初めに感じたのは形容しがたい“嫌”、どろりと粘液質の黒色。
触れれば焼けるような痛みが走る負の感情はリュウさんを通してとめどなく流れ、感じる苦痛と苦悶に存在しない掌を握りしめ、その“嫌”をやり過ごす。
“どうしてトウドウ・サキが”、“前の実験はCPUだったのに”
“ゾンネゲルデへの対策”、“ログアウトが出来ない”
“恐怖”、“嫌悪感”、“危機感”、“逃げなきゃ”
それら膨大な量の情報が黒い大波となって私を飲み込んだ。私を中心に渦を巻き呼吸さえ出来ない錯覚に陥り無意識にありもしない手でもがいた、それでも排水口へ流れる水と同じで黒い感情は私の中に吸い込まれていき、それでも黒の波に終わりは見えない。
《嫌だけど、大丈夫……ですっ。リュウさんの為なら、私は……!》
握られた手の温もりを忘れた事は1度足りとも無い。
ただ生き続けることしか知らなかった私に、ただ哀しみしか知らなかった私に感情を、喜怒哀楽を教えてくれたリュウさんの為ならどんな事だって耐えられる。
一緒に出掛けたこと、ガンプラを組んだこと、料理を作ってくれたこと。それらを思い出すだけで胸に暖かなものが生まれ、目の前の痛みは大きく和らいだ気がした。
昨日の夜は嬉しかった。
私の力を求められたのは初めてで、ようやく自分の存在理由を証明出来ると思っただけで身体が火照り寝付くのに時間が掛かったほど。
力の代償をリュウさんに話すことは禁止されているけれど、リュウさんが勝利を望むなら私の力は大きく役立てるだろう。ストックも充分過ぎるほどだ。
《リュウさん、いつでも》
この時。
リュウさんの中で見えたものは多くのコトハ・スズネに関する記憶。リュウさん達と過ごしてきた彼女が視界一面に広がり、ちくりとした痛みが胸に刺さった。
痛みの原因は理解不能。これは……、痛みのパターンはリュウさんから流れてくる負の感情に似ている。これは何だろう。
思考する前にリュウさんが私を求めた。
胸の痛みは瞬時に消えて、代わりに芽生えたのは大きな歓び。
《リュウさん、ごめんなさい》
言葉の意味は飲み込んで、目の前の障害を排除するためにシステムを起動させる言葉を叫ぶ。
どんな敵だろうとも、どんなに大勢だろうとも、リュウさんは私が守るんだ。────たとえ、代わりの代償が取り返しのつかないものでも。
《『リンク・アウターズッッ!!』》
────私が、力になるんだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※
空から、地表から、左右から、後方から、あらゆる角度から粒子の爆発的な推力を以て先端に紫電を走らせたファングがHi-ガンダムへ猛然と襲い掛かる。ゾンネゲルデが搭載する“ディ=バインド・ファング”はリュウの見立てが正しければ電撃とデータウィルスを打ち込んで敵機を完全に沈黙させる武装だ。その特性上、ガンプラの制御を司るパーツである胴体と粒子で繋がっている部位に掠りさえすれば電撃を介してウィルスが侵入、そのまま機体がダウンするという凶悪極まりない仕様であり、ゾンネゲルデがレギュレーション800に位置する大半の理由が恐らくこの武装によるものだろう。
迫る蛇の軌道で計6基のファングが至近距離に到達する。
“Link”発動状態のリュウに出来る事は戦局を観測する事だけであり直撃すれば只では済まないと奥歯を噛み締めながら、少女と共有する“目”を恐怖に竦みながら尚も見開く。
《大丈夫ですよ、リュウさん》
声と同時。
GNタチを左腕ハードポイントから射出、空中に跳んだ柄を振り上げた左腕と共に掴み、流れる動作で正面のファングへと斬りかかる。装甲は見た印象同様強固だろう、GNタチは粒子を熱に変換し溶断する実体剣であり高速に移動する対象には効果が薄まる。ファングと刃の打ち合いは当然強度の高い方が勝つ為、切断力を熱に依存する要素が大きいGNタチは必然的に負けるのが道理だ。
そのGNタチを、あろうことかHi-ガンダムは上段から振り切った。
ファングが両断され包囲網に穴が開く、あわや全方位からの挟撃を一連の動作でのみ突破したナナが何をしたのか、気付いて愕然とした。
