では。
いけ好かない血統主義者、とウェイバーはケイネスを評価していた。
九代を数える魔導の名門、アーチボルト家の御曹司にして、時計塔のロード。
その肩書きを鼻にかけて、ウェイバーのような才能を持つ学生を、歴史がないという一点だけで切り捨てる権威主義の権化。
要するに、ウェイバー・ベルベットはケイネス・エルメロイ・アーチボルトが大嫌いであった。
彼への反抗心だけで、この聖杯戦争に飛び込んだようなものであるし、元々ケイネスへの嫌悪が元で、時計塔唯一と言ってもよかった友人と、喧嘩別れすることになったのである。
友人と仲違いした苛立ちまでぶつけるのは逆恨み、と思わないでもなかったが、ともかく自分の感情を一端切り離して考えられないほど、ウェイバーはケイネスが好きではなかった。
まさかその友人、佐保繍まで、聖杯戦争にいるとは思わなかったが。しかも、成り行きとかいうふざけた理由で。
時計塔時代の彼女は、今とまるで違っていた。
いつもおどおどとした顔で本やスクロールを抱え、長い黒の前髪の奥から、うつむき加減にぽつぽつと、拙い英語で口を利くような、要するに暗いやつだったのだ。
ウェイバーが繍と言葉を交わすようになったのも、彼女が自分の家で時計塔に来たのは自分が初めて、と言ったからだ。
魔術師のことはよく知らない、英語も上手くない、と不安げな顔をする痩せっぽちの、何かと虐げられがちな極東出身者。
時計塔でのウェイバーは、口ばかり大きな身の程知らずと馬鹿にされていた。誰も、頼ろうとなどしてくれなかった。
だけどこいつなら、とそう思った。
こいつならウェイバー・ベルベットを馬鹿にしないし、笑わない。
いつだって頼りないし、何より魔術のことについても無知なのだ。
それは、下心だったのだろうか。
ともかくも、極東からの留学生との交流はしばらく続いた。
穏やかだが、ふとした拍子にどこか冷えた風が吹き抜けるような、ゆるい関係に変化があったのは、やはり、ケイネスのせいだった。
降霊科の授業に出るようになって、繍は急速に課題を楽々こなせるようになっていった。
降霊術の権威、ケイネスに時々名を呼ばれ、褒められるほどに。
今考えれば当たり前だったのだが、あの頃のウェイバーには大いに面白くなかった。
ケイネスに褒められる度、嬉しそうな笑顔でウェイバーに報告しに来る繍も、ウェイバーと親しくする繍に怪訝さを見せ、彼女とつるむウェイバーに侮蔑をあからさまにする他の生徒や教師を見るのも。
そして、ウェイバーを置いて、どんどん魔術師として成長する繍といること、それ自体が。
だからある日、昼下がりの中庭で、冗談めかして言ってしまったのだ。
ケイネスなんて、血統主義者で口先ばっかりだとか、古い家柄など黴臭いばかりでなんの役にも立たない、とか。
つまり、日頃胸に溜め込んでいたことを、全部、開け透けにぶちまけてしまったのである。
多分、取り組んでいた論文の進捗状況が良くない徹夜明けの苛立ちも、重なっていたと思う。
今となっては、何もかも言い訳にしかならないが。
それを聞いて、繍はしばらく黙っていた。俯いて、ペンを持つ手がぶるぶると震えていたのを覚えている。
どうしたのかと尋ねたら、今にも泣きそうな顔でウェイバーを睨みつけ、叫んだのだ。
君は、何もわかってない、と。
今思い返しても、時計塔中庭の学生の大半がこちらを見るような大声だった。
あんな声が出せるのかと思うほどに。
そこからは正に、売り言葉に買い言葉。
とにかく繍は、ウェイバーが、ケイネスと所謂、名門講師をすべて一括りにして罵ったことを取り消せと、かなり支離滅裂気味な英語を駆使してまくし立て、譲らなかった。
むきになって、事実じゃないかこの呪術師かぶれ、とウェイバーが言ったら、繍は、君に一族の歴史の重みの何がわかるんだ、と言い返したのだ。
その一言はウェイバーにぐさりと突き刺さった。
ベルベット家は三代目で、真面目に魔術師たらんとしているのは、ウェイバーが最初。実質的には、初代のようなものだ。
