速水龍一で始める『はじめの一歩』。   作:高任斎
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ちなみに、公式ガイドか何かだと、速水は一歩のひとつ年上っぽい。
たぶん、インターハイを勝った後、高校に在学したままプロデビューして……という流れで、出身も東京近郊を想定してるんだと思います。
でも、この物語では、ふたつ年上で、地方出身という設定です。


04:新人王戦、開幕。

 東日本フェザー級の新人王戦の組み合わせが決まった。

 

 うん、宮田に、間柴、そして幕之内一歩。

 ああ、テクニシャンの小橋君もいる。

 なつかしいなあ、ジェイソン尾妻。

 うむ、この試合は見に行こう。

 

 と、原作キャラはおいといて……肝心の俺、速水龍一は、と。

 ほう、運よく1回戦がシードで、ひとつ勝てば準決勝……まあ、俺がポカをしない限り、そこで幕之内一歩とやることになるだろう。

 

 

 ……うん?

 

 

 うろ覚えだけど、速水龍一って一歩と戦うとき、4戦4勝じゃなかったか?

 今俺は、2戦2勝で……ひとつ勝つと、3勝。

 

 ……気のせい、か?

 

 まあ、そのあたりは……特に影響もないだろう、きっと。

 

 何はともあれ、短期間で次々と試合をこなしていく新人王戦で、1試合少ないのは大きい。

 その分、負担が減るからな。

 とはいえ、1試合少なくとも、勝ち上がっていくなら9月、11月、12月と、4ヶ月で3試合をこなし、2月には西日本の新人王、千堂武士と……か。

 

 そっか……千堂がいたか。(震え声)

 

 原作どおりの流れなら、幕之内に勝てたとしも、決勝はあの間柴とやり、そして幕之内と匹敵するハードパンチャー、いや1発の威力なら幕之内を凌ぐと思われる千堂と全日本で、か。

 

 なんか、地獄に向かって進んでいるんじゃなかろうか、この道って。

 まあ、ボクシングに限らず、スポーツは全部そんなもんといえばそれまでだが。

 

 というか、そもそも今年のフェザー級の新人王の面子は、レベルが異常だ。

 

 スポーツの成長期ってのは、大抵3段階ある。

 完全な初心者が、競技に慣れていく上での成長期。

 そして、身体的成長に伴う、能力の成長期。

 競技を熟知することによる、戦略的な成長期の3つだ。

 まあ、実際はその複合なんだけど。

 

 ボクシングというのは、基本的に身体的成長期を過ぎてからはじめるものだから、2段階に分けられることが多い。

 最初の2~3年が急激な成長期にあたり、あとは、自分の持ち味をどう活かすかという、技術的、戦略的なうまさを身につけていく段階にいたるわけだ。

 

 そういう意味では俺、速水龍一はアマチュア時代から数えて4年……急激な成長は見込めない状態にある。

 ひとつ技を増やして戦略性を広げるとか、そんな段階。

 もちろん、何かのきっかけで殻を破ることもあるかもしれないが。

 

 そして、宮田も子供の頃からのボクシング経験者だから……急激な成長は見込めない時期だった。

 ジョルトカウンターという『破壊力』を手に入れて、ブレイクスルーを果たすまでは……まあ、これからどう成長するかは不明だからなんともいえない。

 

 問題は、間柴、千堂、幕之内の3人だ。

 ボクシングの世界に身を投じてから、日が浅い。

 急激に伸びる時期。

 原作のように成長するかどうかはわからないが、伸びることだけは間違いないのだ。

 

 本音を言えば、1日でも早く戦ったほうが、俺の勝つ可能性は高い。

 

 そういう意味では、幕之内は一番運が悪い。

 そのはずだ。

 

 

 

 

 夢の中とはいえ、スパーの回数は豊富だしな。(震え声)

 

 油断も慢心もする余裕なんかねえよ。

 ボディ一発で悶絶させられたり、土下座KOさせられたり、ぶっ飛ばされ方のバラエティが豊かで、たーのしー。(白目)

 

 

 

 

 

 

 

 6月。

 幕之内一歩対ジェイソン尾妻。

 

 盛り上がった。

 興行的にはいい試合だったといえる。

 俺も、見ていて興奮した。

 だが、ボクサーとしての視点で見れば、未熟に映る。

 

 尾妻はフックにこだわりすぎた。

 心に余裕がなかったせいだろう。

 自分の得意なパンチにすがり……それがあだとなった。

 何が来るかわからない状態でフックを避けるより、フックが来ると予想してそれを避けるのでは、難易度が違う。

 