「い……、今の斬れんのかッ!?」
《あのファングは敵機に粒子を撃ち込む際、攻撃部が左右に開きます。その箇所は防御力が低いと判断しました》
さらりと言い退けるナナ。
だが現実問題簡単な話ではない、高速で迫るファングその攻撃部は僅かに展開された弱点とも言わない小さな隙間だ。文字通り針穴に糸を通す行為に加えて切断する対象は動いている、困難などという生易しい言葉では表現できない最早神業とも言える技術をHi-ガンダムを操作する少女は平然とやってのけた。
驚愕のまま包囲網を抜け、レーダーを視線で確認。
ファングで敵を動かした後に行う定石と言えば、逃げた箇所への先制射撃。直後“警告”。けたましく鳴り響く警告音が差し示す位置は頭上、ゾンネゲルデが2挺の“機関銃”を肩に構えており銃口が交互に閃いた。流線的な銃身から放たれた幾多の弾丸は細く密な射線を形成しHi-ガンダムの進路を先回りに捉える。穿たれた白のパネルが煌めきを伴って空を踊り、破片に反射したゾンネゲルデが射線に入ったHi-ガンダムを嗤うように映し出された。
《邪魔です》
武装スロットを選択する右腕、狂った機械を思わせる挙動で目まぐるしく操縦桿が弾かれ進路変更不能の機体が急停止に掛けられる。サイドスカートに備わる1対のスラスターと背部大型バインダー2基が前方に展開し急減速、火線に飛び込むまで僅かな時間が生じ、減速を掛けたと同時に粒子を巡らせたGNバスターライフルが振動。目の前に注がれる金属の豪雨へと射撃し地表から空へと凪ぎ払った。
幾百の弾丸が膨大な熱量によって淡く溶け、紅線がそのまま一閃する形で空のゾンネゲルデを捉える。
直撃。爆炎が華と咲くが撃墜による爆発ではない。2挺の“機関銃”を放棄したゾンネゲルデが片手を構えバスターライフルの照射を悠然と耐える。
“ナノラミネートアーマー”による粒子湾曲作用が機体へのダメージを激減させ逸らされた粒子が空に散る中、再び“警告音”がコクピットへ響いた。
レーダーを見れば背後から猛追する5つのファング。対してHi-ガンダムは腰後部GNスマートランチャーを展開。バスターライフルで照射を行いながら、後部に迫るファングへと機体を振り向くこと無く“激発”、真紅の光槍が2基のファングを貫いた。
『────っ』
スピーカーから微かに息を飲む気配を感じ、呼応するようファングの軌道がHi-ガンダムから逸れる。異変を感じたのかバスターライフルを引く指が離れその瞬間、操縦桿が大きく右へと引き倒された。
傾く世界の中モニタを見ればHi-ガンダムが先程まで居た位置に紫桃の光線があらゆる角度から狙撃されている、これは。
「射撃も出来んのかよ……! ナナ、絶対当たるなよ。多分動けなくなる!」
《────光線速度解析完了。了解しました》
高速戦闘中に無茶な物言いだと発して後悔したが、ナナは当然と言わんばかりに二つ返事を返す。
続いて放たれた光線をバク宙の要領で回避し、前屈みの姿勢で“急加速”。Hi-ガンダムの突然の突貫に怯むこと無くゾンネゲルデは両手をバックパックへと回し、半円となった二振りのバックパックをHi-ガンダムに構える。──初見のギミックだが、形状からして実体剣。左右から挟み込む形でHi-ガンダムへと風切り音が鳴る。Hi-ガンダムは背部大型バインダーを前面左右に展開し粒子を放出、GNフィールドで凌ごうと────刃が反転。ぞっと血の気が引いた感覚と一緒に半ば悲鳴にも似た叫びが発せられた。
「防ぐなッッ!!」
《了解》
ゾンネゲルデが手にした実体剣の正体はショーテルだ。ショーテルとは半円の湾曲を利用した近接兵装で、敵の盾を通り越して本体を攻撃出来るよう開発された中世における防御突破の魔剣。
攻撃する寸前まで欺瞞されたショーテルの攻撃を。
『────ッッ』
あろうことかHi-ガンダムは手にした装備を放って接近し、両手でゾンネゲルデ左右の腕を押さえる。そのまま脇にゾンネゲルデの両腕を挟み込み、捻りあげた。
ナナが行った強引な回避方法に戦闘が始まってから何度目になるか、唖然と口を開いた。
