冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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巻の十四

 

 

 

 

 空から舞い降りる戦車に、先に気づいたのは繍だった。

 

「引け、アサシン!」

「ッ!」

 

 間一髪で以蔵が横に飛ぶ。バーサーカーもまた、引き潰される寸前で霊体となった。

 彼らの戦いをちょうど分担する形で、間桐邸の前に、ライダーの戦車が止まる。

 洋館は今や、倒壊寸前だった。

 壁は戦車が突っ込んで大きく抉れ、雷で焼かれた屋根からは炎の舌がちろちろと姿を見せている。放っておけば、燃えて崩れ落ちるだろう。

 それでも、繍が結界で隠しているので、周辺からは間桐邸は変わらぬ姿にしか見えていないはずだ。

 避けて着地した以蔵に、繍は駆け寄った。

 

「アサシン、怪我は?」

「なんちゃあない。おまんこそ、無事か?」

「ああ。ありがとう、助かった」

 

 以蔵に突き飛ばされなければ、バーサーカーに叩き潰されていただろう。

 壁に打ち付けた背中が、実のところ無視できない痛みを訴えているのだが、痛覚を軽く遮断して無視した。

 悠長な手当は、今していられない。

 

「おう、アサシンよ。お主、なかなかの剣の使い手ではないか」

「……ふん」

 

 空から戦車で急襲した張本人のライダーは、豪放磊落に笑っているが、以蔵は苦虫を噛み潰したような顔である。

 しかし繍は、そちらに構っていられなかった。戦車の中に子どもがいたからである。

 

「ウェイバー、その子は誰だ?」

 

 明らかに、普通でない様子の虚ろな目の少女。こちらのことすら見えていないのか、人形のようにぼんやりと座ったままだ。

 

「わからない。でも中にいたから連れて来たんだ。あと、ここの館の主は、蟲の化物みたくになってたぞ。地下室にいた蟲と一緒に、ライダーが全部焼いたけどさ。もう一人素人くさいのがいて、そいつは、逃げた」

 

 逃げたほうはともかく、臓硯はそれで本当に死んだのだろうかと、繍は尋ねたかったのだが、ライダーがそれを遮る。

 

「まあ、後にしろ。アサシンのマスター。そら、そこに客が来ているぞ」

「客?」

 

 誰だそれは、とライダーの示す方向を見れば、そこには幽鬼のような影が佇んでいた。

 

「おいマスター、あれは間桐雁夜じゃなか?」

 

 頷きを返して、腰から炎の呪符を抜いた。

 間桐雁夜が、フードの下から口を開く。

 

「お前たち、アサシンとそのマスターか?」

「そうだ。君の屋敷、悪いけど燃やしたよ……ライダーたちが、だけど」

「桜ちゃん……桜ちゃんはどうしたんだ!?」

「そこにいるけど」

 

 一方、雁夜は状況もよく読めていなかったらしい。戦車の台を示して、そこにいる少女を見せてやれば、ほっとしたように肩の力を抜いた。

 

「なあおい、サオ。こいつなんなんだ?なんで、館そっちのけでこの娘に拘るんだよ?」

「……本人に説明させたほうが良いよ。複雑な事情があるので、ボクから説明すると私情が入る」

 

 丸投げとも言う。

 だけれども、雁夜が何故聖杯戦争に身を投じたか、なんて説明、繍には正直面倒なのだ。

 それより、誘拐されてきたばかりというのに、人形めいて動かない少女の様子を確かめたかった。

 

 かつて、繍は死徒に支配された街に赴いたことがある。街を乗っ取った死徒の殲滅戦に、参加したのだ。

 

 人間を遥かに超える身体能力を手に入れ、血がなければ死ぬ化物となった死徒は、基本的に人を見下し、家畜扱いするものが多い。その彼らに囚えられたヒトの末路と言えば、悲惨の一言である。

 餌としてすぐに殺されるならば、まだ慈悲があるほうだ。

 体を弄くられ、心を壊され、二目と見られない姿になって、それでも生きてしまった人間たちの、硝子玉以下の眼。

 もう何も映らない、虚ろの瞳。

 

 そういう彼らと、この少女の目はよく似ていた。

 

「ライダー、その娘、診ても構いませんか?魂の気配が、弱い」

「うむ?構わんが、これは余の略奪品。謂わば奴隷だぞ」

 

 征服王が襲った館の者は、なるほど彼にとってはそういう解釈になるのか、と思う。

 対価を出さないと、触れられないらしい。

 

「では、私が調べてあなたに渡す情報を対価にしますので、その子を下さい」

「むぅ」

 

