速水龍一で始める『はじめの一歩』。   作:高任斎
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知 人:「1990年頃って、まだ当日計量じゃなかったか?」
 私 :「……言われてみれば、連載初期は当日計量だった気がする」(震え声)
知 人:「ヘッドギアも、強いパンチには意味がないって廃止の方向に向かってるし」
 私 :「ま、まだ研究の余地があるって聞いたし、このころは普通やし」

私が思っているよりも、今と昔のルールや設定がガバガバ状態かもしれません。
怪しい部分は、雰囲気重視のスルー推奨です。(目逸らし)

さあ、速水龍一の冒険の再開だ。


7:次の相手は……。

 迫る幕之内。

 うなる豪腕。

 俺は必死で応戦する。

 カウンター気味に渾身の右。

 左フックを返して、さらに右。

 そして、衝撃に備えて歯を食いしばる。

 

 幕之内が倒れた。

 

 ……あれ?

 

 蚊にでも刺されたかのように平然と打ち返してきて、俺をぼろぼろにしてぶっ飛ばすんじゃないの?

 

 ああ、夢か。

 

 いや違う、夢じゃなくて……いや、夢か。

 いつもの、ぶっ倒される夢じゃなくて、倒す夢。

 

 そうか。

 現実で幕之内を倒したから、夢でも倒せるようになったのか。

 

 俺は握り締めた拳を高く上げた。

 壁を越えた実感。

 それを夢の中で感じることを、笑いたくなる。 

 

 いきなり場面が暗転し、再び幕之内が現れた。

 

 心なしか、一回り成長して。

 

 おい。

 待てよ、おい。(震え声)

 

『今日は、思いっきり打っていきます!』

 

 にこやかに。

 さわやかに。

 笑顔で宣言される。

 

 そして俺は、思いっきりぶっ飛ばされて目が覚めた。

 

 全身の汗。

 激しい動悸。

 荒い呼吸。

 

 ははは、いつもどおり、いつもどおり。

 普段どおりの夢だってば。

 

 

 

 

 試合の後のドクターの診察、そして病院での精密検査。

 異常なしの結果にほっとする。

 アゴについて結果に間違いないか念を押してしまったが、医者に笑われてしまった。

 まあ、プロの判断とプライドを信じることにした。

 2日ほど続いた頭痛も、3日めには消えた。

 

 でも、異常はあると思う。

 なんというか、俺の精神的な方向で。(震え声)

 

 

 

 

 

 幕之内との試合の次の週。

 ハナの金曜日という言葉に奇妙な懐かしさを覚えつつ、俺は仕事が終わってから、ジムに顔を出した。

 顔を出すだけだ。

 試合でダウンもしているだけに、しばらくはロードワークもしない。

 本当は、安静に寝てすごすのが一番なんだが、そうもいかない。

 ボクシングだけでは食っていけない、悲しさってやつだ。

 

 多くの人間が汗を流している。

 大きすぎず、それでいて小さくない挨拶を。

 

「こんにちはー」

 

 俺の姿に気づいた練習生たちから、声をかけられる。

 

「こんちはー!」

「速水さん、ちゃっす!」

 

 俺も挨拶を返し、ジムの先輩にはあらためて挨拶をする。

 

 ジムの中を見渡す。

 会長室かな?

 ガラス張りの部分から覗き込むと、気づかれた。

 手招きされる。

 

「おう、速水。身体の具合はどうだ?」

「ぼちぼちですね。問題はなさそうです」

「まあ、2週間はおとなしくしておけよ」

 

 精密検査の結果がでた日に報告はしておいたから、挨拶のようなものだ。

 

「宮田と間柴の試合、明日でしたよね?」

「おお、見に行くのか?」

「そのつもりです」

「予想は?」

「8対2で宮田ですね。というか、間柴とはやりたくないです」

 

 音羽会長が笑った。

 

「まあ、間柴の所属する東邦ジムの会長さんも頭を抱えてたからなあ。素行はともかく、ボクサーとしては有望なのがまた悩ましいってな。ちなみに、俺は7対3で宮田だ……が、お前の試合じゃないが、何が起こるかわからん」

