冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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では。


巻の二十四

 

 

 

 

 

 ─────良かった、とその男は言った。

 

 まるで、願いが叶ったかのように、清々しい声だった。

 

 場所は薄暗い路地。日も満足に当たらぬような、饐えた臭いのする暗がりで、蟲を連れた男は現れた。

 その顔の半分は死人のような形相で、ひとつっきりの目は、優しく小さな少女を見ていた。

 だけれど、少女は小さくなって雁夜おじさん、とその名を呼んだだけだった。駆け寄りはせず、ただじっと彼を見ていた。

 蟲の気配に未だ、桜は手酷く怯えていた。

 

「間桐雁夜」

 

 繍はその名を呼ぶ。

 バーサーカーのマスターは、繍と以蔵を見て、曰く言い難い表情を浮かべた。

 感謝しているような、怒っているような、悲しんでいるような、様々な感情が混ぜられた顔に、繍は相対する。

 

「名を呼んだということは、こちらに話があるのだろうけれど、その前に過日の礼を。……髑髏のアサシンとそのマスターの襲撃から、救ってくれたこと、感謝する」

「……別に、あんたみたいな魔術師のためじゃない。桜ちゃんのためだ」

「ボクは魔術師ではないよ。呪術師だ。と、訂正しても、そちらにとっては大して変わらないのかな?」

 

 頑なな雁夜の表情を見れば、どうも訂正は容れられそうにないことは明白だった。

 

「それで、あなたは何の為に来た?」

「取引がしたい。アサシンのマスター」

「内容は?」

「停戦だ。この先、バーサーカーかアサシンか、どちらかが残るまで、俺はあんたたちとは戦わない」

「戦いの順に優劣をつけたい、ということか」

 

 雁夜は頷いた。

 

「桜のことは?あなたは、彼女の身の安全を求めて、戦っていたのではないのか?」

「そうさ。だけど、俺にはあんたのように桜ちゃんを治せない。なら、俺と一緒にいるより、あんたたちが連れ歩いてくれたほうがマシだ。兄貴はとっくに逃げちまってるし……あんたは最初っから、俺に桜ちゃんを治療できるアテが無いなら渡せないと言った。それはつまり、桜ちゃんを見捨てる気がないってことだろう?甘酒を奢るなんて、ただ人質扱いしているとも思えない」

 

 お人好しが、と以蔵が低い声で呟き、繍には何も言い返せない。

 雁夜は続ける。

 

「……臓硯は、俺に聖杯さえ手に入れれば桜ちゃんを解放すると約束した。だから俺は、バーサーカーのマスターになったんだ」

 

 無茶な、と言いこそしなかったが繍は無表情の下で思った。

 明らかに死相の浮かんだ彼を見れば、何をして来たかは推し量れる。

 

「間桐臓硯だけれど、死んだよ。手を下したのはボクではないが、信頼できる人が殺し切った。もう二度と現れない」

「そうか……そうなのか」

 

 口元を抑え、雁夜が身を震わす。

 紛れもなく、彼は嗤っていた。

 一頻り嗤ったあと、雁夜は顔を上げる。

 

「ありがとう。あの爺を殺してくれて」

「別に、あなたや桜のことを知っていて殺したわけではない。感謝の言葉はいらない」

 

 臓硯と繍とは、ろくに言葉も交わしていない。

 たまたま目についた者の中に、あれは殺すべきと教えられたモノがいたから、手を出した。

 お前はこの世にいてはならないから死ねと、教えられた通りに、処断した。

 たった、それだけのこと。

 

「それでもだ。……聞かせてほしいが、あんたは聖杯戦争が終わった後、桜ちゃんをどうするつもりだ?」

 

 桜も繍の顔を見上げる。

 いずれ聞かれると覚悟していた問いに、繍は少し黙ってから答える。

 

「時計塔の伝手を使って、信頼できる魔術師を探す。探して、そこに預ける」

「え……」

「桜、ボクは流れ者だ。それなりに、生命の危険がある旅をしているし、これからもそれを続けて行くだろう。ずっと、君を連れてはいけないんだよ」

 

