七人目────便宜上、刀のアサシンと呼ぶことにしたサーヴァントのマスターについて、アインツベルンの陣営が知り得たことはほとんどなかった。
転移の術を扱う、高度な犬形の使い魔を操ること以外、確かな情報がない。
姿形も、名前も、性別すらも不明である。
拠点の隠し方が上手いのか、場所を四六時中移動させているのか、居所も掴めず、戦場には使い魔を通して声を届けたのみ。
召喚しているアサシンに関しても、通常ならば喚べないはずの東洋の英霊であり、刀を武器にし、押されたとはいえアーチャーの爆撃を一時凌げる力もあるということだけしか、知り得ていなかった。
彼らは他の聖杯戦争参加者にしてみても、完全なイレギュラーである。
その評価を聞けば、その当人のマスターは当たり前だと、こちらとて参戦したくてしたわけではないと、思い切り顔をしかめていただろう。
アインツベルンの真のマスター、衛宮切嗣にとってもそうだった。
アインツベルン本家にも、この街周辺に住む遠坂と間桐以外の魔術師を調べ直させているが、結果は芳しくない。
恐らくは流れの魔術師がたまたま令呪を得て、マスターとなったのだろうという見当しか、立てられていなかった。
だが、ともあれ今宵、アインツベルン陣営の者たちが立ち向かうべきは、彼らではなかった。
城を襲撃して来たランサーとそのマスター、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトである。
間桐邸襲撃の知らせを受け、連絡のために急遽城に戻っていた切嗣にとっては、これは寧ろ僥倖だった。
今ならば彼の助手、久宇舞弥も城にいる。アインツベルン陣営の総員で、事に当たることができるからだ。
もし当初の予定通りに、偽のマスターであるアイリスフィールとセイバーしか城にいないところを襲撃されていれば、対処は難しかったことだろう。
「セイバーには城の外でランサーを迎撃させるんだ。その隙に、僕はランサーのマスターを殺る」
「あちらのマスターが、誘いに応じると思う?」
「応じさせるだけさ。ケイネスは僕にとってやりやすい『魔術師』だからね」
アインツベルン城の広間にて、切嗣は妻であり、聖杯の護り手であるアイリスフィール・フォン・アインツベルンにそう告げた。
彼女の傍らには、金髪碧眼の少女騎士、セイバーが控え、切嗣の傍らには黒髪の女性、久宇舞弥が佇んでいた。
セイバーの表情は硬い。
彼女は、聖杯戦争が始まってこの方、マスターである切嗣とまともに言葉を交わしていなかった。
というよりも、切嗣が彼女を徹底的に無視しているのだ。
ある理由から、衛宮切嗣はセイバーであるアーサー王を受け入れることができないでいた。
「アイリ、君は舞弥と共にこの城を離れるんだ。僕と同じようにマスターを狙う輩が現れないとも限らないからね」
指示を下す間も、切嗣はセイバーを一顧だにしない。
屈辱にセイバーが柳眉をひそめるのを感じながら、アイリスフィールはそれでも夫の指示に頷いた。
彼女の前には遠見の水晶玉があり、そこには二本の槍を携えたランサーの姿が映っていた。
「セイバー、行って頂戴」
「わかりました、アイリスフィール。マスターも武運を」
「……」
切嗣の返答を待つことはなく、セイバーは広間から風となって駆け出して行った。
「アイリ、聞いていたね?君も舞弥の指示に従い、城を離脱してくれ」
「ええ、わかったわ」
アイリスフィールが立ち上がり、舞弥と共に退出するのを見届けてから、己の魔術礼装である銃の重みを感じながら、切嗣もまた動く。
魔術師に特化した殺し屋である、衛宮切嗣の今宵の獲物は、ランサーのマスター、ケイネス・エルメロイだった。
遠見の水晶には、今しも森の入り口で会敵したセイバーとランサーの姿が映っていた。何事か騎士の礼、とやらを交わしているようだが、切嗣にはまったく興味がない。
それよりも、その傍らにいるマスター、ケイネスに切嗣は注目した。
アイリスフィールの残して行った通信術式に魔力を通し、直接戦場に声を届ける。
「ランサーのマスター、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト殿とお見受けする。魔術師同士の尋常な決闘を所望するならば、城へと来られよ。結界の類は、外しておく」