「何か起これば、勝ちきるだけの能力を、間柴が持ってるのは認めますよ」

 

 幕之内との試合の後、記者の取材で聞かれたのはあのアクシデントだ。

 あの日は、テレビ局も入っていたから余計に気を使った。

 

 まあ、テレビ局とは別に、2人ほど意地悪な記者がいたが、『俺のミス』で突っ張っておいた。

 

『勝ちも負けも、全部俺自身の責任ですよ。勝敗の責任を他人に任せるつもりはありませんね』

 

 俺がそう言ったら、鼻白んでいたっけな。

 まあ、レフェリーへの文句か、悪口でも言わせたかったんだろうが、乗せられるのはごめんだ。

 

 

 映像を確かめたら、試合をとめようとしたのか、ちょうどレフェリーが駆け寄ろうとした瞬間に、俺がステップを踏んで……という状況だった。

 場所がコーナーだったことも災いしたといえる。

 正直、誰が悪いというわけでもなく……俺が勝ち、怪我もしなかったからには、事故の二文字で片付けるか、勝った俺が『自分のミス』と言い張るのが一番角が立たない。

 

 そして、あの空白の瞬間に俺がもらったパンチは3発。

 避けそこなった右のあと、返しの左フックに、右ストレートだ。

 まだ成長初期段階の幕之内だとしても……無事でよかった。

 

 しかし、後の2発は記憶にない。

 映像で見る限りは、俺もガードしようとして反応はしているように思えるが。

 少し不思議な気分だ。

 

 

 ……結果論だが、幕之内はボディを狙うべきだった。

 2Rの開始早々の特攻のときもそうだ。

 おそらくは布石だったのだろうが、1発で試合をひっくり返すことができるパンチを持っているからには、徹底して俺の足を止めにかかるべきだった。

 

 まあ、重ねて言うが、結果論だ。

 

 そして、結果論とはいえ……俺が、速水龍一が負ける道筋はいくつもあった。

 経験、技術、戦略。

 大きな差がありながら、すべてをひっくり返される破壊力。

 これを理不尽と言うなら、スポーツなんかやるべきではないだろう。

 

 俺にパンチ力がないわけではないのだ。

 連打をまとめて倒す力があるのは確か。

 

 パンチの威力そのものというか、破壊力を求めても仕方ないな。

 タイミング、呼吸、間合い……そういう要素で補助すべきだろう。

 宮田のカウンターではないが、死角からの一撃、あるいは意識の外からの一撃、気を抜いたタイミングの一撃。

 やれることはあるはずだ。

 

 そもそも、人間の目と言うのは、高性能すぎる部分に落とし穴がある。

 

 陸上競技のスターティングブロックは、スタートの合図から0.1秒未満に一定以上圧力がかかるとフライング判定を出す。

 人間の反射には、0.1秒以上かかると、さまざまな実験を元に、そう定められた。

 それより速いというのは、『スタートの合図が鳴る瞬間を予測して動き出す』行為……つまり、フライングであると。

 

 脳の情報処理にかかる時間、それが0.1秒程度。

 

 目に映った視覚情報を処理して、ようやく見たことになる。

 それは、速い動きをリアルタイムで構築できていないことを意味する。

 

 最初はそんなバカなと思ったが、どうやら人間の脳は、処理の遅れを補正するために動く物体の像を進行方向の前方に構築するらしい。

 

 前世で、ワールドカップのオフサイド判定の約4分の1が誤審だったという統計があった。

 移動する選手の姿を、実際よりも前方に見てしまうのが人間の目であるとすれば。

 そして実際は、オフサイドラインを選手は行ったりきたりを繰り返しているのだから、動きの数だけ、ズレがうまれることになる。

 誤審の多さは必然といえるのか。

 それでも、ビデオ判定の導入に踏み切るまでに10年以上かかったそうだが。

 

 目で見えるものを疑うというのは、それだけ心理的抵抗が大きいのだろう。

 

