「我ら甲賀卍谷の一族、そして其方達、伊賀鍔隠れ一族……」
甲賀弦之介は現在、伊賀鍔隠れの里にお呼ばれし、宴の席の最中であった。
「この恐ろしいまでの忍法秘術を身に着けた二つの一族が、永年の宿怨と称して、
ただワケも無しに憎しみ合い、縛り合う……
まこと、愚かの極みじゃと、わしは思う。」
黙って弦之介の話に耳を傾ける伊賀の面々。しかしその額には青筋が浮かび、皆耐えるように歯を食いしばり、下を向いている。
「朧どの。其方とわしで手をたずさえて、我ら両の一族を縛る鎖を解き放ち、
真っ当な広い天地と風の音を、二つの谷にかよわせるのじゃ」
「……はい、弦之介さまっ!」
しっかりと朧の目を見つめ、しかしこの上なく暖かい表情で自らの決意を語る弦之介。
弦之介の手を取り、ギュッと胸に抱く朧。その顔はまるで夢見心地のようにとろけ、目の形はハートになっている。幸せの絶頂である。
しかし、顔が夢見心地のようにとろけそうになっているのは、なにも朧だけでは無かった。
(さすがは弦之介さまじゃあぁぁッ!!)
(どんだけ男前なんじゃあこの男はぁーーッ!! 素敵じゃあぁぁーーッ!!)
実はこの場に居る全ての“伊賀衆“も、胸がキュンキュンしぱなっしだった。
(こんなもん儂がおなごだったら絶対に惚れておるぞっ! 弦之介さまあぁぁぁ!!)
(美男子じゃあ! 美男子大明神様じゃあ!! 弦之介さまあぁぁ!!!)
実は伊賀では今、早くもオムツを縫う者がいたり、育児関係の書が大流行したり、玩具のアヒルだの小鳥だのを男連中がこぞって制作しだしたりと、非常に気の早い事になっている。
馬鹿な者達に至っては家の神棚に弦之介の肖像画を飾り、毎日パンパンと手を合わせている始末だ。
剣術の腕も立ち、人柄もこの上なく素晴らしく、しかも男前。
もう弦之介様が好き過ぎて社会問題にまで発展している、伊賀鍔隠れの里であった。
(こっちを向いて下さいませ弦之介さま! 目線を下さいませ!!)
(おお! 今わしの方を向いて微笑んで下さったぞ弦之介さまが!! 恐悦至極に御座る!!)
しかし、悲しきかな千年の宿怨。
鍔隠れ衆達は、今は表立って甲賀弦之介に好意を向ける事かなわぬ。
憎まねばならぬ、この定め。
『べ、別に弦之介さまの事なんか、好きじゃないんだからね!』
『甲賀者の事なんか、なんとも思ってないんだからね!』
せめて表面上だけでも、そう装わねばならぬ。伊賀一族の誇りに賭けて。
歯を食いしばり、弦之介と朧の微笑ましい光景にニヤけそうになる頬を、渾身の気合をもって抑える。
ホッコリとしそうになるこの心を、血が噴き出さんばかりに胸を掻きむしり制する。
爪が剥がれんばかりに床を引っ掻き、カラカラに乾いてしまわん程に目を見開く。
鍔隠れの面々は、水面下で色々と必死だ。
あぁお幻さま、甲賀弾正さま……早く祝言の日取りをお決めくだされ……。
一日でも早く、一刻も早く、弦之介さまと朧さまの祝言を……!
さすれば我ら伊賀の一族、なんの躊躇いもなく弦之介様と沢山お話が出来まするものを!
あぁ口惜しやお幻様! なんとご無体な仕打ちをなさるのですかお幻様!!
この世はこんなにも、苦しみに満ち満ちており申す!!
「アハハ!うふふ!」と仲良く会話をする弦之介と朧の姿を、血の涙を流しながら見つめる伊賀鍔隠れ衆。
そんな光景を見て鵜殿丈助(うどのじょうすけ)は、人知れずため息を吐いた。
(だから連れて来たくなかったんじゃがなぁ……)
この雰囲気の中で酒など飲んでも、美味いハズがあるか。
肩身が狭ぅてかなわんわ。まぁワシは昼間、弦之介さまと一緒に峠で昼飯を食うたがな?
