では。
「ステータス……えぇと、こうやって見るのか。あ、凄い。ほんとに数字が見えた」
冬木駅に近いファミレスの一席で、佐保繍はストローで茶を啜りながら、眼を細めていた。
マスターになったはものの、繍には己がサーヴァントの主として何ができるのかもわかっていない。
マスターならサーヴァントの力の値が見えるはずだろうと呆れ混じりに以蔵に言われ、それを今試していたのである。
意識を集中させると、確かに以蔵に被さって能力などが数値として見えた。ざっと見たところ、岡田以蔵というサーヴァントは敏捷が高かった。
それ以外は概ねC、D、Eである。比較対象がないので、高いのか低いのかもわからない。
「一番上がAで、B、C、D、Eの順に下がっていく。それで規格外枠としてEXがあるんだよね。わかりやすいように作られた仕組みだな。令呪も特に呪文とかはなくて、念じたら使えると」
「そうじゃ。おまん、やけくそで召喚したいうたわりに、パスとかいうのはちゃんと繋げとうの。それと、令呪は上手くすれば奇跡みたいなこともできるがじゃ」
「奇跡……転移とか?」
令呪は今、手の甲に巻いた包帯で隠されている。
きっちりと見えないように隠れていることを確かめながら、繍は首を横に傾けた。
「さあの。ただし、妙なことに使いよるなら斬るきの」
「やらないよ、勿体無い」
テーブルを挟んだ反対側の席に座るのは、昨日契約したアサシン、岡田以蔵だった。
朝方帰った拠点で十時間ほど眠ったため、時刻は昼下がりになっている。ともあれ、眠って気力体力を回復させた繍は、また街に出ていた。
つまらないからと霊体化したがらなかった以蔵は、そのままついて来ている。
刀は見られると警官に止められるために消していたが、この寒空に着物だけでは却って目立つために、インバネスコートと適当な襟巻きを買って渡したのだが、これはこれで目立っていた。
とはいえ、目立つのは髪色が三色の繍も似たり寄ったりである。それでも、日本人の風貌に二人共収まりはしていた。
「御霊降ろしは我が家の仕事だったから、それが遠因かもしれないなぁ。というか、魔力と幸運値のEってこれ底値では?」
「なんぞ文句があるがか?」
現代の食事がしたいと言い出した以蔵の前には、肉やら魚の料理が十皿は積まれていた。
本来なら食事を取る必要がないはずの、半霊体のような状態の割によく食べるのだなと、繍はそれを半眼で見ていた。
遊ぶ金はないが、使える金がないとは言っていないから払えているが、遠慮という二文字はこのサーヴァントの中には無いらしい。
さすがに、昼間から酒をかっ喰らおうとするのは止めたが。
「ないない。岡田さん、魔術師でもないし、妖術を使った逸話があるわけでもないから、魔力がEなのはわかるよ。ただこの幸運値がEなの、なんか不吉だからさ」
「そがなこと言うが、街を通りようだけで、人殺しに出っくわしたおまんに、幸運ちゅうものは働いとるのかの。サーヴァントのパラメータはマスターに引っ張られるちゅう話じゃが」
にやにや笑う以蔵に、繍はしかめ面で茶を啜った。
「でもま、あの男はそのまま病院で御用になったようだし、良かったといえば良かったよ。後で記憶を弄りに行かないといけないが」
「おのれが斬られたちゅうのに、呑気なもんじゃの」
「ボクを斬ったのは髑髏面で、あの犯人じゃないんだし」
はぐらかすように片頬だけで笑って、繍はテーブルの上に鞄から取り出した冬木の地図を広げた。
先ほどから、このテーブルの周りには結界を張っていた。
周囲の人間は、ここにいる二人のことは路傍の石ころのように無視するし、音も漏れない。そういう類の人払いの結界だった。
「この冬木で聖杯戦争を始めた家は、三つある。ひとつが遠坂、ひとつが間桐、最後のひとつはアインツベルン。だから、彼らの家には式神を放ってある。何か動きがあれば伝わるよ」
「手が早いの」
遠坂と間桐は冬木市内に屋敷を構えているため、簡単に拠点は割れるのだ。
地図に描き込んだ点を指で突きながら、繍は言った。
「魔術師は普通なら自分の屋敷に工房を構えるからね。言うなれば、彼らのお城みたいなものさ。多分、マスターになってもそこで穴倉を決め込むだろうな」
