では。
「おい坊主、貴様、結局あの小娘のことはいいのか?」
「いい、って何がだよ」
閃光弾が打ち上げられた下へと、戦車で空を駆けながらライダーは不意にウェイバーに尋ねて来た。
「なんだほれ、貴様ら仲たがいしておったのだろう。余が見るに、坊主が意地を張ったせいと見ているが」
「う、うるさいなぁ!」
その通りだと、内心認めていることでも、他人に指摘されれば素直に認められないものである。
特にこの、ウェイバーの言うことなどまったく聞かない巨漢のサーヴァント相手では。
「で、どうなのだ?」
「どうでもいいだろ。オマエ、何だってそんなに拘るんだよ」
「いやぁ、貴様は己の才を認めぬ者に己を認めさせたいと言っていたと思ってな。特にあの、眉間に皺の寄った魔術師にな」
確かにいの一番にウェイバーが苛立つのは、ケイネス相手だ。
何せ、ウェイバーの論文を衆目の眼前で馬鹿にしたのだから。
だが、ウェイバーは鼻を鳴らした。
「いいんだよ、そっちは。腹立つけど、確かにあの人は一流だ」
「ほう?」
「魔術師の責務、神秘の秘匿のためなら自分の武功の機会だって放り投げてる。盗人のボクとだって、魔術師としての義務のためなら手を組むって言ったんだから」
単に、ウェイバーが思っていたよりもケイネスの度量は広かった。それだけのことである。
認めたくないが、本当に癪だが、彼はウェイバーの先生なのだ。
「今は、殺し合いにならなくて済んで、良かったとは思ってるさ。ただし、サオのことはそれとは別だ」
「ふむ」
「アイツは友人……少なくとも、ボクの友人だったんだ。アイツには負けたくない」
確かにウェイバーも、名門の重みを軽視していた。それは認める。
名門の裔を継ぐ者として生きる繍の、その血筋に縁づいているあの規格外の神霊擬き。
あれを背負って生きてきた彼女にしてみれば、名門など血統に拘るだけ、と言うウェイバーは、確かに鼻持ちならなかっただろう。
あれの気配は、ウェイバーならば撫でられただけで死んでいるような猛毒だった。
それを、誰にも悟られず飼い続けていた繍のことをまったく知りもせず、知ろうともせず、ウェイバーは確かに無神経なことを言った。
あれだけのモノを宿す血を持つ繍の前で、魔術師は血統に拘るなど愚かだ、などと言ったのだ。
繍があの通り、争いごとを嫌う甘い性格でなかったら、殺されていても文句は言えなかった。
だけど、それでもだ。
先に手を出してウェイバーをぶん投げたことだけは、繍が悪いと思うのだ。
そこは譲らない。純粋に議論を戦わせていたのに、いきなり拳を持ち出したのはアイツが悪い。
「余程腕力で負けたのが堪えたのだなぁ。だが確かに、あんな細こい小娘にすら腕っぷしで負けるのは、ちいと情けないのう」
「う、うるさいなっ!いいんだよ、ボクは頭脳派だから!」
そうなのだ。
だがしかし、その頭脳ですらウェイバーがはっきり繍に勝てる、と胸を張って言えるのかと言えばわからないのである。
少なくとも、魔術の腕では完全に負けている。術式の構築でも同様だ。
自分はウェイバーみたいに、上手くわかりやすく人にものを説明することはできない、と繍は言っていたが、それは多分彼女が感覚で大概のことをこなせてしまう、天才型の人間だからだ。
「とにかく!いいんだよ。アイツとは、これが終わってから決着をつける」
心残りを全部解消するなんて、縁起でもない。
あのへらへらよく笑って、ライダーやセイバーたちと比べたらチンピラのように見えてしまう暗殺者の肩を気安く叩き、彼を信じて、何だかんだとここまで生き残って来た。
死ぬことすらも笑い飛ばしてしまいそうな能天気なやつが、早々死ぬわけないと、思っていた。
或いはそれは、自分に都合の良い思い込みかもしれない。しかしウェイバーも、死地に赴くのは同じだ。
