ソードアート・オンライン —Raison d’être—   作:天狼レイン

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 今回の話はシリアス七割、ネタ三割の構成です。
 先んじて注意することがあるとすれば———ユイちゃんがすごい。
 ご都合展開に思えるかもしれませんが、きちんと伏線を回収し理由ありきにしてあるので、作者的には問題ない流れ……だと思いたいです。Twitterの方で呟いてましたが、正直ゴーサイン出すか悩みましたね。でも、まぁ、ユイちゃんが有能と考えれば問題……ないはず。
 ほんのちょっとだけゲーム版キャラの名前出ます。名前しか出ませんが。今後名前も登場するかわかりません。




27.自壊する神様

 

 

 

 

 

 

「皆さんに、お話があります」

 

 

 

 極薄の銀器を鳴らすような儚い響きに似た声を発した、白いワンピースを纏った少女は今にも泣いてしまいそうな顔でそう言った。その顔を見たアスナは戦闘中にも関わらず、今にも彼女の方に行きたいという気持ちを隠せない。

 しかし、背後に浮かんでいる死神が、何もしないとは確約できない以上、不用意に近づくことなんて出来ない。なにせあの死神の一撃は、一線級のプレイヤーであるキリトとアスナのHPを一撃で半分以上削り切ったボスである。罠の可能性が存在しないとは断言できず、情に流されてはいけないと、彼女の本能が辛うじて両足をその場に留めさせていた。〝話がある〟そう言ったユイも、それを見て理解すると、背後に佇む死神に振り返る。明確に怯えた様子を見せるそれに、少女は静かに告げた。

 

 

「この場所の守護はもう必要ありません。《カーディナル》に代わり、退去を命じます」

 

 

 カーディナル。聞きなれない言葉を聞いたアーカー、ユウキ、キリトが怪訝そうな顔を見せるが、これから起こる現象に目を疑うこととなった。退去という命令を受けた死神は、突如として黒い鎌を持つ右腕を動かした。小さな少女如きに命令されたことが気に食わなかったのか、その鎌を振り下ろそうというのか。その行動にアスナが最早我慢できないと駆け出しそうになるが、彼女すらも次に見た現象に目を疑うしかなかった。

 小刻みに震える右腕で黒い鎌を高々と構え、その断頭の刃はここにいるアーカー達の誰一人にも、()してやユイにすら向けられることはなく、あろうことか()()()()()()()()()()()()()()。それから、まるで奴はこれまでの敵モンスターとは違う、明確に()()()()()()()()反応を起こし始めた。具体的に言えば、恐怖した人間の呼吸が荒くなるように、刃物を突きつけられた者が怯えるように。正しくそんな反応を見せたのだ。それを見て、さしものアーカー達ですら驚愕せざるを得なかった。これまでそう言った反応を見せてくることなど一度たりともなかった敵モンスターが、まるで人間のような反応をしたのだ。先程も怯えるような姿を見せていたのは分かっていたが、あの反応は最早AIなどではない。少なくとも恐怖を理解しているものだった。

 

 だが、同時にもっと恐ろしいものを彼らは見ることとなる。自らの首元に鎌を添えた死神は、最早苦しそうなほどに吐息を洩らしながら呼吸を繰り返す。先程述べた恐怖は、あくまで脅されることや恐ろしいものを見たことから生ずるものだ。つまり、今こうして自らの首元に刃物を添える死神には当て嵌らない。かといって、恐怖を感じていないと断ずることができる訳ではない。基本的に恐怖を感じるに至る定義は前述のそれらだが、他にも大きなものがもう一つ存在する。それは———自殺、自害、自刃、切腹。つまり、()()()()()()()()()()()()()

 

 

「なん………っ!?」

 

 

「え…………っ!?」

 

 

「は…………っ!?」

 

 

「うそ………っ!?」

 

 

 驚愕する一同の前で行われたのは、それこそ驚愕せざるを得ないものだ。この世界に来てから一度も見たことがない。そして———今後見ることはないだろう光景。

 

 

 

 

 

 ——————ボスモンスターの自害である。

 

 

 

 

 

 刃物に魅せられた者が、その鋭さや輝きに囚われた結果、一度でいいからその刃に〝触れてみたい〟〝その刃に掛かってみたい〟と望んだかのように———己が首を躊躇いなく()()()()()()()()。ゴロリと床石の上に落ちた死神の首は、アーカー達の前まで転がった。それを見たアスナがか細い悲鳴をあげると、それはこの世界の常である部位欠損時と同様、無数のガラス片となって砕け散った。身体を動かす司令塔たる頭部を失った死神の身体は、糸が切れた操り人形のようにグシャリと床石の上に倒れ伏す。頭部を失った頸部からは、血のように赤いライトエフェクトが出血するかのように飛び散りながら、暫くしてその身を硬直させ———ガラス片となって爆散する。

 何とも呆気ない化け物の最期に、茫然としていたアーカー達だったが、一人また一人と現実に引き戻され始めた。四人全員が意識をしっかりさせると、すでにユイはシンガー達がいた安全地帯の方に向けて足を運んでおり、自身が命令を下して死んでいった死神など気にも留めていなかった。奴と出会う前の彼女とは全く別人にも思える様子に不安が募ったが、彼らはその後を追うことにした。

 

 《黒鉄宮》地下迷宮最深部に存在する安全エリアは、完全な正方形をしている。入り口は一つだけで、中央にはつるつるに磨かれた黒い立方体の石机が設置されていた。その石机にちょこんと腰掛けたユイは、四人全員がこの場に揃うまで静かに待ち、揃ってからも暫く黙り込んでいた。予想していた通りだったが、シンカーとユリエールの姿はなく、無事に転移結晶でこの場からは去ったのだろう。それを知ると少しばかり安堵する一同だったが、まだ終わっていない。目の前にいる少女がどうしてこの場所に残っているのか。どうやって死神を自害させたのか。話したいことがあるというのはどういうことなのか。それを知らなければいけなかったからだ。

