冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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感想、評価、誤字報告くださった方、ありがとうございました。

では。


巻の三

 

 

 

 

 

 

 

 

 住宅街へ戻る頃には、既に闇夜に眩しい赤のサイレンを灯したパトカーと救急車が止まっていた。直前で繍は式神である狗から飛び降り、路地から様子を伺う。

 別々の担架に乗せられた子どもと男が救急車へ運び込まれるのを見て取り、繍はひとまず壁に背を預けて胸を撫で下ろす。

 その傍らに、不機嫌そうな顔のサーヴァントが顕現した。

 

「おい、えい加減説明せぇ。何をそないに急いどるがじゃ。それにその肩、はよう手当てのひとつでもせんと腐れるぞ」

 

 ああ、と繍は肩を押さえた。髑髏面に浅く斬られた肩からの血は、既に止まっていた。

 佐保の家の血に混ざる術を励起して体内の魔力を活性化させ、出血は止めたのだが、傷そのものはまだ塞がっていなかった。

 

「そうなんだけどね……。そのための道具が入った荷物を、あの家に放って来てしまったんだ。済まないけど、回収してきてくれないか?」

「阿保なことをやったの」

 

 はぁ、と着物のサーヴァントはため息を吐いた。

 

「しゃあなしじゃの。で、どんな荷物じゃ?」

「草色の布でできた、結構でかい鞄だ。肩紐がついてるんだが」

 

 音もなく、男の姿はほつれて消えた。霊体化したのだろう。

 召喚してからの数分で、繍は何とはなしに契約の仕組みを理解していた。繍の精製する魔力が、あの岡田以蔵と名乗ったサーヴァントへ流れており、そのせいか全身に血を流したのとは無関係な気怠さがあった。

 これが、サーヴァントとの契約のラインなのだろう。繍の意志で断ち切ることもできそうだった。

 加えてアサシンが霊体化になった途端に、体から抜け出て行く力の量が減ったことから、実体になっているよりも霊体になっているときのほうが、魔力の消費は抑えられるようだった。

 右の手の甲に刻まれた刻印にも、濃い魔力が詰まっていた。令呪、とケイネスは呼んでいたが、一種の魔術刻印なのだろう。

 どういう性質のものかは知らないが、マスターの証と言うからには何か特別な使い方があるのだろう。

 

「これを持ってるってことは、マスター扱いされる……よな」

 

 当然である。

 あの殺人犯から期せずして奪い取る形になったが、今は繍の手にあるのだ。それに、サーヴァントまで召喚してしまった。

 我が事ながら、あのやけくその術式と詞で、よくもまああれだけ高位の、はっきりとした人格を感じられる霊を降ろせたものだと思う。

 恐らく、召喚の術のほとんどは聖杯戦争という仕組みそのものに依存しているのだろう。

 それにしても、痛覚を元に戻した反動か肩はまだ痛みを訴えていた。傷を押さえた正にそのときに、サーヴァントが屋根を跳んで戻って来る。

 その手には草色の帆布鞄がぶら下げられていた。

 

「おう、これか?」

「それそれ。……よく持ち出せたね」

 

 ランプで赤々と照らされる家には、既に警官が踏み込んでいる。

 そこを潜り抜けて鞄を手にして戻って来たのだから、このアサシンのサーヴァントは名前の通りに隠密に長けているのだろう。

 同時に瞼の裏に、血まみれで倒れていた男女と子ども、怯え切っていた少年が蘇って、手を無意識にきつく握りしめる。

 あの子は、今日この夜で、みなしごになってしまったのだ。

 

「わしゃアサシンじゃき。気配を消して動けるがじゃ」

「……ありがとう」

 

 鞄を肩にかけ直して、一度だけ惨劇の家を振り返って頭を下げてから、繍は裏路地の闇へと踏み出していった。

 

 

 

 

 

 

 

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 住宅街の路地に描きつけた陣を跡形もないように消し、手首を燃やし尽くして灰は風に飛ばした。

 それからなるべく人に出会わない道を抜けて、繍とアサシンは、冬木駅に近い宿にまで戻って来た。

 朝に出て来た部屋の扉を開けると、繍はほとんど倒れ込むようにコートも脱がずに床にへたり込んだ。

 閉じた扉の前に顕現したのは、相も変わらず目付きが悪い黒衣のサーヴァント。

 ろくな説明をせずに、街中を東奔西走させたせいか、大いに不機嫌そうな顔で腕組みをしていた。

 