だから、幸運を祈ることくらい、構わないだろう。
「大体ライダー、ボクのことよりオマエ、英雄王に勝てるんだよな?征服するって言う言葉、嘘にするなんて許さないからな」
「はは、言い寄るわ!坊主!だがまぁ、余の友として戦場に赴くならば、それくらいの馬鹿でなければのう!」
神牛に一鞭くれて、戦車はさらに加速していく。
目指すアインツベルンの森が見え始めたとき、ウェイバーはふと、眼下を通る一筋の光を見た気がした。
魔術でさらに目を凝らせば、それは巨大なバイクを駆る金髪の少女、セイバーだった。
「ライダー!下をセイバーが通ってる!」
剣の英霊が操る現代の鋼鉄の馬は、恐ろしい速さで森へと向かっている。彼女もあの閃光弾を見て、馳せ参じて来たのだ。
征服王と騎士王の共闘。そしてそれに、今から自分が立ち会うのだ。
一流の魔術師ケイネス・エルメロイ・アーチボルトでも、千年の呪術師佐保繍でもなく、紛れもない三流魔術師、ウェイバー・ベルベットが。
──────頑張ってね、ウェイバー。ライダーのマスターは、きみだけだから。
言われるまでもない、とウェイバーは、令呪の刻まれた拳を握りしめた。
決戦の舞台までは、あと少しだった。
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結局、小聖杯は繍が持って行くことになった。
持って行けと言われたのだから、持って行くしかない。それに、どうも小聖杯にサーヴァントは迂闊に触れないほうがよいのではないかと、繍は思っているようだった。
「だってほら、これって脱落したサーヴァントたちの魂をしまっておくものだろ。きみたちを引っ張り込む、みたいな性質があるかもしれない」
相変わらず真顔で怖いことを言って、ぐるぐると呪布で小聖杯を包んだ繍は、それを鞄の中に収めていた。
街外れで幸運にも捕まえることができた車という乗り物は、すぐに市街へ三人を運んだ。そして一軒の宿の前で、一度タクシーは止まったのだった。
「桜、きみはここまでだ」
言うまでもなく、桜は連れて行けない。
それをわかっていただろうに、繍が別れを告げた瞬間、桜はコートの裾を握りしめて俯いた。
小刻みに震えている細い肩から、以蔵は目を逸らした。湿っぽいのも、泣きそうな子どもを慰めるのも、どちらも苦手だからだ。
「やっぱり、だめ、なんですね」
「うん、ごめん」
桜の頭を繍はそっと抱き寄せて、髪を撫でてやっていた。桜は繍の袖をしわがつくほどに握りしめて、縋っている。
その耳に、繍は一言二言囁いていた。桜の震えが、それで小さくなる。
繍は桜の頭を離して、そっと頬に手を添えて、それから笑顔を見せた。
サーヴァントの聴覚なら聞こえないこともなかったが、耳を澄ますことはしなかった。
必要ならば、繍は以蔵にも聞こえるように言うだろう。声をひそめるということは、聞かれたくないのだ。
聞かせたくないことの、一つや二つはあるのだろう。
「繍さん、黒はおいていかなくて、いいです」
繍から離れた桜は、まだ震えながらも、そう言った。
「わたしのこと、黒でまもってくれなくっても、大丈夫です。連れて行ってあげてください。それでぜったい……絶対、皆で帰ってきて、ください」
言葉の最後は、涙でふやけていた。
このときになって、ようやく歳相応の顔で泣けた子どもが、ひどく哀れに思えた。
「うん、わかった。約束ね、約束しよう。ボクは桜を置いて行ったりしないって、約束しよう」
繍はその頭に、優しく手を置いた。
そっちもやれとばかりに横目で睨んで来るので、以蔵も一応桜の頭を撫でてやる。壊してしまいそうなくらいな、小ささだった。
「ほら、行きな。さっきの部屋にソラウさんがいるから、あの人と待ってるんだ。ぜーんぶすっきりしたら、ちゃんと迎えに行くからね」
