冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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では。


巻の三十八

 

 

 

 

 

「で、おまんはそん頼みを聞いて、聖杯を取り出した、ちゅうことか」

「そうだよ。瀬織津姫と速秋津姫の祝詞と……」

「方法なんぞ聞いちょらん。わしにわかるわけないろう」

 

 途中で言葉をばっさり切ってやると、繍は赤い舌の先をちろりと出して首を縮めた。

 

「でかい声で怒らないでよぅ。非常時だったんだって。時間が惜しかったし、もうすぐ聖杯戦争が始まる夜じゃないか」

 

 とりあえずきみの傷は治すよ、と繍は、両の(たなごころ)を以蔵に向けた。

 繍が聞き取りづらい小声で何かを唱えれば、息をするたび痛かった骨の折れている脇腹も、完全に骨が砕かれていた肩も、元に戻る。

 

「調子は?」

「いつも通りじゃ。ちゅうか、おまんこそあれ取って平気なんか」

「ああ。あれ、ね」

 

 繍がぞんざいに顎で示したのは、草地の上にぽんと置かれた盃だった。

 この黄金色の西洋の器が聖杯、らしい。

 アインツベルンの女の腹の中に収まっていたのを、繍がまたぞろ奇妙な術で取り出したそうだ。

 

「腹ぁ掻っ捌いて、出したわけやないんやのう」

「そんな切腹まがいを誰がやるか。アイリスフィールさんの体に溶けていたのを、一度洗い流して一塊にして固めたんだよ」

「ほにほに……わしにわかるか!」

「わかんないのかよ!」

 

 返す手刀で繍の突っ込みが入った。

 ともかくも、アイリスフィールの体を傷つけるわけにはいかなかったおかげで、肩が凝ったという。

 五臓六腑を浚い、聖杯をアイリスフィールの体に巣食うある種の穢れと見なすことで、人の罪を川に流し、濯ぎ清める祓戸大神(はらえどのおおかみ)の力を術に組み込んでやったそうだ。

 毎度のことながら以蔵にはさっぱりわからないが、要は南蛮渡来の魔術とやらでなく、この国の神々に由来する術を使ったらしい。

 

「ありがとう、佐保さん。……本当に、本当に、ありがとう。いくら感謝しても、しきれないわ」

「別に、いいです。あなたに言われてやったことですし」

 

 紅玉のような美しい目を潤ませ、繍の手を取って感謝の言葉を述べているアイリスフィールから、繍はぷいと目を逸らした。

 良いように使われて怒っているのかと思いきや、耳の端がほんのり赤かった。単に照れているらしい。

 つい先程まで、遠慮なく以蔵を叩きのめしてくれたセイバーは、草地に転がる聖杯に曰く言い難い表情を向けていた。

 確か、あの王様は自分の国を救いたい、と言っていたはずだ。

 そのために使うはずだった器が、未完成とは言え、空の酒徳利よろしく草地にうっちゃられている。複雑にもなろう。

 それにしても、願いを叶えると言うはずのものなのに、ああして置かれている様を見ると本当なのかわからなくなる。

 何より、繍の取り扱いが雑極まりないのだ。壊れても壊れなくとも構わないという想いが、ありありと伝わって来る。

 

「それでアイリスフィールさん、あれ、どうするんですか?」

「そうね……。とりあえず、壊したいわね」

「アイリスフィール!?」

 

 余りの即決だった。

 やっぱりそうなるかぁ、と呑気に呟きながら、繍は器を榊の木の枝の先っぽで、つんつん突いていた。

 

「おい、おい、マスター。えいんか、壊して?」

「良いんじゃない?ボクがいるから、別に今更きみの召喚は揺らがないし。造ったアインツベルンがそう言うんなら。ねぇ、桜」

「……はい」

 

 聖杯を取り出した術がよほど億劫だったのか、繍の瞳の奥は、心なしとろんとしていた。

 くぁ、と欠伸をしながら、繍は以蔵に顔を向けた。

 

「別にどうもないさ。なんというかこれ……()()()酔ってるだけだから。どうもね、髪がこうなってから、外から取り込める魔力量と、内でつくる魔力量が増えたんだよね」

 