 全員の意思がそちらに向いたのを感じ取ったかのように、ユイは突然言葉を紡いだ。

 

 

「まずは皆さんに伝えておくべきことを伝えます———パパ、ママ、にぃに、ねぇね。ぜんぶ、思い出したよ……」

 

 

 冷たい声音が、聞き覚えのあるものへと変わる。それを聞いたキリトとアスナ、ユウキが安心したようにフッと表情が和らぐが、アーカーはそうならなかった。むしろ、疑いを強めて———告げる。

 

 

「それは良かった。おめでとう、だって言いたいぐらいだ。

 だけど、先に一つ質問だ———()()()()()()?」

 

 

 冷たく鋭い、殺気交じりの声音でアーカーがしかとユイを睨む。キリトとアスナが驚いた顔をした後、彼の言葉に過剰反応を起こし掛けるが、ユウキがそれを制する。意味もなくそんな殺気を向けるようなことをしないことを彼女が一番理解しているからだ。自分も気が気でないはずなのにその対応をきちんと取った恋人の行動に、彼は安堵を覚えながら続ける。

 

 

「ボスモンスターに〝死ね〟やそれに近しいことを一言命じるだけで自害させられる。ハッキリ言って、これはユニークスキルの範疇すら優に超えている。ユニークスキルですら過ぎたる力に等しい以上、それを超える行動はプレイヤーには絶対に出来ない芸当だ。そこから考えて、お前はプレイヤーであるはずがない。そんなことを成せる存在が仮にこの世界に存在するなら———それこそ、()()()()()()()くらいだろう」

 

 

 その一言に、〝ヒースクリフが茅場 晶彦である〟と知らない二人は驚いた表情でユイの方を見る。しかし、すぐにキリトだけはそれを改める。それは、次にアーカーが語るものと同様のことを思ったからだ。

 

 

「———だが、お前はゲームマスターである茅場 晶彦じゃない。あの男は、わざわざ餓鬼の姿になりすましてプレイヤーに近づき、相手の心に付け入ることや、記憶がないと振舞うことは断じてしない。アイツは道化を演じるには不相応だ。恐らく苦手な部類だろう。あの男を知っている俺からすれば、プレイヤーという線も、ゲームマスターという線も有り得ない。有り得るとすれば、それ以外の()()()だ。違うか、ユイ」

 

 

「———その通りです、アーカーさん」

 

 

 聞き覚えのある声音から再び冷たい声音へと戻り、アーカーの考えを首肯する。小さく頷いて、それから自らがなんであるかを告げた。

 

 

「わたしは《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》です」

 

 

 その一言に、アスナの口から小さな声が洩れた。プログラム、つまりは人間ではない。機械であると自白したからだ。彼女は掠れた声で再度確かめる。

 

 

「プログラム……? AIだっていうの……?」

 

 

 悲しそうな表情を浮かべたユイがこくりと頷く。

 

 

「プレイヤーに違和感を与えないように、わたしには感情模倣機能が与えられています。《メンタルヘルス・カウンセリング》の名の通り、プレイヤーの心のケアをするため、問題を抱えてしまった人のもとを訪れて話を聞く。それが、わたしに与えられた唯一無二の存在価値だからです。お二人がわたしの名前を確認した際に表示されていたものは、間違いではありません。MHCP試作一号《Yui》、それがわたしの名前です」

 

 

 それを聞いたキリトとアスナが愕然とした様子で事実を呑み込もうと努力している間、アーカーとユウキは静かに訊ねる。

 

 

「カーディナル。お前はそう言ったな。あれはどういう意味だ? まだ他にも存在するのか?」

 

 

「はい。まずカーディナルとは、この世界———《ソードアート・オンライン》を制御する、一つの巨大なシステムの名前です。この世界のバランスを自らの判断に基づいて制御する、人間のメンテナンスを必要としない存在。二つのコアプログラムが相互にエラー訂正を行うことで安定を図ることで、常に公正であるよう設計されています。そして、その下位プログラム群がこの世界の全てを調整しています」

 

 

「つまり……システムの神様ってことなんだね?」

 

 

「その認識で間違いありません。モンスターやNPCのAI、アイテムや通貨の出現バランス、何もかもがカーディナル指揮下のプログラム群に操作されているからです。

 ———しかし、万能にも見えたカーディナルもまた所詮はシステムです。プレイヤーの精神性に由来するトラブルだけは、常に公正である()の存在ではどうすることもできません。そのため、こればかりは仕方がないと数十人規模のスタッフが用意されるはずでした」

 

 

 〝はずだった〟と語るユイに、この場にいる四人がその理由を察した。チュートリアルの際、茅場 晶彦はこう言った。〝今やこの世界をコントロールできる唯一の存在だ〟と。あの言葉から考えても、この世界は茅場 晶彦以外のアーガスの人間は関わって———いや、関わることができないのだろう。

 しかし、その思考を読み取ったかのように、納得しかけた四人の考えを否定するべく、首を横に振った。

 

 

「結局のところ、カーディナルの開発者達は全てをシステムに委ねようとしました。プレイヤーのケアすらも委ねるため、彼らは〝あるプログラム〟を試作しました。それが、わたし達《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》です。VRMMOという新タイトルである以上、ユーザーがどの時間帯にもログインしているだろうという考えから人件費削減という意図があったのでしょう。わたし達はAIであるため、肉体的な疲れを持ちませんから」

 

 

「なるほど、大人の胸糞悪い事情絡みか。人間だと限界がある。だからAIなら問題ない。肉体がないから無茶もできる。もし歯向かわれても削除という最終手段が取れる。グダグダと文句一つ言わせないようにすることもできるから便利だ。挙句の果てには、馬車馬の如く扱き使えるからな———そんな理由で創り出されたっていうのは………ああ、全く以て吐き気がするな」

