速水龍一で始める『はじめの一歩』。   作:高任斎

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七夕様の贈り物。
これが、みなさんにとっていいことでありますように。(11話の前書き参照)

しばしのお別れとはなんだったのか……まあ、これも予約投稿ですけど。(目逸らし)
感想で鴨川会長が人気だったので気分転換を兼ねて書いてみましたが……試合前はともかく、試合中の描写は変な感じがします。
まあ、これもひとつの実験ということでお試しに。


裏道1:鴨川源二ではじめる速水攻略。

『7月上旬。(ジェイソン尾妻戦のあと)』

 

 小橋対吉田のビデオ。

 

 近づけばクリンチ。

 離れ際にジャブ。

 その繰り返しで試合が終わった。

 

「時間の無駄だったな」

「誰だよ、こんなもん持ってきたの」

 

 青木と木村の愚痴に、藤井がそっと目を逸らしおったわ。

 

 確かに、地味な試合じゃったが……この小橋という男、巧い。

 小僧が振り回されて4Rが終わる可能性はある。

 

「いや、しかしですね。インターハイを準優勝した選手に、何もさせないって言うのはすごいことなんじゃないですか?」

 

 ……青木や木村にも問題はあるが、小僧は小僧で、もう少し闘志が欲しいのう。

 

 

 

 

 

 小僧たちを会長室から追い出し、藤井を見た。

 

「藤井よ。頼んだものは持ってきてくれたか?」

「ええ」

「……手間をかけさせたな」

「いえ、速水君は注目選手ですからね……ダビングしただけですよ」

 

 紙袋から、藤井が取り出した2本のテープ。

 

「こっちがデビュー戦、そしてこっちが……例の、2戦目です」

「そうか。相手はメキシカンだと聞いたが」

「デビュー戦はタイから呼んだ選手です……対戦相手を探すのに、音羽ジムの会長が苦労しているようですよ」

「まあ、うちも鷹村がおるからの。他人事ではないわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうです?」

「……強い、の一言じゃ。特に2戦目は、対戦相手のレベルの高さもあって、8回戦の試合といわれても疑う者はおらんじゃろ」

 

 テープを巻き戻し、最初から試合を見る。

 

「1Rの前半はやや劣勢じゃったが後半で対応し、2Rではそれをつぶす……しかし、驚くのは3Rよ。こやつ、このRまで流しておった」

「……ええ」

「劣勢を感じながら、そのまま対応し、対策を講じる……正直、この3Rの実力が本気なのかどうかもわからん」

 

 藤井が、ポツリとつぶやいた。

 

「速水君は『久しぶりに勝ったと思える試合でした』って言ってましたよ」

「……小生意気なセリフじゃが、本音なんじゃろう」

 

 アマで無敗、プロでもこれか。

 まあ、生半な相手では、苦戦すらできまい。

 強い相手と戦いたい。

 それは、ボクサーとしての本能のようなものじゃ。

 

 テープを入れ替える。

 デビュー戦。

 

「デビュー戦の相手も曲者じゃが、それを、苦もなく対応しておる」

「アマチュアルールだと、顔は正面を向いていなければダメですからね。頭を下げる、その姿勢だけでバッティング(頭突き)の反則を取られます」(日本は特に厳しいといわれてました)

「アマチュア出身の選手が、ラフファイトに弱いといわれる所以じゃ……そもそも、頭をつけての打ち合いや、頭を下げて接近するという経験がないからの」

 

 画面を見つめる。

 速水龍一という男を見つめる。

 

 小僧のデビュー戦のときは誰かと思ったが、尾妻戦のときもしっかりと見ておった。

 

「……練習熱心な男ですよ」

「見ればわかる。才能におぼれた男のボクシングではない……むしろ、慎重な男じゃろ」

「ビッグマウスで有名なんですけどね」

 

 藤井の言葉を、鼻で笑う。

 

 倒して勝ってはおるが、注目すべきは防御の巧さじゃ。

 鼻っ柱の強い男なら、これだけの力があれば、最初から倒しにいく。

 なのに、2試合とも最初は相手を見ておった。

 分析し、相手の優位を奪い、自分の優位を確立してから仕留めにかかる。

 

 この男、理論派のボクサーじゃ。

 拳は、嘘をつかんわい。

 

「この男のせいで、フェザー級の参加者(エントリー)が減ったという話もうなずける……」

「今年の東日本は14人でしたね……ここ数年は、20人を超えることも少なくなかったんですが」

 