 聖杯戦争中はともかく、その後まで桜を連れてなど歩けない。

 必要なら、遠坂家とも話す所存だった。

 尤も、聖杯戦争後に繍と遠坂時臣の双方がまともに生き残れている望みが薄いのと、遠坂家が、どうして桜をあのようなまともでない魔術教育を施す家に送ったか、そこがわからないうちは、名を出せないだけで。 

 

 人間の体を捨てた人食いの臓硯を、領土内でのさばらせていた時点で、繍は遠坂家当主を信用できないでいる。

 魔術師として、他家の当主を慮って敢えて見逃す、というなら当主としてあり得る。

 家訓として、人を助けろと言い聞かされている繍からすれば許し難いが、魔術師は魔導の探求のためと言えば、往々にして簡単に一般人の犠牲を許容する。

 魔術師界隈では、人助けで秘術をあっさり開帳し、見ず知らずの人間に肩入れする繍のほうが異端で異常で、俗に言えば頭のおかしい呪術娘である。

 それは繍も認識している。

 後者は、実際にウェイバーに喧嘩で言われたことのあるあだ名だ。

 

 だけれど、仮に、単に遠坂家が臓硯に誤魔化されて見逃していたと言うなら、大いに不安だ。

 

 蟲を追い出すために体を調べた際、桜の魔術的才能も、繍は朧ながら掴んだ。自衛のために魔術の修行をしなければ、狙われかねないほどの才能があると踏んでいた。

 女の異能者が、子宮を狙われることはいつの世も、どの国でも変わらない。 

 経験として、繍はそれを知っていた。でなければ、男の物言いや服装などしていない。

 しかし、繍の答えは雁夜の望む答えとは違っていたらしい。

 

「じゃあ、あんたも桜ちゃんに魔術を教えるって言うのか!?魔術師にするつもりか!」

「言っておくが、蟲翁のような非道なやり方など取らないよ。だけど、魔術をやらなければ、せめて自分の才を隠せるようにしなければ、どの道この子は狙われる」

「狙われるなんて、そんな……!聖杯戦争が終われば……臓硯が死ねば、桜ちゃんも元のように、普通に、生きられるんじゃないのか!?」

 

 普通、という言葉が、繍の胸に刺さる。

 

 何が、何を、誰が、どうすれば、彼の求める普通なのだろう。

 繍も桜も、異能の血筋に生まれている。

 己の血からは、逃れられない。辛かろうが、魔術の鍛錬は身を守るために必要なのだ。

 そこから逃げれば、招き寄せるのは自分自身と周囲を巻き込む破壊と、破滅でしかないのだ。繍の場合、そこにカミの祟りまでついてくる。

 

 彼だって、いくら縁切りしたとはいえ魔導の家の者なら、そんなこと、知っているのではないだろうか。

 それが、魔導の家の者の、普通ではないのだろうか。

 それなのに、どうしてこの人は、繍に怒った顔を向けてくるのだろう。

 

「バーサーカーのマスター。ボクに、君の思い描く普通を、求めるべきじゃないよ」

 

 それくらいしか言えない。

 この場の誰よりも、それがわかるのは以蔵ではないかという気がする。

 少なくとも、少年の頃の彼は、土佐の親元で弟や友と育っているだろうから。

 

「ボクが考え得る最良の道は、今話した通りだ。気に食わないなら、こちらに勝て」

「……わかった。あんたみたいな子でも、そう言うんだな」

 

 雁夜はパーカーのフードを被り直した。

 

「俺には、まだやることがある。死ぬ訳には行かないんだ。あんたが桜ちゃんを守るなら、俺たちはあんたに手を出さない。だけど、忘れるな。聖杯戦争が終わったら、必ず俺は桜ちゃんを迎えに行く」

「そうか。こちらも、先ほどの話は受けよう」

 

 去って行く雁夜に言葉をかけようか、何か、言おうか言わまいか、迷った。

 何度か話して、わかった。

 間桐雁夜は、とても根深く魔術を憎んでいる。

 繍のことも、まだ若いのに魔術師の考えに染まってしまった者と、哀れんでいる。

 才を無駄遣いしていると言うケイネスと似た、そういう目をしていた。

 あれだけ、悍ましい蟲翁の家で育ったからかもしれないけれど。

 

