――――二人の身体が、川を流れていく。
甲賀弾正、そして伊賀のお幻。
すでに事切れ、しかしとても穏やかな顔をした二人は、寄り添うようにして川を流れていく。
固く愛し合っていた二人。しかし今生ではついに添い遂げる事、叶わなかった二人。
ならばせめて来世でと、そう誓い合うようにして。
――ようやっと、一緒になれた。
――――もう決して、貴方と離れる事がないようにと。
知る者が見ればこの上なく美しく、そして同時に、胸が締め付けられるような光景だった。
しかし……。
…………………………
「……お幻よ、生きておるか」
「……おぉ弾正さまよ、ワシは大事ないぞぇ」
二人はガッチリと生きていた。しかも無傷であった。
ある程度流され、自分達を監視していたであろう者達からも十分に離れる事が出来たと判断出来た所で、ゆっくりとその瞼を上げる。
そして、まるでイタズラが成功した子供ようにクスクスと笑い合う二人。未だその身をサラサラと流されながら。
「しっかしえろぅ上手くいったもんじゃなぁお幻よ!
これで我ら二人は、既に死んだモノとみなされておるじゃろうて!」
「あの“人別帖“とやらの名前もしっかりと消しておいたでな。
忍法変わり身の術! 忍は騙してナンボじゃて! ふおっほっほっほ!!」
愉快愉快と大声で笑い合う二人。そもそもこんな事で我らが死ぬワケがなかろうに。そんじょそこいらの者ならいざ知らず、我らは忍びの里の頭領ぞ。
そもそもあの屈辱の日々を生き抜いてきた我らが、こんな所で死ぬなど、あり得ぬ事ぞ。
あり得ぬ。絶対にあるワケが無い。
……………
…………………………
甲賀と伊賀。千年の敵として互いに憎しみ合ってきた、二つの一族。
この長きくそったれな宿縁により、ついに結ばれる事叶わなんだ我ら二人が、いったいどんだけ悔しい想いをしてきたと思っているのか。
「ぬぅおぉぉぉぉ! お幻よぉぉぉーー!!」
「弾正様ぁぁぁーーーーーっっ!!」
数十年前、伊賀の里が織田の軍勢により襲撃されたあの事件、二人が決別してしまったあの日から。
弾正とお幻はそれぞれの故郷の里で、それはもう、おもいっきり忍術の修行に打ち込んだ。
「お幻っ! お幻よぉぉぉーーーー!!」
「だぁんじょー様ぁぁぁーーーーっ!!」
愛しき人の名を呼びながら、クナイを投げる。木を殴る。水の上を爆走する。
里の者達が見れば「気でも違うたか……」と思われる事必至の光景。それでも弾正とお幻は、ただひらすらに修業に明け暮れた。
若き日の弾正とお幻は、その持て余す若い情熱の全てを、忍道忍術へと捧げたのだ。
……本当は愛するあの人と、キャッキャウフフしたかった!
お弁当を食べさせ合ったりしたかった! 江戸の街を二人で歩きたかった!
そしてぶっちゃけ、えっちぃ事もしてみたかった! してみたかったというのに!
あぁ……、まさかあんなにも良いタイミングで織田からの襲撃があるなんて、誰が思おう!
何故あの時でなければ、ならなかったのか!
何故我らが今からしっぽりいこうという、あのタイミングでなくてはならなかったのか!
教えてくれ織田! 織田よっ!!
……我らは生涯、貴様を許さぬ! 七代先まで呪い倒してくれようぞ!!