 長引けば体というより、心が保ちそうにない。

 ライダーの反応を待たず、以蔵のほうが子どもに近寄った。膝下と背中に手を添えて、あっさり持ち上げる。

 人形のように、子どもの首がかくりと揺れた。

 

「マスター、どうすればえいがじゃ?」

「あ、ああ。……ここに寝かせてくれ」

 

 繍が脱いだコートの上に、以蔵が子どもを寝かせた。

 それが意外と優しい手付きであることに驚きつつ、繍は傍らにかがみ込んだ。背中に手を添えて、体を抱え起こす。

 桜ちゃん、と雁夜が何か叫んでいるが、さらりと無視した。そちらは、ウェイバーとライダーに事情説明していてほしい。

 

「桜。君の名前は、桜だろう?……桜、聞こえているなら、頷いてくれ」

 

 こくり、と首が縦に振られた。

 

「桜。ボクは繍。……医者、かな。これから桜の中の痛いところと苦しいところをとるから、じっとしていてくれ」

「わかり……ました」

 

 きゅっ、と桜は全身を強ばらせた。

 何をするか詳しく説明する時間はないし、説明しても理解されるとは思えないが、体の強張りようと軽さが悲しかった。

 怯えるより、体を縮めて自分に起こることを受け流そうとしているのだろう。

 親の愛情とカウンセラーをダース単位で寄越せ、と顔も知らない間桐臓硯を、助走をつけて蹴り殺したくなった。

 

 何をどうすれば、七つ八つの子がこんな人形になる。

 

 修行には、確かに身体の見目が変化するほどのものも、痛くてしばらく口すら利けなくなるほど辛いものもある。

 どちらも繍は受けているが、明らかにこれは異常だった。

 

「おい、マスター。顔がえずいぞ」

「ん。何でもない。ただ、この子の保護者は、阿鼻叫喚地獄に落ちろと思った」

「……」

 

 呪術師の言霊は、即ち呪いの一種である。それと知っていて罵りながら、繍は手に魔力を流した。

 滑らかで血の気のない桜の額に、指を当てる。

 同時に、繍の口から細く低い、鳥の声のような音が漏れた。意識を解き、安らかな眠りのような状態へ落とし込む歌である。

 

 ゆらゆらと、桜の上体が揺れる。

 眠りの術にかかったのだ。

 

 星と円を組み合わせた見えない印を、桜の額に描く。

 そこを起点に小さな体に魔力を通せば、体の中に何があるかが、この子が何をされていたか、大方はわかった。

 

 そしてわかった瞬間、やはり間桐臓硯死に腐れ、と繍は心の中で呪詛を吐いた。

 

「繍」

「わかってるよ」

 

 珍しく名前呼びだ、と思いながら、繍は桜の体に魔力を流した。自分の怒りは今はいい。子どもの体を治すのが先だ。

 血の流れに沿って繍の魔力が体を巡るに連れ、桜の体が細かく震え出す。喉がぜいぜいと荒い息を漏らす。

 

 また、桜ちゃん、と叫ぶ間桐雁夜の声がした。しかもかなり悲痛だ。

 その背後に一瞬で回った以蔵が、その後ろ頭を鞘で軽くどついた。

 

「おい。ちっくと静かにしちょれ。わしのマスターの術は、あん餓鬼を傷つけるもんやないき」

「だ、だが……!」

「ほたえな。吠えよるのは、おんしのサーヴァントだけで十分じゃ。わしはここで、二度もマスターを襲いよった阿呆を、殺してもえいんやぞ」

 

 刀の鯉口が切られる音に、雁夜は黙る。

 バーサーカーを出せないほど消耗しているのだろう。顔色は真っ青を通り越して、死人のようだった。

 そちらから目を逸らして、繍は腕の中の桜を見た。

 

「桜。吐け」

 

 短く言霊を込めて言った途端、桜は身を捩って口から何かを吐いた。

 地面に零れ落ちたのは、蠢く蟲の塊。

 芋虫と髪切虫とが絡まり合ったような悍ましい外見のそれに、ウェイバーが引く。

 桜は続けて、幾つもの蟲を吐いた。

 蟲の塊が五つを超えたところで、くたりと、小さな体から力が抜ける。

 その体を片手で抱え、繍は空いた手で符を構えた。

 

「浄滅」

 

 一言で青い炎が呪符から放たれ、コンクリートの上に落ちた蟲を焼き尽くす。

 ギィギィと、聞くに耐えない悲鳴を上げて、蟲は灰となった。

 

「終わり。……よく頑張った、桜」

 

 強制的だが安らかな眠りに落ちた子には、聞こえていないだろうけれど、その名を呼んで、繍は小さな子どもを労った。

 だがこれで、この体の中にいたモノは追い出せた。

 

