速水龍一で始める『はじめの一歩』。   作:高任斎
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お待たせしました。


20:戦いに挑むもの。

「速水選手、122ポンド、OKです」

「ありがとうございます」

 

 

「和田選手、121ポンド、OKです」

「ども」

 

 A級賞金トーナメント。

 全13階級でおこなわれたトーナメントも、決勝戦。

 ただし、2日かけて行われる。

 

 例の、ホールの興行の目安50Rというやつだ。

 

 A級トーナメントの決勝は8Rで行われる。

 たとえばそれが7試合だと、合計56Rになってしまう。

 

 軽量級は判定が多く、後半までもつれ込みやすい。

 重量級はKO決着が多く、予想以上に早く終わることもある。

 そのあたりの兼ね合いで、各階級をバランスよく混ぜてスケジュールが組まれた。

 

 その結果、俺のジュニアフェザーと、ヴォルグのフェザーは、別の日程に分かれた。

 そして、鴨川ジムの木村さんのジュニアライトと、青木さんのライトも別の日程。

 俺と木村さんが同じ日程。

 ヴォルグと青木さんが同じ日程だ。

 

 

 

 

 俺と和田への記者連中の集まりはぼちぼち。

 

 ほかの注目は、ジュニアライトの間柴と、ミドルの玉木あたりか。

 ヴォルグがいない分、少しばらけたか。

 

 

 さて、握手をしようとしてふと気づく。

 左利きの人には、どっちの手を伸ばすべきなんだろうな?

 

 まあ、ここは年上にあわせておくか。

 

 俺が伸ばした左手。

 和田がそれを握った。

 

「和田さん、明日はよろしく」

「ああ。この前の借りは返すぜ、速水」

「借り?何かありましたっけ?」

「飴玉の、さ」

「いやそれ、恩をあだで返すって言いません?」

「はは、若いうちに苦労をしろと言うだろ。俺なりの恩返しってヤツだ。遠慮なく受け取ってくれ」

 

 俺たちの会話に、記者たちの一部が首を傾げる。

 

 あるいは、以前からの知り合いと思われたか。

 同じアマ出身とはいえ、俺と和田は年代が重ならない。

 デビュー時期も違う。

 これまで接点は無かった。

 いや、無くもないのだが、直接の接点は無かった。

 

 あの飴玉が接点か。

 そして、この決勝。

 

 質問が飛ぶ。

 

 抱負。

 意気込み。

 そして、『倒して勝つ』と、記者たちが望む言葉を、俺も和田も口にする。

 

 最後に、お互いのあごの下に拳を構えての写真。

 

 

 記者たちが離れると、和田がため息をついた。

 

「……倒すだけがボクシングかよ」

 

 アマボクシングはメジャー競技とはいえないが、トップ選手ともなればさすがにマスコミに慣れる。

 オリンピックに出場するような選手ならなおさらだ。

 ただ、そのぶん……すれたりもする。 

 

「まあ、記事を書くのは記者さんですが、記事を読むのは一般の人ですからね……あの質問も、読ませる記事を書くための質問ですよ」

「そのぐらいはわかってるさ……オリンピック(ソウル)で嫌になるぐらい経験したからな」

「やっぱり、ひどいんですか?」

「……注目競技の注目選手に比べりゃマシだった、とは言っておく」

 

 苦笑だけにしておいた。

 たぶん、突っ込んでもろくなことが無い会話だ。

 

「それで、速水よ。8Rもちそうなのか?」

 

 不意打ち。

 とまではいかない。

 

 サニーとの試合で、ある程度覚悟はした。

 相手の無能を願うのは、自分が無能である証拠だろう。

 

 俺を見つめる和田の目。

 それを、見返した。

 

「ぶっこんで来ますね」

「……試合前にいきなり飴玉なんかなめ始めたら、馬鹿でも気づくぜ。そうさせる何かがあった……ってな」

 

 それもそうか。

 わざわざ、『ヴォルグのトレーナーが言ってた』などと、煙幕を張ったつもりだったんだが。

 

 そして、これはサニーとは別の路線での気づきだ。

 

「まあ……不安があるとだけ言っておきます」

「なるほどな……試合を見た感じだと、わからないのが不安ってとこか」

 

 息を吐き、和田が視線を落とした。

 

「探るような真似して悪かった……ただ、俺にも事情があってな。注目されてるお前を派手に倒して、アピールしたいんだよ」

「ああ、ガス欠でヘロヘロになった俺を倒しても意味が無いってことですか……それは俺もごめんですね」

 

