果たし状
朱絹殿
本日 酉ノ刻
吉田宿東 夕暮橋にて
白黒相つけたく
件の如く
果たし状申し上げ候
甲賀卍谷十人衆 陽炎
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駿府より五里ほどの距離にある、吉田の地。
阿福と伊賀衆たちの宿泊先である“百や“の玄関先が今、真っ赤な血に染まっている。
朱絹の眼前には、血まみれで地面に倒れ伏す阿福の家来衆たちの姿。屋内にいた朱絹が男達の悲鳴を聞きつけて駆け出してきた時には、既にこの惨状であった。
既に辺りに曲者の気配はなく、派手に出血こそしているものの、家来衆たちの命に別条は無い。
それを確認していく内に朱絹は、この“果たし状“と書かれた文が地面に置かれているのを発見した。
「朧さまにお伝え願います。
朱絹は、大事の用あってしばし表へ出た……と」
そう屋内にいた家来衆たちに伝言を頼み、ひとり東へと駆け出していく朱絹。
その顔は覚悟の色に染まり、額からはとめどなく汗が流れる。
まるで、もう決して戻る事の出来ない死地へと、赴いていくかのように。
……………
…………………………
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ
…………
夕暮橋に、わらべ歌が響く。
果し合いの場に馳せ参じた朱絹が、まず最初に見た物。
それは橋の上でちょこんと柵へと腰掛け、まるで童のような純粋な目をして嬉しそうに唄う陽炎の姿。
夕刻となり、既に日は落ちている。しかしながら陽炎の纏う紫色の毒霧が辺りを包み込み、それは妖艶で幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「…………陽炎」
小四郎から受け継いだ大鎌を構え、眼前の敵を見据える朱絹。しかしその足は意志と反してピクリとも動かず、まるで身体が前へ進む事を拒否しているかのよう。
動けば死ぬ。本能がそう告げている。
毒を喰らい、身体が分かたれ、無残な死骸となって地に伏せる己自身の姿。
既に確定した未来のように、その光景がありありと朱絹の脳裏に浮かぶ。あれはけして抗ってはいけない類の存在だ。
やがて声に反応した陽炎が、ゆっくりとその首をこちらに向ける。
まるで恋人を見つけたかのような、嬉しそうな笑み。
獲物を前にした肉食獣のような、獰猛な笑み。
狂気と無邪気。その二つが陽炎の中に混在していた。
陽炎が両の手に何かを掴み、それを引きずるようにしてゆっくりとこちらへ歩み寄る。
彼女が手にしている大きな、赤い塊。それが“人の身体“である事に気が付いたのは、朱絹の足元へとそれが放り投げられてきた時だった。
「……て、天膳さま!? 左衛門どの!?」
ドサッと地面に叩きつけられ、力なく横たわる両忍。
白目を剥き、血まみれとなった二人の姿を見て、朱絹が小さく悲鳴を上げる。
「に……逃げよ、朱絹どの……」
「もう我らでは、きゃつを止められぬ……。朧さまを連れ……遠くへ……ッ!」
その言葉を最後に、二人の首がガクッと落ちる。
縋りつくようにして天膳と左衛門の身体をゆするが、もう彼らの意識が戻る事はなかった。
『 ――――男共は、役に立たぬ。 ほんに……、何の役にも立たぬ 』
まるで幽鬼のような、生理的恐怖を感じる声色。
その声を聞いた瞬間、朱絹は跳ね起きる。そして即座に彼女から間合いを取った。
「陽炎ッ! う、うぬは……うぬは同じ、甲賀の者を!!」
鎌を持つ手が震え、ガチガチと音が鳴る。
まるで大声を出せば恐怖をかき消せるとでも言うように、悲鳴にも似た声で朱絹は叫ぶ。
それに答えるように、ゆっくりとこちらに向き直る陽炎。いつしかその顔からは笑みは消えていた。
無表情とは違う顔。とても透き通った表情をしている。
例えるならばそれは色のない……子供のように純粋無垢な顔であった。
『 弦之介さまは、泣いておる。 毎日、まいにち……、心で泣いておる 』
『 朧さまも、泣いておる。 かなしい、かなしいと、きっと泣いておる。 お可哀想 』
『 何故じゃ? なぜそうなったんじゃ? ……なぜ誰も、お二人をお救いせんのじゃ? 』
なぜ? なぜじゃ?
