練習用バトルフィールド【プラクティス】、モノクロのカラーを基調とした空間に鮮烈な紅の軌跡が走る。
トランザムではない、しかし速度はそれに迫る程の機体はフィールド内を縦横無尽に駆け抜けて、やがて挙動に回転を加えた。不格好な回転だ。慣性に引き摺られるように2度3度と姿勢制御を行いふらつきながらも再加速、疑似太陽炉から成る深紅の粒子を尾のように引きながら機体は【プラクティス】を駆けた。
何処までも続くかのような単調の世界に電子音が短く鳴り、地表に2つのエフェクトと共に機体が現れる。
レギュレーション400、ジム・カスタムが2機電脳空間に出現し90mmマシンガンを空の機体へと構えた。空白なく重圧な発射音が響き標的の敵機へと放たれた弾丸は、軌道にばらつきがあるものの殆どが直撃するコースで宙の敵機を捉える──が。
「GNフィールド、問題なしと」
半身をジム・カスタムへと向ける形で背部大型バインダーを展開、ディフェンスモードに切り替えられ機体前面に粒子の力場が発生し弾丸は届くことなく空中で淡く熔ける。
上出来の出力だ、と。リュウは笑みをそのままに武装スロットを替え、腰後部に2基追加されたビームキャノンを前方へと可動させ地面へと発射。蒼白の機体色とは真逆の印象を受ける真紅の粒子が地面へと鋭く刺さり軌道上のジム・カスタムが腹部に大きく孔を開け、爆散。
「ッし!!」
想像以上の威力に、深夜も更けた朝方にも関わらず歓喜の声が漏れる。そのままロックオンカーソルをもう1機のジム・カスタムへと変更、接近戦を仕掛けようと腰部ビームサーベルを抜き───地表へと急降下。
着地と振り下ろしを被せジム・カスタムの右腕を斬り飛ばす、しかし回避行動を取ったジム・カスタムがビームサーベルを構え、着地の衝撃で屈んだままの機体目掛け桃色の刃を突き立てた。
「5番スロット、GNシュートダガー!」
機体が屈んだまま操縦棍を操作し予めインプットされた動作を機体が行う、爪先に備わったグリーンの刃へ粒子が供給されそのまま足払いの挙動でジム・カスタムの両脚を真横に両断し──。
「──はぁぁあああッ!」
動作をキャンセルしマニュアル操作へ。操縦棍を下から上へと動かし、機体が地面から跳び跳ねた。大きくサマーソルトが描かれ、その軌跡上に浮いていたジム・カスタムが今度は縦に真っ二つとなり、爆発。衝撃を浴びながら空中へと後退し、モニター正面にミッションクリアを知らせる画面が表示された。
「5分、5分越えたか。マジかよ」
トータルスコアA、モニターを一瞥し眉を寄せる。以前の挑戦ではトータルスコアAAを記録したのだが今回はその1つ下のスコア。その時乗った機体はアイズガンダムだったのだが、この機体。やはり未だ機体の癖を掴めていないのか姿勢制御がおぼつかず、それが起因のタイムロスによる作戦時間増加でスコアが下がってしまった。
久しく手掛けた新作のガンプラ。アイズガンダムに足りない武装やリュウ自身が必要と感じた武装、更にナナとのLinkを想定したリュウでは扱いきれない武装を試験的に備えた実験機の意味合いが強いガンプラ。使い心地は素体にアイズガンダムを使っているお陰か機体の動かしやすさは満足のいく物だったが、推力向上とシルエットの変化による空力的な影響により高速移動時はかなりのじゃじゃ馬に成り果てることに嬉しさ半分今後の苦労が半分といった心境か。
「とりあえずコイツに慣れることから初めねぇとな。……ん?」
ミッション報酬を受け取りロビーへ戻ろうかと転移しようと思った矢先、目の前の空間にコールランプが表示され点滅を繰り返す。相手はエイジ、バトルの誘いだったら断ろうかと欠伸を噛み殺しながらアイコンをタップした。
「なんだエイジ、言っとくけどバトルだったらパスだぞ。夜通し新作の調整でもう限界だ」
「リュウ、もしかして今日が何の日か忘れたのか。2人でどう切り抜けようか相談しようと思ったんだが」
