最も有効な蟲の殺し方は、なんだろうと繍は考えた。
没落したとはいえ、繍は千年の歴史ある術者の末裔。その記憶の中には、先祖からの膨大な知識も与えられている。
使い手の性能故に、役立てられる機会に恵まれているとは言えないが。
ともあれ、他所の家の長老だろうが、人食いの蟲に成り果てたとわかった時点で、佐保繍の中で、間桐臓硯の浄化は決定された。
間桐臓硯の浄化とは、それ即ち彼の殺害になるのだが、人の身を捨て、人を食らう蟲翁と化した時点で、彼は繍の中で、守るべき人の枠から外れた。
故に、殺害に躊躇いはない。
穢を祓うべく行われる化物退治は、カミに仕える者の務めでもあったから。
「人やないんか。その、間桐の当主は」
「雁夜の情報とボクの知識と、婆様からの評価から考えれば、最早中身は人じゃないと思う。生命永らえるため、蟲に我が身を置き換えるくらいのことは、しているんじゃないかな。……蟲は、まあ、その、君と相性が悪いよね」
「……おん」
人斬り以蔵は、通り名が示すように、対人戦に特化しているのだ。
人型への特攻性は、蟲相手には利かない。
髑髏のアサシンを一太刀で斬り伏すほどの剣技であろうと、大量の蟲を消し飛ばすには向かないのである。
「だけども浄化なら、ボクには十八番だからできると思う。まぁ、大体はライダーが燃やすだろうけど」
「そいつ、百年越しの化物、ちゅう話やなかっだがか?」
「百年が五百年でも、この際同じことだ。積んだ年月、編み上げた神秘においては、我が家はあちらより確実に旧い。負けないよ」
どちらも、時代に取り残され無惨に没落した貴家で、臓硯と繍はその末裔である。ある意味、同じ穴の貉だと思っている。
だが、同時に物にした神秘と術の量だけで言えば、千年の佐保の家が勝つ。繍にはその自負があった。
あくまで純粋に、家だけを比べれば、の話である。
「だが、百年の翁と小娘じゃあ、ボクが弱いだろうよ。経験値が違うから。それを覆すための要は、君だよ」
「わしか?」
「うん」
ビジネスホテルの一室で、自分の胸を自分で指差し、ぽかんとした顔をつくった以蔵に、繍は答えた。
まったく、他に誰がいるのやら。
この街で、繍が胸を張って自分の味方だと言えるのは、心から頼れるのは、以蔵だけである。
「要はボクをちゃんと守ってねって話だよ。戦いはヘボだから」
「元々おまんに戦いは期待しちょらん」
「そりゃそうだね」
寧ろ、期待されると困る。
「それじゃあ、そろそろ出ようか。ライダーたちとの待ち合わせ時間、もうすぐだし」
そう言う繍の服装は、いつもの丈の合わないコートにシャツとズボンという気楽なものである。流石に、動くに邪魔な鞄は置いて、腰のポーチに道具は詰めたが。
それなりの術を行使するためには清めがいるため、塩を自身に振り掛けて禊をする、程度のことはやっている。
最後の仕上げのつもりで、鞄から酒瓶と盃を取り出し、一息に煽る。酒で体の内を浄化するのだ。
旨いのか不味いのかもよくわからない盃を飲み干してふと隣を見たら、三白眼がこちらを見ていた。
「酒、持っとったんか」
「これは、お清め用だから。丁度いいし、君も飲むか?高かったから、味は良いよ。ちょっとした厄落としくらいにはなるし」
「……貰う」
ストックが然程ないが、モノはかの大吟醸である。
一献渡せば、その場で以蔵は飲み干した。よほど旨かったのか、舌でぺろりと名残惜しげに唇を舐めている。
「のぅ、マスター」
「二杯目は無い。これも儀式に使うから」
「チッ。なんじゃ、しみったれとるのぉ」
「こちとら無宿者だぞ。寧ろ何故しみったれていないと思った」
「胸張りなや」