 

 ボクシングにおいて、見て、判断し、避ける……という防御は、本来成り立たないと言われているのも、これを踏まえると良くわかる。

 

 ボクシングにおいて、予備動作のないパンチ……特にジャブをかわすというのは、『読みによるフライング』か、『相手のパンチが外れている』ということに収束される。

 だからこそ、パンチの挙動を、予備動作をなくすのが、ボクシングのベクトルになっているわけだ。

 そして、細かく動き続けて、相手に的を絞らせないのも、防御のベクトル。

 

 それでも、ボクサーは、俺も含めて『ジャブを見て避けている』と思っている。

 これはこれで、間違っているわけじゃない。

 見えているつもりなんだから。

 

 ボクサーとしての練習が、経験が、『このパンチがこうくる』と理解し、脳が補正を入れて、俺たちにそう認識させている。

 見えていなくても、見ている。

 

 野球でいえば、人間は『ボールの軌道を予測して』視線を動かすことがわかっている。

 だから、初心者は簡単にボールの行方を見失い、熟練者は『練習で覚えたボールの軌道』を元に、ボールの行方を予想して視線を動かす。

 

 消える魔球はロマンだが、あれは空想ではなく、理論上は可能だといわれている。

 打者の予測をはずす、ボールの軌道を生み出せれば、と注文がつくが。

 

 前世でそれを聞いたとき、色々と夢が壊れたなぁ……。

 

 

 あと、中心視や周辺視という言葉が日本で普通に語られだしたのは90年代後半からだが、人間の目の研究そのものはそれよりもっと早かった。

 そして武術においては『観の目』とか『八方目』、『遠山の目付け』などと呼ばれる周辺視の重要性を物語る教えが普通にあった。

 

 視線を動かさず、周辺視で相手の全身を見る。

 これをしていると、『どこを見ているかわからない目つき』になるそうだ。

 

 間違いなくリカルドは使っているだろうし、周辺視という言葉を知らなくても、使ってる人間は多いはずだ。

 野球でも、それと知らずに使う。

 それが特別なことと思うこともなく……もちろん、レベルの差はあるだろうが。

 

 だから、速さではなく、『見えない』ことを追求するなら、この周辺視から、中心視へと……視線の誘導が重要になる。

 

 いわゆる『幻の右』も、相手の視線を誘導してパンチを見えない状態にさせたものだし……原作での木村の『ドラゴンフィッシュブロー』もそうだ。

 

 俺の連打。

 相手の不意をつけるコンビネーション、か。

 

 ……まあ、色々試しながら考えよう。

 

 急に答えが出るようなものじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「速水さん」

 

 宮田と間柴の試合を見にいった後楽園ホールで、声をかけられた。

 

「おお、幕之内くん……言っちゃわるいが、ひどい顔だな」

「これでも、ずいぶんマシになったんです」

 

 顔を腫らした幕之内が、恨むような目で俺を見た。

 俺は笑って、自分のこめかみを指先でとん、と叩いた。

 

「はは、俺も頭痛が2日続いたんだ、おあいこだよ……と、検査は受けたのか?」

「はい。かなり打たれたから熱が出ちゃいましたけど、精密検査では異常はありませんでした」

「そうか……まあ、お互い無事で良かったな」

「はい」

 

 奇妙な会話だ。

 まあ、喧嘩じゃなく、お互いにボクサーだから殴り合っただけの話だが。

 それでも、宮田との対戦を望んでいた幕之内にとっては、複雑な思いを抱く相手だろうに。

 そんな俺に普通に話しかけてくることができる……そのまっすぐさが、少しまぶしい。

 

 ……ある種の天然と言うか、鈍感さかもしれないが。

 

 と、幕之内と宮田の関係を、俺が知るわけはないな。

 口に出さないように注意しないと。

 

 うん。

 意味なかった。

 

 

「それでですね、宮田君はすごいんです」

「そっか、すごいのか(棒)」

 

 幕之内の口から『宮田君』のすごさを延々と聞かされて、砂糖でも吐きそうな気分。

 でも、そのあたりの人間関係が原作とほぼ変わらないことを確認できたのはよしとするか。

 

 無理にでも話題を変えよう。

 とはいえ、ボクシングの話ぐらいしかない。

 自然と、俺たちの試合の話になった。

 

 俺の試合に向けて、どんな練習をしたのか……何気なく口にしたのだが、幕之内がぺらぺらとしゃべってくれる。

 鴨川会長の分析が聞けて、俺としてはなかなか興味深い。

 興味深いのだが、それでいいのか幕之内?

