ソードアート・オンライン —Raison d’être— 作:天狼レイン
長らくお待たせしました。二十八話です。
ひたすらTwitterの方で謝罪してましたね。本当に時間かかりました。今回も二万弱ほどの長めです。前半はシリアス展開、後半は微笑ましい展開となっています。ぶっちゃけた話、伏線とか筋書き正しいかと確認しなくても良い人は後半だけ読んだ方がスッキリするかもしれませんね。
西暦2024年 11月3日
シンカーの救出、及びユイの記憶が戻った日から二日が経った。衝撃的な真実が明らかになったことや、真にユイがキリトとアスナの娘となったこともあり、本来の予定と変わって一日開けることとなったが、アーカーは〝とある相談〟のためにキリト宅を訪れることとした。向かうことは前日に伝えていることもあり、向こうもこちらが訪れることを把握している。
アーカー共々攻略を暫く休むつもりだったため、ユウキは当然自宅にいる。そんな彼女を放っておける訳もない彼は、アスナに相手をしてやってほしいとお願いした。ちょうどアスナもまた、ユウキに用があったらしく二つ返事で引き受けて貰えたのが幸いだった。恐らく、彼女と一緒にユイも向かうだろうし、恐らく変に怪しまれることはないだろう。
そう思い、彼の家にアーカーは赴いた。道中でアスナと
歩いて十数分のところにあるキリト宅に訪れるのは、これで三度目になる。一度目はクラディールに襲われたことへの謝罪と二人の結婚を知った時。二度目は初めてユイと出会った時だ。今思い返してみると、向かう度に何か驚かされるイベントがあることが分かる。もしかしたら今回も……と思ってしまっても不可抗力だと思いたい。恐らく今向こうにいるのはキリトだけだろう。果たしてどんなイベントを引き起こしてくれるのやら……。
「………つーか、あれだ。相談相手他にもいたんじゃねぇかって今更思ってきちまった」
〝プロポーズをするなら、何処の階層がオススメなんだ?〟
アーカーがキリトに相談しにいく理由はこれだった。先に言っておくが、どう考えてもミスチョイスである。信頼できる友人が少ないアーカーは、数少ない友人の中で唯一の既婚者である彼を相談相手と定めたのだが、今になって考えると間違いだ。確かに彼は色々と詳しい部類である。とはいえ、それは〝一般的なプレイヤーと比べて〟である。ベータテストで養った知識は序盤までであり、それ以降はアルゴ以下情報屋達の方が上。そもそも、プロポーズに最適なスポットを訪ねる時点で、まず〝何故野郎に聞いているのか〟という問題がある。こういうのは、プロポーズされて嬉しいと思える場所を分かっている女性プレイヤー————延いてはアスナにこそ聞くべきであった。この時点で間違え過ぎていることが明らかだ。そんなことを今更になって気付いたアーカーが後悔するようにボヤいているが時既に遅い。
「…………ま、いいか。当たれば儲けものと考えるしかねぇか」
あとでアスナやシリカ、リズベッド、変な勘繰りをされるためあまり聞きにいきたくないが、アルゴにも聞きにいくとしようと決めるとアーカーは歩き出した。途中で重くなった足取りは元に戻り、着いたら着いたでちょっとした愚痴り合いでもしようと余計なことも考える。愛する者を持つが故の悩みは、持つ者にしか分からないだろう———揃いも揃って愛する者の尻に敷かれている二人らしいが。
十数分ほど下らないことを考えながら歩くと、件のキリト宅に到着する。中にいるのは恐らく彼だけだろうと思いながら、気軽にノックしてその場に待つ。少しほど経って玄関の扉を開けたのは———一人の小さな少女。数日ほど一緒にいたせいか見慣れた白いワンピースでその身を包んだ、キリトとアスナの娘———ユイ。てっきりアスナと一緒にユウキの元を訪れているだろうと思っていた少女が迎えてくれていた。
「いらっしゃいです、にぃに」
「おう。キリトの奴は?」
「パパは少し前にクラインさんとエギルさんに呼び出されちゃいました。もう暫くで戻ってくると思います」
「なるほどな。ったく、急用以外で呼び出しやがってたなら、あとであの大人共ぶっ飛ばしてやる……」
「あはは………ほどほどにしてあげてくださいね?」
「……ユイがそういうなら考えてやる」
外で待たせてしまうのも申し訳ないので中へどうぞ、とユイに案内され、アーカーは室内に入る。今回で三度目となる訪問ではあるが、それなりに内部を覚えており、勝手に動くこともできたが、そういうプライバシーの欠片もない行動を取る訳にもいかない。大人しく、元気に案内してくれるユイに続くようにその後を追うことにする。
案内されたのはリビング。三人ほど座っても問題なさそうな大きめのソファーに腰掛けると、ユイがその隣に座った。ニコニコと、こちらに笑顔を見せる姿には、何処と無くユウキと似た無邪気さを感じさせる。実際見た目的に見れば、このデスゲーム開始時は齢12だった彼女とそう変わらないだろう。中身は………と思ったところで、何となく悲しくなったアーカーはそこで思考を止めることにした。別にユウキが可哀想に思ったからではない———断じて。
(それにしても………)
ちらりとユイを見る。今こうして彼女が存在できているのは、ハッキリ言って奇跡だろう。現在彼女を構成するプログラムはカーディナルから切除されており、キリトのナーヴギアにある。恐らく切り離されたことをカーディナルは察知しているはずだが、排斥に至る行動を何ら起こしていない。それも彼女がエラーの塊として削除されずに済んだ理由なのだろうが、そう考えると冷静にそこまで判断し切ったユイの肝が座り過ぎていることや、カーディナルから切り離してみせたキリトの技量は恐るべきものだ。確実に将来的に化けるであろう者達と悪友、並びに義理の妹という関係を築けているのはなかなかに幸運なのだろう。そういう面からしても、現実世界で生きていた頃に比べて〝生きている〟という実感が湧いていた。
