冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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では。


巻の二十八

 

 

 

 

 衛宮切嗣が入ってからでないと、繍は絶対に冬木教会に入りたくなかった。

 何せ、相手がほとんどテロリストの魔術師なのだ。おまけに、サーヴァントは全員、教会の外で待機。破ればペナルティを課す、とまで来た。

 その状況なら、マスターだけが揃った教会を爆撃する程度、衛宮切嗣がやったところで何も驚かない。

 結果として、刀のアサシンの陣営が冬木教会に入ったのは最後になった。

 各陣営の一部サーヴァントと七人のマスター、それに加えて監督役の神父、言峰璃正神父、アインツベルンの代表、アイリスフィールに、アサシン陣営が連れ回している間桐桜までが一同に集められたから、如何に広い教会だろうが、手狭な感は否めない。

 ちなみに、教会に入るとごねる以蔵を、外に置いて来るのに三十分かかったせいもある。

 

 ともあれ、その密集空間に、扉を押し開けて入るのだ。

 

 ぎぃ、と軋む扉を開けて入ったところで、繍は目に見えない重圧を感じた。

 いの一番にこちらを────黒狗に乗った桜と、その横に立つ繍を凄い目で見たのは、まったく顔に覚えのない髭の男。

 といっても、繍が顔を知らないマスターは、遠坂時臣一人のみ。

 だから消去法で、彼がそうなのだろう。思っていたより若く、西洋の貴族然とした、品の良い姿に少し驚く。

 桜は彼を見ても小さく身を縮めたきりで、狗の背から降りようとしなかった。

 遠坂時臣も、子に駆け寄ろうとはしなかった。

 

 繍は肩を落とした。

 

 そして殺気かと思うほど強い視線を飛ばしてくるのが、黒いコートにくたびれたスーツの男だ。

 こちらは、誰だかすぐわかる。衛宮切嗣だ。

 式神越しにしか見たことのない顔で、傍らにアイリスフィールが寄り添うように立っていた。

 アインツベルンと衛宮切嗣とは、雇用関係でしかないのかとも思っていたが、アイリスフィールの衛宮切嗣へ向ける信頼のしきった顔を見るに、違うのだろうか。

 それだけでは説明しきれない感情が、彼女の顔にはあった。

 ちなみに、祭壇横には目を閉じて控えめに佇む神父もいるにはいたが、繍はそちらに目もやらず、綺麗さっぱり無視した。

 大体、なぜ何食わぬ顔でここにいる。

 脱落したマスターの演技は、明後日に蹴り飛ばしでもしたのだろうか。

 

「最後の陣営が訪れたところで、話を始めよう。聖杯戦争の核、聖杯について重大な申し立て、及び発見があった」

 

 口火を切ったのは、言峰璃正である。

 長い年月風雨に晒された岩を荒く切り出して、ヒトのカタチにしたかのような、謹厳な神父の顔には、焦燥が色濃く出ていた。

 なんとなく、それで繍には話の流れの予測がついた。

 

 これはきっと、駄目なほうの予感が当たったのだ。

 

「セイバー、ランサー、ライダー、そして二つ目のアサシンの四陣営により、聖杯そのものに関する調査が依頼された。御三家の一角を含む、過半数の四陣営による申し立てという事態を重く見、異例ではあるが中立役の我ら教会の手で、詳しい調べを行った」

 

 その調査人員、まさか髑髏のアサシンじゃなかろうな、と繍は思う。

 璃正神父の言葉は続いた。

 

「結果、聖杯には重大な汚染が確認された」

 

 その発言に、苦渋の色を浮かべたのは、どちらも御三家のマスターである。

 元々憔悴した色を浮かべていた遠坂時臣は、手に持った杖の、紅い宝石の握りをきつく掴む。

 衛宮切嗣は、呻くような声を上げた。

 一方、彼ら以外のマスターたちは概ね平気な顔である。

 ケイネスは眉をひそめ、彼の伴ったソラウは目を見張る。ウェイバーはため息をつき、言峰綺礼は片目を開けただけで、間桐雁夜は曰く言い難い顔になった。

 繍は、こくりと一度頷いた。

 衛宮切嗣が口を開く。

 