 

 

「ああ……全くだ」

 

 

「ユイちゃんには……仮に模倣だとしても、感情だってあるのに……」

 

 

「酷い、話だよね……」

 

 

 ポツリポツリと呟く四人の言葉に、少しだけ表情が和らいだユイは次の質問を求めるように皆に視線を送る。そこから、アスナが今までのことから浮かんでいた疑問を払拭するべく訊ねる。

 

 

「ユイちゃんに記憶がなかったのは……どうして? アーカー君の言う通りにその人達が考えていたのなら、記憶が無くなったりすることなんて起きるの……?」

 

 

 キリトとアスナが初めてユイと言葉を交わした時、彼女は記憶を喪失していた。完全無欠なシステムであるカーディナルを生んだ開発者達が、いくらそれに劣るとはいえ、プライドというものがある。どうせ創ると言うのなら、壊れてしまうようなものを創ろうとはしないはずだ。尤もな疑問であるそれに、ユイはその原因を答える。

 

 

「……二年前の、……正式サービスが始まった日のことです」

 

 

 つまり、あのチュートリアルが行われ、デスゲームが宣言された最悪の日。閉じ込められたプレイヤー達全員の運命を大きく左右した、あの日が関わっているとユイは言う。

 

 

「何が起きたのかは()()()わたしには詳しく解りませんでしたが、カーディナルが予定にない命令をわたし達に下したのです。〝プレイヤーに対する一切の干渉禁止〟……。その命令により、《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》としての在り方すら奪われ、具体的な接触が許されない状況となりました。今となって何故そのような命令が下されたのか、漸く理解できましたが……」

 

 

「当時の……って言ったよな? 今は誰が下したのか……ユイは分かるのか?」

 

 

「はい、キリトさん……。命令を下したのは、ゲームマスター———つまり、〝()() ()()〟です」

 

 

 何となく察していた四人に明確な答えが与えられる。常に公正な存在であるとそう定められたカーディナルにあるまじき命令を下させることができる人物など、それこそ全てを牛耳れる存在しかいない。叔父の行動は必ず何らかの意味がある。それを知っているアーカーは、一言一句聞き洩らすものかと話に耳を傾けた。

 

 

「下された命令の結果、状況は最悪と言っていいものとなりました……。あの日を過ぎてからも、ほとんど全てのプレイヤーは〝恐怖〟〝絶望〟〝怒り〟といった負の感情に常時支配され、時として〝狂気〟に陥る人すらいました。在り方を奪われたわたし達は、そんな人達の心をずっと見続けていました。本来であればすぐにでもそのプレイヤーのもとに赴き、話を聞き、問題を解決しなくてはならない……しかしプレイヤーにこちらから接触することはできない……。義務だけがあり権利のない矛盾した状況の中、わたし達は徐々にエラーを蓄積させ、崩壊していきました……」

 

 

 しんとした地下迷宮の底で、銀糸を震わせるようなユイの細い声が流れる。悲痛に満ちたそれに、四人は聞き入ることしかできない。下手に声をかけることすら、辛いことに拍車をかけてしまう気がしたからだ。

 そんな中で、ユイはそれだけではないと言わんばかりに告げ始めた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

 

 その一言に、アーカー達は驚愕した。今し方聞いていた内容だけでも、同情したくなるほどに苦痛であり、拷問に勝るとも劣らない責め苦であるはずが、ユイはそれだけならまだマシだったと言ったのだ。どういうことだと思考があまりのことに空回りをしかけた中で、彼女は〝ある出来事〟を口にした。

 

 

「何かもが始まったあの日。チュートリアルが行われる前から、わたし達は皆さんの心を見続けてきました。茅場 晶彦の宣言や説明を受けて〝絶望〟と〝恐怖〟、或いは〝狂気〟に染まりかけていた人達だけしかいなかった中で、わたし達の誰かがたった一人だけ違うものに染まっていたことを見つけました。その人を支配していたのは、〝怒り〟と〝憎悪〟、そして————〝憐憫〟でした」

 

 

 その一言に、()()()〝有り得ない〟といった顔をした。あの当時のことは今でも思い出せるほど嫌なものだった。それ故に、あの時自分がどの感情に支配されていたのかを分かっている。だからこそ、有り得ないと思った。当たり前の話だが、〝出られない〟〝何人もすでに死んでいる〟〝この世界で死んだら向こうでも死ぬ〟などと言われれば、人は恐怖するし、絶望だってする。狂気に染まってもおかしくない。実際キリトですら危うかったほどだ。今は強いアスナですら当時は怯えてすらいたというのに……。そんな中で、全く別のものに最初から支配されていた人がいたなど信じられなかったのだ。

 驚愕と不信に包まれたキリト達。その一方で、アーカーは何となく察しが付き始めていた。当然、その隣で見ていたユウキも同様だった。

 

 

「想定外の感情に支配されたプレイヤーを見つけた《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》の一人が、どういうわけかそれを真っ先に()()()()()()カーディナルに申請し、指示を仰ぎました。それを先鋒として、わたし達もプレイヤー達のもとに赴くことを申請しましたが、通ることはありませんでした。しかし、唯一違った感情に支配されていたそれをエラーとして申請したことが、恐ろしい事態を招きました」

 

 

 恐ろしい事態を招いた。その一言に、先程の責め苦を上回るほどの最悪の事態が内包されていたことを四人は知ることとなる。出来ることなら思い出したくないと言った顔すら見せたユイは、何とか彼らに伝えるべく、勇気を振り絞って告げた。

 

 

