冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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では。


巻の三十三

 

 

 

 

 その座敷に座っているのは、桜雲を切り取り、縫い合わせたような、白絹の衣を纏う少女だった。

 烏の濡れ羽色の髪を、朱鷺色の組紐で結い上げ、銀の簪と薄紅の花で飾っている。

 余った黒髪は鶴のような細い首の周りに落ち、彼女が動くに合せてしゃらりと銀簪の房が揺れ、擦れ合う音がした。

 濡れた黒い瞳の美しく幼い少女の周りでは、数多くの乳白色の光の珠が飛び交っていた。

 ひのふのと数えてみれば、百は下るまい。それらは擦れ合って鈴のような音を立てながら、少女の周りを飛び回り、守るようにしていた。

 

 とても、美しい娘だった。人で言うなら、十かそこいらだろう。

 ぞっとするほど美しく、それ故どこかヒトと隔絶した怖さがあるような、そんな娘だった。

 それと向き合っているもう一人の娘がいた。

 二人の娘は、顔の造作に似た面影こそあったが、しかし、雰囲気はまるで異なる。

 

 もう一人の娘の混じり気ない白の髪は白い紙と麻紐で一つに束ねられ、身に纏うのは白小袖と若葉色の袴。

 どちらも質は良く静謐だが、華やかさはない衣だった。

 それでも、凛と背筋を伸ばした娘に、よく似合っていた。

 身を飾った娘より、巫女装束の娘のほうが、幾分か歳嵩である。それでも精々、十代の後半である。

 彼女たちは姉妹と言っていいほど顔立ちが似ているのに、受ける印象がまるで異なるのだ。

 幼い少女の顔には薄い笑みが、巫女の少女には静謐な無がのっているからだろうか。

 しかし、何の感情も表していない表情をしているというのに、巫女の娘のほうが親しみが持てる。

 よくよく見れば、何かを堪えるために、無表情で繕っているのだろうとわかるからだ。

 顔の印象は似てこそいるのに、ここまで違えば、まったく以て不思議なものとしか言えない。

 

 喩えるなら、春霞の野と秋の芒野くらいには、異なっているのだ。

 平屋の家屋の中で向かい合っていた。

 二人は青い畳の上に座り、上座に春の少女が、下座に巫女の少女が膝を揃えて座っているのだ。

 そして己は部屋の外、縁側からその光景を見ているのである。外には日が降り注いでいて、庭の土や漆喰の塗られた白壁をやわらかく浮かび上がらせていた。

 

 上座に膝を崩して座る春の少女が、口を開く。

 けれど桜色の唇から溢れたのは人の言葉でなく、ただの音、だった。

 春のせせらぎが立てる音にも、山の木々が葉を擦れ合わす音にも、夕立ちが軒先に跳ねて立てる音にも似た、決して、人の言葉とは言えない音の羅列である。

 

 秋の少女は、白い空間に流れて行く音を頷きながら聞いていた。

 相槌を打ち、時折一言二言、わかりました、とか心得ています、と簡素な返事を差し挟む。

 

 あの人ならざる春の生き物が放つ言葉を、人間である秋の少女は、人語として解していた。

 

 ─────姫神様の、御心通りに。

 

 そう、額づいた巫女装束の娘が答える声だけがはっきりと聞こえた。

 春の少女は手を伸ばして、その頭を撫でる。小さい童にするような、優し気な手つきだった。

 と、その少女がこうべをぐるりと巡らせてこちらを見た。

 細く形のいい眉を吊り上げ、臭いものを嗅いだかのように小さな鼻にしわを寄せて、目を細める。

 あの顔は、見た覚えがあった。

 いつかの昔、通りで、街行く人々が己に投げつけられた視線。

 咄嗟に苛立ちを感じ、殺気を放ちかけ────額に、超高速で飛来した何かがぶち当たった。

 

 目の前に星が飛び、視界がぶれたかと思うと、後ろ頭に叩かれたような衝撃が走った。どうやら己が仰向けに倒れかかり、弾みで縁側から転がり落ちたのだと気がつくのに、数瞬はかかった。

 身を起こして見れば、あの巫女の少女が片膝を立て、右腕を振り抜いた姿勢で固まっていた。

 左腕には小さな青銅鏡を持っていて、縁側の上にはそれと同じものがころころと転がり、日の光を照り返してきらきらと輝いていた。

 

