ソードアート・オンライン —Raison d’être—   作:天狼レイン

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 前回の最前線が二十六層。今回の話はそこから一年ほど経ち、最前線は五十九層。日付もキチンと工夫してあります。ちなみにアニメ版ではなく、小説版の方を素体としていますので、日付や時期などはアニメとは違うのでご理解ください。例で言えば、圏内事件と二刀流習得ですね。あの二つはアニメと小説で時期が違うので。

 少しずつ壊れていく雨宮 蒼天。果たして彼を救える者はいるのか———





9.弱く、そして脆く

 

 

 

 

 

 

 西暦2024年 4月25日。

 

 

 

 ユウキと喧嘩別れ———なのだろうか、今でもわからない———をしてから、一年ほどが過ぎた。今や最前線は五十九層。あれから三十層も上のフロアに上がったのは驚異的だろう。命を大事に、なんていう昔ながらのゲームの命令通りの戦法の結果、二十五層のような死者は出ないようになったと聞く。

 

 あれから大きく変わったのは、大まかに二つほど。

 

 まず一つは攻略組の勢力バランスだ。

 かつては、キバオウ率いる《アインクラッド解放隊(ALS)》とリンド率いる《ドラゴンナイツ・ブリゲード(DKB)》が主な主戦力だったが、二十五層での甚大な被害を受けた《アインクラッド解放隊》は攻略組から脱落した結果、早急な建て直しが行われた。

 《アインクラッド解放隊》に変わって台頭したのは、これまで名も知られてなかった新興ギルドであった《血盟騎士団(KoB)》だった。団長はヒースクリフという凄腕のプレイヤーで、彼が一から声をかけて作ったという。副団長には、あのアスナが席についているらしい。現在では、攻略組で最も高名なギルドだ。

 

 続いて《ドラゴンナイツ・ブリゲード》が発展したのか、吸収合併したのかは不明だが、《聖竜連合(DDA)》というギルドが《血盟騎士団》に次ぐ攻略組の有力ギルドだ。時にはオレンジになることも辞さない強引さで、近寄りたくないと思う者も多いと聞く。恐らく、前身のリーダーであったリンドはそこに在籍しているだろうと思う。

 

 そして、これは初耳だったが、《風林火山》というギルドも攻略組の有力ギルドのようだ。規模は小さいが、それでも全員の練度が高いと聞く。詳しく知らないため、これ以上語ることはない。

 

 以上が、攻略組の勢力バランスだ。

 

 もう一つ変わったものは、これまである程度の話には持ち上がっていたレッドプレイヤー、所謂殺人行為を楽しむプレイヤー達が、あるギルドとして率いられるようになったことだ。大晦日から元旦、その間にギルド一つを壊滅させ、名乗りを上げた殺人ギルド《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》。ラフコフなどと略して呼ばれるそれは、ある男によって率いられているそうだ。その男の名前は《PoH(プー)》。以前キリトに聞いた話によると、二層での鍛冶屋ネズハが行った強化詐欺も彼が考えついたものだったらしい。

そんな奴らが、群れを成して統制されているとなれば、ゾッとしない者はなかなかいないだろう。

 

 これが、一年の間に起きた重大な出来事だ。他にも、有名な《吟唱》スキル習得者が死亡した事件や、何処かのギルドが突然壊滅した事件、クリスマス限定のボスが登場したという話が耳に入ったが、俺にはそんなことはどうでもよかった。

 

 俺がやるのは、最前線攻略だけだ。最前線の迷宮区を誰よりも早く暴き、宝箱などには目もくれず、完全なマップデータを情報屋に流し、多少の儲けが得られる程度に稼ぎ、また次の階層が解放されるのを待って、同じことを繰り返すだけ。気がつけば、ソロプレイヤーが持っていておかしい金額のコルを持っているが、別になんてことはない。ひたすら自己の強化に使うだけだった。

 

「………………暇だ」

 

 最前線である五十九層の迷宮区を完全攻略したマップデータを弄びながら、どのタイミングで渡そうものかと考えつつも、主街区内だが、かなり離れたところにある裏路地で俺は暇そうに欠伸を咬み殺す。前に熟睡したのは、いつだったか。よく眠れたなと記憶に覚えているのは、二十六層の宿だったか。なるほど、ユウキと喧嘩別れする前か。そう考えると、どうやら俺はなかなかあの日のことが響いているらしい。

 

「………………馬鹿だな、俺は」

 