「おまんにはないんか?その、工房とやら」
「うちは魔術師の家系じゃないよ。……それに、ボクはここに住んでるわけじゃないから、工房はない。ここにいる間は、街中を転々とするしかないね。一つ所にいると足がつくから」
冬木ハイアットホテルのワンフロアを丸ごと借り切って工房に改造してしまったケイネスもいるが、あんな時間も費用も、繍にはない。
それに、サーヴァント相手では、現代魔術師の即興の工房などさほどもたないだろうと思えた。佐保の家とて千年以上続く家柄ではあるが、土地もないのにそこまで強い護りは固められない。
繍は戦場なれもしていないのだ。
せいぜい旅先で二、三度、協会から依頼された死徒狩りに参加したり、巻き込まれたりした程度で、それとて後で数日は己の斬ったグールの
「遠坂と間桐の家はわかりゆうが、最後のアイ……なんじゃったか?」
「アインツベルン。ヨーロッパの何処かに居を構える、錬金術師の大家だよ。この家だけ、拠点の場所が正確にわからないんだ」
街から離れた場所に記された森を、繍は指で示した。
「多分ここだと思うが、結界や何やらで守ってるようで式も近付けなかった。逆に言うと、森の中に何かがあることは確実になったんだが」
「あの犬共はどういた?そこそこ強いじゃろ」
「黒狗と白狗は強いけど、目立つから偵察には出せないよ。彼らは旧い式神だから」
佐保の血脈と契約しているため、彼ら狗神の始まりは恐らく千年は前になる。
正直、神秘の度合いでいうなら、以蔵よりも高いのである。
ただ本質的に、彼らは守り神であり、カミの御使いでしかないので戦いに向かない。加えて、その力は術者の繍の精神に左右される。
場慣れしていない繍では、常にまともに動かせるとは言い難い。
「つまり、当面やれることがない」
お手上げ、と繍は両手を上げた。
ランサーとそのマスターのことに関して、繍は未だ以蔵に何も告げられていなかった。
言ったら言ったで、人斬り以蔵はこちらの制止など聞かずに殺しにかかりそうな、そんな危うさを感じ取ったからだ。
遅かれ早かれ、言わなければならないだろう。
ランサーのマスターがかつての恩師だ、ということを。
そんな心象を知るはずもなく、繍のサーヴァントは皿を全て空にしていた。
人の金なのに、ここまで遠慮なく食われてしまうといっそ清々しかった。しかも、器用に野菜の類を皿の端に避けて残している。子どもなのかと、内心呆れる繍だった。
「おう、マスターは食わんのか?そんなんじゃから景気の悪いツラになるがじゃ」
景気悪い面なのはサーヴァントを召喚し、魔力を消費して疲弊した反動である。
余計なお世話だと、地図を退けて蕎麦を啜りながら、繍は半眼になった。
それにしても、と、繍は椀越しに改めて目の前のサーヴァントを伺う。
三十にも届かない歳で斬首された、幕末で最も有名な人斬り、それが岡田以蔵である。
その若さで英霊になったというからには、もっとこう、高いところにいるようなのを想像していたのだが、そんな風情が欠片もない。
だが、彼が生きていたのは幕末である。
動乱の時代とはいえ、繍の曾祖母や曽祖父が生きていた頃なのだから、さほど昔という感じがしない。
それを鑑みると、歴史に名が残った人斬りであろうと、存外普通の人みたいなものなのだろうか、と思いもするのだ。
だが、ディルムッド・オディナのような古い神話ともなると、ひとりで館を丸ごと持ち上げただの、注ぎかけるだけで傷を癒す水の使い手がいただの、そういうのも珍しくはない。
「岡田さん、つかぬことを聞くが、刀で山は切れるのか?」
「はあ?刀は人を斬るためのもんじゃろ」
睨みながら正論を返されて、繍は頷くしかなかった。
その通りである。その通りなのだが、それを当たり前のようにやってのける英雄が出てくるのが、神話というものである。
そしてこの街には、そういう類のが、後五騎はいてもおかしくない。
───────不安だなぁ。
蕎麦の香りを全く感じられない、コシのない麺を手繰りながら、繍はこっそりため息を吐いたのだった。