 ボクサーとして言わせてもらえば、同じパンチは打たないほうがいい。

 同じパンチでも、少しずつ角度やタイミングを変えるべきだった。

 それに尽きる。

 

 そして、幕之内は……やはりあの破壊力は恐ろしいし、少々妬ましい。

 尾妻は、わき腹を押さえて顔をゆがめていた。

 おそらく、肋骨を折られたのだろう。

 原作での細かい部分は忘れたが、成長前の今の段階でも、幕之内の破壊力を警戒するに越したことはない。

 

 息を吐く。

 

 確かに、あの破壊力は恐ろしい。

 それでも、勝てる。

 パンチをもらわない自信はある。

 

 ただ、今の俺は、『速水龍一』は、鴨川会長の目にどう映っているのか?

 俺が気づいていない癖。

 俺の知らない攻略法。

 何かがあるはずだ。

 

 

 

 幕之内一歩が通路を歩き、俺の近くを通り過ぎていく。

 また、鴨川会長に見られた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あるぇぇぇぇ?

 

 俺の、新人王戦の相手が、棄権した。

 1回戦で拳を痛めたとのことらしいが、音羽会長は『お前には勝てないと踏んで逃げたんだろうよ』なんて言ってたが、本当のところはわからない。

 

 しかし、棄権?

 俺の記憶では、この安川という相手がアマチュア出身で、ラフファイトに持ち込んできたとか、そういう試合だった気がするが。

 

 ふ、と。

 頭をよぎる『原作ブレイク』の言葉。

 

 原作ブレイクが起こるべき何かがあったのか、それとも、同じ条件でも同じ事が起きるとは限らないという、不確実性とか、ゆらぎの結果なのか。

 

 右足から歩き出すか、左足から歩き出すか、本質的にどうでもいいこと。

 そのときの体勢、ちょっとしたタイミング。

 昼飯に何を食べるか。

 コーヒーを買おうとして立ち止まったら、歩く方向に車が突っ込んできたとか。

 

 まあ、そもそも俺という異物が紛れ込んでる時点で、ブレイクもへったくれもない。

 最初の原作ブレイクは、俺が速水龍一であることだ。

 原作も、現実も関係ない。

 何が起こるかわからない世界に俺は生きていて、何かが変わると信じて、努力を重ねながら進んでいくだけだ。

 

 前向きに考えよう。

 また、1試合減った。

 それは、悪いことじゃないはずだ。

 俺の負担が減る。

 

 いや、待て。

 次の試合は、小橋君と幕之内の勝者で、11月か?

 2月から……半年以上のブランクができるな。

 

 ……スパーの数を増やすしかないか。

 

 

 

 などとぼやいていたら、会長がやってくれました。

 

 伊達英二とのスパーです。

 

 会長を見ると、目を逸らされた。

 スポンサーの意向なんですね、わかります。

 

 伊達英二のカムバック物語と対比して、デビューしたばかりの俺の姿を重ねていく……そんなところか。

 映像という素材が多ければ、後で編集するのも楽だろうし。

 はは、俺が幕之内に負ければ全部パーだけどな。

 リスクを背負っているのは、俺だけじゃないって話だ。

 

 ……まあ、いい機会か。

 少なくとも、全盛期の伊達英二ってわけじゃない。

 今の俺の立ち位置を知るためのものさしと思えば悪くない。

 

「ヘッドギアはいいんですか?」

「いらねえよ。勘が鈍る」

「俺はつけますけどね」

 

 

 これは、あくまでもスパーだ。

 とはいえ……な。

 

 上体を揺らす。

 グローブの位置を小刻みに変える。

 目線。

 肩の動き。

 

 まずは、パンチを出すことのないやりとり。

 集中が高まっていく。

 周囲の雑音が消える。

 

「シッ!」

 

 糸を引くように飛んできた左ジャブを、右ではじいた。

 

 速い、というより読みにくい。

 予備動作を極限まで少なく、あるいは別の動作で隠す。

 フェイントやフットワークの中に、予備動作を紛れ込ませて、ひとつの動作に複数の意味を持たせたりする。

 言葉にすれば、なんでもないようなこと。

 レベルが高くなればなるほど、そういう部分で差がつく。

 

 フェイントで誘うが、相手にされない。

 鍵のかかったドアを、力任せに叩き壊すかのように、ジャブを浴びせてくる。

 