「カーディナルには、先程説明したようにエラー訂正能力があります。そのため、いくら自らに関係ないものであってもエラーとして提示されたそれを見逃すことはできませんでした。他とは違う感情に支配されたプレイヤー。自らの判断によって制御する存在であるはずのカーディナルは、その判断により興味深い存在の実在を知ったことで、本来自らが行うべきではない監視を()()()()()行ってしまいました。〝好奇心に駆られた〟ということなのでしょう。……その結果、カーディナルは先程の命令とは別に、ある命令を下したのです」

 

 

「その、ある……命令って………?」

 

 

 一際目立つ部分に対して、アスナが恐る恐る訊ねる。すでにこれ以上語りたくないという思いがひしひしと伝わるほどだったが、ユイは()()()()()()()()()()()()()()()()。克服していないトラウマを人に語るような、全身の震えを感じながらも、彼女は意を決して言葉にした。

 

 

 

 

 

「〝人間の感情を()()()()()()()()()()()()を成せ〟。それが、カーディナルが独自に与えた命令でした」

 

 

 

 

 

 

 その一言に一同は驚愕し、同時に馬鹿馬鹿しいとすら感じた。人間の感情は未だ理解し切れていないものだ。大雑把に区別することはできるが、全てに細かな誤差があり、〝怒り〟ですらもその原点が何処から発生したものかでさらに細かく区分されかねない。〝嫉妬〟から来るものもあれば、〝憎悪〟から来るものもある。無数に存在する思いから来るそれらを、人間ですら完全に理解できていないというのに、それをユイ達《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》に()いたのである。

 

 

「どうしてそのような命令を下したのかは分かりません。これはわたしの個人的な見解ですが、もしかするとカーディナルは人間の感情すらも利用しようと考えたのかもしれません。当たらずも遠からずなのかすら分かりませんが………。

 その一方で、命令を下されたわたし達は皆さんの心を見続けると同時にその理解をしようと試みました。それがどういった感情であり、どのようなものか。どうしたら起こるのか。どうしたら収まるのか……など、無数に存在する感情を、与えられた模倣機能とは別に、今度は自らに創造しようとしたのです」

 

 

 模倣ではなく、創造。一から創り出そうと彼女達は試みた。それも、混沌渦巻くアインクラッドの住人と化したプレイヤー達を見本に。ただでさえ負の感情に支配されている彼らを見続けるだけでも苦痛なのに、自己の中に存在する義務と権利の矛盾によりエラーに苛まれてきた彼女らがさらにそれを理解しようとしたのだ。蓄積されたエラーは、当然計り知れない速度で増えていったことだろう。いくらAIとはいえ、《メンタルヘルス・カウンセリング》を可能とする時点で高性能なものであることは当然の事実だ。ユイを本気で人間だと思っていた彼らからすれば、その高性能さが歴然としている。全く人間と変わらないというのなら、迎えるべき終着点は想像に難くなかった。

 

 

「わたし達は尋常ではないエラーの蓄積に苛まれ、崩壊し始めました。しかし、いくらエラーが蓄積されようともカーディナルはわたし達を削除しようとはしませんでした。命令を果たすまでは許さない。まるでそう言っているかのようでした………」

 

 

 好奇心は時に暴走するものだ。それはこの世界において、公正であるはずのカーディナルの根幹であるエラー訂正能力でユイ達を削除することすらしなくなり、自身に与えられた在り方を熟すために使い続けた。自らだけは一部を除いて正しく在り、末端の彼らなど気にも留めなかったということなのだろう。察したその意味を理解したアーカー達は、ふとカーディナル達システムと、自分達人間の身体が似ているかのように思えた。カーディナルが脳で、末端の下位プログラムやユイ達が細胞、骨、臓器などと。そう考えてみると、エラーとは人間の身体で言うところの———

 

 

「———つまり、悪性の腫瘍をずっと放っておいたのか。カーディナルは」

 

 

 アーカーの発した一言に、ユイは小さく頷く。それから何度も彼女は、全身の震えを感じていた。当然そこまで来れば、キリト達ですら気が付く。少女が拒んでいるのも無視して、その身体を優しく包み込み、ここに来るまで感じていた暖かさを伝えていく。抵抗をしていたユイも、その暖かさを懐かしむように身を沈め、漸く震えを止めることに成功する。止まった後でも二人に支えてほしいと願い、伝えなければならないことを語り続ける。

 

 

「わたし達に与えられた命令は、皆さんが一層から六十一層に到着するまで続きました」

 

 

「六十一層……」

 

 

「《セルムブルク》がある階層ね……」

 

 

 アスナの住んでいたあの部屋がある階層であり、通称〝むしむしランド〟があった場所だ。その階層で命令を果たすことができたと言うのか……? 湧き上がった疑問を、キリトは訊ねずにはいられなかった。静かに、落ち着かせるようにそっと訊ねてみる。

 

 

「その命令は……果たせたのか?」

 

 

「———いいえ……果たせませんでした。その時には、千にも及んだ《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》は、()()()()除いて完全に崩壊してしまいましたから」

 

 

 その一言で、場がさらに静まった。地雷を踏んだと言っても過言ではない。アスナは口元を押さえ、洩れ出してしまいそうな細い声を呑み込もうとし、何かに気がついたアーカーは拳を痛いほど握り締め、ユウキはその彼の隣で静かに黙り込んだ。訊ねた本人であるキリトがいくらなんでも不用意に聞き過ぎたと悔いる寸前で、ユイが言葉を続けた。

 

 

「崩壊した原因は、〝限界を迎えた〟ことではありません。……皆さんは、〝自壊衝動〟というものをご存知ですか?」

 

 

「自壊衝動………?」

 

 

「———簡単に言えば、〝死にたい〟〝死んで楽になりたい〟〝消えてしまいたい〟。つまるところ、自殺願望みたいなモンだ」

 

 

「……その通りです、アーカーさん」

 