無垢な瞳。キョトンとした顔。心底わからないと首を傾げる仕草。
それは、幼子がわからない事を親にきく時のように。教師に質問をする子供のように。
なんで? なんでなの? なぜたすけないの?
その純粋なまでの疑問を、陽炎は投げかける。
陽炎には、心底わからない。 だから今、朱絹に訊ねている。
どうしてたすけてあげないの? なんで? なんでたすけないの?
やがてユラユラと陽炎が歩み寄り、子供がするように、ちんまりと朱絹の着物の袖を掴む。
そして真っすぐに、朱絹の顔を見つめる。
――――目を背けたくなる程の、純粋無垢な瞳で。
『 ――――ねぇあけぎぬどの。 なんで? なんでですか? 』
朱絹は絶叫し、大鎌を振り下ろす。
次の瞬間、彼女の意識は途切れた。
……………
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「 いっかぁぁーーーーーーーーーんッッ!!!! 」
天膳が「ピョーン!」と地面から跳ね起きる。
服もズタボロ、顔面鼻血まみれという酷い有様ではあったが、アイアム不死のSINOBI。これくらいならばどうって事はない。
「……お、起きんかぃ左衛門! 朱絹!! 寝とったらノゥじゃ! ノーグッドボーイじゃ!」
ペシペシペシと頬をひっぱたき、倒れている二人を覚醒させる天膳。意味の分からん米利堅(メリケン)言葉を口走ってしまうあたり、天膳も大分テンパッていた。
目覚めた瞬間「ほぎゃーッ!」と叫び声をあげた朱絹におもいっきり顔面をパンチされたが、それは今は不問とする。
先ほどは余程こわい目にあったのだろう。かなりの混乱が見られる。「よしよし、怖かったのぅ朱絹どの」と左衛門が優しく頭を撫でてやっているが、とりあえず今は、そんな場合じゃ無いのだ。
「朧さまの身が危ない! とりあえずワシは今から吉田宿に向かうゆえ、
お主らはもう“死“っちゅー事で、そこらの川にでも勝手に飛び込んどれぃ!!」
昔の漫画のように足を回転させ「ピューー!!」っとばかりに吉田宿へと向かう天膳。
向かっている道中も、もうそこら中に阿福の御家来衆たちが転がっているのを見かける。
殺しはしていないようだが、この凶行を全部、あの陽炎がやったという事は間違いない。
昨晩の死より復活し、ここ吉田の地にたどり着いた途端に「陽炎を一緒に説得してくれ!」と左衛門に泣きつかれた天膳。
彼女の精神状態が危うい状態にあるというのは道中聞いてはいたものの、まさかあそこまで限界に来ているとは思いもしなかった。
取り付く島もなく男二人が蹴散らされ、朱絹も倒された。そして現在彼女は、間違いなく朧の元へと向かっているハズだ。
脳裏に浮かぶ、最悪の想像。
それを振り切るようにして、一刻も早く宿へと走る天膳だった。
なんとか必死こいて宿へとたどり着いたものの、もう外も屋内も御家来衆の死体(生きている)ばかりだ。それを押しのけ、時には踏んづけながら天膳は進む。
途中で顔面から鼻血を出した阿福が「助けてたもれ」とばかりに「おぉぉ~……」と呻いていたが、天膳は急いでいたので気付かずに踏んづけてしまい、それで完全に動かなくなった。
「朧さまっ! おられるかぁーッ!! 朧さまぁーーッッ!!」
朧の名を呼びながら、次々に「ピシャン! ピシャン!」とふすまを開けはなって行く天膳。
――やがて、ようやく最後の部屋へと到達した天膳が見た物。
それは、床に倒れ伏した陽炎の姿……。
そして着物を血で汚す、朧の姿であった――
……………
…………………………
正直な所、全員ぶっ殺してやろうと思うておりました。
弦之介さまは毎日悲しんでおられるし、甲賀卍谷衆頭領として気丈に振る舞っていらっしゃるのもお可哀想。
甲賀の者はみな優しい者ばかりに御座いまするが、それを見て見ぬふりをしておるのには、いささか以上に腹が立つので御座いまする。
朧さまのお気持ちなど、女であれば考えるまでもなく察せられまする。
聞く所によれば、七夜盲とかいう秘薬で自らの目をお塞ぎになられたそうではありませぬか。
朧さまが何を思うてそうなさったか。お主らまさか、分からんとでも言うおつもりかぇ?
