では。
マスターたちの沈黙を破ったのは、流石に同情の色を目に浮かべたウェイバーだった。
「サオ、オマエ、本当何やったんだよ?」
「知らないよ。生きるか死ぬかのときに吐いた言葉なんて、いちいち覚えてられるか」
あの外道神父、とぼそりと付け加えて罵る姿に、アイリスフィールは大いに安堵する。
言峰綺礼の執着が、夫からこのマスターへ移るならば、アイリスフィールには喜ばしいことだ。
元代行者という、折り紙付きの戦闘能力を持つ神父と、群体と思しい髑髏のアサシンに狙われるだろう刀のアサシン主従には、少しばかり同情できないでもないが、元より敵同士だ。
「今は時間が惜しい。話が逸れてすまない、ウェイバー、どこまで話してくれたかな?」
気を取り直したのか、刀を持ったまま、アサシンのマスターはウェイバーに顔を向けた。
「聖杯が、汚染されてるかもしれないってところまでだ。で、アインツベルン、ボクたちが知りたいのは、大聖杯の現在の状況だ」
『怨霊じみた反英霊を己から喚ぶような杯など、ランサーから捧げられても困るのだよ。まして戦いを続け、脱落者を増やせば、我々は極上の魔力を秘めたサーヴァントの魂を、汚染された器に注ぐことに成りかねん。このままでは、迂闊な戦闘すら行えない』
「それは……」
アインツベルンとて、第四次聖杯戦争が始まってから、大聖杯を直接見たわけではない。答えられるわけがなかった。
「戦いをやめるわけではありませんけど、監督役の教会に申し立てれば、大聖杯の状態を確認できるまで停戦、くらいの融通は効くんじゃありませんか?」
『髑髏のアサシンのマスターを、何食わぬ顔で匿うような教会だがね』
「業腹なのは重々承知です。でもですねぇ、ロード。名ばかりでも嘘つきでも何でも、他に話をつけるべき中立役がいないんじゃ、しょうがありません」
「オマエが一番毒吐いてないか!?」
「ははは。まっさかぁ」
アインツベルンにとって、一番警戒すべき相手なのに、一番場を円滑に回そうとするアサシンのマスターである。
というか、ランサーとライダーのマスターは、先程から直接言葉を交わしていない。
アサシンのマスターを介して、会話を成り立たせている。
彼らとて、対等な同盟を組んでいるのではないのだ。
だが、それを付け入る隙として利用できるだけの話術は、アイリスフィールにはない。
切嗣がいないことが、痛い。
通信機の向こう側で、彼もおそらくはこの話を聞いているのだろうが、沈黙を続けるということは、判断を決め兼ねているのか、或いは話を信じていないのか。
『君たちアインツベルンが動けば、我々と合わせ、都合四陣営が停戦に賛同することになる。腰の重い教会でも、無視できまい』
「と、言うわけなのですが、一考頂けませんかね、アインツベルン?……それとも、この話を聞いている衛宮切嗣がいなければ、決定は無理でしょうか?」
「あ、あなたっ……!」
通信機を知っていたのかと、気色ばむアイリスフィールに、アサシンのマスターは、いいえ、と簡潔に答えた。
「ですが数日前、監視カメラ付きコウモリを町に放ったのは、あなたたちでしょう?ボクたちの近くに来たものは、即アサシンが壊しましたけど、ああいうものを使うなら、あなたに通信機か盗聴器を持たせてたって、変じゃない」
その反応じゃ当たりのようですね、と刀を抱えたまま、少年はにこにこと笑う。
アイリスフィールは身を固くした。
それは人の戸惑いを見て嗤う、悪魔の微笑みに見えた。
少年は、尚もやわらかな声で言い募る。
「どうなんですか、聞こえているんでしょう?