「おぉのれぇぇぇ!! 織田ぁぁぁーーーー!!」
「織田ぁぁぁーーーーッッ!!」
甲賀卍谷では、憎き織田の名を叫びながら高速で壁をよじ登る弾正の姿。
伊賀鍔隠れでは、マリオの如く巨木をピョーンと飛び越えるお幻の姿。
愛しさと、切なさと、織田への憎しみ。その想いの全てを、二人は忍術へとぶつけた。
本当は忍術よりも、えっちぃ事がしたかったのだけど。
そして当然、二人はメキメキとその腕を上げていく。
才気ある二人の若き情熱(?)が、その技と身体を“絶人“の域まで押し上げる。
そしてその素晴らしい忍術の技術は、当然里の者達へもフィードバックされていく。
その結果、甲賀伊賀の忍術は、それまでとは比べ物にならない程に爆発的な発展を遂げていった。
甲賀忍法、伊賀忍法。そう呼ばれていたのは、今は昔。
誰が言ったか、“ねお甲賀忍法“
誰が呼んだか、“ねお伊賀忍法“
日本の忍道忍術は更なる進化を遂げ、ついでに名前もちょっと変わった。
……………
…………………………
「それにしてもあの駿府の城は、大丈夫じゃったんかのう?」
「あぁ、夜叉丸の黒縄で、斜めに真っ二つになっておったからのぅ駿府城は。
あまり建物は壊すなとは言うてはおったんじゃが、
風待将監がよほど手強かったんじゃろうて」
余裕しゃくしゃくの表情でサラサラと川を流れていく二人は、昼に行われた駿府城での忍法御上覧試合を回想する。
思わず城の屋根へと登った将監を狙い、そこに夜叉丸が襲い掛かった時の事だ。
将監はなんとか身をかわしてその場から離脱したものの、夜叉丸の黒縄を喰らった駿府の城は「シャキーン」と斜めに両断され、「ズゴゴゴゴ……!」と凄まじい轟音を立てながらゆっくりと上下にずれていき、そのまま崩れ落ちた。
その後は残った屋根の上で両人が死闘を繰り広げていったのだが、将監の放つ“痰“の威力は現代兵器である対物ライフルのそれを遥かに凌駕しており、夜叉丸を外して城に被弾しては、せっかく残っていた部分も無残な瓦礫へと変えていった。
家康公の命により行った御前試合で、駿府の城は壊滅した。
「こんな事を言うのもなんじゃがな、お幻? あの時の家康公のお顔、面白かったのう……」
「そうじゃのう弾正。えらい愕然としておったのう……。大事がなければ良いが……」
崩壊してしまった駿府の城を見つめ、顎が地面に着かんばかりに「アンガー…」と口を開けて放心していた家康公。
「思いっきりやれ」という家康公の命に従い、忍びの両人は力の限り戦ったのだ。今更どうこう言われる筋合いは無い。無いったら無いのだ。
徳川の剣術指南役である柳生宗矩も家康公の隣に控えており、『まさか、このような者達が柳生の隣国にひそんでいようとは……。この宗矩、不覚でござった!!』と気丈な態度でキキリと言い放っていたが、冷や汗は凄かった。
そもそも、それは“不覚“の一言で済まされる失態だったのかという疑問も残る。よぅ知らんかったなアンタ。こんな生物兵器共を。
服部半蔵もその場に控えていたが、「だからやめとけって言ったのに……」と苦い顔をして視線を余所に向けた。
そして同時に心の中で「うわぁ……。ワシが知らん間に、伊賀も甲賀も、もっととんでもなくなってる……」と内心冷や汗。
初代服部半蔵から「あやつら本当にヤバイから、あんまし関わるなよ」的な事を言われてはいたが、この現状はもう本当、いったい何だ? どういう事だ?
えー。連れてこいって言われたしぃ~。
半蔵は、知らぬ存ぜぬを貫く覚悟を固めた。ワシは悪くないぞ。
その後、悪夢のような忍法試合を終え、無残に崩壊してしまった駿府城をバックにして家康は「命懸けの忍法勝負をしてはくれぬか?」と弾正お幻へと告げたのだが、その声はもう可哀想な程に震えていた。
え……、侍を何人従えるより、忍者一匹雇った方がいいんでないの?
家康公は内心非常に葛藤していたが、その内、考えるのを止めた。
初志貫徹。
……………
…………………………
「あの人別帖と共に、全ての段取りは記して送ってある。
後は里の若い者達が上手くやるじゃろうて」
流され、寄り添い、そしてお幻の頭を優しく撫でていた弾正は、満点の星空を見ながら思う。
弦之介は未だ頭領としては頼りなく、朧も若い。
しかし、我ら伊賀甲賀の里の者達がついておれば、何の心配もいらぬ。
弦之介も朧も、まだ知らぬ。
其方達の傍におる忍者達がただの忍びではなく、ねお甲賀忍法、そしてねお伊賀忍法を極めた絶人達である事を。
これから先、余所から見ればごく普通の“忍法争い“が我らの間にて行われよう。
しかし、否。我らが目指すのは、『全員の生存』
忍者が欺いて何が悪い? 例えそれが、“運命“であろうとも。
叶えて見せよう。
これこそが、甲賀伊賀の者達、全ての願い。
それこそが正に、“我らの祈り“
「さてお幻よ、このままサラサラと流れていくのも悪ぅ無いが、そろそろ泳ごうかえ?」
「そうじゃな。身体も冷えてしもうてかなわんわ。
……もう少しこのまま、お前様と寄り添っておっても良かったんじゃがのう?」
「ぬかしよる♪」「ほほほ♪」と笑い合う二人。
そして次の瞬間、凄まじい勢いの古式泳法で「バババババッ!!」っと泳ぎ始める。サメよりも速い速度で。
「次に会うのは、弦之介と朧の祝言の時じゃ!! お幻、達者でな!!」
「応よお前様!! 孫の顔も見んで死ねるもんかぃ!!
このまま海へと出てくれるわぁぁぁーーーっ!!」
…………………………
――憎しみあう者達がいた。
骸は野に朽ち、
御魂は血に染み、
絆は 刃に分かたれた。
闇についえし真心が泣く。
――――愛する者よ “死に候えんな!“と。