速水龍一で始める『はじめの一歩』。   作:高任斎
<< 前の話 次の話 >>

6 / 28
この頃の一歩は、1試合ずつ地道に作戦立ててたなぁ。(遠い目)


06:事故。

「速水ッ、前だっ!!」

 

 会長の叫び。

 立ち上がりかけた体勢。

 反応が遅れた。

 揃った両足。

 

 2R開始早々の、幕之内の特攻。

 

 左手を伸ばし、幕之内の右を押さえにいく。

 いや、軌道をずらす。

 

 俺の左手は大きくはじかれたが、幕之内の右を危うくかわせた。

 

「速水ーっ!!」

 

 会長の叫びに、今は返事をする余裕はない。

 まずは、幕之内を突き放して、コーナーから脱出。

 

 左を……。 

 

 その一瞬の思考が生んだタイムラグ。

 そして、やる気満々の幕之内。

 見切りなんて余裕はなく、身体を傾けるようにして幕之内の追撃を大きくかわした。

 

 今のが、ボディだったらやばかったかもな。

 幸運の女神が俺に微笑み、幕之内は勝機をひとつ逃した。

 

 パンチを振り切って身体が流れた幕之内。

 その顔に。

 

 右。

 

 幕之内の顔がはじかれる。

 そこに、速い右の連打。

 ヒットポイントを深くとり、幕之内の顔を、押しのけるように突き放す。

 

 そして、コーナーを脱出。

 

 大きく距離をとり、左手を握る。

 まだ痺れが取れない。

 まったく、でたらめなパンチだぜ。(震え声)

 

 突進してくる幕之内。

 右の速いパンチをガードではじかれる。

 幕之内の目を見る。

 見ているのは、足ではなく俺の右か。

 

 右のフェイント。

 踏み込んできた幕之内。

 

 この試合で初めて見せる、体重を乗せた重いパンチで打ち抜いてやる。

 

「……っ!?」

 

 幕之内が、たたらを踏んだ。

 そこを、軽いパンチで突き放し、また距離をとる。

 左手を握る。

 もう少し。

 

 幕之内の突進。

 軽いパンチ。

 強い右。

 タイミングをずらし、軽いパンチ。

 そして、強いパンチ。

 速く、遅く、軽く、重く。

 

 幕之内の困惑の気配が伝わってくる。

 

 いいよ、どんどん悩め。

 というか、休ませろ。

 左手を握る。

 いけるか。

 

 距離をとり、左を打ってみる。

 いける。

 

 幕之内、再びの突進。

 なにか、意図めいたものを感じる。

 右をフェイントに、左のジャブで目を狙う。

 一転して、左の連打。

 そして右の追撃で、また突き放した。

 

 ちらりと、時計を確認。

 時間の流れが遅く感じる。

 余裕のない証拠。

 落ち着け。

 

 真正面から受け止めてどうする。

 

 突進を、右に回ってかわした。

 ジャブを放つ。

 幕之内の目を見る。

 少し、芯をはずして打つ。

 皮膚をこするように。

 ガードがあがる。

 すかさずボディに入れ、離れ際に上へと返す。

 

 原作のせいで、フリッカージャブがムチの様にしならせるパンチというイメージが広がったが、あれは独特の軌道そのものを目的としたパンチではない。

 人間の視野は、前面が160度と広いのに対し、上下は60度ほどしかないとされる。

 もちろんこれは通常時の視界で、速度が上がると当然狭くなる。

 そして、フリッカーは、下から向かってくるパンチだ。

 左を警戒して下を向けば右に対して無防備になり、右を警戒して上を見れば、左に対して甘くなる。

 

 その構えだけで、上下の打ち分けを意識的に作り上げる手段ともいえる。

 

 ボクシングは、距離感の奪い合い。

 そして空間の奪い合い。

 それともうひとつ。

 集中力の奪い合いだ。

 

 右へ左へ、ステップを踏んで幕之内の身体を振り回し。

 上へ下へ、パンチを散らして幕之内の視界を振り回す。

 

 突進をかわし、左右からパンチを浴びせてやる。

 

 それでも、ガードを固めての突進。

 身体ではなく、心がタフだ。

 

 原作と同じく、狙われているのはショートアッパーか?

