『1Rで終わらせる!』
『1Rあれば十分でしょ?』
俺の発言が〇〇スポーツと〇△スポーツで大きく取り上げられたぞ、やったぁ!
……言ってねえよ。
そんなこと言ってねえよ。(震え声)
ちなみに、俺の発言はこうだ。
『明日はクリスマスイブですね。試合数も多いし表彰式も控えてますから、できるだけ早く終わらせて、スケジュール進行に協力したいですね』
こう、宮田への挑発を含めて、ウィットに富んだアメリカンな発言だろ?
それがなんで、こんな安っぽい発言にされてしまうのか。
文字数制限があることは百も承知だが……こう、なんというか……バカっぽい。
それと、その片方が、俺のスポンサーであるテレビ局と関連性が深い新聞社であるところに、救いのなさを感じる。
これは、スポンサーからのある種の釘刺しなんだろうな。
アクシデントとはいえ、世間的には格下とされている幕之内にダウンさせられた俺への不満。
俺は、人である前に速水龍一という名の商品。
商品価値を下げるような真似は許されないし、状況の変化で価値が下がっても切られる。
シビアな世界だ。
……前向きに考えるか。
世界戦でもなく、たかだか東日本新人王決勝戦程度がスポーツ新聞の2面や3面に大きく記事になるなんてのはほぼありえない。
12月という時期が良かったのもあるだろうが、少なくとも話題にはなっている。
またアンチが増えるだろうが、金と手間をかけて試合を見に来てくれるなら立派なファンだ。
ネットも、動画も、ツイッターもない時代だ。
マスコミの力を借りずに、個人でどうこうするのは厳しい時代でもある。
見てもらわなければ始まらない。
何かを感じてもらわなければ始まらない。
日本人好みの演出、か。
意識を切り替える。
覚悟を決めていく。
ボクサー、速水龍一として。
今日の試合は、幕之内とは別の意味で神経を使う試合になるだろう。
圧力、プレッシャー、重圧、いろんな言葉がある。
たとえば、幕之内のパンチをもらってはいけないという重圧はどこからくるのか?
もちろん、その破壊力だ。
一発で倒されるかもしれないという恐怖。
防御に重点を置くという方法を俺はとったが、それは試合時間が長くなるというデメリットを生んだ。
1秒でも早く試合を終わらせるというのも、ひとつの手段だ。
攻撃に重点を置き、積極的に倒しにいく……ただし、反撃を食らう可能性が増える。
どちらにせよ、幕之内の攻撃に対して『意識を振り分ける』必要が出てくる。
注意しなければいけない何か。
対応しなければ痛い目に合わされる何か。
俺は、それが重圧の本質だと思っている。
人間の集中力は、意識は、有限だ。
どこかに集中すれば、ほかはおろそかになる。
それはつまり、自分が相手に意識させられる長所を持っていれば、その分相手の集中力を奪えるということだ。
俺が宮田から感じる脅威。
そして、宮田が俺に感じている脅威。
試合が始まる前から、集中力の奪い合いは始まっている。
自分の強みと弱みを知る。
相手の強みと弱みを知る。
そのうえで、相手がどう動くか、どう動かざるを得ないかを考える。
読みとか、戦略とか言うのは、それからの話だ。
まあ、俺と宮田のスタイルは、わりと似ている。
俺はファイターより、宮田はアウトボクサーよりのボクサーファイター。
長所も短所も似ている気がする。
だからこそ、神経を使わざるを得ない。
裏をかくために。
「速水選手、準備をしてください」
軽く、身体を動かしながら、歩いていく。
原作をブレイクした後の、俺の道。
速水龍一の道。
体調は悪くない。
ただ、幕之内戦が大きなピークだった。
今日、大きなダメージをもらわずに試合を終えたら、千堂との試合の2月にまたピークを持ってこれるだろう。
宮田はどうだろうか。
まあ、考えても意味がない。
リングに立ち、この目で見て、グローブを合わせるまでわからないことはいくらでもある。
俺を応援する女性ファンがいる。
宮田を応援する女性ファンがいる。
今日は、クリスマスイブだ。