 顔を上げ、和田が苦笑を浮かべる。

 

「ま、俺の都合だ……」

 

 和田の視線。

 ここではない、どこかをみているように感じた。

 

「プロも……色々と面倒だよな」

「……冴木さんに言ってやって下さいよ」

 

 和田は、冴木が通ってた大学のOBだ。

 オリンピック候補のアマ選手が所属するような大学のボクシング部は限られてくる。

 ただ、俺より5歳年上、そして冴木の4つ上だから、同じ時期に在籍していたわけではない。

 ちょうど入れ替わりのタイミング。

 

「速水、お前あいつの知り合いか……ああ、ひとつ違いだもんな。お前は最初からプロ志望だったが……冴木のやつはなぁ」

 

 額に手をあて、大きなため息。

 そして出てくるのは、冴木への愚痴というか、大学に絡んだ人間関係への愚痴。

 

 冴木のプロ転向の……一連の動き。

 

 相当もめたようだ。

 大学関係者はもちろん、いろんな人間の面子をつぶしたことになったのだろう。

 オリンピックに出た先輩として、冴木を説得……みたいな事もさせられたとか。

 やはり冴木は、大学をやめるしかなかったようだ。

 

 うん、この話題、振るんじゃなかった。

 そして、この場にヤツがいなくて良かった。

 

『プロも面倒』って言ってたけど、この人、アマに嫌気をさしてプロに転向したクチかもしれないな。

 

 

 愚痴が終わったというより、我に戻ったのだろう……和田が気まずい表情を浮かべた。

 

「その……なんだ。悪かった……」

「いえ、こちらこそ余計なことを……」

「……速水。今の、やばいネタもあるから……な?」

「わかってます。言いませんから」

 

 そこで会話が途切れた。

 なんとなくという感じで別れる。

 

 別の人と、口直ししたい気分だが……音羽会長は、別のジムの人と話しこんでいる。

 

 

「よお、速水」

「ああ、木村さん」

 

 向こうから来てくれるとはありがたい。

 ん?

 

「……あれ、取材は?」

「お目当ては俺じゃなく、間柴だとよ……」

「間柴って、取材にちゃんと対応できるイメージが浮かばないんですが……」

「東邦ジムの会長さんが、汗を流しながら対応してるよ」

 

 そう言って、木村さんが肩をすくめた。

 

「……難敵ですね」

「まあな……でも、やるしかないさ。俺が勝てば、あの注目は全部俺のモンになる……そうだろ?」

 

 言葉とは裏腹に、表情が硬い。

 

「そして、賞金とランキング1位、何よりもチャンピオンへの優先挑戦権、だ」

 

 そこにある何かをつかむように、拳が握りこまれる。

 

「印象に残る試合ができたら、MVPまでつきますよ」

「おっと、それもあったな……そうだな、強い相手で幸運だったってことだ」

 

 拳を手のひらに打ち付ける。

 2度、3度と。

 

 ……緊張は隠せない。

 

 分が悪いという、自覚があるんだろう。

 

 間柴の距離。

 そして、木村さんの距離。

 

 距離をとっての左の差し合いは木村さんに不利だ。 

 木村さんが比較的有利に戦えるのは、近距離だろう。

 ただ、アウトボクサーの木村さんはそこが苦手なはずだ。

 不慣れなボクシングをしながら、間柴の打ちおろしのパンチを警戒しなければならない……リスクは高く、リターンは少ない。

 しかし、近づかなければボクシングにならない。

 

 どう近づくか。

 どう戦うか。

 

 戦略も、戦術も、難しい試合であることは間違いない。

 

 

 少し話題を変えるか。

 

「別の日程に別れましたけど、青木さんの調子はどうなんです?」

 

 木村さんの表情が曇った。

 

「……良くないんですか?」

「アイツ、準決勝で倒し倒されの熱戦だったからな……ダメージと疲労を抜くだけでずいぶん時間がかかった」

 

 ダメージと疲労を抜くといっても、ただ安静にしているだけでは身体が動き方を忘れてしまう。

 人間の身体は、動くことでメンテナンスされる……そういう部分はある。

 しかし、安静にしていなければ、回復は遅くなる。

 

「軽い、調整程度ですか……」

「ああ。ただ、昔から青木は、追い詰められてからがしぶといんだ。今度の試合も、きっと何か考えてる……アイツとは、古いなじみだからな、わかるのさ」

 

 そう言って、笑う。

 緊張を感じさせない、柔らかい笑み。

 

 ある種の、心の支え、か。

 

 

「そういえば、幕之内くんはどうしてます?」

 

 宮田との試合のあと、会っていない。

 まあ、自分の試合もあったしな。

 

 木村さんが俺を見る。

 

 ん?