これで釣れるならば、安いものだ。
もし、これに乗って来ないならば別の手段でマスターを狙って攻撃を加えるのみ。
さて、どう出るかと水晶を覗く切嗣の前で、ケイネス・エルメロイは城へと歩を進める。
ランサーはその場に残し、セイバーとの決闘を続けさせるつもりなのだろう。つくづく与しやすい相手だと、切嗣はほくそ笑んだ。
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アインツベルンの城へと訪ねたケイネスを迎えたのは、求めていたアインツベルンの魔術師ではなく、近代兵器による容赦ない弾幕の嵐だった。
無論、切り札、
が、その時点で彼はアインツベルンのマスターを軽蔑した。
彼が聖杯戦争に求めていたのは、魔術師同士の尋常な決闘である。
正面切っての戦い、互いに秘術と魔力を尽くした戦。それこそ、ケイネスの思い描く聖杯戦争であった。
遠く英国から、わざわざ辺鄙な極東の地にまで訪れたのも、アインツベルン、遠坂、間桐の当主、そして三人の魔術師たちと覇を競い合うためだ。
尤も、外様のマスター権のうち二席は、なんとケイネスの身のほど知らずの弟子と、出来は良いが才を無駄遣いする弟子によって、埋められてしまった。
身の程知らずの弟子のほうはケイネスの聖遺物を盗み出して、分不相応な大英雄を従えての参戦、もう片方は巡り合わせの悪さで、その実力に見合わない格の低い英霊を召喚しての参戦である。
いずれにしても、ケイネスはその弟子たちをもサーヴァント含めて、粉砕する所存だった。
魔術師同士の誇り高い戦場とやらの空気を、至らぬ弟子たちに教えこんでやる所存であったのだ。
だがつい昨日、その弟子たちが、御三家の一角、間桐邸を襲撃し、成功した。
黄昏時に空を駆けて行ったライダーの戦車、そして間桐邸の焼け跡に微かに残っていた、結界の残滓。
それら二つを組み合わせれば、弟子たちが手を組んだことは明らかだった。
結界のほうは随分と念入りで、事実ケイネスは、明け方になるまで間桐邸が焼けていたことに、気づけなかった。
間桐邸の様子を、誰にも悟らせなかった見事な結界は、あの東洋人の弟子の手によるもので、屋敷の襲撃はライダーの手によるものだと、ケイネスは当たりをつけた。
間桐家の長老、間桐臓硯は行方不明という話だが、十中八九あの弟子たちと彼らのサーヴァントにより倒されたのだろう。
或いはバーサーカーすらも、撃破されたのかもしれない。
そのことは、大いにケイネスのプライドを刺激した。
弟子たちが御三家の一角を落としたならば、師である自分に同じことがやれぬ道理はない。
元々、工房を爆弾という卑劣な手段で破壊したアインツベルン陣営に、ケイネスは必ず自らの手で引導を渡すと決めていた。
そしてより易い相手なのは、正体不明のアーチャーを擁する遠坂家より、ランサーの呪いで弱体化を余儀なくされているセイバーを抱えるアインツベルン。
そちらを標的にするのは、彼にとっては当然だった。
だからこそ、城で待つというアインツベルンのマスターの申し入れを受け、正面から出向いたのだ。
だが、こともあろうにアインツベルンは近代兵器などという、下等な方法での騙し討ちを選んだ。
これを仕掛けたのは、あのセイバーの銀髪のマスターではなく、雇われた魔術師殺しだろうが、いずれにしてもこのような無粋なものを魔術師の戦いに持ち込むことを、アインツベルンは許容したのだ。
かの魔導の名門の凋落ぶりに嘆きながら、ケイネスは城の奥へと歩む。
なんでそんな安い挑発とわかりきった罠に乗るんですか、先生ぇ、と東洋人の弟子がその様を見ていたならば、頭を抱えていたことだろう。
当然ここにその弟子はいないのだから、ケイネスは怒りに燃えたまま廊下を進む。
目指すは、二階の突き当りのサロンである。
水銀の刃と機動力で、たちまちのうちに辿り着いたケイネスは、そこで目標の鼠を見止めた。
弟子の一人と似た東洋系の顔立ち、淀んだ目に、銃器を携えた黒装束の男。
それが、標的の一人『魔術師殺し』であるとケイネスは即座に悟る。
その場で鼠を仕留めようとしたケイネスはしかし、あろうことか仕損じた。
魔術師の家に雇われた傭兵は、忌々しいことに拙い魔術で以て彼の攻撃を躱したのである。
