速水龍一で始める『はじめの一歩』。   作:高任斎
<< 前の話 次の話 >>

9 / 12
いつからかは忘れましたが、今は新人王決定戦は、全部後楽園ホールでやります。
あと、A級トーナメントはなくなりました。
最強後楽園と名前を変えて存続はしてますが、ランキング上位しか出場できません。
A級なら誰でも出場できるのは、物語としてはとても都合が良い存在だと思います。


9:破綻。

 幕之内(バージョン3)は強いなあ。(白目)

 

 すかっとさわやかにぶっ飛ばされて、寝汗でじっとりした目覚めを味わう。

 これが、久しぶりに帰省した実家の、めでたいお正月の目覚めか。

 まあ、明日には東京へと帰る予定だが。

 

 両親と兄妹との団欒、そして初詣。

 久しぶりの休暇だ。

 

 夜は、高校時代の友人や知人と再会した。

 少し、いじられた。

 

 ……ははは、〇〇スポーツと〇△スポーツめ。

 友人知人のほうが、俺のことを良くわかってるよ。

 

 

 そして次の日。

 東京へと戻る俺を、両親が駅まで見送りに来てくれた。

 

 危険じゃないスポーツなんてものはないが、ボクシングの危険度が高いのは確かだ。

 親不孝といわれたなら、否定はできないだろう。

 

「元気でね」

 

 おそらくは、万感の想いがこめられた母親の言葉に、俺はただ笑顔で返す。

 どんな言葉も、嘘になってしまいそうだから。

 

 電車が動き出す。

 俺の、『速水龍一』の故郷を離れていく。

 俺が、ボクサーの『速水龍一』へと戻っていく。

 

 全日本新人王決定戦。

 フェザー級西日本代表の千堂武士との試合は2月だ。

 

 宮田との試合が終わってまだ10日ほどしか経っていないのに、おそらくはこれが最後の休暇になるだろう。

 俺は、速水龍一はボクサーだ。

 やるべきことは多い。

 

 去年の暮れには……いわゆる、ソ連崩壊が起こった。

 国家事業として支えられていた、スポーツエリートの流出現象が始まる。

 もちろん、それはスポーツに限ったことではなく……前世では、研究者なども含めた大きな社会的現象へとなったのだが。

 この世界ではどうなるのか。

 

 そして、日本に来るのか……ヴォルグ・ザンギエフ。

 

 車窓から見る景色が流れていくように、時もまた流れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 千堂武士。

 いまさらだが、危険な相手だ。

 音羽会長も、警戒している。

 

 もちろん、原作知識ではなく、西日本新人王戦における千堂の試合の映像を見ての感想だ。

 どちらかというと、豪腕という言葉は幕之内よりも千堂にふさわしいと俺は思う。

 幕之内は小柄なせいもあって、現状では超接近戦で連打でまとめてくるタイプだが、千堂は中距離で一発一発、相手に重圧を与えるタイプだ。

 ストレート系よりも、フック、そして原作ではスマッシュだったか。

 スイング系のパンチに頼っている。

 言葉は悪いが、暴力にボクシングの皮を一枚かぶせたような、まだまだ荒っぽい印象だ。

 もちろん、その荒っぽさがある意味で、技術になっていることも見逃せない。

 間合い。

 そして、手を出すタイミング。

 人を殴るということを良く知っているのがわかる。

 

 コンビネーションとはいえない。

 なのに、相手を追い詰めていく。

 空間を削るようにして、逃げ道をふさいで相手を押しつぶす……そういう試合運びは、技術だと認めるべきだ。

 

 幕之内に対しては、リーチと速さと技術の3つで対抗したが、千堂の場合『リーチ』の有利が失われ、速さと技術の2つで対抗しなければいけない。

 

 まあ、動きそのものは直線的だから……リングを丸く使い、速さを活かして判定勝ちするのが理想か。

 その場合は、俺の技術が問われる試合になるだろう。

 言葉にするのは簡単だが、実際にリングに上がって感じる千堂の圧力を、最後まで受け流せるかどうか。

 こればっかりは、映像ではわからないものだ。

 

 それと、判定狙いは……どこかで他人任せになる。

 大阪開催。

 そして、千堂の地元。

 人の印象は、たやすく環境に左右される。

 

 まあ、考える時間はまだある。

 

 

 

 

 