 こんなに苦しい思いをするなら、あんなこと言わなければよかったのにな。ユウキのためだ、と理由をつけて言い放ったが、今更考えてみれば、言わない方が良かったと思うのは、自分のためじゃないのかと気が付いた。現にこうして後悔している辺り、ただただ度し難い。後悔先に立たず、とはよく言ったものだ。辞書いらずの経験談をこの歳で持てるのは、得なのか損なのか。

 

「………………人は喪ってからその大切さに気付く。なるほど、しっくり来る言葉が世に出てるもんだな。しっくり来るが、反面残念だ」

 

 だってそうだろう? 逆に言えば、喪うまで大切さに気が付かない、ということなのだから。こういうのをパラドクスとかなんとかというんだったかと何処かズレた思考を巡らせてから、一気に放棄する。

こんなこと考えている暇があるのなら、それこそ隠しクエストが無いから探し回ってみるのも、このデスゲーム———いや、本来のゲームとしてのアインクラッドであっても———ならではの楽しみ方だろう。真にデスゲームを満喫するならプレイヤーキル、要するにPKしてみろよ、っていうのがラフコフの考えだったか。流石に俺にはそこまで楽しむ気にはなれそうにない。どうせPKをしたところで、楽しさを感じる気持ちすら湧いてこないだろう。

 

「………………さて、また適当に迷宮区で暴れるか。マップデータはその後にでも渡せば———あ?」

 

 常に発動させている《索敵》スキルによる接近警報が、周囲に他のプレイヤーが近づいていることを知らせてきた。舌打ちをしながら、ストレージを操作。そこから、装備フィギュアの頭部に《隠蔽》効果を高めるレアアイテムのフードを被ると、スキル一覧から《隠蔽》スキルを発動させる。あれから一年もの間に《片手用直剣》スキルや《隠蔽》スキル、《体術》スキルに新しく取ったスキルなども、かなり高い値に入っていた。当然あれから使用回数が一気に増えた《隠蔽》スキルは上記三つに次ぐ練度だ。早々見破られることもないだろうと思い、その場でジッと息を潜めることにする。ここまですれば、恐らく余程練度の高い《索敵》スキルで注視されない限りは大丈夫だろう。

 

(………………妙だな、真っ直ぐここに向かってきてやがる)

 

 周囲のマップを開くと、他のプレイヤーが真っ直ぐ俺のいる裏路地に向かってきているのがわかる。それも二人組だ。これはどういうことだ? 最初から《隠蔽》スキルを習得していなかったのもあるが、それでもスキル値は相応に高く、駄目押しのフードまでつけている。ここまでしているのに真っ直ぐ向かって来るということは、合わせた《隠蔽》効果よりも高い《索敵》スキル持ちがいるということになる。攻略組から離れて一年も経った俺に、それが誰かなど検討がつくはずが————いや、まさか()()()か?

 浮かんだ答えを採点するように、二人組が姿を見せた。

 

 一人は、全身黒尽くめの皮装備で片手用直剣一本だけを吊るした男性プレイヤー。

 もう一人は、渾名と特徴となった左右対称の三本ヒゲがある金褐色の巻き毛をした女性プレイヤー。

 

 間違いない。見覚えがあった。どうやら、二人とも以前と全く変わっていないらしい。

 

「やっと見つけたぜ、アーカー」

 

「アー坊、久しぶりダナ」

 

 位置がわからないのに分かっている風に言う〝釣り〟ではなく、間違いなく分かっていると言わんばかりに、彼らは《隠蔽》スキルで隠れた俺の方をしっかり向いて声をかけた。なるほど、高い《索敵》スキル持ちと言えば、お前だろうな———キリト。

 

「………………よく俺の居場所が分かったな、キリト」

 

「ただの偶然だ。たまたま同じフロアにいて、辛うじて俺の《索敵》スキルが検知してくれただけだよ」

 

「………………お前も無茶したんだな。例えお前でも見つけるのは無理だと高を括っていた。想定よりもレベルも、スキルも高いとはな」

 

 もう必要ないなとフードを脱ぎ、素顔を露わにする。そこにあったのは、キリトやアルゴが最後に会った時とは、目付きも、雰囲気も違った顔だった。生気は殆どなく、死んだ魚のような眼をしている。ここが仮想世界だからこの程度で留まっているが、もし現実世界で同じ状況なら痩せ細っていたとしても過言ではない。

 そんな姿になっていると言うのに、アーカーは嗤う。

 

「見事な手前だ。ここの迷宮区のマッピングは済ませてあるから、何処かの情報屋に売りつけにいく前だったんだが、お前らにやるよ」

 

「いや、マップデータは良い。代わりにユウキに会ってやってくれないか?」

 

「オレっちからも頼むヨ。ユーちゃん、今にも壊れそうになってル。もう限界なんダヨ」

 

 ユウキに会ってやってくれ?