“関節技”で敵機を押さえ込むなど聞いたことがない。ゾンネゲルデの肘間接が軋みをあげ、一筋の火花が弾ける。耐えかねたのかゾンネゲルデが前蹴りでHi-ガンダムを押し退け、そこに。
「ナナッ、ファングだ!!」
《はいっ、ありがとうございます》
前蹴りで怯んだHi-ガンダムへファングが突き刺さる計算だったのか、上下の死角から放たれた刺突を、前蹴りを浴びた衝撃を利用し全速力で後退する。次の瞬間、噛み合わせる“顋”を思わせる動きでファング同士が衝突し、電光が両機の間で刹那に瞬いた。やがて静寂。
宙に揺らめく3基のファングがゾンネゲルデへと戻り、両機が見合う。仕掛けようと思えばどちらも仕掛けられる距離だろう、それを互いに行わない意図がリュウには読めないが。
《リュウさん報告があります。敵機──ゾンネゲルデの装甲強度と機体性能、搭乗者の操縦技術をHi-ガンダム各性能と比べ考慮した結果──その……、Hi-ガンダムでゾンネゲルデを撃破するのはとても難しいです》
「……っ、分かってる。そこはもうどうにもならない“ガンプラの作り込み”の部分だ」
善戦しているように見えた先の攻防だが、有利に見えた場面の全てはナナの操作技術に依るものだ。
Hi-ガンダムとゾンネゲルデを機体性能のみで比べた場合、パーツの作り込みやディテールの追加、塗装といった性能上昇それら全てにおいてゾンネゲルデが上回っている。尚且つ“エイハブリアクター”搭載機特有の驚異的な馬力は、先程のような不意打ちを除けば正面からの肉弾戦で敵う要素が存在しない。
武装も、両手に所持していたGNバスターライフルとGNタチを失った現状、ゾンネゲルデの装甲を貫徹するにはどれも一手間掛かる武装しかHi-ガンダムには搭載されていない。
『アナタ、誰かしら』
スピーカーが鳴る。
疑問の抑揚を含んだ声音でトウドウ・サキが続けた。
『操作しているのはタチバナさんじゃないってことは分かった。けれどHi-ガンダムは1人乗りの機体、そしてこのフィールドに入れるのは“リュウ・タチバナ”だけ。これはどういう絡繰りなのかしら、────アナタは、誰?』
「俺が操作しているって言ったら驚きますか」
『それだけは有り得ない。タチバナさんが行う軌道パターンとはかけ離れてるし、何より“癖”が無いわ。私が行った行動に対して最適解を繰り出すような、そうね。ある意味高レベルCPUと戦闘している気分かしら』
バレている、と唇を噛む。
戦闘している相手に対してそこまで正確な捉え方を出来るのは“最優の教員”の名は伊達ではないということか。恐らく、今の口振りからしてトウドウ・サキは本気の戦闘をしていなかったのだろう。そう思えてしまうほど口調や雰囲気が戦闘前と何ら変わっておらず、対峙する相手の底知れない技量に舌を巻いた。
それともう1つ────それだけは有り得ない。その言葉に、分かっていたけれどほんの少しだけ寂しさが胸を掠めて視線が下がる。
《戦略アルゴリズム変更。リュウさん、いつでもいけます》
沈鬱を少女の声が切り裂く。
意識を目の前に集中し、モニタを再確認。ナナの端麗な声が脳裏に響いた。
《“トランザム”を使用すれば撃破自体は可能だと判断しました。成功率は97%なので確実ではないです、いきますか?》
リュウの実力から見れば遥かに遠い場所に立っているトウドウ・サキ。
彼女の思想は拒絶するし否定もする、けれど。
ガンプラに対する姿勢はいつも真っ直ぐで、生徒達と楽しみながら組んでいた姿を知っていて、リュウにはその姿が嫌いでもあり眩しくもあった。
そんなトウドウ・サキをナナは、リュウが製作したガンプラで倒せると、そう言い退けた。
葛藤が胸に渦巻く。“Link”という不正を使って上のガンプラファイターを倒してしまう、その意味に対して。
《リュウさん》
「────あぁ、やってくれ」
自分でも酷く投げやりな声だったなと自嘲気味に低く笑う。
暗い感情が心に落ちる実感と共に、指は激しく操縦桿を滑り、EXスロット“トランザム”が一切の躊躇無く選択された。