない。きっと、何かしらその人にしか分からないヒントがあるはずだと考えたボクはすかさず訊ねた。
すると、アスナは二人を呼んだ理由がそのヒントにあると言い、書かれていたヒントの内容を告げる。
「『父への祈りは一度、母への祈りは十度、栄えなる光を求めて、真摯に願え。諦めることを良しとせず、命尽きるまで誠実であれ。汝が名において、不滅の勇気を求めるならば、薔薇の冠を掴め———』。
それがヒントとして書いてあったの。私、何処かですごく聞いたことがあるような気がするんだけど思い出せなくて……。こういうのに詳しいかなって思ったからキリト君を、ユウキは偶然ヒントに名前があったのと、団長がユウキのことを絶対に呼ぶようにって」
「なんでヒースクリフがユウキを指名したのかはともかく………悪い、俺もさっぱりだ。ヒントにしては回りくどい表現が多すぎる。ちなみにパスワードの形式は?」
「半角英語で七文字だったわ。実際はパスワードというより暗号文に近いかも。あとはテンキーの数字が四つしかなかったのも不思議な点だったわ」
半角英語で七文字。不完全なテンキー。ヒントにしては回りくどい表現。父への祈りは一度。母への祈りは十度。栄えなる光を求めて真摯に願う。諦めることを良しとするな。命尽きるまで正しくあれ。不滅の勇気。薔薇の冠を掴む。今聞き及んだ文言を、ボクは静かに考える。所々噛み砕いた表現に変えながら、その意味を理解しようとする。周囲の音が聞こえなくなるほどに集中した意識が、一つ一つの真意が何かを考え触れていく。
最初の一文は、どういう意味なのか。
続く一文は、何を指しているのか。
最後の一文は、誰に宛て、示したものなのか。
それを起点に深く考えていく。何かが引っかかっている。あと少しで届きそうで届かない。恐らくアスナも同じ場所で引っかかってるんだと思う。絶妙なまでに分かり得ない文言は、このデスゲームに巻き込まれることになる前までリハビリ続きで勉強もしっかりできてないボクには、相当難しいものだった。知恵熱でも出ちゃいそうなくらいだ。幸いこの世界には病気もないし、体調不良と呼べるものもそうない。
「……うーん、何かすごく引っかかってるのに分からないなぁ……」
「実際誰も分かってないのよね。このヒント」
「これはヒースクリフにも聞いたのか?」
「団長は何か気がついたみたいだけど、『これは私に宛てられたものではない』としか言わなくて、意味を教えてくれなかったの」
「アイツ分かってるなら教えてくれてもいいだろ………」
「どうしても言わない理由でもあるのかもね……」
「贈り物に何らかの意味があるから、かな? 自分が勝手に言ってしまうのは、その意味に反してしまうから、みたいな……」
ヒースクリフは分かっている。けれど、言わない。それは贈り物が自分に宛てられたものではないから。今の話を聞いて、何かが分かった気がする。聡明な彼が、敢えて言わないのは、宛てられた贈り物が自分にではない以上に、何らかのメッセージ性が備わっていたから。
それを聞いて、二人が何か納得したような顔をする。
「確かにな。そもそも、贈り物は純粋な思い遣りが基本だ。贈られた意味を本人以外が言っちゃうのは無礼だからな」
「思い遣りの意味合いが備わってる……そう考えると誰に向けてのメッセージなんだろうね」
「そういえば、アスナ。どうして贈り物の贈り主が分からないの? 派生スキルの《追跡》や、《鑑定》スキルなら分かると思ったんだけど……」
「それがね、ユウキ。《追跡》スキルを使っても途中で転移門に向かってて追えなくなってるのと、中身がプレイヤーメイドじゃないせいか、名前も分からなかったの。加えて、届けられた瞬間を誰も見てないのよ」
「おいおい……《血盟騎士団》の団員が届けられたことに気がつかないってどんな技使ったらそうなるんだ……」