 んん?

 その表情は?

 

 ぽんと、肩に手を置かれた。

 

「なあ、速水……お前、ヴォルグと伊達さんがタイトルマッチをやったら、ヴォルグを応援するよな?」

「え、ええ、まあ……同じジムの仲間ですし」

「そうだよな……日本人とか、国とか関係なく、同じジムの仲間なら、そういうもんだよな」

 

 ぼそりと。

 低い声で。

 

「あのやろう、間柴の妹に鼻の下を伸ばしてやがった……」

 

 え?

 あぁ、そういう……。

 

 宮田との試合が終わって、いろんな意味で気持ちが切れてないか心配してたんだが。

 まあ、元気そうにしてるならいいか。

 

 

「俺が間柴と戦るのを知ってて、仲良く話をしてやがるんだぜ?」

「ああ、ちょっと無神経かも知れないですね……」

「だろう?」

「まあ、幕之内くんも試合が終わって気が抜けてるんですよ……ここは、木村さんが先輩らしく余裕を見せてあげるところですって」

「そ、そういうもんか……」

 

 木村さんに相づちを返しながら思った。

 

 どうやら今日は、そういう巡り合わせらしい、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後楽園ホール。

 

 控え室。

 

 A級トーナメントの参加者に、ライセンスの差は無い。

 それでも、年齢や、実績などで、言葉遣いの変化や、遠慮が見え隠れする。

 試合相手なら別だろうが、それは別の控え室。

 

 少なくとも今日は、戦うことの無い集まり。

 

 

 俺の出番は3試合目だ。

 

 軽い階級からの順番。

 俺の次に、ジュニアライト……木村さんと間柴の試合。

 

 4回戦の試合は判定までもつれても15分ほどで終わるが、今日は全部8Rの試合だ。

 長ければ30分。

 そして、早ければ1Rで終わる。

 

 まあ、あんまりな場合は進行の調整をするだろうが、俺の前の2試合がともに1Rで終わったなら、入場も含めて10分ぐらいで出番がやってくることになる。

 

 慌てずに。

 そして、いつでもいける心構えで。

 

 バナナを半分食べてから、飴玉を転がし始める。

 

 果物に含まれる果糖は、砂糖とは違う。

 同時に食べても、分解される速度が異なり、エネルギーに変換されるまでの時間は、果糖の方が遅い。

 

 会場の様子を見ていた村山さんが戻ってきた。

 

「会長、1試合目は判定までいきそうです」

「そうか……」

 

 待つ時間。

 

 無理に動く必要は無い。

 

 

 

 1試合目の選手が戻ってくる。

 控え室の人間の視線がそちらを向く。

 

 不思議な話だが、2試合目以降の選手が戻ってきたときはこうならない。

 最初に戻ってきた選手が、勝ったか負けたか。

 それを気にする。

 

 まあ、ここにいるのは全員A級ボクサーだ……4回戦ボーイのように、『勝ち運がついてる』とか『じゃあ、次は勝てる番だな』とか、声をかけられるようなことはない。

 それでも、視線だけは向けてしまう。

 そんな癖がついている。

 

 

 歓声。

 それが、控え室に届いていてくるということは……。

 

 立ち上がる。

 予感のようなもの。

 軽く、ステップを踏む。

 

 村山さんが現れる。

 

 そして、スタッフ。

 

「速水選手、準備をお願いします」

 

「いくぞ、速水」

「はい」

 

 

 2試合目の選手とすれ違う。

 また、こちら側の負けか。

 

 まあ、関係ないけどな。

 

 体調は、いい。

 

 

 

 2試合目が予定より早く終わったせいか、俺と和田の、プロフィールが紹介されている。

 

 会場に流れるアナウンスを聞いていると、俺も、和田も、アマのエリートという印象が強い。

 格に関しては、当然オリンピックに出た和田の方が上だが。

 

 まあ、リングの上に持っていけるのは、今の自分だけだ。

 

 

 

 レフェリーからの諸注意。

 