真に迫る声に眠気の靄が晴れ咄嗟にスケジュールを思い返す。しかし今日は新発売のガンプラもイベントも何も無かったハズだ、だからこそこうして深夜から朝にかけて新作の調整を行い、昼間にナナのガンプラ製作を手伝うというスケジュールを組んだのだが。
「何か思い違いしてないか?これといって心当たりが無いぞ」
「おまっ、馬鹿野郎ッ!もしかしてじゃあリュウお前、これから寝るつもりか!?」
「おう。朝から夜はナナが起きてるからな、間を見付けて少しでも出来ることをやらねぇと。これからナナが起きる8時過ぎまでちょっと寝る感じ」
そう言い終わるとアイコンの向こうから溜め息とともに髪を掻く音が漏れる。そもそも2人で何を切り抜けるというのか、そこが疑問だ。学園関係の行事も全て参加せず、秋に迫るプロ選抜試験に向けて自由時間が設けられているリュウを縛る物などどこにもないはずだ。強いて言うならユナの動画撮影に助っ人として駆り出されることが割と多くあったりするのだが、それも片手間で終わる用事だ。本気で心当たりが見えない用件に妙な焦りが胸で燻り始めたところでアイコンから声が続いた。
「多分初めに餌食となるのはお前だな、リュウ」
「だから何のことだよ、勿体ぶらずに教えろよ」
「本当に心当たりが無いのか……。じゃあ良いか、言うぞ」
心なしかエイジの声は震えている様だった。何かに怯えているような、恐れているような、負のイメージを受ける物言いに聞いていたこちらまで不安になってしまいそうだ。
お互いに喉が鳴りアイコンからの声に耳を澄ませる、右上の時間が秒刻みで経過していく中エイジの声を待つ体感の時間はそれ以上に長く感じた。そして。
「───コトハが帰ってくる」
「は、え。はああぁぁぁぁぁああああああああああッ!?」
電脳世界に絶叫が木霊する。非現実にもかかわらず血の気が引いていくような錯覚に陥り心臓の鼓動が跳ね上がった。
「確認の連絡をしなかったオレにも責任がある。いいか、ともかく今日アイツには捕まるな、特にリュウお前はナナちゃんの事もあるから、なんて言われるか分かったもんじゃないぞ」
「いや待てよ!アイツが帰ってくるのってまだ先だったハズだろ!?少なくとも予定では来週だった、いくらなんでも早すぎねぇか!?」
「大会が想定以上の試合時間で終わったらしい、だから恐らくもう日本に向かっている。……学園都市入りするのは8時辺りか。それまでお互い悟られるなよ!逃げろッ!」
「分かった、俺は今から荷物を纏めて適当な奴のところに転がり込む。と言ってもまだ2時間ほど余裕があるからな、準備をするには充分な時間だ、じゃあエイジ。お互い見付からないように」
相槌と共に通信が切られる。
予想外のアクシデントだ、完全に失念していた。
アイツのスケジュールを把握していなかった自身への憤りと迫る時間に急かされるよう何も無い空間に手をかざす、するとメニューバーが浮かび上がり即座に最右のログアウトアイコンを連打。電脳世界から現実世界へと意識が切り替わる。時間で言えば数秒か、白い大小の光が身体を包み視界がやがて覆われる。
白からトーンが黒へと馴染むようにゆっくりと視界が瞼の裏へと変わり、肉体の感覚もより鮮明に感じ取れた。
電脳世界から現実世界への切り替わりは初回が初回だっただけに初めは嫌悪感を伴う行為だったが、今ではこれといった精神的弊害もなく意識のスイッチに慣れたことに自分自身感動し瞼を開く。
まずは持ち出す荷物の確認だろう、数日ここを空けるとしたら必要なのは衣類とガンプラ、それに財布とスマホか。懸念すべきはナナをどうするかだが、その理由を考えている時間の猶予は無い。上体を起こそうと徹夜明けの身体に鞭打ち腹筋に力を入れた。
「───んっ」
右腕が、動かない。