 藤井が、言葉を続けた。

 

「それと、速水君とあたるはずだった相手が、1回戦で拳を痛めたという理由で棄権するそうです……おそらくは口実でしょうけど」

「……速水の2戦目は2月じゃったな?なら、次の試合は……11月か?」

「ええ、新人王戦の最中ですからね、スパーはともかく、試合を組むこともできないでしょう」

「う、む……」

 

 小僧は、先日の試合で尾妻には勝ったが、内容そのものはどちらに転んでもおかしくはなかった。

 いや、運に恵まれたともいえる。

 見るほうは楽しいかもしれんが、あれではな。

 小僧のパンチ力は魅力だが、当たったもん勝ちのボクシングでは先は望めん。

 土台作り。

 体重移動。

 地道に、脚力強化と防御技術の研鑽こそが近道なんじゃが……。

 

 画面に目をやった。

 

 本当なら、小僧にはもっと防御を意識させ、基礎技術を教え込む時期じゃが……宮田とのこともある。

 選手のやる気を無視するようでは、指導者は名乗れん。

 そのやる気を上手く誘導し、成長へと導いてこそ本当の指導者よ。

 

 とはいえ……悩ましいところじゃ。

 

 まあ、小僧が小橋に勝ってからの話か。

 小橋に当たらないようでは、速水に当てるのは無理じゃ。

 

「それにしても……」

「なんです?」

「音羽の会長も、たいしたものだと思ってな。楽な相手と試合を組んで、張りぼての戦績を作り上げるジムも少なくない時代じゃが……デビュー戦にはラフファイトあり、2戦目にはレベルの高いメキシカンを呼んで戦わせておる」

 

 いったん言葉を切った。

 

 音羽の会長という指導者は速水というボクサーを信じ、速水というボクサーがそれに応える。

 確かな信頼関係。

 良き、師弟よ。

 

「強くなるぞ、この男は」

 

 そしてそれは。

 小僧の道をふさぐ、大きな壁になることを意味する。

 

 古いと言われるかもしれんが、強き相手と戦うのは、ボクサーとしての喜びよ。

 そして、やるべきことをやりつくしてリングへと送り出すのがワシの仕事。

 

 燃えてくるわい。

 

 

 

 

 

 

 

『8月末。(対小橋戦直後)』

 

 

 ……薄氷を踏む思いじゃったな。

 

 鷹村たちの夏合宿に参加してから、小僧の追い足は目に見えて進歩した。

 体重移動がスムーズになり、あの強打を連打できる土台ができてきたといえる。

 それゆえに、先のことを考えて小僧を鍛えた。

 小橋相手なら、どうにかなるじゃろうと……。

 

 慢心しておった。

 小僧ではなく、ワシの怠慢じゃ。

 

 目の前の小橋ではなく、先の速水戦を見ておったこのワシの……何たる無能か。

 あそこで小橋が打ち合いにこなければ、間違いなく小僧は負けておった。

 

 通路。

 そちらに目を向ける。

 

 ……今日は、来ておらんのか。

 

 もう、見るべきものはないと思うたか、速水よ。

 

 貴様との試合までの残り2ヶ月。

 楽な試合にはさせんぞ。

 

 

 

 

 

 

『9月上旬。』

 

 

 速水の試合のビデオを見て、小僧が絶句しておる。

 まあ、無理もない。

 

 む?

 木村と青木が、小僧の肩に手をおいて……。

 

「残念だったな、一歩」

「まあ、こういうこともあるさ」

「や、やめてくださいよ!こ、この人に勝たないと、僕は……宮田君と……」

 

 小僧が握り締めた拳。

 

 その闘志は、あくまでも宮田との約束か。

 

 ……まあええ。

 前向きであるならば、やりようはある。

 

 と、今度は鷹村か。

 

 そっと、ステッキを引き寄せた。

 

「……一歩。お前、どうやって勝つつもりだ?うん?」

「そ、それは……」

「一発当たればどうにかなるって、甘いこと考えてるのか?」

 

 小僧の表情……まだ望みを持っておるな。

 甘い。

 

「当たらねえよ。4R追い掛け回しても、お前のパンチはかすりもしねえ。そのぐらいの差がある」

 

 そして、さすがに鷹村はわかっておるか。

 

「……でもよ、鷹村さん。一歩のダッシュ力だってなかなかのもんだぜ?」

「そうそう、一歩がしつこく食い下がれば、ワンチャンスもあるんじゃないですか?」

 

