ソードアート・オンライン —Raison d’être— 作:天狼レイン
漸く書き終わりました。
次回の方が書き手にとっては辛いはずなんですが、今回も充分すぎるくらい辛かった。いやホント何をどう考えたら、こんなクソ設定思いつくんだ作者テメェ!(自虐)
多分今まで書いてきた中で一番狂ってると思うんですよね。主に自分の———作者の頭が。具体的にどう狂ってるとかは見てもらえれば分かります。正直これを一番最初に書かなくて良かったと思ってますよ。過去は最初に明かすべきだ、というのもわかりますが、これに関しては事前に耐性つけてからじゃないとキツイと思いますよ、ええ。
西暦2024年 11月4日
アーカーとユウキが結婚した翌日。
二人は普段よりも一時間ほど朝早く起きていた。セットしていた《強制起床アラーム》の時刻よりも早い起床を知ると、互いの顔を見合わせて苦笑する。普段よりも半分ほど短い睡眠時間だというのに、意識はキチンと覚醒していて、眠気一つ感じない。頭痛もしない。間違いなく、ここ二年で最高のコンディションだ。是非ともこういう日こそ、攻略に出向いて大暴れ———と洒落込みたいと考えても仕方がないぐらいだったが、アーカーは無論、ユウキも、今日ばかりはそのつもりがなかった。
気分的な問題で朝から風呂に入ることにしたユウキが寝室から出て行くのを見送った後、アーカーは昨日の夜のうちに相談したことを実行するべく、メニューを呼び起こした。素早く操作し、開いたのはフレンドリスト。そこからキリトの名を選び、メッセージ記入ウィンドウを呼び出すと、〝ある一文〟を記して送った。その一文は、下手をすれば、これまでの関係が崩壊してしまう可能性を大いに孕んだものでもあり、同時に———これから先も信用し続けられる可能性を秘めたものであった。願わくば、後者になってほしいと思う。
けれど、そう上手くいかないのが世の中であり———人間というものだ。現に〝あの日〟が良い証明だった。真実を知られた結果、誰にも受け入れられることなく、アーカーとユウキが生きていた
再び〝あの日〟と同じ目に遭う。それだけは避けたかった。それならば、黙っていればいい。黙っていれば、いつか知られる日までは偽りの幸福に酔っていられる。知られて、拒絶される〝その日〟まで———そう考えない日は一度だってなかった。
ずっと悩んでいた。
ずっと迷っていた。
ずっと苦しんでいた。
ずっと考え続けていた。
ずっと、ずっと、ずっと、ずっとずっとずっと————
そして————漸く、答えが出た。
アーカーは、迷いなく打ち終わったメッセージをキリトへと送った。送り終わったのを確認し、一つずつウィンドウを閉じていく。二つ、三つとボタンをクリックすると、目の前に表示された空白の窓が消える。目の前に何も浮かんでいないことを確認すると、ゆっくり息を吐いた。指先が微かに震えていた。いつの間にか強張っていた身体を自覚して苦笑が零れた。
「……はは、情けねぇなぁ…………。心の底から誰かを信じる。たったそれだけのことにすら、こんなにビビっちまってさ………」
〝あの日〟を境に、新たに誰かを信じてみようとしてこなかったせいか、他人を信じてみるということがこんなにも難しいとは思いもしなかった。長年の癖になっていたのだろう。そうでなければ、二年もの付き合いになった奴の腹の底を見抜こうだなんてしない。その言動が真実か嘘か。どういう生き方をしてきたのか。そんなことを会話の最中ですら注視する奴なんて論外に決まっている。それ以外に自分を、ユウキを、同じ
気がつくと、卑屈になっている。まるで四年前に戻ったみたいだった。———いや、違う。戻ったのではない。俺は〝あの日〟から一歩も前に進めていない。ユウキのお蔭で先に進めたような気がしていただけだった。
俺は大切な人を救えた。———違う。あれはユウキが奇跡を起こしただけだ。結果的に救ったことになっただけに過ぎない。
俺は大切な人の笑顔を守れた。———違う。守るべき立場の俺が何度も泣かせた。辛い思いだってさせ続けたのは俺だ。
俺は〝あの日〟を乗り越えた。———違う。俺はまだ乗り越えられていない。やっと