 さっきの術には、それ相応の魔力を消費したのだが、ほとんど消耗していない。要するに、体の機能が作り替わった反動が来ているそうだ。

 眠りたいだのどうのこうのと、宿屋で言っていたが、さもありなんである。

 

「別に病気じゃないよ。魔力量は増えたんだから、結果だけ見たらいいことだ。……普通なら、無いことだけどね」

「普通、普通て、おまんのいう普通は、わしにゃあわからん」

 

 こつん、と額を裏拳で軽く突いてやると、えぇ、と不満そうに眉を下げられた。

 セイバーが、耐えかねたように口を挟んだのはそのときだ。

 

「アイリスフィール、しかし、小聖杯を破壊しても良いのですか?これは、大聖杯を顕現させるための鍵にも等しいでしょう」

「そこなのよ。これを壊したら、大聖杯への影響が未知数なの。ある意味での制御装置ですもの」

「如何に大聖杯を穏便に壊すか、なんて誰も考えて来なかった方法ですからね。仕方ないといえば、それまでですけど」

 

 セイバー、アインツベルンの女、それに繍は、額を突き合わせて思案する。

 話について行けない以蔵の気配を察知したのか、桜が寄って来て、近くに膝を抱えて座った。よく見れば、彼女は朝に持っていなかったはずの、澄んだ光沢を放つ桜色の石を繋ぎ合わせてつくった腕輪を、か細い手首に巻いていた。

 以蔵の視線に気づいたのか、桜は自分の膝小僧を見つめたまま、口を開く。

 

「これは繍さんが、くれたんです。……紅水晶だ、といってました。お守りだって」

「わしも似たようなもんもろうたき」

 

 ほれ、と赤瑪瑙の飾りを取り出して見せてやれば、桜は目をやや大きく見開いた。

 

「……繍さんからは、もらってばっかり、です」

「おまんはそれでえいき。とっとと元気にならんか」

 

 喋るのも、歩くのも、ひょっとしたら生きるのすら、この小さい子どもは己からやろうとしない。

 こっちだよ、と繍が手を叩いた方向へ言われるがまま進み、ここで待っていてね、と繍が繋いでいた手を離せば、そこでいつまでだって止まっている。それではまるで、よく躾けられた犬か、からくり人形である。

 繍は、桜があの辛気臭そうな家で何をされたかを薄々察しているようではある。だが、以蔵に話すつもりはなさそうだった。

 以蔵も、敢えて聞かない。

 神秘とやらが絡む種々は、所詮人斬りにはどうにも手の出しようがないことだろう。繍が話さないならば聞くまでもない。

 

 本気で、この子どもを繍はどうする気なのだろう。

 もしや、あのいけ好かない髭面と、陰気な保護者面の男が二人ともあの金ぴかに攫われたから、一層むきになっている、ということはないだろうが。

 

 こいつもあいつも、誰も彼もままならないやつらだ、と頭をかいたそのときである。

 空気に、何かの気配が走った。

 

「アサシン!」

「わかっちょる!」

 

 反応できたのは、セイバーも以蔵も同じである。

 セイバーの剣が闇夜に光り、以蔵も刀の柄に手をかけた。そこでようやく、マスターたちが異変に気がつき、身構える。

 木立の中、夜闇に浮かびこちらを注視する髑髏面があったのだ。

 アイリスフィールが、その者の名を呟く。

 

「髑髏のアサシン……!」

 

 死んでいなかったのか、と少し意外に思った。全滅したと見せかけ、一人二人は残しているかもしれないと繍は警戒していたが、その心配はあたっていたのだ。

 髑髏面は平坦な声を出した。

 

「我が主より、貴様たちに告げる。聖杯の器を引き換えに、望む者の命を助けよう、とのことだ」

「それは、間桐雁夜のことを言っているのか?」

「さてな。それを持ち、柳洞寺まで来られたし、と我が主は言っていた」

 

 伝言を告げたアサシンが闇に溶けようとする刹那、その仮面の真中に白刃が突き立った。

 物も言わずに、髑髏の暗殺者はその場に崩れ落ちた。

 セイバーが、刀を投げた以蔵を振り返る。

 

「おーい、岡田さん?」

 

 以蔵の手が動いた刹那、桜をコートの裾で包むようにし、覆い隠して耳をふさいだ繍が、やや呆れた顔で以蔵を見上げた。

 

