冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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では。


巻の二十七

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインツベルンの真のマスターこと衛宮切嗣は、実際すぐに動いたらしい。

 翌日の昼には、既にぱたぱたと、教会からの鳥が、文を脚に括り付けて飛んで来た。

 霊脈探りで外に出て、冬木を割るようにして流れる川の近くにいたところ、空から鳩が降りてきたのだ。

 くるくるっぽー、と鳴く鳩の足には、書簡入りの金属の筒が結び付けられていた。

 

「まさかの伝書鳩が来たよ。目立つのに」

「そがあなことより、手紙ん中身はなんなんちゃ」

 

 川辺の土手に三人並んで座り、手紙を開く。文面を目で追いながら、次第に繍の顔が曇って行った。

 

「マスター、どういた?」

「今晩夜八時に、冬木教会に全マスターは集え。使い魔のみでの参加は禁止。事は聖杯戦争の趨勢に関わるとのこと。……それから、刀のアサシンを擁する陣営は、間桐桜を連れて来い、と」

「……ぇ」

 

 貴様その真白な羽根全部むしって焼き鳥にしてやろうか、と言わんばかりの目付きで、繍は以蔵が捕まえている鳩を見た。

 殺気を感じたのか、以蔵の手の中で鳩はばたばたと暴れるが、当然のように逃げられるわけもないし、逃がすつもりもなかった。

 

「前半はわかる。でも最後、なんで桜を連れて来いって話になるんだ。聖杯戦争の趨勢には関係ないだろう、聖杯戦争の趨勢には!」

「教会と遠坂は繋がっちゅうかもしれん、言うちょったが、そん話が当たっとったんじゃろう」

「じゃあ何か。これは、最後の一文だけ、遠坂時臣が望んでることなのか」

 

 この場面で桜のことを云々するのは、遠坂家以外に考えられない。間桐雁夜とは、話がついているのだから。

 確かにあちらからすれば、元とはいえ実の娘が、御三家の間桐をバーニングした一味で得体の知れない外様マスターの、それも闇討ち上等のアサシン陣営に連れられていると知れば、その身を案じるのもわからないではないが。

 

「……桜、大丈夫かい?嫌ならいいよ、行かなくて。昨日みたいに、黒と一緒に待っててくれたって大丈夫さ」

「いい、んですか」

「行くでも行かないでも、どちらでもいいよ。君が思う通りにやって」

 

 桜が行かないと言えば、教会の言うことを無視することになるのだが、繍には些細なことなのだろう。

 白と比べれば、まだ悪戯好きでも性悪でもないという黒犬を、ほとんど桜に付きっきりにさせている辺り、繍はこの子どもに相当甘いと以蔵は思う。

 繍のコートの裾を握っていた桜は、長く黙り込んだ後、口を開いた。

 

「……わたし……わたしも、行き、ます」

「そっか。わかった」

 

 頬をかいてから、繍は手紙の裏にさらさらと文字を書きつけた。

 

「岡田さん、鳩貸して」

「おん」

 

 焼き鳥を免れた白い鳥は翼を翻し、川を超えて飛んで行った。

 

「どうなんだろうね。聖杯の状態。本当に汚染されてたら、どうするんだろう。解体かな、破壊かな?そうなったらきっと、御三家も教会も大騒ぎかな」

 

 謳うような節回しで、繍は言う。

 それを依り処に降りてきたのが、以蔵なのだが仮に破壊されたらどうなるのだろう。

 尋ねれば、繍はあっさり答えた。

 

「君に関しては、今は、ボクが錨になって君をこっちに引き留めてるから、大聖杯が壊れても大丈夫だよ」

「ほんまか」

「何かの呪術的措置は、いると思うけどね。衰え倒したとはいえ、ボクもカミ降ろしの家の巫女だから、まぁ人間一人くらいならなんとか保たせられるよ。うちの家より古い、千年より前の英霊はしんどくなるだろうから嫌だけど、岡田さんはひいひい婆様と同じ時代の、若い英霊だしね」

 