こつん、と頭を指で弾かれた。
別に痛くはないが、なんとなく額を擦った。赤くなったらどうしてくれる、と少しむくれたくなった。
頬を膨らます、なんて子供っぽいことはやらないけれど。
ふと、思いついたことを口にした。
「生き残ったら、ボクの残りのお酒、全部君にやる。好きなんだろ」
「ほんまか?」
「生き残ったら、の話だよ。どうせなら、楽しめる人が飲んだほうがいい。そんなに量はないけど、味は良いだろ」
「まぁの。しかしおまん、己で飲みよらんくせに、なんでそがぁなえいもん持っとるんじゃ?」
「仕事道具みたいなもんだから、高いものなら間違いないかと適当に買ったんだ。ま、それで君が楽しめるんならいいよ。あげる」
酒を飲める歳でなし、飲める相手もなし、酒などただの道具で味など考えたことはない。
しかし、こうやって旨そうに飲む人を見れば、なんだか勿体無いことをしていたような気になった。
未来のことなどわからないから、約束はあまりしない主義だが、これくらい些細な約束は別に良いだろう、と少し言い訳した。
短い付き合いだが、以蔵は初めの頃より気安く話してくれるようになったものだと繍は思う。
どうも餓鬼扱いされているとも思うが、警戒されるよりは余程いい。
そうやって気休めの軽口を叩きながら、冬木の橋の袂に向かう。
行き交う人々の顔は、やはり心なし暗い。
ここ数日での殺人事件に倉庫街の破壊、ビル爆破と来れば、皆不安を抱えもするだろう。
彼らの不安の源は、最初の一つを除いて聖杯戦争絡みである。
聖杯戦争参加者の身で烏滸がましいが、この街の管理者様の遠坂家とやらは、市民へのケアをするのだろうかと思う。
氏子がいなければ、神の社であろうが廃れるのだ。
忘れられたらカミは容易く堕ちるし、そのカミを奉じる者たちの末路は、悲惨なことになる。
霊脈から力を借りて魔術を行い、我こそは選ばれし者だと声を大にして言うのならば、そこに住まう民を守ってほしいものである。
元々聖杯戦争自体を忌避する神官一族の末は、遠坂家に対してあまり良い感情を持てない。
間桐家は言わずもがな。雁夜だけはなんとなく例外に感じるけれど、錯乱して襲撃されており、交渉できるか不明。
アインツベルンは、本物のテロ屋を日本の地方都市の儀式に引き込んだ時点で、あいつらヤバイという印象しかない。
「来てやったぞ。……って、サオ。オマエ、なんだよその暗い顔」
「やあ、いきなり挨拶だね。ウェイバー。ここの御三家の館に討ち入りするのに、呑気な顔なんてできないよ」
現れた巨漢の男と矮躯の青年という二人組と、繍と以蔵は挨拶を交わした。
とはいえ時間が惜しい。人気のないところに行き、すぐさまライダーが戦車を召喚。
雷鳴纏わす神牛に引かれたチャリオットに、結局全員が乗り込んだ。
冬木の新都をひとっ飛びし、間桐邸のある住宅街へ。門の手前で、以蔵と繍は降ろされた。
「小娘、余とマスターは屋敷を焼き払う所存だ。中にあるものは持ち帰るが、それを精査して得た情報は献上せよ。良いな」
「承知しました。……君も手伝えよ、ウェイバー」
「わかってるよ!」
ウェイバーは戦車に残り、間桐邸を轢き潰すライダーと共に行く。繍はその間、防音と人払の結界で邪魔者を防ぐのだ。
屋敷にも守りの結界はあるだろうが、ライダーの戦車の前には脆いものである。
「では征くぞ!しっかり捕まっていろ、坊主!」
「もう勝手にしろぉ!」
「おい、マスターだろうが君は」
神秘漏洩など知ったこっちゃない戦車の轟音が、見事に住宅街に轟いた。
一撃で、黒く巨大な館を囲む魔力の壁が、ガラス細工のように砕け散る。
「うわ」