よく思い返してみれば、すごく格好悪い。支えられていたのも、守られていたのも、ずっと俺だった。勘違いばかりだ。強くなったと錯覚していた。あまりの情けなさに涙が出そうなくらいだ。こんな奴が夫で本当に良かったのかと、アーカーは妻となったユウキに対して、心から心配してしまいたくなっていた。
不安を隠せないまま、数分が経っていた。脳裏を過ぎり蠢く、何年も続く自虐の渦は一向に止む気配がない。ちょっとしたエピソード一つ話す程度なら平気だったというのに、いざ他人を信じてみようとするだけでこの有様だった。
「………情けねぇなぁ、俺…………。今更ユウキ以外の他人が怖いなんてなぁ………」
震えが、止まらない。指先が、腕が、足が、小刻みに震える。武者震いなんてものじゃない。純粋な恐怖だ。本当に信じられる他人以外への恐怖。身体の筋肉全てが強張っている。心臓が早鐘を打つ。呼吸が苦しいほど繰り返される。この世界で汗なんて出るはずもないのに、冷や汗が出ているような感覚が続いている。喉が渇く。水を飲んでも飲んでも渇き続ける。思考が纏まらない。それなのに暗い発想ばかりが延々と溢れ返り、感情が少しずつ冷え切っていく。心まで閉ざしてしまいたいとすら思うようになる。全てが終わってしまった〝あの日〟のように、ユウキと喧嘩別れした時のように。心が、次第に、閉じて—————
「————大丈夫だよ、ソラ」
震えが———止まった。
耳朶を震わせた、優しい声音が全てを変えてくれていた。ピタリと指先の、腕の、足の、身体全ての震えを止めた。強張った身体の筋肉が和らいでいく。早鐘を打っていた心臓は落ち着きを取り戻した。苦しいほど繰り返されていた呼吸は少しずつ穏やかになっていく。冷や汗が出続けていた感覚どころか喉の渇きまでもが消え失せた。纏まらなかった思考が次第に纏まり始める。
「…………早かったな、上がってくるの」
「うん、ソラを一人にしちゃダメな気がしたんだ」
「…………そっか。ホント、お前の直感はよく当たるよな」
「えへへ」
褒められたことで嬉しそうに頰を緩めてユウキは笑う。優しげな笑みにアーカーもつられて、弱々しくも確かな笑みを零す。しっかりとそれを目にした上で彼の状態を察したユウキは、お風呂上がりの熱を帯びた身体で彼を優しく抱き締めた。ふわりと香る柑橘系の匂い。お風呂場にそんな匂いがするような娯楽アイテムを置いていただろうかと思考がそちらに向かう一方で、暖かく柔らかい人肌の感触が伝う。
「………髪、拭けてないぞ」
「あとでソラに拭いてもらうから今はいいよ」
「自分で拭かないのかよ………」
「ソラに拭いてもらうと気持ち良いからね」
「………そっか」
二人はくだらない会話を交わす。本当によくある小さな話に過ぎない。だというのに、心は安らいでいた。大切な人と少し話すだけでこんなにも変わるものなのだろうかとアーカーが考えていると、ユウキが優しく語りかけるように告げた。
「ソラは………弱くないよ」
「………いや、俺は弱いよ。お前がいないと何もできないんだ………」
「ううん、それは弱さじゃないよ。ソラのそれは優しさなんだよ? だって、いつもボクの心配ばっかしてるの分かってるもん」
「…………ちょっと屁理屈に聞こえるぞ」
「そ、そうかな……? ———でも、それでいいんじゃないかな? ソラは昔から難しく考えすぎるからね」
「………………かもな」
寄り掛かるように身体をユウキに預け、アーカーは少しだけ目を瞑る。突然体重がかかったことで驚くが、体勢を崩すことなく持ち堪えると、少女は愛する少年に子守唄を歌ってあげるような声音で囁いた。静かに、それでいてしっかりと、心まで温まるように。
「大丈夫だよ、ソラ。きっと、キリトやアスナ、ユイちゃんも———みんなも、ボク達を見捨てないよ」
「………………ああ、そうだと……いいな」
「うん……きっとそうだよ。ボク達は今度こそ、みんなとずっといられるはずなんだ。だからね……もしもソラが、みんなのことを信じられそうになくても………。その時は、
その言葉が、ストンと胸に落ちた。優しい声音の、暖かい言葉。耳にするだけで心が安らぐような心地の良さがある。何度も何度も胸の内で繰り返し、慈悲深い女神のような微笑みを浮かべるユウキの手に抱かれるうちに、アーカーは漸く落ち着きを取り戻していた。普段の冷静さが元に戻り、呼吸がきちんと整っていることを自覚できる。ゆっくりと寄り掛からせていた体重を自分の身体だけで支えるようにしていき、しっかりと落ち着いた声音で彼は礼を述べた。