その時の弦之介さまの暖かいお顔といったら……、どうじゃ、羨ましかろう鍔隠れの衆よ。
まぁその時の事なども、後で皆に詳しく聞かせてやるとしようかの。
どうせ後で「弦之介さまのお話を!」とせがまれるじゃろうしな……。
(しかし、伊賀衆の凄まじい気合に押される形でここにお呼ばれして来たものの、我らは本来、このような事をしている場合では無かろうに)
峠で伊賀の者達と出会うた時、もう「ワッショイ! ワッショイ!」と胴上げをされながら伊賀の里まで運ばれて来た、弦之介と丈助。
ちらりと朱絹の方に目を向けてみれば、「ごめーんね♪ ウフッ♪」とでも言うかの如く、可愛らしく両手を合わせて丈助に詫びている姿が見える。
(まぁ良いがな。しばらくはこの里もドタバタとするのじゃろうから、弦之介様のお姿が鍔隠れ衆のひとときの癒しとなってくれれば何よりじゃ)
丈助は酒を一口飲んだ後、この里に来る前の、小豆蠟斎との一件を回想する。
自身が此度の“甲賀伊賀の忍法争い“について、知らされた時の話だ。
……………
…………………………
「弦之介さまはぁーー! 日ノ本一のお方じゃぁぁぁーー!!!!」
「しかり! しかし朧さまとて負けてはおらぬぞぉー!! 丈助えぇぇ!!」
前の日の晩、弦之介と朧が峠にてイチャイチャしていた頃。
丈助と蠟斎は森の中にて、“忍法遊び“と称しての腕比べの真っ最中であった。
「あの愛らしい眼(まなこ)、白百合のような歩くお姿! そしてドジっ子!
朧さまこそ、伊賀鍔隠れの次期頭領にふさわしいお方よおぉぉ!!」
「…ぐぬぬっ、しかり!! 弦之介さまと朧さまの祝言が待ち遠しくてかなわぬ!!
かなわぬぞぉ蠟斎老ぉーーッ!!」
木を蹴倒し、岩を貫き、文字通り天地を駆ける二人の忍び。
「ドゴーン! ドゴーン!」という凄まじい破壊音が夜の森に鳴り響く。周辺の獣たちはすでに遠くへ退避した。熊も猪も。
「祝言! 祝言!!」
「祝言! 祝言!!」
お二人の子供を抱っこする自身の姿を思い浮かべる、蠟斎。
お二人の子供のお馬さんとなり、共に遊ぶ自身の姿を思い浮かべる丈助。
……負ける気がせぬ。身体の底からいくらでも力が沸いてくる。
天地を駆ける二人の姿は残像を伴い、もう監視の役目に着いている服部の忍びであろうとも、目視する事さえ叶わぬ程の速度となっている。
ちなみにこの二人、そこそこ全力で動いてこそいるものの、実は全く本気などは出してはいなかったりする。
忍法忍術の秘術など、微塵も出してはいないのだ。出したら、この森がただではすまぬ。
蠟斎は本気を出せば、その手足を“地平線の彼方まで“伸ばす事も出来る。
もしその状態で「ほいさ!」と手足をかるく横薙ぎにでもすれば、一体どうなろう?
――答えは、「一秒でこの森が禿山になる」だ。
小豆蠟斎が本気を出すという事は、すなわちそうゆう事だ。
そして丈助は、その気になれば身体を“クジラよりも大きく“膨らませる事が出来る。
本気を出せば、在りし日の駿府の城よりも巨大な身体になる事が可能だ。
もしその状態でただゴロゴロとそこいらを転がってみたりでもしたら、いったいどうなろう?