「で、ウェイバー、間桐雁夜の事情、わかった?」

「あ、ああ……」

 

 遠坂家と間桐家の因縁を聞いたのだろう。

 ウェイバーもライダーも、額にしわが寄っていた。

 

「大体はな。それにしても小娘。聖杯戦争に参加するのは、皆このように悲惨な奴らばかりなのか?」

「いや、そこまでの人は滅多にいないかと」

 

 寿命を売って参加したらしい間桐雁夜が救いたかった子、間桐桜は今、繍の腕の中で眠り、彼の横には、燃え盛る間桐邸。

 臓硯はライダーが殺したとあれば、彼が生命を賭して成し遂げたかったことは、叶ったことになる。

 彼から情報を引き出したとき、彼は臓硯を殺して、桜を救うと呪言っていたから。

 

「間桐雁夜よ。どうする?ここで余とアサシンを相手に一戦交え、そこの娘を手に入れるか?」

「……」

「戦わずして娘を求めるならば、取引だ。対価を出せ。……尤も、娘の持ち主はそこな小娘故、交渉相手はそちらになるがな」

「は?」

「なんじゃと?」

「何を呆けておる。貴様らが先程言ったであろうが」

 

 それはそうだが、あれで取引が成立していたのか。以蔵と顔を見合わせてしまう。

 ともかく、雁夜の視線がライダーからこちらに変わったのを繍は感じた。ともあれ仕方ない。

 

「間桐雁夜。間桐桜は一先ず処置して蟲は除いたが、まだ霊的治療が要る。あなたに、それを用意できる伝手は?」

「……」

「無いなら、この子は遠坂邸に返す。元々、そこの子どもなんだろう?」

「だ、駄目だ!遠坂時臣が桜ちゃんをここにやったんだぞ!?」

「では、他は?」

 

 正直、繍が桜の面倒を見るのは最後の手段にしたい。

 拠点も無いのに、子どもを抱えて逃げ回るのは難しい。

 桜という子が味わった地獄は僅かながらでも想像できるが、だからと言って繍と以蔵が連れていれば、傷が癒えるのだろうか。

 生き残るに必死な、術師と人斬りが、子連れ狼になどなれると思えない。

 

 とはいえ、明らかにまともな精神状態に見えないバーサーカーのマスターに預けるのは、更に不味い。

 本当にこの子だけが大事ならば、間桐雁夜は聖杯戦争のマスターとして最も大切な、令呪を出すと言えばいい。

 その条件をすぐさま思いつけないなら、彼には桜以外にまだ何か拘りがある。

 それは恐らく、垣間見える遠坂時臣なる魔術師への憎悪なのだろうけれど。

 

 間桐雁夜と行動を共にするのは、更に無い。

 二度も殺されかけている相手に、背中は任せられないし、以蔵が受け入れないという確信があった。

 

 繍は、子どもには、死んでほしくない。

 だけれど、それと同じだけ、自分と以蔵が死ぬのも御免被るのだ。

 

「……無いんか」

 

 以蔵の呟きに、雁夜の顔が歪んだ。

 

「では、あなたには桜を渡せない。……それに、あなたは遠坂時臣が憎いんだろう?親を憎む人のところに、その子どもを返せるか?あなたは、この子のなんなんだ?」

「そ、それは、時臣が、桜ちゃんを……!奴がいなければ、桜ちゃんだって、葵さんだって……!」

 

 やはり遠坂時臣への感情か、と繍は叫ぶ雁夜を見て思う。

 彼の顔の半分は、死体のように引き攣れている。その姿になってまで、彼は何かを求めたのだ。

 

「……これ以上、ここでの取引は成り立たない」

 

 真っ暗い空の下、赤々と燃える屋敷の前の路上で言い合いを続けても、良い方向には転がらないだろう。

 

 それに、繍としては間桐雁夜には、まだバーサーカーのマスターでいてほしいのだ。

 

 それが彼の生命を削る行為であっても、掴んだものを自らの宝具にする狂戦士の力は、あの金色のアーチャーに対して有効だ。

 

「この子はこちらが連れ帰る。どの道、治療がまだ必要だ。あなたがこの子の身柄を取引できると思うなら、空に向かって佐保繍の名を三度叫べば良い。それでボクには届く」

 

 世間ではこれを、人質というのだろうな、と思った。

 実際、間桐雁夜も、そう思ったらしい。口をはくはくと動かしている。

 しかし、返す言葉が出てこないなら、気にかけてやる義理はない。

 

「うむ。では、小娘よ。話は終わったようだな。一度我らは離れる。用件があるならば、あの邸宅に来い」

「了解しました。……ウェイバー、ちゃんと寝とけよ。蟲が気色悪かったのはわかるけど、顔色酷いよ」

「う、うるっさいなぁ!」

 

