冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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巻の十五

 

 

 

 

 

 銀の月のように美しいが、くろがねの刃のように底冷えのする微笑みだった。

 それは召喚されてこの方、岡田以蔵が初めて見た、マスターである少女の顔であった。

 

 笑顔を吹き消し、桜を持ってて、と軽い子どもの体を手放した岡田以蔵のマスターは、能面のような無表情になる。

 

「ひふみよ いむなや こともちろ らね しき るゆゐ」

 

 白犬の牙に抑えられ、それでも尚蠢く蟲に向けて、感情を一切廃したような声と共に手印が向けられる。

 言葉が唱えられる度、目に見えて蟲の動きは鈍くなった。

 

「つわぬ そを た はくめ かうお えにさり へての ますあせ ゑほれけ」

 

 唱えながら、繍は腰の物入れから硝子瓶を取り出した。

 以蔵には読めぬ、ぐにゃぐにゃした妙ちきりんな文字が、びっしりと彫り込まれたそれに、繍は蟲を掴むや否や、無造作に放り込んだ。

 即座に繍は蓋を締める。その刹那に、瓶の中から怨嗟の声が漏れた。

 

「オ、ノレェェッ!卑シイ、狗神使イノ小娘如キ、ガァアァアッ!」

 

 蟲の躰から放たれた、紛れもないヒトの声を聞いた瞬間、以蔵の抱えた桜の体がびくりと震えた。

 一方、まったく頓着したふうなく、繍は容赦なく蓋を締めると、ぐるぐると瓶を布で巻いた。これにも、びっしりと墨で文字が書かれていた。

 

「喧しい。蟲使いに蔑まれる謂れは無い」

 

 吐き捨てるように言い、繍は布に包んだ瓶を持って立ち上がった。

 

「のう、マスター。……それが?」

「コレが間桐臓硯。その、本体。蟲の体に人の魂を入れるなんて……初めて見たよ」

 

 流石に以蔵も、顔が強ばるのを感じた。

 蟲が人の言葉を話すところを見なければ、何を馬鹿なと笑い飛ばしていたところだ。

 繍が額に浮いた汗を拭っている。

 平気そうな顔をしているが、やはりそれなり消耗したようだった。

 

「白、お疲れ。何かされてないよな?」

「ばふ」

 

 その蟲を咥えて戻った犬はと言えば、耳の後ろを繍にかいてもらい、気持ち良さそうに目を細めている。

 拾い食いを、飼い主に褒められた犬のようだ。

 

「流石に狗神、ちゅうことか」

「うん。彼らの鼻がないと、見つけられなかったよ」

「で、どうする気や、それ」

「調べるだけ調べたら、殺す」

 

 さらりと言った繍の言葉に、小さいほうの餓鬼がびくりと震えた。痩せた餓鬼にしては強い力で、着物が掴まれる。

 かたかたと震えるその肩を、一先ず軽く叩いた。随分昔、弟にしてやったやり方を、思い出しながら。

 

「おい、餓鬼。あん化物は、おまんにゃもう手出しできんき、安心せぇ。わしの着物掴むのはやめんか」

「餓鬼じゃなくて、桜って呼んでやりなよ。魂の安定には、そのほうが良いんだ。ねぇ、桜」

「……は、い」

 

 桜の体を、また繍が受け取る。

 いざ襲われたときのことを考えれば、以蔵の手は空いていたほうがいいのだ。

 小さな子どもを抱いてやりながら、繍は呟くように言葉を続けた。

 

「夜の間に帰りたいなぁ。迂回ルート超長い。警官を暗示で誤魔化すの超面倒。監視カメラ避けるの超怠い」

「まぁ、どう見ても、今のわしらは人拐いにしか見えんがじゃ。諦めぇ。警官はわしがなんとかするとしても、カメラは己でなんとかせぇよ、マスター」

「くそぅ。自分は霊体化で誤魔化せるからって」

 

 わかりやすく顔をしかめてみせる繍の顔は、明るさが戻っていた。

 夜はまだ、明けない。

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 言うまでもなく、間桐邸襲撃事件は、翌日結構な騒ぎになっていた。