「ありがとな、ユウキ。やっと落ち着いた」
「そっか。ちゃんとお嫁さんらしいことできたかな?」
「どうだろうな? 俺の場合、それを認めると、〝嫁さんがそばにいないと何にもできない情けない旦那〟が確定するからうんともすんとも言えねぇんだが」
「あはは、それもそうだね」
「………ま、それも事実だから何とも言えねぇよなぁ」
「ボク、支えることに慣れちゃいそうだね」
「違いない。………まぁ、でも……………」
ひょいっと左手を伸ばして、ユウキの頭にぽんと置く。それから濡れた髪にも関わらず、優しく撫でてやる。気持ち良さそうに目を細め、その心地良さに身を委ねる少女の姿に、子供のような無邪気な笑みでアーカーは笑った。
「こうして嫁さんを甘やかすのも旦那の役目だろうしな。辛い時こそお互いに支え合うってのが最善の選択だと、俺はそう思いたいな」
少年が浮かべた笑顔に、陰は一つも差し込んでいなかった。自己否定にばかり走りかけていた姿は何処かへ消えて、残ったのは普段よりも子供っぽい姿。きっとまだ誰かを信じることは苦手だろうし、それこそ、これから何年もかかって漸く出来るようになるかもしれない。もしかしたら一生出来ないままかもしれない。
例えそれでも———きっといつかは、或いは本人が気がつかないうちに、とそこまでユウキは考えて、それからつられたように優しく微笑んだ。子供っぽく無邪気で天真爛漫な、そんな彼女らしい笑みが花のように咲く。返された微笑みに満足したような顔をすると、そこでアーカーがふと思い出したかのように訊ねてきた。
「なあ、ユウキ」
「なぁに、ソラ?」
「お前、髪拭き切れてないの忘れてないよな?」
「…………忘れてないよ?」
「嘘つけ。今の間はなんだ。拭き切れてないことを思い出した間だろ」
「違うよ! この髪はソラに拭いてもらおうと思ったんだよ! ほら、いつもみたいに拭いてよ、ソラ!」
「前例は一つでも作ると次も同じように持っていかれるのが釈然としねぇなぁ……。……ったく、仕方ねぇな。ほら、タオル寄越せ。ちゃんと髪拭いて、櫛で梳かしてやるから」
「わーい♪ いつもより本格的だね!」
「当たり前だ。今度は俺達がキリト達を呼ぶんだ。情けねぇ体たらくなんざ見せてやるかよ。全力でぶつかってやる。少なくとも、絶対に信じて大丈夫なお前が一緒にいてくれるなら、もう怖くなんかねぇよ」
「うんっ! ボクも、ソラがいるから怖くないよ!」
手渡されたタオルを受け取ると、ユウキに背中を向けさせる。それから、タオルをその頭に被せて濡れた髪を拭いていく。勿論、絶妙な力加減を忘れない。粗方の水分を拭き取り、結婚したことで共通化されたアイテムストレージからレアアイテムのドライヤー———の代わりに使える温風を放つ不思議な石を取り出すとそれを使って乾かしていく。続けて、元々ユウキの持ち物だった櫛を取り出して、それを手に、彼女が持つ綺麗なパールブラックの長髪を梳かし始めた。
すると、心地良いのか鼻唄も聞こえてくる。ご機嫌な様子の少女を見ていると、彼女が後ろを見られないことを良いことに、アーカーは幸せそうな顔をしていた。正面切って見せるのは恥ずかしいのだろうか。普段は遠慮がちだった表情を浮かべて、気付かれないように今を楽しんでいた。
ご機嫌に鼻唄を歌っていたユウキが、そのことに気がつくのは髪を梳かし終わった後。終わってすぐにアーカーの方を振り返って、彼がそんな顔を浮かべていたことに気がついて、見られなかったことを悔やんでいたのは言うまでもなかった————
———*———*———
「よぉ、来たかお前ら。もしかしたらまだ寝てんじゃねぇかって思ったんだが、心配いらなかったか?」
「朝早くからメッセージが届いてたら流石に気がつくだろ。やけに真面目な文面だから急いで来た俺達を少しでいいから労ってくれ………」
「おはよ、アスナ。ユイちゃん。朝早くからごめんね?」
「ううん、大丈夫よ」
「大丈夫ですよ、ねぇね。わたしはちゃんと起きられましたから」
「ユイちゃんは偉いね〜。………ん?