 それだけ叫べるならば大丈夫か、と繍はライダーの戦車が、真夜中の空へ消えて行くのを見送った。

 

「間桐雁夜、話は終わりだ。……帰ろう、アサシン」

「おん」

 

 立ち尽くし、目だけを炯と光らせるバーサーカーのマスターに背を向け、桜を抱いたまま、以蔵と黒狗と、共に坂を下る。

 人払いと防音の結界は消したから、いずれ周りの住民が、バーニング間桐家に気づいて大騒ぎになるだろう。

 日本の消防隊は超優秀らしいから、彼らに任せることにする。

 

 横抱きにした間桐桜の軽さが、規則正しい寝息が、ひどく虚しかった。

 

 誰もいない真夜中の道に、不揃いな足音が三つ響く。コートは桜を包むのに使ってしまったから、夜の空気が冷たかった。

 つい、口から言葉が漏れた。

 

「……ボクが、日本に帰った意味って、なんだったんだろう。殺人犯はいるし、先生とは喧嘩するし、それに今度は放火と幼女誘拐」

 

 里帰りしたのにこれでは、泣けてくる。心がまったく休まらない。

 久し振りの祖国が、自分に優しくない。

 間桐雁夜に、人でなしを見る目をされたのは、意外ときつかった。自業自得だとしても。

 

 ─────路銀が欲しくて、グールの腸ぶち撒けたこともあったっけ。手まで真っ赤になっちゃって、嫌だったなぁ。

 ─────数日は、夕焼けもまともな肉も見れなかったなぁ。

 

 そこまでしたのに、帰り着いた故国はこれである。

 何のために、頑張ったんだろう。

 誰のために、帰りたかったんだろう。

 旅をするうちに、答えを忘れた問いだった。

 

 はぁ、と吐いた息は白くなった。

 

「さぁの。わしには詳しいことはわからんき」

 

 おまけに相棒がこの対応である。

 肩を落としかける寸前で、以蔵の言葉はまだ続いた。

 

「けんど、おまんでなかったらわしは喚ばれとらんき。そこは感謝しちゅう。あとはあれじゃ、おまんのおかげで、旨い酒も久し振りに飲めたきのう」

 

 素っ気ない言葉は、思ったよりすんなりと心に染み込んだ。

 

「そっか」

「そうじゃ」

 

 ────ああ、そうだった。

 終わったら酒を渡す約束だって、したのだ。

 

「約束は、守らないとなぁ」

「けんど、無理はすなや。今晩で、魔力どれだけつこうたが?わしが突き飛ばしたとき、派手に背中も打ったじゃろう」

 

 繍は、目をぱちりと瞬かせた。

 ぽかりと口を開け、平たい声を出す。

 

「わー、岡田以蔵がデーレーたー」

「でれ?」

「あ、意味知らないか」

「……馬鹿にしゆうが?」

「してない。バーサーカーから守ってくれた人を、馬鹿にするわけ無いだろ。ありがとう、岡田以蔵」

 

 正気でないとはいえ、サー・ランスロット相手に、曲がりなりにもアサシンが真正面から立ち回れたのだ。

 倉庫街でランスロットの立ち回りを見ていたことが、一助にもなったろう。始末剣とは凄いものである。

 

「心配、ありがとう。だけどもまぁ、やらないといけないことがあるから、今晩はまだ休めないな」

「あー、白いのを何処ぞへ放ったんは、それが理由か?」

 

 やはり気づいていたか、と繍は唇の端を吊り上げた。

 バーサーカーに襲われる直前、繍が符から出したのは二頭の式。だが、今側にいるのは、一頭だ。

 

 当然だ。

 繍が、あるものを探せと命じ、白狗を放ったのだから。

 

「そうそう。そろそろ戻って来るよ。ほら、ね」

 

 がさりと、道の傍らの藪から、狗神の片割れが、頭を出す。

 その口には何かが咥えられ、街灯の光の下で蠢いていた。

 

「キ、キサマ、七人目ノ、小娘……カァ」

「如何にも。……知ってたかい?狗神の鼻を、舐めちゃいけないんだよ。ねぇ、間桐老?」

 

 鋭い牙が生えた狗の口に咥えられ、ギチギチと関節を軋ませながらも、人語を話してのたうつ蟲に、繍は美しい微笑みを向けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




ライダーに便乗、間桐家襲撃事件。
そして二回も殺そうとしてきた相手には、かなりえげつなく塩対応した神道娘。面目躍如な始末剣と狗神の鼻。

ストック尽きましたので、のんびり更新です。

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