ガンプラビルダーの間に『完成品2に対して予備パーツ5』という暗黙の決まりがある。
ガンプラバトルを行うにあたって機体が損傷した際、すぐに次のバトルへ移行出来るようにするため予め完成品のスペアと各種予備パーツを用意しておけという誰かが言い始めた決まりのような物だ。
戦闘中、運悪く高火力で焼かれた際の保険としてスペアを最低1。そもそも被弾が前提となる盾や装甲の予備は5。予備を多く用意しておけば過去の戦闘データを見返すことで自分の被弾箇所は何処が多いのか統計も取れるため以前は殆どのガンプラファイターがそれらを用意していたらしい。
時代は進んで2045年。ガンプラバトルブームが25年を迎える中、ガンプラファイターとガンプラビルダーを両立する人間は少ない。ガンプラに関するあらゆるジャンルを追求する萌煌学園の生徒でさえも両立している生徒は3分の1にも満たない。
昼間の無言の室内に、一定の感覚で何かが擦れる音が反復する。
何かを磨いでいるような、研いでいるような、慣らしているような、もしくはそれら全てか。
仏ヤスリと呼ばれる大手模型道具メーカーが販売しているスポンジヤスリを一心不乱にパーツへと沿わせる。
決して押し当てず、滑らせるような感覚で。本当にこれで表面処理が出来ているのか? そんな疑問が浮かぶくらいが丁度良い。
初めは効果の見えない往復であっても、数十回もヤスリを滑らせればパーツの表面が微細な傷によって白く色を出してくる。
表面処理でパーツの表面を均一化する事によって得られる効果は大きく2つ。
1つは最終的に塗料の食い付き加減へ繋がり、耐ビームコーティング作用のある塗料も満遍なく付着させる事が出来る他、パーツの凹凸によって偏った塗装による重量の変化が、戦闘中思わぬアクシデントに繋がる事がある。
もう1つは実弾射撃を受けた際の跳弾角度の変化だ。買ったばかりの模型にはどうしてもヒケと呼ばれるごく僅かな歪みが存在し、それをほったらかしにして塗装すると角度を変えて鑑賞した際に塗装部分の光沢が違って見たり、その箇所へ被弾した際にあらぬ角度で跳弾する場合がある。
だからこそバトル前提のガンプラには表面処理という作業は非常に大事であり、数ヵ月振りであるガンプラ製作がこんなにも忍耐が必要なのかと少年は改めて確認した。
自室のドアにノックの音が聞こえ、やがて扉が静かに開かれる。
「リュウさん。そろそろ食事を摂るのは如何でしょうか」
「ん────、もうこんな時間か。ふわぁぁぁあああ……!」
椅子で背をうんと伸ばして少年は盛大にあくびをかます。
夜から始めた
最早眠気は麻痺して完全に失せて、代わりにリュウの頭の中には残ったパーツの表面処理の事と、塗料の濃度の割合についての計算が埋め尽くしている状態である。
「おっ、下から良い香りがするな。サンキュな、ナナ」
「いえ。仕込みも終わったのでリュウさんの様子も見ようかと……」
「もう終わったのか? 物事の吸収が早いなぁ。母さん、色んな国の料理作るから覚えるの大変だろ? 今日は何作ったんだ」
「今日はきんぴらとお味噌汁と玉子焼きです。きんぴらは粗熱を取るために冷蔵庫へ入れて、お味噌汁の方は鍋で保温をしている状態です。玉子焼きはリュウさんが食事を摂られる際に作ろうかと考えています」
少女は白のワンピースの上にエプロンを着込んだまま、少年の部屋のカーテンを開ける。差し込む陽日が目に直撃して少年が床にのたうち回った。
……ナナがリュウの家に住み込むようになってから、少女は現在母親に師事を頼み込んであらゆる家事を教えてもらっている最中だ。
炊事に洗濯、掃除にゴミ出しと。『住ませて頂いているのでこれくらいやらせて下さい』と家族全員の前で宣言したときは流石に耳を疑った。ナナがそういうことを言うイメージを誰も持っていなかったからだ。(母親が見ていたアニメの影響をモロに受けたらしい)そういった経緯もあり、当初は塩と重曹を間違えたり(被害者はリュウ)禁忌の領域となるリュウのベッドの下も隅々まで綺麗にするという失敗も目立ったが、数日が過ぎた頃には立派にそれらを器用にこなしており、タチバナ家の負担を大いに軽減してくれている存在となっている。
一方リュウは破損してしまったアイズガンダムの補強作業に追われていて、それを行う間に