 和田を見る。

 身長は、俺とほぼ同じ。

 和田の身体を見る。

 バンタムから、ジュニアフェザーに階級をあげてきた身体。

 良く見える。

 

 しかし、ジュニアフェザーでの2戦。

 精彩を欠いているように見える。 

 

 石井とのタイトルマッチでみせていた、あの躍動感。

 

 俺のイメージは、バンタム時代の和田の姿。

 

 

 

 コーナーへ戻った。

 

「ぶっ飛ばしてこい、速水」

「ええ、そのつもりです」

 

 ……始まる。

 

 

 

 リングの中央。

 

 伸びてきた右手。

 ジャブを打つ手。

 俺は、左手を伸ばす。

 

 グローブをあわせ、距離をとった。

 

 リングの感触を確かめるように、回りだす。

 

 和田の姿勢は、今のところオーソドックスだ。

 距離が近くなると、少し低くなる。

 

 右のジャブ。

 俺の左に押し付ける感じ。

 とん、とん、と。

 俺のガードにぶつけてくる。

 

 俺が左を出しても、途中でぶつかる。

 そんな軌道。

 

 ふっと。

 和田の身体が沈む。

 上体を折りたたむようにして、左のボディストレート。

 

 バックステップでかわした。

 

 仕切りなおし。

 

 今度は俺から。

 左。

 さっきされたように、2発。

 和田の右手にぶつける。

 

 和田の顔が動く。

 左手の影に。

 

 軽い衝撃。

 

 遅れて、歓声が聞こえた。

 

 距離をとった。

 なるほど、見えなかったな。

 今のが和田の右フックか。

 

 左手と顔の動きで視線を誘導し、視界の外から右フック。

 タイミングも独特だ。

 

 

 ……横っ面をはたかれた、お返しはしないとな。

 

 左。

 ジャブ。

 そして、強打へ。

 和田の顔ではなく、ガードを目標にした左ストレート。

 

 踏み込む。

 少しバランスを崩した和田の顔に、左フック。

 

 今度は和田が距離をとった。

 その場で、軽くステップを踏んでいる。

 

 近づく。

 左。

 和田の右。

 

 いわゆる、ジャブの差し合いにはなりにくい。

 

 右利き同士なら、お互いの左は平行軌道を描く。

 しかし、右と左が相対した場合……。

 お互いのジャブは、軌道がクロスする。

 

 出したジャブが、相手のグローブに、肘に、腕に、ぶつかってしまう。

 

 対サウスポーのセオリーで、相手の外に回って右ストレートから入るというのは、相手の右に対して、こちらの右が平行な軌道を描くから。

 そして、真正面から強い右を打ち込みながら、こちらはパンチをもらう危険性が少なくなるからだ。

 

 まあ、当然……サウスポーは、対右利きの試合には慣れている。

 

 

 左ストレート。

 

 和田の二の腕、肩の辺りをめがけて打つ。

 ガードされるならそれでもいい。

 

 和田の右腕が折りたたまれる。

 

 サイドステップ。

 左フック。

 拳は縦。

 そして、ガードの隙間へねじ込んだ。

 

 和田が距離をとる。

 そして……目が据わった。

 

 上体を動かしながら接近。

 右ジャブの連打。

 左ストレート。

 また、右。

 

 和田の頭。

 

 俺は左前方に踏み込んだ。

 和田の右肘を押さえる。

 

 右の強打。

 和田のガード。

 動きの止まった和田の肝臓を、左で突き上げた。

 

 和田が大きくバックステップ。

 距離をとり、またその場でステップを踏む。

 両手をぶらぶらさせる。

 

 硬くなっているのか。

 

 息を吸い、吐くのがわかった。

 

 

 軽快なステップ。

 和田が、俺の周囲を回りだす。

 

 おい。

 おい、まさか。

 

 俺の中のイメージ。

 バンタムで、石井とタイトルマッチをやった和田のイメージ。

 それと重なる。

 

 和田の右。

 左のボディストレート。

 

 動きがいい。

 間違いない。

 

 横の動き。

 右。

 そして左。

 時折見せるボディストレートが、攻撃にアクセントをつける。

 

 和田の右。

 そして左……。

 

 また横面を叩かれた。

 右フックだ。

 

 また、歓声が耳に届く。

 

 

 残り10秒の合図。

 

 左右へのフェイントをかけて接近。

 強い右。

 それをガードさせた。

 もうひとつ右。

 