 千堂戦に向けての情報分析、いくつかの作戦を立て、練習プランを組んだところで横槍が入ってきた。

 天下無敵の、スポンサー様の要求だ。

 

 一言でまとめると『派手なKO勝利で決めてね』って。

 

 千堂を相手に、インファイトか。

 できなくはない。

『今』の千堂ならば、まだいけなくもない。

 ただ、やり切れる確率というか、勝利の可能性はさがる。

 

 そして、俺が戦うのは『今』という過去の試合の千堂ではなく『未来』の、当日の千堂だ。

 

 ボクシングを始めて日が浅い……急激に伸びる時期の、未来の千堂。

 おそらく、さらに可能性はさがる。

 

 

 あと、俺も音羽会長も失念していたのだが、ある問題が表面化した。

 千堂に勝って新人王を獲ると、俺はフェザー級のランキング10位が与えられる。

 

 ちなみに、このランキングというのは強さの順位ってわけじゃない。

 完全に無関係というわけじゃないが、このランキングというのは『日本王者に挑戦する優先順位』という意味合いのランキングだ。

 ようするに、新人王を獲ると、王者に挑戦する行列の10番目に並ぶ権利を得るってことだ。

 日本のフェザー級で10番目に強いと認定されたわけじゃないってことね。

 もちろん、その行列に並んでいなければ、王者に挑戦することはできない。

 

 少し話がそれたが、ここで俺がプロ入りしてからの成績を振り返ってみよう。

 デビューから4戦4勝4KO。

 千堂に勝つと、5戦5勝になる。

 

 4回戦、C級ライセンスを持つボクサーが4勝すると、6回戦のB級ライセンスの試合に出場することができるようになる。

 そして、6回戦で2勝すると、8回戦、A級ライセンスの試合に出場を許される。

 日本王者に挑戦する試合は当然8回戦のA級ライセンスが必要で、8回戦で1勝しないと、タイトルマッチの10回戦には出られない。

 

 つまり、日本ランキング10位に入っても、8回戦の試合に出場できないんだな、これが。

 ははは、新人王トーナメントで棄権しやがった安川くん、ナイスアシスト。

 

 幕之内戦では、最新の情報を与えないという意味で良い方に転んだが、今度はそれが悪いほうに転んだわけだ。

 

 というわけで、『俺が千堂に勝つと仮定』した上で、音羽会長は『6回戦ボクサーの俺の対戦相手を探さなきゃいけない』状況にある。

 そう、対戦相手を探さなきゃいけない。

 

 ……うん、いつもの。(遠い目)

 

 今になって思うけど、原作の主要キャラって、良く対戦相手が見つかるよなあ。

 

 音羽会長が、うめく様につぶやく。

 

「また、海外から呼ぶしかなさそうなんだが……予定とか、スケジュールとか、無茶苦茶だぞおい。どうすんだ、これ……」

 

 2月に千堂。

 そして、できれば3月、遅くても4月に1試合戦って、8回戦に。

 秋には伊達英二の世界再挑戦のプランが表面化する予定だから、王者返上からの、ランキング1位と2位の王者決定戦が冬には行われるというタイムスケジュール。

 そこに入り込むには、ランキングを上げるためのA級賞金トーナメントに参加して優勝するしかないんだが……。

 

 順番に並べるとこう。

 

 11月に幕之内。

 12月に宮田。

 2月に千堂と。

 3~4月に海外から呼ぶ誰か。

 そして、A級トーナメントはたぶん3試合ぐらいを、夏から秋にかけて。

 そのまま、返上された日本王者決定戦を、12~1月ぐらいか。

 

 幕之内から始まって、約1年で8試合のマラソンスケジュール。

 でも、これがスポンサーの想定する、スケジュールだ。

 そりゃあ、勝ちさえすれば、ルール上は2週間後には試合を組むことはできる。

 あくまでも、可能というだけだ。

 

 幕之内との試合でダウンした俺は、2週間ほどロードワークすら禁止され、安静にしていたことを考えて欲しい。

 

 つまり、王者決定戦以外の7試合を、『次の試合をすぐできるように』大きなダメージを受けることなく、疲労も残さず、勝利する必要があるわけだ。

 そしてその間、回復期間も、減量期間も、ほとんどなし。

 

 まあ、本当かうそかはともかく、前世において有名な言葉がこれだ。

 