 真名がわかっている第四次聖杯戦争の他のサーヴァントは軒並み疲れるから嫌だが、幕末に生きた岡田以蔵なら、ぎりぎり大丈夫だし問題ない、らしい。

 そういうことをけろりとした顔で言いのけるこのマスターに、自分はどういう顔をすればいいのだ。

 仕組みも理屈も、以蔵にはまったくわからないのだが、自分でない誰かの魂の繋ぎになる、とは口で言うほど容易く思えない。

 

 かと言って無理をするな、なぞどの口が言えるのか。

 繍の魔力を喰らい、繋ぎにして、生きているのは、以蔵なのだ。

 

「あ、桜、桜。ほら今、あそこで魚が跳ねたよ!見た?見えた?」

「え、あ、どこ、ですか?」

「あっちの岸辺。……ありゃりゃ、もう見えなくなっちゃった」

「あっ……」

 

 以蔵が口を開く既のところで、急に繍は桜の手を取って、童子のようなはしゃぎ声を上げた。

 ひょい、と桜を抱き上げて立ち上がり、土手を降りたと思ったら、一緒に川の縁から流れを覗き込んでいる。

 繍の幼子のような珍しい明るい声が、土手に残された以蔵の耳にまで届く。

 つられたのか、桜の目の奥にも水面のきらめきと似た光が、小さく弾けていた。

 

 以蔵に比べれば、繍は腕も手足もか細いのだが、桜を抱き上げる腕には、確かな力が籠もっている。

 

「岡田さん、見ないのか?」

「魚なんぞ見てなんになるがか。大体おまんら、わしから離れるな」

「はいはい。護衛役は大変だねぇ」

「誰のせいちゃ、誰の」

 

 ボクのせいだな、とけらけら笑う白と灰の髪の少女と、彼女に抱き上げられたまま、ぎこちなく、けれど強い力でその胸元の服に掴まる子どもの側に、土手を滑り降りて並んだ。

 

 何がそれほどいいのやら、ただきらめくだけの何の変哲もない水面を眺めて、繍は随分と楽しそうである。

 日の光が、白い髪と菫色の髪を輝かせる様を、とても綺麗だとそのとき思った。

 

「……ふん」

 

 吐き捨てるように鼻を鳴らして、襟巻きを引っ張り上げる。

 人斬りが思ってはいけないことを思ってしまったようで、怖かった。

 

「で、まさか夜んなるまで川眺めて終わらせる気ぃか、川風は童にゃ寒いき」

「了解。じゃ、街に戻ろうか。腹ごしらえしないと、やってられないのは確かだし」

 

 桜を地面に下ろし、手を繋いで繍は歩き出した。

 相変わらず、行く当てもなさそうな、ぶらぶらした呑気な足取りである。

 

「マスター、おまん、聖杯が使えるちゅうなら、なんぞ願いはないんか?」

「いきなりどうした。特に無いって言っただろう」

「暇つぶしじゃ。何でも願いが叶うちゅうなら、おまんは何が欲しいがか?」

 

 金が欲しいとか、酒が飲みたいとか、凡そ人としてまともな欲すらもなさそうなこのマスターが、何を思うのか、ふと気になったのだ。

 だから誰がなんと言おうが、ただの、暇つぶしである。

 はて、と繍は細い顎に手をやった。

 

「欲しいもの……普通にお金は欲しいけど、まあ、うーん……夢を言っていいなら、ボクの家と土地だな」

「……ほに。売られた場所か」

「いや、でも聖杯が無事でも願わないよ?」

 

 ぱたぱた、と繍は顔の前で手を振った。

 

「どういてじゃ?」

「過程を飛ばして、結果を掴むのが聖杯なんだろうが、生憎ボクには、あそこの取り戻し方なんて思いつけない。こちらの思いつけない方法を勝手に聖杯が選んで、それで今あの土地に住んでる人に、災いが降り掛かるのはねぇ。そら、祟りみたいになったら怖いじゃないか。笑い話にもなりゃしない」

 

 人助けしろ、が家訓の家長が、そんなことをしたら意味がない。

 