「熟練度がカンストした《隠蔽》スキル持ちで、AGI値極振りで、誰にも気付かれないように動ける人、っていうのが条件になりそうね……」
高い《隠蔽》スキルを持っていて、誰にも気付かれない。AGI値が恐らくボクより高いプレイヤー。この世界———浮遊城アインクラッドは広い。未だに六千人以上が生存しているのだから、ボク達の知り得ない実力者もきっといるだろう。
しかし、上記の条件を満たす人物を、ボク達は知っている。二人は今思い浮かべていないかもしれないが、もし、あのヒントがその人物によって書かれたものなら————ボクが気付かないといけない。
思考がそこに達すると同時に、贈り物が保管された部屋に辿り着く。そこには、すでに何人かの団員達が必死に考えあぐねていた。アスナが先頭に、キリトとボクが入ると、キリト以外に会釈する団員達が、道を開ける。またも酷い扱いをされることに落ち込む彼を慰めながらアスナが、件のそれを見せた。
飾り気のない長細い箱のようだった。ヒントらしき紙切れが箱に打ち付けられている以外に、特徴らしいものは特にない。しかし、鍵穴部分にはタップするとホロキーボードが展開されるようになっていて、アスナが言っていた半角英語七文字の記入枠が出現した。しかし、そのホロキーボードは何処から不完全で、テンキーとして表示されているのは、〝0〟〝5〟〝2〟〝3〟の四つだけ。ボクはその四つの数字がその配列で残されているのを見て、確信と同時に———
「ホロキーボードが出てくるアイテムが本当にあったんだな……」
「相当レアなアイテムだと思うけどね———って、ユウキ!? どうしたの!?」
「……え…………?」
———
それにボク自身が気がついたのは、アスナが声をかけてきた時だった。我知らず涙を流していたことに気がついてから、両手で必死に拭うが、その涙は止まらない。止められない。誰が贈り主で、誰に向けられた贈り物か。ボクには分かった。
何度か拭って、涙が止まらないと悟ると、ボクはアスナに「大丈夫だよ」と告げて、贈り物の前に立った。
「ボク、分かったよ。これは誰が贈った物なのか。誰に贈られた物なのか———やっと分かったんだ」
慣れないホロキーボードの操作に戸惑いながらも、ゆっくりと半角英語を打ち込んでいく。団員達が本当に分かったのかと不安がる中で、キリトとアスナはボクの様子から少しずつ確信していく。こんな真似をしてまで届けてきたのが誰なのかを。
「ヒントに書いてあった最初の一文。あれは、キリスト教の最も基本的な祈りの唱え方なんだ。〝父への祈り〟は〝イエス様への祈り〟、〝母への祈り〟は〝マリア様への祈り〟を置き換えたもの。回数もそのままだった。〝栄えなる光を求めて真摯に願え〟は〝栄唱〟のこと。ボクの一家がキリスト教信者だったのを、ヒントの作成者は知ってるんだ」
涙を流しながら、一文目の意味を説明する。さらっと身分情報を漏らしているが、今はそんなことすら気にならない。慣れない操作ながらも、〝r〟と〝o〟、〝s〟をパスワードに打ち込む。
「次の一文は、〝諦めることを良しとせず、命尽きるまで誠実であれ〟。これは、ボクが昔生きることを諦めようとした時にずっとそばで
ソラはいつもボクにそう言ってた。どうしてそう言ってくれていたのか、ボクにはずっと分からなかったけど、嬉しかったんだ。ボクのせいでたくさん失ったのに、それでもそばにいてくれた。この世界に来てからもずっと……ボクのために無茶をしてる。今だってきっとそうだ。
〝á〟と〝r〟を打ち込み、溢れる涙が止まらないせいか、少しずつ前が見えなくなってくるが、それでも必死にホロキーボードを操作していく。