『プロ野球選手は、毎日試合やってるじゃん。なんで、それがプロボクシングでできないの?』

 

 素人は……スポーツの素人は恐ろしい。

 その素人が、周囲を振り回す……。

 

 まあ、いまさらだ。

 

 というか。

 八つ当たりかもしれないが、全部安川くんが悪いと言うことにしておこう。

 

 新人王が始まる前に、もう1試合やっておくんだったというのは後の祭りだが、『1回戦シード』に『2回戦の相手が棄権』なんてピンポイント攻撃を予想するのは無理がある。

 参加人数の少ない重量級でもなければ、普通は2勝したボクサーが新人王を獲ったらそのまま8回戦の資格を得られるものなのよ。

 だからこそ、新人王戦は、『A級への最短距離』と呼ばれている。

 短期間で、対戦相手を探す手間もなく、ただ勝ち続ければいいという……強さに自信のある選手には、夢の快速切符ともいえる存在。

 

 ひとつ予定が狂うと、すべてが狂うとは……よくできた言葉だ。

 

 というわけで、俺と音羽会長は、会長室で2人して頭を抱えていたりする。

 

 うん。

 スポンサーの存在がありがたいだけじゃないってわかってくれるだろうか。

 

 もちろん、スポンサーの意向はわかる。

 倒して勝つというのは、一番わかりやすいし見た目も派手だから一般には受ける。

 玄人好みのボクシングをする選手は、一般受けが悪いというか、視聴率が取れない。

 視聴率が取れないということは、番組のスポンサーが集まらないということで……金にならない。

 俺が選ばれたのは、『倒せるボクサー』だったからだ。

 これはあくまでも最低条件。

 その条件から外れるのなら、俺を選び続ける理由はない。

 音羽ジムからもらった契約金だって、もともとはテレビ局から出た金だ。

 

 つまるところはスポンサーからのテスト。

 ここまではっきりと要求してくるってことは、視聴率の取れる、一般受けするボクサーとしての能力を示してくれという重要な試金石だと思う。

 

 しかし、あの千堂を相手に、インファイトで、無傷で、派手に倒して勝てと。

 そして、それはその後のマラソンスケジュールへの第一歩、か。

 

 俺も、会長も、しばらく黙り込んでいた。

 ボクサーだからこそ、ボクシングにかかわっているからこそ、これが無茶なことがわかってしまう。

 でも、会長の口からは……立場的には言えない言葉がある。

 それでも黙っているってことは、俺への配慮なんだろう。

 俺から、切り出すしかない。

 

 スポンサーに逆らってでも、勝つことを優先。

 

 どうせ、負けたら切られるんだし……所詮は利用しあう関係にすぎないんだ。

 宮田のときとは条件が違う。

 利害が対立したなら……仕方ない。

 

 俺は、静かに覚悟を決めた。

 スポンサーを失う覚悟。

 そして、もしかすると、音羽会長との関係が悪化するかもしれない覚悟を。

 

「会長。千堂に勝つことを優先しましょう」

 

 会長を見る。

 そして、会長も俺を見る。

 

「その意味を……いや、理解はしてるよな、お前なら」

 

 会長がため息をついた。

 

「一応、春に海外から呼ぶ準備だけはしておく……が、覚悟はしておけ」

「はい」

 

 スポンサーを失えば、世界への道は、苦難の道だ。

 極論だが、海外から対戦相手を呼べなかったら、俺はデビューすらできなかったことになる。

 

 世界を狙うには、現状では俺はまだ力不足だ。

 力をつけるための時間。

 それを与えられたと思おう。

 

 今までが恵まれすぎていた……そういうことだ。

 

 俺の、速水龍一のボクサー人生の難易度変更の時間がやってきたということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 来ちゃった。(白目)

 

「速水、お前はつまらんボクシングをするが、なかなかわかっとる男や」

 

 などと、上機嫌で俺の背中をバンバンたたくのは、浪速の虎、千堂武士だ。

 ディスられているように思うかもしれないが、千堂にとっては心からのほめ言葉。

 そして、千堂がなぜここにいるかと言うと、先日発売された月刊ボクシングファンの俺のコメントが発端だ。

 

『浪速のロッキー。いや、ロッキーといっても、映画の方じゃなく、無敗のまま引退した伝説のボクサーの方じゃないと、千堂くんに失礼かな』

 