「斬ってもえいろう。こやつらは分身体じゃ。斬れば斬るだけ、減るきのう」

「そりゃそうなんだけど。見てから殺すのが速いよ」

「時はつくったぜよ」

 

 ちゃんと、繍が桜の視界を覆う時間くらいは儲けたはずだ。

 体の端から霞となって消える髑髏のアサシンの額から、以蔵は刀を引き抜いた。切っ先にこびり付いた血を払い、鞘に戻す。

 本物の血脂ならば拭わねば刀身を腐らせてしまうが、サーヴァントの仮初めの肉体はどうせ魔力となって溶けるだけである。

 桜の目の覆いを退かした繍は、アイリスフィールたちに向き直った。

 

「釘を刺されてしまったようですね、アイリスフィール」

「そのようね。バーサーカーのマスターを殺されたくなかったら、聖杯を壊さず隠さず持って来い、と言うわけ」

 

 聖剣を消したセイバーと、まだ顔色の良くないアインツベルンの女は言う。

 

「どうする気ぃや、これ」

「こうなっちゃったら、もう、持って行くしかないよ。あの神父の言うこと聞かなきゃならないのは物凄い癪だけど。というかアイリスフィールさん、大聖杯は、これがあるところに降臨するんですよね?」

「そうよ。だから彼らは、柳洞寺で儀式をするつもりなのね」

「ですがアイリスフィール、私に征服王、アーチャーが共に戦えば、あの山ひとつ、下手をすれば吹き飛びます」

 

 空恐ろしいことを、真顔で騎士王は言い放った。繍は、あー、と呻くような声で額を押さえた。

 その瞬間である。

 夜空に、光の玉が一つ二つと次々上がり、火花のように光って落ちて行く。だが、魔力の類は感じられない。

 更に続けて上がる光を、繍は数えていた。

 

「あれは信号弾だよ、岡田さん。数とか光の色とか組み合わせて、色々手紙みたいにして使うんだ」

「ほいたら、あん花火にも意味はあるちゅうことか?」

「ある……と思うけど、ごめん。ボクにはわからないや。でも多分、あの光の下に来いってことだと思う。……アイリスフィールさん、あの方角は、あなたたちの城がある森では?」

 

 光の消えた方向を、繍は指さす。

 

「ええ。一応、場所を選んだつもりかしら」

「だと言うならば好都合です。あそこならば民草の家を薙ぎ払う、憂いもない。柳洞寺にて待ち受けるのが、バーサーカーと言峰神父だと言うならば、あの光で我々を呼んでいるのは、アーチャーでしょう」

 

 頼もしいのだか空恐ろしいのだか、判断のつかぬ騎士王は、凛と宣言する。

 

「では、アイリスフィールさん。ボクたちは柳洞寺に向かいますが、これ、持って行って構いませんか?」

 

 これ、と榊の枝で小聖杯を引っ叩きながら尋ねる繍である。どんどんと、扱いが雑になって行っている。枝についた鈴が、そのたびしゃんしゃんと鳴っていた。

 

「構わない……と言うよりも、私たちが頼むべきね。私と切嗣、セイバーはあの光の下に向かうから」

「ご武運を、と言うまでもないですが言っておきますね。あなたたちには大聖杯を壊してもらわないと、こちらがお終いになるので」

 

 軽い言い方だが、それだけに言葉の重みが伝わって来た。

 以蔵とランサーがバーサーカーと神父の両方を倒し、セイバーとライダーがアーチャーを倒さなければならない。

 そしてセイバーが落とされれば、大聖杯を壊す術は失われてしまう。

 いや、恐らく大聖杯を『壊す』だけならば、セイバーがいなくともできるのかもしれない。

 五色の糸で飾られた、榊の枝を手に持つ繍の横顔を、以蔵はそっと盗み見た。

 あの教会で、こいつの身に宿ったモノの力ならば、聖杯も壊せよう。

 何せ手を振るうだけで、頑丈な建物一つをまるで紙細工の城のように引き裂き、砕き、廃墟に変えたのだから。

 あの暴風ですら、まだあのモノの力のほんの一欠片に過ぎないのだと繍は言っていた。

 あれがいれば、確かにセイバーに頼らずとも済む。

 ただし、引き換えに依代になった人間の体は壊れるだろう。

 