あまつさえ、彼はケイネスの不意をつき、騙し討ちで放たれた弾丸は、彼の肩を貫いた。
あり得ぬことだった。不条理という名の、偶然だとしか思われない。
故にケイネス・エルメロイは憤激する。
下賤な屑と、見下し切っていた鼠の一撃が、自身に傷をつけたという事実そのものを、彼は認めることができない。
プライドに皹を入れられ、ケイネスは城内を破壊しながら、ひたすらに鼠を討たんと決意した。
怒りで頭に血を上らせながら、傷の痛みを感じながら、ケイネスは鼠を再び追い詰めていく。
それが、衛宮切嗣の思惑通りだとは知りもせずに。
かくして、三階の廊下の突き当りに、ついにケイネスは鼠を追い詰めた。
一度は、ケイネスに傷をつけた下賤の者は、凝りもせずに同じ手で銃弾をばら撒く。
「馬鹿め、無駄な足掻きだ!」
ケイネスは叫んだ。
廊下を遮るように展開される水銀の膜が、叩きつけられる9mm弾を防ぐ。
先程は、こうして引き伸ばした水銀を大口径の銃から放たれた弾が、打ち破ったのだ。
今一度の偶然を狙い、確実に奴はあの弾丸を使うだろうと、確信があった。
そのときに今度こそは防ぎ切ると、ケイネスは全身の魔術回路を励起させる。
果たして、かの溝鼠は再びあの銃を構えた。
「やはりそう来たか────」
これならば防ぎ得る、とケイネスには確信があった。
それを見る衛宮切嗣の顔に浮かぶのは、会心の笑み。
彼の目論見通りに、ケイネス・エルメロイは、今この時最高の魔術式を組み上げたのだ。
だがしかし、黒い魔弾が、銀の棘に触れることはなかった。
その直前で、廊下に銀閃が走ったのだ。
「面倒な先生じゃのう」
弾は棘に当たる直前で、細い刀で以て叩き落とされた。
それを成したのは、薄汚れた黒い装束を纏う青年。真名を掴めぬ東洋の英霊、アサシンのサーヴァントであった。
「貴様、貴様が何故ここに……!」
まさか、この場で自分を仕留めに来たのかと、ケイネスは即座にランサーを呼ばんとする。
だが、刀を携えた青年は、狼狽えるケイネスなど一顧だにしていなかった。
低く身をかがめるや、廊下の先の魔術師殺しへと野獣のように疾駆する。
「死に、さらせぇっ!」
大上段に構え、振り下ろされた刀の一撃を、魔術師殺しは咄嗟に持っていた銃を掲げ、防ごうとした。
だが、構えられた銃は敢え無く真っ二つに切り裂かれ、魔術師殺しの右肩から左の腰にかけ、斬撃が食い込んだ。
廊下に、鮮血が散った。
一瞬で斬り伏せられた魔術師殺しが、膝をつく。
だが、彼の片手に握られた銃が瞬時に火を吹いた。無数の9mm弾が、アサシンのサーヴァントに向かって放たれる。
一瞬青年が刀を引いたその隙に、魔術師殺しは手を掲げた。
「来い、セイバー!」
たちまち廊下に収束する清冽な魔力の渦に、ケイネスは堪らず後退した。
そこでようやく、廊下にあの黒犬までもが姿を現していることに、彼は気がついた。
こちらはケイネスを守るように、四肢を踏ん張って立っている。気のせいか、倉庫にいたときよりも、その体は二回りほども大きく見えた。
「キリツグ!」
魔力の奔流と共に現れた英霊、セイバーの剣は、アサシンの刃を受け止めた。
剣と刀がぶつかり合い、暗い廊下に火花が散る。
「チィッ!」
押し負けたアサシンが後ろに跳び、刀を構え直した。
相対したセイバーは、背後に魔術師殺しを、衛宮切嗣を庇っていた。
今のは紛れもなく、令呪による奇跡だとケイネスは看破する。
ただの雇われであるはずの衛宮切嗣が、令呪を用いてセイバーを召喚したということは、つまり。
「私のマスターを襲ったのは貴様か、アサシンのサーヴァント」
「それがどうしたちゅうんじゃ」
烈火の如きセイバーの怒りを受けて尚、せせら笑うアサシンの瞳は、光の加減なのか赤く光っているようにも見える。
人の身で人の枠を越えた者、英霊同士の殺気が充満する。内心の怯えを振り払うように、ケイネスは喉に力を込めて叫んだ。
「そいつが……魔術師殺しが貴様の真のマスターだったのか、セイバーのサーヴァント!」
「ほたえなや、ロード先生。見りゃわかるじゃろうが」
図星を突かれたように、セイバーの顔が歪んだ。
アサシンはケイネスを振り向きもせず、ぞんざいな口調で言った。