「汚染とは、どれほどのものなんだ?」

「聖杯の降臨どころか、存続すら危ういほどの呪いが確認された。原因は不明。対処法も定かでなく、聖杯戦争の期間中に呪いを除去しきり、正常に儀を進めることは不可能であると、教会は判断したのだ」

 

 そこまでか、と繍も瞠目した。

 ドクターストップではないけれど、異端狩りが生業の教会が、正式に、やめろというのだ。余程のことだった。

 

「言峰璃正神父、質問がある。その呪いの核は、神霊アンリマユなのか?」

「未だ不明である」

 

 ウェイバーが手を上げて問えば、すぐに返された。

 アンリマユの名に反応したのは、間桐雁夜だった。

 

「アンリマユ、とはなんなんだ?」

 

 これには繍が口を開いて答えた。

 

「第三次聖杯戦争の折り、聖杯に留められたと思しき、サーヴァントが一騎。拝火教の悪神が一柱、アンリマユを降臨しようとし、失敗した成れの果て。意味するところは、絶対悪の化身」

「憶測で物を言うのは慎み給え」

 

 神父の声に、繍は口を閉ざす。

 だが、間桐雁夜はまた問を重ねた。

 

「聖杯に留められたサーヴァントってのは、何のことだ?あんたたち、一体何を知っている?」

「元々、あんたたちの家にあった物から得たことを元に推測した話だけど」

 

 ウェイバーは、極めてわかりやすく、簡潔に聖杯戦争の仕組みをまとめた。

 聖杯戦争とは、七騎の魂を使い、根源に至る大魔術儀式。 

 基本的に外様のマスターは、餌につられてやって来ただけの無知者で、令呪は最後に残ったサーヴァントに自害を強制するための措置だという推測まで添えて語った。

 

 他でもない外様のマスターからの推論だったが、遠坂時臣も衛宮切嗣も、そしてアイリスフィールも否定しなかった。

 最も青ざめたのは遠坂時臣である。

 

「何故、君がそれを……」

「何故、と言うかね。間桐の翁に吐かせ、奴の家にあった資料を組み合わせれば、この程度の解答に辿り着けぬわけが無かろう」

 

 時計塔十二の学部の一つに、頂点として君臨する、ロード・エルメロイはそう宣言した。

 そうでしょうとも、と繍は黙したまま、内心で頷いた。

 ロード・エルメロイは紛れもなく天才なのだ。一を聞いて十を知る、どころの話ではない。

 間桐家が秘蔵していた資料と、翁から引き出したことがあれば、聖杯戦争の裏の意味を引きずり出す程度、造作もない。

 

 ─────ウェイバーやボクにわかって、先生にわからない話なんて、あるわけないもの。

 

 彼が駄目なのは、上品な紳士のルールなぞくそくらえの実戦魔術師との対決と、ソラウ嬢絡みに対してだけである。

 その二つが揃い踏みしたここまでの第四次聖杯戦争が鬼門なだけであって、ロード・エルメロイ本人の才覚は今、十分以上に発揮されていた。

 

「冬木における聖杯が神秘を危うくすると言うならば、時計塔のロードの名の下に、聖杯戦争の解体、乃至は聖杯そのものの破壊を求める。如何かな、言峰神父殿」

「それは、だが……」

「ロードよ。未だ方策があるかすら調べていないこの状況で、即時の破壊を求めるのは、性急に過ぎます」

「ほう。性急と言うか。迅速かつ的確に、アンリマユという悪神の名を導き出した若き魔術師二人の言葉を封じておいて、それかね」

 

 ウェイバーの顔が上がるのを、繍は見た。

 ケイネスは、魔術師二人と言ったのだ。十中八九、ウェイバーと繍のことだろう。

 神秘の漏洩の阻止、という魔術師の責務をウェイバーが果たそうとするなら、魔術師らしさを極めた魔術師たるケイネスが、それを認めないわけないのだ。

 当人が素直に、わかりやすく人前でウェイバーを褒めるようなことは、絶対にないだろうけれど。

 

 ─────ボクは魔術師ではない、とここで訂正するのは流石に野暮天だな。

 