さすが、神の牛が引く征服王のチャリオット。あれにかかれば、そこらの結界は薄紙以下だ。
余波のみで、繍の人払いと防音結界までぶち壊されそうである。手加減してほしい。
「……」
横の以蔵は、終始無言だ。
あの征服王にしろ、他のにしろ、神話と幕末では求められる神秘の量の桁が違う。
岡田以蔵の生前と比べれば、文字通りの人外魔境、魑魅魍魎が相手なのだ。
幕末の剣士には、新選組を筆頭に逸話に事欠かない面子が多いが、流石に当時の江戸や京都に、
というか、いたら怖い。冬木より酷い。魔境が当時の都とか、嫌すぎる。
─────いやでも、対人魔剣が宝具になった人斬りいたんだっけ。
やっぱり往時の江戸京都は、魔都か何かだったんじゃなかろうか。何を相手にすれば、宝具がそうなるんだか。
うーん、と首を捻る。
ともかく、繍が思う以上に、以蔵にとってはこの街に集った諸々は、常識外れの化物に見えるのかもしれない。
現在、あのライダーにこちらが勝てる目算など、まったく立たない。さてどうしたものかと思う。
符から出した二頭の狗神の、耳が動いたのはそのときである。
以蔵も、そのとき同時に音を聞き咎めた。
「岡田さん、何か────」
「伏せろやぁっ!マスター!」
叫ぶが同時、以蔵はマスターを突き飛ばす。
水切り石のようにふっ飛ばされる勢いで、繍は地面に転がり、家の塀に背中を打ち付ける。だがそれが、その生命を拾った。
ギィン、と腹に響く音がした。
繍の目の前には、黒い甲冑騎士の鉄骨を、刀で受けている以蔵。
敵は狂戦士、バーサーカーだった。
「離れぇ!」
「っ!」
繍が立ち上がってその場から逃れた瞬間、以蔵は動いた。
刀を滑らせ、上から叩き潰さんとするバーサーカーの力を受け流す。体を回転させ、その勢いで体勢を崩したバーサーカーの、首元に刀を振り下ろす。
狙うのは、兜と甲冑のほんの僅かな隙間。一撃で首を落とさんとする刃を、しかしバーサーカーは躱した。
魔力で黒く染めた不気味な鉄骨を、以蔵へと振り下ろす。
当たれば、サーヴァントとして然程頑健でない以蔵は、確実に潰れて死ぬ。
「そんなモンで……わしを殺せると思うたかァ!」
だが、以蔵も速い。
当たれば死ぬ一撃を軽々飛び退って避け、鉄骨の上にふわりと降り立った。
抜き放ったのは、脇差。三歩で鉄骨を渡り、以蔵の突きが放たれる。
狙うのは、兜から僅かに覗いた眼、だった。
バーサーカーは鉄骨から片手を離し、突きを避ける。
その顔面を、以蔵は躊躇いなく蹴り飛ばした。
しかし、顔を歪めたのは上体が仰け反ったバーサーカーではなく、以蔵である。
とかくに鎧が硬い。
蹴った己の足のほうに、嫌な痛みが走った。
生前では全身鎧の西洋武者など、相手にしたことがなかった。
騎士、と呼ばれるやつばらの武装らしいが、全身覆われて七面倒臭い。
とはいえ文字通りに狂っているならば、鎧の隙間に刃を通して切り落とせるのに、この敵は忌々しいことに、戦いの理性を損なっていないのだ。
こいつの真名は、なんと言ったか。
何処ぞの古い王に仕えた、最強の騎士だったか。
確か騎士は、女を守るとか卑怯な戦いはしないとか、そんな綺麗で大層な御題目を振り翳す連中だったはずだ。
そんな奴が理性を捨てた狂戦士と化し、初手から餓鬼を叩き潰そうとした。
それは果たして、騎士様の中で矛盾しないのだろうか。
おまけにそれを防いで相対したのが、騎士でもない己のような人斬りなのだ。
訳もなく、嗤いが込み上げた。
こいつを斬ることができれば、きっと胸がすくだろう。なにせこの街に来てから、ろくな者を斬っていないのだ。
「マスター、そこの犬ども来させんなや。これは、わしが相手するきぃのぉ」