 左フックをねじこむ。

 そしてバックステップ。

 

 空振りする右フックの軌道を確認。

 

 

 1Rが終わった。

 

 

 

「会長、見ましたか?」

「ああ……和田のやろう、ジュニアフェザーの2試合、三味線ひいてやがったな」

「たぶん……真田とのタイトルマッチを想定してたんでしょうね」

 

 まあ、自分の考えることは他人も考えるか。

 

「しかし、和田さんって人気あるんですね。俺がパンチをもらうたびに歓声が飛びますし」

「……速水、お前がまともにパンチもらったの、千堂戦以来だからな。たぶん、そのせいだ」

「……そうでしたっけ?」

 

 スパーで、殴られてるからなあ……。

 

 

 セコンドアウトの合図。

 

 さて、2Rか。

 

 

 

 横の動きが多い。

 和田も、俺も。

 

 パンチを当てる軌道を、自分が動くことで探る。

 

 和田のボディストレート。

 

 上体を倒して左手を俺のボディへと伸ばしてくる動き。

 右手は顔をガードしている。

 アッパーで迎え撃とうとしても、和田の左手の方が射程距離が長い。

 

 うん、これをどう攻略するか。

 あるいは、スルーできるか。

 

 そして、右フックか。

 

 和田というボクサーの、ボクシングの組み立て。

 その柱から、壊す。

 

 左に回る。

 左を飛ばす。

 意識的に、ガードの上へぶつけている。

 ただ、ヒットポイントと、タイミングをずらしながらだが。

 

 腕が伸びきる寸前。

 そこでパンチをあてるのが一番効く。

 

 強いパンチをガードできるのは、ヒットポイントがすれているからという理由がある。

 

 なら、最初からガードを狙って打つ。

 ガードに、一番強い衝撃を与えられる距離で。

 

 

 左フックを右肩に。

 当ててから、ねじりこむ。

 バランスを崩す。

 

 そこを右の強打。

 ガードさせて踏み込む。

 

 和田の右フックが割り込んできた。

 

 マウスピースを強く噛む。

 そして、左アッパーを振り抜く。

 

 和田のひざが揺れる。

 

 また、右の強打をガードに叩きつけた。

 今度は、肝臓に左を返す。

 

 その左腕を抱えられた。

 抱きつかれる。

 

 右の拳。

 右ひざ。

 

 みぞおちを突く。

 2発目。

 右腕も抱えられる。

 

 レフェリー。

 

 

 離れ際。

 

 和田の、いきなりの左。

 ガード。

 そこを、また右フックにはたかれる。

 

 軽いパンチ。

 しかし、軽視はできない。

 

 歓声がうるさい。

 

 

 お互いに距離をとった。

 

 にらみ合い。

 

 情報の整理。

 作戦の構築。

 

 

 同時に動いた。

 

 ボクシングの始まりだ。

 

 丁寧に。

 和田のパンチをさばいていく。

 

 やはり、この右フックからの組み立てが、和田の生命線。

 ジャブのように、使いこなしてくる。

 一発一発、微妙に角度が違う。

 そして、妙なためを作って、タイミングをずらしてくる。

 

 差し合いではなく。

 ターン制のように。

 

 お互いのパンチが、交互に繰り出される。

 

 避けて返す。

 あるいは、ガードして打ち返す。

 

 唐突に繰り出されるボディストレート。

 

 威力も迫力も感じないが、これでリズムもタイミングも、全部壊される。

 厄介なことに、予備動作が読みにくい。

 和田の変則なリズムに良くなじんでいる。

 

 

 お互いにパンチを出し合いながらの膠着状態。

 しかし、危ういバランス。

 

 残り10秒の合図。

 

 フェイントを入れ、踏み込んだ。

 和田の右フック。

 その下へ。

 

 右脇の下に、左フックを打ち込んだ。

 和田の動きが止まる。

 もう一発。

 

 和田の左。

 かいくぐる。

 右のボディアッパー。

 

 ここで2R終了。

 

 

 和田が俺を見る。

 しかし、すぐに背中を向けた。

 

 俺もコーナーへ。

 

 

 

「いまひとつ押し切れない感じだな」

「ええ……あのボディストレートが、いい仕事をしてます」

 

 会長が、声を潜めた。

 

「体調は?」

「大丈夫です……まだ抑えてますし」

 

 水を一口だけ含む。

 

 なぜか、飴玉の甘さがよみがえった。

 気のせいか?