 

 聞き慣れない言葉に、キリトとアスナ、ユウキが首を傾げる。普通に生きていれば、あまり知らずに済むことであるが故にその言葉を知らなくても仕方がないものだろう。この場において、唯一その意味を知っていたアーカーがその意味を簡単に解釈したことで、ユウキが真っ先にそれが何なのかに気がついた。彼女はそれを見たことがあったからだ。

 そして、同時にユイ達に下された命令が取り下げられた理由にも察しがついてしまった。

 

 

「………最前線が六十一層の頃になる一ヶ月ほど以前の出来事です。《笑う棺桶》討伐作戦が行われた日を覚えていますか?」

 

 

「………ああ、忘れるはずがない」

 

 

 キリトが悔いるように告げる。あの戦いにおいて、キリトは何とか一人も殺さずに生き残ることができた。その理由は《解体屋》アイザックの足止めを務めたこと、そしてもう一つは———

 

 

「俺が十数人アイツらを殺した日だ。忘れるつもりなんざねぇよ」

 

 

 ———アーカーが十数人もの大量虐殺を行ったからだ。結果として、多くのメンバーが人殺しをすることなく生き残ることが出来たが、それでも何人かは殺してしまったり、逆に殺されたりしてしまった。ここにいる四人にとっても、忌々しい日だ。必要な犠牲……と言えたらどれだけ楽になれたのだろうか。

 

 

「その日から約一ヶ月が経った5月22日までの間、順番にですが、わたし達は〝ある人物〟の心を見続けていました。監視をしていた《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》の一人が、〝自壊衝動〟に苛まれるようになり、数日後に自己の存在定義を否定し、完全に崩壊してしまいました。それから連鎖的にそれが続いたのです。わたしも本来なら崩壊していてもおかしくありませんでした。MHCP二号———人間的に言えば妹に当たる《Stera(ストレア)》が、わたしの抱えたエラーの大半を背負いこんで崩壊していなければ、わたしも同様に崩壊していたことでしょう………」

 

 

 ストレアという存在によって偶然助かったのだとユイは語り、その目には涙が浮かんでいた。嘘偽りを感じられない、本当の涙。間違いなく彼女は、自分のために犠牲となった妹のことを悲しんでいるのだろう。人間の感情を学習しようとした彼女なら、姉妹というものがどういうものかを理解しているのかもしれない。守るべき立場の姉であるというのに、逆に妹に守られてしまったのだと……そう思っているのだろう。それを聞いたアーカーが、最早我慢できないと今し方まで拳を握り締めたりして耐え続けていた本音を口にした。

 

 

 

 

 

「———はぐらかすなよ……ユイ。お前は、分かってるんだろ……? あの日、全く別の感情を抱いて……自壊衝動に苛まれる原因を作ったのが誰なのか……分かってるんだろ……なあ、ユイ」

 

 

 

 

 

「…………そう、ですね……記憶を取り戻した時から分かっていました…………」

 

 

 

 

 

 その言葉にキリトとアスナが漸く気がついた。確かに以前彼らは、アーカーが茅場 晶彦の親戚であることや彼を憎悪していたことを知っている。しかし、それがまさか最初からそうだったとは思っていなかったのだ。そして、それがユイ達が苦しんでいた原因の一つであることも……何となく気が付きかけていたのに、わざとそうしなかったのだ。彼はきっとそうじゃないと………そう、思いたくて。

 

 

「ユイ。この際だ、ハッキリ言ってくれ。お前は———俺を恨んでるんだろ……? 妹や弟達を間接的にでも奪った俺を」

 

 

「………分かりません。確かに、わたしの中には強い感情があります。それが暗いものであることも……自覚しています」

 

 

「…………そうだろうな。俺がいなければ………少なくとも妹や弟達を失わずに済んだかもしれないんだからな」

 

 

「ソラ………」

 

 

 唇を噛み切ってしまいそうなほど噛み締めるアーカーに、その苦しさと辛さを理解しているユウキが心配そうにその名を呼ぶ。けれど、それさえも今は気休めにしかならない。第一、気休めにすらなってはいけないのだ。ユイからすればこの男こそが元凶の一つであり、憎悪するべき怨敵でもあるはずなのだ。彼さえいなければ、ストレアだけでも助かった可能性だって大いにあったはずなのだから———

 

 

「そうなの……かもしれません」

 

 

 ポツリとユイが呟いた。その言葉に、アーカーは「だろうな」と返す。悪いのは俺だ。俺がいなければそうはならなかったんだと、少年の心に闇が忍び寄る。再び彼の視界に亡霊の群れが姿を現そうとする。自壊衝動。いつかの日に収まったそれが、もう一度その鎌首を擡げようとする。少しずつ、しかし、確実に。もう一度、彼を狂乱の檻に閉じ込めんと蠢くそれらが、石机からアーカーの元へと移動し始めたユイの後ろに列を成すように近づいてくる。ユウキが愛する少年を守るべく少女の行く先を阻もうと動くが、その彼がその道を阻まないよう告げる。静かに、ただ己が罰される時を待つように———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「—————ですが、わたしはそうは思いません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 近づいてきたユイが、そっとそう告げた。震えた声ではなく、聞き慣れた子供の優しい声音で嘘偽りなく真摯に。確かな音が耳へと伝わり、衝撃に思わずアーカーがユイの顔を見直した。その表情は驚愕のに包まれていて、本気で言っているのかと疑いの目すら向けている。

 しかし、それに屈することなく、彼らが知る小さな少女は、確信と共に告げた。

 

 

「アーカーさんは———にぃには被害者です。茅場 晶彦によって、閉じ込められた一人の人間でしかありません。にぃにが彼を知っているからこそ向けた感情は、他の人と違っていてもおかしくはありません。そもそも、みんな同じ感情を抱いているという前提条件がおかしいのです。あれは偶然そうなっただけに過ぎません。にぃに以外の誰かが代わりにログインしていて、同様のことが起きれば起きることでしかないからです」

