冷蔵庫の余り物でサンドウィッチを3人分作り、食後の珈琲の香りが部屋を漂う。徹夜明けで散漫になりかけた意識が徐々に覚醒してきたあたりで、膝にナナを座らせたコトハが意気揚々とこちらに告げた。
「リュウくん。今日一緒に学園いこ」
「え、なんで俺とお前で行くんだよ。嫌だよ」
「返しが思ったより辛辣!?なんでさー!」
ぎゅっとナナを抱き締めながら涙目で非難される。
正直なところ勘弁願いたいのはリュウの本心であり数秒の沈黙の後、1歩も引かない姿勢のコトハへ溜め息を1つ。胸の内の染みを隠しながら旧知の相手に心情を告げた。
「徹夜明けでしんどいし俺が何しに行くんだよ」
「いいじゃーん、徹夜明けの軽い運動にもなるし、どうせリュウくんの事だから選択科目取ってないんでしょ?クラスの皆に会う良い機会じゃん!ね!」
テーブル越しに顔がどんどん近付き、気が付けば気圧され背中にはベッド。胸中の意志が揺らぎ、仕方ないと返事を返そうと口を開いた直後、コトハの腕と胸に圧迫されたナナの若干嫌そうな顔に喉から出かけた言葉が寸止めされた。
「……それにナナが居るし、ここで留守番させとくのも少し不安だ」
思えばリュウが1人で外出しナナが留守番をするというシチュエーションを今まで遭遇したことが無かった。日中出掛けるときもナナが四六時中隣に付いてきており、それが日常になっていた中ナナを家に置いて外出する経験がリュウには無い。
コトハがその言葉に口を尖らせながらもゆっくりと顔が遠退いていく様はどこか面白く、行き場の無い不満をナナの髪の毛に顔を埋める事で解消を図っている。
そんな背後からの呻き声を気にかける様子もなくナナがいつもの様に表情が一定のまま声をあげた。
「リュウさん。私は今日博士に会わなければいけないです」
「……マジ?」
「マジ、です」
同棲で口調が移ったナナの言葉に思わず聞き返した。
突然の学園へ用事発生に、外へ出ない為の建前が崩れ去り、コトハの顔に明るさが戻っていく。このままでは学園に行かなければならない、そしてよりにもよって学園で今最も話題の人であるコトハと学園へ行かなければならない。
悪寒にも似た形容できない何かが肌をなぞり、産毛が逆立つ。仕舞っていた記憶が疼く。脈が上がっていくのをどこか他人気に感じながらも体温が下がっていく感覚だけは鮮明に感じた。
「じゃあ丁度良いじゃんリュウくん!ナナちゃんと一緒に学園いこ!」
だがこれはコトハにだけは悟られてはいけない、勘付かれてはいけない。幸い今の時間から学園に行けば生徒も教員も少なく一緒に居るところを大勢の生徒に見られる事も多少は抑えられるだろう。
手の震えが言葉に影響しないか祈りつつ、さも普段の日常会話のように明後日の方向を見ながら短く返事を呟いた。
「分かった。なら早速行くか」
「うん!いこいこ!」
小動物のように身体を揺らして笑顔が弾ける幼馴染みを見て不安が多少和らぐ。
実のところクラスメイト達のガンプラや現在の学園都市や学園の状況にも興味はあり、顔馴染みの同期達にも会いたいというのも事実だ。
だが、教員と。
───2号棟と教員だけは。
「リュウさん。私は校門から1人で博士の元へ向かいますので」
「ッ……。分かった、気を付けてな。変な人に話し掛けられても付いていっちゃダメだぞ」
「というかナナちゃんも萌煌学園の関係者なの!?お姉さんナナちゃんに興味津々だよっ!」
久し振りの登校。決して嫌な訳ではない。むしろ萌煌学園は大好きで一緒にバカをやった生徒達や、強い奴らとガンプラバトルをしたい気持ちは常に胸の中にあった。
ただ1つ、それらを押し退けてリュウが学園へ行きたくない要因はただ1つ。思い出したくもない人物が頭を一瞬よぎり、振り払うように軽く頭を振るった。
「言っとくけどあまりファンに構ってたら置いてくからな」
「分かった分かった分かったよ~。えへへ~」
リュウとは対称的にコトハの顔が和らぎ、満足げな笑みを浮かべた。
上機嫌な鼻唄を口ずさみながらの笑顔が視界に映り、影響されたのか胸に到来する苦い記憶も薄れていく錯覚を覚える。