 頭のおかしい呪術娘でも、それくらいは空気を読んだ。

 同時に、一度自分の誇りを潰した相手を、自分の得意分野で追いつめられるとあって、いつも以上に弁舌が苛烈かつ辛辣な気がしないでもないが、どの道止められるわけもないので、繍は敢えて見ないことにする。

 

「アインツベルンの令嬢、そして遠坂の当主よ。君たちは聖杯戦争に、各々根源への悲願を抱いているようだがな。既に事態は手遅れだ。魔術師の任とは、神秘の漏洩を防ぎ、探求することにある。そのための憂いを取り除くことに、何を躊躇う必要がある」

 

 そこで、はいそうですかと手を引けないのが御三家だ。

 これまでに六十年周期の聖杯戦争を都合三度も起こし、参加し、その度しくじっている魔術師たちなのだから。

 しかし、重い沈黙を破ったのは遠坂時臣でもアイリスフィールでもなかった。

 

「この聖杯では……万人の救済も、叶わないのか?」

 

 この人でなしばかりの空間で、その問いは酷く異質に、空虚に響いた。

 繍は、問いを発した衛宮切嗣を見る。

 

 ─────どういう意味?

 

 他でもない衛宮切嗣の口からこぼれた言葉に、繍は首を傾げた。

 

「万人の、救済?」

 

 気の抜けたような、ウェイバーの声が響いた。

 それが、衛宮切嗣の願いだったというのだろうか。

 

「アインツベルン、万人の救済があなたがたの悲願なのか?」

 

 根源の到達では、なく。

 

「そうだ。僕はそのために、そのためだけに、聖杯戦争に参加した。この冬木での戦いを、人類最後の闘争にするために」

「人類最後……じゃあ闘争の……人間の、争いの根絶を聖杯に願うつもりだった、と」

「ええ。それはあくまで、世界の『内側』の話。セイバーの魂を注がなくとも、六騎のサーヴァントの犠牲だけで、成就するはずだったのよ」

 

 彼らは自分のサーヴァントを裏切っていたわけではないのか、と繍は妙に冷えた頭のどこかで考えた。

 

「馬鹿な!そのような戯言の……」

 

 声を荒らげたのは、ケイネスだった。

 だが、それよりも激しい声が、怒気が、教会を支配する。

 

「衛宮切嗣」

 

 地獄の釜の中から響くような、低い声だった。

 

「貴様は、真実人類救済だけを(よすが)に、この戦いに加担したと言うのか」

「ああ」

「……あり得ない!闘争とは即ち、人類の本能。それを根絶するなどと言う夢物語に、貴様はすべてを賭けただと!」

 

 ひ、と桜の喉が鳴る音がした。繍も気圧されて、息が詰まった。

 びりびりと、空気すら震わせるような怒りを衛宮切嗣に叩きつけるのは、言峰綺礼だった。

 

「お前に、彼を罵倒する資格はないわ!」

 

 怒りを孕んで叫んだのは、アイリスフィールだった。人間離れした美貌を震わせ、言峰綺礼を睨み据えている。

 錬金術で造られた人形、ホムンクルスとは思えないほどの感情が、そこに籠っていた。

 

「女、では貴様は衛宮切嗣のなんなのだ。聖杯の器の運び手でしかない貴様が、衛宮切嗣の何を語れる」

 

 一転して、氷のような冷たい声で神父はホムンクルスを問い詰める。

 ケイネスにソラウ、ウェイバーも雁夜も、彼の父や遠坂時臣ですらも、口を開くことができない。

 それほどに苛烈な感情が、神父から放たれていた。

 

「繍……さん。こわい……こわい、です」

「……大丈夫だよ。桜。彼はボクや君を見てない。黒もいるだろ?」

 

 殺気かと思えるほどの強烈な気迫に、桜は真っ青を通り越して、真っ白な顔色になっていた。

 首に巻いた、あたたかいマフラーを、繍は桜に巻いてやる。赤い毛糸に顔を埋めて、桜は深く息を吐いた。

 手のひらにすっぽり収まりそうな子どもの頭を撫でながら、繍は神父とアインツベルンとの問答に目をやった。

 

「私は彼の妻よ。九年間、彼と共にあり、その願いを共に叶えると決めたの」

「人形風情が、妻としてその男を愛しただと。そのような夢、子どもの戯言を実現するために、聖杯を使うだと!」

「綺礼!」

 