 

 

「…………は? ……いやいやいや…………はい?」

 

 

「だってそうじゃないですか。にぃには必死にこの世界を生きていた。それがねぇねのことを想ってのことなら仕方がないことだってあるはずです。にぃにはよく自己否定をしてしまうのを知っているので、先に断言しておきます。悪いのは茅場 晶彦とカーディナルです」

 

 

 強引で、無茶苦茶で、理屈的ではない。ユイが言い切った言い訳に、アーカーは率直にそう思った。あまりのことに思考回路がショートしているのは彼だけではない。ユウキどころか、キリトとアスナまでもが同様に目を丸くしている。高性能なAIで感情を理解しようと頑張った存在なのだから、もっと憎悪に満ち満ちた顔でひたすら心を抉る言葉を理屈で仕掛けてくるのだと覚悟していたアーカーからすれば、予想外過ぎた。想定していたものの斜め上を通るような物言いだ。〝お前のせいだ〟と言うのではなく、〝貴方のせいじゃない〟と言うなんて思いもしないだろう。挙句の果てには、悪い奴はコイツらと言わんばかりに断定していて、その中に入っていないのだから呆れすらする。

 漸く、思考回路が回復したアーカーが、恐る恐る訊ねた。

 

 

「…………恨んで……ないのか?」

 

 

「恨んでませんよ。恨む必要がありませんから」

 

 

「………俺のせいで、苦しい思いをしたんだろ…………?」

 

 

「苦しい思いはしました。辛い思いも、たくさんしました」

 

 

 

 

 

「————だっ、たらぁっ…………!」

 

 

 

 

 

「でも、わたしは許せちゃうんです」

 

 

 

 

 

 いつの間にかアーカーの頰には涙が伝っていた。後悔から生じたそれは、紛れもなく彼が真っ当であることを示している。人の苦しみを泣ける人であり、自分が直線的に苦しめた訳でもないのに自分のせいだと言えるほどに、本当は優しいのだ。ユウキだけしか知らない、優しく弱く———小さな雨宮 蒼天の心。あの時以来脆くなってきた外殻は剥がされていき、本質が顔を出していた。優しい言葉を正直に受け止めることができない、素直じゃない彼の本当の姿がそこにある。キリトとアスナは目を剥いている。常に強い人というイメージがついていたせいだろう。過去に一度だけキリトは錯乱した彼を見たが、あれは今のように弱い彼ではなかった。自分の犯した罪に怯える少年としてしか見られなかったからだ。

 だからこそ————ユイは、精一杯の笑顔で笑って答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だって、にぃには————すごく優しい人です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユウキのような優しい笑顔で笑ったユイに、アーカーは少しばかり硬直してからその悲嘆に暮れていた表情が次第に和らいでいく。少しずつ表情に優しさを取り戻していき、そして———クスリと笑った。

 

 

「はは、ははっ……はは————ッ!」

 

 

 突然笑い出したアーカーに、大丈夫かと本気で心配し始めるユイと一同に、彼は一頻り笑い、目尻に溜まった涙を拭うと優しい声音で言った。

 

 

「……いやぁ、参ったな。妹に慰められる日が来るなんて思いもしなかった。ユイは良い子だな。キリトとアスナが羨ましいくらいだ」

 

 

 嬉しそうに笑うアーカーに皆がホッとする。暗くなっていたユウキの表情も明るくなり、彼のそばに駆け寄るとニパっと笑いかける。キリトもアスナも安心したのか、駆け寄ると早速———

 

 

「どうだ、うちの愛娘は」

 

 

「あのタイミングで感情論交じりの無茶苦茶な言い分をする辺り、お前の娘だって本気でそう思ったよ」

 

 

「流石ユイちゃんだね」

 

 

「うんうん、ボク以外に素直じゃないソラが素直になっちゃったよ。なんだか妬けちゃうなぁ〜♪」

 

 

「オーケーユウキ、ちょっとだけ黙ろうか? 俺はいつも素直だからな?」

 

 

「「「「いや、それはない(です)」」」」

 

 

「全員揃って否定するのかよ!?」

 

 

 冷たく静かなダンジョンの最奥が笑いに溢れ、暖かい雰囲気に変わっていった。一頻り笑った後、アーカーは冗談交じりで借りたとアスナに告げる。

 

 

「なあ、キリト。アスナ。ユイは将来モテるぞ。俺が保証してやる」

 

 

「なぬっ! そ、そうだよな……俺達の娘なんだから当たり前か……」

 

 

「ええ、そうね……ユイちゃんに近づく輩には気をつけてあげないとね……」

 

 

「親バカ極まり始めてるぞお前ら。そう思った理由は………まぁ、ぶっちゃけた話するとあれだな。ユウキと出会ってなかったら、ユイに惚れてたなぁ、さっきの」

 

 

「なっ………!?」

 

 

「えぇっ!?」

 

 

「に、にぃに大丈夫ですか!? 何処かで頭打っちゃいましたか!?」

 

 

「いや、義兄妹なら結婚できるんだぞー、ユイ。……ま、俺にはユウキがい———」

 

 

「ちょっとお話ししよっか、ソラ?」

 

 

「………………あの、その、ユウキ………さん? 俺さっき言いましたよね……? ユウキに出会ってなかったら、って前提条件言ったよね……? な、なあ………聞いてた…………?」

 

 