 その一言に、俺は冗談だろ?と言った顔をして聞き返す。

 心が軋む痛みを我慢しながら————

 

「おいおい、何を言うかと思えば、そんなことのために一年もずっと俺を探してたのか? せっかく無償で完全なマップデータをくれてやるって言ってるのにそのチャンスを捨てるのか? キリトもアルゴも、俺はもっと賢い判断ができると思っていたんだがな」

 

「一年も行方を眩ませたお前に比べれば、賢明な判断だよ」

 

「…………ほう、言ってくれるじゃねぇか、キリト」

 

 まさかコイツからそんな反撃を受けるとは思っていなかったせいか、感嘆の声が漏れる。しかし、声音に嬉しさなど微塵もない。冷え切ったそれは鋭く切り返す。

 

「俺を説得できると考えてるお前よりはマシだろうが」

 

 一年も行方を眩ませた時点で分かっていたはずだろう?とキリトに問いかける。

 

「今更寂しくなったから戻ってきました、一年も行方眩ませてごめんなさい———ハッ、笑わせんなよ。いつからンな寝言言わせようと思うようになったんだ?」

 

「寝言……だと? ———ふざけてるのか……ッ!」

 

 冷静に諭そうとしていたキリトの声に怒りが混じる。それは今のユウキの様子を知っている知人としての怒りか。ここにアスナがいたなら、俺は即座に《リニアー》の一つでも打ち込まれそうなものである。胸倉を掴みかかるほどの剣幕で、彼は吠える。

 

「ユウキは、今も戦っている。この世界と、この現状に! お前が離れていった理由を何度も何度も考えて———苦しんでるんだ! お前がそう簡単に納得しないのを分かっているからこそ、ずっと。それなのにお前は、一人で好きなように動いて行方を眩まし続けて! 時間を作る度にお前を必死に探してるアイツの気持ちが分からないのか!?」

 

 ああ、そうだろうな。そんな気はしていたよ。ユウキなら、きっとそうする。限界まで自分を追い込んで、それでも微かな希望に手を伸ばそうとする。そうするように、()()()()()()のは———俺だ。

 

 かつて、生きることを諦めかけたユウキに、俺は諦めることを許さず、最後まで抗い続けさせた。その結果、ユウキは()()()()によって、かの難病を完治させるに至った。その事実が、彼女の心の在り方を変えた。諦めたくない、諦めてたまるか。それが彼女の中にある心の芯なのだろう。今の俺にはそれが分かった。

 

 しかし、例え心に強い芯があっても、ユウキはまだ齢14ほどの女の子だ。未熟さが残る精神では、その強さを保ち続けるのは不可能だ。斯く言う俺も似たようなものだ。命綱のない綱渡りをしているような一年も続けている。果たして、あとどれくらい持つだろうか? あともう一押しでもあれば、態勢を崩してしまうほどの脆弱さが、俺の心を蝕んでいく。

 

「———分からねぇよ」

 

 痛み、蝕まれ、苦しく、辛く、弱い———そんな俺の心が、一年前に何とか封殺した感情を必死に抑える。もし抑え切れなくなれば、その奔流に呑まれ、もう元には戻れまい。亀裂が走り、今にも暴れ出してしまいそうな、その様子は決壊寸前のダムのようにすら見えた。

 しかし、今の俺の心情がいかがなものか。それを察する余裕すら無くなったキリトは強硬手段に入る。

 

「ああ、そうかよ———」

 

 人差し指と中指を揃え、右手を下へと振る。表示されたメインメニューの項目からフレンド画面を起動し、素早く誰かの名前をタップ———できなかった。押そうとした瞬間、キリトは派手に吹っ飛ばされ、裏路地の入り口まで後退していた。前方を見て、何が起きたかを確認する。振り抜かれた拳を構えたまま、アーカーが先程よりも前にいた。それは先程までキリトがいた場所に近い。

 つまり————

 

「呼ばせる気はないってわけか……」

 

「当たり前だ。あまり舐めたことしてくれんじゃねぇよ《黒の剣士》」

 

 もはや、名前すら呼ばない。

 渾名で呼ばれ、キリトの腹が決まった。全力で振り抜いた拳からして、もし《圏外》であったとしても、彼は同じことをしただろう。

 それならば———

 

「アーカー———いや、《絶天》。賭けをしよう。俺が勝てば、お前をユウキのところに連れて行かせてもらう」

 