ここに足を運んでくれた意味を重く受け止める。
俺に罵声を浴びせる連中がいる。
それでもいい。
熱だ。
ここには、熱がある。
人の熱は、伝播する。
熱気が、興奮が、新たな熱を生む。
あるいは、焚き火のようなもの。
その光に、熱に、誘われて人が集まる。
リングへと向かう通路を歩きながら、拳をぐっと握り締める。
音羽会長と相談し、覚悟は決めた。
リングの上で手を上げた。
歓声。
ヤジ。
あぁ、いいね。
くるりと、円を描くようにステップを踏み、左右の連打を見せる。
無意味なパフォーマンスと、笑わば笑え。
今日、初めてボクシングを見る人に。
今日、初めて後楽園ホールに足を運んでくれた人に。
楽しかったと。
面白かったと。
感じた熱に、方向性を与えてやる必要がある。
何が起こるかわからない。
びっくり箱のような驚き。
そして、物語のような……劇的な何か、を。
『ボクサーの考えることじゃないぜ』
藤井さんの言葉を思い出す。
それでも、だ。
それを目指したのが、『速水龍一』という男だろう。
パフォーマンスを終え、俺はまた観客に向かって手を上げる。
大きくなった歓声とヤジ。
それでいい。
負けたらピエロ。
俺は、それさえわかっていればいい。
そして、宮田のやってくる方角に向けて、拳を突き出す。
宮田が現れる。
宮田が歩いてくる。
……うん、宮田にパフォーマンスは期待してなかったけどさ。
ボクサーとは、孤独な人種だ。
それを実感する。
レフェリーの言葉。
耳には入ってこない。
俺をにらみつける、宮田の目。
それだけが気になる。
幕之内を倒したからか。
約束の場所を、俺が奪ったからか。
宮田だけじゃない。
幕之内だけでもない。
人は、誰もが約束の場所を持っていて、そこに向かって歩いていく。
ボクシングの、スポーツの本質は、残酷さの中にある。
誰かの大切なものを踏みにじって歩いていく。
そんな世界だ。
奪われる覚悟は必要だ。
「気負うな。そして、油断するな。それだけでいい」
音羽会長に向かって、頷いておく。
宮田と戦うためのプランは10種類以上考えていた。
まあ、あの新聞のせいで半分以上ぶっつぶされたが。
スポンサーは、俺を助けつつ、俺の選択を縛る存在でもある。
俺も、それを利用させてもらう。
セコンドアウトの合図。
マウスピースの感触。
そして。
東日本新人王決勝の開始を告げるゴング。
さて、いくか。
きゅっきゅっと、俺と宮田のリズムを示す音だけが響く。
俺の出した
リーチは、宮田のほうが長い。
宮田を見る。
リングを回りながら。
宮田の左。
届かない距離。
それでも、左を伸ばしてくる。
俺の踏み込みに合わせて左。
からの右。
糸を引くような軌道。
これが、幕之内があこがれたという、宮田のワン・ツーか。
俺への威嚇だろう。
あるいは、怒り。
俺の左が空を切る。
その引き手に合わせて、宮田の左が来る。
それをはずして、俺もまた左。
左の差し合い。
そのまましばらく、宮田のリズムに合わせた。
気分良く、進めてやる。
お互いの存在をぶつけ合うような殴り合いがあり、お互いを出し抜こうとする心理戦がある。
ボクシングに限らず、スポーツ選手はいつだって『最高のギア』を温存しておくものだ。
これ以上はないと見切られた瞬間、底が見えてしまう。
その上限以上を警戒していた分の集中力を、ほかに回されてしまうからだ。
リアルを争いながら、自分の姿を大きく見せる。
相手に幻想を抱かせる。
それもまた、ひとつの戦い。
激しい左の差し合い。
アウトボクサー同士の、息詰る主導権争いに見えるだろう。
綺麗なボクシングだ。
無駄のない動き。
ある種の機能美。
動きはめまぐるしい。
気は抜けない。
でも……そろそろか。
「ひとつ!」
音羽会長から、『1分経過』の合図がとんだ。
マウスピースを強く噛む。
覚悟を決める。
ひとつの変化。
この試合、俺が初めて見せるメキシカンのジャブが、宮田の頬をかすめた。
かすかに、宮田の表情が変わる。
その瞬間。
俺は、ガードを固めて突っ込んだ。