『クールそうに見えて熱いんです』とか、ボクサーにとって、性格って重要な情報だからな。

『宮田君』のプライバシーもそうだが、危機管理とか、情報管理がガバガバだぞ。

 

 いや、この時代の日本人の感覚は、みんなこんなもんだったか。

 

「2Rの特攻は、試合前から言われてました。速水さんは、1Rは相手を見てくる傾向があるから、そこでリズムを変える、と」

「ほう、それで」

「会長に『ええか、速水は連打を意識すると脇が少し開くことがある。絶対ではないが、脇がしまっとる時は、強い右が来ると思え。その強い右を空振りさせたときにこのパンチを使え』と言われてたんです。特攻を繰り返せば、左ではなく、強い右でとめに来るはずだから、それをもぐりこめたときは、ズドンといけと」

 

 ……めっちゃ、読まれてる。

 いやまあ、セオリーといえばセオリーなんだけど。

 

「だけど、速水さんのパンチは、一発一発タイミングも威力も違って、もぐり込むタイミングがつかめなくて……だからあの時、つい飛び込んでしまって……」

 

 どこか恥ずかしそうに、幕之内が言う。

 

 はは。

 何が『付け入る隙がなかった』だよ。

 ちゃんと対策立ててるじゃん。

 

 うん、脇ね。

 一度修正したつもりだけど、また昔の癖が出てるのかな。

 チェックしとこう。

 

 あれ、俺が修正したのって伊達さんとのスパーの後だよな?

 

 そっか。

 2月以降に試合をしてないから、分析するデータがなかったってのもあるのか。

 安川くんの棄権が、良いほうに働いたのかもしれないな。

 

 ……まあ、チェックはしておこう。

 

 

 

 

「……なるほどな。基本は後半勝負の予定だったのか」

「はい。ギャンブルだが、まともにやれば勝ち目はないぞと」

 

 ははは。

 俺知ってるよ、勝ち目って破壊力なんだよね。(白目)

 

 スタミナには自信があるつもりだが、確かに幕之内との試合はゴリゴリと精神が削られている自覚はあった。

 それはつまり、普段の練習に緊張感が足りないってことか……ふむ。

 

 しかし、後半勝負というと、まるで、ヴォルグのポジションだな。

 

 ん?

 

 そういえば、ヴォルグってどうなるんだろう?

 売り出し中の俺がフェザー級にいて、スポンサーの企画そのものも続いてるから……音羽会長が受け入れるって話にはならないとは思うが。

 

 原作の時代背景としては、グラスノチからソ連崩壊で、日本人の注目を集める要素はあった。

 そして、俺と違って、ヴォルグは世界アマ王者だ。

 格というか、看板の大きさが違う。

 あと、日本人は総じて外国人というか、欧米、スラブの人種に対して弱い部分がある。

 日本人男性の金髪コンプレックスを例に挙げるまでもない。

 

 うん、あらためて考えると、ヴォルグというボクサーの商品価値は高いな。

 音羽ジムじゃなくても、ほかのジムと契約するなんて事もありえるか。

 

 とすると……俺がヴォルグと戦うことがあるかもしれないと。

 

 ……少なくとも、今は勝ち目がないか。

 

 正直、ヴォルグも原作では割りを食ったポジションだ。

 日本に来て、ボクシングスタイルの改造中だったというだけでなく、慣れない生活で弱体化していたと考えれば、頷けなくもない、が。

 普通に考えると、世界王者クラスの実力者。

 まあ、原作でも世界王者になったしな……『サンキュー、アメリカ』とか、俺も言ってみたい。

 

