一般的な一軒家の、常識的な広さのリビング。
晩方が過ぎて夕日が落ちる直前の、蛍光灯に照らされたテーブルへ並べられた皿の数々。
父が買ってきた既製品の料理と母の作った手料理が所狭しと占拠し、4人で食べきるには多すぎる量にリュウはやや目を丸くする。
「いや、張り切りすぎだろ」
「何を言ってんのリュウ君! 子供が久し振りに帰ってきたんだからこれくらい用意させてくれよ! ……それにしてもママ、良く帰ってこれたね? ……もしかして、僕が無理をさせちゃった…………?」
「リュウが帰ってくるなら収録くらい巻きで終わらせるわよ。あなたから電話受けたあと、監督に頼んで私だけ声録らせて貰って、それで全部1発OK」
「さっすがママぁ~!! その上料理まで作ってこの仕上がり……!! 僕のママは世界一のママだねっ!」
エビチリを山盛りにした皿を中央に置いて父が席へと着き、母が小皿と椅子の前に配置する。
座ってないのはリュウとナナで、父の笑顔に当てられ椅子を引くもその動きはぎこちない。
リュウに習ったナナが席に座り、大きな瞳の気配を横で感じた。
「んじゃいただきますしよっか!」
「そうね、暖かいうちに食べちゃいましょう」
一息ついてエプロンを外す母。
幸せそうな父の顔と、
「──────、父さん。母さん。……俺さ、ガンプラバトル、辞めるよ。学園も……続けられない」
だからこそ、言わずにはいられなかった。
これを告げないと楽しい筈の時間は楽しくないままで、両親の2人を騙しているような気がしたから。
「俺が帰ってきたのは、それを2人に伝える為なんだ。………………ごめんなさい」
豪勢な料理が置かれたテーブルの下、少年はきつく拳を握る。
自分のガンプラバトルを最も認め、応援してくれた両親に対する裏切りにも等しい結果にリュウはただ俯いた。俯いたのは2人の顔を見ることが怖くて、そんな自分が情けなくて。
しばしの静寂の後、リュウは気が付いたら席を立っていた。
「リュウさんっ!」
背中から聞こえる少女の声で遂に目尻から熱い液体が溢れる。
今この瞬間にも両親がどんな顔でこちらを見ているのかが不安で、視線を断ち切るかのようにリュウは部屋を飛び出した。
※※※※※※※※
これが悪夢だという事は直感で理解した。
照り付ける太陽の下、リュウを囲んでいるのは当時のガキ大将とその取り巻き。
加減を知らない暴力に幼かったリュウの身体のあちこちが切れて、うずくまりながら細目で見詰める視線の先にはバラバラとなったガンプラが雑に捨てられていた。
「わるもののガンプラを使うやつなんてこうだぁ!!」
────好きなガンプラを使っていただけなのに。
「バトルも弱いくせによぉっ!!」
────弱い奴にはあらゆる権利が存在せず。
「いつもこっちを睨んできやがって! 下級生の癖に生意気なんだよっ!!」
────だからこうして地面に伏している。
どうすれば良いのか、どうすれば良かったのか。
爪先が腹部に突き刺さりながらぼんやりとそんなことを考え、1つ思い至る。
自分が強ければ良い、ではない。────
そんな暗い感情が急激に胸へ広がり、地面に立てられた爪が土を抉る。
痛覚の麻痺した身体は肉体の限界が外され、ふと目についたのは目の前に転がる手のひら程の石だ。
「何も言い返さねえでやんのギャハハ! いつもいつもだっせぇなコイツ!!」
満足げに唾を吐いて後ずさる少年達。その隙をリュウは見逃さない。
自分が何をしたのか分からない。ただあの瞬間だけは
※※※※※※※
意識の境界が曖昧だ。
目を見開き肩は上下して、右手に残る石を掴んだ感覚のままリュウは拳を爪が食い込むほどに握っている。頭に血が回っている為か意識は恐ろしいほどに冴えて、しかしそれが寝惚けの延長だという事もリュウは辛うじて理解できた。
あの夢も最近多く見るようになったなと、頭痛に顔をしかめながら心の何処かで思い、次の瞬間には首を振る。
「そういえば、どうして俺は寝て」
言葉と共に思い返す記憶は新しく、先程とは別口の痛みがリュウを襲う。
逃げたのだ。夕飯の場で自ら切り出し、両親の無言に耐えきれず自分の部屋まで。
情けなさに目眩がした。
あまつさえ今まで学費を援助してもらった上で学園を辞めて、応援してもらったガンプラバトルすら投げ出しておいて、リュウは夕飯の場からさえも逃げ仰せた。
こうして振り返れば客観的事実として浮き彫りになる自らの人間としての醜さにリュウは額に手の甲を当てる。
「これから先、ずっとこんな生き方すんのかな」
嫌なことから逃げ続け、両親へ甘えながら生活する将来の有り様を容易に想像が出来た。
余りにも惨めな光景に溜め息を吐いて、そこでリュウは喉の乾きに気付く。
この寝汗だ、無理もないなと汗で張り付いたインナーを自覚しながら時計に視線を向ければ両の針が頂点を指しており、リュウは重い身体をゆっくりと起こした。