 

 ……違う気がする。

 

 それなら、もう少し低く飛び込んだほうがいいはずだ。

 小柄な幕之内が低く構えれば構えるほど、下からの攻撃で身体を起こしたくなる。

 そして、俺は打ち下ろしのパンチはほぼ使わない。

 わかっているはずだ。

 

 幕之内を突き放し、距離をとった。

 右へ、右へ。

 リングを丸く使う。

 

 考えろ。

 やばい気がする。

 繰り返される特攻。

 狙いは、なんだ?

 

 同じ攻撃の繰り返し。

 パターンの学習。

 何かの誘導。

 

 幕之内の攻撃パターン。

 まずもぐりこむこと。

 

 なのに、開始早々の特攻は、顔だけを狙ってきた。

 あれが、ミスではないとすると。

 鴨川会長の指示だったならば。

 

 この試合、まだ一度もボディを狙われていない……な。

 

 決め付けはしない。

 だが、注意を払う。

 

 足を止め、幕之内を見る。

 特攻のチャンス。 

 

 幕之内が来る。

 警戒。

 右のフェイント。

 幕之内の身体が沈みこんだ。

 すでに俺の目線は下へ。

 

 幕之内の、深いステップイン。

 

 最初に頭をよぎったのはガゼルパンチ。

 すぐに否定。

 

 角度を決めた左肘。

 

 リバーブロー。

 夢の中で、数え切れないぐらいもらったパンチ。

 

 焦るな。

 タイミングと速さ。

 そして正確さ。

 幕之内の顔。

 そこに右手をまっすぐ突き出すだけでいい。

 

 それが、カウンターになる。

 

 

 

 

 

 幕之内一歩が、尻餅をついた。

 

 

 

 ニュートラルコーナーで息を吐く。

 タイミングがずれたり、躊躇ったら肝臓をえぐられる。

 ガードしたら、動きの止まった俺の顔面に返しの右が飛んで来る。

 良く知ってるんだ俺は。(震え声)

 

 ……タイミングで倒しただけだからな。

 普通に立つだろう、幕之内なら。

 

 心拍数が高い。

 心が削られた自覚。

 息を吸う。

 脳に酸素を。

 身体に酸素を。

 呼吸を整え、落ち着けていく。

 

 

「ファイトッ!」

 

 幕之内が近づいてくる。

 そして、俺が距離をつめる。

 

 いきなり右から入った。

 さっきフェイントに引っかかった意識があるはずだ。

 ガードさせるための強い右。

 幕之内の体勢は崩れていない。

 足の踏ん張り、ダメージは?

 

 速いパンチを散らす。

 

 俺が相手をしているのは、逆転の幕之内。

 詰めの甘さは死につながる。

 

 反撃のパンチ。

 生きている。

 

 ジャブを返す。

 まだ2Rだ。

 先は長い。

 また、速いパンチで目を狙う。

 それを、幕之内が嫌がりだしているのがわかる。

 

 人の嫌がることを、進んでやりましょう、だ。

 スポーツはそういうものだ。

 それが、ボクシングという戦いならなおさら。

 

 幕之内の目の腫れが目立つようになってきた。

 それでも目を狙う。

 

 顔を動かして俺の姿を追う動作が目立ってくる。

 死角と思われる方へ回り、パンチを放つ。

 そしてまた、視界に現れ、パンチを打たせる。

 

 目こそ腫れているが、幕之内のパンチや足に、ダメージの気配は見られない。

 重いパンチはあまり使ってないが、嫌になる。

 

 残り10秒の合図。

 

 前に出る。

 ガードの上から、強いパンチをたたきつけた。

 右。

 左。

 ステップを刻み、右から左から、上へ下へと叩き込み、動きを封じたまま2Rを終わらせる。

 