 つまりあの巫女は、持っていた青銅鏡を、水切りの小石よろしく、こちらの額に向け投げつけて来たのである。

 一瞬、ぽかんと口を開けた春の少女は、すぐに口を袖で覆うと、ころころと笑い出した。

 無論、それすらも人の笑い声には聞こえなかった。漣が岩にぶつかり奏でるような音が、ヒトのカタチをしたものからこぼれているのは、大層不可思議である。

 

 人とは思えぬ笑いを続ける春の少女の前に座ったままの、鏡で一撃を食らわせて来た巫女の少女を睨む。

 それまで取り澄ました冬の湖面のようだった彼女の顔は、毀れていた。何かを願うように、茶色の瞳の奥に、切羽詰まった光があった。

 

 ─────君は、帰れ!

 

 又も額を打つような叱咤の声がしたかと思うと、視界が暗転したのであった。

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

「一体どうした?」

 

 以蔵を見下ろす繍の顔は逆さまで、訝し気に眉を下げている。

 刀を抱え、崩れかけの壁に背中を預けた姿勢で、己がしばし眠ってしまっていたのだと気づく。

 割れた壁の隙間から上半身を乗り出して、繍が以蔵を見下ろしているのだった。 

 

「夢見がえずかったんじゃ。おまんはどうぜよ」

「普通だよ」

「ほんまかぁ?」

 

 じろりと睨んでやれば、繍は、あーと声を上げつつ、頬をかいた。

 それからよいしょ、と言いつつ、壁を乗り越えて以蔵の隣に膝を抱いて座り込んできた。

 

「ごめん、嘘だ。ちょっとばかり夢渡り……じゃなく、夢渡られした。君を巻き込んだよね、ごめん」

「おん。おまんじゃろう、わしの額に鏡投げつけよったんわ」

「ごめんってば。ああでもしないと君、夢から弾き飛ばされてくれそうになかったから」

 

 これで互いに同じ夢を見ていたことははっきりしたわけだが、問題はそこではない。真っ先に、繍が自分を夢から弾き飛ばそうとして来たことが腹立たしいのである。

 そもそもその夢渡りや夢渡られとやらはなんだ。またぞろ、人斬りには意味のわからない言葉が出て来た。

 

「前言ったけど、ボクらみたいなのは、眠っているときに魂が少し違うところを覗き見たり、何かに招かれたりすることが珍しく無いんだよ。今回は、姫神様に呼ばれたんだ。君まで来てたのは、この契約のせいだろう」

 

 そう言って、繍が示したのは右手の甲に刻まれた二画の令呪だった。

 サーヴァントとマスターは、互いの過去を夢で見ることがあるほど、魂に繋がりが生じる。

 

「要するに、おまんはほいほい魂だけが抜け出よって、それにわしが巻き込まれた、ちゅうことか?」

「いや、好きで抜け出たんじゃないんだけど。引っ張り込んでしまったのはすまない。今回は……うーん、まあ、謝られた、のかな?」

 

 人の言葉とはとても思えない、あの音の数々は、すべて姫神の言葉であったらしい。

 この世に残った唯一の依り代を、壊しかねない顕現をしたことを、姫神は悔やんだらしい。

 呼ばれでもしない限り、もうこちらには降りてこない、と言われたのだと言う。

 

「ただし、やっぱりギルガメッシュにはキレてたよ。なんとかしろ、と直々に託宣が来た」

 

 当主に姫神様から直々に託宣が下るのは、百二十三年ぶりじゃないかなぁ、と首を横に倒している。

 

「なんじゃそん微妙な数は」

「前回あった夢渡りは、廃藩置県で土地を失くしたときだったんだ。ボクのひいひい婆様が当主やってる頃だよ」

 

 それまた、随分なときに来たものだ。

 藩がなくなり、新政府が県を置いたのは、確か人斬り以蔵が死んだ、六年後のことである。

 改めて考えれば、己と同じ時代にこのマスターの先祖も、普通に生きていたのである。

 佐保家なる者たちとは出会ってもいないし、出会っていたところで、往時の自分がどうせ関わるわけもないのだが、知り合いとすれ違いを起こしたような気分になった。

 

「あんひい様の周りで飛んじょった、光ん珠はなんじゃ?」

 

 気になったことを尋ねることにする。

 カミというなら何でもありなのだろうが、あの光の珠の乱舞だけは引っ掛かったのだ。

 繍は、寸の間躊躇う素振りを見せた。

 

「あれは、皆だよ」

「みんなぁ?」

「だから、皆。一族の、みんな」

 

 立てた膝の上で重ねた手の上に、細い顎を乗せて、繍は答えた。

 

「これ以上は駄目。君は佐保じゃない。だから、教えられない」

「……」

「睨まれても駄目なものは駄目。()()()さんふうに言えば、ならぬものはならぬ、だ。それにね────」

 

 ────君は、言わなくてもわかるんじゃないの?