肩を押して、繍は桜を見送った。
何度も後ろを振り返りながら、小さな子どもは夜でも尚明るく輝いている建物の中へ消えて行った。
手を振っていた繍は、桜が鉄の小箱の扉の中に消え、姿が見えなくなってからようやく、手を下ろして立ち上がった。
そのまま、勢い良く自分の顔を両手で叩く。
「よし、行こう。岡田さん」
そう言って、繍は何故か手を肩の高さで持ち上げ、手のひらを以蔵へ向けて、止めた。
意味がわからず首を傾げていると、繍は指をくいくいと動かす。
同じように片手を上げてみれば、繍は以蔵の手に自分の手を叩きつけて来た。
乾いた音が、白い電気の灯りに染められた闇に、響いた。
「なんじゃあ?」
「ハイタッチって言うんだよ。頑張ろうとか、勝とうとか、そういう意味の挨拶さ」
「はいたっち、のう」
叩かれた手をじっと見る。変化など何もないのだが、繍にとっては何か意味のあることだったのだろう。
実際、少し嬉しそうに見えた。
「うん、おまじないみたいなもんかな。あ、元はボクらの国のものじゃないから、効き目とかはないんだけどね」
「ほいたら、なんでやりゆうが」
「え、ただのノリだけど。ボクがやってみたかったからだよ」
新しいタクシーとやらを片手を上げて捕まえながら、繍は事もなげに言った。
着物に袴の男と、長い白髪の少年の組み合わせをどう思ったのか、運転手は少し驚いた顔をする。
しかし、結局何も言わずに、彼は車を出した。
音もなく滑らかに、街外れの寺へと走り出した車の中で、ぽつりと繍が呟いた。
「ハイタッチ岡田」
「おい、何を言うちょる。ついに頭に
「ひどい。いや、まさかきみが、ハイタッチにノってくれるとは思わなかったから」
「おまんにひっかけられただけぜよ」
「ごめんって。次は意味を言ってから仕掛けるよ」
まったく懲りていなかった。
サーヴァントの目ならは、街の灯りだけで今繍がどんな表情をしているかなど、簡単に読み取れる。
布張りの椅子に座って以蔵の方を向いている繍は、強張った顔をしていた。
不安に揺れる瞳に、むしろ、安心する。これでいつも通りの笑顔だったら、いよいよあの女神が出て来たのかと疑うところだった。
意地っ張りでお人好し、ちっぽけなこの少女が、以蔵のマスターなのだ。
代わりは、要らなかった。
「桜はどうしちゅうんじゃ?」
「ロードご謹製の結界の中で、ソラウ嬢と待っててもらうよ。ほら、やっぱり人質とか流れ弾は怖いからね。ロード、めちゃくちゃ頑張りまくって、分体のアサシン程度の攻撃じゃ破れないものをつくったらしいから」
その頑張りを見て、ソラウという女はまたぞろ奇妙な顔をしていたそうだ。
まさかそこまでケイネスに惚れられていると思っていなかったからだとかなんとか、色々理由はあるらしい。
してみると、痴情の縺れを起こしていたランサー共はひとまず決着はしたのだろうか。
「感情的にはしてないんじゃないかな?難しい惚れた腫れたの話だし。けど、今更不甲斐なく騒いでる場合じゃない。互いの愛の在処など今や些末なことだ、とにかく私はきみを絶対に守る、必ず生かして返すって、ロードがソラウ嬢を説得したらしい。口説き落としたとも言うけど」
それは随分とまあ、熱烈な啖呵を切ったものである。この町にあの女を連れて来てしまった責任でも、感じているのだろう。
「愛のない結婚が当たり前の魔術師とは思えないくらいの惚れっぷりだよ。いや本当、ロードのああいうところが、一番の特異性じゃないかって思えて来るね。ああいう人には、長生きしてほしいな」
くく、と繍は抑えた笑い声を立ててから、前置きなく言った。
「ところでさ、実際どうなの?ランスロット卿の相手」
「おい、こん中でそがな話をしてえいんか?」
