もう何十分経ったのだろうか。
変わらぬ換気ファンが回る音が今は一層と気に触り、揺らぐ視界がそのまま自分の精神状態だ。
「──で、タチバナ君がコトハちゃんを怒らせてねぇ、だけど仲裁に入ったエイジ君が何故か2人から集中攻撃されたんだ! はっはっはっは!」
すっかり語り口に油を差した店長は捲し立てるように口を動かし、その言葉──一語一句全てがリュウにとって猛毒だった。それ以上の許容を認めることは出来ないとばかりに頭が内部から軋み、缶コーヒーを握る右手は先程から震えが止まらない。
それでもリュウは確信があった。痛みが走るということは、これは自分にとって必要な記憶だと。
だからこそ少年は平然を装い、微笑みさえ浮かべながら話を聞き入る。ガンプラを好きになった根源を聞ければ自ずと回答が出てくると信じて。
「ハッ、それにしても店長良く覚えていますね。結局は多くの客の一人でしょう俺」
「いーや、タチバナ君は特別だよ! 君が居なかった頃はねぇ、お客さんの雰囲気も実はあまり良くなかったんだ」
「俺が居なかった頃……?」
──来た。
恐らくは自分に関する最も古い記憶に関連する話の始まりに、気持ちを喝を入れて足を踏ん張る。
「丁度10年前さ。その時からガンプラバトルにおける日本人のマナーの悪さは有名でね、店に来る人らもガンプラに愛情を持っている人間なんて居なかった。ガンプラバトルでファイトマネーが出る時代だからね、ガンプラを買いに来る連中の多くは一攫千金に目が眩んだような人間ばかりさ。……正直ね、店を畳もうと思ってた時期だったんだけど。──そんな日々の中、君が来たのさ」
「……俺?」
「確か、秋だったかなぁ。青タンに顔中膨らました君が酷い有り様のガンプラを持って私のところに来たんだよ。何か厄介事抱えてそうな子が来たなぁと思ったら、タチバナ君こう言ったんだよ。『これ、直してください』。…………この子は馬鹿かと思ったよ!!」
唐突に鐘を鳴らすようなけたましい頭痛は鳴りを潜め、耳に入ってくるのは換気ファンの静音だけ。
何かがおかしい。違和感を感じる前に店長の話しは続く。
「大事そうに両手でバラバラのガンプラ抱えてさ、自分の傷を治す前にこの子はガンプラを直して下さいって言いに来たのかって! なんか、こう。大事な物を見せられた気がしたんだよね。……これが僕とタチバナ君が出会った初めのエピソードさ」
「……初めて? え、…………嘘じゃないですよね」
「嘘なんて言うもんか。この後の展開はさっき話した通り、君が虐められてた子達を纏め上げて外部から守ってあげたんだよ。結果的に町の治安も良くなって客の層も良くなったから、僕としてもタチバナ君には感謝しているんだ」
「────ぅぐッ!」
再び頭の血管が熱を帯びる感覚に立ち眩む。
その症状は核心的であり、そのうえで浮かんだ疑問を脂汗が伝う頬のままに訪ねた。
間違いない、だとするならば両親に訪ねる事が1つ出来た。
「…………店長、その時の俺、なんのガンプラ持ってたんですか」
「アイズガンダムさ。……ゲート処理も何もされていないパチ組みのね。ってタチバナ君大丈夫かい? さっきから顔色が真っ青だけど」
「気にしないで下さい、……まだ自分自身記憶を無くしたことを信じられてなくて。店長はそろそろ戻った方が良いんじゃないですか? 子供達の世話を1人の店員で回すのは大変でしょ」
「それもそうだね……。じゃあ筐体のメンテナンス頼んだよ、といっても見たところ後は最終稼動するだけだね。じゃ、頑張ってくれよヒーロー」
そう短く言葉を切った店長が駆け足で店へと戻る。
後ろ姿が積み荷に消えたところでリュウはたちまち膝から崩れ落ち、頭を焦がす灼熱の痛みに奥歯を噛み締めた。
無理もない。朝は悪夢で目が覚めて頭痛の続くまま店長の話を聞き続ければこんな状態にもなるだろうとリュウは嘲笑を口に浮かべる。
地獄のような痛みだ、頭蓋に穴を開けられるような。それでも──手応えはあった。
意識を先程浮かんだ
「…………その前に筐体直さねぇとな。ただの粒子詰まりっぽいけど」
萌煌学園ではガンプラバトルの筐体の説明こそ受けるが内部の詳細まで教えられることは無い。よって筐体のシステムが故障すれば在勤している作業員を呼んで直してもらう他ないが、生徒の中にはバレたら叱責を食らうことを承知して筐体を分析し内部構造を独学で把握している者もおり、リュウはそういったグループに以前入っていた過去がある。
立ち上がり、ガンプラをセットする箇所に手をかざすとプラフスキー粒子が仄かに噴き上がり戦場を形成しようとする。しかし一部分だけノイズが掛かったように粒子が乱れ、見れば筐体を構成する六角形のパネルのうち、そこだけ継ぎ目が異様に強く発光していた。間違いない、粒子詰まりだろう。
電源を落としてパネルを外せば案の定固形化されたプラフスキー粒子がこびりついており、指で撫でると粉雪のように空間へ溶けていく。微細に煌めくそれは光に当てられ薄い七色を放ち、アニメガンダムビルドファイターズに登場する“プラフスキー粒子”そのものだ。
「改めて思うけど肺炎とか起こさねぇよなこれ」
指で払うと先程とは比べ物にならない量の粒子が仄暗い
その光景に火山灰──火山が噴火した際に地上へ降る細かな鉱石の粒が連想されるも、プラフスキー粒子にはそういった害が存在しないのはリュウも知っており、それでも疑問を覚えずにはいられない。
