では。
ブリテン王アーサーは、赤き竜の化身ともされている。
昔々、彼、或いは彼女が現れる直前に、赤い竜と白い竜が争い、赤い竜が白い竜を倒した。
当時、まだ少年だった後の大魔術師マーリンは、その光景を見、赤い竜の登場、つまりアーサー王の到来を予言したという。
英国に行って初めて聞いたその伝説を、今更ながらに思い出した。
竜さながらの、王者そのもののオーラを発する、剣の英霊を見て。
「感謝します、ランサー。あなたとその主の矜持、感服しました」
「何、我が主は個人の勝利でなく、魔術師としての誇りある勝利を選ばれた。ならば、俺の武具の一つなど、捨てることに何の躊躇いがあろうか」
ディルムッド・オディナは、自らの宝具を捨てた。
主と彼の間に、どういう話し合いがあったかは定かではない。ただ、彼は『
不治の傷を負っていたセイバーの左腕は元に戻り、騎士王は両腕と自身の最強宝具を取り戻した。
街の郊外、人気のない木立の中、セイバーは、『
刀身が見えないと思っていたのは、宝具で風を束ねて光を屈折させ、隠していたかららしい。
風でそんなことができるとは、知らなかった。
剣を不可視にしていた鞘を打ち払い、本来の姿を取り戻した聖剣の切っ先を、セイバーは以蔵に向けた。
「では、アサシン。短い時間ですが、貴殿に私の剣技すべてを叩き込みましょう。ランスロット卿の剣技を、正面から打ち破れるように」
「お、おん」
多分、生前からも見たことも感じたこともないような王と剣の魔力に当てられでもしたか、以蔵は若干引いていた。
その背中を、無言で繍はばしん、と引っ叩いた。
じとりとした目で見おろされたが、繍はとても良い笑顔で、ぐい、と立てた親指を横に倒した。
元はと言えば自分で喧嘩売ったんだから、自分で何とかしろ、である。
大体、本気で以蔵の剣技に、命がかかっているのである。『始末剣』でもなんでも使っていいから超強化してこい、という話であった。
「ではアサシン、ついて来なさい」
剣を一度消したセイバーは、以蔵を手招きする。
夕焼け色の瞳と視線が合ったので、繍はうん、と大きく頷いた。
「いってらっしゃい。……セイバー、ブリテンの剣技、彼に遠慮なく叩き込んでくれて構いませんから。手足や肋骨の一本二本駄目になっても、ボクがすべて必ず治しますから」
「い゛!?」
「それは心強い」
目が笑っていない笑顔で、セイバーは以蔵を引きずっていった。
お達者で、と繍は手を振る。
セイバーの筋力は、なんと以蔵より高いBランクらしい。
そこにAランクの魔力による『魔力放出』スキルのブーストが重なるというので、筋力では完全に以蔵の負けである。
流石に、引きずるためだけに、スキルは使っていないだろうが。
「セイバー、凄く良い笑顔でしたね」
「ええ。あの子、すごく負けず嫌いなの」
「負けず嫌いなのは、うちのアサシンも変わらないので、相性は良いかもしれませんね」
残されたセイバーの仮マスター、アイリスフィールと繍は頷き合った。
「サオ・シュウ、アインツベルンの名代殿、それでは我々はこれで。こちらには、まだやることがある。行くぞ、ランサー」
「はっ」
ランサーと共に、ケイネスは去って行った。後には、アイリスフィールに繍、それにその手を掴んでいる桜が残される。
アイリスフィールが繍の顔を覗き込んだ。
「ねぇ、佐保さんって言うのよね、あなた」
「はい」
「それに、その子は桜ちゃん。そうでしょう?」
「……は、い」
きゅ、と繍のコートの中に半ば隠れながら、桜が答えた。
「ごめんなさい、怖がらせてしまったかしら」
「そう……ですね」
桜は繍か以蔵か、それとも黒の温もりが側にないと、落ち着かない。
これでは本当の親に会わせるべきなのか、わからない。それにその親も、英雄王に攫われたようなものである。
どうしたものかと思う間に、アイリスフィールは一歩繍に近づいて来ていた。
「ねぇ、佐保さん。私、あなたと一度話したかったの」
「ボクと?」
「ええ。座らないかしら」
「構いませんが……」
鞄から布を取り出して地面に敷くと、アイリスフィールは躊躇いなく座った。
世間知らずの、アインツベルン深窓の令嬢かと思っていたが、案外逞しいのかもしれない。
尤も、魔術師殺しの身代わりとなって、剣の英霊と共に戦場に赴く女性に、胆力が無いわけないのだが。
「話とは?」
「ええ。あなたちは、もう聖杯の器については知っているのよね?」
間桐の翁からケイネスが引き出し、資料からウェイバーが導き出した情報である。
「アインツベルンが守り手、という話でしたが」
今のところ、そんなものを持っている様子を見たことがないが、それでも何処かに隠しているのだろう。
繍の鞄も、見た目より遥かに物が入る魔術礼装であるから。
「ええ、そうよ。願いを叶える小聖杯。それが私自身なの」
「は?」
アイリスフィールがにこやかに口にしたことに、繍は思わずひっくり返った間抜けな声で返した。
「せ、聖杯をあなたが持っているのではなく……?