この時間ならば両親が起きている事はない。下で喉を潤し、服を交換がてらシャワーでも浴びようと倦怠感に
静まり返ったリビングには一切の明かりが灯っておらず、スマートフォンの光源と長年住んだ事による感覚を頼りに足を忍ばせた。
両親の寝室はリビング前の廊下を挟んでの部屋にあり多少の物音なら聞こえることはない。喉の乾きのままに冷蔵庫のペットボトルを飲み干しリュウの意識が微睡みから多少回復する。
冷蔵庫を閉める直後、リュウの目線と同じ高さの段に書き置きされた紙が貼り付けられている事に気付いて目を細めた。
『レンジで暖めてね。元気そうで良かった。可愛い母』
ラップで蓋をされた小皿には夕食の残りが入っており、その光景に胸が
──どこまで俺は両親に迷惑を掛けるんだ。
父が奮発して買ってきたショートケーキの、深紅に輝く季節外れの苺。仕事帰りの母が息子の為に調理した料理の数々。目を震わせて
何故自分は今この場に居るのか。
もしかしたらこれも悪い夢の続きで、目が覚めたら楽しく学園に通って仲間達とガンプラバトルをしているのではないか。そんな妄想すら一瞬考えてしまうほどに、母の置き紙が強烈にリュウの胸へ刻まれた。
そもそもリュウがこうして実家へ帰った理由はナナの実験によるもので、リュウは自身を裏切ったナナとリホを憎んでいる。そこは今でも変わっていないし変えるつもりもないがそれ以上にガンプラバトルの記憶を失ったのが非常に大きい。
記憶が消えたのなら埋め合わせをすればいいと、リュウはありとあらゆる媒体を用いて記憶の修繕を図ったが全てが無為に終わった。ガンプラに関する文字の1つでも覚えようとすれば激痛が襲い、エイジを見れば頭蓋が割れそうになるほどに頭痛が駆け回る。
その上実験の果てに記憶は戻らず、故に萌煌学園に残る理由も消えて自問の答えが浮かび上がっていた。
そう思考する傍ら、リュウの胸には別の答えが浮かび上がりどこかストンと府に落ちた。
……そうか。リュウ・タチバナという人間は。
思案に
まずは身を
目に飛び込んできたのは見慣れた自分の家の風景。思い返しても頭痛が起きない記憶はリュウにとって少なく
──何故明かりを付けていない脱衣所が灯っているのか。
「……………………あ。…………リュウ、さん」
聞こえたのはリュウの視界の下からだ。
初雪を思わせる銀にも似た淡い髪からは湯気が仄かに立ち、一糸纏わぬ少女の身体を玉の滴が伝って落ちる。
「………………」
逆再生された映像のようにリュウは扉を閉め、先ほどまで悩んでいた少女への憎しみよりも前に率直な疑問が口から飛び出た。
「どうしてナナが入ってるんだ……?」
「ご、ごめんなさい、すぐに出ます。お風呂の邪魔をしてすみませんでした」
「いや皮肉でも何でもなくて……。どうしてこんな時間にナナが入ってるんだ?」
「リュウさんのお母さんから、その、リュウさんは朝にシャワーを浴びるから夜に入りなさい、朝に鉢会うと気まずいでしょと言われて……。けれど、その、鉢会ってしまいました。……ごめんなさい」
扉の向こうから少女が謝罪する気配をひしひしと感じ、しかしリュウが抱いた疑問は他にある。
そも実家で朝に風呂へ入ろうものなら風呂を洗う手間が倍に増えると母が珍しく怒った例があるため、それを最後にリュウは入浴を夜の間に済ます習慣が身に付いている。
表情の変化がナナとは別方向で見えない母の悪戯に、リュウはため息を長く吐いた。
「あの……上がったので開けて貰えないでしょうか?」
「あぁ悪い、扉押さえたままだった」
ナナが入っていた衝撃からかドアノブを握った姿勢のまま硬直しており慌てて手を離す。
すると程無くして遠慮がちに扉が開かれた。
「その、時間を取らせてすみませんでした」
バタン。
「どうして扉を閉めたんですかリュウさん?」
「そっちこそなんで服を着てないんですか」
「服なら外でも着れます。身体の水気は拭き取ったのでリュウさんの家の廊下を水浸しにすることはまず有り得ません」
「一緒に過ごした間に羞恥心を教えてあげられなかった俺が悪かった。悪かったから服を着て出てきてくれ」
こんな現場を父にでも見られたら大変な事になってしまう。
しばらくすると衣擦れの音が聞こえ、妙にむず痒い時間が過ぎていく。
「服を、着ました」
再び恐る恐る出てきたナナは何故かリュウのシャツを着ており、その人形めいた白い頬を僅かに赤く染めている。
ナナの着ているシャツ、あれはリュウが中学生だった頃のシャツであり、卒業したタイミングで母に処分を頼んだ筈だったが。
「…………」
澄んだ水面を思わせる空色の瞳がリュウを見詰め、しかしナナの方が先に脇を通り抜けた。
その小さな背中を、憎しみと親しみをない交ぜにした何とも言えない気持ちで見送り、このアクシデントを招いた人物を思う。
母は。
何故母は、ガンプラバトルも学園も辞めると言った息子へどうして
それだけがリュウの疑問だった。