「岡田さん、桜。それじゃ、ボクたちも行こうか」

 

 足早に立ち去っていくセイバーとその主を、榊の枝を振って見送った繍は、以蔵を振り返った。

 紛れもなく死地に行くというのに、五色の糸を指に絡ませ、小首を傾げている様はまったく気負ったふうがない。とはいえそれで、以蔵もまだ落ち着いていられるのだが。

 犬と罵られ、ついには惨めったらしく首を斬られた人斬り風情が、随分とまあ、遠いところに来てしまった気になった。

 

「岡田さーん?」

「何でもないちゃ。おい、おまん、繍」

 

 名前を呼んでやれば、榊の枝をしまった繍は、不思議そうに顔を上げた。

 

「わしに嘘をつくなよ。ついたら承知せんからな」

「つかないよ。ボク、きみを召喚してから一度も嘘ついてないだろ。つく意味、ないじゃないか」

 

 そうなのである。

 いっそ嫌みなほどに、この主は嘘をつかない。裏表がない。それでどうやって今まで生きてこれたのかと思うほど、突き抜けて澄み切ったところがある。

 無垢なるもの、美しいものを好むというカミに、好かれるのも頷ける。

 そして、嘘をつかないままに、あっさりと生死の境目に足を踏み出すのだ。

 死ぬ前も、そして死んだ後である今も、岡田以蔵は己が死ぬことが怖い。怖くて堪らない。

 こいつは、怖くないのだろうか。

 確かに口では、死ぬのは嫌だと言っている。誰かが死ぬのも殺すのも、殺されるのも皆嫌い。痛いのだって、怪我をするのだって嫌だと言うのだ。

 

 だがそれは、己のことを後回しにしないということではないのだ。

 

 しかしそれを尋ねようと思って、やめた。

 

 本当に、己が死ぬより他人が死ぬのが嫌だと言われたら、簡単に己の命に見切りをつけられたら、どうすればいい。

 以蔵は、己が死ぬのはやはり、御免被る。だが、こいつが惨たらしく死ぬのを、今更見たくないと思うのだ。

 そんな死に方は、相応しくない。こいつはそんな死に方をせねばならない悪事なぞとは、無縁なのだから。

 だのにもし、自分や桜のために命を捨てられたら、それこそ本当にどうしようもなく惨めったらしい気分になるだろう。

 その気分を、想像することさえ厭わしい。

 これが、このときが尋ねられる最後かもしれないという想いが胸を掠めたが、以蔵はそれから目を背けた。

 ()()()()()()。繍の答えが。

 

「なんで今更そんなこと聞くんだよ」

「ほたえなや。わしに嘘をつかんちゅうなら、おい、おまん、勝手に死ぬるなや」

 

 刹那の間だけ繍が息を止めたのを、以蔵は見逃さなかった。

 やはりこいつは、阿呆だ。

 嘘を嘘と隠すことも、ろくにできやしない。

 繍はそれでも、いつも通りに平坦に言った。

 

「何言ってるんだか。言われなくともきみと一蓮托生状態の今、勝手にボクだけ死ねるわけないだろ」

 

 確かに、以蔵の今の命は、繍と連動している。

 マスターの魔力に結ばれて、そこから注がれる力に寄って生きているのがサーヴァントなのだ。だから、こいつが死ねば漏れなく以蔵も御陀仏である。

 すぐにでも、主を失ったサーヴァントは消えてしまうだろう。元々、アサシンにマスターなしでの行動を可能にする『単独行動』のスキルはなく、以蔵自身にもそんなものは備わっていない。

 尤もそれは、あの腕輪がなければ、の話である。

 繍は、何かを透かし見るように暗い空を見上げた。

 

「しまった、やばいなぁ。ここから柳洞寺まで地味に遠い。遅れましたじゃ済まないし。……お金かかるけど、タクシー使うか」

「懐具合気にしちゅう場合か」

「はいはい。言われなくても、とっとと市街地に戻って柳洞寺に向かいますよ。……って、もしかしなくてもセイバーたちの車に、乗せてもらえば良かった!?」

「そう、ですね。わすれてました」

 

 失敗したね、と頬をかいて、繍は桜のやわらかそうな髪を撫でたのだった。

 

 

 

 





あとは簡単、戦って、殺して、勝って、生きろ、という話。

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