 あの発言が、心の琴線に触れたらしい。

 前世でわりとこの手のタイプとの付き合いが多かったので慣れてはいるが、それだけで新幹線に乗って大阪から東京までやってきちゃったか。

 

 若いなぁ。

 

 しかし、これが千堂か。

 生の千堂。

 

 ……俺にいい考えがある。

 

 千堂を、幕之内に会わせてやろう。

 上手くいけば、2人にスパーさせられるかもしれない。

 試合まで1ヶ月以上ある、大丈夫だ。

 というか、俺が見たい。

 いろんな意味で、見てみたい。

 

「千堂くん。君と真正面からどつきあいできるボクサーに心当たりがあるんだけど、会いたくないかい?」

「なんやて!?」

 

 フィッシュ。

 

 ……若いなぁ。(ゲス顔)

 

 まあ、一応鴨川ジムにはアポを取ってから、と。

 千堂のトレーナーには……連絡先知らないし、千堂自身が対応することだよね。

 

 

 

 

 

 

 幕之内一歩対千堂武士。

 

 スパーとはいえ、原作を知る俺としては金を払ってでも見たいカードだ。

 原作の新人王決定戦は幻となってしまったが、日本タイトルマッチの目はまだまだある2人の組み合わせ。

 問題は、鴨川会長がうんと頷くかどうかだったが、幕之内の復帰戦に向けて、千堂とのスパーは悪くないと判断したらしい。

 あるいは、東日本代表である俺への援護か。

 

 それにしても……。

 

「強い……が、荒いな」

 

 鴨川会長の言葉に頷く。

 

「ええ、迫力はありますが……でも、なかなか骨が折れそうです」

 

 ちなみに、千堂の所属するなにわ拳闘会には、鴨川会長が連絡を取ってくれた。

 このあたりは、大人の、指導者としての常識なのだろう。

 相手の了解もとれたから、何の問題もない。

 

 ただ、俺が、速水龍一がその場にいるかどうかを、告げたかは知らないが。

 

 

 連打の幕之内。

 豪腕の千堂。

 懐に入ろうとする幕之内を、千堂が強引に振り払おうとする。

 迫力ある攻防が続く。

 

「こいつは、ラッキーだったな」

 

 そして、なぜかちゃっかりといる藤井さん。

 まあ、鴨川ジムには幕之内だけじゃなく、『あの人』もいるし、取材として足を運びやすいのだろう。

 

 リング外とは別に、リングの中の攻防は激しさを増していく。

 

 幕之内の上体が、ガードごと後方へはじかれる。

 そこから立て直して、千堂の追撃のパンチをかいくぐり、左のボディを放つ。

 それを、千堂が強いパンチで突き放す。

 

 ヘッドギアあり、そして16オンスの大きなグローブとはいえ、激しいやり取りだ。

 なかなか燃える。

 

「幕之内くんは、防御から攻撃が、ずいぶんスムーズになりましたね」

「貴様との試合で、良い意味で思い知ったからの……復帰戦に向けて、練習にも気合が入っとるわ」

 

 上体をゆすり、幕之内がすぱっと飛び込んだ。

 リバーブローから、アッパー。

 

 藤井さんが、小さく口笛を吹く。

 

「今の幕之内なら、速水君も苦戦するんじゃないか?」

「あの時も、決して楽な試合ではなかったですよ」

 

 千堂のスマッシュ。

 

 ガードした幕之内の身体が浮きかける。

 それほどの威力か。

 あれも、上下の打ち分けと同じで、注意していないと意識の外から来るパンチだ。

 いきなり打ってくるならカウンターの餌食だが、それを使うべきタイミングを千堂が間違えるとは思えないな。

 

 それと、気合のノリで千堂はタイミングも威力も変わるな、気をつけないと。

 

 

 たった2R、わずか6分間。

 しかし、熱のこもったスパー。

 いやあ、二重の意味で、いいもの見せてもらった。

 生で見れて、色々参考にもなったし。

 帰りの新幹線代を出してあげてもいいと思うぐらいに、俺はウキウキだったのだが。

 

「おい、小者」

 

 首根っこをつかまれた。

 もちろん、鴨川ジムの『あの人』だ。

 

「新人王で戦う相手だけにスパーさせて帰ろうってのか?」

 

 あ。

 夢よりもハードな相手だ、これ。

 

 立場こそ日本ミドル級王者にすぎないが、明らかに別格。

 デビューから全試合、1RKO勝利。

 