 父の叱責にも、綺礼は一瞥をくれただけである。

 

「なるほど、理想を追い求める男を肯定し、どこまでも尽くしたというならば、お前はさぞ、良き妻であっただろうさ。アインツベルンの女。救いようのないものを救おうと足掻き、その果てがあの無意味な彷徨だったというのか!」

「救いようのないものを救うならば、奇跡を使うしか手はないだろう!聖杯ならば、それすらも可能にするはずだった!」

「愚か者!」

 

 神の家が、神に仕える者の怒りに震えた。

 その胸元で揺れる金の十字架だけが、ガラス窓から差し込む月明かりを照り返して、ただ静かに、軽やかにきらめいていた。

 

──────嗚呼、そうか。彼の、神は。

 

 答えを、与えてはくれなかったのだろう。

 唐突に、そう思った。

 

「闘争を根絶するということは、人間を根絶するも同じ。そのような無意味な理想を掲げ、お前はお前を愛する者を伴い、死地に赴いた。貴様の在り方は愚かすぎて、理解できん」

 

 一体彼は、何を衛宮切嗣に求めていたのだろう。

 確かなことは何もわからないが、ただ言峰綺礼は彼に、この瞬間手酷く裏切られたのだ。

 言峰綺礼は顔を手で覆う。慟哭しているのかと、一瞬思う。

 だが、彼から漏れたのは、哄笑だった。

 低く、高く、彼は肩を震わせ喉を鳴らして、狂った嗤いを漏らしていた。

 

 教会に集う全員が、その光景に息を止め、動きを止めた。

 

 指の隙間から、炯、と光る目が覗く。

 その視線は、真っ直ぐに繍に向いていた。

 

「なるほど。よく理解した。衛宮切嗣は私の求める答えからは、最も縁遠い者であったということだ。……ならば、次は()()()

 

 不味い、と繍は一歩下がる。

 言峰綺礼の全身が、踏み込みのために深く沈み込んだ。

 

「黒、離れろ!」

 

 言霊に従った式神が、桜を乗せて飛び退る。あ、とあどけない声が虚しく漏れた。

 空いたその空間に、黒衣の聖職者が一瞬で現れていた。

 

──────速、い!

 

 気づけば、刃物の切っ先が喉元に突き付けられていた。

 教会の殺し屋、代行者が用いる黒鍵。霊殺しの概念武装の刃が、首に添えられている。

 繍は動けない。

 令呪を使おうにも、術を発動させようにも、この間合いでは刃物が動いて首が落ちるほうが速いのは、容易に想像できた。

 黒を乗せた桜に、自分を庇わせなかったことが、致命的な隙になった。

 突然の凶行に、遠坂時臣が驚く。その足元に、黒鍵が突き刺さる。

 

「綺礼、一体何を……!」

「動かないで頂きたい、師よ。私はこの者に、問わねばならないのです」

 

 何をだ、と繍は目の前の聖職者を睨みつけた。

 その瞳は底なしに、黒かった。この世に絶望しきったかのような闇が、こちらを見ていた。

 

「お前……一体何を信じて、これまで生きて来たんだ?」

 

 そこには、喜怒哀楽の欠片すら、見つけられなかった。

 澱み切った死人の瞳のほうが、まだそこにこびりついた魂の光が見えるのに、この男にはそれすら無い。

 虚だけを詰め込んだ奈落の瞳の聖職者は、口を開いた。

 

「何も。私の中には何一つ、信念などというものはない」

 

 自分と異なるとはいえ、神に仕えてきたはずの者の言葉。それは余りに、重かった。

 

「異教の司祭よ。答えろ、貴様は一体私の中に何を見た?英雄王は、貴様が垣間見たのは我が本質と言った。だが、断じて他人の辛苦、間桐桜の嘆きは、悦ではない!あってはならない!」

 

 黒の瞳から逸らさず、繍は声を絞り出す。

 

「……何ゆえに?何を以て、お前は、有り得てはならないと、断じた?」

「それは、()()()()()()()()だからだ!他者の苦痛を、幼子の嘆きを、悦と見做すなど、我が信仰の道において許されるものではない!」

 