「最期の一文、〝汝が名において、不滅の勇気を求めるならば、薔薇の冠を掴め———〟は、このパスワードの答えなんだ。〝薔薇の冠〟が何を示してるのか、ボクになら分かるようにしてあったんだ……」
恐らく二文目以外はヒースクリフにも分かったのだろう。しかし、二文目の真意を知ることができないことや、三文目の意味に気がついた彼は、これが自分に宛てられたものではないと理解していた。もしも答えが合っていても、それはソラの意思に反すると悟ってくれていたのだろう。絶対に呼ぶように指示したのも、これに気がついたからなのかもしれない。
そして、それ以上にボクには嬉しかった。ソラは忘れてなかった。ボクの誕生日も、ボクに宛てた言葉も、何もかも。自分があんなに辛い目に遭ってるのに、今もボクのことを優先しているんだと分かったから。
溢れる涙に視界を奪われながらも、ボクは〝i〟と〝o〟を打ち込むと、最後に〝Enter〟を押して、パスワードを入力し終わる。打ち込まれたパスワードは〝Rosário〟———薔薇の冠の意味を持つロザリオだった。正しいパスワードが打ち込まれたことで、開かずの箱だった贈り物は、その中身を晒す。
入っていたのは、アスナが言っていた通り片手用直剣だった。しかし、その刀身は細剣のように細い。軽くタップすると、その剣の名前が表示された。名は《Mācuahuitl》だろうか。どう読むのかよく分からなかったが、横からアスナが《マクアフィテル》と読み上げる。いざ、それを手に取ると、装備要求値とステータス、強化試行回数に驚かされた。
「これ、装備要求値がすごく高いよ。ボクがギリギリ装備できるくらいになってる……」
「なあ、アスナ。この武器、間違いなく俺の《エリュシデータ》以上だ……」
「キリト君の片手剣以上なの……!? ……それに、私でも装備できないくらい要求値が高すぎるわ。しかも、この武器はプレイヤーメイドじゃないから……」
黒曜石で出来たソレは間違いなく《魔剣》だった。フロアボスのラストアタックボーナスでもこんな性能の武器は見たことがなかった。恐らく、とてつもなく高難易度の隠しクエストでもあったに違いない。HPが全損すれば死ぬ世界で、そんなクエストに挑めるのは、間違いなくソラだけだ。それもソロで挑んで勝ち取ったと考えれば、彼の力量は真にトップクラスであると言えた。
「……ソラはいつも無茶するんだね…………」
手に取った《マクアフィテル》を抱き締める。金属で出来ている以上ひんやりと冷たいはずの武器が、どうしてだろうか、とても暖かく感じる。その温もりが、胸の奥に渦巻いていたモヤモヤとした気持ちが晴らしていく。そのモヤモヤが何だったのかが、今なら分かる。
ソラはこれをボクに贈るためにも無茶をしていた。ボクが困らないよう、誰よりも先に新階層を攻略した。攻略組の情報源になるからって言われそうだけど、きっとそれもボクのために無茶をしたことの一つなんだ。
たくさんの人を殺したのも、それがボクを助けるためだったのなら———
「……キリト、アスナ。二人にお願いがあるんだ」
———ボクは、ソラを救いたい。
もう一度会って、彼を助けたい。
今度こそ、ボクの答えを伝えて、苦しむ彼を放ってなんか出来やしない。その痛みも苦しみも、ボクが一緒に背負う。キミのそばで支えてあげたい。
ボクはずっと支えてもらっていた。
ずっと守ってもらっていた。
ずっとそばにいたから気が付かなかった。〝あの日〟からずっとモヤモヤしていたこの気持ちが何だったのか。やっと、分かったんだ。
分かったのなら、きちんと伝えなきゃ。
———
「ボクに、力を貸してください。ソラを救いたいんだ」
そこにあったのは、これまで悩み続けていた少女ではない。ずっと支えてくれていた少年に、厳しい言葉を向けられ、答えることも出来ず、ただただ悩みに明け暮れていただけの弱い彼女ではない。
自らの答えを定め、想いに気付き、覚悟を決めた———