「そう。アイリスフィールという私は、小聖杯を核にして造られた、器を守るための人格なの。小聖杯はね、私のナカにあるの」
たおやかに微笑む、人間離れした美貌の女性の言に、繍は言葉を失った。
「でも……でも、聖杯戦争が進めば、小聖杯には英霊の魂が溜まりますよね。己の肉体の、魂魄の側近くに、英霊たちの魂など抱え込んだら……」
良くても自我が破綻。悪ければ消滅である。
千年転生し続けた佐保家の魂ならともかく、彼女のように
「驚いた。ホムンクルスという造られた人形の私にも、あなたは魂があると思うのね」
「え、無いのですか?だって、口を利けない物にだって、魂は宿りますよ」
日の本には、古くから付喪神がいる。
物を言えない道具にすら、人に使われ続ければ魂が宿るようになるのだ。
確かに、多くのホムンクルスは命じたことしかやらない機械のような存在だが、衛宮切嗣に寄り添い、偽物にはとても見えない微笑を浮かべるこの女性に、魂がない、とは思えなかった。
ここは、想いを注がれた物が、妖混じりとはいえ、カミにすら転じる国なのだから。
不思議そうに首を傾げる繍を見たアイリスフィールは、いきなりころころと鈴を鳴らすような笑いをこぼした。
「え、えぇえ……」
どうしてこの人、こんなに幸せそうに笑うのだろう。
繍はうーん、と首をさらに大きく横に倒す。こつん、と桜の頭と繍の肩とがぶつかった。
甘えるつもりなのか、桜はぐりぐりと頭を押し付けて来た。嬉しいので、そのままにさせておく。
笑いの波が引いたのか、アイリスフィールは目尻を拭って繍を見た。
「ごめんなさい。あなた、そういう顔をするとかわいくって」
「はぁ……。あの、それであなたは、どうしてボクにこの話を?」
小聖杯の在り処など、内密にすべきことではないのか。
そう聞けば、アイリスフィールは真面目な顔になった。
「あなたの言う通り、私は聖杯戦争が進めば進むほど、元の、物に還って行くの。英霊たちの魂の負荷に、アイリスフィールという九年ぽっちの人格は、耐えられない。元々、私は聖杯にしてみれば不要な外装だから」
「……」
「間違いなく、本来の聖杯戦争ならば、そうなっていた。だけれど今はね、聖杯戦争自体は佳境でも、まだ誰も脱落していない。だから私も、こうやってあなたたちとお話ができるというわけ」
繍は白髪をくしゃりと掴んで、顔を伏せた。
慈愛と呼べる微笑みを浮かべるアイリスフィール、彼女には最初から、聖杯戦争で生き残る道などなかったのだ。
「あなたが死ぬことを、知っているのですか?セイバーも衛宮切嗣も、それに彼の部下も」
「舞弥さんのことね。セイバー以外は、皆知っているわ。誤解しないで。私たち……私と切嗣はね、何年も話し合って、それでもこうしようって決めたの」
「聖杯を得て……世界の平和を、得るために?」
繍は、喉が干上がるのを感じた。
どれだけの覚悟で、彼らはここに来ていたのだろう。そして、それが潰えてしまったと知って、何を思ったのだろう。
「ええ。ありとあらゆる争いを、この世すべての悪を根絶するため。そうしたらね、私のかわいいあの子が、もう聖杯戦争で戦わなくて済むから」
「あの子?」
「娘よ。イリヤスフィールという名の、たった一人の、切嗣と私の子」
イリヤスフィールという名前を口にしたとき、アイリスフィールは愛に輝く蕩けるような目をした。
繍の記憶にはもう無い、ずっと昔に失った、優しい母の瞳だった。
「やはり、御夫婦だったんですね。あなたと、切嗣氏は」
「ええ、そうよ。いつから気づいていたの?」
「城で会ったとき、あなた、ボクを凄く警戒して見ていたし、ちょっと……憎んでたでしょう?」
「あら、そうなの」
「そこまでの情を彼に向けるなら、何か、特別な絆くらいはあるんだろうな、とは思っていました」
まさか、子どもまで儲けていたとは予想外であるが。
でもこの話は、彼女がアインツベルンの秘密を繍に話した理由にはならない。
「私があなたにこの話をしたのはね、あなたに私たちを助けてほしいからよ」
「助け、る?ボクが、あなたたちを?」
「ええ。私の中の聖杯の器を、取り出してほしいの」
ぽかん、と繍の口が開いた。
「最終的には、私の肉体を魔力の余波で焼き尽くし、小聖杯は顕現するの。それまでは、私の中にある。でも、私に取り出すための術は教えられていないし、切嗣は戦いには長けていても、こういうことは、ね」
