第3部、チャンピオンカーニバル編の再開です。
22:晩秋の病室で。
俺の距離。
そして、幕之内の距離。
届かないパンチは当たらない。
左。
あるいは右で。
幕之内の前進を阻む。
人間は、頭を傾けると距離感が微妙に狂う。
ゴルフでは、地面の傾斜に対して細心の注意を払う。
野球やサッカーは、頭を傾けず、揺らさない走り方を叩き込まれる。
距離感を失わないためだ。
速く、細かく、幕之内の頭が左右に揺れる。
防御の一環だが、これは幕之内の距離感を狂わせる要素のひとつだろう。
もちろん、これは幕之内に限ったことではなく、多くのボクサーは上体を激しく動かす。
そのために、左というか、ジャブで距離感を測る重要性が増すわけだ。
左で相手の動きを止め、右を放つ。
ボクシングのワン・ツーが、基本中の基本と言われる理由。
コンビネーションそのものではなく、距離感の重要性を示している。
幕之内がくる。
それを突き放す。
突き放せるうちは、突き放し続ける。
タイミング。
そして、パンチの強弱。
もちろん、左右の動きも忘れない。
距離と同じぐらい、パンチを放てない位置取りは重要だ。
幕之内は、俺の足を見て距離を測っている。
そして、パンチをはずしてダッシュで懐に飛び込もうとする。
リーチの短さを補う一瞬のダッシュ力が、幕之内一歩というボクサーの生命線。
ただ、その前進を続けるスタイルは、相手のパンチを常にカウンター気味に受けることを意味する。
その勇気とは裏腹に、身体にダメージは蓄積されていく。
いや、勇気の分だけ……傷ついていくと言うべきか。
夢の中では、Rの概念はない。
俺が幕之内にぶちのめされるまで、夢が続いていく。
……バージョン4への移行はまだかなあ。(震え声)
数え切れないほどの突進。
延々と続く繰り返しに根負けして、ミスともいえないようなわずかな緩みがでてしまう。
幕之内はそれを見逃さない。
見逃してくれない。
懐に飛び込まれて、
幕之内のパンチが届く距離。
ジャブ。
左右のフック。
そして、アッパー。
唸りを上げる豪腕。
連打が全て強打でくる。
ヒットポイントをずらしてガード。
あるいは空振りさせる。
または、はじくように受け流す。
一番大事なのは、自分の身体の軸を保つことだ。
体勢を崩すと、反応が遅れる。
意識はしても、身体がついていかない。
最小限の動き。
当てさせない。
そして、細かく、速く、鋭く。
連打で応戦する。
パンチを振り切る余裕はない。
あくまでも、防御に意識をおいた攻撃だ。
幕之内は止まらない。
俺も、殴り続ける。
ボディへ。
アゴへ。
テンプルへ。
何十発、何百発と叩き込んだところで、幕之内はひるまない。
そして、一発でひっくり返される。
幕之内の頭の動きが激しくなる。
そろそろボーナスステージだ。
文字通り、一発でひっくり返される。
前進して回転をつぶす。
バックステップでカウンターを狙う。
俺は、そのどちらも狙わない。
ちなみに、バックステップで距離をとったら、パンチを打たずに前進してきて距離をつぶされる。
原作でも、その手を使えばカウンターを食らわなかったんじゃなかろうか。
幕之内の頭の動きが激しくなってきたら、そこでつぶしにかかる。
前進を、ジャブや強い右で止めようとするのと一緒だ。
振り子運動そのものを、パンチでとめる。
当然、難易度は高いが……リカルドはそれをやったんだろう。
それも、
俺はリカルドじゃないから、初見でそんなことはできなかった。
ただ、嫌になるほどぶっ飛ばされれば、勇気よりも慣れが芽生える。
諦めと、開き直り。
観客も、声援もない暗闇の中。
幕之内をひたすら殴り続けるだけの夢。
その、終わりをもたらすのは幕之内の拳。
アッパーで身体を起こされ、腹をえぐられた。
悶絶して身動きできない俺に向かって飛んでくる拳。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
……目覚めの時間だ。
今日はそこそこ寒い。
もうすぐ冬が来る……というか、冬至まで1ヶ月。
俺は、前世に比べて少し寒さに弱くなった気がする。
……皮下脂肪の違いだろうか。