ふとそんなことを考えながらも、ただ見つめているだけでは怪し過ぎるため、ユイの頭をユウキと同様に優しく撫でていると、小さな少女は何か思い出したように口にした。
「そういえば………にぃに。わたしににぃにの剣を見せてくれませんか?」
「ん? 俺の剣? あの古びた長剣のことか?」
「はい。実は以前見かけた時から気になっていることがあって……」
「ふむ………?」
何処か陰のある表情を見せるユイに、アーカーは何か気になりながらも己が得物を装備メニューからオブジェクト化し、手前のテーブルに置いた。キリトの持つ《エリュシデータ》と比べて軽い長剣は、重量的には、アスナの《ランベントライト》とそう変わらないだろうと思う。本当に片手用直剣かと疑うほどの見た目と重量なのだ。キリトの得物も飾りっ気のないシンプルなものだが、アーカーのそれは飾りっ気どころではない。古びている。かつて血に塗れた刃は血糊は無くなっても何処か怪しげに輝くも、腹の部分や柄はボロボロだ。これで耐久値的には問題ないどころか、最前線で使われるそこらの武器よりも高いのだから不思議なものだろう。そういう意味ではユイが気になってもおかしくないが、彼女が考えているのはそれとは違うものだった。
テーブルに置かれた古びた長剣にユイは手を翳す。まるで呪いをするような雰囲気が場を支配すると同時に、不思議な記述がされたウィンドウが急激に展開され始める。その勢いはフロアボス攻略で集められた情報が開示される時よりも膨大だ。細かいパラメータや使用回数、普段なら鍛冶屋ですら知ることができない情報などもウィンドウに浮かんでいるのが見えた。可視化を許可しているのは、それがアーカーの武器だからなのだろう。周囲にプレイヤーが一人でもいれば、彼女だけが見れるように設定していたかもしれない。実際プレイヤーには見えるはずもない情報なのだから、むしろ見られる方が稀有かもしれないが。
暫くの間、真剣な面持ちで調べを進めているユイが、突然手を止めてこちらを見る。そこには心配そうな表情が浮かんでおり、叶うことなら嘘であってほしいと言わんばかりの不安さが伝わってきた。
「………にぃに、この武器はいつ手に入りましたか?」
「ユウキと一度喧嘩してからだな。………二十六層が解放された翌日だ」
「………それからずっと使ってますか?」
「ああ、ずっとだ」
「………そう、ですか」
落胆するように呟いたユイに、流石のアーカーもどういうことか分からず終いで首を傾げていると、少女は突然手元にホロキーボードを展開し、恐るべき速度で入力を開始した。その速度はカーディナルからユイを切り離そうと頑張っていたキリト以上だが、そんなことより^もアーカーは気になったことがあった。それは何故ユイがホロキーボードを展開したのかということだ。この世界のシステムとの親和性を持つ彼女は単純に物を調べることですらホロキーボードなど必要ではない。それがいくらシステムから切り離されようとも、プログラムに書き換えることは無理でもアクセスすることぐらいは可能なはずだ。そんな彼女がキーボードを使ってまで何かをしようとしている。それが不思議でならなかったのだ。
暫くの間、何かと格闘するようにホロキーボードを無言で叩き続けていたユイだったが、突然ホロキーボードどころか古びた長剣までもが青白く発光し、彼女が拒まれるように弾き飛ばされた。突然のことに驚いたが、すかさず宙に浮かんだその身体を大慌てで《天駆翔》を以て空中で抱きかかえて着地する。
「大丈夫か、ユイ!?」
突然弾き飛ばされるなど、そうあることではない。見覚えのない発光をしたライトエフェクトと、弾き飛ばされるという現象に疑問ばかりが浮かんだが、とにかくユイに何か起こっていたりしないかを確認するのが先だった。いつぞやのように全身にラグが起きていたりしないかなど何度も見渡したが異変は一つとしてない。一つ変わったことがあるとすれば、憔悴していることだった。抱きかかえられた少女は面目なさそうに呟いた。
「………ごめんなさい。あの剣と
カーディナル。その名を聞いて、アーカーは耳を疑った。二日前にも衝撃の真実を知ったばかりであり、その際にも登場したこの世界のシステムの名前であるそれが、またどうして出てきたのだろうか。確かにこの世界に存在する武器は全て奴との繋がりがあるのは明白だが………
「何故断とうとしたのか、教えてもらえるか?」
理由を知らなければ分かるものも分からない。システムと繋がっていたユイはともかく、アーカーはプレイヤー。推理する情報が足りない。そう思い、ユイにアーカーは訊ねると、少女はこくりと頷く。抱きかかえたままなのもどうかと思った彼は憔悴した様子がまだ残っているユイをソファーへ横に寝かせた。
「まず初めに、にぃにの持っていたあの剣は
「………手に入るはずがないもの、か。それは《マクアフィテル》と同様にクエスト報酬としてもか?」
「……はい。入手履歴を確認した際、それがにぃにの手に渡ったのは二十六層解放後の翌日、それも
「昼前………」
そこまで言って、アーカーは該当する出来事を思い出した。その時間帯はちょうどユウキと喧嘩をした後だ。気晴らしにモンスターを狩りに行こうと自棄になって動き出した時間帯に間違いない。その際、アイテムストレージを確認して———偶然あれを見つけたのだ。つまり、あれは二十五層で何かしらの条件を満たして手に入れた訳ではなく、喧嘩した直後に手に入ったものということになる。ユイの口からカーディナルの暴走などを聞いていたせいか、タイミングに悪意しか感じない。一層の一件からずっと機会を窺っていたのだと思えば、吐き気がするほどの嫌がらせだろう。