「リュウさん……その機体……」
「あぁ。ず~っとほったらかしてたガンプラだよ。何か今なら作れそうかなって思ったんだけど、中々アイデアが思い付かなくてな」
机の棚に置かれた、アイズガンダムを素体にした
構想が練り上がったのは本体だけで、今はゆっくりと武装について考えている。
学園都市へ発った前日に、自身のセンスの無さに絶望した苦い記憶。今ならばそれも乗り越えられると思ったが、完成の日を見るのはまだまだ先のようだ。
「……とりあえずご飯を頂こうかな」
「はいっ!」
※※※※※※※
小皿に掛けられたラップを外した途端、胡麻油の効いたきんぴらの香りがリビングに薫り立つ。
テーブルに並べられたお味噌汁と白米ときんぴら。徹夜明けの身体に日本料理は良く合うのは言わずもがな、濃い味付けが好きな年頃であるリュウにとってこのきんぴらは非常に嬉しい一品だ。
テーブルへと料理を配置してする事も無くなり、なんとなしに少女が調理をしている台所へ。
腰まで伸びた白銀の髪を束ねた少女は、子供用の台の上に乗って手慣れた手付きで卵を丸めていく。丸めた玉子を四角のフライパンの隅へ追いやり、再び溶き卵を投入。それを菜箸とフライパンで上手いこと丸める作業を感心した面持ちで見守る。
「……おっ、上手いなぁ。俺そこ毎回失敗すんだよなぁ」
「…………っ!」
意図せず丁度少女の耳元で呟くように少年が発すると、先ほどまで快調だった箸捌きが乱れて僅かに玉子の形が崩れる。
しかしこの程度の変形なら次に丸め込む過程で帳消しに出来るだろう。
溶き卵がもう一度投入され、ふつふつと膨らむ気泡を箸の先で少女は次々と潰し、先程失敗した玉子を丸め込む作業に差し掛かると側で見守っている少年の手にも自然と力が込められる。
「行けっ……。行けっ、行けっ……!」
「………………っっ!!」
拳を握ったまま熱が入る少年の眼前、それはもう3回転くらいしたんじゃないかと玉子焼きが宙に舞い、綺麗にフライパンへ着地を決める。
少年は、戦慄した。
────恐らく、新たな技術の開拓だろう。飽く無い新しい技の開発の探求に少年は感心していると、少女特有の陶磁器めいた白い耳が何故か真っ赤に染まっていた。
「りゅ、……リュウさん。その、テーブルで待っていてくれませんか…………。直ぐにお出ししますので……」
「わりぃ、邪魔しちゃったよな」
「料理以外だったら……、その……今のは、いつでも、だいじょうぶです……」
消え入るようささやかな少女の呟き。その言葉にリュウは胸を押さえる。
……今のは、意味の真意を捉えるならば『2度と集中の乱れるような事はすんじゃねぇタコ』みたいな感じだろう。最近感情表現の豊かさが増した少女なら、そろそろ言葉の裏というものを使うようにはなる。
少女のそんな成長を嬉しくも悲しくも感じながら少年はテーブルへと着いた。
「ふっ、嫌われちまったか……」
娘が反抗期になった父親はこんな気持ちになるのだろうか。
こっちは少女と思っていても、男が気付かない間に女性という存在は成長していく物だ。リュウは幼い頃からガンダムでそれを沢山見てきた。
いつか、嫌悪感が勝った少女がゴミを見るような目で見下してきたら、リュウには耐えられる自信が無い。
考えられる要因は、──恐らくあの晩の出来事だろう。
少女がリュウの唇を奪ったアレは、考えるに親愛感情の勘違いだ。肩を並べる相手に抱いた愛情を恋愛感情とない混ぜにしてしまう事は小さい頃なら良くある現象だ。その区別が恐らく整理出来ていないのだ。
だからこそ事態を遡って理解したならば、恥ずかしさの余り相手に嫌悪感情を抱いた人間は友好度をリセットして相手に辛く当たってしまう。大方こんなところだろう、リュウにも経験がある。
「お待たせしました。遅くなってすみません」
「うわ美味しそう! 形も香りも完璧じゃねぇか! こんな料理がこれから食べられると思うと幸せだぜ!!」
「………………っっ!!」
今度は露骨に目を背けられた。
間違いない。
最早、疑いようが無かった。
ココココ、ココトン、と。何故か小刻みにリズムを打つように玉子焼きの小皿が置かれ、2人は静かに両手を合わせた。
意気消沈した少年と、顔が桜色に染まった少女。
「いただきます……………………」
「いっ、いただきますっ……」