————絶対不滅の剣たる《絶剣》でもない、ただの恋する少女だった。
———*———*———
二十二層。
そこはアインクラッドでもっとも人口が少ないフロアの一つだ。低層故に面積が広いこの階層は直径で言えば、八キロメートル強ほどある。中央には巨大な湖があり、南岸には主街区にしては小さな《コラル》の村があり、北岸には迷宮区。それ以外の場所は全て常緑の針葉樹ばかりの美しい森か無数に点在する湖に占められている。
フィールドにはモンスターが全くと言っていいほど出現せず、迷宮区の難易度も階層の割には低かったせいか、僅か三日で攻略されてしまい、あまりのことからプレイヤーの記憶にはほとんど残らなかった。
それは結果として、一時期オレンジプレイヤーの巣窟になるのではないか?という危惧から、元旦の一件からここ半年の間に一斉調査が行われ、《笑う棺桶》の根拠地を炙り出すという名目で大捜索が行われたのだが、他の階層と違い、迷宮区以外のダンジョンが全く存在しないせいか、実際はあまり隠れるのに向かなかった。
結果としては、全くそんなことはなかった、という安心安全のフロアであることが証明されていた。かといって、睡眠PKのような卑劣な技が使えないわけでもない為、結局は己で安全を確保しろというスタンスは変わらないのだが。
以上のことから、湖付近には多くの《釣り》愛好者が、主街区付近でも質の良い木々があるため、
そんな二十二層の西岸ある、一際深い森の中は、不気味な雰囲気が強い———というより強すぎるせいか、全くと言っていいほどプレイヤーが近づかない場所となっていた。そうなった原因は、かつてその場所に踏み込んだ勇気ある……のかは不明だが、そういうプレイヤーがいたらしく、宣言してから足を踏み入れたそのプレイヤーは、二度と帰ってこなかったという。
安心安全の二十二層ではあり得ないことだと思われたが、その後、宣言を聞いていたプレイヤー達が《生命の碑》を確認しに行ったところ、死亡原因が《転落死》となっていたことから、迷いに迷って戻れなくなり、耐え切れずに自殺したのではないかと考えたのが噂になったことから、誰も足を踏み入れなくなったという。
そんな訳ありスポットの最奥には、大きな巨木が立っていた。その前には広大な土地が広がっており、一定範囲は木が生えていなかった。推測ではあるが、恐らく巨木が養分を吸い過ぎるあまり、枯れてしまったのではないかと考えられた。
その木の根元で、一人のプレイヤーが静かに満月を眺めていた。
「………………」
時刻は23時30分。光一つない真っ暗な森の中では、唯一の光源は空に輝く満月だけだ。しかし、その光は意外にも強いのか、薄暗いなりにも相手の顔がある程度判別できるほどであった。
毛先だけが白く染まった黒髪のショートヘアーは前髪だけが逆立てられていて、黒い瞳には生気を感じられず、瞳孔は細かく震えている。一年もの間変わっていない灰一色の皮装備には、激しい損傷が重なっており、あと二度の激戦すら持ちそうにない。左手に握られた得物は、相変わらず古びていて弱々しく見えるが、その刃には拭い切れない程に鮮血が纏わり付いている。本来モンスターを殺すことでスペックが上昇する《魔剣》で十数人にも及ぶ殺人を行った結果がこれだった。
この特徴に合致するのは一人しかいない。
最強のソロプレイヤーにして、現在行方知れずとなった《絶天》のアーカーである。
あれから一月弱経つが、アーカーは一度として食事をしていなかった。それは決して精神修行、などではない。気軽な遊び感覚で断食チャレンジ中などという無茶をしている訳ではないのだ。
「………………あと、どれくらい……続くんだろうな………」
弱り切った声音で、彼以外誰もいない空間で問いかけるように呟いた。当然誰一人として答えはしない。静かに満月の光が彼を照らすのみだ。