 まあ、どっちでもいい。

 

 

 3Rの開始だ。

 

 

 

 2R後半と同じような形が繰り返される。

 

 和田の右フック、そして足を奪う。

 そのために、俺は執拗にボディと、右脇の下を狙った。

 

 少しずつ、和田の右の数が減っていく。

 

 しかし、ダメージではなく意図的に減らしている。

 脇の下の筋肉は、相手の腕が伸びたところを、カウンターで叩き込まないと効果は薄い。

 

 

 和田のボディストレート。

 

 これが増えてきた。

 攻めではなく、防御のための攻撃。

 

 いくらなんでも見せすぎと思ったところで、右が来た。

 右のボディストレート。

 重い。

 

 いったん距離をとった。

 

 タイミングか。

 距離か。

 

 鈍い衝撃が残っている。

 軽視できない威力。 

 

 

 

 息を吐く。

 そして吸う。

 

 前進。

 

 左のフェイント。

 強い右から入った。

 

 もうひとつ、左のフェイント。

 右のアッパー。

 かわされたが、これは威嚇。

 左のボディフック。

 そして右フックを顔面に返す。

 

 和田の左。

 前髪をかすめた。

 

 右アッパー。

 かわされる。

 

 反応が速い。

 そして、よく動く。

 

 伸びた腹へ、左を。

 右フックを上に。

 

 その下にもぐられた。

 

 和田の右フック。

 ガード。

 強い右だ。

 

 右の警戒を上げる。

 

 和田の左。

 連打の回転が上がっていく。

 

 まだ上のギアを隠してたか。

 

 押し返す。

 上へ。

 下へ。

 パンチを散らす。

 

 本命はボディ。

 時折、フックでアゴを狙う。

 

 和田の左は避ける。

 しかし、右ははじく。

 2度。

 3度。

 

 はじかれないように、強いパンチを。

 その意識を狙う。

 

 大振り。

 

 ドンピシャのタイミングで、脇の下に叩き込んだ。

 右腕を伸ばしたまま、和田の動きが止まる。

 

 細かく、鋭く。

 

 右のショートフック。

 

 反応された。

 

 抜けた感覚。

 手ごたえはわずか。

 しかし、アゴの先をかすめた。

 

 和田の身体が揺れた。

 尻餅をつく。

 

 今の……?

 

「ニュートラルコーナーへ」

 

 レフェリーに促されて歩き出す。

 

 俺の右を見つめる。

 右のグローブを。

 

 普段の、自分の手……拳の大きさ。

 横幅はおよそ指4本……10センチに満たない。

 しかし、グローブの横幅はもっと大きい。

 

 ……ああ、そうか。

 拳を当てないのか。

 

 パンチの手ごたえがあるということは、それだけ抵抗があるということだ。

 

 アゴの先を狙って脳を揺らすなら……手ごたえは抜けたほうがいい。

 

 拳を当てようと意識すると、グローブの大きさの分だけパンチの当たりは深くなる。

 拳ではなく、グローブの部分で当てる。

 

 本当に、空振りと紙一重。

 ピンポイントのパンチ。

 

 多用するものじゃない、か。

 

 

 和田に視線を向ける。

 

 カウント7。

 グローブを、太ももに叩きつけ……立ち上がった。

 

 ファイティングポーズはしっかりしている。

 しかし、ひざがかすかに揺れている。

 

 

 体力が尽きると、足が伸びる。

 気力が尽きると、腕が伸びる。

 

『かわいがり』にかけては定評のある、相撲部屋の親方の言葉だ。

 

 相手の状態を見抜かなければ、ちゃんとした『かわいがり』はできないと……穏やかな目をして語っていた。

 

 

 ボクシングをしていると、この言葉が正しいことが良くわかる。

 いいパンチをもらって意識が飛ぶと、ガード……腕が落ちる。

 そして、気力はあっても足が動かない……そういう光景は良く見る。

 

 ダメージの質の見極め。

 

 

 時計を見た。

 

 間に合うか?