 Rの残り10秒というのは、大事な時間帯だ。

 何もできないとでも思わせることができれば、心のたて直しに時間がかかる。

 そうすれば、セコンドのアドバイスも時間が限られる。

 相手の時間を奪うということは、次のRを有利に運ぶことにつながる。

 

 

 

「慎重だな」

 

 そう、見えるのか。

 あるいは、俺の気持ちをほぐすため。

 

 深呼吸してから、言葉を返す。

 

「左手がはじかれたのを、見たでしょう?あの後、左腕がしびれて、動かなかったんですよ」

「……そこまでか」

 

 そうつぶやいて、会長が幕之内に視線を向けた。

 

「さっきのダウンも、タイミングで押し倒しただけです。それほど効いてません」

「2R始めの奇襲みたいなのだけには気をつけろ」

「ええ、もちろん」

 

 

 3R。

 

 開始早々、主導権を奪いにいった。

 さっきのRとは逆。

 相手のコーナーに釘付けにして、連打を叩きつけていく。

 

 そして、観察。

 

 足元。

 ひざ。

 腕。

 そして、目。

 

 死んでいない。

 

 そりゃそうか。

 折れず曲がらず、勇気の幕之内だ。

 

 足、そして肩の動き。

 相手のやる気をそぐように、ちょこんとバックステップして距離をとった。

 

 幕之内のパンチが空を切る。

 狙いはボディか。

 さっきのRとは別の指示が出たか。

 

 距離をつめようとしたところを、左の強打で止めた。

 またひとつ、俺の手札をさらした。

 俺の手札は無限じゃない。

 それでも、相手の行動をひとつひとつ丁寧につぶしていく。

 

 幕之内が慣れてきたところで、目先を変えてやる。

 ジャブ。

 ボディへの連打。

 反撃の右をかわし、アッパーで突き上げる。

 ガードを固めようとしたところを、もう一度アッパー。

 

 うん?

 やけに当たるな?

 

 フェイントを交え、もうひとつ突き上げてみた。

 幕之内のひざが、かくんと、折れた。

 

「小僧ーっ!!」

 

 鴨川会長の声が響く。

 生き返る。

 幕之内の右がうなりをあげる。

 左、そしてまた右。

 

 パンチは生きている。

 しかし、距離感が死んでいる。

 左目の視界を奪ったことが、活きてきた。

 

 容赦なく打ち込み、一瞬、間をあける。

 反撃を誘う。

 

 幕之内の左。

 パンチを見てから、カウンターで返してやる。

 速さを重視した、軽いパンチだ。

 腫れた左目を狙い、痛みを刻んでいく。

 手を出せば、痛い目にあうと、わからせていく。

 

 幕之内の手数が減った。

 ガードに意識が向かっている。

 強いパンチの出番。

 ガードの隙間。

 そしてアッパー。

 もうひとつ。

 幕之内の腰が落ち、ガードが開いた。

 

 いける。

 

 俺の中の意地のようなもの。

 コンプレックス。

 

 深い踏み込みと腰の回転。

 渾身の右を、幕之内へと叩き込んだ。

 

 

 

 

 ニュートラルコーナーで、呼吸を整える。

 

 焦るな。

 ムキになるな。

 ダメージは与えている。

 

 原因は、幕之内の低い姿勢。

 目標が下にある分、俺のパンチのフォームが微妙に狂っている。

 体重を乗せ切れていない。

 力むと、余計にフォームが狂う。

 ただ、アッパーは効いている。

 防御に不慣れなのは明らかだ。

 

 

 幕之内が立つ。

 それはわかっている。

 

 

「ファイトッ!!」

 

 

 幕之内に近づく。

 向こうからは来ない。

 ダメージか、誘いか。

 

 ちらりと時計を確認し、鴨川会長に目をやった。

 タオルは持っていない。

 声を上げてもいない。

 まだ何か、信じるものがあるのか。

 狙いがあるのか。

 