「何を呆けちょる。さっさとサーヴァントを呼ばんか。わしはマスターに言われたから来ただけじゃ」
言外に、自分はケイネスの味方ではないと告げていた。
念話で、即座にケイネスはランサーを呼びつける。
セイバーの背後には、まだ魔術師殺しが庇われている。が、アサシンの一撃は彼を余程深く斬っていたらしい。
廊下に、ぼたぼたと血が溢れていた。
にやり、と嘲笑うようにアサシンの口角が吊り上がった。
怒りに燃えた瞳で、セイバーが踏み込む。
突如として廊下に吹き荒れた風に乗り、彼女は恐ろしい速さでアサシンに突貫した。
無茶だ、とケイネスは思った。
ここにいるのは、所詮アサシンである。
最優のセイバーと、正面切って戦えると思えない。
だが、アサシンはそれを受けた。
まるでセイバーの剣技を
「チェストォォッ!」
避けた勢いのまま、彼は凄まじい気合で刀を振り下ろした。
セイバーは、見えない剣を掲げて受ける。夜闇に、またも鋼同士が生んだ火の花が散った。
「マスター!御無事ですか!?」
城のガラス窓を突き破り、切り結ぶアサシンとセイバーを丁度分断するように、ランサーが現れたのはそのときである。
セイバーが朱に染まった衛宮切嗣を庇ってアサシンを相手にし、己のマスターは巨大な黒犬に庇われているという状況に、彼は束の間動きを止めた。
「何をしている、ランサー!アサシンと共に、セイバーとマスターを殺せ!」
「あ、主、しかし、それは……!」
何故言いよどむ、何故即座に殺しにかからない、とケイネスは臍を噛んだ。
この期に及んでまだ、尋常なセイバーとの立ち合いに拘るというのか、と怒鳴りつけそうになる。
「退きぃ色男!邪魔じゃ!」
ケイネスの怒りが爆発するより早く、アサシンの怒声が飛んだ。
ランサーを突き飛ばすようにして、アサシンがその横をすり抜けようとする。
だが、その喉を掠めて、暗闇から
首を傾け、辛うじて避けたアサシンは、刀を構えて跳び退る。腰に差した二本目の短い刀を抜き放つや、彼はそれを闇に向けて投げた。
「グッ……」
くぐもったうめき声を上げ、廊下に倒れ伏したのは、胸を刀に貫かれた、髑髏面を被った黒衣の人間であった。
「アサシンだと……!」
ランサーの驚愕の声に応えるようにして、廊下に次々と黒い影が現れる。それらすべてが、髑髏面に黒い衣のアサシンだった。
「……貴様ら、組んどったがか?」
刀のアサシンの呟きに合わせるかのように、セイバーとそのマスターの間を遮るようにして、髑髏のアサシンは廊下に続々と姿を現す。その数、十は下らない。
それを見計らってか、セイバーはそのマスターを抱え上げるや、窓を蹴破って外へ飛び出した。
魔力を噴出し、弾丸のように飛び出た彼女の小柄な体は、森の木々に遮られてあっという間に見えなくなる。
残ったのは、短刀を構える髑髏のアサシンたちと、彼らに相対する刀のアサシン。
暗殺者同士のにらみ合いと、そこに蟠る殺気に、ケイネスは喉が締め付けられるようだった。
息詰まるような沈黙を、断ち切ったのは黒犬だった。
『アサシン、そこまで。離脱だ』
「おい、マスター」
『聞け。セイバーのマスターが、味方と合流した。すぐにでも彼女が復帰してくる。引くんだ』
「……チッ。了解じゃ」
黒犬の口から放たれた人語に、刀のアサシンは舌打ちしながらも是と答えた。
それを聞き、髑髏のアサシンたちの姿は陽炎のように揺らめき、消えて行った。
刀を一振りし、残った暗殺者のサーヴァントは刃についた血を払う。その足元には、衛宮切嗣の血が溢れ、ぬめりと月光を照り返して光っていた。
髑髏のアサシンの胸を貫いたもう一本の刀を、黒衣の青年は無造作に拾い上げると、射るような目をランサーに向けた。
「おい、ランサー。聞こえちょったやろう。こっから去ぬる。ついてきぃ。そんマスターから目ぇ離すなや」
吐き捨てた刀のアサシンと黒い犬は、ケイネスの返事も待たずに、割れた窓から外へと身を躍らせた。
「主よ、では失礼致します」
「……ああ」
ランサーは
彼らが地面に降り立ったときには、犬と黒衣の青年は既に、遠くにまで駆けていた。
ランサーはその跡を追って、走り出す。
アインツベルンの城は、ケイネスの視界からあっという間に遠ざかって行った。
アインツベルンの被害
切嗣負傷、令呪一画使用、コンテンダー大破、城中破、マスターバレ。