「で、おまんはこの場所でなにしゆうがか?わしのマスターなんじゃろうな」

「マスター……だよ、うん。令呪もあるし」

 

 奪ったものだが、という一言は言わずにおいた。

 

「それで君はええと……、アサシン?人斬り?どっちなんだ?」

「人斬りいうたじゃろ。人斬り以蔵の名、おまんもちくっとは聞いたことないんか」

「うん、それは……あるけど。でも人斬り以蔵って、今から百年は前の人だよね」

 

 聞いて、自分が大層馬鹿なことを口走ってしまったと気がついた。

 ランサーの英霊を見たばかりではないか、と思い出す。魅了の術を顔に宿した槍兵とくれば、大方真名は予想出来ていた。

 ケイネスのサーヴァントは、恐らく『輝く貌』のディルムッド・オディナ。そうだとすれば、ざっと千年以上は前の、ケルト神話の英雄である。

 それだけ古い英霊が闊歩できるなら、人斬り以蔵とて召喚できるだろう。

 

「君がアサシンとしたら、聖杯戦争には七騎いるって聞いたんだが?」

「セイバー、ランサー、アーチャー、キャスター、ライダー、バーサーカー、それにアサシンじゃの」

「何故知ってるんだい?」

「喚ばれたときに、聖杯からそんくらいの知識は与えられるんじゃ」

 

 アサシンは毒気を抜かれたようなため息を吐いて、床に腰を下ろした。腰の刀を鞘ごと抜いて、それを抱え込むように座る。

 

「何で、こないな何も知らんガキがマスターなんじゃ。おまん、歳は幾つじゃ?」

「十九。一月後には成人だよ、一応ね」

 

 馬鹿正直にそこまで答えて、繍はアサシンの目がまた呆れたように細められるのを見た。

 

「意外と歳は食うとるんじゃな」

「そりゃあどうも。それで、ボクは君のことを何と呼べばいいんだい?アサシンじゃ怪しすぎるし、人斬りってのも何か呼びづらいんだが」

「好きにすりゃあえいじゃろ」

「それじゃ岡田さんと呼ぶよ。……改めまして、岡田以蔵殿。我が生命を救ってくださり恐悦至極にございます。都の守護の要たる、東の御山をかつて統べておりました、佐保の家。その当主として、深く御礼申し上げます」

 

 膝を揃えて正座し、深々と腰を折る。常の口調を改めての言葉に、以蔵は驚いたように片眉を上げた。

 

「ま、まぁ、わかっとるんならそれでえいがじゃ」

 

 口とは裏腹に、意外と悪い気はしていないのか、懐手になってそっぽを向いて鼻の頭をかく以蔵を、繍は黙って見守っていた。

 人斬り以蔵というからには、もっと血も涙もないのを想像していたのだが、思ったよりも普通そうだった。

 何を以てして普通というかは、この際些末な話である。

 

「ん?ちょお待ちぃ。おまん、当主言うたがか?」

 

 その成りでか、と言いたげに以蔵は、ぶかぶかのコートを羽織ったままの繍と乱雑な部屋を見た。

 繍が間借りしている此処は、駅前の裏路地にひっそりと立つ宿である。

 元が倉庫だったとあってまともなベッドはないし、中の廊下はところどころ傾いていたし、鼠が柱を齧る音までも耳を澄ませば聞こえてしまいそうだった。

 滞在費の節約と、こういう宿のほうが足がつかないために選んだのだが、確かに居心地が良いとは間違っても口に出せなかった。

 謹厳な表情を吹き消して、繍は頭をかいた。

 

「そうだよ。これでも当主さ。まぁ、佐保の家なんてもうボク以外残っちゃいないし、家も土地も手放してしまったから、持ってるのは本当に名前と術だけなんだけどね」

「なんじゃ、おんし、ひとりなんか?」

「うーん。同じ血を受けた人たちならまだいるけど、縁が無くなってるし。……ここにはさ、元は住むところを探しに来たんだよ。それで歩いてたら、殺しの現場に出くわしてしまってさ」

 

 その殺人犯がこれもまた何の偶然かマスターのひとりで、令呪を拾ってしまったばっかりに、髑髏面に襲われた。

 其処から先は、以蔵も知っての通りだった。

 

「だから、つまり……聖杯にかける願いとか全くないし、召喚も適当なんだ。つまるところは死にたくなかったからだな」

「……」

「で、岡田さんのほうはサーヴァントなんだろ?願いがあって現界したんじゃ……?」

 