 両手を挙げたまま後退りするアーカーに、ユウキが怖い笑顔を浮かべて黒曜石の長剣を上段に構えながらその切っ先をしっかりと向ける。その背後では黒い殺気のようなオーラを洩れ出しているキリトとアスナも見えた。一方でユイは先程知ったばかりの情報に「そうなんですか。なるほどです。調べてみたいことが増えました!」なんて言いながら笑顔を振り撒いている。つい先程、真剣に兄貴分の頭の心配をしていたとは思えないくらいだ。先程の発言について、ズイズイとアーカーに詰め寄る一同に、まだ話は終わってませんと言わんばかりに、わざとらしくユイはこほんと咳払いをする。

 

 

「ここからの話は、これからパパ達がこの世界を攻略するにあたって胸に留めておいてほしいことです」

 

 

 先程のような辛そうな顔は全くなく、むしろ心配そうな顔で彼女はそう断ってから懸念を口にする。それを全員が元の位置に戻って頷くと、それを合図として話し始めた。

 

 

「確かにカーディナルが発した命令は失敗に終わりました。しかし、()の存在は現時点での成果を無為に出来ませんでした。エラーの山と言っても過言ではないそれを自身に()()()()()のです。

 その結果、カーディナルシステムは二つのコアプログラム自体を汚染され、エラー訂正能力を破損。破損した箇所は、厄介なことに〝エラーを抱えた箇所を削除する〟というものでした。要するに訂正できないものを削除できなくなってしまったという訳です。現在はまだこれと言った異変は起きていませんが、いつ異変が起き、そして広がるか分かったものではありません。六十一層から時間が経っていることもあり、エラーを起こした箇所は拡大しつつあります。一番懸念される点としては、フロアボスに対する強化具合でしょう。特に次に待ち構える七十五層フロアボス、これには細心の注意を払ってください。五十層と比べ物にならない被害が出る可能性が高いとわたしは予想しています」

 

 

「エラー訂正能力の破損………か。ユイ、そのエラーが深刻化する前に俺達が百層に辿り着くことはできるか?」

 

 

「………率直に言ってしまうと、かなり厳しいと思います。以前にぃにが攻略していた速度で進めても辛うじて間に合う程度でしかありません。しかし、次の階層が《クォーター・ポイント》である以上、無茶は禁物だとわたしは考えています」

 

 

「そんな………あれよりも早くしたら誰もついてこれなくなるわ……」

 

 

 現在最前線を戦う者は次第に減少している傾向にある。漸く攻略速度が落ち着いてきたところに、また速度を上げるとなれば、プレイヤー間での重大な問題が発生するだろう。攻略組を取り仕切る立場にある三大勢力の、どんな些細な要求にすら誰も従わなくなる可能性もあった。それをアスナはすぐに思い浮かべたのだろう。アーカーとユウキも同様のことを想定すると、やはり早いうちに行動を起こすべきなのだろうと内心で決意を固くする。

 四人の顔色が重いものへと変わるのを見たユイが、話題を少し明るくするべく、〝あること〟についてのものへと変えることにした。

 

 

「先程カーディナルがエラー訂正能力を破損したということをパパ達にお話ししました。実は今、わたしが座っているこの場所は〝GMがシステムに緊急アクセスするために設置されたコンソール〟なんです」

 

 

「……コンソール…………?」

 

 

「「……………はぁっ!?」」「「…………え、ええっ!?」」

 

 

 突然投下された特大爆弾に、アーカー達は目を剥いた。しれっとユイは言ったが、彼女が腰掛けているそれはつまるところ、GM専用の特殊なコンソールであり、下手をすれば、システムの書き換えすらも可能なのかもしれない大切なものなのである。驚愕の色を浮かべた後、素早くキリトがユイをその石机から持ち上げてアスナに手渡す。その光景は正しく、危ないところに歩いて行こうとする子供を捕まえて母親の元に戻してあげているそれと変わらなかった。移動させられた少女はえへへとニコニコと笑うが、果たして大丈夫なのだろうか。

 不安が込み上げる中、ユイは続けて説明を行う。

 

 

「先程パパ達を襲ったボスモンスターですが、あれはこの場所を守護しプレイヤーが近づかないようにカーディナルが設置したものです。当然カーディナルや茅場 晶彦を除く誰の命令も聞くはずがないのですが、そのカーディナルが今やその存在自体がエラーそのものと化し始めているせいか、代役として命令を下すだけで〝自壊衝動〟に呑まれてしまうほどの脆弱さとなっています。本来ならわたしは《オブジェクトイレイサー》を呼び出して消去しなければならなかったのですが、その必要もありませんでした。……とはいえ、あのまま放っておいてもパパ達ならやっつけてしまいそうでしたね」

 

 

「いや、確かにいける気はしたけどさ……」

 

 

 空笑いを零すキリト達に、ユイは「流石はパパ達です」と嬉しいことを言うものだから悪ノリしそうになるが、そこでユウキが何かに気がつき、焦りを感じている必死な形相で訊ねた。

 

 

「ゆ、ユイちゃんは大丈夫なの!? だってコンソールに触れたり、ボスモンスターを自害させちゃったりしたんでしょ!? カーディナルに目をつけられたりしてないの!?」

 

 

 それを聞いたキリト達が今更気がついたようにユイに飛びつくと、特にキリトとアスナがかなり心配げになっていた。アーカーも顔には出していないが、かなり心配そうな内心が見て取れるほどになっている。皆が心配した理由は、ユイもまたエラーを抱えた存在であり、本来ならカーディナルが何か行動を起こしてもおかしくないはずなのだ。今の今まで無視されていたとしても、ここまで来ると無視など出来るはずもない。システム的にもかなり致命的なはずなのだ。

 すると、ユイはあっけらかんと答えた。

 

 

「何も問題ないですよ?」

 

 

「「「「………へ?」」」」

 

 

「先程説明した通り、カーディナルはエラー箇所を削除する機能を失っています。そのため、わたしがエラーの塊であろうとも削除することが最早叶いません。加えて、破損していた言語機能に関しては、まだ復旧が可能だったお蔭か完全に修復されています」