病室のネームプレートを確認し、少し苦笑した。
前世で、プライバシー保護のために病室入り口のネームプレートがなくなったのを思いだしたからだ。
『今』を生きていながら、『昔』を懐かしむような……不思議な気分。
今年の5月から、郵便局の土曜日営業が無くなった。
週休二日が一般的になっていく過程。
そんな時代を、俺は生きている。
病室を見渡し、位置を確認する。
目当ての人物は、6人部屋の窓際のベッドにいた。
窓の外に視線を向けている姿は、年相応の老人のように見える。
まあ、70を超えてれば、本人の気持ちに関係なく、老人ではあるだろう。
「鴨川会長」
振り向く。
「おお、速水……貴様、なんで……というより、良く来てくれたと言うべきじゃな」
ちょっと頭を下げ、音羽会長に頼まれた果物かごをベッド脇の台の上に置いた。
「これ、うちの会長からです。顔を出せずに申し訳ないと」
「そうか。すまんなと伝えてくれ。なに、少し疲れが出ただけでな、周りが余計な心配をして騒いでしもうた」
「まあ……心配してもらえる誰かがいるってことで、のみ込んでおきましょうよ」
「貴様も、ワシを年寄り扱いか……」
「サウスポーをサウスポー扱いするなって言ってるようなもんですよ、それ……俺なら、周囲が年寄り扱いするならそれを利用することを考えます」
鴨川会長が顔をしかめ、呟いた。
「口の達者な男じゃな、貴様は……」
「ここはリングの上じゃなく病院ですし」
「ふん」
そっぽを向かれた。
おそらく、いろんな人間に『身体を大事に』と言われ続けたんだろう。
1人2人ならともかく、何人も続けば『過保護』と感じてしまう……それが余計に反発を生むのかもな。
まあ、あまりいじらないでおこう。
10月下旬から11月上旬にかけて、鴨川ジムの4人の試合が重なった。
選手の練習を見るだけでなく、相手選手の研究からファイトプランの構築、そのための練習内容の決定など……やろうと思えばどこまでも忙しくなるのが指導者だ。
そして今年の夏は暑かった。
試合が終わり、気が抜けたところでたまっていた疲労が表に出てきた……そんなところではなかろうか。
本来、鴨川会長は鷹村さんだけを見る立場だったんだろうなと思う。
そこに、幕之内一歩という少年が現れた。
日本人離れしたパンチ力。
愚直とも思える素直さ。
そして、不器用さ。
鴨川会長が手を出さざるを得なかったのだろう。
その結果……鴨川ジムから、1人のボクサーと、1人のトレーナーが出て行った。
残った指導者は、鴨川会長と篠田さんの2人。
もともと宮田父は、息子専属に近い立場だっただろうが、空いた時間で練習生を見ていただろうと思う。
その1人が抜けたのだ、鴨川ジムは慢性的な指導者不足の状態に陥ったともいえる。
ちなみに音羽ジムの場合、会長とは別に、村山さんを含めてトレーナーが4人いる。
もちろん、人を多く雇うということは、それだけ費用がかかるわけで……まあ、それだけの練習生を抱えたり、プロボクサーの興行収入があることを意味する。
ジムとしての規模は、鴨川ジムよりも大きい。
あらためて、鴨川会長を見つめた。
「なんじゃ?」
「いえ、年が明けたら鷹村さんと青木さんのタイトルマッチで嫌でも忙しくなりますし……その前にゆっくり休めと神様に言われたんでしょう」
「ふん、どうせ神など信じてはおらんだろう、貴様は」
「まあ、神様に祈っても強くなれませんしね。ならば、俺はその時間を練習か研究にまわしますよ」
俺の言葉に、鴨川会長が苦笑を浮かべた。
俺がこういうことを言うと、たいていは可愛げがないという気持ちを抱くらしいし、鼻白む者もいる。
ここで苦笑を浮かべるあたり、やはり俺と鴨川会長は気質がかみ合うのだろう。
他人が信じているものを否定しようとまでは思わないが、神とか天に祈るのは、人事を尽くしてからのことだ。
そして人は、人事を尽くすことなどできはしない。
時間、資金、人とのしがらみ……どこかで、不満というか不足は生まれる。
完璧を望み過ぎれば、そのぶんだけ不平不満は大きくなる。
「……ワシのことよりも、自分の心配をせい。貴様も、タイトルマッチを控えておるだろう」
「ファイトプランは、おおむねできあがってます」
