「────うん、なるべく早く調べておいて。ソウヤ達には私から伝えておくわ」
携帯の通話を切りベッドの上で軽く身体を伸ばした。
昼にリュウから言われた内容をグループの子達に回し終えて、それでも少女の心から不安が拭えない。
枕に顔を埋めると洗濯したての爽やかな香りが鼻腔いっぱいに広がり、しばしカンナはそのまま唸る。
「モゴモゴモゴモゴ……(もし居たら可哀想よね……)」
けれどリュウが居るといったのなら事実なのだろう。確信を帯びたあの顔は必ず信じなくてはいけないと、少女は苦しむリュウの顔を思い出して切に思った。
突然やってきた少女──ナナ。
彼女がリュウを苦しめ記憶を消した張本人、決して許したわけではないけれど、それでもリュウの事を考えてくれている事は十分に伝わった。
怒ること叱ることは、リュウの記憶が元通りになってからだ。仮に記憶が戻らなかったのであれば絶対に赦さない。
「……私も、リュウを助ける手立てを考えなきゃ」
淡い白銀の髪の少女から求められたリュウの記憶を救う案は今のところ1つもカンナには浮かんでいない。それでもリュウとは幼い頃から過ごした日々の積み重ねが確かに存在する。彼が忘れたといっても私達は忘れてなんかいない。
だとしたら懸ける点はそこ以外無いだろう。
具体的な案が思い付かない事が懸念だが、無いものを考えても仕方がない。少女はおさげを──かつて彼から誉めてもらった髪を揺らして顔を上げる。
「──もしもしソウヤ? 少し頼みたいことがあるんだけど」
大好きな私達のヒーローを救うために、少女は頼まれた事柄を遂行する。
※※※※※※※※
「Nitoro:Nanoparticle……博士は私の事を『生きるアウターギア』と呼んでいました」
記憶を辿るように胸へと手を当てて少女はゆっくりと紡いだ。
生きるアウターギア。あの博士が言うのなら誇張でも何でもないのだろうと仮定し、その上でリュウは続く言葉を少女の空色の目を見て待つ。
「……『アウターギアにはプラフスキー粒子の励起作用が備わっていて、バウトシステムはその副産物に過ぎない』。……私には意味が分かりかねますが、これは博士の言葉です。…………それと、リュウさんの先程の質問には、満足のいく答えを提示出来ません」
「それは、どういう事だ」
「私が目覚めたのはリュウさんと初めてLinkをした30分ほど前です。私は気が付いたら寝具台で固定されており、それより以前の記憶を持ち合わせてはいません。────私はあの夜に生まれたんです」
告げられた言葉に、声が出なかった。
理解が追い付く筈もなく、同時にどうして早く聞かなかったのかとリュウは自分自身に愕然とした。
ずっと境遇が特殊な少女だとは思ってはいたが、それはあくまで少年の常識の範疇に過ぎない。
寝具台に固定。実験。あの場で目覚めた。数々のピースが頭で組み合わさり、口から漏れるのを寸でのところで止める。
「今までは何も疑問には思っていませんでしたが、こうしてリュウさんから育てられて、ある程度の教養が培われた今だから理解できます。────私は、人間ではありません」
「…………!」
「先程リュウさんのアウターギアを起動と停止を出来た事も、私は今まで知りませんでした。
「やめろッッ!!」
椅子を蹴って立ち上がり少女へ叫ぶ。
淡々と語るナナを何故か少年は許せなかった。自分は他人とは違う、そう勝手に自分で位置付け嘲けているように見えて。
対する少女もベッドからゆるりと立ち上がってリュウの前へと近付き、この世の物とは思えない美しく綺麗な蒼の瞳が見据えられる。
「私を何者なんだと、リュウさんは言いましたね。──その答えは、もうリュウさんの中に浮かんでいるのではないですか?」
「くそッッ!!」
無機質で無愛想な顔の少女を少年は強引に胸へ抱き寄せた。
少女の体温は低く、子供特有の熱さを感じる程の平熱とは程遠い。薄ら冷たくすら感じるナナの体温は加えて心臓の鼓動すら弱く思えた。