 曰く、冬木の名家の屋敷が漏れたガスが爆発、邸宅内で引火し屋敷は全焼。

 三人の屋敷の住人のうち、一人とは連絡が取れたが、残り二人と連絡が取れない。そして折からの強風により、館はあえなく全焼。 

 旧い名館の無残な焼け跡に立つレポーターは、そう告げた。

 

「……これは、わたしのこと、ですか?」

「ほうじゃのう。で、行方不明の一人はあん蟲爺じゃろ。……ほいたら、この連絡がとれたちゅう奴は誰じゃ?」

「ウェイバーが言ってた素人くさいやつじゃない?名前は間桐鶴野だってさ」

 

 昨日までとは別の安ホテルにて、ベッドの上に座り、テレビに見入る三人がいた。

 繍、以蔵、そして桜である。

 彼らの間には、近場のファストフードの店で買ったハンバーガーとポテトと飲み物が、雑多に並べられている。

 結局翌朝になってから新たなホテルに入ることになり、そこから数時間は眠ったので時刻はとうに昼を過ぎている。

 魔力をあれだけ使い、戦った後だから、腹が減るのは当然だった。だけれど作る時間もないから、とりあえず安くて腹が膨れるファストフードになったのだ。

 

 ちなみに以蔵は、ハンバーガーを食べるのが驚くほど下手だった。

 

 ケチャップで服の前を真っ赤にしかけたので、やむを得ず彼だけばらばらにして食べている。

 美味そうには食べているので、気に入ってはいるらしい。

 

「邪道食いだ……」

「わしの剣が外道の剣やと?」

「剣術関係ないだろ。というか、剣は見て覚えるのに、どうしてハンバーガーの食べ方は駄目なの?」

「ほっちょけ」

「……」

「あ、桜。頬にケチャップついてるよ」

 

 紙ナプキンで拭えば、桜はぴくりと肩をはねさせた。

 昨日拐ってきたこの少女は、まるで人形のように大人しい。

 住んでいた家が燃えて、燃やした当人の仲間に連れて来られたのに、ろくに口を開かないどころか怯えた様子もなく、ただ呆としている。

 

 一度だけ、間桐桜は疑問を口にした。

 お爺さまはどうしたんですか、とだけ聞いてきたのだ。

 

 繍は正直に、間桐臓硯入りの蟲瓶を入れた冷蔵庫を指差した。

 虫は変温動物だから、寒いほうが弱りそう、という発想で突っ込んだのである。

 臓硯を閉じ込めた瓶には、雁字搦めに封じの術をかけたから、どこに置いても変わりはしないのだが、桜の目に見えないところにあったほうが良かろう。

 

 冷蔵庫を見て、桜がどう思ったかは知らない。ただ、肩を震わせただけだったから。

 雁夜のことも尋ねては来なかった。

 それがなんとも、寂しいものだと思う。

 

「で、マスター。これから先、何をどうするが?餓鬼が増えたき、動きづろうなったのはわかっちょろうが」

 

 ハンバーガーを食べ終わった以蔵が、ポテトを摘みながら尋ねる。

 桜もおずおずとだが、食べ続けている。

 繍は首を横に傾けた。

 

「代わりに、バーサーカーに襲撃されなくはなったと思うけどね。そうだな。ウェイバーのとこに行って、間桐邸から盗った資料調べ……でもいいんだけど、それより情報持ってそうなもの、捕まえたしなぁ」

 

 繍の視線が向くのは、間桐臓硯入りの冷蔵庫、である。

 

「あの蟲に、情報吐かせるんか」

「うん」

「拷問でもする気ぃか?」

「やり方知らないしできない。だから精神に直接聞く。でも正直ボク、その手の術苦手なんだ。……なので、ロード・エルメロイのところへ行こうかと」

 

 現状、ウェイバーの次くらいには共闘できそうな恩師である。決裂したが。

 

「これだけの大規模降霊魔術式の情報が手に入るって言ったら、多分釣れると思う。あの人も、別に聖杯が欲しいわけじゃないもの。武勲とか功績が欲しいんだよ」

「……ぶくん?」

 

 甘いストロベリーシェイクのカップを両手で持った桜が尋ねてくる。

 