 黒衣の聖職者の叫びは一層激しく、反して繍の頭は冷えていた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

「何、だと……?」

 

 がちがちと、喉元で黒鍵が震えていた。

 その刃先に、繍はそっと指を滑らせ、押す。

 後僅かでも押し込めれば、指も首も容易く斬れるというのに、黒鍵は音もなく退いた。

 指先に、紅玉のような血の玉が浮かび、刀身を滑った。

 

「識を得た者は、己が生きる意味を、そこに繋がる愉悦を、そして信念を欲する。野性を理性で包む人の子なれば、魂の安らぎを求める衝動は時に、生命すら凌駕しよう。それを、生まれてこの方、ただの一度も得たことが無いと言うのであれば……言峰神父、それは確かに黄泉戦(よもついくさ)に責め立てられるが如き、苦しみであったろう」

 

 時に託宣を告げる巫女の厳かさで、繍は告げた。

 

 禅問答ならば、本来仏僧の領域である。

 

 だが、この世の真理を知る者に相対し、紐解き、得たもので、他者の心に解と安らぎを取らせるというならば、巫女とてやれないことはない。

 

「果てに、お前の魂が悦を感じたのは、他者の嘆きだった。断言しよう。お前は確かに、幼子の苦しみに、己が快を見出していた」

「貴様は私が、この言峰綺礼が、そのような外道であるというのか!」

 

 激高した神父の手には、黒鍵。

 頭上高く振り上げられたそれから、繍は逃げなかった。

 ここで逃げては、ならなかった。佐保繍が、仕え人であるのならば。

 

「ああ、そうだ。その通りだ。だからお前は、苦しんだのだ」

 

 振り下ろされた黒鍵が、繍の眉間を断ち割る、ほんの僅かなところで止まる。

 切られた前髪が数本、はらりと落ちた。

 

「信仰を選び、道徳を尊び、博愛を説く神に生涯を捧げ、仕えてきた。そこに答えがなくとも、何も見いだせなくとも、お前はその道を歩んで来た。相違ないか?」

「そうだ。私は信仰に、妻に、そして魔術に、この闘争に、その答えを求めた。だが、何一つ、得られなかった!」

「苦しいと感じたのは、一重にお前が、そのような生き方を選んだ故だ。徒人に及べぬ高みにある信仰を選び、倫理を尊ぶからこそ、お前は苦しんだ。己が得たものと、生まれ持ったものの乖離を認められなかった」

 

 ─────だが。

 

「それの、何が悪い?」

「……は?」

「他者の嘆きを悦とする。その本性を持って生まれたこと、そこに罪などない」

 

 生命を得て、生を得て、死に至るまでに成したことにしか人の罪は生まれない。

 苦しみながら信徒であり続け、己の神を信じ、裏切らなかった姿は、尊き者以外の何ものでもない。

 繍もまた、カミを裏切らず、仕える者、仕えなければならない者であるのだから。

 カミとヒトの乖離と別離に悩み、惑わないわけがない。

 

「愛を説き、隣人も敵も愛すべきと説くお前たちの神の教えは、そうありたいと夢見、その意志を貫きたいと願い、それでも弱さ故に、他者を踏みつけにせねば生きられぬ人々の、懺悔と良心の具現。その祈りを大切にしたから、お前は苦しんだ」

 

 彼にとり、苦しみとは、信心の裏返しなのだ。

 

「では、醜い本性を抱えて、お前は生きろというのか?私の本性を視た貴様は、怒りを顕にしたではないか。それが、正常な人間の判断でないか!」

 

 だから、言峰綺礼がこの世に受け入れられるはずもない。

 

 ─────違う。

 

 繍はそう、言おうとした。これは糾弾ではないと、伝えようとした。

 その機会は、永遠に訪れなかった。

 

「ほう、なかなかに愉快なことになっているではないか、雑種共」

 

 教会の中央、人間たちの視線の只中に、黄金の鎧の英雄王が降り立った。

 

 

 

 

 

 





綺礼がキレた話。
神に仕える者同士、として対話したなら言峰綺礼神父と狗神使いの相性は決して悪くない。

以下、小ネタ。
狗神使いの口癖は「ありゃ」
やや驚いたときは「ありゃりゃ」
だったりする。

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