 ゆっくりと距離をつめ、右のフェイントから入った。

 反応する。

 左のジャブ。

 ガードを固めている。

 ちょん、とガードを押さえてから、右のボディフック。

 そして左のアッパーへと……。

 

 手応え。

 止められた。

 十字受け。

 またの名をクロスアームブロック。

 

 強い右で、いったん突き放す。

 

 俺のアッパー対策か。

 悪手だ。

 タイミングが悪い。

 

 正面からだ。

 ブロックの上から、強い右を、左を、叩きつける。

 1発、2発、3発。

 幕之内の足元がおぼつかない。

 コーナーへと、幕之内を後退させていく。

 

 フックは必要ない。

 幕之内の距離になる。

 正面から、ストレート系のパンチで押しつぶす。

 

 固いガード。

 パンチを出しにくいガード

 そのガードを緩める余裕を与えない。

 手を出させない。

 

 思い出したように、ボディへ。

 単調さは危険だ。

 

 だが、またとないチャンス。

 

 このR、俺はすでにダウンを一度奪っている。

 ダメージはともかく、2Rにもダウンを奪っている。

 このまま、反撃させずにつめていけば、レフェリーストップが狙える。

 それは、レフェリーが決めること。

 勝ち方はひとつじゃない。

 恨むなよ。

 

「小僧ーっ!退くな!」

 

 気づかれたか。

 でも、もうコーナーだ。

 押しつぶす。

 

「手を出せ!出すんじゃ小僧!」

 

 堅固なガードが解けた。

 ならば、カウンター狙い。

 幕之内の右。

 

 俺はステップを踏んでそれを……。

 

 トン。

 

 俺の背中が、何かに触れた。

 

 おい?

 

 コーナーを背負っているのは幕之内だ。

 ロープでもない。

 

 幕之内の右が迫る。

 

 俺は、何かに背中を預けた状態で、片足立ち。

 動けない。

 

 幕之内の拳。

 

 気づいた。

 俺の背中にあるもの。

 俺の逃げ道をふさいだもの。

 

 マジか。

 これが、主人公補正か。

 

 考えてる場合じゃない。

 ガードを。

 

 衝撃。

 

 俺の動きを封じたもの……。

 それは、レフェリーの身体。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……速水ーっ!!」

 

 まぶしい光。

 音羽会長の叫び。

 

 混乱。

 戸惑い。

 

 そして、レフェリーのカウント。

 

 意識が飛んでいた?

 

 身体を、いや、頭を起こす。

 右手、左手。

 いける。

 脚……は、まずいな。

 

「4!」

 

 息を吸う。

 頭からつま先まで、痛みが走り抜けていった。

 激しい頭痛。

 

 1発だけか?

 それとも、まとめてもらったか?

 すげえな。

 わざとダウンするとか、そんな虫のいい話はなかった。

 ああ、でも。

 

 前世の記憶。

 前世、最期の記憶。

 

 車にぶっ飛ばされたときよりはマシだ。

 

 俺の身体は、まだ動く。

 

「5!」

 

 カウント7まで。

 時計を確認。

 

 ……見るんじゃなかった。

 まだ1分以上ある。

 

 頭痛に耐えながら、息を吸う。

 

「6!」

 

 片ひざ立ちの姿勢をとる。

 グローブで太ももを軽く叩いた。

 動いてくれよ。

 

「7!」

 

 なんでもないように、静かに立ち上がる。

 あくまでも主観だ。

 周りからどう見えているかはわからない。

 

 はは、立ち上がったはずなのに、脚の感覚が曖昧だ。

 ふわふわしてる。

 

「8!」

 

 構えを取る。

 レフェリーが俺を見る。

 

 目の前で指を出された。

 

「何本かね?」

「伸ばした指が3本」

 

「君の名前は?」

「速水龍一」

 

 続行可能と判断した気配。

 

 ……もう少し時間を稼ぐ。

 

「さっきのは、俺のミスだ」

 