「………カーディナルの嫌がらせか。それで、他に何か奴との繋がりがあるのか?」
「………出来ることなら言いたくはないのですが」
そう言うと、ユイはそばに控えていたアーカーの手をしっかりと小さな手で握る。それは勇気を貰うためだろうか。或いは、以前のように自分を責めないでという彼への暗示だろうか。真相は分かりかねるが、しかし、次に耳朶を震わせた一言には唖然となる。
「その
言い放たれた言葉にアーカーは少しの間言葉を失った後、冷静さを取り戻してから再度訊ねた。
「………カーディナルの仕業か?」
「………はい。以前カーディナルがエラーそのものを組み込んだことをお話ししましたね? あれから少し不思議に思っていたんです。何故カーディナルは
ユイの推測通りならば、カーディナルはあれから五ヶ月と少しの間エラーに汚染され続けていたはずだ。如何に強固で自律が可能なシステムであろうとも、エラーによって壊された部位を訂正し続けるだけでは保つことは困難。削除するという機能を最初に壊された影響で汚染の勢いは早まるばかりのはずだった。それが今もこうして世界を保っているのは不思議でしかない。
「恐らくですが、カーディナルは、パパがわたしをシステムから切り離して移し替えたように、自身の中で蔓延し始めた致命的なエラーをにぃにの武器に
仮説でしかありませんが……と申し訳なさそうにいうユイを励ましながら、アーカーは今の仮説を聞いて納得する。エラーの塊と称された理由が〝転送され続けた無数のエラーで蓄積されているから〟というのなら納得だって出来よう。すでにカーディナルが狂い始めていることを知っているからこそ得られた納得でしかないが、嘘を見抜けるアーカーには今の言葉を聞いて嘘とは思えなかった。
「なあ、ユイ。この武器のアイテム名がずっとバグったままなのはどうしてなんだ? それもエラーか?」
「………それは、分かりません。先程詳細データを細かく表示し確認していましたが、それだけは分かりませんでした。カーディナルが
明らかにカーディナルが良からぬことを企んでいるのではないかと考えさせる一言だったが、それがどうした訳かアーカーには
「————に! にぃに! 大丈夫ですか、にぃに!」
意識が———覚醒する。
「………ぁ………………悪い、少しボーッとしてたみたいだ」
不意に途切れていた意識をしっかりさせるためにアーカーは左右に頭を軽く振って、呼びかけていたユイの視線を向ける。心配そうに小刻みに揺れる黒い瞳に自分の容姿が映る。何も変わっていない。
「………本当に大丈夫ですか?
「あー………もしかしたらまだ眠気が抜け切ってないのかもな。心配かけたな、ユイ」
「そうでしたか……。それなら良かったです。急な呼びかけても返事が返ってこなかったので心配になっちゃいました。にぃにには、ねぇねがいるんですから、心配かけちゃダメですよ?」
「ああ、そうだな。気をつけないとまた怒られちまうな」
クツクツと笑い、拗ねられると困るとボヤいたアーカーにユイはニコニコと笑う。場に流れていた雰囲気は先程とは違い、暖かなものへと変わる。重要な事柄に対する真剣さはすでに失われ、そこにあったのは兄妹が作り出す優しい空間だ。ユイは自分の頭に乗せられたアーカーの左手を自分の胸の前に移動させ、小さな両手でぎゅっと握る。まるで甘えるような行動に、思わず彼も懐かしい感慨に耽けた。そういえば、アイツは———
「ただいま、ユイ」
それを耳にしたユイが、声の主がパパ———キリトだと気付き、駆け出すように玄関の方へと向かっていく。残されたアーカーもクラインとエギルに呼び出された先で何をしていたのか気になったために出迎えに向かった。
一時的に誰もいなくなったリビング。先程までアーカーとユイが座っていたソファーの手前にあるテーブルの上。そこにあった古びた長剣が、少しばかり青白く輝いた。長剣そのものを青白い光が包み込む。ほんの僅かな出来事だ。怪しく輝いていた刃もボロボロだった腹や柄も、光が消える頃にはその姿を変えていた。
白銀に煌めく細身の刀身。鈍い輝きを放つ灰色の持ち手。柄には小さく狼の意匠が施されている。古びていたという事実は影すらなく、怪しげな妖刀紛いの輝きは失せ、全てを照らし切ってしまうような輝きを持っていた。そこに邪悪さは一切なく、しかし、何処か身を焼き尽くしてしまうような無自覚の悪意が感じられた。
完全に姿を変えてしまった長剣は、続けて溶けるようにその場から消滅した。耐久度が無くなり消滅した訳でも転移した訳でもない。アーカーのストレージへと
それから少しだけ経って、リビングにキリトとユイ、アーカーが戻ってくる。家主の少年は何やら呼び出された理由がくだらないことだったと愚痴っている。それを聞いた客人の少年が後でアイツらぶっ飛ばしてやろうかと何やら怖いことを呟いている中、ただ一人、ユイだけが違和感を覚えていた。ちらりとテーブルの方を見る。自分の記憶を頼りに景色を照合し、小首を傾げた。
「………あれ? にぃにの剣はいったい何処へ…………」
———*———*———
その夜。
アーカーとユウキは四十七層主街区《フローリア》に訪れていた。《フラワーガーデン》と謳われるこの階層は、屈指のデートスポットとしても知られており、フロア全体が無数の花々で溢れ返っているという珍しい場所でもある。北側には《巨大花の森》という、名前を聞いただけでも何となく一層の《ペネント》共を思い出してしまうような有様だが、南側には《思い出の丘》という、ビーストテイマーにはちょっとした縁があるフィールドダンジョンが広がっている。勿論、訪れることがない方がいいという面もある訳だが。