人体実験、そう予想した事も確かにあったがリュウの内に浮かんでいる答えは最悪のケースだ。リュウの胸で抱かれる少女は抵抗をすることもなく受け入れている。
「────強化人間と変わらねぇじゃねぇか……!」
「────あぁ……、そんな事も言われてましたね」
感慨に耽るように少女は緩く目を閉じる。
懐かしいと思うように、それが思い出だとでも言うように呟いて。
「ふざっけんな」
少女の肩に手を置いて少年はしゃがみこんだ。
目の前にはっきりと映る少女の造形、リュウの行動に疑問を覚えている瞳の瞬きを見て確信を強める。
「ナナ、お前は人間だよ」
「リュウさんの常識内の人間では、無いですね」
「────それでも人間だよッッ!」
「…………」
「自分と他人を線引きして、勝手に孤独になってんじゃねぇよ。演じなくても良いんだよ」
「リュウさんの言っている意味が」
「気付いてねぇのかよ。だったらこんなポンコツが強化人間な訳ねぇな? ……さっきから泣いてるんだよナナ」
「────えっ」
美しいと思った少女の瞳。
暫く前から潤みを帯びたそれは揺れて、今少年の言葉で目尻から溢れ頬を伝う。
それをリュウは指で掬った。少女に見せ付けるように目の前へ手をやった。
人間の感情が大きく揺れ動いたときに流す涙という現象を、人間ではないと言い張る少女へ突きつけるように。
「モヤモヤしたの、今全部出しちゃえよ」
その言葉に、少女の両目が目に見えて揺らぐ。
自分自身信じられない様子で、僅かに瞠目して溢れ落ちる涙をそのままに、ナナが少年の首元へ倒れ込んだ。
「リュウさんが思っている程悩みと呼べる物は無いんです。私が行った仕打ちはもうリュウさんに聞いてもらいました。────けど」
首に回された細腕が震え、少年の背中を少女の手がきつく掴む。
「私はやっぱ普通じゃないんだなって、この町に来て強く思ってしまったんです……! カンナさんが過ごされたような過去も、リュウさんのお母様お父様のような両親も私には居なくてっ、急にリュウさんが遠くの存在のように思えてしまって……!!」
「……だからさっきから“私は人間じゃない”って強調したのか」
「リュウさんの事を理解したいって思っても、私にはそういった経験が無いから出来ないんですっ……! それが急に歪に感じてしまって……!」
だから少女はカンナに協力を求めたのかと、初めてリュウの中で合点がいった。
想っているのに力へなれない歯痒さを感じてこの少女は自分の為に尽くしてくれたのかと、リュウは逆に少女を抱き締める。
「ナナ。まだ理解が難しいかも知れないけど、聞いてくれ」
耳元で感じる少女の息遣いが収まり、聞く姿勢になったところでリュウは自身を戒めるように続ける。
「確かにナナは他の子と比べると境遇が違うし気持ちを量る事が難しい。けどな、俺だってナナの境遇なんてものは量れないし、研究所の連中に怒ってやる事は出来てもナナの気持ちを理解してやる事は出来ない。……境遇なんてものは他人と違うのが当たり前だ。共感が難しくても、そこに落ち目を感じる必要なんて無いんだよ」
「境遇なんてものは他人と違う……」
「そうだ。大事なのは歩み寄る事だ。相手を理解する為に傷付く事を恐れないで近付く事だ。……ナナはそれをもう無自覚のうちにやってんだよ。俺に身の上話をしたってことはそういうことだろ」
少女にはそんなつもりは無かったのだろう。それでも会話の別側面を捉えればナナはリュウに境遇を説明してくれて理解を求めたと解釈する事も可能だ。
大切な事は、相手と情報を共有し互いに理解出来るように努める事。少女は意図せずにそれを成し遂げた。
「俺の境遇なんてのも大概だし、記憶を視たナナが一番分かってるだろ。誉められた人間じゃ無いんだよ俺は」
暫く部屋に静寂が満ちて、リュウの方から少女の身を離す。
視線を落とす少女は何かを思案しているのか、すっかり涙が消えた目元を仄赤く染ませて俯く。
やがて顔を上げた少女は────微笑みを浮かべて嬉しげに白銀の髪を緩く揺らした。