「大丈夫。車の中の空気の流れ弄って、運転手さんには聞こえないようにしてるから」
それで、と繍は重ねて問いかけて来た。
以蔵は、正直に答えることにした。
「知らん」
「知らん?」
「あんセイバーの剣は覚えたが。けんど、あん女が言うとったがじゃ。ランスロットちゅうやつは、セイバーよりも剣術は上やったいう話ぜよ」
「つまり、わからないんだ」
忌々しいことに、とても忌々しいことに、
そういうと、繍は頷いた。
「いやさ、大概の勝負はそうだろうに。岡田さん、これまで剣で負けなしだったから、勝つか負けるかわからない勝負ってのに、まだ慣れてないだけなんじゃない?」
「……」
「しかも、相手さんにも天性の才能があって、かつそれを磨き上げた、旧き精霊の愛し子なんだよ。忘れないでね。ランスロット卿は、今も尚多くの人に愛されるアーサー王伝説という物語の中で、紛れもない
「最高、のう」
「ま、ボクに言わせたら女癖はちょっと……いやかなり、難ありだけどね」
ちろりと悪戯っぽく舌を出した繍は、つまり勝つか負けるかなんてわからなくて当たり前だろう、と言う。
「マシなのは今のランスロット卿はサーヴァントだということ。間桐雁夜っていう弱点を、あいつらは生かしている。利用しない手はないよ」
「殺すつもりか?」
「
声は震えておらず、顔にも動揺の色はなかった。
しかし、以蔵はその額を突いた。
「阿呆。おまんにゃ人斬りなんぞできん。肝心なところで手元が狂うだけぜよ」
「信用ひっく!っていうか、何かに困るとボクの額をどつくくせ、やめてもらえないかな!?そのうち凹んだらどうしてくれる!」
「おまんの石頭がこがなことで変わるか」
不服そうな繍の前で、ふん、と鼻を鳴らして見せた。
「適材適所ちゅうたんはおまんじゃろ。大体、そっちにゃ大方あん西洋坊主が行くじゃろが。それに加えて、腐れ大聖杯があるぜよ。わしのことまで面倒みる暇があるがか?それとも何か、わしの腕が信用できんがか?」
「ちょっと岡田さん、その聞き方は卑怯じゃないでしょうか!」
「戦に、卑怯もくそもあるか」
うぐぐ、と繍が呻き、頭を抱えた。
「言峰神父かぁ。多分白か黒がいたら何とかはなる……と思う。でもアサシンが出てきたらまずいんだよね。狗神たち、ほとほと殺しには向いてないから」
「あんロード先生と協力して何とかせえ。銀色のよう動くあれとあるじゃろう」
「『
「それじゃ。その、なんとかグラムじゃ」
よく知らないが、あの生き物のような金属の塊は、かなりの速さで動いていた。
使いどころに寄るだろうが、分体のアサシン一体程度ならば、恐らく屠るだけの威力はあるだろう。
「ともかくじゃ。わしはわしで、おまんはおまんで戦うだけちうことを、よう覚えちょけ」
「いった!だから叩くなぁ!」
最後に一発、滑らかな額を指で弾いてやって、以蔵は呵々と笑った。
額を押さえて上半身を一度折った繍が、若干の涙目で見上げて来る。睨んでいるつもりなのだろうが、まったく怖くなかった。
─────そうじゃ。
こいつは、いつかの自分の雇い主たちのように、人斬りを利用するだけ利用して、その後姿に、影法師に、唾を吐いて踏みにじるような輩ではない。
側にいて、同じものを見て、手を引っ張って来て、当たり前に泣いて笑って、ただただ懸命に今を生きている、人間なのだ。
だからこそ、佐保繍という少女は人間のままに安らかに生きて、死ぬべきなのだと思う。
「あ、柳洞寺だ」
額から手を離して、車の窓ガラスの向こうに広がる闇を透かし見た繍が、まるでついでのように呟く。極小さな声だったのに、その呟きはよく聞こえた。
大聖杯という災いの盃を孕んだ山は、行く手に禍々しい程に大きく、黒く、聳え立っていたのだった。
誰かと一緒に戦いに行くの、初めてだなぁ、という話。