二人が訪れたのは決して後者の二つではない。どちらもビーストテイマーではなく、第一夜中にわざわざ巨大な花系モンスターを狩りたいなどと思う物好きではない。訪れた理由は前者、つまるところ、デートスポットとして使うべく来たのである。勿論、他の階層にもデートスポットとして扱えるものはいくつかあるのだが、どうしてここに来たのかと選んだのかと言うと、アーカーが数少ないフレンドを頼りにデートスポットとしてオススメされた階層を集計した結果、大多数がここを薦めたのである。その中でも、強く押してきたのがシリカであり、曰く「ユウキさんもきっと気にいるはずです! 絶対ここがいいと思います!」とのこと。ズイズイと詰め寄ってきた彼女の剣幕には、さしもの《絶天》のアーカーも即座に「また何かフラグ建ててやがったのか、キリト……」とボヤかずにはいられないほどだった。
他にもアスナやユイ、リズベッドといった顔触れが薦めていたりしたため、いざ決心して訪れたのだが………
「お、おい……! あれってまさか………」
「攻略組の《絶剣》のユウキちゃんじゃねぇか!」
「ということは、隣の人は………」
「《絶天》のアーカー様よー! きゃー」
「二人だけで攻略組を引っ張る三大勢力の一つだって!」
「二人揃って百人斬り達成してるんだろ!? スゲェな!」
………と予想通りの展開が起きていた。攻略組は基本的に全員名が知られている者達ばかりだが、その中でも《血盟騎士団》、《聖竜連合》、《絶対双刃》の知名度は飛び抜けている。具体的に有名な名前を挙げてしまえば、《聖騎士》ヒースクリフ、《閃光》のアスナ、《絶天》のアーカー、《絶剣》のユウキ、《黒の剣士》キリトは知名度や実力においても五強である。約一名悪名として知られている者がいるのだが、それは本人の心に響くので割愛するとして———
「なあ、ユウキ。ここやめて他の階層に移動したらダメか? 落ちつかねぇんだが………」
「…………ぅ……………ぁ…………………」
面倒臭いとばかりに半目で周りを見渡すアーカーと、頭からぷしゅーっと湯気を立てて顔を真っ赤にして下を見つめるばかりのユウキを一目見ようとある程度距離を取ったところで、ちょうどこの階層を訪れていた者達による包囲網のようなものが出来上がっていた。人気者は得をすると言う奴が昔いたらしいが、いざ体験するとそんなことはない。むしろ損をする。現に今、少なくとも彼は損を実感していた。何処へ行くにしてもこうやって変なファンや知名人を眺める群衆がいると、当人は落ち着かないものだ。人気者は辛いよと言う方がむしろ適していた。成りたくてそう成ったのではないのが余計に辛い。
そんなことを考えているアーカーとは裏腹に、ユウキは未だ顔を真っ赤にしていた。どうしてこうなったのかはここに訪れる前の出来事が原因である。
朝から長い時間、アスナと二人っきりで過ごしていたユウキは、その夜に晩御飯を食べ、お風呂にも入り、いざ明日の準備をしようとしたところに、アーカーが唐突に「今からデートにでも行くか」と言ったのである。当然ユウキは気が動転した。ぽかーんと口を開けたまま暫く固まり、いざ言葉の意味を飲み込めたら飲み込めたでひっくり返りそうになった。何せ今まで何処かへ出掛ける時は攻略か遊びに行くかと誘われていたのだ。それは現実でも似たようなものだった。むしろ、今回のようにド直球でデートに行くかと誘われたことは一切なかったのである。
この世界に来るまで、アーカーとの関係が親友、及び悪友であったことや、今まで女の子らしさがそんなに無かったこともあり、慣れないユウキはその一言で思考回路がショートしてしまっていた。攻略時に着込む装備に着替え、ぎこちない動作で出掛ける準備をし、いざ《フローリア》を訪れても恥ずかしさは消えていない。下を向き続けているのも、真っ赤な顔を見せないためである。よく食べ、元気な声を出すはずの口から洩れているのは譫言のような小さな声であり、最早言葉にすらなっていなかった。
参ったなと他のデートスポットは無いかとオススメされた場所を再度確認するアーカーだったが、一向に返事がないユウキに気がついたのか念のために声をかける。
「おーい、ユウキ? どうかしたのか?」
「………ぅ…………ぁ……………」
「おーい。大丈夫か?」
「————ひゃいっ! らいひょうふ! らいひょうふだよ、ソラ!」
「ホントに大丈夫かお前。呂律回ってねぇようにしか聞こえねぇんだが………」
この世界に酒系アイテムはあっても飲ませたりしてないしなぁ……と晩御飯に使ったアイテムを思い返すアーカーの様子に、ユウキは漸くいつもの調子を取り戻し始めた。正確には取り戻さざるを得なかったのだ。いくら気が動転していたとしても、今し方までの彼の言葉は何となく聞こえていたし、その様子からでも考えていることは察することができる。昔からだが、アーカーは人付き合いが得意な方ではない。寡黙でクールな奴と思われていた小学校時代だったが、実際のところは他人に興味が全くないという有様だっただけである。結果として彼は人混みが苦手だ。教育機関で勉学に励むことすらまるで向いていない。今こうしている時にも出来ることなら離れたいとすら思っているだろう。それをユウキは知っている。知っているが……
「ん?」
アーカーがコートの袖をユウキが掴んだことに気がついて不思議そうな顔をする。ちらりとそちらに視線を向けると「どうかしたか?」と訊ねた。声をかけられて、再び恥ずかしさが込み上げてくるが、ユウキは勇気を出して呟いた。
「………ボクは、ソラと………ここでデート…………したいな………えっと………ダメ、かな……?」
