胸が熱い。指先が熱い。頭が熱い。
脈打つ鼓動が脳を打ち叩き、止まない耳鳴りに眩暈を覚える。
泣いていたかもしれない、叫んだかもしれない、喚いたかもしれない。ただそんなことすら遠い記憶のように感じ、リュウは気が付いたら廊下を足早に歩いていた。
負けた。
ニヴルヘイムとの戦いを経て腕を磨き、何回も負けて、それでも次こそはニヴルヘイムへ一矢報いると誓い機体も久しく改造した。
その結果がこれか。握る拳は固く、皮膚に食い込んだ爪に痛みを覚える事も自虐的な感傷の今だけは心地良い。
先の戦いを振り返ればトウドウの言った通りだ。春休み前と腕前は変わらず、小手先だけ狡くなっていく。行き当たりばったりのガンプラバトル、その成果の集大成がトウドウ・サキへの完敗だ。
今は敗因を分析する気すらせず、一刻も早く体育館から離れようとひたすらに廊下を歩く。横を抜ける生徒らの視線がリュウを捉え、皆口々に何かを言っていた、それすらも気にせず歩く、歩く。
自分が何処に向かっているのかも分からず長い廊下を足早にただ歩く。
「タチバナくんっ!」
曲がり角に差し掛かるところ、生徒達の喧騒より一回り大きな声がリュウを呼び止めた。
無視して曲がり角を曲がるか、それとも対応するか。そんな矮小な思考をしている内に声の主が息を切らしながらリュウの後ろへと小走りで辿り着く。
「はぁっ……! はぁっ、学園来てたんだね! 久し振り」
快活な声に振り返る。
身長はリュウよりも一段と低く、人懐っこい笑みを浮かべながら人物は立っていた。
「お、おう。久し振り」
「進級試験以来だよね! 元気だった? ていうかまた背が伸びた?」
「元気だぞ、あと身長は伸びてない。そっちはその……相変わらずそうだなカナタ」
ふんわりとした髪を揺らし、両手を後ろに組む姿は春休み前と何ら変わっていない。リュウの心情もお構いなしに距離を近付け微笑む姿は記憶のカナタそのもので、その変化の無い態度に心臓が一際大きく飛び跳ねた。
「も~、来てるなら言って欲しかったな! ……さっきのバトル見てたよ、タチバナくんが使ってたガンプラ、新作?」
「一応、負けちまったけど」
「タチバナくんが新作作るなんて久し振りだよね!? カッコ良かったよ、あれはアイズガンダムの改造機だよねっ完成おめでとう!」
両手を掴まれ強引にぶんぶんと握手を行うカナタ、一瞬感じた他人の体温を拒絶するよう思わず手を引こうと強ばったが、カナタの無垢な態度が射るようにリュウへ突き刺さりされるがまま両手が振られる。
やがて動きが止まり微笑みながら首を傾げるカナタ、ここで初めて自分が話を振られている事に気付き慌てて乾燥した唇をを舐めた。
「そ、その、あれだ。そっちは……2年生は順調か?」
「もちろん順調だよ! まだクラスの皆とは友達になれてないけど、良い人ばかりだよ! いや~早く仲良くなりたいな」
正直、話す話題を間違えたと心で悔いたが目の前の好青年。少年の面影を残すカナタは皮肉にも取れるリュウの発言に対して、気恥ずかしそうに後ろ頭を掻きながら正面から返し、その振る舞いを乾いた笑いで何とか返す。
───カナタはリュウを恨んでいない。
確信めいた直感に罪悪感がリュウの心を圧迫する。
今でも鮮明に覚えている自らが行った行為を思い出し吐き気が込み上げ、カナタから目を逸らし何とか飲み込んだ。胸中浮かび上がる謝罪したい気持ちとこのままシラを切ろうと画策する下卑た気持ち、考えた瞬間どれほど自分という存在が陳腐な人間なのか痛感し虚脱感にも似た感覚に溜め息が出てしまう。
「ご、ごめん。もしかしたら変な事言っちゃったかな」
端から見ればリュウがカナタに愛想を尽かしているようにも見て取れるやりとりさえも自身の責任だと思ってリュウを上目遣いに見てくる。
そんなカナタが真っ直ぐで、純粋で、健気で。懺悔を吐くように己のしたことを口にしようと息を小さく吸い込んだ。その時だった。
「そうだ! タチバナくんに言っておかなくちゃならないことがあったんだ、俺ね。今夜から研修の為に海外へ行かなくちゃ行けないんだ!」
「───な、えっ?」
「厳密にはもう直ぐにでも行かなくちゃなんだけどね、最後にタチバナくんのカッコいい機体見れて良かったよ! バトルは残念だったけどさ、本当にカッコ良かった。早くプロになっておいしいご飯奢ってね」
「いやちょっと待てよ! お前、い、今からもう行くのか?いつまで?」
「ん~と、あ! 秋の選抜試験直前だ、結構会えなくなっちゃうね……」
肩を落として落ち込むカナタに、思考を煽られ身体がじんわりと汗ばむ。
急だ、あまりにも急だ。
だとしたらこの場で謝罪を逃したら面と向かって謝る機会が秋まで遠退いてしまう。ならば言わなければと憔悴する考えを心の自分が後ろ髪を引くように留まらせ、下衆めいた言葉が胸に浮かび上がった。
『謝らなくても良い』
『謝って関係に亀裂が入るなら、謝らずに関係を維持した方が互いの為だろ』
久しく聞いた、もう1人の自分の言葉。
気付けばリュウを見詰めるカナタの瞳、そこに映る自分(リュウ)の姿は黒く靄がかかっており、歪に笑う口の形が特徴的だ。思えば最後にコイツが出てきたのはナナを救ったあの出来事が最後かと、どこか冷静な自分が分析しながらも激しく脈打つ胸の鼓動が対比するように熱く五月蝿い。
「アウターにログインあまり出来なかったなぁ、タチバナくん俺の分までログインしてね! それで感想聞かせてっ!」
謝れ。
「あ、あとタチバナくん明るいのは良いけどたまにはガス抜きした方がいいよ、絶対心にも良くないからね」
謝ってくれ、口よ開け。開いてくれ。
「ごめん、次に会えるのが遠いって思うと色んなこと言っちゃうや……、うんっ俺行くね! 元気でねタチバナくん!!」
「───か、カナタ。あのさ」
しんと静まるようにカナタが口をつぐむ。言わなければと声を発しようと空気が肺から喉へと供給されるが、カナタの笑顔と指を組み換える仕草に、発せられる声は音を伴わないまま息として口から出る。そして。
「あ、あっちでも……元気でな。何かあったら、連絡しろよな」
「……! うんっ、ありがと! 俺じゃあ行くねっ」
弾けたカナタの笑みに目を見開いて歯を噛み締める。
言えなかった。言えなかった。言えなかったの後悔と共にスローモーションで去っていくカナタ、手をカナタへと掛けようと手を伸ばすが肝心の言葉が胸から出てこない。
気が付けばカナタの姿は遥か遠く、手を伸ばしたまま固まったリュウに意識が戻ってきたのはしばらくした後だった。
伸ばした掌をわななきながら動かし拳を作る。謝罪を言葉に出来なかったな自分を再び自虐するように爪を食い込ませ、思いきり拳で足を叩いた。じんわりと熱くなる太股、その痛みの最中に顔をゆっくりと上げ、天井を仰ぐ。
「言えなかった……! 俺は、……俺はッ!」
つむった目の端から涙が滲み、道行く生徒達の視線に晒されながらその場を後にしたのは数分立ち尽くした後だった。