 人を助けるべく在れと定められた家に生まれたことも、カミ降ろしの技を伝える家に生まれたことも、繍の一部だ。

 それを糧にして、支えにして、生きてきた。

 そこにあるのが当たり前すぎて、疑問を持ったことはない。

 

 それを哀れまれたら、どうすれば良いかわからない。

 怒りには怒りで返すし、暴力ならばそれ相応にやり返して来たが、哀れみを振りかざされたら、何を言えばいいのだ。

 わからないなりに、必死に、自分なりに、桜のことを考えているのに、それではいけないのだろうか。

 雁夜が桜に与えたいものも、多分、それはそれで、きっと素晴らしくて、尊くて、良いものなのだろうと、それくらいはわかる。

 雁夜が、生命を捨てても構わないとしたのだから。

 

 間桐雁夜は、暗がりへと去った。

 

「繍……さん」

 

 桜は服の裾を掴んで、離さない。

 泣きそうになっているだろう顔を覗き込み、日の当たる街の方へと歩き出しながら、繍は口を開いた。

 

「桜、雁夜って人は、どんな人なんだ?」

「か、カリヤおじさん……ですか?」

「ああ。君から見て彼は、どんな人なんだい?どんなときに、笑う人?」

「カリヤおじさんは……おかあ……えっと……遠坂さんの……」

「おまん、名前なんぞ、好きなように呼べばえいき。一々言い直しせんでえい」

 

 面倒じゃ、と以蔵がネクタイを弄くり回しながら言う。

 

「は、はい!……あの、えっと、カリヤおじさんはお母さんの、小さいころからの友達で……それで、わたしと姉さんと、よく……一緒に遊んでくれたんです」

「優しい人?何してる人なのかな?」

「はい。公園で、よくあそんでくれました。お仕事は、フリーのる……ルポ……えっと……」

「ルポライター?」

「それ、です」

 

 フリーのルポライター。

 凡そ、魔術師らしからぬ肩書だった。

 

「るぽらいたぁ、ちゅうのはなんじゃ?」

「聖杯知識でも流石に駄目か。ルポライターは事件なんかを調べて、文章を書く人だよ。岡田さんの時代風に言えば、近いのは瓦版書きかな?」

「ほにほに。……げに、魔術と関係ないことをしちゅうのう」

 

 はは、と乾いた笑いを返した。

 というか、それしか返せない。

 間桐雁夜は、少なくとも桜にとって良い人だったのだろう。

 その人間に、桜は時計塔の伝手を使ってでも良い魔術師に預けると言ったわけだ。

 

「これが終わったら、ロンドンに、一回は戻らなきゃならないのは確定かなぁ」

 

 霧の都の魔窟再び、ではあるが仕方ない。

 良いことも悪いことも引っくるめて、あそこは何というか、ちょっと思い出したくないレベルで濃いというのに。

 何にせよ、今はこの聖杯戦争を生き延びるだけで精一杯である。

 冬木にいればいるほど、聖杯戦争に巻き込まれれば巻き込まれるほど、繍には約束だの契約だの、柵が増えて行く。

 大事なものというより、捨て去れないもの、手を離してはいけないものばかり。

 数日前は、自分の生命と寝床の心配だけすれば、それで良かったのに。

 

 ─────大変、かな?

 

 心と体、両方でかなり痛い思いはした。

 というか、実際三、四度は死にかけたが、逃げようと思わない。大変だが、投げ出そうと思わない。

 生きている場所で精一杯、生き延びようと考えて行動するだけだ。

 雑踏の中に戻り、繍はひょいと以蔵の方を振り返った。

 

「そう言えば、岡田さん、改めて聞くが何でランサーと戦った?」

「どういてまたそれを聞きよるが?」

「今晩の酒盛り大会に、ロードも呼ぼうかと。君たちのやり合った原因によっては、考え直すけど」

 

 アインツベルン勢と相対するとなれば、外様マスター組の中で聖杯戦争の仕組みに最も詳しいケイネスに来て欲しいのだ。

 尚、説得が面倒なのでぎりぎりまでウェイバーに言うつもりはない。出たとこ勝負である。

 