変わりに聞こえたのは場違いな嬌声だ。電脳世界からの転移で鈍った感覚を気合で補い、異変がある右腕の感覚に意識を最大限向ける。
「───ぁ」
右腕を、動かせない。
何故か袖を捲られて、晒された右腕にしがみつくように裸体の少女が右腕を抱き締めていた。立ち上がろうと上体に力を込めると未だ夢の中の少女が悩ましげな声をあげる。なんだこれは。
ここ最近、というか毎日か。ナナとの同棲生活が始まった初日からこの少女は設けた寝床から離れベッドで寝ているリュウの元へと転がり込むのだ。それだけなら母性や父性を求める少女の欲求ということで強引に片付けられるのだが何故かこの少女、服はおろか下着の類いも着けていない状態である。
再三の注意も悲しく潜り込んでくるこの状況に、そろそろあの女博士へ問いただそうとしていたのだが、今はマズイ。時間が無い。
「あの、ナナさん。申し訳ありませんがその、起きてもらえませんか」
「───ん~」
更に腕へとかかる力が強くなった。
少女趣味を持ち合わせなかったことにリュウは安堵の溜め息を吐き、それでも好転しないこの状況をどうしたものかと隣の少女を眺めながら暫く考える。
安らかな寝顔だ。微笑さえ浮かべて寝息を立てている少女に思わず頬がほころぶ。アウターでの実験で目にした少女の凄惨な状態は思い返しただけで胸が痛くなる情景で、それを考えるとこうして倫理観が問われる少女の行動も、過去少女が体験してきたであろう酷い事を考えると多少は目を瞑ろうと考えてしまい、そんな少女に対して強く言えないのが本音だ。
「ったくどうすんだよこれ、こんな光景アイツに見られたら間違いなく俺は死ぬぞ。現実的に社会的に」
天井に向かって愚痴を吐くも何も返ってはこない。
仕方ないナナが起きるまで待つか、と右腕からくる感触を意識的に遮断しこれからすべき行動を脳内で練り直す。
───階段を上がる音。荒々しく踏み上がる音に身体が反射的に反応した。
牛乳配達にしては遅い時間だ、ならば学園からの配達かと頭の片隅で考え、削がれた意識を再び思考へと向けた。
隣の少女が今の足音に睡眠を妨害されたのか苛立ちの吐息とともに顔を上腕へと埋めてくる、ぐりぐりと寄せられる顔の感触に若干の痛みを覚えながらも淡く綺麗な髪が乱れ、少女が起きないようそっと髪を人差し指で整えた。
触った感触としては上質な絹に近いか、絡むことなく指先を伝う髪に感動を覚え、もう一度髪を触る。すると心地よさそうな声をあげながら少女が身を委ねた。雲が触れるならこんな感触かと思い更けながら頭を撫で存分に堪能し、指先で髪を弄る。
「リュっウく~んっ!たっだいまぁ~!プロリーグから帰って来たコトハちゃんだよぉ~!」
玄関の扉は悪魔の声と共に開かれた。
旧い曲にある地獄の扉があるとすればまさしくこの状況こそが地獄そのものだろう。
何処から入手したのか合鍵を片手に、足元には大量の荷物を置いてそれは満面の笑みを浮かべていた。
「あっ」
少女の頭を撫でる動作のまま硬直した身体は顔だけ玄関の方へと向けられ、声の主と目が合う。やがてその目は潤みを帯びた。
彼女から見れば寝ている裸体の少女を弄っているリュウの姿が映っている訳であり。
「りゅ……」
少女を撫でているリュウの表情は満更でもない顔でもあり。
「りゅ……りゅ……!」
更に言えば突然の声に睡眠を妨げられた少女が寝惚けながら、しがみつく対象を腕ではなく上体へと定めた訳でもあり。
「リュウくんの……ッ!」
「いやコトハ!違う!ほんっとに違うから!誤解だからッ!」
つまり彼女がもう片手にしていたプロリーグのトロフィーがリュウの顔面へと投げられ突き刺さることも仕方ない訳で。
───萌煌学園3年生、現在プロとして絶賛活躍中のコトハ・スズネ。その雄叫びにも近い叫びに早朝の寮が落雷の如く震えた。
「リュウくんの……馬鹿あああぁぁぁぁぁぁあああああああああああああッッッッ!!」
「デンドロビウムッッ!?」