「ほう?」
「相手が決まるまでろくな対策を立てられない王者と違って、狙う立場の人間は考える時間がありますからね」
鴨川会長が俺を見る。
「……真田は強いぞ?」
「ええ。あのワン・ツーは厄介だと思います……あれをどう壊すか、ですね。あとは、向こうから前に出てくる展開にできたら言うことはないんですが」
俺のスタミナの不安を知られているという前提でプランを立てる。
理想は、真田から前に来てもらう。
そのためには、序盤でわかりやすくポイントリードするべきだが……。
「やはり、ジュニアフェザーはきついのか?」
「……わかりますか?」
まあ、俺が飴をなめてるのは鴨川会長にも見られたしな。
仕方ないのか。
鴨川会長が俺を見つめ、すっと両手を構えた。
「千堂戦のあと、貴様の攻撃は明らかにフック系のパンチが増えた」
小さく、右、左と腕を振る。
「フック系のパンチに必要な筋肉は、大胸筋など、胸まわりの筋肉じゃ。階級を落としながら、小僧と戦った頃とは微妙に身体つきが変わっておる……その増えた分が余計に減量を厳しくさせておるのじゃろう」
……あ。
そういやそうだ。
戦い方が変化すれば、当然筋肉のつき方も変わる。
春からずっと、ヴォルグ相手にスパーを続けて3ヶ月か……なるほど、な。
よっぽど高度に管理されたトレーニングでなければ、必要な部位に必要なだけ筋肉をつけるなんてことはできない。
どこかに筋肉がつけば、それを補助するように……バランスをとるための筋肉がつく。
たぶん、1ポンドまではいかない。
おそらくは、半ポンドほどの増量。
それに気づかず、普段の体重を以前と同じ重さでキープすれば……当然、減量までに蓄えられる体力も減る。
A級賞金トーナメントの初戦は、そのあたりが顕著に出たか?
顔を上げると、どこか呆れたような表情で鴨川会長が俺を見ていた。
「……貴様、まさか今気づいたのか?」
「ははは、そんな感じです」
俺としては、苦笑するしかない。
「音羽め、何をやっとる……」
「あ、いやうちの会長のせいじゃないんです。そのあたりは、俺がかなり好きなようにしてるんで……その俺のせいというか、自業自得かなと」
ボクサーは、身体のサイズが変わるほどの増量はできないことがほとんどだ。
実際、俺がデビューしてから、腕回りと胸囲のサイズは1センチも変化していない……その程度なら誤差の範囲内だろうと思っていた。
……やっぱり、いろんな人間の視点ってのは重要なんだろう。
ラムダは、以前の俺の身体を映像でしか見てないしな。
そしてスパーでは、上半身も服を着たままで行うから、わからなくても仕方がない、か。
でも、ラムダの意見もおそらくは正しいのだろう。
加齢による、回復力の低下。
増量に伴う、回復期の体重設定のミス。
減量期間の失敗。
そして、猛暑か。
悪条件が重なったのかもしれない。
楽観はしないし、するつもりもないが……まあ、少し気が楽になったかな。
それでも、やはり全力で動き回って7Rあたりをリミットと考えておくべきだろう。
調子に乗ってガス欠というのが、一番取り返しがつかない。
体力を失えば、速度だけじゃなく思考能力も衰える。
速度と思考力を失えば、ボクサーとしての俺は死に体だろう。
防御を意識して、相手に手を出させて迎え撃つ。
俺の目のよさ、反射速度、そしてハンドスピードを考えると、それが一番体力を使わずにすみ、はまりやすい。
正直に言えば、もっとパンチ力があれば最高だが。
攻防一体ではなく、ある種の攻防分離。
ただこの戦い方は……客の評価が分かれるというか、良くないことが多い。
前世でも『見ていてつまらない』とけなすコメントは多かった。
ガードを上げて、プレスをかける。
手を出させてからカウンター。
相手からすれば、手を出すと強烈なカウンターが飛んでくる……それを恐れれば恐れるほど、手数は減っていく。
それは当然、全体の動きが少なくなっていくことを意味する。
実際は、駆け引きと、一瞬の速度、そして高い技術を必要とするのだが……客の目に見える部分は、単調な繰り返しの試合になりがちだ。
ファンの目線にも色々ある。