 以蔵はまだネクタイを弄くりながら、からりとした声で答えた。

 

「大したことは言うちょらん。忠義忠義とほたえるんなら、主の許嫁を誘惑する黒子なんぞ抉ればえいのに、そん騎士を抱える主もたかが知れとる、ちゅうただけじゃ。ほいたら、ランサーが槍を抜き寄ったがじゃ」

「いやそれ大したことある!ありまくるっ!何を正面切って挑発してくれてんだッ!?」

 

 襟首掴んで揺さぶってやろうかと思ったが、残念ながら繍の背丈では届かなかった。

 以蔵は鼻の頭をかいている。

 

「わしが強うなるんには、本気で殺し合える手合わせするんが一等早いきのう」

「動機はまともなのに、何でやり方はチンピラ化するんだ……」

 

 しかもそれで、以蔵は怪我らしい怪我をしていないから尚更タチが悪い。

 剣の天才と、己で言うだけはあるのだ。

 

「お陰で、あん槍の動きは掴めたが。けんど、足りんきのお」

 

 そう言う以蔵の瞳は刀のようにぎらついている。繍はぐしゃりと前髪をかいた。

 それくらいの言いがかりでの私闘なら、多分、マスターが側にいれば再戦にはならないだろうから、ケイネスにも連絡はいれるが。

 

「強くなる、か。それを言える君は、珍しい英霊だよねぇ」

「そう……なんですか?」

「英霊は人の完成形だよ、桜。人のまま、人の領域を踏み越えた者がなる。完成している者は、それ以上強くなりようがないのが普通なんだ」

 

 始末剣で、召喚されてから新たな剣技を獲得でき、己の技を高められる岡田以蔵は、その例外だ。

 生前に、両刃の西洋剣やニ槍流、鉄骨が得物の敵と切り結んだことは、人斬り以蔵にはないだろう。

 鉄骨ぶん回す真っ黒騎士と江戸京都で市中戦とか、それは幕末でなくただの世紀末だ。

 なのに、セイバーやランサー、バーサーカーと相対しても、以蔵はその動きを知っているかのように即座に戦える。

 彼は彼らの戦いぶりを見て、盗むことができるからだ。

 

「外道の剣じゃ、犬じゃなんじゃと馬鹿にしよったが、わしは誰より剣が扱えたんじゃ。サーヴァントになった程度で、それが変わりゆうわけがあるか」

「げどう?」

「……えい。おまんは知らんでも」

 

 あどけない声で問い返されて、調子が狂ったようにぶすりとした顔になる以蔵を見て、繍はくつくつと喉を震わせる。

 

「笑うな」

「ごめんごめん。それにしても外道かぁ」

 

 真っ当なやり方を取らないのを外道というなら、それは繍も同じだ。だから、雁夜にも何も言えなかった。

 

 同時に思い出すのは、髑髏のアサシンのあの神父である。

 バーサーカーの投石を察知し、避けた身のこなしからして、よほど武術の訓練をしているのだろう。

 地方都市の神父が何故、とも思うが、聖杯戦争の開催地に派遣される人員が、まともな訳もない。

 セイバーとアーチャーは同盟をしたわけでないのに、アーチャーと髑髏のアサシンとは同盟関係で、その髑髏のアサシンがセイバーを助けるというのも謎だ。

 あの神父の行動だけが、不気味に浮いている。それに、あいつはど偉く性格が悪そうと繍は踏んでいる。

 

「そいでマスター。聖杯戦争の裏側っちゅうのはなんなんじゃ。えい加減教えんか」

「あっ、それはねぇ……って、ちゃんと聞く気あるんじゃないか」

「おまんが聞け、ちゅうたんじゃろうが」

「はいはい、了解」

 

 マッケンジー宅へと向かう道を歩きながら、繍はケイネスから知り得たことを、語るのだった。

 

 日が沈むまで、後、僅かである。

 

 

 

 

 

 





善属性一般人に似ていようが、千年神秘の家の当主が普通の幸せと言われて困る話。

ちなみに今更ながらこの狗神マスターに、魔術刻印は無し。代わりに色々ありますがそれも追々。

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