「やれるものならやってみろ。俺が勝てば、今から一時間の間、絶対にユウキには連絡するな。《鼠》、お前も同様だ。約束を破ったと分かれば、俺は今後一切完全なマップデータも、情報も、宝箱さえも保証しない。独占される覚悟をしろ」

 

 我ながら、狂った悪役を演じようとしている無様な有様には苦笑せざるを得ない。これ以上負担を増やしてどうなるんだろうか。糸がプツリと切れて、あっさり死ぬのか? ———いや、この期に及んでそんな死に方は余程のことがない限りできないだろう。視界内に浮かぶ、自らのレベルを見て———目を伏せた。なるほど、俺自身気がついていなかったが、無茶なことをしていたらしい。いつかのエギルの言葉が的中していた。表示されていたレベルは———()()。最前線である五十九層の表面的な数字よりも、30以上も上回っている。これは恐らく、現在アインクラッドで最高レベルなのではないか。自負と共に無謀さからの苦笑しか残らない。

 当然、それほどまでの無謀が行われていたことを知る由もないキリトに、このレベル差を果たしてどうにかできるのか————

 

「……ルールは《初撃決着モード》。それでいいな?」

 

 無言で頷くキリト。デュエル申請を送り、向こうがルールを設定する。最初に強攻撃をヒットさせるか、或いは相手のHPを半減させれば勝ち。アインクラッドで唯一安全なルールだと言えよう———()()()()が正しくなければ。

 そうして、六十秒のカウントダウンが開始・表示される。場所が場所のため、恐らくこのデュエルを見ているのは、アルゴ一人だけだ。そうでなければ、賭けをした意味がない。

 

 命の駆け引きをする際の感覚が強まっていく。触れれば、切り裂くほどの殺気が、二人の片手剣を通して放たれる。キリトの持つ片手剣は、かの五十層でラストアタックボーナスとして入手したものに相違ないだろう。別の情報屋からその情報を買い取ったことがある。

 

 一方、俺が持つ片手剣は異質そのものだった。見た目はとても古びており、斬れ味など感じられないほどの代物だというのに、実際は恐ろしく鋭く、軽く、そして、耐久値はかなり高い。未だ具体的な効果は不明だが、この一年間コイツを振るってきて俺が分かっているのは———この片手剣は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということだ。

加えて、この片手剣には名前がない。正確には名前の項目があり、表示されているのだが、全て文字化けしている。そのくせ、廃棄することも譲渡することもできない。二十五層でのラストアタックボーナスではなく、勝手にストレージに入っていたのだから、余計に不気味さが増したものだ。

 

 そんなものに魅せられるかのように、俺はかつての愛剣を放って、この片手剣を握った。果たして、その選択は正しいのか否か。

 

 そして、カウントがゼロへと近づき———

 

 

 

 

 【DUEL!!】

 

 

 

 

 

 紫色の閃光が弾け、駆け引きが始まった。

 まずは先手必勝とばかりに強攻撃をヒットさせようと、キリトが接近。態勢からして突進技のようだ。それに答えるように、ジェットエンジンのような効果音が鳴る。赤く染まった光芒と突進のいう点から、出された技は《ヴォーパル・ストライク》だろう。技後の隙が大きいため、対人戦では使用されにくいソードスキルだが、この狭い裏路地と、彼の技量ならば、その後も対応も違ってくるはずだ。

少なくとも、真横に避けられてカウンターされて終わり、なんてダサいことにはなるまい。斯く言う俺もまた、横に避けるのは危険と判断していた。

 そこで俺が取った行動は簡単ながらも、高度な技術が伴われる行為だった。

 

「なに———ッ!?」

 

 俺は片手剣の頑丈さを利用し、キリトの《ヴォーパル・ストライク》に対して、剣の腹で受けた。本来なら半ばからへし折れてもおかしくない行為だが、もちろん、まともに受けたわけではない。腹で受けるには受けたが、そのあと腹で彼の剣を滑らせるように往なす。片面の刃が火花を散らして、俺の片手剣の腹を撫でていき、彼は僅かに態勢を崩す。技後硬直により、少しの間動けないキリトに対し、こちらが取れるのは三つ。

 

 一つは、強烈な《片手用直剣》の単発ソードスキルを叩き込んで終わらせること。

 もう一つは、《体術》の単発ソードスキルを撃ち込んでやること。

 そして、もう一つは———

 

 

 

「ちょうどいい。せっかくプレイヤー相手だからな。()()でも試すか」

 

 

 