その行為は無意識だったユウキだが、それは偶然にも上目遣いに恥ずかしさに揺れる瞳のコンボとして成立し、アーカーに炸裂した。勿論、外的ダメージはない。内的ダメージもないが、ある意味それは魅了のようなものであった。無意識で放たれたそれを正面から受けた彼は少しばかり顔を背けた後、ちょっとだけ赤くなった顔をユウキへと向け直すと、仕方ないと言わんばかりに呟いた。
「………仕方ねぇな。デートに誘っておいて悪いが、俺はお前が喜ぶような場所をそう知らない。……だから案内は不向きだ。最後くらいは案内してやれるが、それまではお前に任せる………それでもいいか?」
嘘偽りなくそう呟くアーカーに少しばかりユウキは小首を傾げた。よく考えてみればそうだ。彼はキリトほどではないが鈍い。積極的にそういうスポットを調べるのが得意ではない。今日朝から時間をかけて出掛けていたことを〝予定があるから〟と伝えられていたため彼女もまた知っていたが、何故そうしていたのかはアスナに出会ってから漸く理解できたことだ。デートスポットにここを選んだのも、その不器用な少年が、わざわざみんなに聞き回って頑張った結果だと知っている。だからこそ、ユウキは勇気を出して願ったのだ。
不意に面白可笑しくなった。込み上げた小さな笑いを我慢できずに声が出てしまう。アーカーは一体どうしたのだろうかと不思議そうにしていたが、次第に不機嫌そうな顔に変わってムスッとし始めた。言うまでもなく拗ねている。ずっと一緒にいたから分かるような小さな変化と対応だ。そのまま放っておくとへそを曲げてしまうことも知っている。だから、ユウキは恥ずかしさなんてそっちのけにして———
「ふっふ〜ん! 任せてソラ! ボクがこの階層を案内してあげるから!」
———いつもの自分らしさで接してあげようと考えたのだ。
胸を張って元気よく自信満々に。でも、ちょっぴり空回り気味に。そうやってユウキは恥ずかしさに屈することなく、拗ね始めたアーカーに宣言した。すると、不思議なことに彼もまた面白可笑しくなったのかクツクツと笑い始めると、恥ずかしさなんて何処かに行ってしまったように、いつもの様子で揶揄うように答えた。
「おう。任せたぜ、ユウキ。
つってもお前、ちょっとその辺りの感性怪しくないか?」
「むぅー……それってボクが女の子っぽくないって言ってるよね? ソラってそういうとこ失礼だなぁ、も〜」
ぷくーっと頰を膨らませて拗ねるユウキに、アーカーは苦笑気味に「悪い悪い」と謝る。いつもの調子に戻った二人の様子は、この《フローリア》に合っているようで合っていなかったが、むしろ彼ららしいものであった。周りで見ていた者達も何処か微笑ましそうな目を向けている。まるで保護者のようだ。当然そんな彼らの目線にアーカーは気付いている。
(いつもなら問答無用でぶっ飛ばしてやりたいモンだが………)
ちらりとユウキに目を向ける。まだ少しばかり拗ねた様子はあるが、頭頂部のアホ毛は元気よくブンブンと振られており、ご機嫌であることが窺える。その様子は、犬がつーんと飼い主に素っ気ない態度を取っているが、本当は嬉しそうにしている時のそれと酷似していた。
(………ま、別にいいか)
面白いものが見れたのだからそのぐらい許容してやっても構わないだろうと考えて、アーカーはユウキの手を優しく握る。突然握られたことでびっくりした様子を見せる少女に、悪戯が成功したことを喜ぶ少年のような笑みを浮かべながら言う。
「さっさと行くぞ。夜更かしする訳じゃねぇんだから、時間は有限だ。遊べる夜は短いんだからな」
「そうだね。それじゃあ、張り切っていこー!」
デートとは何だったのか。最早そんなことをアーカーとユウキは考えなかった。ただ楽しめればそれでいい。昔のようにただ無邪気に遊ぶような気持ちで二人はゲート前広場を後にした。
向かったのは、少なくともアーカーが最後に訪れた時には見なかった一般プレイヤーが個人的に開いている出店が並ぶストリートだった。花々が咲き乱れる通りを少し場違いな美味しい食べ物の匂いが広がっている。本来なら純粋に花々を楽しみにきた者達に文句を言われそうなものだが、彼らも考えているのかそういう出店はあくまでも主街区の端の方に集まっており、風が吹かない限りは匂いが一定以上拡散しないようになっていた。
「ボクがオススメするのは、ここ! カップル御用達の出店が並ぶストリートだよ! なんでも二人で一緒に食べられるものが多いんだ〜!」
「へぇ、こんな集まりが出来てたのか。人が多いって理由で避けてたモンだから全く知らなかったな」
「ねぇねぇソラ! 早速何か食べようよ!」
「分かった分かった。押すな押すな」
少し前に晩御飯食べただろお前……ともう少しで言いかけたものの何とか喉元で防ぎ切ったアーカーは、急かすユウキに背中を押されながら近くの出店に近づいた。NPCではなくプレイヤーによる出店のため、当然ながら彼らは商売人だ。駆け引きが大事である。その辺りはエギルのお蔭———いや、彼のせいでいつの間にか身についた交渉術でどうにかしてやろうと考えながら、いざ出店のメニューを見てみる。すると、そこにはユウキが言っていたようにカップルで食べることが前提と思われるアイテム名が並んでいた。中でも目を引いたのが《カップルパフェ》と題されたである。具体的にどういうものなのかはいざ出てこないと分かりそうにないが、取り敢えずは味に色んな種類があることだけは分かった。やや不安が残るが………
「ユウキ、パフェでも食うか?」
「うん、食べる!」
「味は………まあ、無難に一番シンプルな奴でいいか? 下手に凝ったもの選ぶと後が怖い」
「あはは………うん、一番シンプルなものでいいよ」