 いや、一度試合を見たが、あれは試合とはいえなかった。

 勝負じゃなく、蹂躙。

 

 鴨川会長に視線を向けた。

 

「せっかくの機会じゃ……速水よ、少し勉強していけ」

 

 わあ、善意で言ってくれてるのがわかる。

 本気で、俺に勉強させてあげようと思ってる顔だ、これ。

 

 青木さんや木村さんはいませんか?(震え声)

 

 

 

 

 

 

 

 

 いや、落ち着け。

 ある意味で……世界レベルを味わえるチャンスか。

 

 伊達英二は、まだ全盛期の姿を取り戻してはいない……ならば、世界を味わえる、その片鱗に触れるめったにないチャンス、か。

 ヘッドギア。

 そして、16オンスのグローブだ。

 やるべきだ。

 試してみたいこともあるしな。

 

 

 

 集中。

 呼吸を整える。

 それでいてなお、心拍数が高い。

 

「鷹村よ、わかっとるな」

「わかってるよ、ジジイ。小者相手に、本気なんか出すかよ」

 

 

「ヘッドギアはいいんですか?」

「小者のパンチなんざ、間違って当たっても知れてる。気にするな」

 

 ……当たる可能性が0とは言わないか。

 言葉のあやかもしれないが、評価されてると思おう。

 

 

 開始の合図。

 

 

 でかい、な。

 身長差は、20センチ近い。

 いや、的が大きいと思え。

 

 呼吸。

 

 左を飛ばす。

 千堂に見られていてもかまわない。

 

 連打。

 かわされる。

 16オンスの重さがわずらわしい。

 拳と手首の角度を、無意味にする大きさ。

 

 と、いうか……その緩々の雰囲気が、な。

 

 予備動作。

 視線。

 肩。

 フェイント。

 

 息を吸う。

 

 左のジャブ。

 そして。

 左手で、ポンと自分の左の太ももを叩いた。

 

 その動きを追った顔面に、右を叩き込む。

 

「……っ」

 

 じろりと、見られた。

 

 来るぞ。

 

 日本人ボクサー最高のプレッシャー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だ、大丈夫ですか、速水さん!?」

 

 ふ、ふふ……見たか。

 見てくれたか、幕之内。

 あの鷹村に、2発、パンチを入れたぞ、俺は……。

 1発目は不意打ちだが、2発目は、マジだ……たぶん、きっと。

 

「ちっ……小者のくせにいい度胸してやがるから、ついムキになっちまった」

「そのわりには、3分近く逃げられたな」

「逃げ足の速さと、防御のうまさは認めてやるが……しょせんは小者よ。その小者にぼろ負けした一歩は、小者以下ってな。わははははっ」

「この、バカタレが!」

 

 顔を上げられない状態だが、たぶん、鴨川会長がステッキを振り回しているんだろう。

 

 しかし、もらったパンチは全部ボディか。

 顔面へは、威嚇とフェイントがほとんど。

 傍若無人ではあるが、ちゃんと考えてるんだよなあ。

 

 ……程よく手を抜かれてるということでもあるが。

 

 あれが、世界か。

 遠い、な。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜、俺は珍しく夢を見なかった。

 たぶん、幕之内(バージョン3)が気を利かせて休ませてくれたんだと思う。

 

 なお、千堂の帰りの新幹線代は、俺が立て替えた。

 まあ、これでも働いてるし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 2月下旬。

 

 俺は大阪へ。

 音羽会長の人脈だろうが、大阪のボクシングジムにお邪魔した。

 調子はいい。

 試合当日にきちんとピークを持っていけそうだ。

 2階級上のボクサーを相手に、接近戦と、中距離戦と、遠距離戦のすべてを試す。

 

「よーし、いい調子だなぁ、速水」

 

 音羽会長は大阪に来たついでに色々とあいさつ回りをするらしく、これはトレーナーの村山さん。

 

「ええ、いい感じです」

 

 そして、スパーの相手をしてくれた相手に、頭を下げて礼を言っておく。

 だって、ライト級の日本ランカーなんだもん、この人。

 礼儀として、ね。

 

「俺も関西の人間として速水(お前)を応援はでけへんが、千堂は強いで。西日本のバリバリのエースや」

「知ってます。というか、千堂くん、この前東京に来ましたからね」

「マジか?何をしてんねん、千堂のやつ……」

 