「に、肉体を焼き尽くすって……」
笑顔でとんでもないことを述べるアイリスフィールである。強い、と繍は思った。
「聖杯を間違いなく完成させるためには、器を取り出すわけにはいかなかった。私も、逃げるわけにはいかなかった」
「でも、今は事情が変わった」
「そう。聖杯は、私たちの願いを叶えてはくれない。決して、完成させてはいけない呪いとなった」
そんな器のために、私は死んでなんてやれないの、とアイリスフィールは、銀の髪を手で払って言いのけた。
「生き延びるため、縋れるものになら何にでも縋るわ。私はね、もう一度、城に残してしまったあの子を腕に抱くと決めた」
家の悲願ではなく、彼女は我が子を選んだのだ。
「それを、そんな大事なことを、どうしてボクに?」
「一つは、あなたがこの街に集った魔術師たちの中で、私たちに一番友好的で、豊富な知識を持っているから。……あなたのことは、名前を聞いた日に切嗣が手配して調べたの。この国で、千年もの間続いた古き家の、現当主。人を救済するためにと伝えられて来た、秘術のすべてを継ぐ、たった一人の後継者。そして時計塔降霊科の元優等生。それがあなたでしょう?」
流石に手抜かりないアインツベルン陣営だと、思った。
アイリスフィールは、二本目の指を立てた。
「二つめは、その子よ」
「……桜が、ですか?」
アイリスフィールの紅い瞳は、桜に向けられていた。
「あなたは桜ちゃんを助けた。教会で遠坂の主とその子を見比べて、とても悲しそうな、寂しそうな顔をした。それにあのとき自分の護りを捨てても、その子を庇っていたでしょう?」
「あ……」
全部が全部、気づかれていたのである。
母になったホムンクルスは、こんなに強いのかと、繍は呆然となった。
「あなたは、魔術師にあるまじき人としての慈しみも、親子の情も持っている。だから、あなたに賭けるの。それにほら、お胎を触られるのは、やっぱり女の子のほうが、ね」
「それだけ、で?」
「ええ、それだけ。じゃあ、そういうあなたにもう一つ教えるわ。……あの子、イリヤスフィールはね、ちょうど桜ちゃんと同じほどの歳の子よ」
傍らの桜を、思わず見た。
虚ろな瞳で自分に縋る、小さな子。この子と同じような歳ごろの、顔も知らない異国の少女の父と母は、今ここにいるのだ。
もしも両親が帰らなかったら、その子は一人ぽっちになってしまう。
聖杯を取り出さなければ、目の前のこの母親は、確実に死んでしまうのだ。
顔も忘れてしまった遠く愛しい面影が、あたたかい風になって胸の奥のやわいところをくすぐり、去った気がした。
深く、本当に深く、繍は肺の中のものを吐きつくすほどの息を吐いた。
この人になら利用されてやるのもいいか、と思ったのだ。
「わかりました。やれるだけ、やってみます。ボクの体も器みたいなものですし、英霊の魂を受けるという器の造り、それを体内に持つあなたの身体感覚は、わからないでもありません」
「それは、どういうことかしら?」
「こちらの話です」
カミ降ろしに使われる体も、言ってみれば魂を受ける器である。
聖杯という器を組み込まれた体と、似ていなくもない。
魂と体そのものが器として形を整えられた前者に対し、後者は恐らく、サーヴァントの魂が集うに従い、体内で器が形成されていくのだろう。
仮に前者から、カミの器としての機能を削ぐならば、身体と魂両方に手を加えねばならないが、後者ならば恐らく、禊祓の要領で胎内にある『異物』を穢れとみなして洗い流せばどうにかなる。否、どうにかする。
この国で穢れを払うは、祓戸四神。
彼らのための祝詞は、さてなんだったろうと繍は記憶をさらった。
「時間がありませんね。数時間でやらなければ。うちのアサシンが扱かれている間に、やりましょう。多少反動がきついかもしれませんが、耐えてください」
「……本当に、あるの?そんな方法が?」
自分で話を持ちかけてきたというのに、アイリスフィールの手は、微かに震えていた。いきなり降って湧いた希望に、怯えるかのように。
繍は淡々と返す。
「要するに、あなたという外装を一切壊さずに、器だけをナカから取り去ればいいんでしょう?」
「え、ええ」
「それなら、どうにかします。厄落としはボクらの本分ですよ。それに、あなたたちの子どものためにやるんです。……桜、陣をつくるのを手伝って」
「はい」