 

 

 試合再開。

 

 和田に向かって、走った。

 

 和田の右。

 左。

 死に物狂いの連打。

 

 手が出せない。

 

 そこに、レフェリーが飛び込んだ。

 

 

 3Rの終わり。

 

 息を吐く。

 

 今の和田のダウンは、ダメージを積み重ねたものじゃない。

 時間がたてば、三半規管の麻痺は回復する。

 

 やりなおし、か。

 

 まあ、あれはラッキーパンチのようなものだった。

 

 切り替えよう。

 

 

 

 

「いやぁ、惜しかったな。あと2、3秒あれば終わってただろ」

「……ですね。でも、終わりませんでしたから……やり直しですよ」

 

 さっきのR。

 劣勢になってから、和田がギアを上げてきた。

 たぶん、あれが全開。

 

「……問題ないか、速水?」

「自覚できる範囲では……会長の目から見てどうですか?」

「変わりはない……そう見える」

 

 また、水を一口。

 甘い味はしない。

 やはり錯覚だったのか。

 

 口の中にしみこませてから、吐き出す。

 

 

 セコンドアウト。

 

 

 4R。

 

 和田のコーナーへと詰める。

 

 右へ。

 左へ。

 パンチの届く距離。

 

 身体を左右に振って、右フック。

 それを、和田の左の肩へ。

 止まる。

 足元もしっかりしている。

 

 バックステップ。

 

 和田の左ストレートが空を切る。

 右フック。

 それをガードした。

 

 右フックのタイミングはつかめてきた。

 

 踏み込む。

 左のショートアッパー。

 とめられた。

 右フック。

 これもガード。

 

 もう一発右フックの体勢。

 和田の反応。

 肘をたたみ、小さくアッパーで突き上げた。

 威力は出ないが、印象には残る。

 

 和田の右フックに、左のフックをかぶせる。

 懐にもぐりこんだ。

 ボディへ、左右のフック。

 

 一呼吸おく。

 

 またボディへ。

 アッパーにつなげる。

 

 反応された。

 

 和田が左を振りかぶる。

 

 ガード。

 うちおろし。

 体勢が崩れた。

 

 目の前に右。

 痛み。

 マウスピースを噛み締める。

 

 足の位置だけを見て、右を振った。

 手ごたえ。

 

 和田がたたらを踏んでいる。

 

 和田の反応は速い。

 左フック。

 このパンチをきっと避ける。

 避ける方向。

 その先に。

 

 返しの右フックを。

 

 テンプルを直撃した。

 重い手ごたえ。

 カウンター気味に入った。

 

 いける。

 

 和田の右フックが割り込んだ。

 何度もらえば気がすむ。

 

 俺の踏み込み。

 深すぎた。

 

 右腕を抱えられた。

 

 左拳。

 みぞおちに。

 

 抱きつかれる。

 強い力。

 振りほどけない。

 

 レフェリーが割って入った。

 

 離れ際。

 大きく距離をとられた。

 

 しかし、さすがに足が重そうだ。

 

 追う。

 しかし、真っ直ぐは追わない。

 右に。

 左に。

 

 和田に、右を打たせた。

 ステップイン。

 和田の視線。

 

 俺の左。

 

 肝臓へ持っていく。

 次は、脇の下へ。

 そして上へ。

 

 まともに入った。

 返しの右。

 

 和田がよろめく。

 ここで決めたい。

 

 集中。

 細かく。

 

 左右のフック。

 和田の身体が揺れる。

 ガードの隙間。

 ねじ込む。

 

 反撃の右。

 はじいた。

 空いたガードへ。

 

 和田の腰が落ちる。

 

 アッパーは警戒されている。

 

 左右のフックでまとめていく。

 

 残り10秒の合図。

 和田がガードを固めて丸くなった。

 

 狙う。

 

 左フックを右腕の外から叩きつける。

 意識を外へ向ける。

 2発目の左フック。

 ガードの隙間へ。

 アームブロックの左腕を、外へとこじ開ける。

 真中に、隙間が開いた。

 

 右のアッパーをねじ込んだ。

 

 ゴングの音。

 レフェリー。

 

 

 息を吐く。

 そして吸う。

 

 コーナーへ戻る。

 

 

 

「あと2、3秒あれば……って、さっきもやったか」

「ええ」

 

 とはいえ、さっきとは状況が違う。

 さすがに、このRで決めたい。

 

 右手。

 左手。

 

 大丈夫だ。

 違和感は無い。

 

 水。

 甘くはない。

 

 ただ……しみる。

 

 まだ、動けるはずだ。

 

 目を閉じる。

 

 焦るな。

 恐れるな。

 そして。

 

 驕るな。

 

 

 セコンドアウトの合図。

 