─────欲したものが、最初から邪神を孕んだ呪いの温床だとしたら、どうするんでしょうかねぇ。
言葉の端々に薄く滲む少年の怒りと毒を、アイリスフィールは初めて感知した。
この少年は、何故か、とてつもなく怒っている。
アイリスフィールが少年に対して感じた怒りが、飲まれて消えるほどに。
悪魔だと思った少年が放つ純粋な怒りは、激しく静かにアイリスフィールへ、そして衛宮切嗣に向かっていた。
小鳥の嘴から、淡々とした声が漏れた。
『シュウ・サオ、怒りを鎮めろ。神秘の隠匿は為されていたのだ。その点において、魔術師殺しは弁えていたのだぞ』
「……うーん、ボクが怒るのはそこじゃないんですが。ロードなら、そう言うと思いましたけど」
怒りを物腰の柔らかさで包んで隠していた少年の瞳が、アイリスフィールから逸れて小鳥へ向く。
跡を引き継ぐように、ライダーのマスターが口を開いた。
「で、アインツベルン、あんたたちの返答は?こいつの言うように、セイバーの本当のマスターがあんたたちの司令塔なら、そいつを出して欲しい。外様のボクらと違って、御三家は、聖杯戦争が悲願なんだろ?その前提が危ういって言ってるんだよ。こっちは」
「ウェイバー。それを世間様は立派な脅しって言うとボクは思う」
「だからうるっさい。オマエだって似たようなことしてただろ!」
「ん、そう?」
「そうだよ!普段はほけほけしてるくせに、たまにクレイジーになりやがって!」
「ひどい。じゃ、ボクは黙っとくよ」
後は皆様でどうぞ、と少年は円座からあっさりと下がって、自分のアサシンの隣に座った。
途端、わしゃわしゃと、アサシンが犬の仔にするように、その頭を掻き回した。
やめろ、と言っている割に、少年は楽しげで、ウェイバーは頭痛を堪えるようにこめかみを指で叩いていた。
「アイツらは放っとこう。それで、どうなんだ?」
答えたのは、アイリスフィールではなかった。
『……イエスだ。セイバー、ライダー、ランサー、アサシンの陣営の連名で、教会に一時停戦と大聖杯の調査を申し出る』
アイリスフィールは隠し持っていた小さな機械を、魔術仕掛けの小鳥の横に置いた。
ノイズが交じる通信機から漏れた声に、ウェイバーが驚く。
「あんたのセイバーの意見は?」
『必要ない』
にべもない切り捨てに、ありゃ、というアサシンのマスターが小さく呟くのが聞こえた。
「それなら、今日はもう終わりだ。明日夜になっても教会から連絡がないなら……」
『その警戒は不要だ。ライダーのマスター。そちらのサーヴァントたちの宴が終いになったなら、もう用件は無いだろう』
話が済んだなら立ち去れ、という気配を悟ったのだろう。
ウェイバーはサーヴァントたちの宴を見た。
何故か沈痛な顔のセイバー、嗤いを堪えるようなアーチャー、悼ましげな目をしたライダー、という三者三様の王たちである。
ライダーの目が、ぎょろりと己のマスターに向く。
「おう、坊主。マスター同士の話し合い、とやらは終わったのか?」
「あ、ああ。まあな。で、オマエらは?」
「そうさなぁ。今宵、語るべきことは語り尽くした。おい、坊主。小娘に刀のアサシンよ。戻るぞ」
「待て、ライダー!私は、まだ……!」
ライダーを止めようとするのはセイバー。だが、戦車を顕現させた征服王はかぶりを振った。
「貴様はもう黙っとれ。今宵の問答は王が語らう場。だが、余は貴様を王であるとは認められん」
「何!?」
セイバーとライダーに、一体何があったのだろう。
マスター同士の話し合いに集中し、王たちの話し合いを聞いている暇はなかった。
何があったのか、セイバーに聞かねばならないと思いつつ、アイリスフィールはセイバーの近くに寄る。
彼女と入れ替わるように、刀のアサシン主従も立ち上がった。
今、ライダーはこのマスターを何と呼んだのだろう、とアイリスフィールは思う。
確かに、小娘と言ったのだ。
「あなた……もしかして、女の子なの?」
すれ違いざま、アイリスフィールは問い掛けた。
小鳥を拾って鞄に放り込み、灰色と白の髪を揺らして、少年───否、少女は首を傾げる。
「そうですが、それが何か?」
「い、いいえ。何でもないわ」
訝しげに眉をひそめる少女は、ウェイバーたちとライダーの馬車に収まった。
まさか、十五歳そこそこに見える少女に出し抜かれかけていたと知ったら、切嗣はどう思うのだろう。