お気に入りのボクサーが圧倒的な強さで相手を叩きのめすのを楽しみにするファンもいれば、激しい殴り合いを望むファンもいる。
激しい殴り合いといっても、足を止めての殴り合い、めまぐるしく位置を変えていくボクシングなど、好みは分かれる。
その一方……いつばったりと倒れるかわからない4回戦の試合が一番面白いというファンもいる。
いろんな楽しみ方があるが、結局は比率の問題だ。
動きと変化の少ない、高度な駆け引きのボクシングを好むファンは……やはり多数派とはいえないだろう。
毎月のようにリングに上がっていた時代のボクサーは、防御がうまくなければ活躍できなかったと聞いている。
というか、そうでなければ身体がもたないからだろう。
それでも、ボクシングは人を熱狂させていた。
時代とともにファンの好みが変化したのもあるだろうが、『毎月のように』リングに上がっていたのは、見逃せない要素だ。
つまり、露出の機会が多かった。
3~4ヶ月に1試合では、どうしても印象は薄れる。
毎月のようにリングに上がり、定期的にその勇姿を見せ付ける……ファンの、『ボクシングを見る習慣化』という要素があったんじゃないだろうか。
まあ、ボクサーの身体の健康面を考えたら、同じことをやれとはとてもいえないが。
「ところで、速水よ」
「なんです?」
何気ないボクシングの話題から、ラムダの話へと移っていく。
「ほう、興味深いな……」
「ええ、色々と驚かされます」
指導方法、トレーニング論。
身を乗りだすようにして、俺の話に耳を傾ける鴨川会長の姿はまるで子供のようだ。
「しかし、足を踏まれたときの対処法の練習とはな……発想が違うな」
「ええ、踏まれないように、ではなく、踏まれた後にどう対応するかですからね」
原作では、宮田と間柴の試合でクローズアップされた、足を踏む反則。
インファイターの試合ではしばしば見られるが、反則と言ってもあくまでも故意にやればという話であり、レフェリーが偶然とみなせばそのまま流される。
なお、海外ではこれを故意にやる選手は結構いる。
追い足のないボクサーが逃げようとする相手の足を止めるために、そしてインファイト同士でも、リズムを崩す、あるいは相手の集中力をそぐためにこれをやるケースは少なくない。
ボディブローのフリをして、
タイの英雄と言われるボクサーにしても、世界タイトルの防衛戦での『肘』のKO勝利は一部で有名だったし、本人が後日のインタビューで『あれは狙ったもの』と答えているぐらいだ。
特筆すべきは、それをやられた本人でさえ『肘』でやられたと認識できなかったことだろう。
映像をスローで確認してもはっきりとはわからず、レフェリーの位置からはそれを判断できない……となると、これはもう立派な技術と言うしかない。
レフェリーが気づかなければ、試合が終わってしまえば……それで終わりだ。
試合が終わった後にアピールしたところで、良くて再試合というか再戦どまりだろう。
世界を目指すなら……それなりの対策は練習すべきだろう。
そして、まずはきちんと知るべきだ。
アマチュアのヴォルグやラムダが、それを普通にトレーニングに取り入れている以上、この国のやり方が甘いと言われても仕方ないと思う。
「ふむ、言葉で聞いても、ちとわからんな」
「ああ、ちょっとやってみますか」
ベッドから降りた鴨川会長に、俺の足を踏ませる。
「俺の足を踏んでいる以上、重心バランスそのものは、踏んでいる人間のほうが不安定になります」
逃げるのではなく、前に。
コツとしては、カウンターのタイミング。
「膝で、相手の足、ふくらはぎや膝、太ももを押す、と……」
「……なるほどな、前足に重心をかけている以上、よろけざるを得ない、か」
「そのタイミングで、ジャブで突いてやれば……」
すっと、鴨川会長の目の前に拳を突き出す。
「ピンチどころか、ダウンが奪える、か……」
「まあ、膝で押すタイミングなんかも、慣れるまでは面倒なんですけどね……もともと踏ませるつもりはないですけど、踏まれたら踏まれたで、チャンスかなと思える程度にはなりました」
「アマでも、足を踏まれたりすることが多いのか?」
「日本ではほぼないと思います。でも、世界にいくと、減点覚悟でやらかす選手は結構いるみたいですね」