ふたつめの変化。
戸惑いの表情。
それで、1Rからの勝負を予想してなかったことが知れた。
切り替える余裕を与えない。
変化と奇襲は、2度続けて意味が出る。
どちらの情報を先に処理しようか、迷いが出るからだ。
迷いは、そのままタイムラグに直結する。
動揺すれば、その傷はさらに広がる。
宮田のバックステップ。
俺はそれを追いかける。
突き放そうとする左。
俺はそれをはじいて踏み込む。
みっつめの変化。
ここで、ギアを上げた。
リズムを変える。
そしてボディへ一撃。
バックステップ。
逃がさない。
またボディへ。
回ろうとする宮田。
突き放そうとするジャブが雑になっている。
追いかけていく。
追い詰めていく。
コーナーへ。
宮田の動きが止まる。
自分の位置を確かめるようなそぶり。
コーナーを背負った宮田に、接近戦を挑む。
宮田の長所を殺し、俺の長所を活かす場所。
俺が決して幕之内に与えなかった場所。
連打。
細かく早く。
リズムとタイミングを学ばせないための、フェイントと捨てパンチも混ぜる。
ガードの上からも叩き、反撃を殺しながら、攻撃する。
防御の上手さ、反応のよさは、幕之内のはるかに上。
だが、俺の速さと技術も、幕之内のはるかに上。
そして、本来攻撃のほうが防御よりも有利だ。
見て避けるのでは遅い。
攻撃を読みきって、ようやく渡り合える。
かわせないパンチがでる。
ダメージが入る。
そして。
宮田には幕之内の頑丈さがない。
ボディからのアッパー。
ぐらつく。
倒れさせないために、アッパーで起こす。
容赦はしない。
俺のパンチも、タイミングも。
学ばせる時間を与えないために。
ここで、終わらせる。
連打。
宮田の腰が落ちる。
それをまた、アッパーで立たせる。
左右のフックに、宮田の身体が揺れる。
しかし、宮田の目が生きている。
またアッパーで……
レフェリーが、俺と宮田との間に飛び込んできた。
とめるな。
まだ死んでない。
俺の目の前で。
宮田が座り込むように尻餅をついた。
ニュートラルコーナーで、歓声と悲鳴を浴びながら、俺は宮田を見る。
リングに拳を叩きつける宮田を見る。
レフェリーがダウン宣言をするのが少し早かった。
あと3発、いや、2発でよかった。
……仕方ない。
もう一度だ。
今の攻防で、俺のタイミングがつかまれた可能性はある。
集中だ。
残り時間を確認。
ほぼ1分。
「ファイトッ!」
合図と同時に襲い掛かる……と、見せかけて手前でいったん止まる。
宮田の右が空を切る。
その引き手にあわせて飛び込んだ。
余裕はない。
足もない。
それが見えた。
宮田の右を警戒して、左のガードは残しておく。
そして、右の連打。
宮田の足元がおぼつかない。
それでも目が生きている。
右に意識を向けて、左のアッパー。
はね上がった顔面に右。
俺の視界から、宮田の目が消えた。
左右の連打で……。
こつん、と。
ガードを空けた俺のアゴを、宮田の右がこすっていった。
ただ手を出しただけのパンチ。
意識はある。
痛みはない。
幕之内とは別の種類の絶望。
パンチを打つための、踏み込みができずにいる俺。
宮田も、ローブを背にして立っているだけ。
やってくれる。
タイミング。
そして、俺の意識が完全に攻撃に向かった瞬間。
生粋のカウンターパンチャーというのは、こういうものか。
時間にして1秒か2秒ほど。
お互いが、回復を待つ奇妙なお見合い状態。
その、終わりが来た。
……それまでのダメージの蓄積の差。
この結果は、実力差じゃなくて戦略の差だ。
次に戦る時は、こううまくはいかないだろう。
踏み込む。
宮田の目を見る。
俺は、宮田への敬意を示すように、ワンツーで勝負を決めた。
リングの上で、高々と拳を突き上げた。
そして、リングを歩いてまわる。
観客全員に、俺の顔が見えるように。
歓声と拍手、そしていくつかの罵声。
ははは、いつもの。
でも、女性ファンの罵声は心に刺さるな。
それに対して、俺の女性ファンが文句を……それはやめて。
