冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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本日二話目です。


巻のニ

 

 

 

 

 

 ─────そう、そのまま立ち去るのが正解だったのだろう。

 

 仮の宿に戻り、放りっぱなしの地図を集めて、特急列車に飛び乗って、遠い街まで離れてしまうのが、最も良かったに違いない。

 だというのに、辺りが闇に沈んでも、繍は未だ冬木の街から離れないでいた。

 明確に何をするのでもなく、昼間と同じように街を巡って何かの異常を探すかのようにうろついていたのだ。

 ケイネス他、六人のマスターのうち、三人には当たりがついていた。

 聖杯戦争には、御三家と呼ばれる家が深く関わっている。

 アインツベルン家、遠坂家、間桐家。この三つが手を組み、編み出した儀式こそが、冬木の聖杯戦争なのである。

 故に、創設者たる彼らには優先的に令呪が与えられる。残り四つの枠を、御三家以外の魔術師が手に入れるのだ。

 ケイネスはその一枠に選ばれ、ランサーを召喚した。

 繍は、残りのサーヴァントたちのクラス名すらもろくに知らない。ただ、七騎のサーヴァントが召喚されるのだということだけは、わかっていた。

 だから、ケイネスの『敵』はあと六騎六人いるはずなのだ。

 師への拘りと、自分の悪寒の正体を確かめたくて留まっていたが、それも終わりにしなければならないと繍が自覚したのは、警官による四度目の補導を、暗示の術で切り抜けたときだった。

 最近、冬木には連続殺人鬼までが出没しており、警察も警戒している。聖杯戦争と時を同じくして、そのような非道な人間に襲われるとは、この街はつくづく災難に見舞われる土地だった。

 

「嫌なことは重なって起きる、と言うしな。悪縁あるところに災難は結ばれてしまうものなのか」

 

 誰も伴わない旅が長かったせいか、めっきり増えた独り言を呟きながら、夜の住宅地を抜けていた、そのときだ。

 

「……っ」

 

 空気に、血の臭いが混ざった。

 繍は、元々気配を読むのに長けている。神官だった先祖は、神域に立ち入る者を察知し、速やかに排除する技も伝えていたし、繍もそれを受け継いでいる。

 侵入者を排除する術を少し弄ることで、己の周囲での異変を第六感で察知するのは、得意だった。

 それに従うならば、たった今通り過ぎた民家のひとつから漂う血と死の気配は、無視できたものではなかった。

 

─────捨て置くか、臭いの元へ向かうか。

 

 二つに一つの選択肢が頭を過る。

 数秒迷ったあと、繍はただならぬ気配を感じ取った方へと足を向けていた。

 

─────ひとと生き、ひとを生かして、自らも生きる。それが、わたしたち。

 

 繍が祖母から教わった道というのは、つまるところはそのための方法だったのだ。

 体内に魔力を巡らせ、呪術の道具であり武器でもある鏡を取り出す。広げた両の(たなごころ)に収まるような大きさの、青銅の鏡である。

 血の臭いが出ているのは、他と何ら違うところが見受けられない、一軒家だった。

 だが、漂う臭いはいよいよ耐え難い。窓の硝子を術を用いて透かし見た瞬間、繍の時間は一瞬止まった。

 血だまりの中に倒れる、喉を切り裂かれた男女と子どもと、その傍らで哄笑する男。

 それを見た瞬間、繍は懐から抜いた短刀の柄を硝子に向けて叩きつけていた。

 

 魔力を纏った柄が、硝子を呆気なく粉砕するのと、男が顔を上げるのはほぼ同時。室内には魔力が渦を巻いていたが、それをまともに認識するより先に、繍は踏み込んで男の腹を柄で殴っていた。