鞄から、清めの酒や塩を取り出す。
底に、ほんの数センチ残った酒瓶を取り出すとき、以蔵の顔が過った。
彼に二杯酒を奢る、という約束があった。
これに使ったら、酒は残るまい。
「繍さん?」
「ん、何でもないよ。桜、この糸を持ってボクとアイリスフィールさんを中心に円を作ってほしい」
「わかり、ました」
以蔵にはあとで謝って新しいの買おう、と決めた。
それで許されるだろう、多分。
かなり近くで、剣と刀がぶつかり合う音やら、なんじゃあぁぁあ、という大声と念話がどっちも響いていたりするのだが、繍はその音を一時頭から追い出すことにした。
そっちはそっちで死にものぐるいでやれ、ボクはボクでどうにかしなきゃならないことができたから、と繍はばっさり念話回路を切った。
「今からやりますよ。アイリスフィールさん。まずはこの酒を飲んで下さい」
朱塗りの器に酒を注いでアイリスフィールに渡し、榊の木枝に五色の糸で結ばれた金色の鈴、という道具を取り出した。
「それがあなたの、魔術礼装?」
「そのようなものです。こっちが本職なんですよ、本当はね」
日暮れ時の木立の縁にすっくと立った巫女は、祭具の金色の鈴を、母たるホムンクルスに向けて振った。
しゃらんという澄んだ音が、夕闇がひたひたと迫る空気を震わせたのだった。
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ちゃんと全部治すから、という言葉がなければ、多分嫌になっていた。
「これで終わりにしましょう、アサシン」
「……おん」
以蔵に肩を貸すのは、肋骨やら右脚やらを散々にへし折ってくれた騎士王である。
両手を取り戻した騎士王は、なるほど凄まじく強く、以蔵は嫌になるほどの回数吹き飛ばされた。
城で拮抗できたのは、やはり腕を失っていたところにつけ込めたのも大きかったのである。
基礎能力で、アサシンはセイバーに遥かに劣る。なのに、並みのセイバー以上の剣技を振るうバーサーカーを倒そうというのだから、言ってみれば狂気沙汰である。
ランサーもいるが、以蔵はあれを仲間とか相棒とは見なせなかった。
それでも、数をこなせばその剣技は奪えた。
剣を合わせれば、わかるのである。
どこにどう剣を振るって来るか、何を狙っているのか、その剣技が、読み取れる。
最初は跳ね飛ばされていた剣に、以蔵が食らいついていけば、セイバーの顔は、驚愕を見せた。
「驚きましたね、アサシン。まったく異なる武器で、しかも魔力を扱わないあなただというのに、こうも対応されるとは」
「……ふん」
魔力放出とやらで、開幕直後にいきなり以蔵の肋骨一本持って行ったセイバーの言葉である。素直に聞けなかった。
ともかくもこれで、剣を交えての話は終わりである。
「戻りましょう、アサシン」
何やら、あのセイバーの偽マスターと繍、桜は話し合っているらしい。
彼女らだけ残してきたわけだが、歩き方からして、あの銀髪の女に武術の心得はない。それなら、繍のほうが強いだろう。
だが、斬り合っていた木立を抜けて戻り、以蔵は目の前の光景に足を止めた。
否、止めざるを得なかった。
「あ、おかえり、岡田さん。どうだった?」
片手に木の棒と金の鈴を持ち、地面に正座する繍の膝には、何やら華美な黄金の盃が鎮座していた。桜はその肩口からこわごわ頭を出して、盃と繍を見比べている。
その前にはくすんだ顔色をしたアイリスフィールが敷布の上に仰向けに横たわり、それでもセイバーに笑顔で手を振っていた。
どう見ても、ここで何かがあって、そして、以蔵のまったく預かり知らぬところで終わったとしか思えない。
セイバーが踏み出すより先、以蔵は腹に力を込めて叫んだ。
「おまん……今度は何をやりよったがかぁっ!」
「うわぁ怒った!?待って待った!今から説明する!するからごめんなさいぃ!」
以蔵の大声に驚いて、兎のように飛び上がった繍の膝上から、ころりとあっけなく盃が転がって、草地の上に落ちる。
沈む夕日の最後の一欠片が、黄金にぶつかって弾け、きらりときらめいたのだった。
何をやらかしたか、詳しいことは次話で。
その次話は、少し遅れます。
作者が、lightショックでメンタルを損傷したからです。申し訳ありません。
恐らくこの話は、四十話以上五十話以下で終わりそうですので、今しばらくお付き合いいただければ幸いです。