 ……青木と木村はわかっておらんのか。

 

「なあ、一歩……お前、この速水と宮田、どっちが強いと思う?」

「それは、その……宮田君だって強くなってるし」

「考えるな。考えれば考えるほど、希望や期待が評価を歪ませる。このビデオを見た瞬間、お前がどう思ったか……それで答えろ」

 

 一瞬の沈黙。

 そして、小僧は搾り出すように答えた。

 

「速水さん、です」

 

 うむ。

 そこからじゃ。

 自分の立ち位置を、正しく認識してからじゃな。

 

 鷹村も、なかなかええことを言うわい。

 

「小僧よ。はっきりいって、ベスト4の中では速水の実力が大きく抜けておる。まずそれを認めい」

「でも、それじゃあ……」

「自分に何ができるか、自分に何が足りないか……すべてはそこからじゃ」

 

 ステッキの先で、小僧の胸を押さえた。

 

「速水にパンチを当てるためには何が必要か?速水にパンチが届く距離に近づかねばならん。速水にパンチが届く距離に近づくにはどうすればいい?速水のパンチを避けねばならん。速水のフットワークに追いつかねばならん」

 

 トン、と小僧の胸を突く。

 

「わかるか?なんとなくではダメじゃ。小橋戦のように、近づいて一発当てれば……などという、曖昧なボクシングではどうにもならん。それは試合だけでなく、練習も同じよ」

 

 ワシを見る小僧の胸を、また軽く突く。

 

「思い出せ。小僧が、宮田のことだけを追いかけていた頃を……フットワークから、パンチのひとつまで、『宮田に勝つためだけに』練習を重ねたじゃろうが。あれと同じじゃ」

 

 ワシは、ステッキを床につき、視線を落とした。

 

「小橋戦は、指導者としてのワシの怠慢よ……目の前の小橋ではなく、誰でもない曖昧なものを相手に戦わせてしまった、ワシのミスじゃ」

 

 顔を上げ、小僧を見る。

 

「試合までの約2ヶ月、速水に勝つための練習をする。宮田と戦いたいなら、死ぬ気でついて来い」

「はい!」

 

 

 

 

 

 

「おい、ジジイ」

「わかっとる……じゃが、速水に勝つとすれば、宮田よりも、間柴よりも……小僧に一番目がある」

「……だな。一番相性が悪いのは、間柴だろうぜ」

 

 鷹村が、テレビ画面に眼をやった。

 

「それで……どうすんだよ?」

「とにかく走らせる。小橋戦のように相手のリズムで4R振り回されても、スタミナ切れしない持久力が大前提じゃ」

「……まあ、そうだな」

「防御を鍛え、4R戦うという前提で作戦を立てるしかない。スタミナ、集中力、それが途切れた一瞬を逃さず、小僧のパンチが当たれば……」

「えらそうなこと言いやがって!結局は、当たったもん勝ちの作戦じゃねえか!」

「細かな作戦はこれからじゃ、バカタレが!」

 

 そもそも、小僧のボクサーとしての能力を引き上げねば、作戦すら立てられんわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『10月下旬。(速水戦の10日ぐらい前)』

 

 しかし、小僧もたいしたものよ。

 鷹村が連れてきたときは、センスのかけらもなく、気も弱い、どうしようもないと思ったが。

 

 最初は、そのパンチ力に驚かされた。

 日本人ボクサーには珍しい、ハードパンチャーとしての資質。

 

 じゃが、どうしようもなく不器用じゃった。

 いわゆる、センスがない。

 

 今の時代は、『何でもできる』ボクサーが主流じゃ。

 相手を分析し、強み、弱みを理解して、戦略を組み立てていく引き出しの数こそが、高い能力とみなされる。

 

 小僧にできるのはインファイトのみ。

 誰が相手であろうと、接近し、相手の攻撃をかいくぐりながらパンチを繰り出す戦いしかできん。

 いや、インファイトのみに高い適正があると言った方がええか。

 それに加えて、小柄な体格、短いリーチ。

 小僧にとって有利な距離、場所は、接近戦にある。

 

 対戦相手のほとんどは、その距離を避けようとするだろう。

 自分に有利な場所で戦いたいと思うのは自然じゃ。

 ゆえに、小僧は常に『相手を追いかける』姿勢を強いられる。

 

 ……永遠の挑戦者じゃ。

 

 

 汗を流す小僧。

 黙々と、ワシに言われたとおりの練習メニューをこなす小僧を見る。

 

 小僧が、この鴨川ジムの戸を叩いてから1年半ほどか。

 その限界を探るようにハードなトレーニングを課してきたが、まだ底が見えぬ。

 

 小僧の才能。

 努力し続けることのできる精神。

 そして、その努力に応え続ける身体。

 

 ……偏った才能よ。

 

 鍛えれば鍛えるほど、偏っていくように思える。

 時代遅れのボクサー。

 言葉を変えれば、少数派であり、希少価値。

 小僧という存在に、戸惑いを覚える可能性はある。

 

 ……じゃが、その先はどうなる?