「はいです! 実はパパが———」
「———そんなことまで言わなくていいからな!」
アーカーがキリトに向けてメッセージを送ってから、一時間と少しほど経って彼らはやってきた。朝早くからメッセージを送っていたとはいえ、時間指定などは一切していない。こうも早く来てくれたのは、彼らが純粋に他人を思い遣れる人間だからなのだろう。———思わぬところから、約一名寝坊助がいたことを知ることとなったが………。
「えーっと……今回の私達を呼んだことにユウキも関係あるの?」
「うん、正確にはボク達二人の———〝過去〟に関わること。それに、これからのことでもあるかな?」
〝これからのこと〟。
その言葉を聞いて、七十五層の攻略のことかと普通なら思うだろうが、その前に〝ボク達二人の
かなり断片的ではあるが、キリトとアスナはアーカーとユウキの過去を知っている。特に彼が以前自らの過去を少しだけ明かした際に、両親、或いは家から勘当されてしまったことを聞いている。その影響か二人に関わることと聞けば、心配しているのは勿論のこと、この世界から脱出できた時は現実世界で再会したいと考えていたキリト達からすれば、いずれ知ることになるだろうと思っていた。
それを彼らは先に持ってこようとしているのだ。リアバレがどうこうなど気にしないどころの問題ではない。本来なら聞かないべきではあるはずだったが、特にキリトとアスナの二人は、以前苦しんでいた頃のアーカーとユウキを知っている。今やそれが解決しているとはいえ、そうなった理由———その根幹が分かるかもしれないと思えば、聞かなければならないと考えてしまっても無理はなかった。
真剣な面持ちへと変わった三人を見て、アーカーはユウキの手を握ったまま、所有するログハウスの中へと三人を案内することにする。行き先は、ユウキの誕生日会を行った場所でもあるリビングだ。何回か訪れたお蔭で覚えかけとなっていた道筋が保管されているが、当人達にはそんなことなどどうでもよく感じていた。今はそれよりも大事なことがあると言い聞かせながら、二人の後を追う。
リビングには、大きめの丸テーブルとイスが五つ用意されていた。イスは丸テーブルを三つと二つに分けられており、テーブルの上には空のコップが人数分とお茶が入ったティーポットが置かれていたが、その他には何も置かれても飾られてもおらず、今回二人の過去を三人に話すために用意し直したとも読み取れるものだった。三人分用意された方に、左からキリト、ユイ、アスナと座る。向かい側にはキリトと向き合うようにアーカーが、その隣にユウキが座った。
彼が空のコップに全員分のお茶を注いで手渡すと、まず最初に語り始める前にと一口それを啜る。沈黙が広がる。重く、暗い。まるでそうなる前兆のようであったが、アーカーが口を開いた。
「———さっきユウキが言ったが、今回お前らを呼んだのは他でもなく、俺達二人の過去に関することだ。これから先、また現実世界で会うつもりなら避けて通れない道だからな」
「前々から何となく察してたが———二人には
「相変わらずの慧眼だね、キリト。聞いたよ、最初にソラを見つけたのキリトだって」
「……結局あの時は止められなかったけどな」
四月下旬当時の最前線であった五十九層でのことを思い返すようにユウキは言う。一年も足取りを掴ませなかったアーカーが、偶然とはいえキリトが発見した時のことだ。懐かしい思い出話ではあるが、当人は苦笑しながら返すと、それから一度その話を区切るようにアスナが咳払いをする。視線が彼女に集まる。
「以前アーカー君が言ってたことも含めて……の話なんだよね?」
「……ああ、そうだな。俺が勘当された理由も、これからしっかりとお前らに話すつもりだ。つっても……俺なんかよりユウキの方が大変だったけどな」
「ユウキの方が………?」
不思議そうな顔をしてキリトとアスナはユウキの方を見る。本人は突然見つめられて驚いたような顔をしているが、少しずつ憂いを帯びた表情を見せ始めた。いつも元気で無邪気な彼女がほとんど見せない表情でありながら、二人の記憶には強く印象付けられたものだった。
その一方で、ユイはユウキの方ではなく、アーカーの方を見た。勘当という言葉の意味を彼女は知っている。それがどれだけ辛いものかと言葉の意味上でしかないが分かっているつもりだったからだ。