 

 光の加減か、澄み切った黒に見える瞳で告げられ、息が詰まった。

 こちらを見ている人ならざるモノの白い衣が翻って、この瞳の奥に被さるような気さえした。

 繍が瞬きすればその黒は消え、いつもの少し戯けたような顔になる。

 

「夢はあれだけだよ。うちの一族以外の人間なのに、姫神様を見られた君は、凄く珍しいんだよ。綺麗な女性(にょしょう)が見られて、よかったね?」

 

 いや、そこで首を傾げるなと言いたい。

 

「……まぁ、まっことべっぴんなひぃ様じゃったのう」

「だろう?」

 

 尤も、このマスターの内側に勝手に降り、殺しかけていなければの話であるが。

 そんな気まぐれを引き起こした時点で、いくら面が美しかろうが、不気味で仕方ないし腹立たしい。

 

「んで、ひぃ様はあんアーチャーを倒せ、ちゅうたか。人ん間引きをするからがか?」

「うん。まぁ、ボクとしては、本当に間引きするつもりなのか、ちょっと疑ぐり始めてるけどねぇ。……だって、アーチャーが顕現してから、まだ十日とかそこらだろう?それで、現世の見極めなんて本当にやりきったのかなぁって」

「あんアーチャーが、醜悪やなんやと言うとったやないか」

「あれは本気だと思う。が、だからといってすぐに全部滅ぼすのは……叡智を極めた名君、バビロニアの英雄王にしては短絡的かもって。ちゃんと寝て頭が冷えたら、そんなふうに思えて来た」

 

 上手く言えないけど、とこつこつこめかみを指で叩きながら言う。

 

「どちらかと言うと、嫌がらせな気がしてきてさ」

「誰にや」

「姫神様への。ギルガメッシュ王は、元々神と人を分かつ王で、それに女神のせいで親友エルキドゥを失っている。だから、女神は嫌いだと思うんだ」

 

 彼言うところのつまらない争いに、たまたま女神を憑けた人間が紛れ込んでいた。

 ただし、そのままでは女神は決して現世に現れないだろう。

 人一人の生命が危うくなる()()では、女神は姿を見せない。

 だから、敢えて怒らせるようなことを言ったのではないかと、思えて来たらしい。

 どの道、カミはもう怒ってしまったから、このような推測を述べたところで意味がなく、仮にただの挑発だったとしても、詰まる所、この国の神霊の一柱が侮辱された事実は覆らない。

 呪いに満ちた杯を、弄んで愉しむ英雄王を倒さなければならない状況は、変わらないのだけれど。

 

「ボクがこの街に来なかったら、この有様を見なかったら、姫神様も怒ったりなんかしなくて、こんな人がたくさんいる街で、カミが英雄王を殺せ、なんて言うような無茶苦茶だってさ、起きなかったんじゃないかって……って、うわっ!?」

 

 最後を言わせる前に、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜてやった。水を引っ掛けられた猫のような声が上がる。

 

「女術師の髪を弄るなって、あれほど言っただろう!」

「だきなこと抜かすおまんが悪いんちゃ。……あんなぁ、おまんがようわからんままに召喚をやらんかったら、わしは喚ばれちょらん」

「……」

 

 あ、と髪を押さえたまま、繍が呆けたような声を出した。

 

「それは、うん、嫌、だなぁ」

「そら見ぃ。それに桜がおる。あん童の体から、蟲を出して、楽にしてやったんはおまんじゃ。おまんが来よったから良うなったことは、ほれ、ちぃと考えりゃ二つくらいはあるじゃろう」