 

 研究される。

 脅威を感じれば感じるほど、その対策を練られるじゃろう。

 

 じゃが、小僧には、なんでもはできん。

 できることだけ。

 高い適性を持つ、インファイターの戦い方だけ。 

 

 打ち勝つには、インファイターとして進化し続けるしかない。

 現状に甘んずることなく挑戦し続ける心。

 

 ……苦難の道じゃな。

 

 その進化が止まったときが、小僧の、ボクサーとしての死につながる。

 いや、その前に壊れる……か。

 

 ボクサーが、ボクサーでいられる期間は短い。

 長くボクサーであり続けたいなら、打たれてはならん。

 打たれずに打つのが理想じゃが。

 

 忌々しいことに、それを体現しておるのが速水よ。

 

 速水は、センスの塊じゃ。

 その才能を、きちんと努力で磨いておる。

 

 小僧の活路は、接近戦にしかない、が。

 接近戦にしても、技術の差は埋めがたい。

 

 その差を、作戦でいくらかは埋めるつもりじゃが。

 

 本音を言えば。

 今は、時間が足りん。

 

 

「小僧、次はミット打ちじゃ。リングに上がれ!」

「はい!」

 

 小僧の体格。

 小僧の骨格。

 小僧の筋肉。

 

 パンチがスムーズに出るフォーム。

 威力を引き出せるタイミング。

 それは、ひとりひとり違う。

 

 塊を、磨いていく作業。

 

「また、防御がおろそかになっておる!」

 

 ミットで小僧を張り倒す。

 

「はい!」

 

 返事はいい。

 素直でもある。

 

 じゃが、不器用じゃ。

 

「がらあきじゃ!」

 

 再び小僧を張り倒す。

 

「はい!」

 

 恨まれてもええ。

 憎まれてもええ。

 

 選手にとって一番ツライのは、負けることじゃ。

 勝つことが何よりの喜びよ。

 

 そしてそれは。

 ワシら指導者にも同じことが言える。

 

 勝ったときの、選手の顔。

 ただ、それが見たい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『1R』

 

 

「……可愛げのない」

「会長?」

 

 リングの上の2人から視線をはずさず、八木ちゃんに説明してやる。

 

「小僧の目が狙われておる」

 

 小僧の破壊力を警戒したか、速水よ。

 徹底的に、リスクを避けてきおったか。

 アマの経験があるとはいえ、プロで3戦目のボクサーの試合運びではないわ。

 

 じゃが、後半勝負の目が出てきたわい。

 

 試合が長引くほど……『何か』を起こせる可能性は高くなる。

 むろん、小僧が何もできず……という可能性も高くなったがな。

 

 

 

 小僧が帰ってきた。

 うがいさせ、汗を拭く。

 目の腫れをチェック……むう。

 下手にアドバイスしても、小僧を混乱させるだけか。

 

「会長」

「なんじゃ?」

「鷹村さんの、僕のパンチがかすりもしないって言葉の意味がようやく実感できました。『当たるところまで届きません』」

 

 小僧の目。

 折れてはおらん。

 

「わかっておるな。このR、始まってすぐ、じゃ」

「……はい」

「これから、きつい展開になる。覚悟せい」

 

 

『2R』

 

 小僧が走る。

 速水の反応が遅れておる。

 

 はまった。

 

「行け!小僧ーっ!!」

 

 はじかれた速水の左手。

 崩れた体勢。

 

 拳に力がこもる。

 その拳を、リングにたたきつけた。

 

 さすがに、甘くないわ。

 

 顔ではなくボディなら……いや、いまさらじゃ。

 小僧にそんな器用な真似はできん。

 

「む?」

 

 速水の左。

 

 合点がいく。

 R最初の攻防で、おそらく痺れておる。

 

「……」

 

 今、小僧に別のアドバイスを送ったところで、混乱させるだけ。

 見守るしかない。

 