 なるほどな。

 強い相手に勝つためには、相手より強くなるって世界の住人か。

 本当に強い存在には、攻略法なんてない。

 

 つい、笑みがこぼれた。

 

 それが癇に障ったのか、やや雑なパンチが飛んでくる。

 カウンター気味に左を返した。

 

 ……なるほど。

 

 その口元の笑み、癇に障るな。

 手の速さは、俺の武器だ。

 

 ギアをあげる。

 そして、上げっぱなしにはしない。

 速く、遅く、軽く、重く。

 練習していた、例のメキシカンのジャブも試していく。

 

 ジャブの応酬。

 ちっ。

 ヘッドギアが邪魔に感じる。

 避けたはずのパンチが、ヘッドギアをかすめていく。

 お返しに、俺のジャブが相手の頬をかすめる。

 

 スパーのはずが、熱が高まっていく。

 敢えて、メキシカンのジャブを多用した。

 リカルドのジャブを知っている相手へ、問いかけるように。

 俺を見る目つきが鋭くなる。

 挑発と思われたか。

 

 最初のクリーンヒットは俺。

 その直後に、俺も顔をはねあげられた。

 

 お互いに距離をとる。

 

 俺に見えるように、伊達英二が右のグローブを握りこんだ。

 俺も、見えるように握る。

 

「お、おい英二!スパーだぞ!」

「落ち着け、速水!」

 

 止められた。

 

 スパーね。

 うん、ただのスパー。

 俺は落ち着いてる。

 

 あらためて、スパーを開始。

 

 1Rは、ジャブだけで。

 2Rは、右を交える。

 3Rは、リング全体を使い、本当の意味でのスパーになった。

 

 

「……ありがとうございました」

「かわいげがねえなあ、お前は」

「ほめ言葉と受け取っておきますよ」

 

 返事をしながら、『これって速水じゃなくてスピードスター(さえきたくま)っぽいな』などと考えた。

 

「こんなのが新人王を争うって言うんだから、詐欺だよな、まったく」

「今年のフェザーの面子は、洒落になってませんよ」

 

 俺がそう言うと、意外そうな視線を向けられた。

 

「なんだ?お前で当確じゃないのか?」

「伊達さんに、あしらわれる程度のボクサーですよ、俺は」

「ははは、むかつくなあ、コイツ」

 

 肩を小突かれた。

 でも、悪い雰囲気じゃない。

 

 がしっと、肩を抱かれた。

 

「……時間があるなら、また頼めるか?お前の左、ムカツクからよ」

「次の試合は11月の予定です」

 

 

 結局、8月、9月は、伊達英二のスパーリングパートナー状態で過ごすことになった。

 なかなかいい経験がつめたと思う。

 仲代会長も、音羽会長も最初こそ不安そうだったが、最後のほうは満足そうだったから、まあ、良かったということで。

 

 攻撃に転じる際にガードが甘くなるときがあると指摘してもらえたが、左右の連打にこだわるとどうしてもガードが開く。

 もともと俺の連打は手数で圧倒して、相手に手を出させないというコンセプトだが……それを耐えられたとき、すり抜けられたときに不安が残るか。

 かといって、カウンター狙いにすると、手数が減る。

 

 伊達英二とのスパーを通じて、予備動作というか、武術でいうところの『おこり』の大事さを痛感した。

 なので、スパーを通じて俺は試行錯誤を重ねた。

 俺の連打、ハンドスピードを防御へと転じる手段。

 

 額を指で押さえられると立ち上がれなくなる遊びがある。

 あれは、立ち上がる前の、頭を動かして体重移動を行うという予備動作を封じられるために起こる現象だ。

 

 その予備動作を、パンチで押さえることができたなら……まあ、言うは易し、だ。

 それでも、取り組む価値はあると思う。

 

 あと、なんか視線がうっとうしかったので、去年のフェザー級の新人王の沖田とは話をしていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東日本新人王戦のベスト4が出揃った。

 

 試合をしてないのにベスト4の俺。(目逸らし)

 

『月刊ボクシングファン』の、新人王特集。

 注目は、東日本のフェザー級……原作では『速水龍一』が優勝候補筆頭だったが、どうやら俺はその評価を下げずにすんでいるようだ。

 やはり、対抗が宮田で、3番目が間柴という評価。

 そして、幕之内一歩が大穴の扱いなのも変わらない。

 