しかし、いざ彼の表情を見てみると、そこに悲しさなどは一つも感じられない。むしろ、浮かべていた表情は自分のことよりもユウキに対するものであった。間違いなくそれは同情と憐憫に似ているが、何処か不思議と違っていた。
「さて、まず俺達の過去を語る前に、先に知っておいてもらいたい一族の話がある。ユウキの過去とはちょっとばかし関係ない話だが、最後まで話す以上、この話は切っても切れないからな」
まるで口上を述べるかのようにそう言うと、深呼吸を一度挟んでからアーカーは真剣な面持ちで、先に注意ごとのように告げてきた。
「まず初めに、今からする話は覚えておく程度でいい。現実世界に戻った後、俺の許可なく絶対に口外しないと誓ってくれ」
威圧感のある一言に、キリト、アスナ、ユイが緊張でゴクリと喉を鳴らしながらもしっかりと頷く。それを承諾と取ると、アーカーは最初に三人に訊ねた。
「お前ら———《
その名前に、ユイを除く二人の目が見開かれた。まさかこんなところで聞くことになるとは思わなかったと言わんばかりの顔に、アーカーはやっぱり知っているのかと理解した上で続ける。
「知らないユイのために説明するが、《雨宮家》は江戸の頃だか明治の頃だかは全く以て興味がねぇから省くが、昔から連綿と続いた今なお残る旧家だ。今でこそ身分上は極々普通の一般人だが、一族からは優秀な人材がいつの時代も常に一定以上輩出されるほどの、所謂エリートつっても間違いねぇ。有名どころで言えば、政治家や医者、弁護士云々……。数えたらキリがねぇのはキリトとアスナがよく分かってると思う」
現在は茅場 晶彦という新進気鋭、且つ稀代の天才、及び大量殺人を成し遂げた彼に埋もれている者もいるが、ゲームクリエイターや量子物理学者の中にも雨宮から輩出された血族も多く存在する。アーカーの見る限りではアスナの一族に近しい者か知る者には雨宮の名を持つ者もいるかもしれない。
「まぁ、まずここまでしか聞いていなかったら、とことんエリートの一族で自慢かよテメェとすら思いたくなるのも間違いねぇのは事実だ。実際ンな世迷言抜かす阿呆も昔いたモンだから否定はしねぇよ。
———とはいえ、だ。なあ、アスナ。一つ質問だ。例え一族郎党揃いも揃ってエリートだとして———全員エリートになると断言できるか?」
「………いいえ。むしろ、親と比較されたりして子供にはプレッシャーがかかるばかりで、みんながそうなるとは限らないわ。逃げたくなる人だっていてもおかしくない」
まるで実体験を語るように告げるアスナにキリトが心配そうな顔を向ける一方で、アーカーは予報通りの解答が返ってきたことに安堵しながら断言する。
「ああ、それが普通だ。良識ある者なら絶対にそう答えて然るべきだろうな。
———だが、《雨宮家》っていうのは揃いも揃って
「良識が……ない?」
どういうことだとキリトが怪訝そうな顔をすると、一番初めに《雨宮家》の秘密を知ったユウキが口を開いた。飛び出したのは、衝撃の真実。
「ソラの一族はね———出来損ないの烙印を押された子供を
あまりのことにキリトとアスナどころか、ユイですら自分の耳を疑った。そんなはずがある訳がないと言いたげな顔をなるが、窺ったアーカーとユウキ、二人の顔が紛うことなき事実だと理解させていた。それを見てなお、未だに信じられないと思う彼らに対して彼は語る。
「実際、勘当された俺の戸籍は最早《雨宮家》には一切残ってねぇ。跡形もなく消し去られていたよ。ユウキの家族に引き取られてから、一度だけバレないように調べた時に確認している。正直、命があるだけ儲け物だと考えてもいいくらいだ」
「………確証があるのか?」
キリトがそう訊ねると、アーカーは小さく頷いた。
「三回だけ本家に呼び出しを食らったことがある。一回目にいくつかある本家筋の餓鬼の一人と顔見知りになったんだが、二回目行った時にはそいつは親にすら陰で虐待を受けてた。三回目には見当たらなくなったよ。そいつの親だっていう奴は何度も見かけたのに、子供は一度も……な。