ぼろぼろの勝者というのも絵にはなるが、俺は、勝者らしく振舞う。
胸を張る。
看板は小さいが、王者らしい姿を。
もう一度、拳を突き上げ、アピールした。
というか、1Rで終わらせたの、アマチュアを通じても初めてなんだよな。
それを知ってれば、『1Rで終わらせる』なんて言葉を使うはずがないんだ。
せめて、選手のプロフィールぐらいは調べた上で、記事を書いて欲しいとは思うが……結局、これが今のこの国でのボクシングの扱いなんだろう。
まあ、今回は特別だ。
宮田という、カウンターパンチャー相手だからこそ、選ぶことのできた戦略。
とりあえず、有言実行は果たした。
リングを降りる。
宮田には声をかけなかった。
当然のことだが、宮田一郎は、幕之内一歩とは違う。
勝った俺がどんな言葉をかけたとしても、与えるのは屈辱だけだろう。
俺は、そう思う。
歓声に向かって手を振りながら通路を歩いていく。
新人王戦東日本代表。
プロボクサーになってからの、初めての勲章だ。
小さな小さな、勲章。
俺が道を振り返ったとき。
この勲章が、速水龍一の『はじめの一歩』であるように。
顔を上げて、歩いていこう。
次の階級の決勝が行われる。
その裏で、東日本を制した俺へ記者が集まる。
「いやあ、宣言どおり、1RのKO。見事でしたね」
ははは、〇〇スポーツの記者さんは何を言ってるのか。
……宣言してないからな。
顔は笑顔でも、心は絶許だから。
「実力差じゃなくて、戦略の差ですよ。最初に1分使って、宮田くんのボクシングに付き合った。そこで、いきなりインファイトに切り替えて、戸惑っている間に、勝負を終わらせただけです」
アゴをなでながら、言葉を続ける。
「最後の詰めの瞬間に、カウンターをもらいましたからね。ヒヤッとしました。宮田くんに余力が残っていたら、正直危なかったですよ」
俺の言葉に頷くか、不満そうな表情を浮かべるかで、ボクシングへの理解度がわかる。
ボクシングの専門誌の記者は当然前者で、スポーツ新聞の記者は後者が多い。
結局、ほかのスポーツの話題がない時期(12月)だから、紙面の穴埋めに近い状態なんだろう。
「次は全日本ですね」
「ええ、西日本の千堂です」
俺の言葉に首をひねる記者がいる。
不勉強とは言うまい。
世界戦以外は、さほど興味はもたれない。
そして、世界戦のときだけ、付け焼刃の知識で記事を書くのも珍しくない。
これが、現状だ。
ちょうどいい機会だ、俺の口から千堂のことをプッシュしてやろう。
なにわ拳闘会所属、千堂武士。
全試合、派手なKO勝利。
難波の虎と呼ばれる存在。
浪速のロッキーと呼ばれる男。
いや、ロッキーといっても、映画の方じゃなく、無敗のまま引退した伝説のボクサーの方じゃないと、千堂くんに失礼かな、などと持ち上げておく。
「絵になる男。物語になる存在だと聞いてます。油断できない相手でしょうね」
藤井さんの言葉を借りて、締めておく。
これで、少しでも興味を持ってくれたら万々歳。
戦うのは俺だ。
千堂の姿が大きく見えれば見えるほど、俺もまた大きく扱われる。
それは、ボクシングの盛り上がりへとつながるかもしれない。
……まあ、負けたら俺がピエロになるのは変わらないが。
しかし、原作と違って千堂が東京にやってくるイベントはないんだろうな。
千堂から見て、俺というボクサーが『心ゆくまでどつき合いを楽しめる相手』ではないことは確かだし、怪我や都合で俺が棄権する予定もない。
原作ブレイクの結果か。
少し寂しいような気もする。
あ。
今思うと、幕之内とヒロインのフラグ折れてないか、この流れ。
……赤い糸で結ばれた二人なら、きっと出会うと思うんだ。
うん、そういうことにしておこう。
それに、俺の知らないところで、別のイベントが起きると思えば……それでいいか。
何が起こるかわからない。
それが世界の選択で、現実ってやつだろう。
それでいいはずだ。
すべての階級の試合が終わった。
東日本新人王になった選手が集まり、リングの上で表彰を受ける。
ん?