ウェイバーは、繍も同じだと思っていたのだ。
だのに、『同じ』のはずの繍が、ウェイバーをわからず屋と怒り、ケイネスを庇った。
腹が立って、また罵り合いになって、最終的には、ウェイバーは繍に、東洋のバリツだかジュードーだかで天高く投げ飛ばされて宙を舞い、そうして喧嘩は終わった。
芝生の上へ、綺麗な弧を描いて放り投げられたウェイバーが放心している間に、繍は駆け去ってしまったのだ。
魔術師のくせに肉体言語に訴えるのかと、文句を言う暇もなかった。
それから、繍とは口を利かなくなった。
数日後に、まなじりを下げた繍が話しかけて来ようとしていたが、ウェイバーは論文を言い訳にして逃げた。
顔を、見たくなかったのだ。
そうやって逃げている間に、あの繍が、本当は千年以上続いている神秘の家柄だと、知った。
騙されていた、と咄嗟に思ってしまった。
ケイネスたちと同じなのに、それなのに何食わぬ顔で、ウェイバーのことを理解しているように振る舞っていたと。
そんな器用なこと、あの英語が下手で、気弱で不器用でお人好しなやつにできっこないと、心の片隅ではわかっていたのに。
自分を騙したところで、繍にはなんの得もないのだとわかっていたのに。
自分だって、ちっぽけな優越感を満たすために、右も左もわかっていなかった繍を利用していたのだと、わかっていたのに。
皆わかっていたくせに、謝ろう、と素直に思えなかった。
先に嘘をついていたあいつが悪いんだから、と意地を張った。
そうやって、意地を張っているうちに繍は時計塔から消えていたのだ。
取り組んでいた課題を仕上げ、丁寧な論文にして、もう少し取り組めば、もっと素晴らしい結果が導き出せるだろう佳作をつくり、それでいて何の未練もないかのように、すっぱりとそこで止めてしまっていた。
ウェイバーには到底思いつけないような、見事な理論展開と魔術式を記したものをぽんと置いて、英国からも旅立って行った。
詰まる所、佐保繍に、魔術への想いはなかったのだ。
でなければ、あれだけ貪欲に吸収してものにした技術の結晶を、石ころのように投げ捨ててしまえるわけがない。
魔術師界隈における最高峰の学府から、立ち去ってしまえるわけがない。
繍が魔術に求めていたのは、もっと別の何かだった。
それはきっと、彼女のような人間にしか見えない何かで、ウェイバーにはついぞ理解し得なかった。
たった、それだけのことだと、ウェイバーはあの元友人のことを忘れることにした。
きっとあいつだって、ウェイバーのことなんてすぐに忘れるだろうから、と。
魔術のことを簡単に捨てられるやつが、魔術師の学校でちょっと関わっただけの人間一人、捨て去れないわけがないと思ったから。
そこからまたウェイバーは没頭するように論文書きに戻り、仕上げたものをケイネスに破り捨てられ、ついに堪忍袋の緒が切れて、聖杯戦争に飛び込んだ。
まさかそこで、元友人と再会するとは夢にも思わずに。
いや、言い訳ができるなら、誰だって予測できるわけがないと言いたい。
里帰りしたらうっかり殺人現場に遭遇して、しかもついぶちのめしてしまった相手が聖杯戦争のマスターで、サーヴァントに襲われたからサーヴァントを喚んでしまった。
助けてくれたサーヴァントに恩があるから、それを返すために、聖杯戦争に参加するなどという展開、読めというほうが無茶である。
ウェイバーにできないことを平然とやりのけて、相変わらず誇りもしていない様子には、やっぱり酷く腹が立って、自分がまったく忘れることができていなかったと、再認識する羽目にもなった。
本人も、ひどく変わっていた。
何処かに色を落っことしてきたらしい、変わった色の髪をなびかせて元気に笑い、ウェイバーのライダーと比べたら格段に霊格が低い、血塗られた人斬りの手を楽しそうに引っ張り引っ張られ、小さな子どもを庇って戦う。
お前、そんなふうに笑えるやつだったっけ、とウェイバーが首をひねりまくってライダーにからかわれたことなど、繍は知るまい。