「大体、先祖の土地は、最初はあの廃藩置県、次にアメリカのせいでばらばらにされてしまったし、完全に元の通りに戻すなんて、できっこない。今更だよ。最後に残った家も土地も、親戚連中やら顔も知らない誰かさんたちが、好きに使ってるだろうからなぁ。ボク一人が帰って、今の持ち主を追い出すのは……うん、あれだ。気が引ける」

「元々おまんの帰る場所じゃろうが。取り返して、何が悪いんちゃ」

「何年か前は、帰るところだったけど。ボクと同じ佐保の者が一人も残ってないところを、取り返しても仕方ないだろう。勝手に売り飛ばされたのには腹が立つし一生許さないけど、何もやってない人たちにまであたるのは、駄目だよ」

 

 やろうと思えば、ボクは彼らなんて簡単に呪い殺せてしまうから、と繍は無表情で言った。

 

「あるものを無いものとして扱ってまで逃げようが、怒りに触れれば、ひと度佐保の家に生まれた者は、黄泉風(よもつかぜ)からは()()()()()()。そんな彼らを黄泉平坂にわざわざ蹴り飛ばすほど、ボクは鬼じゃない。遅かれ早かれどうせ一人余さず、坂道をころころりと落ちる羽目になるんだ」

 

 自分は、もう罰当たりになってしまった彼らに、何もしてあげられないから、と言う口調には、微かに愛惜の念のようなものが感じられた。

 かと思えば、大体さぁ、とあっけらかんとした物言いで、繍は空を仰ぎ見た。

 

「元々日の本の天地(あまつち)は、須らく国津神や天津神のものだよ。ボクたち佐保家だって、所詮は預かり主に過ぎない。人が土地の上を移ろうは、必定だ。……まぁ、親戚連中が先祖の土地を雑に扱って霊脈枯らしやがってたら、絶対にキレてやるし、呪のニ、三個は送ってやるけど」

 

 逆に言えば、霊脈が余程無茶苦茶にならない限り、手を出すつもりはないのだ。

 つまり、家だの土地だのではなく、こいつは帰る場所が欲しいと、言っていた。

 求めるのは土地ではなく、そこにいたはずの自分の同類、或いは愛していた家族。

 それが昔は祖母であり、彼女が死んだなら、土地も家も、繍には多少業腹だろうが、譲っても構わないものなのだ。

 

「聖杯に言えば、死人も還るんじゃろう」

「今日はやけに突っ込んだことを言うな。今の君が、ある意味ではそれだろう。……ははぁ、君が言ってるのは婆様のことだね。さてはやっぱり、夢でボクの記憶見たな?」

「おまんもわしの記憶を見ゆうがやろ。おあいこじゃ」

「……そうだけどさ」

 

 やや渋面の繍は、桜と繋いだ手を、ぶらぶら振り回しながら答えた。

 

「誤解しないでほしいが、これはボクの家の考え方であって、君には関係ないし、英霊として降りた君が、もう一度生を求めるのは良いと、ボクは思ってるからね」

 

 長い前置きをしてから、繍は言った。

 

「カミに関わるボクらは、死人を呼んではならないんだ。一度黄泉平坂を下ったなら、戻って来てはいけない。いくら恋しかろうと、呼び戻してもいけない。国産みの伊邪那岐命(いざなぎのみこと)すら、黄泉に降りた愛し妻、伊邪那美命(いざなみのみこと)を連れ戻せず、この世に人の死をばらまいたんだから」

「わしはそん死人じゃが」

「岡田さんは、英霊。そも、黄泉平坂を下り切ってないでしょうが。君の本霊というか本体は、『座』にいるんだよ」

「なにが違うんか?」

「全然違うよ。君は君として、既に世界に召し上げられ、固定された。幾度現世に降り立とうが、岡田以蔵の本質に変化はない。君はどこまでも、岡田以蔵という札が貼られた魂だ。だけど、ボクらは黄泉の闇をくぐったなら、この世の記憶を無くし、別人になる」

 

 桜の手を繋いでいない空いた手で、繍は真っ直ぐに以蔵の心臓を指さした。

 仮初めの生命の鼓動を刻む、其処を。

 