「了解。邪魔はさせない。そいつ相手は任せた」
繍にはライダーの破壊を隠蔽する結界の維持だけでも、かなりの負担なのだろう。加えて殺されかけた。
上手く隠しているようだが、声の先が僅かに震えていた。
だが、以蔵へ送られる魔力の量は格段に増えた。遠慮なく使えとばかりに、以蔵の体には魔力が満たされる。
景気のいいことだと、思う側から以蔵は口元が吊り上がるのを感じた。
鉄骨と刀が、街灯の灯りに照らされて鈍く光った瞬間、双方は地を蹴った。
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「なんなんだ、アイツら……」
間桐邸を焼き潰し、戦利品を載せたチャリオットから、下を見てウェイバーは呟いた。
住宅街で斬り結ぶのは、バーサーカーにアサシン。
ウェイバーたちが離れた隙に、バーサーカーはアサシン主従を攻撃したらしい。
バーサーカーとそのマスターは、近場では確認できなかったはずなのだが、流石に屋敷の異変を察知し、急行してきたのだろう。
その速さは驚きだが、この展開を、予想していなかった訳ではない。が、敢えてウェイバーもライダーも捨て置いていた。
狂戦士がアサシンを屠ったならば、それはそれでライダーには有利なのだから。
ウェイバーはアサシンの白兵戦を、倉庫街でしか見ていない。見ていないが、あのとき彼は、アーチャーに殺される一歩手前まで追い詰められていた。
それ故に、剣を扱うとはいえ、所詮は闇に紛れるアサシンだと、その力を低く見積もっていたことは否めない。
だが、片や狂戦士、片や暗殺者ながら、その戦い方たるや苛烈の一言だった。
街灯の淡い光の下で、刀を振るう黒衣の暗殺者の姿と、鉄骨を振り翳す黒甲冑の騎士の姿とが、何度も交差する。
武器がぶつかり合って生じる火花が、何度も闇に爆ぜる。だがどちらも倒れない。
バーサーカーの一撃が直撃すれば、恐らくアサシンは死ぬだろう。だが、彼は器用に鉄骨を掻い潜り、当てさせない。
黒い殺意の暴風相手に、アサシンは引いていなかった。
「ほぅ、バーサーカーのヤツの技量は予想通りだが、あの刀のアサシンもなかなかにやるではないか」
「それだよ!なんでアイツ、あんなにやり合えるんだ!?アサシンだろ?セイバー並みに剣使ってるじゃないか!」
「それだけではないな。あの暗殺者、凄まじい速さでバーサーカーの技に追いつこうとしておる。技そのものを見抜いて、己のモノにして来ておるな」
では何か、あのアサシンの白兵戦能力は、セイバー並みと言うのだろうか。
ウェイバーからすれば、アサシンが扱う極東の刀は、美しくはあっても、剃刀のように薄く脆いものに見えた。
それを二本操り、鉄骨を振るうバーサーカーと渡り合っている。まるで軽業師のように。
あの英霊が、ライダーに比べれば遥かに格下なことは、マスターとしてある程度サーヴァントのパラメータを覗く権利があるウェイバーには、見抜けていた。
だのに、彼はあのバーサーカーと渡り合えている。
そしてそのマスターは、側で彼らの戦いを見ていた。何も見逃すまいというふうに、二本の足でしっかりと地を踏みしめている。
傍らには、黒犬の使い魔が一頭のみ侍る。こちらも目を光らせて、眼前の戦いを見ていた。
「さて、あやつらの戦いに水を差すのは些か無粋だが、降りるぞ、坊主。そこな娘を決して落とすなよ」
「わ、わかってるよ」
間桐邸を襲撃したライダーたちの戦車には、奪った品々と共に少女が一人、乗せられていたのだった。
バレンタインイベで岡田以蔵のあんな長い話が公開され、予想外でした。
狙って更新を再開したわけではないのですが…。