故にそれは、好奇心の延長だった。
両手で抱えている六角形のパネルの縁を勢い良く払い、乱雑に振るわれた粒子は固形化されたまま空中へ放られる。
硝子細工のよう虹彩を放つそれらを、リュウは恐る恐る吸い込んだ。砂粒程だが実体を持ったプラフスキー粒子が鼻に侵入。
「ぶぇっくしょいッッ!! …………ビ、……ビ────ビグザムッッ!!」
案の定くしゃみが暴発した結果に鼻水をすすりながら納得する。
少年は自身の体調を意識し、やはり喉や肺に痛みが無いことを確認して六角形のパネルを再び嵌め込んだ。プラフスキー粒子が身体の何処へ消えたのか、消えていると思っているだけで実は重大な疾患に成り得るのではないか。
「…………んな事言ったらヴィルフリートさんとか今頃肺炎で動けないだろ」
ガンプラバトル創設期からバトルをしている世界ランカーを思い出して苦笑する。
先程と同じ様にシステムを再起動させると今度こそ粒子の発生に異常は見られない。これなら運用しても大丈夫だろうとリュウはほっと息を吐いた。
『つべこべ言ってねぇで早くそれを渡せって言ってんだよッッ!!』
リュウが壁に背を預けたその時、
──学園へ立つ日の朝、少年を見捨てた記憶。
──3年生への昇級試験の際、友人を見捨てた記憶。
──少女を助けようと奔走した末路の記憶。
保身と偽善という自らの本音が、今回も足を絡めとるようにリュウをその場へ縫い止める。
何故わざわざ面倒事へ走ろうとするのか。身の程を知れ。内なる自分の声を────少年は蹴り払うように足を前に出した。
立ち止まる事、それは。
店長が嬉々として話してくれた『リュウ・タチバナ』じゃ無いような気がしたから。
※※※※※※※※
駆け付けて見れば状況は分かりやすかった。
1人の少年──リュウの見知った子供に対して、3人の柄の悪そうな男連中がカツアゲ紛いの事をしているという構図だ。
相手を想ってなるべく警察沙汰にしないよう店長が柔らかな物腰で対応するも、それを占めたという表情で付け上がっている。茶髪に染めた髪と耳と鼻に光るピアスの2人と、彼らを纏めるスーツ姿のリーダー格、見てくれは完全に不良やチンピラの類いだ。
リュウが店長の隣に付くと男達が一瞥をくれ、それも一瞬で店長へと視線が再び移った。
「だぁから店長、俺達は公平なルールの元にガンプラを賭けてガンプラバトルしたんですよ? それをこのガキが取り消してくれってんで困ってんですよぉ」
「公平なルール……!? ぼくはっ乱入ありなんて聞いてないぞ!」
横から噛みついた少年をじろりと見下して、取り巻きである2人は笑いを堪えている。
「ちゃんと記載されてあんだろぉ? ほら、なんなら自分の
「何を……? ほら! 『1on1のフリーバトル』じゃないか! レギュレーションフリーの!!」
リュウは理解した。
この手の話しは学園でも学園都市でも腐るほど見てきた例だ。
男達が愉快そうに種明かしを始める、その直前にリュウは声を割って入る。
「────世間一般に言われるフリーバトルはレギュレーションフリーの事だ。だけどお前達が施した設定は
「そぉうだよ。良く分かってるじゃねぇかお前。それを勝手にこのガキが勘違いしたに過ぎねぇ」
「……お前らもしかしてアレか? 馬鹿か? 無い頭で考えろよ、そんなもんまかり通るワケねぇだろ」
「…………へェ」
お互い初見でガンプラバトルを行う場合はバトルの設定を両者確認した後ではないと開始が出来ない。確認する項目は
これはシステム側が『1on1の筈なのに設定がバトルロワイヤルとなっている』と入力され、それをファイター側のミスとして修正を施すセーフティが働いた事による弊害の1つであり、通常の
リュウの発言に笑みを深めるだけの男達は
「お前らがやったのは明らかな違反だ。警察呼ばれたく無いならさっさと出ていけ」
「おいおいおいおィ。悪かったって、知らなかったんだよ俺達。勘弁してくれよ」
「タ、タチバナ君。僕としても彼らを警察に突き出すのはちょっと……。いや、でもソウヤ君の意見に従おう。……ソウヤ君はこの人達をどうしたい?」
話を振られた子供──ソウヤがたじろぐ。
警察という単語に些か物騒な響きを覚えたのか、
「け、警察は良いよ……。謝って、それでガンプラ返してくれれば」
とリュウに半身を隠しながら震えた声で男達へと投げる。
その言葉を受けて満面の笑顔でソウヤへガンプラを渡し、男は腰ほどにある少年の頭を撫で回した。
「ありがとなぁ坊や。俺らが悪かった、騙すような真似してごめんよ」
似つかわしくない笑顔をひとしきり少年へ向けたあと、「で」と言葉を切る。
今度は犬歯を覗かせた好戦的な笑み。立ち上がった男の背はリュウより一回り大きく剣呑が覗く瞳が見下す。
「そこのソウヤ君……だっけ? あの子じゃ物足りなかったからさ、君どう? 俺とガンプラバトルやらない?」
見れば控える2人も喉の奥で笑いを押して、その視線はどれも挑発的だ。
『ここで下がるのか』と明らかな誘いの眼差しにリュウは見上げる男に向かって鼻で笑う。
「望むところだよ。──だけど1つ訂正した方が良いぞ。戦うのは『俺』じゃなくて『俺達』、だろ」
リュウの言葉に男は卑屈めいた笑みを増すだけだ。