 

 

 まずは決勝だ。

 そして、千堂だ。

 戦って、勝ってから考えよう。

 

 靴の紐は、いつの間にか結び目が緩んでいたりするものだからな。

 

 

 

 さて……宮田一郎対間柴了の試合か。

 幕之内に散々聞かされたから、しばらく宮田のことは考えたくない。

 

 なら、間柴か。

 

 原作のヒロイン、間柴久美の兄。

 両親が事故で死んだんだったっけか?

 まあ、俺なんか前世で自分が事故で死んでるけどな。(目逸らし)

 ボクサーとしては長身でリーチが長く、フリッカージャブの使い手。

 後の死刑執行人、だ。

 

 この試合、原作では宮田が圧倒し、追い込まれた間柴が宮田の足を踏んで逆転する。

 しかし、原作はすでにブレイクした。

 幕之内が俺に負けたこと……それが、宮田に何かしらの影響を与えるかもしれない。

 

「……速水さんは、どう予想しますか?」

「俺の予想は宮田だ」

 

 いや、うれしそうな顔するなよ。

 

「ただ、きれいなボクシングの試合で終わったら、の話だ」

 

 首をかしげる幕之内を立たせ、構えを取らせた。

 俺のことを色々教えてくれたお礼だと思って。

 

「幕之内くんは、俺の足の位置で距離を測ってただろう?」

「は、はい。なんで……」

「いや、目線でばればれだったからな……」

 

 苦笑しつつ、説明していく。

 距離のとり方、つぶし方、そして、相手の足を封じる手段。

 

「こうして肩を押し付け、片足に重心を集めると……どうだ?」

「動けません、ね」

「幕之内くんのパワーなら、パンチをガードさせて棒立ちにさせるのも可能だろう」

「さ、参考になります……」

 

 ああ、こういうところを見ると主人公なんだなと思う。

 素直というか天然というか、どこか、ほうっておけないところがある。

 

「じゃあ、次は……反則めいた技だ」

 

 踏み込みの足を、幕之内の前足のかかとに置いてやる。

 

「後ろに動けるか?べた足のインファイターと考えて、だが」

「……動けません。試合の最中にやられたら、戸惑うと思います」

「誰かに教えてもらったことはあるか?」

「ありません」

 

 幕之内の目を見て、言葉を続ける。

 

「左目の視界がふさがれて、死角からくるパンチは効いただろう?」

「え、まあ……はい」

「パンチが来るとわかってたら耐えられるパンチも、不意にもらったらダウンしてしまう……それと同じさ。知らないということは、怖いことなんだ。ならば、知るための努力をすべきだと俺は思う。それを使えというんじゃなく、対抗するために、だ」

「……わかる気がします」

「そして、間柴は、ボクシング以外の知識を持ってるし、勝つためならそれをやれる。危険な相手だと俺は思ってるよ」

 

 肩をすくめて、リングを見る。

 

「まあ、今日の俺たちはボクサーじゃなくて、観客だ。黙って見守るとしようぜ」

「はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果だけ見れば、宮田の圧勝、か。

 

 序盤はおおむね原作どおりの展開だったといえる。

 フリッカージャブの連打。

 それに対応してからの、宮田の攻勢。

 

 カウンターで、ダウンを奪ったのも原作どおり。

 そこで一気に試合を決めにいかなかったのが、結果としては勝因だったのか。

 

 幕之内は気づいてなかったが、間柴が宮田の足を踏みにいった場面もあった。

 それをかわした瞬間は、思わず立ち上がりかけたが。

 

 間柴のパンチは当たらず、宮田のジャブだけが当たる。

 そして、苦し紛れの大振りのパンチにカウンター。

 絵に描いたような試合運びで、4Rに2度のダウンを奪って勝利した、か。

 

 

 もしかして、だが。

 幕之内に勝った俺に対して怒ってた?