 しかし、速水の右。

 腹が立つぐらいに、多彩よ。

 あれでは、小僧にタイミングはつかめん。

 明らかに戸惑っておる。

 

 

 速水の左。

 回復したか。

 

 リングを広く使い出す。

 小僧が振り回される。

 

 

 速水が足を止める。

 小僧が飛び込む。

 

 拳を叩きつけていた。

 誘われた。

 

「会長!」

「心配ない。押し倒されたダウンじゃ……立つことはできる」

 

 しかし、鮮やかに迎撃された。

 鮮やか過ぎるほどじゃ。

 小僧の攻撃パターンの分析や予測はできているということか。

 

 

 ……ダウンを奪ってなお、小僧の目を狙ってきおるのか。

 

 徹底しておる。

 勝ちに対する執念を感じる。

 

 嫌な感じよ。

 こちらのやることが、ひとつひとつ潰されていくような。

 

 小僧が、顔を動かして速水を追うシーンが増えてきた。

 

「八木ちゃん。氷を用意してくれ。小僧の目がふさがっちょる」

 

 気休めじゃ。

 ……厳しい。

 

 ただ、そろそろ速水は倒しにくる。

 小僧のパンチが届く距離。

 

 相打ち狙い?

 ボディ?

 何ができる?

 

 当たるか?

 

 ワシは、小僧に無理を強いておるのか……?

 

 

 残り10秒。

 速水が小僧に襲い掛かる。

 小僧だけでなく、セコンドのワシらにも揺さぶりをかけておる。

 

 

 

「すみません、会長。フェイントに引っかかってしまって」

「しゃべらんでええ。まずは落ち着け、ゆっくりと息を吸え」

 

 焦るな。

 小僧を落ち着かせるのが先じゃ。

 そうせねば、アドバイスなど、耳に残らん。

 

 腫れた左目を冷やす。

 足のマッサージ。

 汗を拭く。

 

 小僧の呼吸が落ち着いていく。

 信頼されておる。

 応えねばならん。

 

 

「……ええか、良く聞け」

 

 速水は、死角から狙ってくる。

 まずは左手のガードをしっかりと。

 

 速水の追撃のリズムを思い出せ。

 ボディは単発で離れていく、追っても無駄じゃ。

 左手のガードに衝撃を感じたら、踏み込んで右のボディ。

 

 小僧が頷く。

 

 複雑な指示は無駄じゃ。

 左手のガード。

 そして右でボディ狙い。

 この2つ。

 

 それと、最後にひとつ。

 

 速水の足が止まったら、ボディではなく上を狙え。

 

 

 言いたいことはもっとある。

 伝えたいことも。

 それでも。

 送り出さねばならん。

 

「小僧、がんばれ」

 

 

 

『3R』

 

 2Rのそれをやり返された。

 

 いかん。

 ワシの指示が、小僧の頭から飛んでおる。

 

 後手後手にまわっておる。

 

 声を飛ばし、リングを拳で叩く。

 セコンドの存在。

 ワシの存在。

 

 それを思い出すことで、アドバイスもよみがえる。

 

 小僧のボディ。

 しっかりと見られた。

 

 口惜しいわ。

 こちらの対応を見て、手を変えてくる。

 なんでもできるボクサーの強み、か。

 

 

 小僧の顔がはね上がる。

 

 様子を見るように、もう一度アッパー。

 いかん、下からのパンチが見えておらん。

 

 小僧のひざが揺れる。

 決めにきた。

 

 届かない声。

 それでも、ワシは叫ぶ。

 

「小僧ーっ!」 

 

 

 

 小僧が立つ。

 あきらめておらん。

 あのアッパーをどうにかせねばならん。

 

 小橋。

 十字受け。

 あれなら、アッパーは防げる。

 しかし……。

 

 ええい、迷うな。

 

 

 

 再開。

 速水がくる。

 

 速水のアッパーを押さえた。

 拳を握る。

 

 距離をとり、速水の猛攻が始まる。

 ガードの上から、ラフに攻め立てて……。

 

 いかん。

 速水の狙いは、レフェリーストップ。

 なんと冷静な男じゃ。

 

「小僧ーっ!」

 

 退くな。

 手を出せ。

 

 そう、手を……。

 

 

 

 

「か、会長……今の?」

「……小僧のパンチをかわしてカウンターを狙っておった。その速水の動きを、レフェリーがふさいだ」

 

 ニュートラルコーナーで、小僧が肩で息をしておる。

 たぶん、わかっておらん。

 じゃが、このホールの微妙な雰囲気に、何か気づくかもしれん。

 

「……選手を勝たせるのがセコンドの仕事じゃ、八木ちゃん」

「ええ。しかし……」

「迷うな。小僧が勝つことだけを考えるんじゃ」

「……そうですね、わかりました」

 

 

 速水が立った。

 足がふらついておる。

 

 止めるか?

