冬の街にて、人斬り異聞   作:はたけのなすび

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では。


巻の四十

 

 

 

 

 

 寺を守る山門に着くまで後数段というところで、ふいに以蔵が足を止めた。

 同時に実体化するのは、黒い鎧の狂戦士。ぎちぎちと鋼を軋ませる音を聞いて、繍はついに来るべきものが来たように思った。

 ただし、バーサーカーは山門から出てこようとはしない。ただ門を守る者として、この場に括られているようだった。

 一歩、繍が足を前に出す。

 バーサーカーは動かなかった。

 以蔵が、足を動かす。

 途端、バーサーカーは唸り声を上げて身構えた。

 

「ああ、そういうことか。人間は通っていいけど、サーヴァントは駄目ってことらしい」

 

 明らかに、誘い込まれていた。

 階段下で合流したケイネスが、水銀の礼装を従えながら、言った。

 

「安い挑発だ。だが、乗るしかあるまいな。ランサー、任せる」

「承知した、我が主よ」

 

 赤い槍を構えたランサーである。

 

「じゃ、そういうことで」

「おん。死ぬるなよ」

「きみもな」

 

 以蔵が抜刀の構えを取った瞬間、バーサーカーが咆哮した。

 その左脚が微かに下がったのを見てとった瞬間、繍は咄嗟に前へと転がるように跳んでいた。

 直後、背後で甲高い音が鳴り響く。

 バーサーカーの剣と以蔵の刀が、ぶつかり合う音だった。風圧で、繍の白い髪が揺らめく。

 跳ばなかったら、挽肉になっていたところだ。敵を前にすれば、バーサーカーは多少の者など何も見えなくなるのだろう。

 

「っ」

 

 この場にいても、できることはない。

 ランサーも槍を携えて参戦するのを確かめながら、繍は立ち上がって山門をくぐる。

 

「なんだ、これは……」

 

 水銀を従えたケイネスが、呟いた。

 正面には、瓦葺きの屋根を頂いた恐らくは本殿が聳えている。

 軽く百人は暮らせそうなほどの広い境内ではあるが、人払いはされているのか、気配はない。というよりも、生きている者の気配が、限りなく低かった。

 代わりに感じるのは、足元にいる『何か』。

 山のカミである神霊の影響を受けたからか、円蔵山という山の側にいる繍の感覚は、鋭くなっていた。

 確かにここには、この足元には、『何か』がいる。

 それは人のようでもあり、カミのようでもあった。

 大聖杯は、山の下の大洞窟に安置されているという。ならばこの気配は、その中に潜む何かなのだろう。

 それほどまでに脈打つモノが、ここにはいるのだ。

 今が戦いでなかったなら、繍は己の肩を己の腕で抱いて、この場に蹲っていただろう。

 それほどに埒外の塊を、鋭敏になった第六感が感じ取っていた。

 

「ヒトが望んだ、悪の神、か」

「何か感じ取ったのかね?顔が白いぞ」

「あ、ロード。それは元からですのでお気になさらず」

 

 事もなげに嘘を言って、白と黒、二体の式神を繍は顕現させた。

 尖り耳の猟犬の姿をしたカミの使いは、音もなく石畳の上に降り立つ。

 

「白、黒」

 

 名前を呼べばたちまち二頭の体が膨らみ、子牛ほどになる。

 金色の瞳を光らせる狗神たちは、牙を剥いて唸り声を上げた。

 黒い鼻面が向く方向、闇が蟠る物陰を透かし見て、繍は口を開いた。

 

「言峰神父、いるんだろう」

 

 ゆらり、と黒い僧服の男が闇から現れる。

 

「流石に気づくか。貴様ではなく、狗に嗅ぎ当てさせるとはな」

「こっちは、お前のような代行者ほどに、人間をやめていないからね」

 

 繍は鞄に手を入れると、小聖杯を取り出した。

 

「お前の言う通りに持って来たぞ。これで一体、何をどうするつもりなんだ?」

「大聖杯の完成に決まっている。聖杯戦争の参加者にとって、他に望むことがあると思うのか?」

 

 想像していた答ではあったが、繍は小聖杯を握る手に力を込めた。

 

「ふざけるな!貴様、それがどれほどの大罪なのか、わかっているのか!」

「『この世すべての悪(アンリマユ)』の生誕だろう。わかっているとも」

 

 こめかみに青筋が立ったケイネスと、どこまでも虚無の瞳で佇む神父とを、繍はどこか凪いだ想いで見ていた。

 ケイネスの肩を、軽く叩く。

 