 本当なら、ダウンした間柴に対して一気に決めに行く性格をしてるよね?

 

 なんとなく、俺と幕之内の試合を意識しての試合運びだった気がする。

 

 

 うん、まあ間柴と戦らずにすんだ。

 ならばよし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なのに、夢に出てくるのは幕之内(バージョン2)なんだよなあ。(震え声)

 

 

 

 

 

 12月。

 

 街が彩られていく時期。

 前世の記憶のせいか、微妙に地味というか、控えめに感じるが。

 デコレーションされた一般家庭もほとんど見かけない。

 

 しかし、宮田との決勝は12月の……クリスマスイブか。

 知人や職場の同僚に、チケットを配りづらい日程だな、おい。

 

 体調は問題ない。

 汗の出にくい季節だが、ウエイトも問題なし。

 

 そして、宮田対策というわけでもないのだが……。

 

「よう、久しぶりだな、速水」

「また、中途半端な時期にプロ転向しましたね、冴木さん」

「いやあ、一応オリンピック(バルセロナ)を目指してたが……こう、なんか違ったんだよなあ」

 

 ……出たよ。

 

 スピードスター、冴木卓麻。

 まあ、一種の、スリルジャンキーだ。

 俺のひとつ上だと大学3年生……だが、プロ転向ってことは、中退したんだろうな。

 ボクシング推薦で入学したはずだし。

 6回戦からキャリアスタートで、この前A級にあがったはずだ。

 

「ダウンを奪う1発と、ジャブの1発が同じ価値ってのはな……」

「ルールですけどね……それで、プロですか」

「ああ」

 

 冴木が破顔して、俺の肩を叩いた。

 

「いいな、プロは……こう、パンチの一発一発に、こもってるものを感じるよ。アマチュアの『当てる』じゃなくて、『殴る』『倒す』『ぶっ飛ばす』って感じの、人の心の原形質みたいな感情が伝わってくる」

「……それを、ギリギリで避けるのが最高って言うんだろ」

「そうさ……誰も俺をとらえることができない。それを証明する場所に、俺はプロのリングを選んだだけのことさ」

 

 冴木が、俺の拳をつかむ。

 

「今日は、ワクワクさせてくれよ……」

「ははは、俺は4回戦の選手ですよ、冴木さん。俺が胸を借りる立場です」

「ははは、面白い冗談だな、速水」

 

 冗談も何も……事実だし。(目逸らし)

 

 

 

 

 

 

 冴木の左が、俺の鼻先をかすめる。

 一種の挨拶だ。

 俺が左を返すと、冴木の口元に笑みが浮かんだ。

 

 示し合わせたように、左の差し合いが始まる。

 細かく動き続ける。

 打った後、同じ位置にはいない。

 

 冴木の、後ろで束ねた髪が踊る。

 なかなか絵になる光景だ。

 高校時代は丸坊主だったくせにな。

 

 相手の姿を見て打つのではなく、相手の動きを予想してパンチを放つ。

 あるいは、相手の動きを制限しておびき寄せる。

 

 フェイントの応酬。

 リーチは、俺のほうが短い。

 1センチ、2センチが遠く感じるやり取りだ。

 

 冴木の動きが良くなってくる。

 ギアがあがっていく。

 最初は拳ひとつ分あけて避けていたのが、半分になり、今は1~2センチ。

 

 冴木は、気分屋のところがある。

 スイッチが入るのに時間がかかるといってもいい。

 パンチのやり取り。

 そのスリルの中で、自分を盛り上げていく。

 

 たぶん、自分の神経をとぎすさませるために、『スリル』が必要なんだろう。

 真価を発揮するためには、プロのほうが向いていたのかもしれないな。

 

「いいぜ」

 

 冴木の言葉。

 それは、暖機運転終了のお知らせ。

 本当のスパーの始まり。

 

 冴木の左。

 俺の左。

 

 リングの中を、めまぐるしく動く。

 

 ハンドスピードは負けてない。

 しかし、フットワークは一歩譲る、か。

 速度負けするのは、少し新鮮な感覚だな。

 