「……踏ませないよりも、それを逆手に取るほうが相手をけん制できる、か」
対処方法を知っていること。
それだけで、いざというときの心構えも変わってくる。
「いや、これはええことを教えてもろうた……ただ、これができるのは、相応の能力が必要じゃろうな」
「かもしれません……うちのジムの練習生にやらせてみたら、動きがバラバラになりましたから」
踏み込み足。
角度。
タイミング。
ああでもない、こうでもないと、鴨川会長と語り合う。
「病室でなにをやっているんですか!」
看護師……まだこの時代は看護婦か。
2人揃って怒られるはめになった。
たぶん、病人をおとなしくさせておかなかった俺のほうに責任があるんだろう。
少し興が乗ったのか、鴨川会長が昔の話をしてくれた。
戦後の話は聞けなかったが……その後の話は興味深かった。
鴨川会長が自分のジムを開いてから約20年。
そして、鴨川会長の年齢は70を超えている……ボクシングと言うか、拳闘を引退したのが30歳前後だとすれば、ボクシングジムを開くまでの20年余りをどう過ごしていたのか。
まあ、当然ボクシングに関わって生きてきたのは想像していたのだが……。
戦後、日本人の海外渡航……いわゆる、海外旅行が自由にできるようになったのは、1964年、昭和39年の頃のことだ。
それ以前は、留学や移住などの目的を持った者しかパスポートが発券されなかった。
観光と言っても、総額500ドルまでだから……長期滞在は難しい。
「……知人と2人で、本場のボクシング理論を知るために海を越えた」
などと、遠い目をして語っているが……このとき、鴨川会長は既に40を越えている。
英語も片言で……日本に来ていたトレーナーの伝手を頼って、飛び出したとか。
というか……知人って、浜さんなんだろうな。
原作では、真田と、そしてヴォルグのトレーナーについた浜団吉。
そして、鴨川会長は数年で日本に戻り、『知人』は現地に残った。
しかし、その志は同じ。
自らの手で育てた日本人ボクサーで、世界を獲る。
海外から日本に戻ってきて、自分のジムを開いたあたりの資金とか、ものすごく気になったんだが……どうも、自分のジムを開く資金を貯めながら、海外で勉強する機会をうかがっていたらしい。
原作と同じく、鴨川会長は独り身だ。
ボクシングに人生をささげ、文字通りボクシングとともに生きてきた。
「日本でも、指導者というかトレーナー同士の交流がもっとあればいいんじゃがな」
「……生意気な意見に聞こえるかもしれませんが、日本のトレーナーって、新しいやり方や理論を勉強する時間も、チャンスもほとんどないように思います」
「それじゃ」
ぽんと、鴨川会長が手をうった。
「ジムの練習生や、ボクサーを見るので手一杯というのもあるが、どこで、何を学ぶかという道筋ができておらんように思える」
1人のボクサーを本気で指導しようと思ったら、最低でも週に5日、1日3時間の指導時間は必要だろうと思う。
ヴォルグとラムダのように完全マンツーマン、おそらく2人を受け持てばキャパは限界だろう。
選手への指導時間のほかに、指導方針やら、練習方法を考える時間が必要だ。
「将来を期待するボクサーに、海外のジムで修行させることはあっても……トレーナーを海外で修行させるジムは、この国ではほとんど聞かんな。言葉の問題もあるしの」
鴨川会長が、ため息をついた。
「まあ、ワシもえらそうなことは言えん。ボクシングに限ったことではないが、理論や技術は日々進化を続けておるし、今も世界のどこかで新しいやり方が生まれておるじゃろう。学ぶことをやめた瞬間から、退化が始まる……できる限り情報を仕入れようとは心がけておるが、一度立場ができてしまうと若い頃のように動けんこともある」
学校の教師と同じかもな。
日常業務が忙しすぎて、教師としての勉強をする時間がない。
新しいやり方を試す時間もない。
まあ、指導者に関してはボクシングに限ったことじゃない。
野球でも、ひどい指導者は少なくない。
カーブが何故曲がるのか説明できない指導者、バッティングで『ヘッドを立てる』意味を理解していない指導者、自分の感覚を言葉にできず、精神論と怒鳴り声でごまかす指導者など、例を挙げればきりがない。