あとで調べてみれば、そいつの戸籍が抹消されてたんだよ。何度もバレないように調べ直してみたが、間違いない。さっき俺は命があったら儲け物だと言ったな? あれも事実だ。戸籍もねぇ餓鬼を勘当していいはずがない。むしろ内々で口封じした方が賢明だ。外にそれが洩れただけで、握り潰したとしても汚点が残りかねない。雨宮っていうのは、そういう汚点一つ嫌うほどのド畜生の一族だからな」
静寂が訪れた。誰一人声すらあげない。以前から秘密を知っていたユウキですら耐え難そうな顔をしている。それを隣にいるアーカーは出来ることなら早く終わらせたいと思っているが、そうもいかない。全てを話すと決めた以上、しっかりと知ってもらった上で、尚且つ理解してほしいからだ。
少しだけ間を空ける。彼もまたテーブルの下で妻となった少女の手を握りに向かう。指先が触れ合い、離して堪るかとしっかりと絡み合う。流石の彼とて、そうしないと正気を保っていられる気がしなかった。勇気を貰い、続けて語る。
「挙句の果てには、純血主義だ。一族以外の血は全部穢れているとでも思いやがってるぐらいの逝かれた思想していやがる。輸血?———そんなモン死んでも嫌だってな。例えそれを受ければ、死なずに済むっていうのに、それが一族以外の何処の馬の骨とも分からない輩———いや、分かっていてもそれを拒むくらいの阿呆。
仮に一族以外の誰かと結婚なんぞしてみろ。即座に分家筋送りで、本家には二度とお呼ばれしない。俺を引き取った両親……というより、母親が〝茅場〟姓だった影響で、本家筋だった父親は分家に堕とされて、最後には狂ったそうだ。出会った時から狂ってたモンだから気付きもしなかったがな。いざ調べてみれば、覚悟はして挑んだようだが、散々兄弟や本家筋にディスられたそうだ。トドメに実の親にすら勘当紛いの処分を食らった……ってな」
「なんだよ……それ」
「そんなことが、あっていいの………?」
「………………」
キリトは呆然とし、アスナは有り得ないと呟き、二人の愛を受けてきたユイはただひたすら無言で俯いた。信じ難いことだろう。誰だってそうだ。間違いなく、破綻者や雨宮家を除けば、全員がそう思って当然だ。
しかし、現実は非情である。誰よりも真剣な面持ちで断言するアーカーが一番理解しているし、これまでその秘密を共に背負ってきたユウキもまたそれが嘘ではないことを理解していた。
これ以上続けたくはないが、まだこれが全てではない。あともう少し、話さなければならないことがある。繋いだ指先から、手のひらから伝わる勇気を振り絞って、アーカーは言い切った。
「あれは人間を使った巨大な蠱毒だ。雨宮家には〝当主〟が今も存在しているが、その席を本家筋の奴らは虎視眈々と狙っていやがる。それはいつでもどこでも、いつ如何なる時もだ。バレねぇように毒を盛ることだってあるだろうし、陰で刺殺だの何だの汚ねぇことが日常のように行われてるだろうな。先代の当主は何やら〝末期の重病〟を患って死んだらしいが、それも真実か分かったモンじゃねぇ。弱い毒でゆっくり弱わらせ毒殺した上で、自分は平気な顔してその座に汚ねぇ尻乗せてドヤ顔晒しててもおかしくねぇんだよ、雨宮って一族は」
雨宮家に関する一切合切。粗方全てを伝え切ったアーカーは、今にも崩れ落ちてしまいそうなくらいだった。それでも、気力で何とか耐え切ると、繋いだ手の感触を確かめるように握り直した。
それから少しして、現実を認識したキリトが突然降り立った天啓の如き質問をアーカーに訊ねた。それは今まで聞いた話からして、不思議に感じたものだった。
「なあ、アーカー……。お前は、なんで無事なんだ……?」
「………よく気がついたな、キリト」
キリトが疑問に思ったのは、アーカーが生きていること。あまりにも無礼極まりない質問だと思われるが、彼はその程度で気になどしなかった。むしろ、よく気付いたとばかりに感心すらしている。
先に述べた通り、雨宮家は戸籍諸共子供ですら口封じをする。一族内に勘当されたという汚点を背負う子供がいることすら許さないような輩なら、彼も容赦なく口封じの対象になってもおかしくない。むしろ、なっているはずだった。
しかし、彼は今なお生きているし、ユウキの家族に引き取られたと言っている。以前にも一緒に暮らしていると言っていたことから、身の安全は保障されているも同然だ。果たして、雨宮という人間の姿をした悪鬼から逃れて、そんなことが起こるのだろうか?