 ガシッとキリトの顔を掴み、()()()()()()()()()()()。壁は《破壊不可能オブジェクト》のため破損しないが、ぶつけられた彼の顔からは赤いダメージエフェクトが飛び散る。そこから続けて、俺は彼の顔を片手で()()()()()()()、裏路地を駆ける。高いAGI値に物を言わせた猛スピードにより、押し付けられた彼の側頭部は壁に削られていく。俗に言う《紅葉下ろし》というやつだ。

 

現実世界でこんなことをやれば、凄惨なものだが、この世界ではそこまでではない。ただし、どれだけの不快感を受けるかはやられない限りわからないが、相当なものだろう。飛び散る赤いダメージエフェクトが、別のものにさえ見える。突然のことで思考が止まっていたキリトも、衝撃と不快感から思わず叫びをあげ抵抗するが、不安定な姿勢からでは、やられた後の対応が上手くできない。

 

 あっという間に三割が削られ、残り二割も削られてしまうのかとアルゴが思った直後、何とかタイミングを見定めたキリトが片手剣を振るって、俺の脇腹を切り裂き、僅かな隙を突いて脱出を果たす。すぐさま距離を取って、状況判断。アルゴの方に視線を向けるが、彼女が珍しく怯えているように見え、恐ろしいものを見たという顔をしていた。この時、彼は気がつかなかったが、顔の三分の一が欠損状態のような有様へと変わり果てていて、片目までもがその餌食となっていた。現実世界なら即死していてもおかしくない。

 

 そんな状況になっていたと知る由もないキリトは、多少片目が見にくいなと思いながら、再び剣を構える。《ヴォーパル・ストライク》はもはや意味を成さない。他の技か、或いは普通に接近しても、下手をすれば、先程の繰り返しになりかねない。あの集中力に、僅かな隙を作らなければ、反撃以外のダメージは入らないだろう。未だにあちらが優勢である以上、考えられる方法はなかった。流石に()()はコイツに使えるほど、鍛え上げられていない。

 なら———

 

「らああああッ!!」

 

 裂帛の気合と共に、再びキリトは駆け出した。その姿は、先程よりは冷静に見えるが、それでも不安しか感じさせない。先程の光景が浮かび、アルゴが何かを叫ぶが届かない。その勢いのまま、キリトは駆け出していく。

 対して、俺は先程と動きは変わらず、カウンターすることを前提としていた。反撃が当たれば、その時点で勝ちが決まる。わざわざ無理してゴリ押す意味がなかったからだ。

 そうして、キリトが接近し、片手剣を振るった———はずだった。

 

「な———!?」

 

 振るったのは、左手。そこには片手剣など握られていない。もちろん、このアインクラッドに二本も片手剣を装備するスキルなど、まだ見つかっていない。あったとすれば、それはユニークスキルも同然の性能となるだろう。それ故に無警戒だったが、あまりにも真に迫ったキリトの振り方に、殺気に敏感になっていた俺は、反射的に対応しようとして———反撃が失敗した。往なす武器もなければ、弾く武器もない。空を切った反撃の隙を突くように、今度こそ片手剣を振るう。振り抜かれたそれは、容易く俺の左肩から身体を裂いていき、心臓の辺りまで届かせ———動きを止めた。

 

「やったか………」

 

 キリトの疲弊した声が聞こえた。どうやらそれなりに向こうも疲れを浮かべていたらしい。殺気を纏った真に迫るフェイントは、それ相応に疲れを齎す。先程の紅葉下ろしを受けた彼には、今まで戦った何よりも強敵に感じたに違いない。STRの高いキリトの一撃は、心臓にまで届いたことで、クリティカル判定と共に大ダメージを与えていた。見る見るうちに減っていくHPゲージからもそれが伝わってくるだろう。勢いよく一割、二割と進み、三割を超え、四割———

 

 

 

「———嘘、だろ……」

 

 

 

 ダメージは、そこで止まった。残るHPは約六割ほど。それでは、半減には届かない。だが、そこに驚いた訳ではない。少なくとも、先程の一撃は中層プレイヤーなら危険域のレッドにすら届くほどのダメージだ。下手をすれば、殺せるほどの威力であったはずなのだ。それほどまでにキリトのレベルは高い。例え、アーカーであっても、最初の反撃の分もあり、彼の皮装備であれば、いくらレベルが高くともイエローには入るだろうと考えていたのだ。自分自身よりいくらか高いと仮定してまで振るった一撃だったというのに———

 