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「それで、おまんは一体何ができゆうが?」
ファミレスから出て後、冬木の街を巡る最中、以蔵がマスターである少女に尋ねたのはそんなことだった。
白黒灰色の長い髪を川の方から吹いてくる風に揺らして、先を歩いていた繍は振り返る。
「何というと……?」
「腕のほどじゃ。おまんが化体な犬を呼んだのも見ちゅうが、他は知らんきの」
「ああ、つまり戦ったことがあるかって?」
片手に筆、片手に巻紙を持ったまま、繍は首を傾げた。
「てんで駄目です。戦ったことがないではないけど、ほんと素人に毛が生えたくらい。煙に巻くのは得意だから、化物から逃げたことは何度かあるけど」
「バケモン?」
「グール、屍喰鬼、鬼。……色んな言い方があるけど、要は生きてる死人だよ。頭か心臓を潰さないと、絶対死なないような化け物で、数年前だけど、これの群れと鉢合わせしたときはひどい目にあったっけ」
よほどひどい目にあったのだろう。
化け物の名を出したとき、寸の間だが繍からは表情らしいものが抜け落ちた。
「逃げはうまいが後はいかんのやな」
「上手いっていってもサーヴァントの相手したら多分、というか確実に無理。知性の無いグールとは訳が違うだろうからね」
つまりこの女は、戦場に出ても役に立ちそうになかった。連れている犬たちのほうがまだ使えそうではある。
とはいえ、術者ならばそのほうが当たり前であろう。
「他のマスターの相手はできゆうが?」
「我が家は祈り、祀り、祓い、人を生かして我が身も生きるのが本分だから、全体的に争いに向いてないんだな、これが。戦いに出せるのは、白狗と黒狗くらいだよ」
あっけらかんと言うが、実際このマスターは、人殺しに出くわしたときも、意識を刈り取って手首を落とすに留まっている。
問答無用で斬れば後腐れもないだろうに、そういう思い切りができない質なのだろう。
「それじゃ、こっちからも聞いていいか?」
「なんじゃ」
「岡田さん、宝具が『始末剣』となってたが、あれはなんなんだ?見た剣技を、自分のものにできるということで良いのかな?」
「そうじゃ。わしは天才じゃき、一度見たもんはなんでもわしのもんにできゆうが」
「はー。それじゃ、セイバークラスのサーヴァントの剣技とかを見たら、もっと強くなれるんだ」
凄いなぁ、と筆の先でこめかみを突きながら、繍は紙に何かを書いていた。
「なんじゃ、それ」
「この土地の霊脈がどうなってるのか描いとこうと思ってさ。聖杯戦争って、最後には聖杯を降臨するらしいから、多分どこかの霊地を使うと思うんだ。そこが何処だかわかったら、この儀式の仕組みもわかるかなぁって」
御三家の粋を極めた術だから望み薄だが、と繍は筆でさらさらと、以蔵にはこれっぽっちも解りようがないぐにゃぐにゃした図を描きつけていた。
「そがなことして、何になるが?」
人斬りに人を斬るなと言い、かてて加えてこれでは、斬れば良いだけの殺し合いに参加している自覚すら怪しい。
自分に理解できないことを、さも当然のようにマスターが語る上、てんで説明しようとしないことには腹が立った。
「……なんか、怒ってる?」
苛立ちの気配に気づいたのか、繍は手を止めずに以蔵を見上げた。
「怒っちょらん。呆れとうだけじゃ。ええか、わしは聖杯戦争は殺し合いやというとう。だのにおまんは、ちいともわかっとるようには見えんがじゃ」
怒るでもなく戸惑うでもなく、繍は今度は手を止めて筆と紙を仕舞って、以蔵を見た。
鞄の肩紐を両手で握りしめ、小さな術者は人斬りの目と視線を合わせた。
「じゃあ正直に言うが、ボクは聖杯戦争そのものを胡散臭いと思ってる。……他のサーヴァントを殺して聖杯を得れば、何でも願いが叶う。そんな文句で殺し合いをするなんて、まるきり巫蠱の術じゃないか」
巫蠱とは、呪術のひとつだ。
虫や蜥蜴など、小さな生き物を集めて壺の中で殺し合わせ、生き残った一匹を祀るもの。
冬木が壺で、サーヴァントたちが贄だとしたなら、その先には何がある?何が生み出される?