その疑問に、アーカーは恐れることなく答えた。
「俺が〝とある病気〟に感染していたからだ。
元々はユウキが持っていたものに
「とある病気………?」
ここでユウキの名前が出て、三人がそちらを向く。それから、疑問符を浮かべたアスナが首を傾げる。その疑問は、単純なものではない。今の話を聞いた上で、〝とある病気〟が何なのかを考えようとしたからだ。ごく普通の病気なら、完治するまで自宅療養なども出来るだろう。雨宮の名を持つ者が毒殺に怯える以上、下手をしなくてもワクチンですら拒むだろう。事前にワクチンを受けていないと症状が重いインフルエンザなどはあまり移りたくはないだろうとは思うが、例えそれでも対策次第でアーカーを口封じすることぐらい出来そうではあった。嫌な思考が脳裏に過ぎるのを何度も振り払いながら考え続ける彼女。
その一方で、彼の手を握っていたユウキの手が力んだ。震えのようなものが伝わる。漸く彼女の過去に関係するものが話に挙がろうとしているのだ。当然の反応であり、二人が一番懸念していたものである。〝あの日〟と同じことがまた起きてしまうのではないかと思わざるを得ないほどに、恐怖が、不安が、絶望が、確かな足取りで迫ってきている。心が揺れる。
怖い。怖い。怖い。信じている。信じているよ。信じたい。
———でも、もしキリトとアスナが、そしてユイまでもボク達をまた〝あの日〟の彼らのように………と、ユウキの心が次第に闇の中へと沈んでいきそうになっていく。齢14歳の少女が送ってきたには、些か重すぎる過去が重圧のようにのし掛かっていた。
震えが止まらない。止まらない。止まらない————
「————大丈夫だ、ユウキ。今度は、俺がお前を安心させてやる」
————優しい声が、
震えが止まった。恐怖が、不安が、絶望が消え失せた。迫り来る足音も聞こえない。心が安らいでいく。
そっと声音が聞こえた方を振り向いた。そこにあったのは————愛しい少年の顔。当然だが、いつもより余裕はない。これから話すことは、ユウキだけのことではない。アーカーにも関係することだ。下手をすれば、〝あの日〟の再来を招きかねない。
だからこそ、余裕なんてあるはずがない。
————それでも、生きることを、望むことを諦めることが大嫌いな、大好きで愛している彼の顔には、信じるに値するものがあった。
一時間ほど前に少年は言った。
〝絶対に信じられるお前がいるから怖くなんかない〟と。
だったら、こっちもそうあるべきだ。その言葉に続けて誓ったのを覚えている。信じよう、彼を。キリトを。アスナを。ユイを————みんなを。
今度は力強く、〝大丈夫だよ〟と握り返す。掛けられた言葉に答えるように、ユウキはしっかりと頷きを返した。
もう大丈夫だよ。
そう彼女が返したことで、アーカーは何一つ迷いなど無くなった。二人の真意をまだ知らぬ彼らにも、この話の果てにその思いが伝わるはずだ。〝あの日〟の奴らと、彼らは違う。アイツらは、《雨宮家》のゴミ共と何ら変わらない畜生に過ぎなかった。それだけだと彼は自分に言い聞かせながら、ついに————その言葉を口に出した。
「俺達が感染していた病気は《後天性免疫不全症候群》。
一番分かりやすい言い方で言えば—————エイズだ」
ガチャリ。
運命の歯車が厳かに回る。
その回転は次第に速度を速めていく。
五年。そう、五年だ。
止まるにしては、少しばかり長い年月が経っていた。
————しかし、それも漸くだ。
〝あの日〟を境に止まっていた、〝雨宮 蒼天〟という少年の人生が
二人の過去 前篇 —完—
エイズ。
それは、誰もが知っている病名だ。
しかし、それに感染した者達の
これは、絶望に至る前日譚。
希望を知った一人の少女に襲いかかった現実の話。
次回 二人の過去 中篇