「惜しいな。すごく惜しかった。驚いたぞ、キリト。まさかそんな動きができるとはな。殺気に敏感になりすぎて、思わず反応しちまったよ。———だけど、悪いな。今の俺のレベルは92だ。それじゃ、()()()()()()ぜ?」

 

 感動したよ。感嘆の声を惜しみなく言わせてくれ。すごい。素晴らしい。キリト、お前みたいな奴がこれから先も強くなれる。みんなの前を歩いて、導いて、この世界を終わらせてくれるはずだ。お前に会えて良かったよ。お蔭で久しぶりに胸が踊った。楽しい、って思えた。高鳴る鼓動の音をいつもより感じるよ。

 

 

 

 

 

 ———だからといって、勝ちを譲る気は一切ないが。

 

 

 

 

 逃げられないように、片手剣ではなく、それを握る彼の手を上から握り締め、俺は素早くソードスキルを発動———《体術》スキルにある単発水平蹴り《水月》。それをシステムに抗ってでも、少しだけ角度を無理やり変えて、左下から右上に上がるように仕向けて放つ。向かった先は、キリトの側頭部。先程紅葉下ろしで抉られた反対側だ。そこに容赦なく叩き込み、彼はあまりの衝撃に武器すら手放し、壁へと激突。さらに三割半を減少させ、HPは半減。イエローには突入。条件が達成され、彼は敗北を喫した。

 

 思いっきり吹き飛ばされ、側頭部を強く打ったキリトは、そのままピクリとも動かない。恐らく気絶でもしたのだろう。焦ったアルゴがそばに駆け寄り確認し、ホッと一息をつく。その後、こちらを見る。

 

「賭けは守るヨ。でも、またアー坊を探し出してみせル。今度は、ユーちゃんと一緒にナ」

 

「そうか。なら、精々頑張ることだ。探したければ、勝手にしろ。最前線が上に上がれば上がるほど、お前達に俺を探す余裕はなくなるがな」

 

 壊れかかった鍵を必死に抑え、今にも決壊しそうなダムのような心を押さえつける。自覚するまでもなく冷静さを失い、苦しげに歪んだ表情を浮かべているのを分かっていながら、俺はその場を後にした。

 もう一度出会ってしまおうものなら、今度は耐え切れないと理解して————

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 キリト達から逃げるように、その場を去った俺が向かったのは、三十五層にある《迷いの森》。もし、後ろをつけられていたとしても、ここなら簡単に巻くことができる。巻いた後、離脱する時に不便だから地図を片手に歩く。いつもなら、こんなことせず、出れるようになるまで、ひたすらモンスターを狩っていたが、そうはいかない。早いところマップデータを売り払い、暫く身を隠しておきたかったからだ。キリト達には情報公開の時間制限しかつけていない。非公開にしろと言えば、賭けに乗ってこないのを分かっていたからだ。その場合起きたであろうことは、キリトが妨害に走り、アルゴが連絡。ユウキが駆けつけるまで、二人で足止め———といったところだろうか。アイツらならやりかねないのを、俺は分かっていた。

 

「…………馬鹿だな、俺は」

 

 ここなら誰も聞いていないだろう。わざわざこんなところにまで来てレベリングしようと思う中層プレイヤーは、そういない。地図だって高いし、ここは以前何かがあったらしく、人気が前よりも少なくなっている。宿だと《聞き耳》スキル持ちがいると、聞かれる心配もあった。以前そんなことをされかけたせいか、宿ですら安心できた試しはない。

 大きく深呼吸をし、ゆっくりと、頑丈にかけた心の鍵を解く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Wow……こいつはすげぇな。滅多にお目にかかれない飛びっきりの化け物じゃないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 張りのある艶やかな美声が耳に届き、工程全てを中止。すぐさま、片手剣を抜き放つと周囲一帯に《索敵》スキルを展開。集中力を高め、不意討ちに備える。確認できたのは、たった一人。キリト以上の《索敵》スキルを持つ俺が見つけられないということは、一人か? もしかすると、《索敵》無効のレアアイテムがあるかもしれないと考え、集中力をさらに高め、周囲に気を配る。

 まずは、先程の声をあげたプレイヤーに目を向けるべきだと判断して。

 

 深い森の奥から姿を見せたのは、膝上までを包む、艶消しの黒いポンチョ。目深に伏せられたフード。だらりと垂れ下がる右手に握られるのは、まるで中華包丁のように四角く、血のように赤黒い刃を持つ肉厚の大型ダガー。武器には見覚えがなかったが、その姿には聞き覚えがあった。元旦に情報屋達から一斉に警告された危険人物、要注意と攻略組すらもが通達した存在。そのトップに君臨する、最狂最悪の殺人者(レッド)プレイヤー———《PoH(プー)》。数多くのオレンジ達を誘惑・洗脳し、狂的なPKに走らせた男が、そこにいた。