彼の目には、
恐怖を、亡霊達に悩まされることを克服したのか?———違う、彼は
ただひたすら、殺されるのを待っていた。自殺することならいつでも出来た。だが、それは自分が殺した奴らがどれだけ悪辣な殺人鬼だったとしても、彼らに悪いとすら感じていた。殺したのなら、殺されて然るべきだ。それが、今の彼のうちに渦巻いていた〝答え〟だった。
それならば、わざと殺人者達の前に躍り出ればいい。そういう答えも出ていた。しかし、事実それをしようとして、この一ヶ月弱はそうするために動いていた。
だが、現実は違った。
攻略組による《笑う棺桶》壊滅の知らせが全階層に流されてからというもの、決して少なくない殺人者達は姿を眩ませていた。同時に、一人のプレイヤーを酷く恐れていたのである。
結論から言えば、アーカーは死ねなかった。いくら無防備であっても、その無防備が罠のようにしか感じられなかったのか、殺人者達は恐怖に呑まれて一目散に逃げてしまった。彼と出会ったことを口にしたくないとすら考える程に逃げ惑い、その場から姿を消して———アーカーは生き残ってしまっていた。
殺人者達にすら殺してもらえない。
その事実が、アーカーに一つの答えを齎した。それが、ここだ。
静かに、最期の時を待つ。ただそれだけを願う。そのための死に場所と、殺してくれる相手を求めた。
こんな場所に誰も来るはずがない———きっと来る。そんな確信がどうしてだろうか存在した。その理由は、きっと単純なものだ。
———明日が、5月23日だから。
その日は、ユウキの誕生日だった。
アーカーが———いや、雨宮 蒼天が人生で初めて〝羨ましい〟と思った親友の生まれた日。難病に侵され、いつ死ぬかも分からない日々を送ることになる少女に、彼は〝羨ましい〟と感じた。これだけ聞けばロクでもない奴に聞こえるだろう。
しかし、現実はそうではない。
雨宮 蒼天は
彼が紺野 木綿季に出会ったのは偶然だった。たまたま家が近くにあって、たまたま通う場所が一緒で、たまたま彼女を見かけただけ。そばを通り過ぎる顔だけ知ってる程度の人間だった。
両親の愛を知らず、ただ虚無を感じて生きる少年は、ある日、心の底から羨ましいと思うものを目にした。
木綿季が両親に心から愛され、元気に毎日を生きている姿。それは何処か儚く悲しいのに、とても美しかった。それを目の当たりにして、彼は〝羨ましい〟と初めて思った。現実を達観し、冷め切った考えしか持たず、いつか死ぬのを待つだけの空虚なだけの少年が、漸く自分を見つけたのだ。
それから蒼天は、木綿季のことを知ろうと思うようになった。彼女が無理やり自分を抑えて、演じていたことにもすぐに気がついた。他者よりも知恵が回り、冷静な判断を下せる彼は、いつしか木綿季の唯一無二の理解者となっていた。
例えこれから先どんなことがあろうとも、味方で在り続ける覚悟すら持つほどに———
———だから、〝あの日〟全てを捨てることができた。
偽りの家族も。偽りの環境も。欺瞞に満ちた現実と家族すら。
唯一信じられるのは、紺野 木綿季。今や彼女だけだと思うほどに。
そうして、今も待っていた。
自分を終わらせてくれるのは、彼女だけだと信じ続けて———
「…………待っていたよ、ユウキ。さあ、終わらせてくれ」
「違うよ、ソラ。ボクは———キミを救いに来たんだ」
全てを〝諦めた〟少年と、全てを〝諦めない〟少女が、ついに再会する————
君を救うために —完—
全てを諦めた少年と、全てを諦めない少女。
少年は求める———死を知る最期の瞬間を。
少女は求める———彼と共に生きる未来を。
〝あの日〟繋がり、〝あの日〟別れた道が、再び交差する。
さあ、言葉はいらない。決着は己が剣で決めよう。
次回 君を