魔術師には、外見と中身の歳は一致しない者が珍しくないし、アイリスフィールもそうなのだから、彼女もその手合なのかもしれないけれど。
封印の魔力糸を霧散させ、刀を返しながら、そのマスターはアサシンに対して謝っていた。
アイリスフィールたちに向けた怒りが、まったく感じ取れない。
細い眉を下げ、自らのサーヴァントに、ごめんよ、という顔は、人当たりの良い普通の人間に見えた。
アサシンはアサシンで不機嫌そうだが、謝られると顔を緩めている。切嗣とセイバーのように、不仲と言う訳でもないのだろう。
そのまま、彼らは去って行く。
『
#####
明日に来るだろう教会からの何かの通達を待つ、ということで、ライダーたちとは別れた。
「変なところで死ぬなよ、オマエ」
そんな一言を残して、ウェイバーとライダーは去った。
戦車の響きが遠くなってから、繍は手を顔の前で打ち鳴らして、以蔵に向けてがばと頭を下げた。
「必要とはいえ君の真名を思いっきり交渉道具にしましたごめんなさい!」
息継ぎなしで言い切る。
以蔵が二の句を告げないでいるうちに、さらに捲し立てた。
「あと、刀も糸でぐるぐる巻きにしましたごめんなさい!」
「そいじゃ!名前は別にえいちゅうか、おまんも名ぁを晒しよったきそれで手打ちにしちゃる!が、わしの刀取ったんはどういう気ぃやこらぁ!」
「セイバーの殺気が凄かったから!それに敵意の無さをわかりやすく示すのに、君の武器を使わせないようにするのが一番手っ取り早かった!」
「他にいっくらでもやりようはあるじゃろうが!わしは人斬りじゃ!」
「知ってるよ!」
双方ほぼ勢いで話し、ぜえはあと繍は肩で息をついた。
ライダーたちが二人を下ろしたのは、人気の絶えた川べりの公園である。この時間でなければ、見た目少年と青年がぎゃあぎゃあと騒いでいたら、さぞ目立っただろう。
桜と黒狗が待つホテルの方へと足を向けながら、叫んで一先ずは気が済んだらしい以蔵は頭をがりがりとかいた。
「刀預けるとわしは言うたがの、そのまんま抜けんようにするとは思わんかったき」
「そりゃボクだって、ああ言ったときそこまでやるつもりなかったよ……。アーチャーが来るとも思ってなかったし」
黄金のサーヴァントの名を出すと、以蔵はわかりやすく顔をしかめた。
「あん金ぴか、言峰とかいう坊主がおまんを狙ってる、ちゅうたな」
「うん。……いや、なんでなんだ?」
「本質がどうとか言うちょったじゃろう。おまん、あんとき何を言いよった」
「本当によく覚えてないんだったら。泣きそうな桜を見て、何笑ってんだ、って腹が立ったのは覚えてるけど」
「童の泣き顔見て笑いゆう坊主なんぞ、ろくなモンやないき。おまんに言われて、知られとうないことを知られたと、思ったんやないんかのう」
「結局、口は災いの元ってことか」
「そがぁなことにしちょけ。考えても無駄じゃろう」
多分、それが正解なのだろう。
斬っても斬っても湧いてくる髑髏のアサシンを操るあの神父は、脅威極まりない。
いくら一対一では以蔵が危な気なく勝てるとは言え、八十だの百だのと来られたら、手に負えなくなるのはわかっていた。
強かろうが、以蔵の手も刀も二本ずつしかないのだ。
繍に代行者並みの戦闘能力があれば別だが、そんなものはない。
アーチャーと髑髏のアサシンの主同士が、恐らく同盟関係にあるから容赦されているだろうが、それがなくなれば即襲って来てもおかしくはないのだ。
「……じゃあ、なんで言峰は、衛宮切嗣を庇うような真似をしたんだ?アーチャーとセイバーは、同盟関係にあるように見えなかった」
「金ぴかはセイバーの王道とやらを笑っちょったのう。ライダーもじゃ」
「それに、衛宮切嗣も変だ。岡田さんに相当斬られたのに、なんか、声が元気だったような気がする。もしかして、もう治ってしまったかも」
「……魔術師ちゅうんは、げにまっこと面倒じゃ。首を飛ばさんと、死にもせんがか」
「そうかもね。魔術刻印があれば、あれは持ち主を生かそうと自動的に動くし。というか、ボクだって普通の人間よりかは死ににくいし、傷の治りも速いからね」
マスター同士の話し合いと、王同士の語らいを、以蔵は同時に聞いていたという。
興味は欠片もなくとも、王同士の話が転げに転げて、周囲を巻き込む手合わせでもやらかしようものなら、即繍を掴んででも逃げられるように、である。