弦之介さまにチュッチュしてお慰めしようかと思えば、蛍火とかいう小娘に邪魔をされ。
朧さまにひとつご挨拶でもと思えば、今は拙いと左衛門どのに制止され。
わたくしもう、辛抱たまらぬので御座いまする。
もう長いこと、弦之介さまの笑顔を見てはおらぬ。朧さまの笑い声を聴いてはおらぬ。
弦之介さまニウム、並びに、朧さまニウムが不足しておるので御座いますれば。
これはわたくしにとって、ほんに由々しき事態に御座いますれば。
『我が儘を言うでない陽炎! もう少しじゃ! もう少しで、我ら甲賀伊賀の悲願が!』
何の悲願に御座いましょうか? 左衛門どの。
己の主に泣き顔をさせておいて、何の悲願に御座いましょうか? 天膳どの。
もうわたくし、お二人を連れて逃げてやろうかと思うておりまする。
追っ手を殺し、服部を殺し、徳川を滅する。そうしてどこぞの山にでも家を建て、三人仲良ぅ暮らそうかと思うておりますれば。
煩わしゅう。 全て煩わしゅう御座いますれば。
三千世界の烏(からす)を殺し、お二人と昼寝がしてみたい。
陽炎は、そう願わずにはおれぬので御座いまする。
あの朱絹という乙女だけは、共に連れていってやろうかとも思うておりました。
……なんぞあの乙女からは、わたくしと“同じ匂い“が致しましたゆえ。
心より主を敬愛し、そして恐らくは独り身!(ここ重要)
そんな匂いがプンプンと致しましたゆえ、共に連れて行ってやるのもやぶさかでは御座いませんでしたが……まさか刃にて返答をされるとは……。
これはわたくしにとり、至極無念な事に御座いました。
――十五、二十、二十五人。
もう数えるも疲れまする程に、徳川の御家来衆を斬りました。
時折長槍にて刺されますれど、ねお甲賀のこの肉体には、かような物は通じませぬ。
幾たび長槍にて刺されますよりも、先ほど貰うた朱絹どのの一太刀の方が、よほど痛う御座いますれば。
ズキ……ズキ……と肩の傷は痛み、時が経つごとに血を失うていきまする。
殺さぬよう敵を斬っていくのも一苦労。されどそのような事柄よりも、今は朧さまの御身が大事なれば。
わたくしが意識を保っておるその内に、なんとしてでもお救いせねばなりませぬ。
侍共を斬り、戸を蹴破り、宿内にいた変なババアをビンタして張り倒す。ついでにひと蹴り入れておきまする。
ふらつく身体に鞭を打ち、朦朧とした意識の中、必死に朧さまの居る部屋をお探し致しまする。
……そして、お会いしたならば、いの一番にこう申すので御座いまする。
「わたくしと逃げて下さいませ」と。
「弦之介さま、朧さま、わたくし。三人で共に暮らしましょう」と。
そう陽炎は、朧さまにお願い致すので御座いまする。
その為ならばこの陽炎、鬼にも邪にもなる覚悟に御座いますれば。
もうなにやら目も霞んで参りましたが、やがて最後の部屋であろう襖の前に、わたくしようやっとたどり着きまして御座いまする。
高鳴る鼓動を抑えながら、襖に手をかけて横に開きまする。
「――――朱絹、かぇ?」
するとそこには、夢にまで観た、愛らしい朧さまのお姿が。
わたくしは朧さまの元へと歩み寄り、ずっと言おうと心に決めていた事を、朧さまへお伝えせんとしまして御座ます。
大きく口を開き、言葉を紡ごうと致します。
……なれど。ついぞそれは、叶う事ございませんでした――
……………
…………………………
『 ……お゛っ! ……お゛ほ゛ろ゛さ゛ま゛ぁ゛ぁぁ~~~~~っっ!!!! 』ビエエエエン!!