悪いところを指摘するだけで、どうやればそれを修正できるかを説明できない指導者は……まだましなほう。
『それじゃダメだ。こうやるんだ』と自分でバットを1回振っておしまいとか、具体的に悪いところを指摘せず、修正点を言葉にしないのは、指導とは言えないだろう。
とはいえ、きちんと『指導』ができる指導者は、本当に一握りのように思える。
そして、その指導者が優秀であることを選手が理解して選べるケースなど、ほぼ皆無だろう。
合う、合わないという面もあるし、あまり好きな言葉ではないが、結局は縁と運としか言えない。
ただこれも、指導者が勉強や研究する時間がないことも理由に挙げられる。
新しく学べない指導者は、自身の経験だけが教科書になる。
自分が指導者からなんとなくで教えられたことを、なんとなくで選手に伝える。
それは、コピーの劣化現象以下だろう。
無論、何が正しいかを断言することは難しいが……確実に間違っていることを押し付けられるのは、お互いに不幸でしかない。
俺もそうだが、自分で考えるタイプの選手にとっては、余計なことをしない指導者が2番目にありがたい。
もちろん、優秀な指導者が一番ありがたいのだが……やはり、運だと思う。
そして、指導者が優秀だと選手がきちんと伸びるかというと……これも断言はできない。
あくまでもイメージだが、指導者が選手に手を伸ばす。
そして、選手が手を伸ばし……お互いの手が触れ合い、がっちりと握り合ったとき、そこから本当の指導が始まる……そういうものだと俺は思っている。
あるいは、指導者と選手がお互いに別の言語を使ってコミュニケーションをとろうとする……それが指導の本質だと言い換えてもいい。
一方通行では指導にならない。
上手くなりたい、強くなりたいということに対する飢えと、相手への信頼。
そして、お互いの使用する言語(価値観や感覚、そして知識など)が、似通っているかどうか。
身もふたもないが、やはり運だと思う。
原作の話に限って言うなら……幕之内と鴨川会長の信頼の絆は美しくはあるが、鴨川会長は練習の意図をもう少し幕之内に説明したほうがいいような気がする。
言われたままに練習するよりも、選手もまた意味を知り、考え、思索を深めていくことが大事だと思うが……これはあくまでも俺の感覚だ。
俺が、鴨川会長に指導を受けても伸びるかどうかはわからない。
俺は細かい説明を求める性質だし、鴨川会長がそれをどう受け止めるかは不明だ。
不満や不快感が募れば、お互いの言葉は、気持ちは、すれ違い始めるだろう。
理論派がいれば、感覚派もいる。
自分にあったやり方が一番大事だろう。
だからこそ、海外におけるボクシングのフリーのトレーナーは選手個人に雇われ、深く信頼しあったり、すぐに首を切られたりする。
これは、名トレーナーと呼ばれる存在でも変わらない。
世界チャンピオンを何人も育てたトレーナーの指導でも、それをあわないと感じる選手はいる。
そして、別のトレーナーを雇い、世界チャンピオンになったりする。
「しかし、速水よ。高校からボクシングを始めただろうに、よう勉強しておるな?」
「人間の身体については、野球をやってた頃に学びました……あとはいろんなジャンルからつまみ食いしつつ、自分の身体で試して、合うものを探す感じです。陸上競技とか、あと意外ですがゴルフなんかも、人体の理論とか研究が早いですよ」
「ゴルフじゃと?」
「ええ……ボールの飛距離や、クラブの初速度など、数字がはっきりと出ますからね。そのままは無理ですが、参考にする価値はあると思ってます」
「ふうむ……」
「相撲も、参考にしましたよ」
『小指一本で投げを打つ』という言葉は有名だが、あの言葉には先があるし、奥もある。
そして、ちゃんと根拠がある。
相撲に限らず、小指の重要性を語るスポーツは多い。
剣道では、小指の絞りが語られる。
野球では、打撃で力みを防ぐために、バットのグリップを中指、薬指、小指の3本で握らせて打たせることがある。
人間の手というか、5本の指。
この5本の指は、親指と人指し指の2本と、中指と薬指、そして小指の3本のグループに分けることができる。