 まあ、これは『月刊ボクシングファン』だからの評価で、世間的に言えば幕之内はノーマークでみそっかす扱いだ。

 しかし、主人公だからと言ってしまえばアレだが、みそっかす扱いの幕之内が、『速水龍一』を破り、決勝では間柴を倒して優勝する。

 そのまま新人王を獲り、日本タイトルマッチに向かって駆け上がっていく展開は、胸熱だった……『速水龍一』の件を抜きにすれば、だが。

 

 ボクシングを盛り上げるために、『相手の力を8や9に見せて、10の力で勝つ』という風車の理論を実践し、幕之内と正面から打ち合うという、相手の土俵で戦うことを選択し、不覚を取った『速水龍一』。

 

 油断と慢心、自業自得といってしまえばそれまでだが……俺は、そこまで勇敢になるつもりはない。

 

 ただ、勝つことだけを考える。

 もちろん、原作ではない『速水龍一』に対する作戦を考えているだろうから、あまり原作にとらわれすぎるつもりもない。

 むしろ危険だろう。

 

 

 

 新人王戦の件で取材にやってきた藤井さんと話す。

 

「幕之内の印象ですか?」

「ああ、速水君から見て、どうだい?」

 

 やっぱり藤井さんは幕之内のファンなんだなあと苦笑する。

 

「ぞっとする破壊力ですね。正直、怖いし、妬ましいです」

「……小橋戦を見ての印象かい?」

「あれは小橋くんをほめるべきでしょう。あの防御テクニックはレベルが高かったし、幕之内くんは、経験不足だった。逆に見れば、伸びしろが大きいとも……」

 

 藤井さんの表情に気づいて、俺はいったん言葉をとめた。

 

「どうかしました?」

「いや、意外なほど、幕之内への評価が高いなと思ってね」

「ベスト4の3人で、強いのは宮田だと思いますよ。でも、怖いのは幕之内で、戦りたくないのは間柴です」

 

 藤井さんが苦笑を浮かべた。

 

「面白いコメントだが、記事にはできないね」

「はは、俺に期待されてるのは、ビッグマウスですか」

「まあ、そういうことさ……君が幕之内のように『精一杯がんばります』なんてコメントを残したところで、誰も喜ばない」

「……客商売の、つらいところですね」

 

 俺も、藤井さんも、苦笑するしかない。

 と、そうだ。

 

「幕之内がお気に入りなら、西日本の千堂はどうなんです?」

「おや、もう全日本の話かい?気が早いというより、耳が早いというべきかな」

「はは、アマチュア時代の知り合いがいますからね。うわさは聞こえてきますよ」

 

 と、ごまかしておく。

 

「幕之内は、日本人好みのボクサーだが……そうだな、千堂は、不良少年の憧れというポジションだよ。どちらも、物語性がある。そして、試合は派手で、観客を魅了する」

 

 それは同感だけど、ね。

 苦笑を浮かべて、俺は言う。

 

「逆に、俺みたいなタイプは、日本では嫌われる……でしょう?」

「……リングに立てば、関係ないさ」

 

 フォローになってませんよ、藤井さん。

 

 まあ、言葉ではなく、行動で語れっていうのが日本の文化だからなあ。

 関東と関西でもまた少し話が違うし。

 

「じゃあ、オフレコのついでに、藤井さんの俺への評価はどうなんです?」

 

 このぐらいは許されるだろう。

 原作に登場するキャラによる、俺への評価が気にならないといったら嘘になる。

 優勝候補筆頭と見られているのは確かなようだが。

 

「……特集として、宮田や間柴を含めた『3強』扱いではあるが、本音を言えば、速水君の1強だよ」

 

 

 

 

 

 うん?

 高くない?

 俺への評価、高くない?

 

 ああ、リップサービスか。

 大人の対応ってやつだな。

 

「速水!休憩はそのぐらいにしておけ」

「はい!あ、すみませんね、藤井さん」

 

 頭を下げ、断りを入れておく。

 ビッグマウスとは別に、社会人として最低限の礼儀は必要だ。

 

「いや、練習の邪魔をして悪かったね」

 

 

 マスクをつけ、練習を始める。

 

 人間の身体は、環境に適応しようとする。

 負荷をかけた結果、筋肉が増えるというのは……負荷をかけられる環境に対応しようとする働きでもある。

 肺活量もそうだ。

 伸びると思うなら、負荷をかけてやらねばならない。

 素質があるなら、それに対応しようとしてくれる。

 ハードな練習は、物理的な身体への負担が大きい。

 減量のある競技では、身体にあまり負担をかけずにすむ負荷のかけ方も重要になってくる。

 