「知らないことが多いなぁ。……とっとと冬木から出たいのに」
「聖杯に頼らん受肉っちゅうやつ、心当たりがあるがか?」
「ん、色々考えたけど、日本のどこかにいる人形師に、君の魂を入れられる人形を作ってもらう、くらい。お金いるだろうから、すぐにはできないけど」
「人形に、わしの魂を入れる……?」
「あ、所謂博多のとか、市松さんとかこけしさんじゃないから、そんな引いた顔しないで。人間と変わらないカラダを作れる人がいるんだ。凄腕過ぎて追われてるって話だが、それがあれば、普通の人間とまったく同じに生きられるんだって」
魂がきちんとあるのなら、サーヴァントを生かす方法は探せば見つけられる。
ただし。
「聖杯戦争中は、冬木から出られそうにないのが。他の陣営にしたら、自分が願いを叶えるためには、聖杯に敵の魂を突っ込んで、魔力にしたいわけだから」
「下手ん逃げたら、他ん連中が来るっちゅうわけか」
「そうそう。桜のこともあるしねぇ」
随分懐いて来た小さい女の子は、虐待されていた環境から、図らずも引っ張り出すことになった以蔵と繍に、既に依存しかかっていた。
実の姉に出会っても、間桐家に送られる前に、あたたかい交流があったらしい雁夜と会っても、桜は彼らについて行くとは言わなかった。
繍と以蔵から離れたら、またあの家に戻される、と言峰と出会ってから一層強く刷り込まれてしまったらしいのだ。
本当にあの神父、余計なことしかやらかさない。
桜はきっと、雁夜が臓硯と交渉し、自分の解放を条件にして聖杯戦争に挑んでいたことも、知らないのだろう。
外で起きていたことを、きちんと認識していたかすら、怪しい。
今とて、表情はほとんど変わらない。
狗神たちのあたたかさに包まれているときだけ、僅かばかりに顔が解けるが、外に行くときも、基本的に繍のコートの中に引きこもるようにしており、出て来ない。
呼べば返事をするが、人形と言われても信じてしまうほど、生気に欠けていた。
彼女をこんなふうにした者は、とっくに死んでいるのだけれど、だからこそ、遣る瀬無いことこの上なかった。
「遠坂時臣氏のこと、顔も知らないけど恨んじゃいそうだなぁ」
臓硯を領土内で見逃していたり、実の娘をとんでもない家に送っていたり。
止めに、あのマスターの言うことなぞ鼻で笑い飛ばしそうな、歩く天災黄金アーチャーの召喚である。
断言しても良いが、魔術刻印三画程度で、あの英霊は御せるわけが無い。魂が輝き過ぎて、大き過ぎる。
あの
「見たら斬る」
「ありゃ、もう決めてたか。ま、他にあのアーチャーを倒せる手段もないしねぇ。……斬ろうにも、館から出てきてくれないが」
「わしに言わせりゃあ、遠坂とかいう魔術師をまだ恨んでないちゅうおまんがわからん」
「んー、種明かしすると、ボクらは迂闊に誰かを恨むと、うっかり呪殺級の怨念放ちかねないから、感情を抑えてるんだよ」
能天気だのぽけぽけだの、ウェイバーにはよく呆れられていたが、それが地顔になるよう教えられ、そうなるように生きてきた成果なのだ。
「アーチャーは、せめて真名がわかればなぁ。神話の英霊って、冗談みたいな弱点があるときあるし。チーズとか踵とか、犬の肉とか」
「おん。あんアーチャーは、まず王じゃ。こん世のすべての宝を持っちょったことがあると、宴で言うとったぜよ」
「すべての宝を所有していた、神話の中の古い王様?」
どんなヒントだろう、と繍は指を折る。
「古いって言ったら、ダビデ王、ソロモン王、ギルガメッシュ王、ハンムラビ王……あとは、三皇五帝、ラーマ王、ユディシュティラ王……」
「わからん!多いき!」
百年と少しの若い英霊は、お手上げと言うように手を頭の後ろで組んだ。
「諦め早い」
「考えるんはおまんに任しちゅう。えい加減、誰ぞを斬らせえ」
「この野郎」
実際に、英霊相手に刀を振り回すことになるのは以蔵だろうに。
「ボクはそんな頭良いわけじゃないんだぞ。聞ーいーてーるーのーかー!」
「聞いちゅう聞いちゅう」
「人の髪をぐしゃぐしゃにして誤魔化すなこら」
髪をまたも掻き回されたことに文句を言いながら、繍は自分より頭一つは背の高いサーヴァントの隣を付かず離れず歩く。
桜が待つ宿は、もうすぐそこだった。
外の人間から見たら、サイコではないが大概クレイジーな狗神マスターの話。
尚、桜はホテルで黒狗をモフりつつ、お留守番。