 聖杯は万能の願望器と聞いている。

 つまり単純に、何でも願いが叶うのだ。だからこそ、人も英霊も皆聖杯を求めて相争う。

 薄っすらと無精ひげの浮いた顎を撫でながら、以蔵は首を横に傾けた。

 

「確か、聖杯はなんでも願いが叶うちゅう話やったの。……たんまり金をもろうて、遊ぶこともできゆうがか?」

「そりゃできると思うけど、サーヴァントは聖杯戦争が終わったら多分消えることになるから、貰っても使う時間がないと思うよ」

「そりゃつまらん。ほいたら、受肉でも願うかの」

 

 そんな軽いノリで願いを決めてしまっていいのか、と今度は繍のほうが首を傾げることになる。

 

「ほしたらマスター、わしは誰を斬ればえいがじゃ?」

 

 薄く笑っていた以蔵が、刀の鯉口を鳴らす。

 よく光る目に籠もっている殺気に、繍の喉が締め付けられた。

 己が人斬りだと嘯いたのは、誇張でも何でもない。この男にとってはただの事実なのだと、一瞬で繍は察した。

 息を深く吸って、暴れかける心臓の鼓動を抑えた。

 

「誰も斬るな。当分の間は、ボクたちは何がどうなってるかを知らなきゃならない」

 

 事態に流されたままでは、繍はずるずると恩師であるケイネスと敵対してしまう。

 恩師を殺せるわけがない。そう考えることも厭わしかった。

 何れにしても、既に巻き込まれてしまったのなら、その中で生きて行くしかない。

 とんだ家探しになったものである。自嘲したくなるが、止めておく。

 

「人斬りに、人を斬るなちゅうんか?」

「誰を斬るべきかも斬らないでおくべきかも、今のボクには判断できないんだよ。岡田さん」

 

 三白眼をきっかりと睨んで、繍は言葉を押し出した。

 朝焼けの光が、部屋を斜めに照らす。息詰まるような数秒の沈黙の果てに、刀が鞘に戻る乾いた音が部屋に響いた。

 

「……好きにすりゃえい。ただし褒美は弾んでもらうきの」

「魔力なら好きなだけ持ってけばいいよ。そんなに疲れないみたいだから。ただお金はあんまり払えないんだけど」

「なんじゃ、ケチ臭いのぅ」

「悪かったな。宿無しの金なしなんだよこちとら」

 

 口を利いた拍子に肩が引き攣り、繍は軽く呻いた。忘れかけていたが、肩を斬られているのだ。毒の類が刃に仕込まれていなかったのは、幸いだった。

 繍の纏うコートは、霊的なものに対しての護りにはなるのだが、物理的なもの、例えば刃物や銃弾にはあまり強くないのだ。

 

「岡田さん、できたら部屋から出といてほしいんだが。傷の手当をしたいから」

「ん、なん……」

 

 言いかけて、以蔵は繍を見て納得したように頷いた。

 

「なんじゃ、おまん、女子(おなご)じゃったか。……わかったわかった。そげん睨むな。外で霊体になっちょるから、終わったら呼べや」

 

 ひらひら手を振って、以蔵の姿は消えた。消えた気配が、再び廊下に現れるのを感じ取りながら、繍はコートを脱ぐ。

 斬られた肩を確かめると、下に着ている白いシャツも切り裂かれ、血が布を赤く染めていた。

 傷自体はさほど深くなく、太い血管も外しているので縫わずに済みそうだった。が、ここ一日は動かさないほうが良いだろう。

 鞄の底から、軟膏の入った壺と包帯、替えの服を取り出す。血の汚れはかなり派手で、もうこの服は着られそうになかった。

 

「あの髑髏面……!」

 

 肩をはだけてきつい匂いのする薬を塗りながら、繍は忌々しげに呟いた。

 あの仮面たちは二体いた。両方共仕留めたが、仮に分身でもしているのなら、あれで終わりというのではないだろう。

 

「あいつら、何のクラスなんだろう。アサシンのようだったけど、岡田さんもアサシンだって言ってたしなぁ……」

 

 包帯を巻きながら髑髏面たちの人間離れしていた気配と動きを、思い起こす。

 ひとつのクラスに、サーヴァントが重複することはあるのだろうか。

 令呪を奪って召喚したが、不具合はないのだろうか。

 繍には聖杯戦争に関する知識が、兎にも角にも少なすぎた。

 まさかケイネスに聞くわけにもいかない。わかっていることは、冬木の地脈の流れと、四人のマスターの名前、ランサーの真名くらいのものだ。

 