 練習をしながら、思考を続ける。

 頭の重量は体重の1割程度だが、酸素消費量は2割を超える。

 息を止めて、何も考えずにいるのと、計算問題を考えるのとでは、我慢できる時間が大きく変わってくる。

 

 つまり、思考することで酸素消費量をあげられる。

 逆を言えば、何も考えなければ酸素の消費量を抑えられる。

 

 練習では平気なのに、試合ではスタミナが続かないというタイプは、練習ではあまり考えず、試合のときだけ色々と考えていることが多い。

 それは、試合のための練習になっていないと俺は思う。

 もちろん、練習に集中した上で、思考しなければ怪我の元になるが。

 

「よし、リングに上がれ。ミット打ちだ」

「はい!」

 

 俺のミット打ちは、変則だが3人で行う。

 通常のミット打ちの合間に、もう1人が数字を叫び、俺はそれに対応してコンビネーションを打ち込んでいく……いわゆる、ナンバーシステムというやつだ。

 数字に対応した場所にパンチを放つわけだが、この数字は当然考えられた順番でなければならない。

 メキシコのボクシングトレーナーがやっている方法らしく、本当なら2人でできるのだが……まあ、指示を出すタイミングとか、熟練しなければ厳しい。

 なので、客観的に眺められる第三者としての3人目を用意したわけで。

 

 

 反射、対応、そして変化。

 このパンチに対して相手がどう反応するか。

 詰め将棋のように、相手を追い詰めていく。

 

「ラッシュ!」

 

 ミット打ちの10R。

 一番きつい状態での、連打。

 パンチを叩き込み続ける。

 チアノーゼ一歩手前の状態で、視界が歪んでも、連打を放ち続ける。

 身体が悲鳴を上げるまで。

 

 ブザーが鳴る。

 そこからさらに5秒。

 3分でスイッチのオンオフを作るのは大事だが、ゴングが鳴っても気を抜かない習性も大事だ。

 それと、身体に、楽を覚えさせないため。

 

「よーし、上がりだ……シャドーやって調整に入れ」

「はい」

 

 音羽ジムのプロボクサーは俺一人じゃないし、練習生はもっと多い。

 特別扱いされている俺へのやっかみは少なからずある。

 それを黙らせるためにも、気は抜けない。

 やるべきことをやる。

 それは、周囲への最低限の礼儀で、敬意を示すことにもなるだろう。

 

 鏡に向かう。

 思い浮かべるのは、幕之内の姿。

 

 ……昨夜は、パンチで一回転させられた。

 一昨夜は、リバーブローから、ガゼルパンチ、そしてデンプシーロールだった。(白目)

 

 アマチュア時代から、いまだ負けなしの俺だが、夢の中では負けっぱなしだ。

 

 勝てるはずだ。

 いや、勝つ。

 

 そのとき俺は、ぐっすりと眠れるだろう。

 

 

 

 

「……お疲れ」

「あれ、まだいたんですか、藤井さん?」

 

 もう、夜も遅いのに。

 

「練習量もそうだが、ほかのジムでは見ない練習も多くて、飽きなかったよ」

「……うちの会長は、思考が柔軟ですからね」

「聞けば、君の提案した方法も多いそうじゃないか」

 

 俺は、にやりと笑って見せた。

 ビッグマウスの叩きどころ。

 

「世界を目指してますからね……良さそうな練習は、色々試します」

「ははっ、新人王は通過点、目指すは世界……ってところかい?」

「好きに書いてください……本音を言えば、世界はまだまだ遠いと思ってますが」

「そう聞くと、安心できるね……なんせ、日本人ボクサーの世界戦の連敗記録は続いている。挑戦できるから挑戦するというのでは勝てんよ」

「それ、オフレコですよね?」

「もちろんさ」

 

 藤井さんは駅に向かって。

 俺は、アパートに向かって。

 ほんの少しだけ、肩を並べて夜道を歩いた。

 

「俺は幕之内のファンだが、速水君には期待しているよ」

「じゃあ、俺のファンになってもらえるように努力しますよ」

 

 互いに笑いあい、軽く手を上げて別れた。

 

 

 アパートに帰り、電気をつける。

 さて、幕之内との試合まで1ヶ月と少し、か。

 

 ……今夜は、どんな夢を見るんだろうなあ。(震え声)

 




少しずつ、目に見える変化は起きてます。







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