「ロード、ここはボクがどうにかしますので、大洞窟の方へ行ってください」

「何を言っているのかね?」

「彼ひとりにかかずり合う訳にも行きませんから。それに、バーサーカーのマスターもいますし」

 

 この男の相手をするには、ケイネスは正常過ぎて駄目だと、繍は頭より先に心で理解していた。

 言峰綺礼は、静かに狂っていた。

 とはいえそれは、己も似たようなものである。身を置く世界こそ違えど、絶対なる者(カミ)に仕える者としてまだ行動が読める。

 

()()、速く行ってください。時間がありません。夜が明けたら、色々とまずいですから。……それに」

 

 繍は白の首を押さえていた手を離す。

 たちまち、白い狗神は風となって、今しもケイネスの喉首をかき切ろうとしていた髑髏面の暗殺者に飛びかかり、痩身を地面に引き倒した。

 黒い肌をした喉に白い牙が深々と食い込み、血が泉のように噴き出す。狗神の足の下で、髑髏のアサシンは声も上げずに魔力の霞となって消えた。

 直後、繍の手の中の小聖杯に、何かが入り込む。ずしり、と急に重量を増したそれを、繍は危うく取り落としそうになった。

 

─────魂が、ひとつ落ちた。

 

 そう感じながら、繍はケイネスを促した。

 

「今のが、最後の髑髏のアサシンです。もう、伏兵はいないでしょう」

 

 だが、まだ代行者そのものである言峰綺礼がいるのだ。

 彼の戦闘能力は、ケイネスと繍単体を足しても足元にも及ばないだろう。何せ魔術師相手の暗殺者なのだから、本気になられたらその時点でまずい。

 繍には狗神がいるが、何せ彼らに指示を出すのは、戦いが下手くそな繍である。裏をかかれないとは、言えない。

 

「速く!」

 

 それでようやく、ケイネスが動いた。

 彼が歩き去るまで、言峰綺礼は動かなかった。動かないように、黒と白は睨みを利かせているのだ。

 水銀の礼装と共に時計塔の魔術師が姿を消す。逆立っていた黒の毛が、ほんの僅かに倒れた。

 

「貴様はここに留まり、私の足止めと言うわけか」

「自分から見つかりに来たくせに、よく言う。……間桐雁夜はどこにいる?大方狗神の鼻すら誤魔化すような宝具で、隠したんだろう?ボクは小聖杯を持って来たんだ。そうでないならこんなものは壊して、大聖杯を降臨させる道など台無しにしてやるところだ」

「困るな。私はアンリマユを降臨させる。すると決めたのだ」

「何故だ?皆死ぬぞ」

 

 神のために死など恐れないのが、代行者である。だが相手は、彼からすれば異教の邪神の写し身。

 それを降臨させるために、どうして神父が命を張るのだろう。

 

「それでもだ。確かに、アレは邪悪の化身だ。しかしそれを見た瞬間、私の魂ははっきりと震えた。あの熱の意味を問うために、私は聖杯の中身を相対する必要がある」

 

 一度も、生まれてから一度も、何の情熱も見いだせなかった魂に、初めて火を点けたのは、邪神の気配。

 ならばそれを求道するために、すべてを壊すことも厭わないと、神父は言った。

 

「……また、とんでもない方向に振り切れたな。お前は絶望してこそいても、人一倍神の教えで己を縛っていた。お前の神は隣人への愛を説くのだから、すべてを破壊し尽くすような非道はしないと、そう期待していたのだがな」

 

 期待外れか、と繍が嘲笑うような色を声に滲ませれば、言峰綺礼は頬を歪めた。

 仮面がひび割れたような、笑みだった。

 

「私が壊れたというならば、それは貴様とあの衛宮切嗣に原因がある。お前たちの出会いが契機だ」

「意味がわからない。ボクも衛宮も、お前のことなんか知らない。この戦いが初対面だろう」

 

 白狗がじり、と動く。

 だがそれすらも見えていないように、言峰のひび割れた声なき哄笑は止まらない。

 

「お前が最初に、私の歪みを指摘した。幼子の苦痛を悦としている私に、間桐桜は引き渡せないと、随分な啖呵を切ってくれたものだな」

「事実だからだ」

「そうだ。確かに私はあのとき悦を感じていた。英雄王が言うにはな、愉悦とは魂の形だそうだ。愉悦を感じることを罪と感じていた私は、無意識に己の魂から目を背けていたわけだ」