 レフェリーが戸惑ったように俺を見た。

 ルール上は問題ないにしても、自分のせいで俺がダウンしたという罪悪感は持ってるはずだ。

 そこを利用させてもらう。

 

「これから、鮮やかに逆転して勝つさ。だから、安心していいぜ」

「……」

 

 俺の言葉の時間。

 そして、レフェリーが言葉に詰まった時間。

 

 それで稼いだ数秒の時間が、俺にとっては何よりも貴重。

 ずるいとは言わないでくれよ。

 勝つためだ。

 やれることをやる。

 

 

 レフェリーが離れた。

 

「ファイトッ!!」

 

 

 セコンドの声が響く。

 

「速水ーっ!!」

「ためらうな!行け、行くんじゃ小僧ーっ!!」

 

 チャンスと見るや、瀕死の状態の選手が生き返る。

 ボクサーってのは、不思議な生き物だ。

 

 さて、どうしのぐか。

 

 俺の右。

 意に介さず、幕之内が飛び込んでくる。

 

 大振りだ。

 見えてる、見えてるんだが。

 足がまだ、ダメだ。

 

 半身になり、幕之内に肩からぶつかるようにして身体を預ける。

 右手で腰を抱き、ボディを打たれないように、左手で幕之内の右手首を押さえた。

 そのまま、倒れてもいいという感覚でもたれかかると、幕之内がよろけた。

 

 ……幕之内のダメージも相当か。

 

 レフェリーが割って入った。

 俺と幕之内を分ける。

 

 離れ際に、ジャブを2発。

 幕之内の額を押さえるように、グローブを押し付ける。

 重心を落とさせない。

 構えを取らせない。

 

 ただ、時間を稼ぐ。

 

 足を確かめる。

 戻ってきた、もう少し。

 

 幕之内の左。

 そして、右のタイミングで抱きつく。

 左肩で幕之内の右脇を押さえ、右を殺す。

 そして俺は、幕之内の左手を抱える。

 

 ホールドの反則。

 だが、それで時間が稼げる。

 幕之内の焦りがわかる。

 ここで決めたいという気持ちが見える。

 

 レフェリーが、俺たちを分ける。

 注意。

 ほんの1秒程度の時間。

 そして再開。

 

 観客のブーイング。

 うん、だいぶ足が戻ってきた。

 

 幕之内の攻撃が大振りに、そして、雑になっている。

 左目が腫れているのもあるか。

 

 カウンターのタイミングでジャブ。

 続けて速い右を放り込む。

 それでも止まらない。

 このパンチは怖くない。

 そう、思ってくれたか?

 どちらも手打ちの軽いパンチだ、無理もない。

 

 足の感覚。

 リングを、踏む。

 つま先。

 いける。

 

 左のジャブ。

 そのまま突っ込んでくる。

 前しか見ていない。

 見えていない。

 

 うん。

 

 ステップを刻んだのは、俺の足。

 

 さっきまで俺がいた場所を、幕之内のパンチが通り過ぎる。

 幕之内の死角から。

 幕之内のアゴをめがけて。

 握り締めた拳を。

 

 打ち抜く。

 

 一瞬の硬直。

 そして、つんのめるように、幕之内がひざをついた。

 

 

 時計を見る。

 

 あと16秒か。

 どうやら、このRはしのげたな。

 

 ん?

 あ。

 

 冷静でなかった自分に気づく。

 知らず知らず、入れ込んでいた自分を知る。

 

 しのぐも何もない。

 4回戦の試合だから、1Rに2回のダウンで試合終了。

 

 2R、そして3R。

 自分から戦略の幅を狭めていた。

 

 それでもだ。

 

 

 息を吐く。

 そして大きく吸う。

 

 さりげなく。

 しかし、強く。

 右の拳を握った。

 

 

 まずは、勝てたか。

 

 

 リングに上がってくる鴨川会長を見ながら、俺は音羽会長の待つコーナーへと。

 

 ゆっくりと、歩いて戻った。

 