 冴木が飛び込んでくる。

 ボディから顔面への切り返しが速い。

 ヘッドギアをかすめた。

 

 冴木はノーヘッドギア。

 打ってきていいとは言われているが、気は使う。

 

 冴木のステップの音は独特だ。

 キュ、キュという音ではなく、たんたんたんと、リングを蹴ると言うか、はじいている様な音がする。

 陸上の短距離選手のノリだな。

 それでいて、構えそのものは野球選手の守備に似ていて、俺としてはそれをどこか懐かしくも感じる。

 

 

 2Rめ。

 

 冴木の動きが、ますます冴える。

 動きが速くなったというより、反応がよくなった感じ。

 

 うん、宮田を想定したスパー相手としては上等。

 現状では、上等すぎたかもな。 

 

 ギアを上げた。

 左の差し合い。

 フェイントの応酬。

 

 冴木の踏み込みに合わせてボディ。

 退く動きに合わせて踏み込み、アッパーへつなげる。

 顔を上げてかわしたそこに、左。

 右手で外へはじかれる。

 

 ガードが開いた俺の顔に冴木の左。

 首をひねりながら右のクロスを返す。

 

 パンチの交錯。

 そして、距離をとる。

 

 周囲から、ため息のようなものが聞こえた。

 

 また動き出す。

 

 冴木の左。

 右。

 速い。

 しかし、素直。

 

 トップスピードの上はないのか。

 

 

 3Rめ。

 予定では、最後のR。

 

 そろそろいくか。

 

 パンチの緩急。

 タイミングの変化。

 ステップの緩急。

 リズムの変化。

 

 冴木の、気持ちの良いリズムを邪魔してやる。

 かと思えば、気持ちの良いリズムに戻してやる。

 

 かみ合っていた動きに乱れが出る。

 

 何かが崩れる。

 

 相手の力を8にも9にも見せて10の力で勝つのではなく、3や4に落とし込むやり方。

 勝負に限って言うなら。

 冴木はまだ、甘い。

 

 その甘さが、少し羨ましい。

 

 

 トン、と。

 

 威力はないが、俺の拳が冴木をとらえる。

 戸惑いの表情。

 避けたはずのパンチ。

 

 またひとつ。

 

 威力はない。

 ただ、当てるだけのパンチ。

 

 そこに普通のジャブ。

 踏み込んだ。

 左右のボディから、アッパー……を、アゴの手前で止めた。

 

 意地を張るでもなく、冴木が尻餅をつく。

 

「おい、なんだよ今のジャブ?」

「はは、別のジムの……それも同じ階級のボクサーに教えるはずないでしょ。見せてあげたのは、俺のサービスです」

 

 そう言って、片目をつぶっておく。

 

 まあ、種明かしをすれば、『フォームを崩した』だけの話。

 それでパンチの軌道をずらした、インチキっぽい、小手先の技だ。

 

 冴木も、宮田も、目がいい。

 反射速度もいい。

 でも、それは時として速すぎるときがある。

 

 一瞬の躊躇。

 余計な思考。

 それが命取りになるのが、ボクシングのリングだ。

 だからこそ、集中力の奪い合いが重要になってくる。

 

 それは疲労だったり、ダメージだったり、心理的な駆け引きだったりするわけだが。

 

 

 カウンターパンチャー相手には、いくつか対抗策がある。

 

 まずは、こちらのパンチを学習させないこと。

 イメージとしては、居合いだな。

 

 次は、間違って学習させること。

 1発1発、タイミングや角度を変えて打つ、とかだな

 俺がいつもやっていることだ。

 ただ、じっくりと分析されると、性格などの癖が出る。

 

 力の差で押しつぶすのは、脳筋の天才にお勧めだ。

 タイミングがわかっても、パンチが見えても、避けられない、間に合わない……まあ、先に相手の心が折れるかな。

 

 ほかにもあるが、試合が始まるまでは、色々と考えるだけはできるんだ。

 ただ、それが実行できるかどうかが問題なだけで。

 