 

「……ついてねぇな、今日は」

 

 キリトとアルゴに見つかってしまうだけに留まらず、最狂最悪のレッドとご対面とは……なるほど、これはタチが悪すぎる。奴だけならどうにかなるだろうが、仮に配下の幹部達を総出で連れて来ていたら、さしもの《絶天》でも厳しいことには変わりない。そもそも、PoHがどれほど強いのかも、まだ分かっていない分こちらが不利だろう。向こうは、どうやらこちらを知っている。どれだけ強いか、把握すらしていると思ってもいい。先程のデュエル結果を見ていた訳ではないと思うが、ここは先程より場所が広く、視界が悪いせいもあり、多少のやりづらさがあるのは否めなかった。

 

「何の用だ、PoH。俺を殺しに来たか?」

 

「かの《絶天》にまで名を知られているとは光栄だ。……なに、別に今日はそういう訳じゃない」

 

 何処か機嫌が良さそうにPoHの声が森に響く。少し前に誰かを殺したから機嫌が良いのか、或いはレアモンスターみたいな扱いになっているのかもしれない俺を見つけられたからなのか。こちらにその理由がわかるはずもないが、とにかく油断は禁物だった。

 

「だったら、なんだ? 俺とお茶でもしにきたか?」

 

 挑発するように告げた一言に、少しの間しんとした冷たい雰囲気が漂うが、おかしくなったのかPoHはクツクツと小さな笑い声をあげると、楽しげに嗤う。

 

「But……お茶ってほどじゃないさ。ちょっとした提案だ。《絶天》、貴様も気に入る可能性が高い話さ」

 

「へぇ……俺が気に入るかもしれない話、か。言ってみろよ。少し気になってきたんだ」

 

 どんな話かは分からないが、この場で僅かな逃走時間を作るには絶好のチャンスだ。そう思い、この話に耳を傾ける。どうせロクでもない話だろうが、人を殺してみないか程度の話なら聞き流すことだって簡単にできる。さあ、どんな話か言ってみろよ———

 

 

 

 

 

「———《絶剣》を捕らえた。こいつを殺してみたくはないか?」

 

 

 

 

 

「………………は?」

 

 その一言に、頭が真っ白に染まった。《絶剣》? その渾名は聞き覚えがあった。現在攻略組のソロプレイヤーでありながら、《血盟騎士団》や《聖竜連合》からもスカウトが殺到する程の高位の実力者。かつては、俺と組んでいた片手用直剣使いの女性プレイヤーで、《絶剣》とは、アイツの———ユウキの二つ名だったはずだ。

 

「But……もしかして聞き取れなかったか? それは悪かったな。今度は聞こえるように、ハッキリ発音してやるよ」

 

 違う。そんなはずはない。アイツが、そんな簡単に捕まるはずがない。ユウキは強い。あれから戦い続けているのなら、キリトやアスナと同レベルの強さは持っているはずだ。無茶をし続けているなら、キリトよりも強くなっている可能性だってあった。だから信じられなかった。ユウキの強さを誰よりも知っているからこそ、俺には信じ難い言葉だったから———

 

「ちょうどさっき、《魔笛》の野郎が《絶剣》の嬢ちゃん捕まえたからよ。《絶天》———いや、アーカー。お前、自分の手で殺してみたくはないか?」

 

 直後、足元が爆ぜた。

 AGI値を最大限に発揮し、一瞬で距離を詰めて片手剣を振るう。圧倒的な速度と、圧倒的なレベル。この二つが齎した絶大なボーナスから放たれた一撃は、咄嗟にガードに走ったPoHでも大きく後退させられた。その威力に、目を見開き、驚愕し、狂喜する。

 

「Excellent!! 思ってた以上の化け物だ、こいつはッ! お前がなんで殺しをしてないのか不思議なくらいだ!」

 

「テメェ……ユウキを使って俺を脅すつもりか?」

 

「その逆、こっちに来ないかって話だ。お前には殺しの才能がある。それも飛びっきりブッ飛んだ原石だ。今からでも遅くないほどに、な?」

 

「…………馬鹿か。ンな話に俺が乗ると思ってるなら、相当頭の中お花畑じゃねぇのか、テメェ」

 

 面白いことを言ってくれるなと嗤いながら、PoHは提案を繰り返す。

 