確認が取れると、アーカーはユウキの手を握りながら件の出店の前に立った。店員である女性プレイヤーがこちらに気付き、早速声をかけてくる。
「何かご注文なされますか?」
「《カップルパフェ》を一つ。一番シンプルな奴を」
「かしこまりました! 暫らくお待ちくださいね」
何処かNPCとの受け答えのように感じたが、ニコリとこちらにしっかりと笑顔を見せつつも何やら微笑ましそうな顔をする辺り、やはりプレイヤーだということを実感させる。とはいえ、キズメルという例外じみたNPCやユイのようなAIを知っているせいか、なかなか侮れないものではあるが。
そんなことを少しばかり考えていると、あっという間にパフェが作り上げられていた。大きさは二人分のパフェを一つに纏めたようなもので、かけられたシロップのようなものは、イチゴのような色合いを持っており、尚且つ何やら花のような匂いが漂っている。何となくだが、この階層で採取できる花々を使ったものではないかと思えた。手渡されたそれを受け取り、代金を支払う。何やらユウキが「ボクも半分払うよ?」と言っていたが、アーカーは「誘ったのは俺だから気にするな」と返してその場を離れる。混んでいた訳ではない。どういうわけか店員の女性プレイヤーは悪どい笑みを浮かべていたのが目に入ったからだ。
嫌な予感を覚えながらも、買ったばかりのパフェを落としたりしないように運びながら、アーカーとユウキは少し離れたところにあるベンチに腰掛けた。周りも似たようにカップルが何かを食べさせあったりしているのが目に入る。それがパフェであったり、アイスであったり、クレープであったりと様々だが皆一同だ。デスゲームと化したこの世界でも、こうやって好きな相手を信用していられる者達がまだたくさんいることには安堵を覚えていた。
「さて、食うか……と思ったが、なるほどそういう訳か」
いくら《カップルパフェ》と言えど、パフェという物自体が一人一つの勝負みたいなものだ。一つを二人で分け合うのなら、当然スプーンは二つあって然るべきである。しかし、二つ用意されるはずのそれが一つのみ用意されていなかった。恐らく店員が瞬時に判断してスプーンの数を調整しているのだろう。妙に納得したような顔をするアーカーに、小首を傾げたユウキが暫くパフェを見つめた後、漸くそれに気がつくとまたも顔を真っ赤に染めていた。
「……ぅ………これって、その………一つのスプーンで仲良く食べる、ってこと………だよね…………?」
「だろうな。間接キス上等な代物ってことだろうな。だから悪どい顔してやがったのか、あの店員」
恥ずかしさそっちのけにしていたユウキは思い出したかのように顔を真っ赤にしたまま、また譫言のように変な声を洩らしている。自信満々な様子で宣言してみせた少女は何処へやら。未だに恋人らしいことに慣れてない様子の彼女にアーカーは一つだけしかないスプーンを手に持つと、早速パフェのクリームを掬うと口に放り込んだ。思い切りの良い彼の行動に、恥ずかしさが少し薄れたユウキがじーっと見つめ、味の感想を待ってみる。自分が作った訳ではないのにも関わらず、何やら心配そうな顔が見て取れる中で、少年は急に首を傾げた。
「ん? 味がしないぞ、これ」
「え?」
味がしないと言うアーカーにユウキはそんなはずがないと思いながらスプーンを受け取ると、間接キスがどうこうなどと気にすることなく掬ったクリームを口に放り込んでみる。すると、確かに味がしなかった。感触はあるが、味がない。不思議すぎる違和感に小首を傾げ、アーカーの方に振り向く。
「味がしないね、ソラ」
「ンなことが起きるのか? まさかカーディナルのエラーとかじゃねぇだろうし……」
どういうことだと考えながら、店員に訊ねる前に自分達で理由がわからないかと考えて、一度それをアイテムストレージに戻す。それからアイテムの詳細文が書かれたウィンドウを開いて確認してみると、そこには確かに詳細文とその下に食べ方について記載されていた。二人は揃って目を通してみる。
すると、そこには一つの絶対条件が記載されていて〝用意されたスプーンで必ず食べさせ合うこと〟とあった。注意書きには条件以外の方法で食べると味が無くなるという無茶苦茶なことが書いてあり、それには流石のアーカーも呆れていた。
「ンな馬鹿な……。どんなスキル使ったら、そんなモンが出来上がるんだよ……」
「食べさせ合う……って、ええっ!? そ、それって………〝あ〜ん〟ってことだよ、ね……?」
「……しかないだろうなぁ。スプーンだけに留まらず、これも狙いか店員テメェ……」
《料理》スキルを
「……ほら、あーんしろ。食わせてやるから」
「あ、うんっ…………あ〜ん」
恐る恐る口を開けるユウキにアーカーはスプーンで掬ったそれを放り込む。先程と違い、ルールに則った食べ方をしたことでクリームとイチゴらしき果物の甘い味がしっかりと感じられるようになり、少女は美味しそうに味わっていた。
「美味しいか?」
「うんっ!」
「そうかそうか。ほら、あーん」
「あ〜ん」
続けて二度、三度とアーカーは掬ったスプーンをユウキの口の中へと入れてやる。スプーンで食べさせ合うために手間はかかるものの、味はそれなりに美味しいのか満足そうにしているのが分かる。それから親鳥が子鳥に餌を与えるようにも見える光景を暫く続けると、パフェが残り僅かとなった辺りでユウキが何かを思い出したのか、じーっとこちらを見ていた。
「……ねぇ、ソラ」
「ん?」
「ボク、さっきから食べさせて貰ってばっかだよね?」
「まぁ、それは確かにそうだが……」
「………ボクもソラに食べさせてあげたいな」