 綿密に作戦を立てたところで、当日の体調が悪ければおしまいだ。

 あらゆる想定をしつつ、なおかつ、偏らない。

 もちろん、自分の能力が高ければ高いほど、選択の幅は広がり、能力が低ければ、選択は少なくなる。

 

 ただし、選択するということは、その分判断するまでのタイムロスが出る。

 できることがひとつだけで、何も考えずにそれだけを実行する……そんなタイプが、一瞬を争う競技ではすべてをひっくり返すことが少なくない。

 

 身体を鍛えるだけじゃなく、最速で最善の選択をし実行へと移す……そういう、思考のトレーニングも重要だ。

 まあ、俺のやっているナンバーシステムなんかが、それに該当するが。

 

 練習方法もそうだが、ほかにも色々と考えている。

 まだ、形にもならないもの。

 何かをつかみかけた気がするもの。

 考え続けることだ。

 

 いつかそれが力になると信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 12月23日。

 

 ……実はひっそりと、俺の誕生日。

 これで20歳になった。

 

 今は関係ないけどな。

  

「宮田選手、速水選手、計量パスです」

 

 東日本新人王戦。

 それぞれ日程はばらばらだが、決勝に関してはすべての試合を同日に行う。

 なので、今日の前日軽量には、出場選手が勢ぞろいする。

 

 まあ、最も注目されているのはフェザー級だ。

 

 ほかの階級の選手への取材はほどほどに、俺、速水龍一と宮田一郎に、記者の興味が集中する。

 たぶん明日は、女性ファンも多いだろう。

 ただし、男性のアンチは確実に俺のほうが多い。

 

 お決まりの、握手の撮影に始まり、コメントを述べる。

 

「別に。特に言うことはないね」

 

 そうか、俺をピエロにしたいのか、宮田一郎。

 いや、確かにそういうところが女性ファンには支持されるかもしれないが……しれないが、なあ、もうちょっとさぁ。

 

 盛り上げようじゃないか。

 

 日本のボクシング人気の凋落について、一番わかりやすいのはファイトマネーの変遷だ。

 昭和40年代後半に、人気の某日本人ボクサーは1試合のファイトマネーで6千万~7千万もらったって逸話がある。

 それが、平成20年頃にタイトルを何度も防衛した某世界チャンピオンのファイトマネーが700万になってしまうのが前世における現実だ。

 人気の有無に左右されるとはいえ、40年の物価上昇分を考えたら、10分の1ではすまない。

 

 昭和50年代前半に、某プロ野球選手の年俸が最高で8000万ぐらいだったことを考えると、1流のプロ野球選手の年俸が、平成20年頃に400万とか500万になるぐらいの衝撃だ。

 その年俸だと、プロ野球選手にあこがれる少年は激減するだろう。

 

 キレイごとを否定はしないが、金はパワーだ。

 わかりやすい欲望。

 逆に言えば、金になると思えば……ボクシングに寄ってくる連中はいる。

 プロ野球にしても、多くの人間の努力とビジネス戦略によって、職業として成立させたわけだからな。

 

 でも、今は宮田にそれを頼むのは筋違いか。

 宮田は宮田で、幕之内を倒してここにいる俺に対して、複雑な思いがあるのだろう。

 何も言わないのではなく、何も言いたくないのかもしれない。

 

 まあ、記者連中はそんなことを知らないし、関係ないけどな。

 だからこうして、俺に期待する視線を向けている。

 

 俺は速水龍一で、プロのボクサーだ。

 その期待に応えるのがプロだろう。

 

 ビッグマウスの時間だ。

 




昭和40年代、ボクシングはマジでプロスポーツとしては花形だったようです。
身体ひとつで、その拳だけで成り上がられるという幻想は、多くの少年に夢を与えたんでしょうね。(ごく一部の選手に限ります)

アマチュアボクシングの採点基準も、色々変わったので、もういつの時代のどのルールだったのか覚えてません。(震え声)

(チラッ)明日も、更新予約を入れました。







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