──だが、それでも。
記憶の人物が消えることは無く、歪な笑みが脳裏に張り付いたままだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
駅から続く一本の登り坂。左右を森林に挟まれた道を徒歩で10分ほど進むと、目に入るのは大きく構えた校門だ。
今までの自然味溢れる一本道から一転、輝かしい白を基調とした建物の造りは俗世から離れた施設であることを物語っていた。まず驚愕すべきは施設の大きさだろう。広大な施設には初等部、中等部、高等部全ての教育施設が備わっており、それに伴い敷地の広さは旧東京ドーム3つ分と国内の施設と比べてもかなりの大きさだ。その広さゆえ車道として開かれた校門を学園専用の無人バスが通っており、生徒の大半は自分達の目的地へバスを使って移動することが多い。
萌煌ガンプラ専用学園。日本で最大の面積と実績を誇る学園は朝露に覆われ、人の姿はまばらだ。
「スーハー、スーハー。空気がおいっしいー!」
「周りが山だからな、マイナスイオン駄々漏れの漏れ漏れだ」
「……漏れ漏れ」
「あぁっ!リュウくん!ナナちゃんに変な言葉教えないで!」
すっかりナナを気に入ったコトハが俺から引き剥がすようにナナを手元へ寄せる。
仲が良いのは何よりなのだが、コトハに抱き付かれているナナの顔が相変わらず少し不満げなのが面白い。
「で、シンガポール帰りのコトハさんは今日はどういったスケジュールで?」
「うんとね。まずは教務室でちゃんとした報告して、その後に新聞部で校内雑誌の撮影があって、最後にテレビのインタビューだった気がする!」
「いやいやぁ、プロの選手は大変ですなぁ」
「もうっ茶化さないでよぅリュウくん!」
肩をバシバシと叩かれ過剰に反応を返す。オーバーに痛がるリュウの姿に、弄られたコトハが更に攻撃の手を強めた。
朝の学園に2人の声が響き、反響する笑い声以外に聞こえるものは鳥の囀りだけ。
そんな調子で校門を抜け、一番先に目に入った建物【3号棟】がリュウとコトハが主に活動する施設だ。
「リュウさん、私は博士に会いに行ってきます」
「それなんだけど、俺は行かなくて良いのか?一応ほら、お前のアレだろ」
コトハが居る手前“Link”だの“実験”等の単語が言えないため、謎のジェスチャーでナナに伝える。初めは首を傾げるナナだったが同棲生活の賜物か間を置いて小さな口が開いた。
「問題ありません。私一人の用事なので」
「そうか。まぁアレだ、チクッとされることがあるなら拒否しろよ!嫌なことは断れよ!」
「分かりました。……ならその時はリュウさん、私の手を握っていてください。」
「お、おうっ?任せろ!幾らでも握ってやるよ」
「……。───」
笑った、のだろうか。
リュウの返事を聞いて直ぐに翻したナナの口元は緩んだように見え、声を掛ける間もなく研究棟の方角へと赴く。
初めにナナと出会った頃と比べると感情表現が誇張無しに豊かになっているような気がし、嬉しさ半分、これまでの少女の境遇を推し量っての悲しさ半分といった感情が胸を刺した。
「ふぅーーん。ふぅーーーーーん」
ナナを見送る中、後ろから聞こえたのは黒い声。
振り返ると案の定口を尖らせたコトハが何故か距離を取ってリュウを睨み、
「えっち」
「何がッ!?」
「えっちえっちリュウくんのえっち!ふーんだ!良いもん良いもんっ!」
「てっめぇコトハの分際で調子乗りやがって!いい加減怒るぞこの野郎!今度ウチ来たときお菓子あげねぇからな!」
「あぁーっ!それはズルいよリュウくん!お菓子を引き合いに出すのは卑怯だよ!」
「───ったく、朝から仲が良い事で」
声が聞こえたのは3号棟の方。
取っ組みあいをしている最中リュウとコトハが首だけをその方向へ向けると、声の主が腕を組ながら、その聞き慣れた声の主が眼鏡を朝日に光らせる。
「おはよう、2人共」
「エイジくんだーっ!久し振りー!」
普段のシニカルな笑みも影を潜め、昔馴染み達だけに見せる笑みを浮かべながらエイジ・シヲリが玄関口に立っていた。