「いやあ、ひやひやしたぜ、速水」

「はは、盛り上がりましたか?」

「まったく、あのへぼレフェリーが……」

「あれは、レフェリーの位置を認識してなかった俺のミスです」

 

 少し強い口調で、釘を刺す。

 音羽会長が俺を見て、頷いた。

 

「……そういうことにしとくか」

「ええ、勝ちましたからね」

 

 音羽会長が笑った。 

 マスコミに対する、受けのいいコメントだと思ったのだろう。

 

 

 

 

 幕之内は……上体を起こしているが、まだ座ったままだ。

 挨拶は、しておいたほうがいいか。

 

 

 幕之内のコーナーへ近寄り、鴨川会長に声をかけた。

 

「鴨川会長、幕之内くんはどうですか?」

「意識はある……ただ、まだ足がふらついちょる」

 

 幕之内を見る。

 八木さんの言葉に答えてはいるが、どこかぼうっとした感じ。

 話しかけるのはやめておくか。

 

「なんか、意外ですね」

「何がじゃ?」

「いや、幕之内くんって、倒しても倒しても立ち上がって、恐ろしいパンチを振り回してくるイメージが……」

「……貴様の中で、小僧はどんな化け物になっておるんじゃ……」

 

 どこか呆れたように言われた。

 

 いや、まあ。

 毎晩毎晩、夢に見るぐらいですよ。(震え声)

 

 しかし、ここから容赦なくレベルアップするんだよな。

 ガゼルパンチに、密着した状態でのボディーブロー。

 そして、デンプシーロール。

 

 今の段階で戦えた俺は、運が良かった。

 そう思うべきだろう。

 そして次は……こうはいくまい。

 

 鴨川会長に色々と聞いてみたいことはあったが、勝者の礼儀だ。

 控えるべきか。

 

「幕之内くんに伝言を」

「なんじゃ?」

「試合には勝ったが、パンチをもらったから、勝負は俺の負けだ、と」

「ふん、ぬかしおる……」

 

 鴨川会長が視線を落としてつぶやいた。

 

「小僧の、そしてワシらの負けじゃ。ミスもあったが、付け入る隙がなかったわい」

「今日は、ですよね?」

 

 見られた。

 鴨川会長の鋭い視線を浴びる。

 

「ああ。今日は、じゃ」

 

 握りこまれた拳が目に入る。

 

 熱い人だ。

 70過ぎの老人とは思えない。

 

 ほんの少しだけ。

 俺が、鴨川ジムの戸を叩く……そんな光景を夢想した。

 

 でも俺は。

 速水龍一だ。

 幕之内一歩じゃない。

 

 頭を軽く下げ、別れた。

 

 リングを降りる。

 観客に向かって手を振る。

 

 女性ファンの声援。

 そして、男性からのヤジ。

 まあ、一部だ、一部。

 

 通路を歩く。

 前へ向かって歩いていく。

 

 原作とは違う、新しい道。

 速水龍一の道。

 それが、続いていく。

 

 

 今夜は。

 今夜ぐらいは、いい夢が見られるだろうか?

 

 




サブタイトルは最初『続いていく道』にしてたのですが、不吉さを与える『事故』にしてみました。
サブタイトルで、勝敗が予想できたら興ざめかなと思ったので。(目逸らし)
話の途中で敗北のスリルを感じていただけたらなによりデス。(棒)

一歩の脅威というか、ある種の理不尽さを表現できていたなら幸いです。
まあ、リアルでこれだけ考えている余裕ねえよといわれたらそれまでですが。(苦笑)

一歩との試合って、お化け屋敷の『出るぞ出るぞ』の感覚に似ている気がする。

ひとまず、連続更新はここまでです。
不定期で、ごめんなさい。(今、6月27日ですが、7月になるまでは更新できないのが確実です)

先に宣言しておきますが、速水のアゴはもちろん、身体は無事です。(笑)

だから速水龍一は、今夜は安らかに眠っていいのよ。(優しい目)







感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に
感想を投稿する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。