 声も立てずに意識を刈り取られた男が、棒切れのように倒れる。

 その傍らには、血で描かれた魔法陣があった。()()に、肌が泡立つほどの魔力が収束し、何かの形を取ろうとしていた。

 さらには、男の手の甲に令呪があった。一瞬の迷いもなく、繍は令呪が刻み込まれた手首を短刀で斬り落とした。

 令呪の刻まれた手首が落ちた瞬間、部屋に蟠りかけていた力は緩む。

 弛緩した空気の中、繍は血だまりに沈んだ男女と、子どもにかがみ込んだ。

 彼らの脈は、とうに絶えていた。返り血を浴びた男の手には、刃物が握られている。彼らは、この若い男に殺されたのだろう。

 がん、と繍は拳を握りしめて膝を叩いた。

 少し、あと少しだけ早かったのならば、血を嗅ぎつける前に気がつけたのならば、誰か一人だけでも助けられたのだ。

 血が滲むほど唇を強く噛んだ瞬間、部屋の片隅で物音がした。

 暗がりに丸まっていたのは、ロープで縛られタオルで口を戒められた幼い少年。その瞳は零れ落ちそうなほどに見開かれ、ぶるぶると全身を震わせていた。

 繍が近づこうと動けば、少年は猿轡の奥で声に出ない泣き声を立てる。怯えきっているのだ。口が利けるような状況ではない。

 血が飛び散った部屋、それに斬り落とした手首に刻まれた令呪を確認して、繍は眩暈がした。

 

「これがマスターなんて、冗談だろ」

 

 かつて神官だった一族の血を受ける呪術師の目で見れば、この男は死の穢れを纏いすぎていた。五人や十人では利かない数の誰かを、殺して来たのだ。

 冬木を今騒がせている連続殺人鬼、それがこの男としか思えない。

 何の偶然なのか令呪を手に入れ、それで《何か》を呼び出そうとしていたのだろう。

 儀式が完了するすんでで彼が令呪を失い、気絶したことで、中断されることになったようだが。

 

「どうしたらいいんだ……」

 

 ひとまず斬り落とした手首を拾い、繍が立ち上がったときだ。

 部屋に踏み込んだときに床に転がしていた青銅の丸鏡。それが浮かび上がり、虚空から繍の首に向けて放たれていた黒塗りの短刀(ダーク)を叩き落していた。

 

「なっ!?」

 

 驚愕の声は、いったい誰が放ったものだったのか。

 部屋に唐突に姿を現した、髑髏面を付けた人影を見た瞬間、繍は駆け出していた。血が溢れた居間を一跳びで横切り、廊下に転び出る。

 背後からは短刀がまだ投擲され、自動防御の術が仕込まれた鏡が、それをはじき返している音が追って来ていた。

 

─────どうして、どうしてどうしてどうして!?

 

 あの気配、ランサーと同じくサーヴァントである。訳が分からないが、あの髑髏面の怪人は、間違いなく繍を狙っていた。

 廊下から玄関の扉へ向かおうとして、その先にも髑髏面が現れる。その手から放たれた短刀は、紙一重で宙を舞う鏡が弾き返した。

 

「こ、のっ!」

 

 いずれにしても、扉は最早使えない。

 鞄を廊下に放り捨てて階段を駆け上がり、見つけた窓を体当たりでぶち壊して外から屋根へ飛び移った。

 屋根を駆けながら、繍は背後から恐ろしい勢いで忍び寄る気配を察知していた。鏡の護りが突破されるのも、時間の問題である。

 

─────これか!

 

 さっき掴んだままだった令呪の刻まれた手首。あのサーヴァントの狙いはこれなのだ。

 けれど殺気の濃さからして、今更放り捨てても、見逃してくれるとは思えなかった。

 鏡の護りをついに抜けて、繍の肩を短刀が掠めたのはそのときである。

 身を捩じったために刺さるのは避けられたが、屋根を踏んでいた足が滑り、繍の体は宙に投げ出された。

 コンクリートの地面に叩きつけられる寸前、抜いた呪符で衝撃だけは和らげる。痛覚を遮断するのと同時に、新たな呪符を腰のホルダーから抜き放つ。

 

「参り給え、狗神!」

 

 言葉と共に飛び出た白と黒の二頭の狗の影が、追って来た黒衣の影に飛びかかるのを見届ける間もなく、繍はさらに走った。

 どうせ時間稼ぎにしかならない。サーヴァントに抵抗できるのは、サーヴァントだけだ。

 多少腕に覚えがあったところで、人間の術者が生き延びられるわけが無い。それでも、できるだけ遠くまで逃げてやると思った。

 まだ掴んだままだった手首に目が行ったのは、そのときだ。

 

────────サーヴァントに、対抗できるのは。

 

 同じ、サーヴァントだけだ。

 

「死んでたまるか、畜生が……!」

 