「そっか、君と、桜と、その二つか」

「ほうじゃ。あったことをなかったことにしてまで嘆くな、阿呆。大体なぁ、そんな暇が今んわしらにあるがか」

「……全然、無いね。わかったよ、悪かった。もう、忘れたりなんかしないよ。でも、そっか、君と、桜と、二つ、か。……ボクには十分、だなぁ」

 

 繍が額を膝に押し付ける。白い髪が被さり、顔が見えなくなる。細い肩が細かく震えているのは、見ないことにした。

 

「なぁ、おまん、怖かったんやないか、あんひぃ様が」

 

 答えは、なかった。

 ないということそのものが、答えなのだろうから、それ以上は聞いてやらないことにした。

 真っ直ぐ前を見れば、割れた壁から覗く空は明け方らしく、まだ薄明るい。

 教会から戻り、とにかく寝ろと繍と桜に毛布を押し付けたのは、確か日が暮れて数時間、という頃合いだったはずだ。

 繍が寝入った辺りで、何故か自分まで眠気に引きずられた。起きていようとしても、耐えられずに結局気絶するようにして、眠ってしまったのだ。サーヴァントに、本来睡眠は不要であるのに。

 今考えると、繍の魂があのカミに引きずられたから、以蔵も夢に引きずり込まれてしまったのだろう。

 しかも、起きたのはマスターの繍よりも後である。

 面倒くさく、面妖で叶わない。

 

「で、桜はどうしたんじゃ?」

 

 声をかけると、存外しっかりした声で返してきた。

 

「コンビニのおにぎり食べたら、まだ眠そうだったから、後ろで黒を枕に提供してまた寝てもらってるよ。良い夢、見てるといいなぁ」

「わしらの夢見は最悪やったきのう」

「君にはそうかもしれないがやめろ。哀しくなる」

 

 肘打ちが脇腹に入る。痛くもなんともないが、少しばかりくすぐったかった。

 

「あんひぃ様は、もうおまんの体を壊さんのか?」

「今代の人間と人間の英霊でどうにかしますからって、降臨するのは止めてもらうからね。流石に、神代の英雄王対神霊の1on1バトルは、回避しないと。アンリマユで死ななくても、神霊の息吹や英雄王の攻撃の余波で死ぬ人が出たら、洒落にならない」

「……おん」

 

 かと言って、どうすれば倒せるだろうか。そもそも、未だあれに刃が届く未来が見えない。

 寄って斬れば仕舞いにできるのが人斬りだが、そもそもあの砲弾のように武器を無駄撃ちする宝具のせいで、懐に飛び込めない。

 

「そう言えば、ランサーはともかくライダーやセイバーの宝具って、何なんだろう?」

「騎士王は、あん……なんたらいう名前の、きらきらしい剣がどうにかなるんやろ」

「おい君、名前覚えるつもりがまったくないだろ。エクスカリバーだよ、エクスカリバー。……でも、アーサー王なのに、それだけなのかな?失われた鞘とか、槍のロンゴミニアドとか、盾のプリドゥエンとか。彼……じゃなくて彼女は、大層物持ちの良い王様だったと思うんだが」

「宝具が剣以外にあったとして、わしらに教えるか?ちぃと前まで敵やぞ」

「言われてみれば、こっちも岡田さんの宝具が何かなんて言ってな……」

 

 言葉は途中で切れた。

 耳に、あのガラガラと喧しい戦車の音が届いたからだ。

 繍も空を仰いでいる。こちらも、聞き取れたらしい。

 

「ありゃ、ライダーたち、帰ってきたみたいだね。桜を起こしてくるよ」

 

 壁を乗り越えた繍は、すぐに桜の手を引いて戻って来た。眠気がまだ残っているのか、小さくなった黒犬を抱いた桜の目は、とろんとしている。

 黒犬を抱き取ろうとした繍は、思い出したように懐に手を入れた。取り出したのは、三角の握り飯だった。

 

「握り飯、食べる?」

「……貰う」

 

 受け取ったはいいが、三角の握り飯は透明な袋に包まれていて、そのままでは到底食べられないことは明らかだった。

 こねくり回していると、くすりと繍の笑う声がした。

 

「セロファン、取ろうか?」

 

 鼻を鳴らしながらぐいと握り飯を突き出すと、繍はくすくすと笑いながら片手を差し出してきたのだった。

 

 

 

 

 

 




英雄王の意図は違っていたかもしれないが、ロリ姫神様もう怒ってるから結局意味ない話。

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