「ぐごぉ~…………すぴ~………………ぐごぉ~」
少女が一通り後片付けを終えると、少年のいびきがリビングから聞こえ始めた。
ソファに倒れて片手片足をだらりと床へと放り出した彼の姿を見て、胸がほんのりと熱を持つ。徹夜明けの少年を起こさないように、崩れた服を正すとにへら顔のまま寝返りを打つ。
そんな彼の笑顔を見て、僅かに開いたソファのスペースに少女は腰を落ち着かせた。
「リュウさんはずるいです。自分の事をあれだけ悪く言われるのに、この町の皆さんはリュウさんの事が大好きじゃないですか」
彼の事を悪く言う人は1人も居なかった。
模型店の子供達に店長、夢の中で出会った男性でさえ誰もがリュウの事を認めていて、それが少女にとって酷く嬉かった。
────例え原作で悪さをした機体でも、ガンプラバトルなら誰かを救うヒーローになれる。
あの男性が刻んだ言葉をずっと守って、幼い頃からヒーローを演じてきたこの少年の生き様を誇らしく思うと同時、ナナの胸には1つだけぽっかりと空いた穴があった。
少年に付いていきたい。だからこそ浮き彫りになるその陰り。
────ピンポーン。
突如鳴らされたチャイムに、少女は少年の母親から教わった『タチバナ家。家訓』を瞬時に思い出す。
そそくさとリビング内のインターホンへと、未だ眠った少年に気を使って忍び足で駆けて、お腹一杯に息を吸い込んだ。
……タチバナ家。家訓その八。家を訪ねてきた人には丁寧に挨拶を!
「はいっ! タチバナです!」
『…………?』
顔の見えない相手から
教えられた手筈を完璧にこなした少女は満足げな笑みを浮かべた。
『タチバナさんに妹は居ないわよね……』
『あ、自分合鍵持ってるので開けますよ。お母さんから許可は貰っています』
ガチャガチャガチャ!
玄関から聞こえてきた物騒な物音に少女の意識は臨戦態勢へと切り替わる。
──リュウさんは寝ている。お母様とお父様には今すぐ助けは乞えない。
タチバナ家。家訓その十九。何かあったら他の家族に連絡を!
聞かされたときはどんな料理の指南書よりも正しいと断ずる事が出来た家訓に早くも綻びが生じてしまった。
少女が思考を回している間にも同じように鍵を開ける音が聞こえて、一か八かで少女は玄関へと駆け出す。
「ど、どなたさまですかっ! リュウさんのお母様からは、先に名乗りを上げない人間は家に上げるなと言われていますっ!」
少女の迫真の声に音は止み、急激な悪寒が玄関越しに突き抜けた。
この潜在的恐怖を、少女は以前に知っている。
『そうね、確かに名乗っていなかったわ』
深くなる笑みの気配に、少女は本能的に後ろへと後ずさる。
一拍置いた言葉は、インターホン越しでは聞き取れなかった相手の声音をクリアに少女へと届けた。
『────初めましてナナさん。
声に身体が震えた。
恐らくはLinkの弊害だろう、Linkをした少年が恐怖を覚えていた人物を少女もまた理屈ではなく本能で警戒をしてしまう。
『──────トウドウ・サキ、と申します。今日はリュウさんに用事があって伺いに来ました』
※※※※※※
ぴちゃぴちゃと、何かが滴って落ちる音にリュウ・タチバナの意識は覚醒する。
徹夜明けに胃袋へ美味しい料理を収めたせいか泥のように眠り、閉じた瞼をすぐに開けることは出来なかった。もしかしたら今も夢の中なのかもしれないと袖を引っ張り続ける眠気に委ねて思考が遠ざかっていく。
『いやそれは流石に酷いんじゃねぇか?』
『心配させた方が悪いもん! それより見て見て、久し振りに見たけど間抜けな顔だよね!』
ばちゃり。
夢の中で会話する愛しい幼馴染み達に寝顔のまま微笑む最中、顔に何かが覆い被さる感覚に少年は疑問符のイビキで答える。
「ずごごごごぉ~? 。…………ぶぴ~…………」
『なんだ、息出来るじゃん。じゃあ次は鼻と口だね。ナナちゃんは鼻押さえて』
『は、はいっ』
この場にいる筈の無い声にやはり少年は夢だと判断した。
……微睡む夢のなか、そういえば学園都市を出る際に誰にも伝えていなかったなと思い出すが、そもそもリュウは萌煌学園3年生だ、学園の授業への参加強制が働かない以上、それは誰にも咎められることは無い。また、参加する意思もリュウには
夢にも関わらず存外に考えが回るものだなと感心すると、その回転が突如逆回転を命じられた歯車のように止まってエラーを起こす。思考を回したいのに回せない。回すための何かが足りない。
それは酸素だった。
必要な要素に気付いて口と鼻を総動員するも入ってくるのは何故か水分。その瞬間に少年は命の危険をまじまじと感じた。
あれ、これ死ぬんじゃね。
「ぶっっっっっっっっっっっはああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああッッ!!?」
「あ、生き返った」
「死んでたの!? 俺今死んでたの!? 生き返ったってなに!!?」
勢い良く上体を起こすと、リュウにはこれこそが夢だと思えるような光景が目の前に映っていた。
「リュウ君の、…………ばかっ!!」
「コトハ? お前、なんでここに……」
「リュウの事が心配になって色んなとこ探したんだぞ。……何も言わず出て行って、まったく」
「エイ、ジ……」
リビングには幼馴染みが2人立っていた。
1人は頬をリスのように膨らませながら、もう1人は……互いに目を合わせると同じタイミングで直ぐに逸らす。
……コトハとエイジ。
学園都市に居る筈の彼らに少年は事実を呑み込めないでいた。
困惑に目を見開く傍ら、玄関に続く廊下から現れた人物に心臓を掴まれたように身が凍る。
「貴方が学園のデバイスを持って出掛けていたのが幸運だったわね。GPSで探させて貰ったわ」
「トウドウ……、サキ…………っ!」
「あら、もう皆の前でトウドウ先生って言わないのね」
丈の短いタイトスカートとスーツを纏った彼女は整った顔と、蛇のよう鋭い視線を少年へ這わせる。
「へェ……? 憑き物は取れたのかしら?」
一瞬横目でナナを捉えて、少女は肩を大きく震わせた。
どのような経緯で知ったかは不明だが、どうやらこちらの事情は察しているらしい。
「ちょっとリュウ君……! トウドウ
「いいのよコトハさん。私と彼の間柄なら呼び捨てで構わないわ。────
「…………ッッ!」
舌で唇を湿らせて、彼女のその振る舞いは捕食者のそれだ。
トウドウが話した内容に、他の皆が小首を傾げたり疑問を浮かべたりするも追求はされない。突然来訪した
「今日は、何の用でしょうか。アンタだって暇じゃないでしょうに」
「そりゃ暇じゃないわよ。でもね? 貴方を想う人達にど~してもって頼まれて、仕方無しにきたのよ」
「頼まれて……? 一体何を」
「────夏休み明けから始まる特進クラスへの編入試験の参加をしてもらうのと、そして貴方を私が稽古するのよ」
「──────??」
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「特進、クラス? 稽古?」
内容を理解していない少年の物言いに、コトハとエイジ、そしてトウドウまでもが姿勢を一斉に崩した。