 陣も呪文も、何も知りはしないが、繍は令呪だけは持っている。

 壁の陰に走り込み、肩から垂れる自分の血を指につけた。

 降霊科で学んだ陣に、家に伝わる御霊降ろしの術を織り交ぜてコンクリートの地面に、円と漢字を混ぜた方陣を描いた。その陣の手前に手首を置き、魔力を通すと共にたった今練り上げた魔力を詞にのせて、呪文を唱える。

 

「謹みて請ふ!是れ吾が子孫(うみのこ)の来るべき地也り!されば(きこ)し召せ、刀持ちて来り給え、千五百秋(ちいほあき)の冬の地にッ!」

 

 即興で組まれた降霊の呪文が唱え終わった途端、繍は右手の手の甲に鋭い痛みを感じた。

 赤い刻印が、そっくりそのまま繍の手の甲に転写される。それと同時に、狗の式を切り払った髑髏面が、路地の入口に姿を現した。

 その手に光る黒塗りの短刀が、繍目がけて放たれる。

 避けられないと悟った刹那、路地を突風が吹き抜けた。血の方陣を中心に紫電が闇夜に飛び散り、その眩しさに繍はたまらず目を腕で庇った。

 

「七人目のサーヴァントッ……!?」

 

 髑髏面──────アサシンのサーヴァントが放ったのは、驚愕の声だった。

 元より彼らはマスターの指示で、ランサーのマスター、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトを訪ねた外来の魔術師を監視していた者たちだった。

 その魔術師が街を離れるならば捨て置き、留まるつもりならば消すように、との命を受けて。

 対象の魔術師が、如何なる偶然か殺人事件の場に踏み込み、あまつさえその場にあった令呪を拾い上げたとき、アサシンたちはこの魔術師の排除を決定したのだ。

 見た目からして如何にも膂力に欠ける獲物一匹、容易いものと彼らは踏んでいた。

 だが、極東の術式を操る術者は存外にしぶとかった。そして紙一重の差で、今この路地に何者かが顕現した。

 

「シャァッ!」

 

 アサシンのサーヴァントは構わず短刀を投擲した。標的は、肩から血を流したまま、地面に座り込んでいる。

 この術者がマスターとなり、何かを呼び出したのだとしても、すぐに殺してしまえば問題はない。

 だがその短刀は、的に届く前に宙で叩き落とされた。

 

「何じゃあ、おんしら……?」

 

 金属同士がぶつかる甲高い音が、路地に響く。

 方陣から歩み出た、片刃の刃物を手に持った男の姿を見て取った瞬間、アサシンのサーヴァントは二体が同時に斬りかかっていた。

 キィン、と闇の中で光る二本の白刃が、アサシンの短刀を受け止める。

 

「おい、そこのこまいの!おまんがマスターか!」

「え、ボク!?」

 

 呆けていた繍の意識が覚醒したのは、そのときだった。

 気付けば陣から飛び出して来た黒衣の誰かが、髑髏面の斬撃を止めていた。難なく髑髏面たちの一撃をはじき返した男は、刀を手にしたまま、繍を振り返る。

 白刃のように闇でぎらぎら光る眼が、繍の令呪に、そして繍の顔に据えられる。

 

「あ、ああ!何が何だか全然わからんが、ボクが君のマスターだ!」

 

 右手の令呪の痛みに抗うように、繍はありったけの力で叫びながら、立ち上がった。

 闇の中、男はにやりと口の端を吊り上げた、ように見えた。

 

「ほうかよ。それじゃあ、わしはこ奴らを斬りゃあええんやの」

 

 アサシンのサーヴァントのうち、一体が遁走を開始したのはまさにそのときだった。

 刃を切り払われた瞬間に、彼らはこのサーヴァントの技量を察した。一対一ならば、間違いなく斬って捨てられる。

 それならば、片方が確実に逃げて情報をマスターへ届けるのが先決だった。

 屋根へ飛び移ったその額に、遠方から飛来して来た鏡がぶち当たる。先ほどとは逆に、アサシンは地上へと叩き落された。

 仰向けに倒れた彼の、髑髏の面で狭められた視界に、白刃が閃く。

 

「これで、終いじゃ」

 

 それが、そのアサシンが聞いた、最期の言葉になった。

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 髑髏面のひとりを、黒衣の男が呆気なく斬り捨てたとき、繍の意識は事態に追いつけずに、また途絶えそうになっていた。