 包帯を巻き終えて服を直すと、ふと、あの子どもの顔がまた蘇った。

 聖杯戦争は、戦争と名がついていても魔術儀式の範囲内の闘争と思っていた。

 戦場の殺し合いというより、ルール範囲での死もあり得る決闘のようなものと認識していたのだ。

 それだのに、あの殺人鬼の男にしろ髑髏面にしろ、研究者の魔術師ならばさほど相対しないような類の人種だった。

 殺人鬼をマスターに選び出すのが聖杯なら、万能の願望器という話も急に血生臭く、胡散臭く思えた。

 

─────聖杯で、まともに願いが叶うのかもわからないんじゃ。

 

 そこまで考えて、繍は視界がぐらりと揺れたのを感じて、顔を手で覆った。

 朝から街を歩き回り、休む間もなく殺されかけてサーヴァントを喚んだ疲れが、急に襲いかかってきたのだ。

 緊張の糸が切れたのだろう。あっという間に手足に力が入らなくなっていた。呼吸が浅くなり、見上げた天井の木目がぐるぐる回る。

 

「だ、めだ……。まだ、寝る、な……」

 

 腰のホルダーから狗神を呼ぶ呪符を取り出し、起動させるのと同時に、繍は床の上に倒れる。

 肩が床にぶつかって鈍い音がするより前に、繍の意識はばらばらになって闇の底に沈んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ごっ、という鈍い音が出てきた部屋から響いたとき、岡田以蔵というサーヴァントは廊下の壁に背中を預けて佇んでいた。

 思い返していたのは、あの顔色も悪いひょろいマスターである。

 通りすがっただけの家のことで血相変えて駆け出すかと思えば、自分の傷のことにはへらへら笑い、お偉方のような口を利いたかと思えば、男か女かもわかりづらい気安さで話しかけてくる。

 掴みどころのない、妙なやつである。おまけに髪色も、白と黒と灰という妙ちきりんさだった。

 由緒ある神官の末裔だかなんだか知らないが、妖しの術に関わるような人間は、大なり小なり、真っ当な人からは外れていくのかもしれない。

 だがひとまず、佐保繍と名乗ったあのマスターは、岡田以蔵という人間を馬鹿にしなかった。所詮は亡霊、使い魔風情だと、見下していなかった。

 その気配を僅かでも感じていたら、以蔵はあの人間を斬っているところだった。

 契約相手にしてやらんでもない、と以蔵が腕組みをしたときに、部屋から響いたのは鈍い音である。

 

「おい」

 

 声をかけるも返事がない。

 扉を開けて踏み込んだ以蔵が見たのは、床に広がったコートの中で丸まって眠る繍と、その横で座っている耳をぴんと立てた白い狗の姿だった。

 以蔵が近付こうとした瞬間、狗は牙を剥いて唸った。

 斬るか、と無意識に刀に手がかかる。その気配を察知したのか、もう一匹の黒犬が以蔵の真後ろに顕現した。

 白と黒。二匹で一対の式神は、揃って唸り声を上げた。主である繍を守ろうというのだろう。

 その主といえば、完全に昏倒しているのか、唸り声が響いていようが、全く目を覚ます気配がない。呼吸は一定だから、死んだわけではないだろう。

 部屋に漂う薬の臭さと蓋の開いた鞄の様子からして、傷の手当まではしたが、そこで体力か気力が切れたのだろうと、以蔵は判断した。

 昏倒する直前に式神だけは出したのは、用心深さの顕れだろう。ともあれ契約したばかりのサーヴァントの前で、無防備にねこけるほど阿保ではなかったらしい。

 ち、と舌打ちの音が部屋に響いた。

 

「やめじゃ、やめやめ。おまんらを斬る理由はないきの。精々そやつを大事に守っとけ」

 

 以蔵が殺気を引っ込めれば、黒狗は牙を収める。やや遅れて、白狗も牙を引いて、元の狛犬のように動きを止めた。

 どうやら式神といえども、個体ごとの個性があるようだった。先程街中で繍はこれに乗っていたが、そのときより体が縮んでいる。

 大きさも自在とは、つくづく化生のものらしい。

 それにしても、この少女が起きるまで何もすることがない、と以蔵は呑気に眠るマスターを見て、ため息をついたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




更新できたので、しました。
またのんびり更新です。

土佐の喋り方は調べて書いてはいるのですが、おかしかったなら申し訳ありません。

マスターの家には一応元ネタはあります。

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