 続行か?

 

 

 なんじゃ?

 今、速水が……何か言うたか?

 

 レフェリーの表情。

 微妙な間。

 

 再開。

 

「ためらうな!行け、行くんじゃ小僧ーっ!!」

 

 

 小僧のダメージと疲労も相当じゃ。

 ここを逃すと、もう勝機はない。

 

 クリンチ。

 鍛えられておる。

 そして、忌々しいほど冷静じゃ。

 むしろ、小僧のほうに余裕がない。

 

 また、クリンチ。

 

「レフェリー!ホールド!注意して、注意!」

 

 八木ちゃんの声。

 

 速水はまだ回復しておらん。

 回復を待っておる。

 パンチは手打ちじゃ。

 

 じゃが、嫌な予感がする。

 

 足元を確かめる仕草。

 

 

 

 

 

「……ぁ」

 

 軽やかに。

 速水の足がステップを刻んだ。

 

 

 唇をかみ締めながら、ワシはリングに上がって小僧の下へと駆け寄った……。

 

 

 

 

「……え?……ぁ?」

 

 小僧が、顔を動かす。

 

 ……勝たせてやれなんだ。

 己の無力さを噛み締める瞬間よ。

 

「試合は終わったよ、一歩くん」

「……ぇ?」

 

 認識できておらんな。

 

「八木ちゃん。無理にしゃべらせんほうがええ」

「はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

「鴨川会長、幕之内くんはどうですか?」

 

 少し話したが、小僧を高く評価していたことはうかがえた。

 そして。

 

「幕之内くんに伝言を」

「なんじゃ?」

「試合には勝ったが、パンチをもらったから、勝負は俺の負けだ、と」

「ふん、ぬかしおる……」

 

 ……手玉に取られた。

 あのダウンも、事故のようなもの。

 

「小僧の、そしてワシらの負けじゃ。ミスもあったが、付け入る隙がなかったわい」

 

 付け入る隙がなかった。

 それが、ワシの本音。

 そして、『ミスもあったが』という言葉は、強がりよ。

 

「今日は、ですよね?」

 

 顔を上げる。

 速水を見る。

 

 煽りよる。

 それとも、小僧に、何かを感じたか。

 

 期待には、応えてやらねばならんな。

 

 ぐっと、拳を握る。

 

「ああ。今日は、じゃ」

 

 

 去っていく速水龍一の背中を見送る。

 

 

 また、一から出直しじゃ。

 出直しじゃが……。

 

 小僧の新人王戦は、これで終わりじゃ。

 宮田の件は残念じゃが、しばらくはゆっくりと休め、小僧よ。

 

 あらためて、小僧を見た。

 速水に散々打たれて、腫れた顔。

 

 時間をかけて、顔を腫らすことなく勝てるボクサーに鍛えてやるわ。

 




速水龍一の認識と、周囲のずれを楽しんでいただけたならいいのですが。

もう、予約投稿はしてません。
第二部の再開まで、しばらくお待ちください。

新人王戦の参加数は(原作では20人)とか、小橋戦を速水が(見てました)とか、ちょっとメタいかなと思って消しました。

なお、昭和の終わり頃から平成はじめの(日本)ボクシングジョーク。

解説1:「〇〇選手の世界王者への挑戦、残念な結果に終わりました」
解説2:「ええ、東洋に敵なしと言われた〇〇選手でしたが、世界の壁は高かったです」
解説1:「しかし、半年後に〇△選手の世界挑戦の話があると聞きましたが?」
解説2:「そうです。〇△選手も、東洋に敵なしと言われています。期待したいですね」

〇〇選手と〇△選手は、『同じ階級』の『日本人』の選手です。(震え声)
東洋に敵なしとはいったい……。

安易な世界挑戦(そして敗退)が相次ぎ、世界挑戦は最低でも日本王者を獲ってからという『暗黙のルール』ができたのもこの時代だと聞いてます。
とにかく、勝てる相手との試合を組み、無敗のボクサーが多かったとか。
原作で、強敵とも試合を組む鴨川会長のマッチメイクが『強気』と評される背景でしょう。

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