でももしかしたら、佐保繍という人間は、本来あちらが素であったのかもしれないのだ。
何せ、一度キレたらウェイバーを鞠のようにぶん投げて、飛ばすようなやつだ。
魔術を覚えたくせに、肝心なところで白兵戦とか物理手段に訴える辺り、やはり螺子が抜けている。
そんなやつと、件の大っ嫌いな講師と、なんの因果か手を組むことになったのが、ウェイバー・ベルベットの聖杯戦争である。
「どうしてこうなったんだ……?」
「まぁだ、そんなことを抜かしておるのか、坊主。小さいのぉ」
「うるさい!大体初っ端からオマエが真名を出したりしてから、大混乱じゃないか!」
「あのアサシンとて、己から名乗っておったではないか」
「あれは!あいつらの作戦だろ!ノリと勢いでやったオマエと一緒にすんな!」
柳洞寺へ向かう戦車の中でも口論である。
そもそもケイネスや他の視る目がない時計塔講師の鼻を明かすために、極東くんだりまでしたのに、魔術師同士の決闘とか、武勲とか、そういうものからは程遠くなってしまった。
今やっていることは、神秘の漏洩を防ぐための、魔術師の義務を果たすべくの任務である。それも、最古の英雄王を相手取って。
一体どうしてこうなった。
その中でウェイバーがやったことと言えば、ライダーの戦車に毎度同乗して、間桐邸を焼き討ちしたり、アインツベルン城に突撃したり、教会から逃げ出したりした程度である。
秘術のひの字も出て来ない。
「何を騒いでいる、ウェイバー・ベルベット。我々の責務を忘れたわけではあるまいな」
おまけに、同乗者がケイネスたちなのである。
確かに、時間が惜しいからライダーの戦車を足にするのはわかるのだが、相乗り相手が彼なのは最悪だった。
これで繍がいたならば、良くも悪くも空気を読まないあの無駄な朗らかさで橋渡しをしてくれるだろうに、彼らはライダーに指示されてセイバーの元へ行った。
昨日全身から血を噴き出して、髪まで真っ白になっておきながら、傷は治ったからと、幼女と人斬りと一緒に騎士王陣営のところへ向かった姿を見れば、ウェイバーも文句など言えない。
というか、目つきが悪い正真正銘の人斬り、虐待を受けていたと思しい幼女、肝心なところで暴発する呪術師、というあの三人組のバランスはどうなっているのだろうか。
なんであれで、衝突せずにやっていられるのだろうか。
「ウェイバー、いい加減物思うのは止めて、魔術師の義務に集中したまえ」
「おう、魔術師。貴様、余のマスターにちょいと口うるさいぞ」
「それは聞けぬ、征服王。我々は魔術師。聖杯戦争最中であろうと、いやだからこそ、その責務から外れてはならん」
ウェイバーならば首を縮めそうな征服王の眼光に、ケイネスは応じ、征服王もふむ、と頷いた。
「似たようなことをあの小娘も申しておったなぁ。魔術師の道と王の道は違う、とな」
「あいつはまた別だよ。本業は神官だろ」
「変わらぬさ。要するに、小娘は余の覇道を好んではおらんのだ。何も言わぬが、目を見ればわかる」
「そういうモンなのかよ」
首を傾げるウェイバーに、ケイネスが鼻を鳴らした。
「当然だろう。そもそも征服王、そちらの願いは、受肉の後、世界征服を果たすことだろう。仮にこの国を起点に征服など始められたら、どうなるのだ?この神牛の引かせた戦車の轍が、彼女の国に深々と刻まれることになるだろう」
「……うむ」
「そこもとの覇道に、共に夢を抱ける一騎当千の英霊ならば、戦火とて栄えある戦化粧なのかもしれぬ。だがあれは、戦事を嫌い、領域の守護者たらんとする家の出、しかもこの国の神霊に傾倒している。疎ましくも思うだろうさ」
なんでこの講師、ここまで堂々と征服王に物申せるのかと、ウェイバーは思う。
自分だったら、デコピンで沈められているというのに。
ウェイバーの葛藤などなんのその、ケイネスは喋り続ける。
「そう考えれば、私はランサーと契約しておいてよかったかもしれないな」
「あ、主……!」