ああ、全日本だけじゃなく、東日本でもMVPがあるんだったか。
まあ、もらえるなら有難く。
当然のような顔をして受け取り、女性ファンの声援に応えていたら、背後から舌打ちが聞こえた。
ならば、女性ファンを増やす努力をしてるのかと、心の中でつぶやくだけにしておく。
そして、選手全員で写真撮影。
前世では、西日本代表は、西日本・中日本・西部日本各地区の勝者が争って決める(参加人数的な関係)ものになっていたが、この世界のこの時代は、西日本はひとつのブロックとして扱われているようだ。
全日本の会場も、後楽園ホールと大阪府立体育会館を交互に使用していたが、いつからか後楽園ホールで統一されたし、その時期も12月になっていた。
ただまあ、この世界の、この時代、俺たちは大阪へと乗り込むことになっている。
今ここにいる東日本の代表の、何人が勝ち残れるだろうか。
そして何よりも。
千堂武士を相手に、俺は生き残ることができるだろうか。
西日本の準決勝、そして決勝の映像を見る限りで言うなら、俺と戦ったときの幕之内よりも上だ。
ただ、ボクシングそのものは荒い。
でも、千堂の荒っぽさは、ある種の技術といえる荒っぽさだ。
そしてタフだ。
喧嘩の場数を踏んでいる分、痛みにも強い。
正直、俺にとっては相性が悪い。
また、集中力を削られる試合になるに違いない。
祝勝会は後日ということにして、音羽会長と別れて後楽園ホールを後に……。
「速水さん!」
どきりとする。
幕之内。
顔は穏やかだが……どうかな。
「よう、幕之内くん。今日は俺の……じゃなくて、宮田くんの応援か」
「あ、いえ……はい」
幕之内を見て、言う。
「ずるい試合だっただろ?」
「……」
「宮田くんの場所ではなく、俺の場所で戦ったからな」
苦い思い。
原作の『速水龍一』の言う『相手の力を8にも9にも見せて10の力で勝つ』というやり方を実行できるほど、俺は自信家にはなれない。
まずは勝つ。
負けて悔いなしというのは幻想だ。
勝たなければ始まらない。
前世の経験。
俺の、慎重さと臆病さが、原作の『速水龍一』をブレイクした。
それでも、という思いはある。
「……以前、速水さんが教えてくれたことを会長に話したんです」
教えた?
何を……ああ、宮田と間柴の試合のときのことか。
「鴨川会長が言ってました……『ボクシングに対して真摯な男じゃな』と」
真摯か……うん。
そうか。
少し、救われる。
「宮田君が負けたのは正直残念だったけど、僕はずるい試合だったとは思いません。フェイントや駆け引きだって、ボクシングですよね。僕は不器用なボクシングしかできませんが、速水さんはいろんなことができて、そのひとつを選んだらああいう試合になった……そういうことなんだと思います」
前世の名前が速水龍一だったことで多少複雑な思いを抱きはしたが、『はじめの一歩』という作品そのものが好きだった。
登場人物も好ましいと思う。
今日、俺が殴り倒した宮田一郎だって好きなキャラだ。
嫌いになれるわけがない。
だからこそ。
この世界で、実際に見て、感じて、そして生きて……俺は、速水龍一は、好ましいと思われるボクサーでありたい。
俺という筆で、速水龍一という男を、この世界に描きたい。
すべてではないにしても、そういう想いが少なからずある。
口には出せない、俺だけの秘めた思いだ。
勝ちにこだわる自分。
それを正しいと思いながら、心のどこかで卑しく感じている。
そんな俺には、まっすぐな『幕之内一歩』の言葉が……尊い。
まいったな。
泣いてしまいそうだ。
俺はただ、笑ってそれをごまかした。
「次の全日本も、がんばってください」
「ああ。幕之内も、次は6回戦か。そろそろ復帰に向けて絞られ始めたか?」
「はい」
ぐっと、拳を握って。
「宮田君との約束とは別に、速水さんの後を追いかけるつもりです。そして、今度こそ、アクシデント抜きにしてパンチを入れますから」
ははは。
おい、やめろ。
夢に見そうな事を言うんじゃない。(震え声)
でもまあ、今はこう、か。
「はは、待ってるぜ」
軽く右手を上げて、俺は幕之内に背を向けた。
そして、歩き出す。
俺の背中を、幕之内がじっと見つめているような気がした。
その夜、夢の中で俺はバージョン2の幕之内を退け、新しく現れたバージョン3の幕之内に思いっきりぶっ飛ばされた。
よーし、これでまた、俺は強くなれるぞ。(白目)
この流れ、宮田の海外遠征とかどうなるんだろう。
そして、すっかり忘れていた一歩と久美ちゃんのフラグは。
青木さんとトミコは出会えるのか。
そう考えると、現実って、偶然の積み重ねでできているんだなと思います。
(チラッ)筆が走ったので、千堂戦と第一部のラストまで連続更新の予約を入れました。
11話で、第一部終了予定。