――答えは、「駿府の城下町が30秒で壊滅する」である。
鵜殿丈助が本気を出すという事は、つまりはそういう事だ。
本気など、出せるワケがない。出せてたまるか。
峠にて仲良くイチャイチャとしていた弦之介と朧の耳にも、森でドタバタとやっている二人の戦いの轟音は、もちろん聞こえてきていた。
「許されよ朧どの。あの丈助は、甲賀一のお調子者ゆえ」と朧に弁解する弦之介。
しかしそれは、はたして“お調子者“の一言で片づけられる戦闘力なのか。
「面白い方ですね♪」と可愛らしく微笑む朧も、なにやらだいぶズレているような気がする。
里の者達を心から信頼している、弦之介と朧であった。
…………………………
「……ぬ! 蠟斎老、なにやら空に鷹が飛んでおるが。巻物かぁアレは?」
「あれは、お幻さまのお鷹! ちょいと待っておれよ丈助。
ちょいちょいっと取ってくるでな」
いったん“忍法遊び“を中断し、鷹を追っかけていく蠟斎。
丈助は腹をポリポリと掻きながら「ふぁ~あ!」と欠伸をしつつ、その場にて待つ。
「……ぬっ、これは!!
おい丈助! こっちに来んかい!! これを読んでみんかい!!」
ダバダバと手足をタコのように伸ばした状態で、こちらに駆けてくる蠟斎。
なんじゃなんじゃという風に、丈助はその手に巻物と、分厚い書を受け取る。
「……こ、これは!! 甲賀と伊賀の忍法争いじゃとおぉぉぉっ!!
馬鹿なっ、弦之介さま達の祝言が間近に迫っておるこんな時に!! ありえぬっ!!」
「とにかく伊賀十人衆の者達にも、この事を知らせねばなるまい! 急ぐぞ、丈助!!」
「おうよ蠟斎老! とにかく伊賀の者達と合流じゃあ!!」
そして蠟斎はダバダバと、丈助はゴロゴロと転がりながら森を駆け抜けていった。
……………
…………………………
お幻の鷹より運ばれた人別帖を、輪になって覗き込む伊賀衆。
その顔は、驚愕の表情に染まっていた。
(馬鹿な……。朧さまのお子を抱っこするというわたくしの夢は、叶わぬというのですか?)
(安心せぃ朱絹……、忍法争いなど本来は言語道断じゃが……。
ほれ見てみぃ、弾正さまの書かれた今後の方針などの指示も、しっかり添えられておるぞ)
深い絶望に落とされ崩れ落ちそうになる朱絹の身体を、雨夜陣五郎がガシッと支える。
その手には“作、甲賀弾正“と書かれた、分厚い台本の如き書が握られていた。
その書のタイトルを『甲賀忍法帖』。このシナリオに沿って忍法争いを進めよという、弾正とお幻からのお達しだ。
(お幻さまと甲賀弾正さまは、いったん身を隠されたのであろう。人別帖から名前が消えておる)
(先程里へとお戻りになりました夜叉丸どのも、そう申しておりました。
お二人とも、元気に川を泳いで行ったと……)
ウヌヌと唸る蓑念鬼、それに答える蛍火。
ちなみに夜叉丸は、もうとっくの昔に里へと帰還している。将監もしかりだ。
夜叉丸は、“ねお伊賀忍法、しんかんせんの術“により、約1時間30分ほどで伊賀鍔隠れの里へと帰還していた。今頃はイビキをかきながら布団でグッスリ眠っている事だろう。
「陣五郎ー! お婆さまは何と?」
向こうの方で弦之介達と待っていた朧が、陣五郎に問いかける。
(取り合えずはこの台本の通りに事を進めるぞ。良いな、皆の衆?)
(((委細承知!)))
『よっし!』と頷き合う伊賀鍔隠れ衆。その瞳は、祝言への野望に燃えていた。
「ご、ご安心くださりませぇ朧様! 駿府にて甲賀と伊賀の和解、まったく成就致し!