 

 本人すら目を背けていたそれを、徹底的に言葉で暴き立てたのは、繍だった。

 否が応でも剥き出しにされた魂、その苦悩で苛まれながら、言峰綺礼は英雄王の導きで、大聖杯の中身を覗き込んだという。

 

「あそこにいたのは、紛れもない邪悪。人を殺すという、ただその概念に突き動かされ、この世に生まれ出たいと願う、()()()だ」

 

 人殺しを望み続けるそれを見、この世に生まれ出でたいと願う声を聴いた。

 

「私ほどに魂が破綻していなければ、あの叫びを汲み取れまい。何せ、あれはこの世すべての悪なのだから。だが同時に、あれはただこの世に生まれ出たいと願う、純粋な叫びだ。生まれ出ることすらしていない者の罪を、()()()()貴様は問えるか?生まれ出ることそのものが罪なのだから、胎児のままで死ぬがよいと」

「……」

 

 人の罪は、何を成したかで決まる。

 喩え人殺しを楽しむ性質で生まれたところで、類まれな人斬りの才能を持っていたところで、それは悪ではない。

 日が東から上って西に沈むように、水が上から下に落ちるように、ただ、その魂の摂理として、そう生まれついただけだ。

 

 ─────生まれてもいない者の罪は。

 

 数えられない。

 この世に生を受くることを、咎められることができるものは、どこにもいない。

 あるとそればそう、カミくらいなものだろう。

 

「私はあれを守る。私の迷いのすべてに答えを出すために、そして生まれもせず背負ってもいない罪から、あれを救うために、だ」

 

 だからここまでするのだ、と言峰綺礼は立ち塞がる。

 己と聖杯の中に眠る、絶対悪の化身のために。ただ、それだけのために。

 

 小聖杯を握る手に、繍は力を込めた。

 血管が浮き出るほどに強く握る。握りつぶしそうなほどに握りしめた手から、繍はやおら力を抜いた。

 だらりと下げた腕に小聖杯を持ち、繍は口角を吊り上げた。

 

「呆れるほど真っ直ぐに捩じれて、凄まじい勢いで人道から外れたな、お前は」

「是非もない。貴様のような人間には、決して理解できぬだろうさ」

「そう。お前はそういうふうにボクを見るんだね」

 

 この男の願いはつまり、単純。

 迷いを晴らしたい。人生の灯りを見出したい。たまさかその灯りが、邪悪でなければ決して火が点かないものであっただけで、願うことはわかりやすいのだ。

 

─────己の生に、意味を見つけたい。

 

 己の生まれて来た意味が、知りたい。

 何も得られないまま、死にたくない。

 そのためならば、何者も犠牲に出来ると振り切れた人間。

 そういうことなのだ。

 

「生きものはただ生きるだけ。お前が求めるような意味なんてきっと、そこにはないのにな」

 

 繍は呟いてから、続けた。

 

「ボクは、お前に言おうと思っていた。他者の苦しみや嘆きに悦を感じる性質そのものは、悪ではないと」

 

 それは、あのときあの英雄王に阻まれた言葉の、続きだった。

 言わなくてもいいかもしれない。それでも、カミと向き合う者同士、言っておきたかったのだ。

 

「生まれ持った性質は、どうしようもない。何をしても、変えようができないものがある。だけれど、何も他人の苦しみを悦にするだけならば、いくらだって有効に利用できたじゃないか」

「有効に、だと?」

「そうさ。例えば……この街に潜んでいた蟲翁。あれは、誰が見ても悪だった。とうに腐れ果てた体を維持しようと、多くの者を喰らっていた」

 

 生きるためには、他者の命を奪うのが生きものだ。

 けれど、間桐の蟲翁は余りに醜悪過ぎた。

 生きすぎて、魂が最早腐臭しか生み出さなくなっていたから、繍は何の躊躇いを感じることもなく、悪だと判断した。

 

「ボクは傲慢だ。蟲翁に悪という札を貼って、刈り取った。悪だから消していいと、そう決めるのに後悔はまったくなかったんだよ。これも破綻だろうね。ボクは、人を守る善であれと魂に刻まれているから、そのための行動すべてに、何らの痛痒を覚えない。覚えることができないようになっている」

 

 命に変わりはないのに、それを己の胸先ひとつで『悪』だと決めて殺せば、何の傷みも覚えないのだ。

 傲慢でなくて、何だと言う。その割り切りこそカミの差配か何かだ。

 