 だが、もう一体が屋根から逃亡を図ろうとしたとき、咄嗟に、不味いと思った。

 この場から一人も逃がしてはならないというその勘は、ほぼ確信に近かった。

 何処かに落としてしまった鏡を、手元へと呼び戻す。その軌道を操り、髑髏面の額にぶつけるのは容易かった。

 熟した柿の実のように、鏡に面を打たれた髑髏面が地へ落ち、白刃で心臓を貫かれて消滅するのを、繍は呆然と見守っていた。

 

「おい、おまん。何を呆けちゅうか?」

「で、え、はい?」

 

 我に返ったのは、白刃を鞘に収めた男が目の前に戻って来たときだ。

 街灯を背にして繍の前に立った男は、頭ひとつぶんは背が高かった。

 腰には刀を二本さし、収まりの悪い黒い髪を後ろで束ねている。纏うのは、袴と着物。それに黒い羽織だった。

 炯々と暗闇で光る目で、男は再びへたり込んでしまった繍を見て鼻を鳴らした。

 

「お侍さん、なのか?」

「はぁ?わしゃ人斬りじゃ。何も知らんと喚んだがか?」

 

 だからそれは、と答えようとして、繍は急に襲って来た痛みに顔を歪めた。

 先ほど短刀に浅く抉られた左肩が、今更ながらに痛みを訴えて来たのだ。それでも何とか、脚に力を込めて立ち上がる。見下ろされるのは、まっぴらだった。

 

「なんじゃ、あ奴らに斬られとったんか。そのひょろい有様で、ようわしを召喚できたのぅ」

「召喚……ということは、君はサーヴァントなのか?」

「応。わしは土佐の岡田以蔵じゃ。人斬り以蔵のほうがとおりがえいかの」

 

 どこか得意そうに、岡田以蔵と男は名乗った。

 また眩暈を感じて、繍はよろめきかける。だが脚に力を込めて、壁に手をつくだけで済ませた。

 

「サーヴァント、にはクラス名があるはずじゃ?」

「それでいうたら、わしのクラスはアサシンじゃ。で、おまんはほんまにマスターか?」

 

 もう大分痛みの治まった右手に、繍の視線は吸い寄せられる。そこには、先ほど手首に刻まれていた令呪が、写し取られていた。

 やけのような転写の術と召喚に、見境なく全力の魔力を込めた結果が、今だった。

 

「そうだ。ボクは繍、佐保繍。魔術師じゃなく、呪術師だ。……助けてくれてありがとう、アサシン」

「そやったら、おまんもよう覚えとけ。わしのクラスはアサシンやない。わしのクラスは、人斬りじゃ」

 

 三日月のように口を吊り上げて笑うアサシン─────人斬り以蔵に、繍は頷きを返すしかなかった。

 

「そいでマスター、わしゃどいつを斬ればえいがじゃ?」

「は?……ああ、聖杯戦争って、殺し合いなんだっけ」

「……」

 

 アサシンだか人斬りだか、どう呼べばいいのかもわからない男は、呆れたように肩をすくめた。

 しかし、と繍は辺りを見回した。地面には切断面がまだ生々しい人の手首と、地で描かれた魔法陣が残ったままだ。

 髑髏面たちの遺体は、既に魔力へと変換されたのかどこにもない。それは幸いだが、手首と陣は早急にどうにかしなければ、確実にとんでもないことになるのは、予想できた。

 ひとまずこの取っ散らかった現状を何とかして、隠蔽しなければならない。

 そのための術を、と考えたところで、繍は全身の血が冷えた。

 術も何も、道具のほとんどはあの帆布の鞄の中なのだ。その鞄は、あの惨劇の家にものの見事に放り捨てられていた。

 それどころか、あの家には手首を斬り落として気絶させただけの殺人鬼と、子どもを残したままだ。

 

「戻らないとっ!」

「はぁ!?どこにじゃ!?」

「さっきの家!君はついて来てくれ!」

 

 言い捨てた繍は踵を返し、そのまま呪符で呼び出した白い狗の背に飛び乗った。

 

「待たんかこら!説明せい!」

「してる暇がないんだ!いいから走ってくれ!」

 

 街灯だけが照らす夜の住宅街を、ひとりと一頭分の足音が騒がしく駆け抜けて行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




コハエース・帝都聖杯奇譚のアサシンこと岡田以蔵と、神道寄りの術を修めたオリジナルマスター。
そんな感じで始まります。

続きは恐らく遅れます。

他のも書いておりますし、リアルで諸事情ありまして。


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