お婆さま達は二人そろって、春の江戸見物などをして帰られるとっ!!」
若干裏返った声で答える陣五郎。伊賀衆の表情も、若干引きつっていた。
……………
…………………………
その後、弦之介達をワッショイワッショイと里へと運んでから、伊賀衆たちは此度の事を薬師寺天膳へと知らせる。
朱絹と朧は里にてお留守番。弦之介達のお相手をしてもらっている。
余談ではあるが、今回初めて“ねお伊賀鍔隠れの里“の全貌を見た弦之介達は、顎が地面に突き刺さらんばかりに口を開き、驚愕した。
一見ただの平地にしか見えなかった開けた場所が、実は伊賀鍔隠れの里。
朧の「帰りましたよー!」という合図と共に、突然家や建物達が「ズゴゴゴ…!」という轟音と共に、地面から生えてきたのだ。
弦之介達は知る由も無いが、その様はまるで現代におけるエヴァの第三新東京市の如く。
鍔隠れの建物は、地面から出たり入ったり出来るのだ。
織田の奇襲を受けた反省から防犯体制を見直す時、「ではいっそ地面の中に入ってしまおうぞ!」という革新的なアイディアを出した、お幻であった。
そして森の開けた場所にて人払いを済ませた後、天膳と小四郎を加えた6人は、今後の段取り、セリフ合わせなどについて話し合う。
絶対にミスは許されない。常にこちらを監視をしているであろう服部の忍び達の目を、欺かなければならない。
表向きは「私達、ちゃんと殺し合ってますよ♪」と、そういう風に見せなければならないのだから。
まるで課長や部長のように、次々に仲間達へと指示を飛ばす天膳。その姿は正にやり手のリーマンそのもの。
対して小四郎は、段取りやセリフを頭に叩き込むのに四苦八苦だ。手先は器用なのに、こういった事には不器用ちゃんなのだった。
「この後は我らで風待将監、及び地虫十兵衛の討伐じゃが……。
良いか皆の衆? 今後一切『台本』『セリフ』などの言葉を使う事を禁ずる。
今は大丈夫じゃが、この先どこで監視の目があるかわからぬでな」
『委細承知!』と元気よく答える伊賀衆。
本当は強くて優秀なれど“うっかり癖“のある天膳こそが最も心配だったりする伊賀衆だったが、そこはまぁ言わぬが華である。小四郎には常に天膳の傍についていてもらい、頑張ってなんとかしてもらおうと思った。
「お幻様から、『多少は無茶をしても構わん』とのお達しよ。
これすなわち、我ら“ねお伊賀忍法“の神髄を監視の者共へと見せつけ、
二度とこのような“ふざけた命“が甲賀伊賀に下されんようにせよ、という事に他ならぬ。
皆の衆、久方ぶりに、存分に暴れるとしようかい……!!」
お互いの顔を見合わせ『ニッタァ~!』と笑う、伊賀鍔隠れ衆。
おぉそうか大御所様よ。例え此度の忍法忍術争いの被害を受け、お江戸が滅んでしもうても構わんと、そうおっしゃるのじゃな?
素直に侍共に剣術を競わせて決めれば良かったと、そう気付かせて差し上げれば良いワケじゃな?
こいつは随分と盛り上がってきよったわ。
「駿府を草木一本生えぬ平地とするのもやぶさかでは無し。しかし、それだけではつまらぬ。
どうじゃ皆の衆? ここはお幻さま達の指示とは別に、一つ甲賀と我らで賭けをせぬか?」
天膳の突然の提案に、目を見開く伊賀衆。
そして、ニタリと笑う天膳。
「伊賀甲賀、勝った方が一つ、言う事をきく。我らが望むのもちろん、ただ一つよ」
天膳の思惑を察し、同じくニタリと頬を吊り上げる伊賀衆。
雄々しく、高らかに、薬師寺天膳がここに宣言する。
『朧さまと弦之介さまのお子……、その“名付け親“となるのは我ら、
伊賀のお幻一族じゃ!!』
そして願わくば……、お二人の後に、誰よりも早く抱っこをする権利を。
ここに、血で血を洗う忍法忍術合戦の幕が今、切って落とされた。
弦之介と朧には、内緒にしたまま。