 などと、敵地であることを感じさせない雰囲気で調整も終了。

 

 

 

 

 前日計量。

 千堂との再会。

 

 そして、記者が俺たちに集中した。

 

「殴り倒して、ワイが勝つ」

「千堂くん、まずはこの前立て替えた新幹線代を返してくれよ」

「おう、MVPの賞金で返すわ」

「そいつは困ったな。返してもらえないじゃないか」

 

 友人同士のような、和やかな会話に、記者たちが戸惑う。

 それでも、ピリピリと肌を刺す何か。

 

 握手。

 千堂の手。

 幕之内とは別の、力強さを感じる手。

 

 明日は、この拳と殴りあい、か。

 いや、俺が一方的に殴るだけだ。

 殴り合いはごめんだな。

 

 気がつくと、千堂が俺を見ていた。

 さっきまでの目じゃない。

 敵を見る目。

 戦う相手を見る目。

 

 軽い笑みを返すと、つまらなさそうに、目を背けられた。

 

 気は合うが、どこかかみ合わない。

 明日の試合も、きっとそんな感じになる。

 

 

 

 

 

 

 大阪府立体育会館。

 確か、6000人ほど収容できると聞いた記憶がある。

 もちろん、会場のセッティングによって違うんだろうが。

 

 広い。

 後楽園ホールとは違う。

 ここも、観客ではなく、ボクサーとしてみるとぜんぜん違うな。

 いつの間にか後楽園ホールを基準に考えている自分に気づく。

 

 千堂が現れた瞬間、会場の雰囲気が変わった。

 大歓声。

 熱気。

 興奮。

 

 当然、千堂と戦う俺には罵声だ。

 敵地であることを強く意識する。 

 

 東日本の選手は、この雰囲気に飲まれやすいらしい。

 大阪で開催したときの、東日本代表の勝率は低いとされている。

 まあ、後楽園ホールでは逆なんだろうが。

 

 前世の経験から言えば、関西某所の競艇場に通えば、この程度の罵声は軽く流せるようになる。

 

 それに、実際に戦うのは観客の罵声じゃなくて、千堂だしな。

 恐れるべき相手。

 試合前だというのに、雰囲気が別物だ。

 それでいて、どこか不機嫌そうな雰囲気。

 

 幕之内とスパーしたから、俺が相手だと余計に不満なのかもな。

 

 まあ、心ゆくまでどつきあいなんてのは、俺はごめんだ。

 映画で見る用心棒のように、交互に殴り合ってどちらが強いか競い合うなんて行為にロマンを感じないとはいわないが。

 

 

 

 

 リング中央。

 レフェリーの声。

 千堂の殺気。

 俺はそれを笑って受け流す。

 

 千堂の気配を、どこか懐かしく感じる俺がいる。

 

 前世の、上の兄とその友人たち。

 彼らの放つ気配に良く似ている。

 もちろん、性格はひとりひとり違うが。

 

 普段は気のいい(あん)ちゃんなのに、わりと暴力へのハードルが低い。

 そして大怪我はしないように、骨折程度でおさめる知識と技術。

 感情の乱高下に隠れる、天然の計算高さ。

 挙句の果てに、『昔はやんちゃしてた』などと一言ですませる。

 

 ろくでもないように聞こえるが、ルールが少し違うというだけだ。

 その違いを理解すれば、言葉通りの、気のいい兄ちゃんにすぎない。

 

 まあ、嫌いじゃなかった。

 付き合うのが疲れるってだけで。

 

 

 もう一度、千堂を見た。

 

 ……いろんな意味で、タフな試合になるだろうな。

 

 

 

 

 

 

 コーナーへ戻り、息を吐く。

 

 幕之内戦とは違う、別の覚悟。

 そして集中。

 

 ボクシングだけにとらわれると、罠にはまる。

 

 

 さあ、ゴングだ。

 




速水龍一対鷹村守……夢のカード。

千堂のキャラが、ちょっと不自然かな。
鴨川ジムを訪ねる口実に使った分、不自然さが表面化したのだと思います。
知人のイメージに引っ張られているわけではないと思いたい。


某テレビドラマで、不良がバイクで校舎内を走り回るシーンを見て『現実感がない』と知人がゲラゲラ笑ってましたが。

……リアルなんだよなあ、あれ。(震え声)







感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に
感想を投稿する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。