「それでもね、そうやって殺す者たちは、多くの人には悪だから、ボクは咎めも受けないし、糾弾もされない」

 

 他者の苦しみに愉悦すると言うならば、誰が見ても悪だと言われるような者たちの苦しみを、嘆きを、味わえばいい。

 そうすれば、少なくとも罰せられることはなくなる。隣人と違っていても、隣人と共に生きられる。

 

「お前はただ、自分自身のカタチに気づき、受け入れていればよかった」

 

 それが、どれほどに勇気のいることであったとしても。

 この世すべての悪に、ありとあらゆる迷いの答えを見出すために縋る、などと狂うよりは、まだましだったと思うのだ。

 

「馬鹿なやつ。ボクはお前の、その真っ直ぐな愚かしさを笑ってやるよ、言峰」

 

 それが彼にとっての福音であっても、この世すべての悪(アンリマユ)などというものを、降臨させるわけにはいかない。

 だから、彼の願いを踏みつぶす。全身全霊の祈りの結晶を、叩き潰して、消す。

 

「ボクには、死なせたくない人がいるんだ。……厳密に言えばもう死人で、困ったところが多くて、お前みたいな克己心もなければ、己の在り方に真摯に向き合うどころか開き直るような、ほんと、どうしようもない人だけど」

 

 それでも。

 

「お前とは、比べものにならないほど大事なんだよ。だから、お前のその懇願じみた祈りは()()()

「私の生涯に渡る迷いを、貴様は邪魔の一言で済ませるのか」

「他にどう言いようがある?」

 

 邪魔。そう、邪魔なのだ。

 

 生きる迷いを晴らしたい?答えを得たい?

 うるさい知るか、迷惑だ、この稀に見る馬鹿野郎ども。

 真摯に前を向いて答えを求めて、その果てに災厄をばら撒こうとするお前も、愉悦の為に手を貸す英雄王も、どいつもこいつもなんなのだ。

 求道者だというのならアンリマユに答えなんぞ求めずに、己と向き合って出せ。

 問い殺すなら、己だけに留めろ。

 

 何より、小さな女の子を泣かせたやつの願いなんて、誰が聞くものか。

 

 無茶苦茶な罵りの百万語を、繍はすべて飲み込む。

 腹の底から吹き上がってきた、ただの感情の暴発だと、自分でもわかっているからだ。

 

「胎児だろうがなんだろうが、悪だと己で判断したならば、それを踏みつぶすことに何も感じないさ。ボクは機械のように、あれを葬り去ってやる。生憎だったね、アンリマユにすら慈悲をかけた、情け深い神父様」

「……よく喋るものだ。まるで悪童さながらだな。清らかな巫女ではないのか?」

「生憎、そういう面はお前に見せるようなものじゃないんだよ」

 

 言峰綺礼は、罵られても尚、揺らがなかった。

 己の為に大聖杯を完成させると、彼は既に決めているのだ。

 

「この無意味な問答は、時間稼ぎのつもりか。だが、お前に私は殺せまい。その犬たちを使わないのは、それが人の血で汚せないモノであるからか?」

「……」

 

 繍は舌打ちしそうになった。

 確かに、サーヴァントと言う死人を還すならまだしも、生者の血の味を狗神に覚えさせられない。危険だからだ。

 それに、髑髏のアサシンへ放ってみてわかった。

 妙に、白が高揚している。殺しには向かないはずなのに、苦もなく白が髑髏のアサシンを屠ったのは異変だった。

 

 ─────彼らの昂りは、依代のボクが()()仕掛けているから、か。

 

 狗神にとっての懐かしい時代へと、使い主が近づいているから、それに伴って力が上がっている。

 その状態で生きた人の血を食わせれば、どうなることやら。

 だから、狗神は言峰綺礼の足止めに使えても、殺せないのだ。

 

「動きを見ればわかる。貴様は戦いの素人だ。それなのにここへ立つのだな」

「先生をここに立たせるよりはまだ、ましだからね」

 

 ケイネスを殺させるわけにはいかないから、と繍は狗神たちの背に添えていた手を下ろした。

 白黒二頭の狗神が唸り、身をかがめたその刹那である。

 

「ッ!?」

 

 小聖杯に突如、凄まじい重みが、新しい魂が、加わったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




言峰綺礼→渇望:求道型
佐保繍→渇望:覇道型
くらいの違い。
どっちも歪みが酷い。

そして当人いない所でデレたやつ。
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