「ロード・エルメロイは、魔術師同士の、誇り高い決闘で勝ったっていう、その事実が欲しくて、聖杯戦争で戦ってるんだ」

「……あなたたちも、そうなんですか?だから、わたしを連れてきたんですか?」

「ボクらはただ、自分たちが生き残れたらいいんだ。君を連れてきたのは……成り行きかな」

「成り行きじゃのう。ちゅうても、今は人質じゃ。痛いことはせんき、大人しうしとれよ」

「……はい。あの、お爺さまは?」

 

 また臓硯かぁ、と繍は頭をかいた。

 あの蟲翁は、余程この子の恐怖の象徴だったらしい。今は冷蔵庫に突っ込まれているが。

 

「あれは、今何もできないし、ボクらが生きている限り、君にもう手出しはさせない」

「……ほんとう、に?」

「うん。あれ、もう生かしておきたくない化物だもの。代行者……教会の殺し屋がやって来るレベルの」

 

 ロード・エルメロイの伝手でも借りて、いっそ本当にそうしてもいいかもしれない。

 

 蟲の体と人間の魂という存在のちぐはぐさを補うため、臓硯は恐らくヒトの肉と魂を喰っているだろう。そうでなくば、自我を保っていられまい。

 となると、異端の人食い魔術師が冬木にいますよ、と教会に通報することだってできる。ここの教会はてんで信用できないから、他所に頼むことになるが。

 冬木の魔術師の旧家の長老が、代行者に討伐されたとなれば、セカンドオーナー・遠坂家の面目は丸潰れだが、そんなことは繍の知ったことではないのだ。

 

 知らぬ事だったとしても、あんな怪物を己の領土でのさばらせたのみならず、そこに娘をやったほうが悪い。

 

「んで、マスターはあん先生ちゅうやつの場所に心当たりあるがか?宿を爆破されたあとの行方、掴んじょらんやろう」

「候補はいくつかあるから、式神飛ばして探すよ。足で探すのはちょっとしんどいから」

 

 昨日壁に打ち付けた繍の背中は、見事に打ち身になっていた。

 一日じっとしていれば、術で治る程度の怪我だが、逆に言うとじっとしなければ治らない。

 あとは、髑髏のアサシンに斬られた肩の傷も、回路を全開にする勢いで魔力を大盤振る舞いしたせいか、また開いていた。

 バーサーカーから生き延びられた代償としては、安いものであるが、両方そこそこには痛い。

 傷を見た以蔵のほうに、痛そうな顔をされる羽目になった。

 以蔵は以蔵で、バーサーカーの顔面を蹴り飛ばしたために足を傷めていたのだが、そちらはとうに完治である。

 魔力さえあれば修復できる、半霊体の便利さだった。

 

「ロードの場所、見つけるまで待機かな。桜、狗神たちと遊んでていいよ」

「……ありがとう、ございます」

 

 今泊まっているのは、前よりは、一回り広くなった部屋である。

 符から飛び出た子犬サイズの狗神二頭と幼い少女が戯れていても、狭くはならない。

 昨日、臓硯本体を捕らえて来るという大活躍をした白狗のふかふかした毛に、桜はそろそろと手を伸ばしていた。

 白だけ触られるのが不満になったのか、黒がそんな桜の脇腹に鼻面を押し付ける。

 桜に触れられ撫でられて、わふわふばふばふ、と狗神たちは嬉しそうな声を上げた。

 

「懐きよるのぉ」

「無垢な子どもには優しくなるのが、カミの使いというものだからねぇ。彼らは特に、体より魂が好みらしいし」

「とって喰ったり……」

「するわけ無いだろう。……まぁ、やろうと思えば、彼らは人の魂をぱくっとできると思うけどね。一族には、道を外れし者、その魂魄、狗神の供物とならん、なんて言い伝えがあるくらいだし」

 

 どうしても殺しきれなければ、臓硯も魂ごと食べてもらうつもりだ。

 五百年、百年がとこの妄念の化物だろうが、間桐臓硯はあくまで人間の魂。

 千年超えの本物のカミの使いである狗神に、魂の強度で勝てる道理はない。

 佐保一族の血と契約した半霊体の式神だから、厳密な幻想種としては括れなくなっているし、佐保の血筋が、土地を失うわ衰退しまくるわとドジを重ねたせいでかなり力が削がれたが、それでも彼らは重ねた歴史だけ見れば、幻想種のかなり上位と同等なのだ。

 繍が西洋術師の定めた『幻想種』のランク分けに興味がないので、しっかり測ったことはないのだが。

 