「……別に嬢ちゃんを殺したくねぇなら、それでも構わないさ。別のプレイヤーを用意してやる。試しに一回殺してみたくはないか? お前なら気に入ってくれると思うぜ? 俺達と一緒に来るなら、お前のやりたいことがなんだって出来る。殺すも、犯すも、狂わせるも、眺めるのも、何でもだ。この極限状態(アインクラッド)なら、何だってだ! アーカー、今自分がどんな顔しているか知ってるか?」

 

 PoHが楽しげに嗤っていた原因が、この時分かった気がする。同時に、俺がどんな顔をしていたのかさえも———

 

 

 

「今にも誰かを、——————って顔してやがる」

 

 

 

「………………ああ、そうかよ———だったら、交渉は決裂だ。今すぐ失せろ。近くに増援がいようがいまいが、今の俺は全員ブチ殺す腹積もりだ」

 

「But……残念だ、気分が乗らなかったか。まあ、いい。せっかくだ、教えといてやるよ。どうせお前は取り返しに来るんだろ?」

 

 巨大な肉切り包丁を指の上で器用にくるくる回し、腰のホルスターに収めながら告げる。

 

「《笑う棺桶(俺達)》のアジトは———にある。もし、攻略組総出で来たとしても歓迎してやるよ」

 

「なんで俺に教えた。壊滅したいのか?」

 

「別に構わない。俺は全力で殺し合ってる様子が見たい。当然、お前がアイツらを殺している姿が見たくもあるな。あとは直感だ。……お前と俺はよく()()()()気がしたんでな。俺と一緒に来るかどうか、次もまた訊ねてやる。期限は三日間。過ぎた時は俺が代わりに殺してやる。良い返事を期待してるぜ、兄弟(ブロー)

 

 それだけ言うと後ろ手に振りながら、森の奥へと姿を消していく。ちょうど《迷いの森》のギミックも変化したのか、恐らくもう追うことはできない。それにそもそも、今は追う暇なんてなかった。あれは嘘じゃない。本当のことを言っている。向こうで、散々性根の腐った大人や子供の嘘を見抜いて、ユウキのために戦い続けてきたからこそ、あれが嘘ではないことがハッキリとわかった。

 

「ああ———俺は馬鹿だ。救いようのない馬鹿だな」

 

 この事態を招いたのは誰だ?

 PoHか?——違う。

 《魔笛》とかいう奴か?——違う。

 攻略組か?———断じて違う。

 招いたのは———紛うことなく、俺自身だ。

 

 俺が、ユウキを独りにしたから。

 俺が、そばにいなかったから。

 俺が、守ることをやめたから。

 俺が、俺が俺が、俺が俺が俺が、俺が俺が俺が俺が俺が———!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———俺が、ユウキをこの世界に連れて来てしまったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 覚悟が決まった。

 全力であのゴミ共を殺そう。

 足止めに何人か使える駒が欲しいな。何処から引き抜くか。何処から手に入れるか。そうだ、ちょうどいい奴らがいる。向こうも攻めあぐねているはずだ。交渉に持ち込んでこようが、アジトの位置が分からないなら、有利なのはこっちだ。期限は三日しかない。それも三日で見つけても間に合わない。二日以内で見つけ、攻め込む必要がある。奴らが欲しい情報は俺が握っている。

 

 そして、奴らはユウキを見捨てたりはしない———いや、できない。貴重な戦力であり、同時に危険な勢力である《笑う棺桶》を潰せるチャンスを、不意にしたりはできない。不意にしたとなれば、それは攻略組の信用に関わる。同時に、作戦が成功すれば、下層、中層のプレイヤー達からの支持を得ることができる最高のタイミングであるのも紛うことなく事実だ。戦力増強のチャンスにすらなる可能性を秘めているとなれば、余計にだ。

 

 

 

 歪みを孕んだことにすら気がつかないまま、俺は《迷いの森》を容易く踏破し、最前線である五十九層へと戻る。そこでは、ユウキがラフコフに攫われたことと、何処かの階層で攻略組一軍で構成された救出隊がラフコフに襲われ全滅したことで話が持ちきりになっていた。

 

 

 

 

 

 ユウキ殺害まで残り2日と23時間半と少し。

 

 

 

 

 

 弱く、そして脆く —完—

 

 

 

 

 

 






アーカーがキリト達と再会した頃、ユウキはある階層を訪れていた。

助けを求める人々の声。それに応えるため、結成された救出隊。

過去にも同じ出来事があったという話を耳にしながら、

ユウキ達は救出へと赴く。

次回 魔の手は忍ぶ

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