「履き違えるなよ、ランサー。まだ私は貴様を認めておらん。今後の働き次第だ」
「いえ、それは当然のこと。有難き幸せです」
ウェイバーの戸惑いにもケイネスはまったく頓着しないし、ランサーも同じくである。
苦虫を噛み潰したようなケイネス相手でも、ランサーの清々しさに曇りはない。
ソラウもいるのだが、彼女は元々あまり口を開かないから、何を考えているのかはわからなかった。
というかこの戦車、かなり狭い。
ウェイバーは縮こまる羽目になっているし、ライダー以外の全員が細身だから何とかなっているが、結構きつい。
犬にあの子どもを乗せて、徒歩で出て行った繍たちのほうが、何倍も楽しそうに思えて来る。
「君も少しはマシな顔になったものだ。あの論文も、今ならば撤回できるのではないかね?」
「それは……」
「ウェイバー君、昨日のシュウ・サオの有様を見ても、まだ懲りないのかね?」
言葉が喉の奥で貼り付いた。
「彼女は確かに、君からすれば万能に見えるだろう。代を重ねて魂や魔力、回路を精錬した結果だろうが、反面、彼女は酷く不自由なのだぞ」
「不自由って……」
「神霊クラスの憑依を可能にする特殊体質が、彼女の家の真骨頂なのであろう。だがあれは恐らく、魔術や呪術による制御など利かない気紛れなモノだ。君とて、『
「……」
「君と彼女は同じであってはならない。あの論文も、彼女の手助けがあって書いたものだろう。己が存在を愚弄されているも同然の理論の構築に、よくもまあ、友人とは言え手を貸したものだ。随分と甘いことだよ。あぁ、だから猶更君に手を貸したのかもしれないな。歴史の浅い家で、自由な君を慮ってな」
ケイネスは半ばウェイバーに語り聞かせるのではなく、独り言を呟いているようなものだった。
それで良かったと思う。時計塔での叱責のように言われていたら、ウェイバーは何も言えなくなっていただろう。
『坊主、これがお前の師だったわけか』
『……そうだよ』
『マスターにはしたくはないが……師としては悪くはなさげに見えるな。心と見識は、ま、そこそこに狭いようだが』
ライダーの気楽そうな念話である。
そういえばこいつの師匠はかのアリストテレスだったと、ウェイバーは思い出した。
「おう、魔術師どもにランサーよ。あれが件の大聖杯のある場所か?」
手綱を片手で捌きながら、もう一方の腕でライダーは下を指さした。
そこには大聖杯の安置場所、柳洞寺があった。戦車はたちまち降下し、彼らは地面に降り立つ。
そこには、門へと続く長い石造りの階段があった。
「ライダー、なんで下に降りるんだ?そのまま寺まで行っちゃえばいいじゃんか」
「それがのう、坊主。どうやらこの寺には結界が張られているようでな、余らのような存在は、あの山門からしか入れないようになっているようだ」
「一筋縄では行かぬか。御三家の祖とやらは、さぞ素晴らしき魔術師だったのだろうな」
まるで子孫である今の彼らが、違うような皮肉気な口調だった。
「ってことは、ここの階段を全部上っていくんですか?」
「他に方法があるのかね。レディにジュードーで投げられた、ウェイバー・ベルベット君。彼女なら、健脚で軽々と駆け上がるだろうよ」
やっぱこいつは嫌いだと、ウェイバーはため息を吐く。
吐いて階段の上を見上げ、そしてウェイバーは異変に気がついた。明らかにただならぬ気配を放つ者が、門にいる。
「なあライダー、あそこ、門のところ……」
「……うむ。どうやら、余たちは遅かったようだな」
門前に黒い霞が収束し、人の形を取る。
咆哮を轟かすことも襲ってくることもなく、バーサーカーはただ、幽鬼のように突っ立っていた。しかし、門をその体で覆っている以上、意図は明らかである。
彼は、門番なのだ。
予期せぬ事態に、ウェイバーは喉が干上がるのを感じた。
「ごめんね、ウェイバー」ができなかった昔の話。
原因:赤点ギリギリな英語力の中卒(十五歳)に、魔術師と神官と呪術師のことや、一族の特異性をうまくぼやかしての説明ができなかったこと。