恥ずかしがりながらもそう言うユウキに、また自力で覚えたのか偶然なのか、或いは誰かに教わったのかと頭痛を覚えながら、アーカーは「………仕方ねぇな」と諦め半分で了承した。「やったー!」と露骨に喜ぶ姿に、そんなに嬉しいものなんだろうかと疑問符を浮かべていたが、早速掬われた一口分が目の前に運ばれたことで余計な思考はシャットアウトした。
「ほら、ソラ。あーん」
「………あーん」
食べさせ合うなんてことを一度も体験したことがなかったアーカーは気恥ずかしさを覚えてつつも、しっかりと口を開ける。素直に従ってくれる少年の姿に変な感慨を覚えるユウキだったが、食べさせ惜しむのもどうかと考えて、一口分が掬われたスプーンを彼の口の中へと入れると、先程と確実に反応が違っているのが見て取れた。しっかりと味わったのか、アーカーが口を開く。
「………確かにちゃんと味が分かるな。それも結構甘い。どんなスキル使ったんだよマジで……」
「アルゴさんなら知ってたりするかな?」
「さて、どうだろうな。情報はなんでもコルになるとは考えてるだろうが……こんな裏技も入ったりするのか……?」
気になるところではあったが、よくよく考えてみると食べさせ合わなければ味がしない不便な料理が出来上がるため、アーカーとユウキは習得したくはないなと諦めをつけて、パフェが無くなるまで食べさせ合うことにした。
それから数分も経たずにパフェを食べ切り、満足そうに笑うユウキ。そんな彼女を見ながら、アーカーは、ふと周りを見渡す。いつの間にか人が減っている。時刻を確認してみると、どうやら二十二時を過ぎていた。流石にそろそろ出歩く時間ではない。夜型のプレイヤーならともかく、夜更かしをする予定を立てていた訳ではない者達は皆早々に戻ったのだろう。実際はしゃいでいたユウキも少しばかり眠たそうにしているが、アーカーには案内したいところが一つ残っていた。
「……さてと。ユウキ、あともう少しだけ付き合ってもらえるか? お前に見せたいものがあってな」
「うん、頑張る……」
目の周りをゴシゴシと擦って眠気を覚まそうと頑張る少女の手を握ると、アーカーは早歩き気味にその場所へと案内を開始した。向かうのは主街区北西のギリギリ《圏外》にある〝とある一帯〟。そこは偶然アルゴが見つけたばかりの場所で、何故見つけたばかりなのかと聞けば、曰く「普通はそんなところにわざわざ行ったりしないからナ」とのこと。特別価格として、最前線の情報と同じくらいのコルを請求されたが、アーカーは仕方がない出費と諦めをつけていた。うとうとしかけているユウキを起こすことには罪悪感があったが、どうしても見せたいのと、どうしても言わないといけないことがあった彼は、罪悪感を後に見られるだろう笑顔のために我慢することにした。
ひたすら北西方向に街を出るため、西門に向かうストリートを通る二人。途中で夜型のプレイヤーや、まだ残っているカップル達に見つかるが、気にしない方針で黙々と歩き続けた。ユウキも眠気に頑張って抗っている。数分ほど歩き続けると、主街区から出てしまった。《圏内》から《圏外》に移り変わったのを見た彼女が、不思議そうな顔でこちらを見ながら訊ねる。
「ボクに案内したい場所って外にあるの……?」
「おう。アルゴから買った情報だから安心してくれていい。もう少しで着くからな」
「そっか。なら、もう少し我慢するね……」
うつらうつらとし始めているユウキに、もう少しの我慢だと言い聞かせてアーカーは情報通りの場所へと向かう。途中で小型のモンスターが湧いたが、
街から出て数分が経ち、漸くアーカーは案内したかった場所へと辿り着いていた。ユウキの意識も落ちかけていたが、辛うじて保たれているのを確認すると、肩を優しく揺すってやる。
「ユウキ、着いたぞ」
「………ぅ……………ぅん…………………」
目元を何度か擦って欠伸を掻きながらも、ユウキは目をしっかりと開いた。
「え…………?」
目に飛び込んできたのは、幻想的な風景だった。まるで御伽噺に出てきそうな摩訶不思議なもので、いくら仮想世界と言えど、これほどの景色があるとは思えなかった。それも花々ばかりだと思われていたこの階層に、無数の桜が咲き誇っていたのだ。それもピンク一色ではなく、様々な色に咲き乱れており、それらが集まって虹色に輝いてすらいた。つい今し方まで主役を演じ切っていた無数の花々は添える程度のものしかなく、主役は桜へと移り、無数の花弁は僅かに吹いている風に吹かれて舞い散っていた。上空は次層の底があるため、光源など何処にも無いはずが、どういう訳か空中に浮かぶ多色の淡い小さな光源がほんのりと輝きを放ち、より幻想的なものへと仕上げている。
「———————」
あまりの絶景に、ユウキは言葉を失った。現実世界には存在しないのは勿論のことだが、仮想世界でもこんな景色があるのか疑いたくなるほどだった。二年もの間いくつか綺麗な景色を、ユウキも———そしてアーカーもまた見てきたが、それらを圧倒する絶景に間違いない。先程までうとうとと船を漕いでいた少女の目には眠気など一切感じられない。食い入るように幻想的なこの景色を見つめている。既存の言葉では表現し切れない美しい風景が、何故今まで見つかっていなかったのかが不思議なくらいだった。
「……軽く話は聞いてたが、流石に度肝抜かれたな…………」
「………すごい景色だね、ソラ……………」
「……ああ、そうだな」
少しの間、二人は言葉を交わさず、ひたすらこの景色を眺めていた。その姿は、まるで目に焼き付けているようにも見える。瞼を閉じれば思い出せるくらいに、しっかりと。これはきっと生涯忘れられない光景になるだろう。二人はそう断言できる気がしていた。
生きていて良かったとユウキが思う。
彼女を救えて良かったとアーカーが思う。
一緒にいられて良かったと心の底から思う。
「………確かに、
「え…………?」