「ボクら佐保は、黄泉平坂を下っても、再び一族の誰かに転生する。姫神様に仕えると先祖が決め、誓った日から、それがボクらの宿命になった。だけど、生まれ変わる前の記憶は、皆持てないんだよ。人間としての生命を全うして、また生まれ直して仕えるんだ。ボクだってきっと、何度も何度も生まれ変わり、姫神様に仕えてる。でも、何一つ覚えてない」

 

 変わらぬ存在が人理に刻まれ、『座』にいる英霊と、自分たちは異なるのだと、巫女の少女は怖いほど澄んだ瞳で言った。

 

「そんな訳なので、黄泉からばあ様を呼ぼうものなら、ボクなんかブチ殺されるよ。比喩じゃなくてガチで。この不心得者がぁ、って」

「……ほんまか。おまんは孫じゃろう」

「身内だからこそ、そこのところに厳しいんだよ。厳しくあらなきゃいけないんだ。それに、いつか黄泉に行ったとき、父様や母様にも、ちゃんと人間として現世で生きました、黄泉平坂に自分から行ったりしませんでしたって、言いたいんだ」

 

 くるり、と繍は以蔵を振り返る。

 

「……わたしは、最後の佐保だもの。黄泉を呼ばず誘われず、今生きてる場所で、最期まで生き抜かないと駄目」

 

 ね、と繍は首をほんの少し倒した。

 白い髪がさらりと揺れた。

 だが、それより何より以蔵には引っかかる言葉があった。

 

「……()()()?」

「あっ」

 

 瞬間、さっと繍は片手で顔を覆った。

 

「今の、無し」

「えいやないかのう、別に。おかしゅうはないちゃ」

「君が良かろうかボクが良くないんだよ!忘れろ!」

「い、や、じゃ」

 

 もしかしなくともそれが、素なのだろう。

 うがぁ、と妙な声を上げる繍の顔は、ほんのり朱が差していた。

 髪が『治った』あのときから、市松人形のようにいっそう白くなった頬に、その色はよく目立ち、紅のようによく映えた。

 

 強い、と思う。

 寂しい、と思う。

 

 こいつはもしかしたらずっと、こう肩肘はり続けて生きて来て、この先もそれ以外のやり方を知らないのではないだろうかと、思う。

 

「どうせ桜とわししか聞いとらんき。何を恥ずかしがることがあるのかのう」

「恥ずかしがってない!間違えたんだ!」

「おまんがはちきんじゃろうが元はひいさんじゃろうが、わしから見ればなぁんも変わりはありゃせんちゃ」

「……左様で」

 

 ふん、とそっぽを向いた繍の顔が愉快でたまらなくて、以蔵はからからと笑い声を上げた。

 繍が横目で、じとりとした視線を向けてくるが、本気で怒っていないとわかる目つきの、どこに怖いところがあろうか。

 

「ほら、やっぱりからかってるじゃないか、この野郎。いきなり大声で笑ったりして。桜、どう思う?」

「え……えと、わたしには、よく、わからない……です。どっちでも、繍さんなのに、変わりはない……と思います」

「すっごいマトモな指摘をされたぁ!」

 

 頭を抱えて騒ぐ繍が面白く、以蔵は笑う。

 後、一体どれだけこう笑っていられるのかと、そんなことを、思った。

 

 

 

 

 

 





親愛度が一定値を越えたため、素の一人称が開放。
質問事項、対応により、最終エンディング変化。
以下、若干の解説。不要ならばスキップ推奨。









佐保家の要点は以下四つ。
・この家の者は死しても転生し、必ず佐保家の誰かに人間として生まれる。
・が、前世を忘れる為、柵から逃れたがる者も出る。
・逃れるのは自由。意志を持つのがヒトだから。
・しかし、巫女や当主を蔑ろにした者に、何も起きないとは言ってない。

尚、名門として伝承保菌者(ゴッズホルダー)を名乗らないのは、面倒ごとを避けるためと、うちとこのカミを西洋のGODと一括りで呼ばれたくない拘りのせい。

ちなみに狗神マスター、祖母健在時までは、黒髪清楚系子女。浅上宅の藤乃嬢よろしく。
親戚と海外行きでややグレて、髪を脱色したのが今の姿。

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