「リュウさんの仰られた事は良く分かりませんが……1つだけ、分かったことがあります。リュウさん────」
鼻唄を歌うように少女が紡ぐ。
後の言葉が想像出来ず少年がしゃがんでいると、意を決したように少女が笑みを増した。
「────大好きですっ」
思わず心臓が高鳴るも、少女の年齢での意味合いは少年が思っているものとまるで違うと瞬時に悟り、頭でも撫でてやろうとリュウは頭へ手を伸ばした。
少女は、そんなリュウの手をすり抜けて、
「…………んっ」
何をされているのか理解出来なかった。
生涯到来した事の無い未知の感触に少年は目を瞬かせ、1つ1つの物事をなんとか整理する事で精一杯だ。
ふわりと香る幼くも女性の匂いと、拡大された少女の顔。何よりも、口許に接触する柔らかな感触がリュウには全て理解不能だった。
続いて少年の思考が更に熱を増す。
添えられた口許へぬるりとした感触が少年の唇に侵入し、辿々しく相手を求めるような動きのそれは少女の舌か。
この事態まで発展し、初めてリュウは自身の身に何が起きているのか自覚をする。
────少女にキスをされているのだ。
「ん……は、……ぁむ」
「ぷぁっ──────ッッ!! なっ!? ナッナナナナッッ!!? ななな、な…………!!?」
理性を振り絞って両手で引き剥がし、少女は少年の行動が理解できない様子で疑問の目で見詰めて、狼狽している自分がおかしいのかと情景を振り返る。
何もおかしくはない。急に少女が迫ってきてキスをされたのだ。
立ち上がって後退するリュウは、今しがた訪れた唇の感覚を確かめるように何度も手で触れて確認をする。
「な、ななっ……!! なにしてんのナナさんッッ!!?」
糸を引く粘膜が2人の間に落ちて、名残惜しそうにそれを眺めたナナが変わらぬ微笑みを投げ掛ける。
対する少年も床を伝う粘膜を視界の端に認めながら、頬を赤らめつつも少女と視線を交わした。
「『大事なのは歩み寄る事だ。相手を理解する為に傷付く事を恐れないで近付く事だ』リュウさんはそう言いましたね」
「い、言いました」
「それは、“相手に理解してもらう為に自分から近付く事も大事”と、そう解釈も出来ますよね」
「で、出来る……?」
「私は今、リュウさんが大好きになりました。この気持ちを伝える為に“きす”をしたのですが、間違いですか?」
「発想が突飛過ぎませんかねぇ!!? しかも自分で言った事だから反論が難しいぞこれ!!」
「リュウさん……」
「待って待って、ここで近付くのは少し違くないか? 相手を理解しようってのは確かに大事だけど、ナナは自分の行動の意味をまずは理解した方が絶対良いと思うんだけど……!? ──────ガぁッッ!!?」
「リュウさんっっ!!?」
突如として到来した身体を駆け抜ける熱に堪らず少年は膝から崩れる。
灼熱に身を晒されたかのような熱さに視界が揺れて、熱が痛みを伴っていない事に気付くも胸を握りしめる拳は解かれない。記憶に関する頭痛ではなく、
気が付くと手の内にあったアウターギアが起動を完了させ、緑に輝く
「ッッ! どういう、事だよこれッ……!」
明々と煌めくアウターギアからはプラフスキー粒子の燐光さえ漏れ出て、臨界状態を思わせる輝きが灯りの付いている室内で一際強調され、少年はアウターギアを自身の片耳へと近付ける。
「リュウさん、これは一体……」
「わかんねぇ……! わっかんねぇけど、絶対こうした方がいい。
じん、と熱を持つアウターギアは少年の体内温度と同等の熱量を持ち、装着をすると驚くほど身に馴染む。
視界に映された画面は見間違いなくオンラインの表記。後は意識を画面に集中するだけで
その少年の両手を、少女の両手が繋ぐ。向かい合う形でナナがリュウの手を取り、倒れないようにベッドが背もたれとなる形でリュウを誘導した。
「……握っていますから」
「あぁ。ありがとなナナ」
言葉を交わしたのはその一言。
このログインが何処へ行くのか分からない。
それでも手に残る温もりに安堵しながら、リュウはアウターギアへと意識を没入させた。