何のことだろう。疑問符を浮かべたユウキに対して、アーカーは悪戯を仕掛けようと目論む悪餓鬼のような笑みを浮かべてからメニューを呼び起こし、アイテムストレージから〝とあるアイテム〟を取り出した。小さな手乗りサイズの箱だ。ドッキリか?と少しばかり疑いをかけてしまったが、すぐにユウキはそれが何かを理解した。昔、両親がそういう箱に大事なものを入れていたことを聞いていたからだ。
つまり、これは————
「ユウキ———俺と結婚してくれ。
無茶で無謀な馬鹿で、挙句の果てには心配ばっかさせるような奴だけどさ。これからは俺だけの大切な妻として—————ずっと一緒にいてくれ」
優しく、それでいて暖かく、微笑みかけるように。
片膝をついて、小さな箱を片手で持ち、もう一方の手でそっと開ける。箱の中から現れたのは、紫色に輝く小さな宝石がついた銀の指輪。この世界でも〝アメジスト〟という名が設定された貴重な宝石が、周りの光源に照らされ、鮮やかで優しげな色合いを放っていた。
もう一度、言葉を失った。期待はしていた。いつかこんな瞬間が訪れてくれるのだと分かっていた。ずっと待っていて、楽しみにだってしていた。
けれど、いざ実際に渡されたら、言葉は上手く出なかった。口は動いてくれないし、身体も思うように動かない。金縛りにあったような不思議な感覚が全身を伝い、それと同時に説明がつかないほどにたくさんの感情が入り乱れていた。それはこんな場所まで探して用意してくれたことやプロポーズしてくれたことに対する感謝や嬉しさだったり、ちょっとばかり待たされたことで本当は拗ねていることだったり、突然のサプライズでビックリしたことだったり———とにかく、たくさんの想いが胸の中で渦巻いて整理がつかなかった。
無意識に両眼をいっぱいに見開いて、口許を手で覆っていた。紫色の大きな瞳には、みるみるうちに透明な雫が盛り上がり、頰を伝って次々に滴った。
そんなユウキの姿を見て、流石にやりすぎたか?とアーカーは苦笑する。サプライズという悪戯が成功したのにも関わらず、予想以上の反応を見せたことへの戸惑いか、準備し過ぎたことへの反省か。何はともあれ、後は返事を待つのみと腹を括って彼は訊ねた。
「もう少し恋人同士でいたい———っていうなら、またタイミングを改める。俺自身、流石に用意しっかりし過ぎててさ。感情の整理とかつきにくいんじゃねぇかって今更後悔してるんだよ。やり過ぎは注意しろってよく分かってるのにな」
申し訳なさそうに笑い、それでも真面目な面持ちだけは崩さない。お前の答えを聞かせてくれと求めるような、強い想いの籠もったその瞳がユウキをじっと見つめていた。
答えは————〝あの夜〟から決まっていた。
断る訳がない。拒める筈がない。ボクの答えは変わっていない。感情の整理がまだついていないながらも、ユウキは涙に濡れた手を伸ばし、差し出された紫色の指輪にそっと触れる。それから泣き笑うような表情を頑張って見せて————微笑んだ。
「うんっ………————喜んで……っ!
ボクは……君だけのものだよ、ソラ………!」
今まで生きてきた人生で最上級の笑顔と共に、ユウキはそのプロポーズを了承した。欲しかった返事が聞けて安心したのか、アーカーは立ち上がると、差し出された少女の左手を取り、指輪を薬指に嵌めた。大事そうに抱えるようにその左手を胸に抱くのを見て、惜しげも無く嬉しそうな表情を向けると、今度はユウキがメニューを呼び起こし、アイテムストレージから小さな箱を出現させた。箱の中から現れたのは、この世界でも〝オニキス〟と名を受けた真っ黒な宝石が嵌め込まれた銀の指輪だ。それを感情の波に揺れて震える手で、アーカーの左手を手に取ると、指輪を同じように左手の薬指に嵌めた。
「〝オニキス〟か。頑張って調べたのか?」
「……うんっ、頑張って意味を調べたんだ……!」
「……そうか、ホント———お前は心配性だな」
アーカーは〝オニキス〟に込められた意味を知っている。少しばかり解釈し過ぎているだろうが、〝夫婦の成功〟や〝魔除け〟は勿論、〝必ずやり遂げる〟〝苦しみから解放する〟〝辛い過去を断ち切る〟と言った意味合いがあることを理解していた。故にユウキがそれを選んだ理由も察している。
だからこそ———
「ああ———そろそろアイツらにきちんと話しておかなきゃな」
これからまた彼らと出会うために知っておいて貰いたい————自分たちの過去を。いずれ直面する厳しい現実を受け入れるために。そのためにはまず、心構えが必要だった。
例えどんな状況になっても、間違いなくユウキだけは信じられるように————
「ユウキ。今夜は———少し甘えてもいいか?」
「あはは………早速、だね。ソラは仕方ないな、も〜。
————うん、いいよ……ボクの狼さん……♪」
高まった感情を落ち着かせるためにお互いに顔を近づけると、優しく唇を重ねた。お互いの存在を刻みつけるように、長く、しっかりと、時間をかけて。唇を離した後もそっと笑いかけ、手を繋いでその場を後にする。
夜はすでに始まっている。後はその夜が長くなるかどうかだけ。〝あの夜〟のように想いを伝えあった二人は、二十二層にある家へと帰っていく————
未来を誓い合って —完—
夫婦として結ばれた二人。
それを機に少年は勇気を貰い、
指輪に込められた想いと共に
ついにその過去を打ち明ける。
それは、彼が人を疑うようになった原因でもあり———
そして———雨宮 蒼天としての始まりでもあった。
次回 二人の過去 前編
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本編では出なかったソラがアメジストに込めた願いは以下の通り
・真実の愛
・魔除け
・心の絆を育む
・誠実さ
・安らぎ