前者は上腕二頭筋と連動し、後者は広背筋と連動する。
これは、動かない物体……建物の柱などを引っ張ることで確かめることができる。
あるいは、別の人間と手を引っ張り合うのでもいい。
親指と人差し指の2本で引っ張ろうとすると、自分の身体が柱に近づいていくのがわかると思う。
逆に、中指、薬指、小指の3本で引っ張ると……力を入れている感覚はあるのに、距離は保たれたままになる。
スポーツの経験者で、自分が身体のどの筋肉に力を込めているかを意識できるなら、ただ、指で何かを握りこむ動作だけでも確認できるだろう。
上半身の筋肉で、最も力が強いのは背中の、広背筋だ。
強い力を発揮する……重いものを持ち上げるなど、小指を意識するのは、この広背筋を使うため。
野球の打撃に関して、ボールとバットの距離感は非常に重要だ。
このとき、親指と人差し指に力を入れると……上腕二頭筋に力が入り、腕が曲がろうとしてしまう。
つまり、打撃のミートポイントが狂いやすい。
人差し指をピンと立ててスイングする選手は、おそらく『力まないため』と指導されて従っているのだろうが、実際は、『ミートポイントを狂わせないため』という理由が正しい。
この、指の働きについて、相撲の世界ではかなり理解が深い。
相手を吊り上げるときは、広背筋を使う……つまり小指だ。
相手を投げるとき、相手の身体を浮かし、引っ張る……これも、タイミングと力を必要とする。
そして、レベルが上がると……体勢不十分のまま投げを打たざるを得ない駆け引きがある。
こちらが体勢を整える間に、相手もまた体勢を整えてしまうようなときも含めて。
まず投げの体勢に入ってから、親指を意識して相手をひきつける。
投げの半径を小さくする。
相手のバランスを崩す。
いくつか理由があるが、投げを打っている間に意識する指を変えて、間合いを調節する……それができて、ようやく一人前らしい。
この知識をボクシングにどう活かすかというと、ジャブやストレート系統のパンチで、小指を握ることを意識することによって広背筋を意識しやすくできる。
ぎゅっと単純に拳に力を込めると、上腕二頭筋にも力が入って速度が鈍り、パンチの軌道もスイング気味になる。
以前、冴木とのスパーで少し触れたが……力を入れる指を変えるだけで、パンチの軌道を少しずらすことができる。
まあ、あれはほかのやり方を使ったが……微妙なずれを作るのには有効だ。
もちろん、やりすぎるとフォームが崩れる恐れもあるが。
「……フックの場合、微修正が効きます。俺の感覚だと、拳半分ぐらいですけど……カウンター狙いの相手は、戸惑うでしょうね」
俺の言葉を聞いて、鴨川会長が腕を振るう。
最初は速く。
そして、次はゆっくりと、確かめるように。
「……感覚的に理解はしていたが、こうして説明をされると、いろいろと腑に落ちることも多いの」
競技は違っても同じスポーツなら何かのヒントがある。
医者や研究者でない以上、一から研究して実証する時間はない。
まずヒントをもらい、人間の身体を大まかに理解した上で、自分の身体を使って確かめていく……それが選手としては一番効率がいい。
ただ、周囲にはあまり理解されないまでがセットだ。
異質なやり方は排除されやすく、良くて変人扱い。
そう、スポーツに熱中する人間は、周囲には理解されないことが多い。
「病室で何をやってるんですか?」
怒鳴られるよりも、笑顔で優しく言われるほうが怖いこともある。(目逸らし)
看護婦さんの視線が怖いので、退散することにした。
「じゃあ、鴨川会長。お大事に……」
「……速水、ちと頼みがある」
「え……頼み、ですか?」
「後でワシからも音羽には連絡を入れるが……小僧を貴様と一緒に練習させてくれんか?2、3日でいいんじゃが」
……え?
ちょっとトレーナーについても触れておきたかったので。
焦らしているわけでは……ないですよ、きっと。(目逸らし)
なお、ジムによってはトレーナーがボランティアのケースもあるとかないとか。
無償なのに、自ら勉強して……という人間は、変人の部類だと思います。
結局、ここでも金の問題というか、嫌なリアルが立ちはだかってきます。