 目を開け、立ち上がる。

 

 

 5R。

 

 

 和田の動きが鈍い。

 

 距離を詰める。

 

 左から入る。

 和田の右フック。

 鈍い。

 

 大きく踏み込む。

 右ストレート。

 ガードさせる。

 返しの左を下へ。

 

 和田の身体が折れる。

 

 右アッパー。

 反応する。

 アッパーへの警戒が強い。

 

 ならば。

 右のボディから左アッパーへ。

 

 これを。

 和田に避けさせる。

 

 本命は、その次の右フック。

 

 予測の先。

 振りぬいた。

 

 あえかな感触。

 消えそうな手ごたえ。

 

 和田の上体が揺れている。

 

 俺は。

 左フックを振りぬいた。

 

 

 

 倒れる和田。

 

 それを確認して、右手を突き上げる。

  

 右手を強く、握りこむ。

 さっきの感触を、確かめるように。

 

 眩しい、照明の光。

 歓声が耳を打つ。

 

 

 

 

 10カウント内には立てない。

 ニュートラルコーナーへと向かいながら、そう感じた。

 理由はない。

 ただ確信する。

 

 

 和田を見つめた。

 

 

 身体を起こす。

 片膝を立てようとして、尻餅をつく。

 視線を左右に投げる。

 

 ……そこは、リングの中央だ。

 つかめるロープは無い。

 

 カウントが進む。

 

 和田の手が、太ももを叩く。

 何度も。

 

 カウント10。

 

 動きを止め、最後にもう一度。

 和田は自分の太ももを叩き、うなだれた。

 

 

 

 

 

 

 

 セコンドに肩を借りて、和田が近づいてくる。

 

「速水」

「和田さん、今日は勝たせてもらいましたよ」

「……最後のアレ、狙ったのか?」

「はい」

「……えげつない倒し方するよなあ、お前。意識ははっきりしてるのに……えげつないよなあ」

 

 そう言って、和田が笑う。

 

「なあ、速水。真田に勝ったら、すぐに上に行く話はあるのか?」

 

 茶化す感じではない。

 真面目な話だ。

 

「ないんだよ、和田君」

 

 音羽会長。

 

「今の速水に……そういう話はない」

「……そうですか」

 

 和田は視線を落とし……上を見上げた。

 そのまま数秒。

 

「そういや、飴玉の借りを返せなかったな」

 

 ぽんと、肩を叩かれた。

 

「真田とのタイトルマッチのときに、飴を1袋、差し入れしてやるよ」

「1袋って……2個もあれば十分ですよ」

「よしわかった。2袋だな」

「単位が違いますって」

 

 1袋に15個とすれば、30個だ。

 多すぎる。

 

 もう一度肩を叩かれた。

 

「俺の差し入れを全部使い切る頃には……世界の王様になってるだろうよ」

「……だといいんですけどね」

 

 俺の言葉に、また和田が笑った。

 三度、肩を叩かれる。

 

「がんばれよ、速水」

 

 和田が、背を向ける。

 やや怪しげな足取りだが、歩いていく。

 観客の声援を浴びながら。

 リングから、降りていく。

 

「……和田さん、引退ですかね?」

「だろうな……和田も26だ。石井やお前がベルトを返上するのを待つ余裕は無い」

「強かったんですけどね」

「先代会長……俺の伯父さんが言ってたよ。ボクサーがリングの上で戦えるのは、夢のような時間だってな」

 

 夢の時間か。

 前世でも、似たようなことを聞いたな。

 

「1分1秒でも長くボクサーであるために、対戦相手の時間を奪うのさ……まあ、俺は奪われたほうだ。もっとも、たいした時間でもなかったけどな」

 

 負けたら、現役でいられる時間を奪われる、か。

 

 夢の時間。

 夢から覚めたら……引退か。

 

「まあ、引退するしないは相手の都合だ……玉座は、血塗られているってな。それはボクシングでも例外じゃねえよ」

 

 ぽんと、会長に背中を叩かれた。

 

 観客席に目を向ける。

 右手をあげ、リングを一周。

 

 照明の光。

 

 今日と同じ光の下で。

 デビュー戦のときと変わらない光の下で。

 

 次は、真田と戦う。

 




……この、第二部完!と書いてしまいそうな流れよ。(笑)
まだ、ヴォルグたちの試合が残っているから、続きます。

ちなみに、第三部は『チャンピオンカーニバル編』です。

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