「岡田さん?顔、青くない?……大丈夫だよ。彼ら、君のことは食べないから」

「そがな心配しちょらんわっ!誰が犬コロに食われるか!」

「犬コロ犬コロ言って、怒らせても駄目なんだけどねぇ」

 

 途端に以蔵が黙るものだから、繍はくすくす笑ってしまう。

 と言っても、狗神の性質は番犬というか狛犬である。自分の領域内の敵を排除するならともかく、己から攻めるのには向かない。

 だから髑髏のアサシンに襲われたとき、岡田以蔵を召喚することになったのだ。

 

 ともかく、街に放ってある式神たちからの映像を、部屋に浮かべた数個の鏡に映す。

 以蔵も暇だからか、今度は眠らずに横に座って鏡に見入っていた。

 桜は相変わらず、狗神たちと遊んでいる。繍のあげた犬用ブラシでのブラッシングが、気に入ったらしい。

 そうやって数時間が過ぎ、日が傾きかけた頃。

 

「ありゃ?」

「こいつ……」

 

 鏡に映り込んだ姿が、あった。

 洒脱なスーツに身を包み、街を往くのは紛れもないケイネス・エルメロイである。

 冬木ハイアットホテル爆破事件から、実に丸一日以上経っているのだが、当人はやはり健在だったらしい。

 

「ロード、何処に隠れてたんだろう」

「それより、ランサーのマスター、車に乗りよるぞ。何処へ行く気じゃ?」

「ちょっと待って。式神に追わせるから」

 

 鳥型式神の目は、ケイネスの乗ったタクシーを俯瞰する。車が向かうのは、郊外の森だった。

 御三家がひとつ、アインツベルンが居を構えたと思しき森だ。

 

「……アインツベルンの本拠地に向かうつもりなのか?」

「ランサーのマスターの宿を、爆破しよったのが、アインツベルンのなんたらいう殺し屋なら、仕返しする気じゃろう。四の五の言うちょる場合やない。どうする、マスター?」

 

 問われて考える。

 プライドの高いケイネスならば、衛宮切嗣を雇った、アインツベルンのマスターに自力で落とし前をつけに行くだろう。

 セイバーの相手に、ランサーを宛てがい、自身はそのマスターを下す算段でも立てているのかもしれない。

 

 確かに、ケイネスに決闘で勝てる魔術師はまず、冬木にいまい。アインツベルンは錬金術の家系で、元々戦闘にも向かない。

 ただし、それは相手に『魔術師殺し』衛宮切嗣がいなければ、の話だ。

 

「アサシン、アインツベルンの森に向かって。目的は、先……ロード・エルメロイの援護。可能ならば、衛宮切嗣またはセイバーのマスターの……殺害」

 

 敵を殺せ、と繍は言った。

 臓硯は最早、繍の中でヒトの範疇に入っていなかったが今度は違う。

 衛宮切嗣もセイバーのマスターも、同族の人だ。

 それを認識して、殺すのだ。

 手を下すのが以蔵でも、やれと言うのはマスターの繍。

 これまでの人生で、繍は何者であろうと、人間を殺したことはない。

 背中に氷柱を突っ込まれたようだった。

 聖杯戦争で、アサシンのマスターになったからには、避けて通れないことだったはずなのに。

 

「おん。……任しちょき、マスター。人斬りのわしにできゆうがは、人を斬ることやきな」

 

 ぽん、と軽い手が頭の上に乗った。

 その子ども扱いは嫌で、逆に乾いた手首を握って頭から手を引っ剥がした。

 琥珀色にも蜜色にも見える、不思議な瞳を見据えて、繍は強い口調で言った。

 

「ランサーのマスターを守るほうが優先だ。間違えないで。それから、黒を連れてって」

 

 自分の名前が出たことに気づいたのだろう。黒い狗神は、桜の手をすり抜けて以蔵の足元に擦り寄った。

 

「またこん犬コロが来るんか」

「そうだよ。行って、アサシン。撤退のタイミングは君に任せるが、死んだら承知しないからね」

「誰が死ぬるか、ばあたれ。ほいたら、行ってくる気のう」

 