朧の膝にすがりつき、陽炎が泣く。
それはもう、大きな大きな声をあげて。 童女のように、陽炎は泣いた。
「お、およよ……? これは、いったいなん……」
『 う゛わ゛ぁぁぁーーーっ! お゛ぼろさ゛ま゛ぁぁぁーーーんっ!!
うわぁぁぁーーーーーんっっ!!!! 』ビエエエエン!!
朧の着物は、もう陽炎の涙と鼻水でグチャグチャだ。
それでも「けして離すものか!」とばかりに朧のお腹にしがみつき、もう屋敷中に響き渡るような大声で泣く。
朧の優しい顔を見た瞬間。
陽炎の心は、全て溢れ出してしまった――
『おっ……、お゛会゛いしたかったて゛す゛っ゛!!
お会いしとぅございましたのですっ!! お゛ーぼ゛ーろ゛ーさ゛ーまぁぁ゛~~っっ!!!!』
自分の膝の上で、もうビービーと泣いている女の子。
目も見えず、それが誰かも確かめられないまま。それでも朧は、女の子の頭を優しく撫でてやる。
「――――ほらほら、泣いてはいけませんよ? 大丈夫。わたくしは、ここにおりますよ」
『……お゛っ! お゛ほ゛っ! ……お゛ほ゛ほ゛ろぉさぁぁ~~まぁぁ~~~っっ!!』
なにやらヨシヨシとしてやれば、してやる程、この女の子は勢い良くビエエンと泣いてしまう。
その姿を微笑ましく思いながら、優しい笑みを浮かべて女の子を撫でてやる朧。
泣く事で子供が感情を発散させるように。大好きな気持ちを声で表しているかのように。
陽炎は思う存分、朧の膝でわんわんと泣き続けた。
……ちなみにさっき朧が、その「おぼぼろぉさま~!」という言葉の響きに、ちょっと吹きそうになったのは女の子には内緒だ。
――ふむ、これはなにやら、新しいたいぷの響きにございますね。
これはかの「オ・ボーロさま」に代わる、新しい“むーぶめんと“の到来やもしれませぬ。
人知れず「ふふん♪」と、なぜか満足気な表情を浮かべる朧。
それに気付く事無く、わんわんと泣き続ける陽炎。
「よしよし、いい子いい子。 ――――悲しい事は、もうおしまいですよ」
やがて部屋へと駆けこんできた天膳が、朧の着物に付いた陽炎の血をみて卒倒しそうになったのは、もう少し後の事。
天膳に手ぬぐいで顔を拭いてもらい、暖かい飲み物を入れてもらい、ようやく落ち着く陽炎。
その後陽炎は疲れ果てた身体を横たえ、朧の膝を枕にスヤスヤと眠るのだった――――
……………
…………………………
後日、掛川や日坂など各地の街道に、弦之介にあてた立て札が設置された。
「お? なんじゃい、この立て札は?」
「え~っとぉ、どれどれぇ?……『甲賀弦之介は、いずこに逃げたりや。
陽炎は、我らの手中にあり』」
「『なんじ、腕なくば忍者人別帖を捧げ、我らの前に出でよ。
せめて汝と陽炎の命を縄にくくりて、駿府に曳かん』
……なんじゃいな、この立て札は? 甲賀弦之介ぇ?」
「ここに『PS.陽炎ちゃんは元気で待っていますので、迎えに来てあげて下さいね』
とも書いておるぞ! ……なんじゃ、保育所か?」
不思議そうに立て札を読む旅人たちの様子に、ぐぬぬっと眉をしかめる弦之介であった。