「むむむ……遂にこの時が来たか」
開かれた冷蔵庫の前で顎に手を添えるリュウは、いつになく真剣な表情で口を開く。
食材が、無い。
程なくして冷蔵庫から『ピー』と警告音が鳴り、洗濯物を取り込んでいた銀髪の少女がひょこっと顔を覗かせた。
「どうしました? リュウさん」
「俺たち餓死するかも知れない」
「がし……、がしとは何ですかリュウさん」
「食い物が無くなってそのまま空腹で死んじまうかもしれねぇ」
「リュウさん。その時はわたしを食べてください」
「嬉しいぜ。嬉しいけど気持ちだけ貰っとくぜ……」
目の前の少女を食べるという選択肢は皆無だが、その優しさに触れて心が暖まった。
しかし心が満たされても腹が満たされなければ意味がなく、満たす為の食材を買うだけの今後の資金がリュウには無い。幸いあと数日保たせる量の食材はあるのだが、この先生活していく上で蓄えは備えておきたいのが本音だ。
「すみません、私がもっと冷蔵庫内の貯蓄に気を付けるべきでした」
「いやいやいや、いつも美味しいもの食べさせてもらってるし、あんな豪華なもの振る舞ってくれた手前文句なんて言えっこねぇ。あとナナの料理好きだしな」
「すみませんリュウさん、後半が聞き取れませんでした」
「え? ……俺がナナの料理が好きってところか?」
「ふふふっ」
何故かもじもじしだす少女を尻目にリュウは部屋のカレンダーを確認する。毎日同じような事をしていると曜日感覚や時間に疎くなるものだと痛感しながら見ていると。
「今日は7月の24日金曜日、午後5時23分43秒です」
「へ? あ、ありがとう」
超速理解したナナが隣から正解を言い放つ。Nitoro:Nanoparticleであるナナはあらゆる認識能力が普通の人間とはかけ離れており、物事の計算や知識の覚えも凄まじい。
そこでリュウは思い付いた。
かけなしの資金を使い食材を手に入れる方法、外法にも近いチートを。
「ナナ」
「はい、リュウさん」
「スーパーに行くぞ」
…………………………………………。
「着いた。人もまだそんなに居ないみたいだし丁度良かったな」
萌煌学園から程近いスーパー【イワハシ】は立地の関係か学園生徒から付近の住民に幅広く支持されておりその大きな要因が値引き金額だ。
半額から驚くような安さまで値段を下げるそのスタイルは平穏な店内を戦争末期の泥沼な戦場を彷彿とさせる景色へと一新させ、今はその準備段階といった状態だった。
「あのリュウさん、ここで何を」
「ナナ。この入り口から店内を見渡して値引きシールが貼られている商品の種類と値段は分かるか?」
「10時方向ネギ50円ジャガイモ49円トマト180円……」
「上出来だ」
そう呟くとリュウは視線をナナへと向ける。自身が感じている葛藤と罪悪感から押しつぶされそうになりながら口を開こうと、しかし後悔が言葉を発する事を許さない。
そんな少年の手に小さな手が添えられた。
「リュウさん。私はリュウさんのお力になれるならどんな事でもやります」
その言葉に救われた。
緊張が解け、先ほどまで感じていた強張りが嘘のように軽い。
「ナナ……」
「はい……」
「お前の視力と認識能力でこの店内に存在する値引きシール付きの商品を全て俺に教えてくれッッ!!」
……………………。
「じゃあ、手を合わせて」
「はい」
「「いただきます」」
目の前にぐつぐつと煮えるキムチ鍋。先程までの苦労がそのまま食欲へと変換され、口の中に溜まる唾液をリュウは飲み込む。
スーパー『イワハシ』での作戦は見事成功しリュウとナナは寮へと帰宅していた。その後白銀の少女が料理を手際良く作り、こうして今食欲が最大限掻き立てられている状態にリュウは少女へと微笑みかける。
「ありがとなナナ! お前がいなきゃあんなに沢山特売品を買えなかったぜ!」
「リュウさんが喜んでくれるなら私はそれで良いです。リュウさんのお母様が教えてくれた料理を試す機会にもなりますので」
「母さんがこの鍋を教えたのか、どれどれ」
地獄を連想させるような紅の池に菜箸を突っ込み、適当な具材を取り皿へと盛り付ける。
皿から空気へ辛味が飛んで、目から涙が出そうになりながらもリュウはひたひたのキャベツを口に含んだ。
「……! これ、!」
印象とは裏腹、辛味と同じ程の旨味にリュウは白米をかきこむ。
今日の疲れが取れていくのをリアルタイムで実感しながら一心不乱に茶碗へ盛られた白米を完食。自身の食欲に驚いているとリュウは対面に座る少女の視線がこちらへと向いている事に気付いた。
「どうしたナナ、俺の顔に米粒でも付いてたか?」
「いえ」
「……?ナナは食べないのか? ナナの作った鍋めちゃくちゃ美味しいぞ!」
「私は……、今だけ食べません」
少女はそう言いながら、背筋を正し箸を携えたまま、時が止まったかのように笑顔でリュウを見ていた。
「私の作った料理を、1番食べて欲しい人が食べている姿を見たいからです」
「そ、そうか……?でも俺は一緒に食べる方が個人的には嬉しいな〜」
「それなら」
そういうと少女は手近な鶏肉を掴んで、リュウのようにパクりと口へ運ぶ。すると見る見るうちに顔が赤くなっていき、心なしかうっすらと目に涙が浮かんでいるようにも見えた。
「ナナ、もしかしてお前、辛いの苦手なのか……?」
「ひはへははりはへん」
「はは」
苦手じゃありませんと言ったのだろうとリュウは解釈。コップに水を入れて少女へ渡すと両手でゴクゴクと飲んで中身を空にした。
「分量、時間共に最適だった筈。しかしこの辛さは私の許容量を遥かに超えていました。どこかで私は過ちをしてしまったのでしょうか」
「大丈夫、うちの味付けが辛めなだけだから」
「舌に違和感があります」
「ビリビリしてるんだな、ちょっと待ってろ」
気を掛けて正解だった。予め用意していた豆乳を一回し鍋へと入れてかき混ぜる。
笑顔で鍋へと顎を指すと、少女は示されたままに鍋の汁を皿へと移して口を付けた。
「……!」
年相応の表情で食事をする少女。今までナナのこんな姿を見る事は無かったなと、過去の記憶を通じてふと考えてしまった。
「どうしましたリュウさん?」
「いや、やっぱ喜んでる時の顔が似合うなって」
「……!」
「あれ、やっぱまだ辛かったか?」
「辛いです。辛さのせいです」
俯いて顔を赤くする少女を心配しながら夏の夜が過ぎていく。
外から香る透き通った空気を2人は感じながら、夜空には静かに佇む月が見守っていた。