「そうやって残った一匹を、術者は毒としていいように用いる。……聖杯戦争って儀式の範囲だけで戦っていたら、君だけじゃなくボクもそうなるかもしれないだろ。……それでも、あなたが聖杯の奇跡に……例えば時を遡りたいとか、そういう願いがあって、だから聖杯に是が非でも頼ると言うなら、構わないのかもしれない」
しかし、以蔵はそう言わなかった。
「聖杯に頼らない方法を、探してみたって損はない。だろ?」
違わないのだが、それならそれで言えば良いのに、と以蔵は鼻を鳴らした。
それをそのまま言うと、繍は素直に頭を下げた。
「確かに言葉足らずだった。申し訳ない。一人旅が長過ぎて、喋るのが下手になってたよ」
言い訳になっているのかいないのかもわからないことを、くそ真面目に言われては怒る気も失せた。
「わかったわかった。おまんはおまんなりで物を考えちゅうんじゃな。ほいたらわしにも言いとうせ」
「反省します。……駄目だなぁ。どうも人とまともに喋るのが久しぶり過ぎる」
「どこで暮らしとりゃ、そがあな面倒なことになるんぜよ……」
そりゃあちこちの国だよ、と繍は両手を広げて答えた。
あちこちというからには、一つの場所に住み着けず、流れていたのだろう。
ただの道楽者かとも思うが、身内も家もないと言うからには、そこまで呑気な生き方をしていたようにも見えない。
そもそもが、住む場所を探していた折に殺し合いに巻き込まれたというのだから、巡り合わせの悪さは相当なものである。
人懐こい、妙な野良犬。
使っている式神と、術者本人が重なるのは妙だったが、以蔵からは繍はそんなふうに見えた。
調子を狂わせるやつだ、と以蔵がため息を吐きかけ、瞬時に気配を察知した。
「おまん、小刀持っとうじゃろ。貸しとうせ」
コートのポケットから繍が取り出した鍔のない小刀を受け取るや否や、以蔵は無造作にそれを投擲した。
小刀は過たず、近くの、葉がまだ残っていた木の枝に止まっていた何かを貫き、落ちる。
「ボクの刀ー!?」
「やっかましい。よう見ぃや」
突然の暴挙に目を剥いて叫んだ繍だったが、小刀が刺し貫いたモノ─────小形のカメラを取り付けた蝙蝠を見て、唖然とした。
「何だこれ……。CCDカメラ付きの使い魔だって……?」
「しぃー……?」
「覗き見されてたってことだ。しかも魔術と科学の組み合わせで」
こういう手口には覚えがあると言いつつ、蝙蝠の死骸を拾い上げる繍の横顔は、以蔵が見たことがないほど厳しいものになっていた。
予期せぬ時間ができたため、またできたのでしました。
聖杯戦争をまともに戦う気がないマスター。
良くも悪くも、仕組みをわかってない。
そして戦闘に関してはほんと雑魚。
ちなみに、彼女の一人称に関しては理由があったりなかったり。