 からりと以蔵が笑った次の瞬間、彼諸共その肩にしがみついた黒狗の輪郭が溶けた。

 共に霊体となって、アインツベルンの森へと駆けて行ったのだ。だが、彼らの足でもケイネスのほうが、先にアインツベルンの森に辿り着く。

 

「ロードが結界を破るのとタイミング合えば、侵入もバレ……ないといいなぁ」

 

 以蔵に魔術系の知識はないし、狗神は西洋系の術を嫌う。侵入には敵対者用の結界を、無理くり通ることになるだろう。

 

「あの……」

「ん、なんだい?……ああ、黒が行った先が気になる?」

 

 こくり、と桜は頷いた。

 さっきまで遊んでいた仔犬が、サーヴァントと出て行ったのだ。気になりもするだろう。

 

「一緒に見る?」

 

 促すと、桜は無言で繍が腰掛けたベッドに移ってきた。繍に近寄ろう……として、熱いものに触れた手のように体を引っ込める。

 

「白、ここに来て。ちょっと大きくなって」

 

 仔犬姿から、成犬の秋田犬の大きさにまで姿を変えた狗神は、繍の隣に伏せた。

 

「白を挟んでいたら、ボクに近寄っても平気かい?」

「……はい」

 

 しばし、静かな時間が流れた。

 鏡の中では、いよいよケイネスが森に踏み入らんとしている。彼は、手に持った壺から地面に何かを注ぎ掛ける。

 直後、その銀色の水溜りはぐにゃりと生き物のように動き出した。

 

「『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』か」

「……?」

「あの銀色のことだよ。水銀の魔術礼装でね。ロード・エルメロイの……ボクの先生の切り札さ」

「……あなたの先生、なんですか?敵なのに」

「そうだね。あの人には恩もあるし、感謝もしてる。だけど、今は敵になっちゃったんだ。仕方ないことだけど、ままならないものだ」

 

 桜は黙っている。

 愛らしい横顔には、冷たい陶器人形のように表情がない。

 横顔から目を逸らし、鏡に見入るふりをしながら、繍は口を開いた。

 

「桜……君の体から蟲を出したとき、ボクは君が何をされたか、診て、知った」

 

 細い肩がはねる。体が細かく震える。

 努めて平坦に、繍は続けた。

 

「必要なこととは言え、了承無しにしたことを謝る。……君から奪われたものを、ボクは君に返してやれないけれど、別のことは教えてあげられる。……体内の気を清め、悪しきモノに憑かれなくなる術だ。桜、知りたいなら、手を取ってほしい」

 

 片手を白狗の体越しに差し出す。

 ややあって、おずおずと細い指先が触れた。

 指先を絡め、拠り所を作る。

 

「桜、ボクに合わせて、息を吸って、吐くんだ。……そうそう、上手いね」

 

 数度、合わせた呼吸を繰り返す。

 ほどなく桜は、あ、とあどけない声を漏らした。

 

「体が……あったかい、です。……ぽかぽかします」

「だろう?今はボクが手から力を送って、切っ掛けにしたが、慣れたら桜一人でもできるようになるさ。……体、楽になったろう?」

「……はい。魔力じゃ、ないんですか?」

「魔術回路は、使ってないよ。君の体にある気……生きるための力を引き出してるだけ。だからそのあたたかさは、桜が生きてる証だよ」

 

 横を向くと、桜は眠たげに眼を擦っていた。気を張っていたせいで、これまで眠気も感じていなかったのだろう。

 そっと、絡めていた指を解いた。

 

「眠っていていいよ。白を枕にしてなさい」

「わふ」

 

 白が、薄桃色の舌で顔を舐めた。

 その柔らかさが決め手になったのか、桜は素直に動いて、白のお腹を枕に体を丸めた。

 繍が毛布を取ってかけてやる頃には、もうすうすうと深い寝息を立てていた。

 

 ─────こんなことが、君を巻き込んだ償いにはなるとは思わないけど。

 ─────それでも、ね。

 

「おやすみ、桜。いい夢を」

 

 少しだけ血の気の戻った子どもに背を向けて、繍は鏡の向こうの戦場に目を向ける。

 

 これから先起こることは、桜には見せられないからねぇ、と呟く瞳は刃のように鋭く光っていた。

 

 

 





間桐臓硯in安ホテル冷蔵庫。
そして幼女誘拐犯刀アサシン主従。

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