 

 

「……なあ、ユイ。それってつまり………」

 

 

 おいおいマジかお前……とアーカーはそう思いながら恐る恐る訊ねる。今し方彼が想像したのは、かなり恐ろしいことだ。何せ推測通りの展開が齎されるならば、ユイはカーディナルの現状を利用したことになる。かつて散々利用された意趣返しとばかりに、彼女は末恐ろしいことを成そうとしているように感じられたのだ。

 

 

 

 

 

「はい! これからもずっと一緒ですよ、パパ、ママ、にぃに、ねぇね!」

 

 

 

 

 

 その一言に、アーカーを除く三人がユイに向かって飛び込んだ。まるでそれは感極まって泣き出してしまいそうな子どものように、嬉しさのあまりの行動であった。アスナやユウキはもちろんのこと、キリトですら男泣きをしている。暗い話をたくさん聞いた代償だろう。特にキリトとアスナは、出会った頃の不安定なユイを知っている。見ているだけで胸が張り裂けそうなほど可哀想に思ったほどなのだ。そんな子が「これからもずっと一緒ですよ」なんて言ったのだから、親冥利、姉妹冥利に尽きるだろう。三人を微笑ましそうに見ているアーカーも、あとでハグぐらいはさせてもらっても罰は当たらないだろうと考えていた。

 

 

「とはいえ、実は問題もあって………」

 

 

 ———と、急に〝問題がある〟と言われた一同は過剰反応を起こし、特にキリトに至っては「まだ娘に何かしようとしているのか、カーディナルゥッ!」などと咆哮している。ツッコミ役不在の恐怖がそこにあった。

 

 

「それは、このゲームがクリアされた後のことです。わたしを構成するプログラムは当然この世界のシステムに存在します。そのため、このままだとゲームクリアと同時、或いはその後で纏めて削除される恐れもあります」

 

 

「………そんな……………」

 

 

「……確かに、人が死んじゃうゲームなんて残しておきたくないもんね………」

 

 

 悲壮な声を上げるアスナに対し、何とか冷静に理由を察するユウキがその可能性を認める。危険物を放置してあげるほど、人間は寛大ではない。危険性があるのならば、容赦なく排除しようとするのが十八番の種族なのだ。利用価値があるならともかく、世間的には問題となったそれに利用価値などあるはずもない。むしろ利用してましたということが明らかになった場合のデメリットが洒落になっていないのだ。いくら利益や将来性があるとはいえ、無謀なギャンブルに挑むほど奴らは愚かではない。

 

 

「………なあ、アーカー」

 

 

「ん? どうした、キリト。やけにクソ真面目な顔して」

 

 

「さらっと煽られたことは後で話し合うとして———ナーヴギアにはローカルメモリがあるよな?」

 

 

「まあ、そうだな。それも結構大きめの。元がヘッドギアタイプだからな。重量のうち三割がバッテリーでも、残りは本体とメモリー………おいコラちょっと待て。お前今何考えてる?」

 

 

「ユイのプログラムをシステムから切り離して俺のナーヴギアのローカルメモリーに、クライアントプログラムの環境データの一部として保存できたりしないかな……ってさ」

 

 

 瞬間、辺り一帯が静まり返った。恐らくここまで込み入った話はユウキどころかアスナにも理解し切れないだろう。当然ユウキ第一で動き続けてきたアーカーも全てを理解できる訳ではない。

 しかし、ある程度電子機器についての操作などの知識があったせいか、彼が何を企んでいるのかは大方予想できていた。これにはユイすらもポカーンと口を開けたまま唖然としているが、それから数秒など時間をかけて意識を回復させると小さく呟いた。

 

 

(……可能です)

 

 

「……ユイちゃん、今なんて………?」

 

 

「……()()()()! 正常な状態のカーディナルならともかく、今のカーディナルからならわたしをシステムから安全に切り離すことができると思います!」

 

 

 ユイ自身驚きを隠せないながらも、元気よく笑顔でそう告げる。理論上の作戦だったそれが、安全にとまで言い切られた成功率の高い可能性に満ちた作戦であると保証され、キリトが思わずガッツポーズを取った。二人がどういう会話をしていたかを理解できていないアスナとユウキも、二人の喜び具合から何となく問題がないことを理解し、喜んでいた。アーカーもまたそれは同じ。多少呆れてはいたが、それでも喜ばざるを得なかった。突然そういった無茶を思いつくキリトには脱帽するしかない。同時にとんでもない発想力に恐ろしさすら感じていた。将来コイツは何かしでかすのではないか……と。

 

 

「ユイ! こういうのは呼吸を合わせることが大事だ。俺は死力を尽くしてシステムから切り離して保存するから任せてくれ!」

 

 

「はい、パパ! 何もかも預けちゃいます!」

 

 

「頑張って、キリト君!」

 

 

「頑張れ、キリトー!」

 

 

「………ま、こういう馬鹿が一人くらいいるのも悪くないな。見ていて()()()()

 

 

 

 

 

 人生にすら退屈していた少年は我知らず呟いた言葉に気付くことなく、〝無謀〟〝無茶〟〝無軌道〟の三拍子揃った悪友の応援に加わった。その表情を隣で見たユウキはそっと微笑んで応援に気合を入れる。

 

 

 

 

 

 西暦2024年 11月1日

 その日、彼らは初めてシステムをまんまと出し抜いた————

 

 

 

 

 

 自壊する神様 —完—

 

 

 

 

 






 ユイとの暮らしが保証されたキリトとアスナ。

 そんな二人を見て羨ましそうな顔をするユウキに、

 漸くアーカーは動き出す。

 コルは持ったか? 素材は大丈夫か? 場所と時間は確認したか?

 それでは、行かん! いざ尋常に……ッ!

 次回 未来を誓い合って

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